友とのひととき
年迎えの夜会は、とどのつまり単なるカウントダウンパーティだが、だからといって「みんなで一緒に秒読みしようぜ!」なんてイベントはない。新年の開始と同時に鐘が十二回鳴らされ、それを聞いて「新しい年が始まったなぁ」と各々が実感するだけだ。
要するに、夜会のオープニングにさえ顔を見せておけば、その後はどこで何をしようと咎められることはない。極端な話、こっそり帰っても構わない。
さすがに側室が実家に帰るのはまずかろうが、このように――。
「ディー……いる?」
会場から離れた、ほとんど外宮区域に近い、夜会中の今は人っ子一人いない場所でふらふらするぐらいなら、充分許容範囲というわけだ。
カイに案内されるまま、隠し通路を進んだディアナは、当然ながら自分が王宮のどの辺りにいるのか、移動中は分からなかった。とある地点で『表側』に戻り、「その先まっすぐ行って、突き当たりを左に曲がったさらに奥ねー」と教えられたわけだが、この実用的な扉の並び方は、どう考えても居住区のものではない。……どうやらシェイラは、人気のない場所を求めて求めて、こんなところまで来てしまった、らしい。
「……いるわけない、か。約束もしてないし」
「――シェイラ?」
いつものように角に隠れ、『ディー』の声を出す。きょろきょろしていたシェイラは、ぴゃ、と変な声を上げた。
「ディ、ディー?」
「声が聞こえたから、もしかしてって思ったら。やっぱりシェイラだった」
「ディー!」
シェイラの声が跳ねる。嬉しそうなその様子に、ディアナの胸は鈍く痛んだ。
「……ごめんなさい」
「え? どうしてディーが謝るの?」
「私はまた、シェイラが大変なときに、何もできなかった」
「そんな!」
シェイラの声がこちらを向く。ぶんぶんと首を振る音が、角の向こうから聞こえてきた。
「いつも、約束してるわけでもないのに、私が会いたいときには必ず来てくれて。この間なんか、わざわざ置き手紙までして、『降臨祭の間は忙しくて時間が取れないけど、夜会のときは会えると思う』って教えてくれたじゃない。あなたはいつも優しいわ、私があなたに甘え過ぎてるだけよ」
「シェイラ……」
「私ね、気付いたの。ディーが優しくしてくれるのに甘えて、自分自身がこの後宮で生きていくための努力をしていなかったって。……守ってもらうばかりじゃなくて、自分の居場所くらい、自分で守らないといけないのよね」
「……だから、『牡丹派』の所業を外宮に報告しないでほしいと、マグノム夫人に頼んだの?」
少しの沈黙の後、言い澱むような声が返ってくる。
「ディーって、ほんと事情通ね」
「情報は武器だもの。――何もできないのに口だけ挟むのも心苦しいけれど、彼女たちの行動は行き過ぎているわ。上に報告して、然るべき対応を取ってもらうことは、決して甘えではないと思う」
「レイと、マリカのためには、そうするべきなのかもしれない。二人の負担が減るようには、マグノム夫人に頼んでみようと思っているわ」
マリス前女官長の更迭がきっかけで、新しくシェイラの部屋を担当することになった侍女二人と、シェイラは良好な関係を築いている。自分を対象とした嫌がらせで侍女が苦しむ姿を見るのは辛いだろう、それは分かるが。
「侍女のことももちろんだけれど、シェイラ、あなた自身のことよ」
「……なんて、頼むの? 誰からかは分かりませんが、嫌がらせをされているので助けてください、って?」
「それ以上に、何か必要?」
「――夏に、あれだけ酷い状況だったのに何もしてくれなかった外宮に、そう訴えるの?」
思わぬところを突かれ、ディアナは不覚にも言葉を失った。シェイラの声は震えていたが、揺らいではいない。
「あのときは、今よりももっと酷かったわ。廊下を歩けば罵られる、突き飛ばされる。侍女もそれに追従して、食事すら忘れられたときもあった。掃除なんてまともにされないから、仕方なくこっそり掃除用具を掠めて、自分で部屋を掃除していたの。……あれだけのことが公然と行われていたのに、外宮は私たちを、顧みてすらくれなかった」
「……あのときと、今とじゃ、状況が違うわ。女官長も交代して、風通しも良くなった。あなたが訴えさえすればきっと、外宮は動く」
「できないわ。――訴えるなんて、できない」
そういえば、シェイラは結構、頑固だった。表情を見たい気持ちをぐっと堪えて、ディアナは問い返す。
「どうして?」
「陛下が、私に情けをかけてくださっていること、ディーは知っているでしょう?」
「それはまぁ……」
「昨日も、お戻りになったばかりなのに、夜に訪ねてくださったわ。紅薔薇様と和解なさったこと、協定を結ばれたことをお話しになって、今日の夜会での振る舞いは全部作戦の一部だから、心配するなと仰った。…………好きなのは、私だから、って」
