二十六、平民の王子
たった一人、竜の背に乗っているとはいえ武器もなく、王城から離れ、視界の悪い林の奥で、死にかけている馬を覗き込むという状況はわざとらしく思われてしまうでしょうか。こんな機会はそうそうないと思うのですけれど。厩舎の周りだとどうしても警備騎士の出入りがあって、わたくしには近付きにくいはずです。短剣にしても吹き矢にしても、弓矢よりはある程度は近くにいなければならないので、襲われたとしてもすぐに取り押さえられてしまいます。林の奥であれば発見が遅れます。竜が駆け戻ったとしても何があったのかわからないはずです。プランセッスならどなたか騎士を食わえて引きずってきそうですけれど。プランセッスの主である兄様の泣きそうな声が聞こえた気がしました。
「どうしましょう……この子はもう助かりませんよね」
プランセッスは鼻を倒れている馬へと近付けます。労りが届いたのか、揺れていた尻尾も止まり、荒々しい呼吸も聞こえなくなりました。わたくしはプランセッスの首を撫でることで自分の気持ちを落ち着けます。
ぶるん、とプランセッスが頭をあげました。
「リンベルダリア嬢」
「……何か」
目の前に現れた暗殺隊の隊服を着た人に目線だけを向けました。敵か味方かがわかりません。名前の呼び掛けに対しては返事をしませんでした。もう少し隊長の兄様とこのあたりを詰めなければなりませんね。木々も揺れず、土を踏む音もしない。このことも兄様に教えていただきましょう。わたくしはそっとエプロンとスカートの隙間へと手を差し入れます。隠しポケットには針を入れた筒が縫い付けられています。蓋を跳ね上げ、一番太い針を手探りで摘まみ上げます。
「この馬はリンベルダリア嬢が殺したのですか?」
「いいえ、わたくしではありません」
何故そのようなことをお聞きになるのかわかりません。わたくしがお世話していることをご存知無いのですね。
「この馬は、この馬はわたしがはじめて!許さんぞ貴様!」
「わたくしは伯爵家の庇護下にあり、第一王子殿下の婚約者です」
「馬を殺しておいて何を」
この馬に関してはこの方が原因では無いようです。怒らせるために何者かが殺してわたくしに罪をなすりつけたのですね。それにしても、単純だこと。王城へ帰るための算段をつけるとかうまいこと言われて乗ってしまったのでしょう。本当に財務大臣の血を引いているのでしょうか。
「違うと申しました。そもそもあなた、暗殺隊の姿をしていますが違いますね、皆さまはわたくしを気安くリンベルダリア嬢とはお呼びくださらないもの。それに今やわたくしは国王陛下、王妃陛下、第一王子殿下、側室様の次に位置する身分です。正式に婚姻を結べば側室様より上の身分ですわね。どちらにしろあなたに見下されるいわれはございませんわよ、種違いの元第二王子の平民の役立たず様?」
「貴様ぁ!」
わかりやすく煽ってみせると、べったりと光る、毒を塗りつけてあると一目でわかる細身の両刃を手に構えました。短くは見えませんね。今までの武器はどうしたのでしょう。
ぎりぎりと歯を食いしばっているその顔は、陛下にはまったく似てはいませんでした。外祖父である財務大臣そのものだったのです。血筋であればそういうこともあろうかと思います。
しかし、第一王子が陛下にそっくりで、瞳だけ妃陛下の色をいただいたというとてもわかりやすいお子だったために、貴族の派閥によっては陛下の血を引いていないと攻撃する者もいたのです。それだけでなく、子を宿した頃の側室様は感情が不安定で泣き暮らしており、父である財務大臣に何度も何に対してか許しを請うところを誰もが目撃していたというのです。そこでさらに下品な噂が流れました。権力が欲しい財務大臣が娘に自分の子を孕ませたと。
その話は大きくなった第二王子にも聞こえてきました。母である側室様も第二王子にほとんど関心を示さないためにますます噂は酷くなります。それからだそうです。彼が第一王子に反抗的になったのは。
そこをつつくのはわたくしも嫌でしたが、彼を捕まえる、というよりは早く保護しないといけないと思ったのです。我がディアボス伯爵家に隠しておいた方が彼にとっても良いと思います。平民の彼は、隊服で顔をほとんど隠しているとはいっても、目は落ち窪み肌は浅黒く、肩もずいぶん細く見えます。
彼はせっかく剣を構えたのに、左右へふらふらと揺れていて踏ん張れていません。
「あなただけが馬を殺して回っているのではないのでしょうね。他の人も駒なのでしょう、あなたのように」
「俺は毒しか!」
「あら、では馬たちが毒で立て続けに殺されているのはあなたのせいでしたか。文官も同じ毒で二人も死んでいます」
ぽかんと口を開けましたが、はっと思い出したように睨み付けてきます。
「そんなはずはない!俺は腹下しの薬しか渡していないぞ!」
「なんですって?毒は痺れ毒だとわかっています!」
これは残念なことです。完全に彼は黒幕に犯人へと仕立てあげられましたね。左右への揺れが激しくなってきました。これ以上は無理でしょう。
わたくしは針を持った手を空へ向かってあげました。それにつられて彼の顔も上を向きます。
そして、誰かが彼を抱いていました。
「ご苦労様です、馬のこともよろしくお願いしますね」
「承知いたしました」
「どうぞこのまま竜の背に乗って竜騎士隊の方へお戻りください、護衛します」
「ありがとうございます」
周りに八人もの暗殺隊が現れました。途中から何名かには気付いておりましたが八人もいたのですか。まだまだですわねわたくしも。
「プランセッス、帰りましょう城へ」
静かにプランセッスは歩き始めました。




