18.レイリーさん
王都を発って三日後。
明日は卒業式だなあと思いながら夏の休暇ぶりに帰った実家では、困った顔の父シュミットと、どういう顔をすればいいのか分からない様子の弟カルネが迎えてくれた。
「お帰りデイジー」
父がおどおどとデイジーを見て言う。
「ただいま」
そう告げると父はぎこちなく微笑んだ。少しだけだが昔の父に戻っている気がしてデイジーはほっとする。
父は元来のんびりした人だった。
楽観的で前向きな父が、じゃがいもの病気に借金、爵位の返上が続きどんどんやつれて違う人みたいになっていくのを見るのはとても辛かった。
さらに母が亡くなってからは絶望に打ちのめされていて見ていられなかった。
それでも父は世話になった領主の叱咤で何とか働きだす。しかしその稼ぎはデイジーとカルネを養いながら借金の利子だけは返せるというほどのものにしかならなかった。
元の借金自体は微々たる量しか減らず、絶望感が父を覆っていた。
デイジーが自分が働いて返す、と言い出したのはそんな父を助けたいという思いからだったのだが、父はデイジーに対してひどい罪悪感や無力感を感じたようだった。
ここ数年はデイジーが帰郷すると辛そうだったし、目を合わせて笑ってくれなくなっていた。
弟のカルネはそんな父に対して怒っていたが、デイジーは父の気持ちも分からないではなかったので寂しく受け入れていたのだ。
だから、挙動不審であっても父が自分に笑ってくれるのは嬉しい。
父の中では、デイジーが借金のために働き続けるよりも家庭に入った方が幸せになると考えてくれているのだろう。
デイジーはその晩、実家で久しぶりに父のご飯を食べて穏やかな夜を過ごした。
翌日、今日は嫁入りの日である。
デイジーはカルネとゆっくり朝を過ごし、昼になってから頭に簡単な花嫁のベールを載せて父と共にレイリーの住む家へと向かった。
レイリーは一ヶ月ほど前より領主の屋敷の物置小屋を出て、デイジーの実家のある村の外れで暮らしているらしい。
デイジーと父が歩いていると村の人達が控えめにお祝いを言ってくれる。
本来なら花嫁の後を付いて歩き、一緒に新居に向かうのだがそれはしないようだ。
(うーん……)
かなり控えめな村人達の様子に違和感を感じるデイジー。
デイジーの身の上をざっくばらんに言ってしまうと借金の形に嫁入りするのだけれども、相手は結構年上とはいえエロジジイや加虐趣味のある変人という訳ではない。結婚は結婚だし、もう少しお祝いムードがあってもいいような気はする。
「父さん、もしかして……ええと、ジェット様はあまり村に馴染んでないの?」
「あー……うん」
デイジーは迷った末にレイリーを家名で呼んで父に聞いてみると小さく頷かれてしまった。
「そもそも、家からほとんど出られないから。こちらも領主様の弟さんだし完全に気後れしていてね」
デイジーはレイリーの暗い目を思い出す。
確かに外出はしなさそうだ。
「私は二度ほどお伺いしたが、礼儀正しいし悪い方ではないよ。まだ働かれていないが、軍を退役した時の慰労金があるから贅沢しなければ生活には一生困らないはずだ」
父の言葉の後半部分にデイジーは父がこの結婚を進めた本当の理由を知った気がした。
父はおそらく、もうデイジーにお金のことを気にさせたくなかったのだ。
「そっかあ」
デイジーはそう相槌を打った。
村外れの家に着く。二階建ての比較的新しい小ぢんまりとした家だ。
低い柵で囲っただけの庭があり、門とも言えない門柱だけが立ったその入り口で、白髪交じりの焦げ茶色の髪の男が立っていた。立ち姿は右足が少し曲がっている。
レイリーだ。
デイジーを待っていてくれたようだ。
引きこもっているらしいが、元軍人だけあって体つきはがっちりしている。
レイリーは作法通りに花も携えてくれていて、デイジーが着くとそれをそっと渡してくれた。
表情は暗く歓迎されている雰囲気はないが、嫌悪している様子もない。淡々と受け入れられている感じだ。
「娘をよろしくお願いします」
頭を下げる父に、レイリーは何か言いたそうな顔はしたがそれは飲み込まれた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
レイリーの返事に父は頭をさらに深く下げた後、帰っていった。
「入りなさい」
命令口調は軍人の名残なのだろう。口調は偉そうだが声は静かで落ち着いているので威圧感はない。デイジーのために扉も開けてくれた。