「あら」
どうやらジュークは約束を守り、シェイラにきちんとことの次第を説明したようだ。それどころか強気モードとは。
「それは、良かった……のではないの? シェイラは、陛下のこと、好きなんでしょう?」
「私の気持ちは、この際関係ないわ。陛下にそのようにお気遣い頂いている私が、こんなこと訴えたら、きっと反発を招く」
「陛下の寵愛を笠に着て……って? それはどっちかと言えば、反発じゃなく言い掛かりな気がするけど」
「それでも、よ。陛下だって、夏の後宮を見て見ぬ振りなさったお一人でしょう? 夏に、大勢の側室が苦しんでいるのは放置だったのに、今回私一人だけが被害にあっているって知って乗り込まれるのは、あまりにも調子が良すぎると思われるわ」
見事なブーメランの図をここに見て、ディアナは思わず、額を抑えて呻いた。
(行動が信頼に直結する、って見本ねコレは……)
シェイラは、分かっているのだ。今の後宮ならば、訴えが無視されることはない。マグノム夫人は誠実に対応してくれ、内務省を相手に闘ってくれると。この件を王が知れば、徹底的な調査を命じてくれると。
――そして、ことが公になり、大袈裟になればなるほど。
「その調査を何故、夏にも命じてくれなかったのか。あのときは、もっと大勢の側室が被害に遭っていたのに」
「今回苦しんでいるのが寵姫のシェイラだから、特別扱いしているのか」
そういった種類の非難が、王に向くであろうことを。
前者は正当な非難であり、後者は完全な言い掛かりだ。今のジュークなら、仮に嫌がらせを受けているのがシェイラ以外の側室だったとしても、事態を知れば必ず動く。
が、彼が夏まで後宮をないものとして扱っていたことは、言い逃れのできない事実であり。ディアナが『紅薔薇』となるまでの後宮が、身分低い側室にとって地獄のような場所だったこともまた、真実。圧力に逆らえず、泣く泣く娘を差し出した親たちは当然、娘が後宮で不当に扱われている気配を感じて、心穏やかではなかっただろう。――その不満が、ジュークが『寵姫への嫌がらせ』の解決に乗り出すことで、一気に噴出する可能性は高い。
「シェイラ……あなたまさか、陛下をお守りするために、今回の件を外宮に上げないでほしいと頼んだの?」
「嫌がらせを受けているのが私じゃなければ、こんなややこしくはならなかったと思うんだけど……」
私の立場でできるのってこれくらいだから、と呟いたシェイラは、己の無力さを嘆いているようにも見えた。
――守られるだけではなく、何かを守れるようになりたいと。たったそれだけの想いが、ひとをここまで強くするのか。政のことなど何も知らない少女が、ここまで考えを巡らせるほどに。
「……本当に、すぐに駆け付けられなくてごめんなさい」
「良いのよ。……って、正直言えば、ディーに会えないのは寂しかったけど」
「私も一緒。会えない間、シェイラ今頃何してるかな、って思ってたわ」
本当のことを言うわけにもいかず、ただ『会えない』という言葉を残すだけで精一杯だった。心残りでなかったわけがない。
「忙しくしていた関係のところで、シェイラに似合いそうなものを見つけたから、おみやげに買ってきたのよ」
「ふふ、考えることは一緒ね。私も、出店でディーに似合いそうなもの見つけて、衝動買いしちゃった」
「えぇー?」
露店を見て回りながら、ここにはいない友のことを考えていたのは、お互い様だったらしい。……と、すると。
「ひょっとして、持ってきてたり、する?」
「え、ディーも? 私も……だって、今日なら会える、って手紙に書いてあったから」
「気が合うわね、私たち」
「ホント」
くすくす、笑う声が角を挟んで響き合った。ドレスの膨らみの下に隠していた包みを取り出し、ちょこちょこ手で歪んだリボンを整えて、ディアナは角の向こうへ差し出す。
「じゃあ、まずは私から、ね」
「えっと……近付いても、良いの?」
「むしろいつも、こんな怪しげな密会させてごめんね」
ジュークに言われて、シェイラの懐の広さを再認識したディアナの声には、心情が籠る。シェイラはおかしそうに笑った。
「なんか最近は、こういうのも悪くないかな、って思えてきたわ。ディーが好きなときに、姿を見せて」
「……そう遠くないうちに、見せられたら良いなぁ、とは思ってる」
ジュークが味方についたことだし、これからは『紅薔薇』としてシェイラと会う機会も増えていくだろう。その関わりの中で自然と正体を明かすのが、一番穏便、だと思う。
「じゃあ、楽しみにしてるわね」
そう言ったシェイラは包みを受け取って、引き換えるかのように細長い包みを渡してくれた。
