夜会前
吹く風が、少しずつ涼しくなってきた。夏の終わり、それは即ち、社交の季節が幕を開けることを意味している。
「お美しいですわ、ディアナ様」
「えぇ、本当に。まるで、咲き誇る薔薇の精霊がこの世に現れたかのようです」
「そう……? ありがとう」
婉然と微笑んだディアナのドレスは深紅。彼女に最も似合う色だが、そんな気合いの入ったドレスを着て、侍女たちの手で化粧を施されたディアナは、いつもより三割増しで悪そうに見える。どこからどう見ても、『陛下の寵愛をがっつり狙っている側室筆頭』だ。
「まだ少し、時間あるかしら?」
「そうですわね。始まるまでには、あと少し」
「喉が渇いたの。冷たい飲み物が欲しいのだけど」
「畏まりました。少々、お待ち下さいませ」
侍女次長、ユーリが、リタ以外の侍女を連れて下がった。冷たい飲み物を入れるには、厨房に行って氷を貰って来なければならないからだ。カートを引っ張って来るとなると、侍女の数はそれなりにいた方が仕事が早く進む。
結果部屋には、ディアナとリタだけが残された。
「いよいよ来たわね……この日が」
「この夜会で何がどう動くか、こればかりはそのときになってみなければ分かりませんから」
「シェイラ様はどんな様子?」
「遠目に見ているだけですが、体調は悪くなさそうだと。ただ、やはり緊張なさっているようですね」
「当たり前よ。こんな状況で、緊張しない方がおかしいわ」
ディアナは、一番最近届けられた実家からの手紙を広げた。
「注意するべきは陛下の動向と、リリアーヌ様率いる『牡丹派』の動き。『紅薔薇派』の中にも過激な人がちらほらいるみたいだから、気をつけなきゃね」
「全く……丸投げにもほどがありますよ」
「仕方ないわ。そもそも、丸投げ前提で送り込まれたんだし。そこに文句つけたって始まらないもの」
後宮の現状を書き、何か分かれば知らせて欲しいと締めて送った手紙の返事は、その二日後にディアナの手元にあった。そこに書かれていた『表』の思惑は大体予想どおりであったものの、予想どおり過ぎて笑うしかなかった。一体自分たちはどれだけ万能と思われているのか。
しかもその返事の最後に、ディアナにとっては衝撃的な一文が綴られていたのである。
『今年の王宮の舞踏会で、陛下のパートナーを務める役目を、『紅薔薇』に与えることになったらしい』
何で!? と思わず叫んだディアナは悪くないだろう。国王からは嫌われまくっているのに何故、と考えたところで、そういや噂では仲睦まじいんだった、と納得した。ついでに、そういえば『紅薔薇』って側室筆頭だった、とも思い出した。
準備は大変だろう、何かあれば言え、こちらも引き続き情報を集めると頼もしい言葉で締められていた手紙に甘え、衣装屋の手配を実家に任せた。その結果、夜会で陛下のパートナーを務めるように、との通達が正式に届いてすぐに衣装屋がやって来るという、どんだけタイミングばっちりなんだという事態になり、『さすがクレスター家』と慄かれたのはオマケである。
夜会の準備を進める間も、ディアナは頻繁に実家と手紙をやり取りしていた。後宮を荒らさないためには、常に最新の情報が必要だったからだ。面倒で仕方ないが、成り行きで押し付けられた役目の重大さを理解した上で、それでも投げ出すなんて無責任なマネはできない。仮にも伯爵位にある家の娘として。
そうして一通りの側室情報が揃ったのが昨日だ。そして今日、これから、社交シーズンの幕開けを告げる、王宮の舞踏会が始まる。
「『闇』のみんなには悪かったわね。この三週間、連日後宮詰めだったでしょう?」
「これからも当番組んで、誰かはいるようにするそうですよ。思った以上に危険な場所だから、って」
「確かに、シェイラ様のところに常に誰かいてくれたら、わたくしも安心だわ。遅かれ早かれ、彼女は危険な立場になるのだから」
