夜会中 ~事件発生~
……わぁなんてテンプレヒロインなご令嬢。
シェイラを初めて見たディアナは、奇しくも酒場で兄が呟いた内容とだだ被りな感想を抱いていた。
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国王が『紅薔薇』の側室を連れて入場し、夜会の始まりを宣言してから、既に数刻が過ぎていた。
ディアナの役目は、開始宣言の後のダンスで国王の最初のパートナーを務め、その後しばらく色々な相手と踊った後、側室や令嬢たちの輪に加わって情報収集。同時に、要注意人物たちの動きにも目を光らせる。「一曲踊ってください」と申し込んで来る輩には、相手を見極め受け入れたり断ったり。ダンスの合間も広間全体に気を配るのを忘れず、怪しげな動きをする者をすかさずマークし……エトセトラ。
(……ヒマにならない)
去年まではまだ、ここまで忙しくはなかった。クレスター家の特性上、寄って来るのは大概小者、適当にあしらうだけで話は済んだのだ。広間で繰り広げられる勢力争いも、一応把握はしておくものの、気を配るのはデュアリスとエドワードの役割。ディアナは令嬢たちの動きから、情報を入手するだけで良かった。
それなのに、今年は。
(『表』と『裏』の動きを同時に把握して、厄介なコトになっていないか注意して、男女構わず情報は入手して、そこから最新の動きを推測して……あら、わたくし休憩する時間すらないのではないかしら?)
誰にも注目されない壁の花ポジションが、心底羨ましい。そんな場所から広間の観察だけができたなら、どれほど心に余裕が生まれるか。
『紅薔薇』なんぞに入ってしまったが故に、方々から視線は刺さるわ、話し掛けて来る者は後を絶たないわで、ぶっちゃけ迷惑だ。ただの『ディアナ・クレスター』であった頃の三割増しで、どこにいても人が群がる。
艶やかな笑顔で、優雅な仕草で、一見楽しそうに、しかしその実うんざりしながら、広間を泳いでいた、そのときだった。
『例の人』と出くわしたのは。
「ほら、あのお方よ」
「貴女もご挨拶なさいな」
「え、で、ですが……」
この会話はこっちに向いているよなぁ……と何気なく目をやり、テーブルの前で固まっている三人の令嬢たちと目が合う。その内の二人は、見覚えがあった。
(……あの子たち、側室よね? 確か一度、挨拶に来たはず)
『紅薔薇派』の側室たちは数が多いので、さすがのディアナも咄嗟には顔と名前が一致しない。一度挨拶に来ただけの側室なら尚更だ。
「あ、あの、ディアナ様!」
「あら、ごきげんよう。お久しぶりね」
「は、はい……ご無沙汰致しております」
側室二人は、慌てて頭を下げてくる。その二人に挟まれた見覚えのない令嬢は、二人の様子に戸惑っているようだ。
(……、ん?)
ディアナは気付かれないように、戸惑っている令嬢を観察した。
月の光のような、淡い金の髪。澄んだ瞳は、春空の青。
顔立ちは目立つものではないが、よくよく見れば可憐で愛らしい。美人というよりはかわいい系統だ。
瞳の色と合わせたのだろう、空色のシンプルなドレスに身を包み、目の前の『紅薔薇』に怯え腰ながらも真っ直ぐに立つ。その様子からは、芯の強さが伺われた。
……ディアナの手持ち情報にある中でそんな令嬢は、一人しかいない。
「ディアナ様。紹介申し上げたい方が、いるのですが」
「そうなの? もしかして、そちらのお方?」
「はい! 私たちと同じ、新興貴族の家から、後宮に参ったご令嬢なのです」
「まぁ。お名前は、何とおっしゃるの?」
「…………お初にお目にかかります。シェイラ・カレルドと申します」
金髪の令嬢は、深々と頭を下げた。
ディアナはこうして、『例の人』――国王ジュークの寵姫、シェイラと出会ったのである。
「――ご丁寧に。わたくしは、ディアナ・クレスターですわ。カレルド……というと、カレルド男爵家のご令嬢でいらっしゃる?」
ある意味大変失礼な感想を抱きながらも、ディアナは冷静だった。すぐに持ち直し、シェイラに『紅薔薇』の笑みを向ける。
不安げなシェイラは、それでもディアナの目を見て、はっきり頷いてみせた。
「――はい」
「そう……。お父様のこと、遅まきながら、お悔やみ申し上げますわ」
「え……?」
「あら、シェイラ様は、亡くなられた前男爵様の、ご息女なのではないの?」
