悪夢を見るのは誰のせい?
飛び起きるとそこにはお母さんの驚いた顔があった。
「もう、びっくりした。起きたんならテーブルに来なさいね」
お母さんはそう言って部屋を出ていく。
そうか、また僕は死んじゃったんだ。
僕はテーブルに行かずにぼんやりと体を起こす。
もちろんお腹に傷なんてない。
あの痛みを、お腹の中をかき回されるような痛みを思い出して、お腹をさする。
まただ。
また僕は戻ってきたんだ。
そうして思い出す。
2。
あの黒い影が示したのはたった2本の指だけだった。
あと2回。
お母さんが怒って部屋に顔を出して怒鳴っているのを、まるで遠くの声みたいに聞きながらベッドから降りる。
訳の分からない繰り返しだったけど、これだけ繰り返せば慣れてきちゃったのか、怒る気持ちも焦りも混乱もない。
ただそうか、あと2回か、とだけ思った。
あと2回で僕は何ができるんだろう。
ゴブリンと戦った。
はじめてきちんと考えて、どうしたら勝てるのかを考えて挑んだ。
でも結果は僕の負け。
足が震えていることに気がついた。
思わず座り込んでしまう。
気がつくと涙が出ていた。
部屋を出ればお父さんもお母さんもいる。
でも僕はひとりぼっちだ。
誰も分かってくれない。
誰も助けてくれない。
もういいよ。
どうせ何をやっても変わらないんだ。
何度繰り返しても結果は同じ。
何度も、何度でも、何度目でも。
手を開いても、そこに握りしめていたはずの勇気はひとつもなかった。
やわらかくて、弱くて、小さくて、何もない手がそこにあるだけ。
こうやって朝に戻ると、死ぬ瞬間まであった激しい感情が冷え切っている。
胸の中に重しがあるみたいに、負けたという実感だけが残っている。
手に入れられる武器を手に入れて戦った。
でもそれも結局だめだった。
誰も助けに来てくれないし、自分で自分も助けられない。
ペーターだって、ペーターのお母さんだって殺されてた。
結果は変わらない。
変わらないんだ。
なら僕は。
涙をぬぐって立ち上がる。
テーブルに行くとお父さんが僕の顔を見て心配した声をかけてきた。
それに大丈夫と答えてパンを手に取る。
一瞬手が止まる。
食べないと。
そう思ってもかき回されたお腹を思って手が止まる。
小さくちぎって口に運んで噛まずに飲んだ。
苦しい。
どうしてこんなに痛くて苦しいことばかりが続くんだろう。
涙がまた出てくる。
お母さんもお父さんも驚いたように僕を見て、言葉を掛けてくる。
その言葉も顔も遠い。
遠い。
僕は本当に生きているのか。
生きている。
大丈夫。
誰も僕が思っているような本当の意味では慰めてはくれない。
だから僕は自分で慰めるんだ。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
僕は大丈夫。
言葉と一緒に飲み込んだパンはとても固くて、まるで握りしめていたあの石ころのようだった。
寝ていた方が良いんじゃないかというふたりの言葉を押し切って僕は家を出た。
橋ではペーターとクリスが待っている。
釣りなんてしている場合じゃない。
でもおじさんに会おうと思ったらここで釣りして待っている方が確実だ。
むしろこのタイミングじゃないとあのおじさんは話をきいてくれない。
ペーターとクリスも僕の顔を見て心配している。
その言葉を遠くに聞きながらもずっと考えている。
また僕は弱気になっている。
ポケットの中は空のまま。
まだひとつの石ころすらも拾っていない。
手には餌の付いていない針につながった釣り竿ひとつ。
あれほどまでに強く握りしめたはずの勇気を、死んじゃったらもう一度握ろうとは思えなくなっていた。
どうしたら良いんだろうか。
家まで襲ってくるゴブリン。
教会に現れるゴブリン。
そしてあの黒い人影。
どうしたら。
どうしたら。
その言葉だけが虚しく空回りしている。
ただ今はあのおじさんに会おうと思った。
大きな期待はしていない。
しちゃいけない。
もしかしたらまた話を聞いてくれないことだってあるかもしれない。
きっと何も変わらないだろう。
みんな同じ1日を過ごしている。
こうしてペーターとクリスは釣りに来るし、雲の形は同じだし、あのちょっと気持の悪いおじさんは同じ服を着て同じ時間に散歩していた。
みんな同じだ。
