17.バイバイ
「あのう、このドレスはどういうやつでしょうか?」
眼鏡をかちゃりとかけ直してデイジーが聞くと、リオネルは心外だというような顔をした。
「卒業パーティーでドレスを贈るって言ったよね? 少し早くなってしまったけどそのドレスだよ」
「…………言ってましたね」
そういえば、そうだったとデイジーは思い出す。
言われた時は、良い思い出にしてくれる気概がすごいと感心していたので、あんまり中身について考えていなかった。
「それにしてもこれは……」
あまりに素敵すぎる。
嘘告の相手に過分ではないだろうか。
貰いすぎでは、と言おうとしてリオネルが切ない顔をしているのに気付いた。
「ごめん、重たかった? 気に入らない?」
「そんなことないです! とっても素敵です!」
ドレスはとても素敵で、どんな意図であろうとリオネルがデイジーに用意してくれたものなのだ。
デイジーはここは嬉しい気持ちを伝えるべきだと思い直す。
何より、とても嬉しいのだから。
「よかった」
「ありがとうございます。帰ったら皺にならないように吊っておきますね」
「うん。まだ帰らないけどね」
「帰らない? でも、歌劇は今から行っても終わっているだろうし、こんな正装でうろうろするのはちょっと……」
「王立劇場の夜の部の席を取ったんだ、今から行こう」
「ええっ」
「見たかったんでしょ? 歌劇」
「それはそうですけど」
「さ、お手をどうぞ。レディ」
リオネルが微笑みながらエスコートの手を差し出して、デイジーはドキドキしながらそれに自分の手を重ねた。
そうしてデイジーは夢のような時間を過ごした。
王立劇場の歌劇ではボロボロに泣いて、観劇後は涙が落ち着くまで劇場の庭を散策した。
夜の庭はライトアップされていて幻想的で美しく、リオネルは終始優しく紳士的だった。
帰りはきちんと寮まで送り届けてももらった。
一生分、ドキドキしてきゅんきゅんしたような夜だったが、デイジーはこれではいけないと思った。
もうこれは、嘘告を楽しんでみる、の域を越えている。
デイジーは夜中に、寮の自室で贈ってもらったドレスを見ながら、自分にはこれ以上嘘告を楽しむのは無理だと悟った。
卒業パーティーでの思い出は諦めよう。これ以上思い出が増えても振られた時に辛いだけだ。
さすがのデイジーもリオネルに振られるのを前向きに捉えるのは無理だ。
実家に帰ろう。
デイジーはそう決めた。
❋❋❋
卒業式の三日前の朝、デイジーは旅装で故郷へと向かう馬車に乗っていた。
実家に帰ると決めてからのデイジーの行動は早かった。学園に卒業式に出席出来ない旨を伝えて、卒業証書は実家まで送ってもらうことにした。
帰りの馬車を手配して、荷物をまとめる。
ユーリに田舎に急ぎで帰ることになってしまったと伝えて、リオネルへの手紙も託した。
手紙には、この半年間とてもよくしてもらったことへのお礼を書き、田舎に帰って結婚することを伝えて、お元気でと結んだ。
あっさりし過ぎているような気もしたけれど、嘘告の相手から重たく長い手紙をもらっても困惑するだろうと簡潔に書いた。
嘘告について知っていたことを書くかどうか迷ったが、結局それには触れなかった。
リオネルのプライドを傷つけるだけだと思ったし、何よりデイジーの中では嘘告はもう嘘告ではなかったからだ。
この半年間は結局、めいいっぱいドキドキして、キラキラしていた。
だから嘘告だったことはもうどうでもよかった。
贈られたドレスとイヤリングと靴は包んで手紙と共にユーリに渡した。
ユーリにはひたすらに心配されて「絶対に手紙を書くんやで」と約束させられ、デイジーは学園を後にした。
「…………」
そして今、デイジーは馬車の中で不思議な解放感と喪失感に包まれていた。
因みに学年末テストの結果は八位だった。暗記物は軒並み順位を落としたのだが、苦手だったはずの薬草学と錬金術の順位がかなりよかったのだ。
リオネルのノートと、サロンで二年生の範囲からきっちり復習したおかげだろう。
デイジーは何となく窓の外を眺める。
王都の景色がひどくぼんやりと感じた。
「恋だったのかな」
ぽつりと呟く。