現カレルド男爵に、子どもはいない。その情報があれば、シェイラの素性を推測するのはそう難しいことではない。故に、ディアナのこの会話は不自然ではないはずである。
だが、シェイラ含む側室三人は、大きく目を見開いた。どうやら、『紅薔薇』として華やいでいるディアナが末端の貴族の事情まで網羅しているとは、予想だにしていなかったらしい。
「……はい、そのとおりです。現カレルド男爵は、私の叔父です」
「お父様のこと、気を落とさず……と言っても、難しいでしょうけれど」
「いえ……、お気遣い、ありがとうございます」
――なかなか、見所のあるご令嬢ね。
会話しながら、ディアナはシェイラに好感を持った。
ディアナ相手に、予想外のことを言われながらも、持ち直して話を続けている。しかも、真正面から目を見返して。
人付き合いにおいては当たり前のことだが、『クレスター家』相手に初対面からこれができる人物は、なかなかいないのが現実なのだ。シェイラはその、最初の壁を突破した。
できればもっと親しく話して、人となりを把握したい。だが、良くも悪くも注目されているディアナと長いこと話しては、それだけでシェイラまで、貴族の好奇の目に晒されることになる。それだけは、シェイラの立場上、絶対に避けなければならない。
「――それではね。皆様、夜会を楽しんでくださいな」
別れの言葉を告げ、ディアナはシェイラに背を向けて、広間の中央へと歩き出した。途中、近付いてきた侯爵家の子息にダンスを申し込まれ、微笑んで頷く。ダンスの合間、ちょっと休憩していただけだと、周囲に印象付けるために。
子息に手を取られ、広間の真ん中へと進み出た。音楽が変わり、人々が動き出そうとした、その刹那。
ざわり。
広間の隅の方、先ほどディアナがいた辺りから、僅かなどよめきが響いた。ほんの僅か、しかし異質などよめきが。
(え……、え!?)
反射的に視線を滑らせたディアナは、そこで繰り広げられていた一幕に唖然となる。心拍数が上がり、嫌な汗が背中に流れたのが分かった。
広間の片隅、一人になっていたシェイラに。
国王ジュークが話し掛け、その手を握っていたのである。
(な ん て こ と を!!)
どよめきは徐々に大きくなりつつあった。最初はシェイラの付近にいた人々から発されたそれが、段々と広がっているのだ。このままでは、かなりの人数に国王の行為を目撃されてしまう。シェイラを注目させないように程々で切り上げた、ディアナの気遣いも水の泡だ。
(――何とかしなければ)
既にダンスは始まっていた。人々の視線は再び踊り出した『紅薔薇』に集まり、今はまだ、どよめきに気付いていない人の方が多い。
しかしそれも、時間の問題だ。
(……今しかない、わね)
意を決して、ディアナはダンスの相手に麗しく微笑みかけた。
「楽しいですか、ディアナ様?」
「えぇ、とても。――ああっ!」
くるりとターンした、その拍子で。
ディアナは華麗に、すっ転んだ。
深紅のドレスが舞い上がり、ディアナの細い足が衆目に晒される。夜会のダンスで転ぶなど無作法の極み、そして社交界デビュー後の女性にとっては、親しくもない男性の前で足を見せるというのは恥ずべきこととされている、そんな常識の中で起こった『紅薔薇』の行為に。
――目が集まらなければ、嘘だろう。
「……ディ、ディアナ様!」
「『紅薔薇』様、ご無事でいらっしゃいますか!」
「お怪我は!? お体に異常など……」
数拍の沈黙の後、広間は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。心配して駆け寄って来る者、好奇の目でディアナを見る者、あからさまに蔑む者。シェイラの近くにいた者の注意も引き付けたと確信したところで、ディアナは静かに顔を上げ――。
「少し、はしゃぎ過ぎたようですわね。どこか休める場所はないかしら?」
それはそれは美しく、艶めいて、色香を感じさせる眼差しで、微笑んでみせた。
周囲の男たちは軒並みノックアウト。ディアナが休める場所を探しに走り出し、ダンス相手の侯爵子息を筆頭に身分の高い者たちは、ディアナを支えて立ち上がらせる。
「申し訳ございません、ディアナ様。上手く支えられず」
「恥をかかされたと、わたくし怒らねばなりませんかしら?」
「貴女の怒りなら、甘んじてお受け致しましょう。どうか、どんな罰でもお与えください」