「ありがとう。――開けて良い?」
「こちらこそ。もちろん、開けて。私も開けるね」
えぇ、と頷き包みを開く。包みの内側には緩衝材が敷き詰められ、それに丁寧に守られて――。
「これ、なぁに? 見たことない形……飾りがすごく綺麗」
銀色に輝く細長い棒は、先が尖っている。反対側でしゃらしゃら揺れる飾りは、月と雪がモチーフか。繊細で、手の込んだ作りだ。
「綺麗でしょ? それね……簪なんだって」
「えっ、簪って、髪を纏めるアレ? こんな形だった?」
先端が鋭いし、第一印象は完全に、稼業者が使う暗器だ。ちょうどカイが投げていた針が、これくらいの大きさだった気がする。
「私も意外だったけどね。東の方の国では、簪はこんな形らしいの。お店の人が、そう言ってた」
「へぇ、異国の形なのね! スゴい、使い方とかも違うのかしら……後で調べてみようっと」
異国、しかも東と聞いて、一気に気分が上昇する。ショウジの国でも、簪はこんな形なのだろうか。カイなら何か知っているかもしれない。
「ありがとうシェイラ、すごく嬉しい!」
「私も……ねぇ、ディー。これって何の動物?」
ディアナがシェイラに買ってきたのは、ふわふわの白い毛に覆われた、可愛い動物の置物だった。くりくりした目が、実に愛らしい。
「北の方にしかいない、珍しい動物だって聞いたわ。地元の人は白リスって呼んでるらしいけど、リスにしてはスマートよね」
「うん、でも可愛い」
「なんかそのコ見た瞬間、シェイラが思い浮かんだの。似合いそう、って。今日のボレロともお揃いね。それ、とっても似合ってる」
今日のシェイラは、濃いめの空色のドレスに白いふわふわの毛で作られたボレロを合わせた、冬らしい衣装だ。本人によく似合っているだけに、会場でも人目を引いていた。
「ありがとう。これね、出店で見つけて、お友だちが買ってくれたの。贈り物だ、って」
「良い買い物だと思うわ。シェイラが着なくて誰が着るの、ってくらい似合ってるもの」
「ディー……誉めすぎ」
角の向こうのシェイラは照れているらしく、声がもじもじしている。可愛い、って誉め言葉はこういう子にこそ相応しいのよ、と心の中で、ディアナはこの様子をどこかから観察しているに違いない隠密少年に向かって突っ込んでおいた。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン。
遠くから、近くから、鐘の音が響く。各地の神殿が一斉に、新年を伝える鐘を鳴らしたのだ。
十二回聞き終えて、ディアナは改めて、シェイラの方を向いた。
「――新しい年の訪れを、お祝い申し上げます。今年も、アメノス神の恵みが、あなたとともにありますように」
「ありがとうございます。――あなた様にも、この上ない幸福が訪れますよう、お祈りいたします」
年の始めに交わされる挨拶を、図らずもシェイラと一番乗りして、ディアナはちょっと笑った。
「新年をシェイラと迎えたってばれたら、陛下に嫉妬されちゃうかしら」
「陛下は、そんな小さいことで嫉妬なんてなさらないわ。私はディーと最初に挨拶できて嬉しい」
……数時間前に本人から、『ディー』に嫉妬したと告白されました、とは、まさか言えないディアナである。
「これからどうする、シェイラ? 新年迎えちゃったし、たぶんこれから、王宮は無礼講になると思うけど」
「それ、リディル様とナーシャ様からも聞いた。……すごいみたいね、毎年」
「若いご令嬢には……刺激が強いかも」
去年はそういえば、庭の噴水で寒中水泳大会になっていた。
「マグノム夫人が、避難所を用意してくれてるって、聞いたんだけど……」
「あぁ、側室専用の。そうね、そこにお友だちといた方が安全だわ、絶対」
「ディーは、どうするの?」
「一緒に行きたいところだけれど……私が行くと、集まっている他の方々を怯えさせてしまうから。別の場所にいるわ」
――年も、明けた。あの鐘の音が、反撃開始の合図。
「外は、危険だからね。言われた避難所に籠って、特に男は入れちゃダメよ」
「もちろん。ディーも、気を付けてね」
「えぇ。……シェイラ」
「なぁに?」
すぐ近くにある彼女の気配。そっと探って彼女の手を取り、ぎゅっと握る。
「――よく、頑張ったわね」
「ディー……」
「辛いことは、ずっと続きはしないから。……あなたは、独りじゃないからね。それを、忘れないで」
――受けてもらおう。この友を傷付けた、その報いを。
見えないけれども笑みを浮かべ、ディアナはゆっくり手を離して、戦場へと赴くべく、走り出した。
誰ですか、百合エンド希望とか、(女の子大好きな)私に吹き込んでくれちゃった方々は……
おかげさまでKONOZAMAですよ!(笑)