「……ディアナ様の護衛はどうなさるのです?」
「わたくしは必要ないでしょう。リタもいるし、簡単な自衛ならできるし」
「『闇』の立場からすれば、まずはディアナ様をお守りしたいのですが…」
難しそうな表情のリタに、ディアナは笑った。
「気持ちは有り難いけれど、現状でそれをすると、色々ややこしいでしょう。――大丈夫よ、わたくしは何とかなるわ」
ディアナが明るく言い切ったところで、ノックの音がした。
「戻ってきたみたいね」
「もう少しでお時間です。私は、控え室でお戻りをお待ちしていますから」
「えぇ。せいぜい派手に振る舞って来るわ」
カートを押して部屋に入って来た侍女たちに笑いかけて、ディアナは頭を切り換えた。
§ § § § §
シーズン初めに行われる王宮の舞踏会は、最初に爵位の低い者たちが広間に集まり、徐々に高い爵位の者たちが入って来て、最後に王族が入場して、締めに国王が壇上に姿を現し、一声かけることで始まる。
他の側室たちは、貴族と王族の間で名前を呼ばれ、既に広間へ出て行った。国王のパートナーを命じられたディアナだけが、国王と共に壇上から出るため、広間の裏へ案内される。
「こちらへ。陛下がお待ちです」
「ありがとう」
待ってるワケないわよね……と内心呟きながら、ディアナは奥へ足を進めた。階段を上がると重厚な扉があり、その前で案内役の男がノックする。
「陛下。『紅薔薇様』をお連れ致しました」
「通せ」
はい、と返事をし、彼は扉を開けた。会釈をして扉をくぐる。
ディアナは周囲を見回した。扉の向こうは小部屋になっており、中は薄暗い。奥から光が漏れているのを見て、ディアナはそちらへ歩を進めた。
「来たか」
「――陛下」
膝を折り、優雅に臣下の礼を取る。光の漏れる幕の前に、正装の国王が佇んでいた。光を背景にすっと立つ彼は、外見だけなら充分良い男だ。
「そなたが『紅薔薇』であるから、この役目が与えられたのだ。勘違いするな」
「もちろん、存じております。……ですが、陛下」
すっ、と顔を上げ、ディアナはジュークを見据えた。登場前、二人きりになるこの瞬間だけが、ディアナが彼に意見できる唯一のチャンスだ。逃すわけにはいかなかった。
「――どうか、陛下の後宮にも、目を向けて下さいませ。陛下の行為一つで、後宮はどんな魔窟にも変貌致します。取り返しのつかない事態になる前に、どうか陛下御自ら、あの場所をお確かめ下さい」
「……何?」
「わたくしは、『紅薔薇』でございます」
ディアナの蒼い瞳が、ただ真っ直ぐに、ジュークを射抜く。
「わたくしに与えられた役目の重要さは、重々承知しております。ですがその役目を全うするにはどうしても、わたくし一人では力不足なのです。陛下がご自分の目で後宮をご覧になり、考えて頂かなくては」
「貴様……図々しくも何を!」
突然ジュークが怒り出した。また何か、妙な方向に解釈したらしい。逆効果かとひやりとしたが、ここで引くわけにはいかなかった。
「わたくしが『紅薔薇』でなければ、陛下にこんなことは申し上げませんわ。わたくしだって、できれば楽に生きたいですもの」
「だから何を! ……は?」
「『紅薔薇』となってしまいましたから、似合いませんが申し上げているのです。陛下が――ジューク様が『国王』の役目を果たされていらっしゃるように、わたくしも『紅薔薇』の役目を果たさなければなりませんから」
でなければ誰がするか、こんな面倒で気苦労しか感じないポジション。
ディアナは内心で吐き捨てた。
後宮内の勢力バランスを保つのが『紅薔薇』の役目なのは、現後宮限定だが。後宮トップの『紅薔薇』に入った令嬢が、程度の差はあれ後宮内の人間関係に気を配る必要があるのは確かだろう。
