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魔王城。
自分の人生にそんなものが現れるとは予想だにしなかった、とマーシャは思った。
目の前にそびえたつ城は、まるで炭でできているように黒い。そもそも黒い素材でできているのか、邪気で黒く染まっていったのかは分からない。滑らかのような、いびつのような。見たこともない素材でできた、硬質で異質のものだということだけは分かる。今、その大扉は固く閉ざされている。
「とうとう来たなー」
ガイが魔王城を見上げ、ニヤリと笑う。だがその顔は強張っていた。勇者の生まれ変わりとされる彼でも、こんな状況ではさすがに緊張するらしい。
「いよいよね。皆、準備はいい?」
テレジアが年長者の務めとして、全員を鼓舞するかのように元気に声を掛ける。だがその声もやはり硬い。
「ああ。問題ない」
クラウドだけは平然と答える。彼だけはこの状況を何とも思っていないようだ。いつもなら呆れるところだが、今この状況下ではその傍若無人さがありがたい。
同じくクラウドの態度にいくぶん冷静さを取り戻したガイが、マーシャに問う。
「マーシャは? 大丈夫なのか?」
「な、何とか」
答えた声はかすれている。本当はとても大丈夫じゃない。だけどここで「大丈夫じゃない」とはとても言えない。もうそんなことを言える状況でないことくらいは分かる。
震えそうになる身体を押しとどめ、マーシャは力強く頷いてみせた。
ガイを見た。最初は軽薄そうな男だと思った。本当に勇者の生まれ変わりなのだろうかと不安もあった。だけど、今では彼が勇者だろうが何だろうが構わない。何度もその明るさに救われ、笑顔をくれた。
次にテレジアを見た。露出度の高い、学園の教師。落ちこぼれだったマーシャは、彼女の何か言いたげな視線を避け、学園生活を過ごした。それが今、こんなにも近くで互いの名を遠慮なく呼び合う仲になっている。そして知る。彼女の視線は決してマーシャが決めつけていたものではなかったことを。愛情深く、慈愛に満ちた女性だったことを。
最後にクラウドを見る。何て嫌なやつだろう、と思っていた。それは今でも……いや、同じ言葉でもこちらの温度が変わった……と思う。嫌なやつだと言う表情は、眉をしかめたものから、困り顔くらいには変化している。ずっと劣等感を抱いていた相手が仲間になることが、こんなにも心強いなんて。そしてクラウドだけがマーシャの能力を信じ、認めてくれていた。それが何よりも嬉しかった。
三人を見て、マーシャは思った。初印象は何て当てにならないものなんだろう。苦手だった全員が、今では何よりも大切な仲間になっている。
大丈夫。何があっても、もう逃げない。最後までこの人たちを守る。そして戦う。
いけるところまでいってみよう。もう、今まで抱いていた劣等感とはさよならするんだ。
それを見た他の三人も、頷き返す。この中の誰かが死ぬかもしれない。あるいは、全滅。
だが、ここまで来たからには前へ進むしかないのだ。
四人は魔王城を見上げ、そして一歩を踏み出した。
が。
ドォォォォ―――……ンンン――……ドォォォォ―――……ンンン――……
二度の轟音とともに地面が揺れる。と同時に、空気が一段と重くなる。
「一体何が起きたの? この揺れは何!?」
バランスを崩したテレジアを、ガイが支える。マーシャはしゃがみこみ、難を逃れた。
「もしかして……魔王が完全に復活するんじゃないのか……?」
「ええっ、それなら急がないと! 復活してからじゃ遅いわ!」
テレジアの焦り声に、マーシャは全身が粟立った。
魔王復活。そんな伝説上の出来事が、今、実際に起きようとしているのか。
空に黒い渦が出現しただけで大騒ぎだったというのに、もし本当に魔王が復活しようとするなら。一体この国は、この世界は、どうなってしまうのだろう。
「見ろ」
揺れをものともせず仁王立ちしていたクラウドが、指をさす。その先には、今まで襲ってきた魔物たちが、まるでマーシャたちの存在に気付かないかのように魔王城に向かっていく。動物型、何やら分からない軟体型、そして先日初めて目撃した人型の魔物など、ありとあらゆる魔物がいる。
「こいつらについて行こう」
「マジで? でも、それしかねぇかぁ」
「分かったわ。いいわよね、マーシャ?」
「う、うん」
今は興味がないようだが、いつまた襲ってくるとも知れない。そんな魔物たちについていくのは大いに不安だ。だが、彼らが向かう先に魔王がいるというのなら、ついて行った方が話が早い。
固く閉じていた漆黒の大扉は、いつの間にか消えていた。
一行は息をひそめ、まるで魔物の一員になったかのごとく流れに乗る。城内は明かりも無く、薄暗い。足元はごつごつとしており、油断すると何かに足を取られそうだ。
魔物たちは下へ下へとひたすら階段を下っていく。後ろを見るといつの間にやらぞろぞろと魔物が付いてきていた。この魔界中の魔物が終結しているのだろうか。そう考えるとぞっとする。
どこまで深いのだろう、頭が麻痺し、全ての感覚が遠のいていきそうになる。
さすがに息が切れそうになった頃、ようやく大きな広間へとたどりついた。
広間にはすでに多くの魔物がつめかけている。その魔物の向く方向に、大きな異物があった。
まるで黒い稲妻が集まったかのような球体。禍々しい気配は、そこから発せられている。
マーシャは改めて恐怖を覚え、半歩前にいたクラウドににじり寄る。
魔王の復活を阻止するといっても、これからどうすればよいのか。何か動けば周囲の魔物たちに一斉に攻撃されるのではないか。
恐らくテレジアたちも同じことを考えているに違いない。
そんな逡巡をあざ笑うかのように、何とも形容しがたい、バヒュンッというような音が辺りに響く。と同時に辺り一面に黒煙がたちこめた。
「くそっ、間に合わなかったか……!」
ガイが思わず口を開き、慌てて手で押さえる。
だが魔物たちが攻撃してくることはなく、一斉に体位を低くする。人型の魔物が跪いたところをみると、服従の意を示しているらしい。
残り三人もなすすべもなく黒い球体を見る。
間に合わなかった。とうとう、魔王が復活してしまう。
これからマーシャたちは、魔王やこの場にいる魔物たちと、戦わなければならない。周りが敵だらけのこの状況では、想像を絶する死闘になるだろう。まずは魔王。それから、周りの魔物たち。
クラウドとテレジアが暗唱を始める。それはおそらく、彼らの最上級の攻撃魔法だ。魔王が目覚め力を発揮する前に攻撃する算段なのだろう。ガイも追って止めをささんと腰の剣に手をかける。
だが、これほど黒煙が立ち込めていては、照準をあわせることができない。攻撃魔法はそれが高度であればあるほど、精度が求められる。敵の核を正確に撃たなければならないのだ。
四人は必死に目をこらした。一撃必殺しなければ、全員の命は――ない。
徐々に黒煙が晴れていく。マーシャも腰を低くし、身構えた。極限の状況下だからだろうか、自分が取るべき行動が分かっていた。知識だけはたっぷりとある。あとはそれを実行する魔力だけ。幸い、力は手に入れた。いや、持っていた。
「マーシャ」
クラウドの呼びかけに、マーシャは頷いてみせた。
大丈夫。できる。皆がいるから。皆が、いてくれるから。
戦う。皆を守るために。皆と、生きて帰るために。
「今だ」という言葉など、必要なかった。
クラウド、テレジア、マーシャの三人は同時に術を放った。