ぐるぐる巻きにしたリオネルへの気持ちは恋だったのだろうか。
デイジーはユーリが言っていた『目がおうて、話がおうて、肌がおうたら恋』を思い出した。
“目がおうて”
で思い浮かぶのはリオネルの翡翠色の瞳だった。
“話がおうて”
では、リオネルと過ごした談話室。
“肌がおうて”
では、何度か握られた手の感触。
「あ」
デイジーの両眼からはポロポロと涙がこぼれた。
とても自然に後から後からこぼれだす。
「恋、してたんだなあ」
頬をつたう涙はそのままにして、素直にそう口にした。
「私、恋したんだ」
どうやら自分は恋をしたらしい。
嘘告を受け入れることにして楽しむと決めた結果、愛の告白では散々ドキドキさせてもらった。
勉強だけだったデイジーの学生生活は変わり、友人も出来たし、それまでしてこなかったキラキラした毎日を送った。
図書室で甘酸っぱい時間を過ごし、デート漬けにされて優しく微笑まれ、胸がきゅんきゅんした。
ドレスを贈られ「綺麗だ」と言ってもらった。
そしてなんと恋までした。
「すごいぞ、嘘告」
提案したヘンドリックには感謝すらある。
「ありがとう、嘘告」
付き合ってくれて、恋までさせてくれたリオネルは本当に優しい人だと思った。
デイジーはポロポロと涙をこぼし続けた。
王都が遠ざかりつつある頃、デイジーはきゅっと目をつむって泣くのを終わりにした。
ずびっと鼻もかむ。
「はあぁ」
恋を自覚して認めてしまったが、気持ちは晴れやかだ。
認めていない時は終わらせることすら出来なかったけれど、今ならこの恋を終わらせられる。
終わらせて、未練なく実家に帰ろう。
その内に良い思い出として、しみじみ思い出せるだろう。
この恋をレイリーに話すような日も来るのかな、と考えてそこは首を横に振った。
こんな話、レイリーからすると不快だろう。それどころか興味すらない可能性の方が高い。
ひと目会ったレイリーからは僅かな優しさは感じたものの、デイジーに対して何の感情もないのは明らかだった。
これは利害関係ありきの結婚なので当然だと思う。
デイジーだってレイリーにはぼんやりとしたよく分からない気持ちしかない。
おまけにレイリー側はその兄である領主の意向なのだ、本人からすると妻という名の子供のお世話係を押し付けられた感覚かもしれない。
(もしかしたら、私は厄介者なのかな)
冷たくされたりするのだろうか。
(いや、大丈夫。優しさはあったもの)
あの時にレイリーから感じたことは間違っていないと思う。
だから始まりはどうあれ、何らかの穏やかな関係は築けるんじゃないだろうか。
デイジーは実家で待っている結婚を嘆いたりはしていない。
この話がなければ、デイジーは向こう十年は仕事漬けの人生になるはずだった。一番安い官舎に住み、食事代を切り詰めて娯楽なんて一切やらずに、収入のほとんど全てを借金返済にあてる日々だったはずなのだ。
城の文官という仕事はやりがいはあっただろうし、辛いことばかりが待っていた訳ではないだろうが、借金を返す頃にはデイジーは三十才手前だ。返済状況によっては三十才オーバーになる可能性もある。
おそらく趣味もなく友人もいない、貯金すらない三十路の女となっていただろう。そして結局仕事しかなくてずるずる仕事を続けるオールドミス。唯一の癒しといえば、借金返済を機に飼いだした猫の世話…………
みたいな未来だった可能性があるのだ。
(あれ? 猫飼うのは楽しそうだな)
オールドミスな自分を想像して、それはそれでありだったかなと思ってしまうデイジー。
(いやいや、二十代全部借金返済だよ?)
それに猫は全て順調だったらの未来だ。デイジーの家は三年で借金を抱えて爵位を手放している。十年あれば何か起こってもおかしくはない。
不測の事態によって仕事を続けられなくなったりしたらその未来はもっとずっと暗い。
自分と家族の未来を安定させるためには、働き続ける選択よりも、確実に借金を返せる結婚だろう。
だからこれでよかったのだ。
いっそ清々しい気持ちでデイジーは遠くなった王都を眺める。
そして恋にけじめを付けようと別れを告げた。
「バイバイ、グランツさん」