玄関を入るとすぐに居間になっていた。奥にはキッチンと水場があり、その隣に二階へ上がる階段がある。居間右手にはもう一つ部屋があるようだ。
家具や物が少なく室内は少々埃っぽい。
デイジーは居間の椅子を勧められ、腰掛けてベールを取る。レイリーも向かいに座った。
「兄から君は十年は働いて家の借金を返すつもりだったと聞いているんだが、本当か?」
座るとまずそう聞かれた。
デイジーが「はい」と答えるとレイリーはため息を吐いてから、幾つかの書類を取り出す。
「サインしなさい。婚姻証明書だ。これでもいちおうジェット家の血が流れているから神殿に提出しなくてはいけない」
デイジーが書類を見るとレイリーは既にサインを終えていた。レイリー・ジェットと記載があり、デイジーは今日から自分もデイジー・ジェットになるんだなと思う。
ちらりとレイリーを見てみる。
前に会った時は白髪交じりの髪はボサボサだったし無精髭もあったと記憶している。その髪の毛は短く切られ、髭も剃られていた。
服も前回はよれよれだったが、本日は大分こざっぱりした格好だ。
きっとデイジーを迎えるにあたって身綺麗にしてくれたのだ。
(うん、ほら、大丈夫)
デイジーは大きく息を吸って吐くと、覚悟を決めてサインをした。
デイジーがサインを終えた書類をレイリーは手に取り「後は俺が送っておく」と言った後、こう続けた。
「寝室についてだが」
切り出したその声には僅かだが緊張が乗っていた。
“寝室”という言葉にデイジーの肩もびくりとなる。本日は結婚初夜である。
(どうしよう、そういうことをするのかな? す、するんだろうな)
深く深く沈めていた心細さが浮き上がってくる。
夫婦のことについて、心の準備は何も出来ていないが拒否する権利はない。
「はひ」
相槌は噛んだ上に裏返ってしまった。
「君は二階の奥の部屋を使いなさい。俺は一階の部屋で寝る」
「…………は、はい!」
寝室は別らしい。
レイリーに伝えられたその内容にデイジーは大いに胸を撫で下ろした。返事も自然と元気よくなってしまう。
そしてそんなデイジーにレイリーもほっとしたようだった。
デイジーはデイジーでどうしたらいいか分からなかったが、レイリーもそれなりに分からなかったのかもしれない。
(よかったあ、たぶん気持ちは一緒だ)
安堵が広がる。
「では、荷物を置いてきますね。夕飯は私が作っていいですか?」
すっかり安心したデイジーは笑顔で聞く。
「俺は適当に食べるから無理に作らなくてもいい」
無理しないなら作ってもいいらしい。
「では、無理せずに作りますね!」
力強く宣言すると微妙な顔をされた。
めげるもんかと思う。
たぶんレイリーにはデイジーから近づくしかない。
「ジェット様とお呼びしたらいいですか?」
「レイリーさんでいい」
家名呼びと、名前の呼び捨て、名前の様付けが同時に禁止された。
分かりやすくて簡潔だ。非常によいとデイジーは思う。
「分かりました。レイリーさん。私はデイジーといいます」
「君の名前は知っている」
名前は知っているが、“君”呼びは継続されるようだ。
仕方ない。
「本日よりよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げてから顔をあげると、再び微妙な顔をされた。
それからデイジーは自分の部屋を見に行った。
二階には部屋が二つあり、階段に近い部屋は空き部屋で奥のデイジーの部屋には一人用のベッドと書き物机に箪笥が準備してあった。
机と箪笥は軽やかなデザインで、ベッドカバーは青い小花柄だ。この部屋はデイジーのために用意されたのだと分かる。
レイリーが用意したとは思えなかったので、領主が用意したのかもしれない。
何となくだが、寝室を同じにするのをレイリーが拒否して、それならばと領主がデイジーの部屋をせめて可愛く調えてくれたのではないかと思う。
(きっとそうだ)
ここはいいように取っておこう。
荷物を整理したデイジーはキッチンへと降りて、食材を確認した。一通りの調味料と野菜、干し肉と玉子があった。
デイジーはスープを作り、玉子を焼いた。
玉子はともかくとして、いつものごとくスープは微妙な味になってしまう。
「…………」
でもレイリーは文句を言わずに食べてくれた。
食べ終わり、後片付けをしてから部屋に上がろうとすると「夜は温かくして寝なさい」と声をかけてくれる。
「はい、お休みなさい」
デイジーはそう返事をして部屋に戻り、ぐっすり寝た。