でも今は同じでも良い。
僕はまたあのおじさんに会って、ただそれは怖いなって僕の悪夢を認めて欲しかった。
そっと頭に触れて欲しかった。
僕が生きてここにいるって認めて欲しかった。
昼になり、釣りをやめてふたりと別れた。
そうして待った。
何もせずにただ立ち尽くして。
お父さんも、お母さんも、クリスとペーターも同じ。
同じ。
同じ。
何もかもが同じ。
それだけで気が狂いそうになる。
でも、今はもう一度同じことが起こってほしいと思っている。
もう一度、僕の手を取って、またたったひとつの石ころを、勇気を僕に握らせて欲しかった。
道の向こうから鎧を来た人たちが来る。
冒険者のおじさんたち。
笑って話していたおじさんたちは僕の姿に気がつくと口を閉じてみんな真面目な顔になった。
僕はそれをただ見ている。
「おい、坊主。じゃまだ。どけよ」
僕は前みたいに怖がったりせずに、ただそっとどいた。
誰もが僕なんて見向きもせずに通り過ぎていく。
「え?」
どきりとする。
そして僕はこの瞬間になって初めて気が付いた。
あの槍を持ったおじさんがいない。
「……どうして?」
そんなはずがない。
そう思って走る。
おじさんたちを追い越して、もう一度、先頭のおじさんから順番に見る。
先頭のおじさんが何かを怒鳴っていたけど、そんなことはどうでも良い。
いない。
やっぱりあの槍のおじさんはいない。
思わず座り込むと、先頭のおじさんが舌打ちして、そのまま通り過ぎていく。
僕はそれをただただ見送った。
多分、今ここでゴブリンが、なんてあの槍のおじさん以外に話しても、きっと意味なんて無いんだろう。
どうして?
その言葉だけがただただ頭の中をから回る。
本当は恐ろしいって。
首の傷まで見せてくれた。
はじめて繰り返しのはずの毎日が、繰り返しじゃなくなった。
そこにいた人がいなくなった。
どうして?
考えても考えても答えなんて何も思い浮かばない。
分からない。
分からない。
分からないよ。
いつの間にか涙が出ていた。
いくら泣いても周りには誰もいない。
僕はひとり、ただただ泣いていた。
結局、分かるのは僕が馬鹿で何も知らないってことだけだ。
おじさんがいなくなったことも、何度も同じ1日を繰り返していることも、ゴブリンと戦う方法も、僕には何も分からない。
そもそもどうして僕なんだろう?
同じ1日を繰り返している。
それはどうして?
どうして僕しか知らない?
どうして僕なの?
僕が死んじゃうから?
だから繰り返している?
いや、それならお母さんだって、ペーターだって死んでいた。
でも、お母さんもペーターも繰り返しているようには見えない。
そもそもどうして僕はあのゴブリンに狙われているんだろう?
狙われている?
そうだ、たしかに僕は狙われている。
ゴブリン、ゴブリン、ゴブリンだ。
どこに行っても最後には結局ゴブリンが出てきて僕を殺す。
まるで英雄譚で悪いドラゴンが勇者の前に倒れるみたいに必ず同じ結末。
だから僕は死ぬ。
死んで繰り返している。
あの人影が僕をいつもの朝に戻す。
そう、あの悪魔が。
「……悪魔」
思わず口から漏れて、急にはっとなった。
「そうだ、悪魔……悪魔だ」
悪魔が僕に憑いている。
だから僕が一番イヤな目に合う。
悪魔は子供をいじめる。
そうだ。
どうしてつなげて考えなかったんだろう。
ゴブリンは僕を狙って殺す。
そんなの決まっている。
悪魔がゴブリンに僕を襲わせているからだ。
僕がどこに行ったって意味なんてない。
だって悪魔は僕に取り憑いていて、今も僕をきっと影から見ている。
いつも、ずっと僕を見ている。
「あれ?」
なら僕がポケットに石を入れても、ナイフを隠しても、例え剣を手に入れたとしても、意味なんてないんじゃないだろうか。
どんなに強い武器を手に入れても、どんな罠を仕掛けても、それを悪魔が知っているなら、そうだ、知っているから僕はずっと死んでいる。
ベッドにいればベッドに、納屋にいれば納屋に、教会にいれば教会に、悪魔はそれをずっと追って見ている。
何もかもが筒抜けで、もしうまく相談できて冒険者のおじさんたちが戦ってくれても、それを知った悪魔がたくさんのゴブリンを連れて僕を殺しにきたら意味なんてきっとない。
じゃあ僕は。
「どうすればいいんだろう……」