「大袈裟ですわ。少し転んだだけではありませんの」
「しかし……ディアナ様のお名前に、傷が」
「あら……わたくしの、何に、傷がつくというのです?」
普通の令嬢なら真っ青になって泣き出すほどの醜態を見せておきながら、ディアナは笑みを崩さない。その笑顔は端から見れば、美しいのにどこか冷たさを感じるもので。
醜態すらも利用して信者を増やす、悪名高き『氷炎の薔薇』に相応しかった。
周囲で見ていた良識ある人々は、思ったことだろう。はしゃぎ過ぎて転ぶなど、『紅薔薇』の名を持つ側室としてはあまりの振る舞い。なのにディアナ・クレスターは恥じるどころか、それすらも自分は許されると言わんばかりの態度で、失態すらも男を魅了する一部へと変貌させた。なんて恐ろしい女なんだ……と。
ちなみにディアナにノックアウトされた面々の中には、一応良識派に分類される青年貴族たちも含まれていたりする。上手く使われていると頭の片隅では理解しながら、それでもあの微笑みに逆らえない。
――クレスター家の人間が、自分の顔を自覚した上で本気を出すと、実は影響力がハンパないのだ。面倒なので普段は滅多に使わないが。ディアナにしても、大勢が集まるような場で使用したのは初めてだ。
(……何これ怖い)
あっという間にソファへ運ばれ冷たい飲み物を渡され、侍女に足を冷やされと、要求以上の至れり尽くせりな扱いだ。気が付けば扇で風を送られていて、わたくしどこの女王様ですか? とツッコミを入れたくなる。
ヤバい収拾がつかない……。ディアナが内心、焦ったときだった。
「失礼。……ディアナ」
「お兄様」
人垣の向こうから姿を現したのは、兄エドワード。素早く近寄ってきて、顔を覗き込まれる。
「大丈夫か? 怪我は?」
「大したことはありませんわ。皆様親切にしてくださいますし」
「そうか……。少し頬が赤いな。熱気に充てられたんじゃないか? 側室に上がって初めての夜会で、張り切っていたんだろう」
「……そうかもしれませんわね」
苦笑して頷いたディアナに、エドワードは手を差し出した。
「バルコニーで風に当たろう。そうすればましになる」
「お兄様、付き合ってくださるの?」
「私以外に付き合える者などいないよ。お前は『紅薔薇』なのだから」
「そうでしたわね」
差し出された手を受け取り、ディアナとエドワードは人垣を抜ける。人垣を築いていた青年たちは、誰ひとりとして動かなかった。
「……どうしたのかしら?」
「お前に魅了されてのぼせ上がったが、お前の立場を思い出して心が折れたというところだろう。陛下の側室に無断で手を出せば、爵位剥奪は免れない」
「あぁ、なるほど」
周囲に聞こえないほどの小声で会話し、優雅に歩く二人。ディアナは自然、顔を綻ばせた。
「お久しぶりです、お兄様」
「久しぶり、だな。あまりそんな気はしないが」
「手紙、やり取りしていましたものね。ですが直接お会いするのは、久しぶりですわ」
「あぁ。元気だったか?」
「はい」
再会の挨拶を交わし、二人はバルコニーへと入っていった。
……今度は一体どんな悪巧みを始めるつもりなのかと、周囲に勘違いされながら。
▼ディアナとエドワードの会話を聞いていた青年貴族たちのあさって解釈▼
「大丈夫か? 怪我は?(我がクレスター家の姫になんてことをしてくれたんだ貴様らは!)」
「大したことはありませんわ。皆様親切にしてくださいますし(これだけしているのですから、水に流してもよろしいかと)」
「そうか……。少し頬が赤いな。熱気に充てられたんじゃないか? 側室に上がって初めての夜会で、張り切っていたんだろう(ディアナは側室だというのに。貴様らは何をデレデレしている)」
「……そうかもしれませんわね(わたくしは側室筆頭ですもの)」
「バルコニーで風に当たろう。そうすればましになる(少し会場から離れ、これからのことを考えねば)」
「お兄様、付き合ってくださるの?(あら、ご一緒に?)」
「私以外に付き合える者などいないよ。お前は『紅薔薇』なのだから(クレスター家から出した側室に恥をかかせた者への制裁は、我が家が考えなければ)」
「そうでしたわね(お願いしますわ)」
……ディアナが側室云々よりも、クレスター家に何されるのか、恐怖で動けなかった若者たち(笑)
別の意味で、心はがっつり折れてますねー。