ただそれはあくまでも、国王の協力あっての話なのだ。
(全く、クレスター家が直接国王に意見するなんて前代未聞よ。そんな立場になっちゃったから、仕方ないんだけど)
本当はもっとはっきり、視野を変えて物事を見ろ、欲望のままに突っ走るな、自重しろと言いたい。言いたいが。
「……何を言いたいのか知らんが、何を言っても、私が貴様に目を向けることなどありえんぞ」
「分かっておりますし、わたくしは一言も、『わたくしを見ろ』とは申しておりません。『後宮をご覧になってください』と申し上げているのです」
ディアナの言葉をひたすらナナメに解釈する相手に、はっきり言っても届くとは思えない。実はそれ以前に、はっきり言いたい内容が国王相手なら相当不敬に当たるという問題があるのだが、そこは綺麗さっぱり抜け落ちているディアナである。
「陛下、お時間です。……陛下?」
「あ、あぁ。分かった」
呆けていたらしいジュークは、呼びに来た側近の声で我に返ったようだ。す、とディアナに手を差し出した。
「立て、ディアナ・クレスター」
「はい、陛下」
ジュークの手を取り、ディアナは立ち上がった。そのまま腕を絡め、彼の隣に立つ。
「……『紅薔薇』を、望んではいなかったのか?」
「え?」
小声で隣から尋ねられた内容に、ディアナは軽く目を見開いた。一瞬空耳かと思ったが、ジュークは難しい顔をして、答えを待っている。
――少しずつ、言葉が通じ出している。
ディアナの表情が綻んだ。『恋愛効果』は、やはり絶大らしい。
「望んでおりませんでした、とお答えすれば、実家に帰してくださいますか?」
「……いや、それは」
「――陛下」
ディアナはゆったり、微笑んだ。
「噂と真実が違うことは、往々にしてございます」
「……! そ、れは、」
「ですから大切なのは、陛下ご自身がご覧になって、ご判断なさることなのです」
おそらくジュークは、混乱しているのだろう。
これまで鵜呑みにしてきた『ディアナ・クレスター』の噂と、今実際に話したディアナ。この二つはかなり違う。言葉をあさって解釈すればどうか知らないが、『恋愛効果』で相手の話をとりあえず聞いてみる姿勢を身につけたジュークからすれば、あまりの違いに混乱するのも無理はない。
(お兄様と同い年とは思えないくらい、子どもな方ね。年上のはずなのに、年下を諭しているような気分になるわ)
とっとと成長してくれなければ、ディアナの気苦労は増えるばかり。
シェイラ様、もっと粘って、陛下を育ててくださいね。
かなり失礼な他力本願を頭の中で呟きながら、ファンファーレ鳴り響く光の中へと、ディアナは吸い込まれて行った。
※国王陛下が解釈したディアナのセリフ↓
「――どうか、陛下の後宮にも、目を向けて下さいませ。陛下の行為一つで、後宮はどんな魔窟にも変貌致します。取り返しのつかない事態になる前に、どうか陛下御自ら、あの場所をお確かめ下さい」
→『全く後宮に来ないとはどういうことなの。貴方が来ないから、わたくしはイライラしてしかたないわ。早く来ないとわたくし、何をするかわかりませんわよ』
「……何?」
「わたくしは、『紅薔薇』でございます。わたくしに与えられた役目の重要さは、重々承知しております。ですがその役目を全うするにはどうしても、わたくし一人では力不足なのです。陛下がご自分の目で後宮をご覧になり、考えて頂かなくては」
→『わたくしは『紅薔薇』なのよ。陛下の御子を産むという、とても重要な御役目があるではないの。陛下がいらっしゃって、わたくしと閨を共にしなければ、それもできないわ。陛下に最も相応しいのは誰なのか、後宮を見回してよく考えてご覧なさいな』
「貴様……図々しくも何を!」
……と、繋がるワケですねぇ。
あさって解釈というか、最早、別物(笑)