閑話その18-3~思わぬ波紋~
まだまだシェイラのターンです。
中庭の出店は、主日を除き、降臨祭の間毎日開かれる。それも、側室たちが飽きてしまわないよう、招かれる商店は毎日変わるという徹底ぶりだ。さすがは有能さを買われ、女官長の職を引き継いだマグノム夫人、見事な采配である。
シェイラは、毎日リディルとナーシャに誘われ、日々変わる中庭を散策した。初日のように買い物をしなくても、ただ見て回るだけで充分楽しめる。
――明日はいよいよ主日という前半最終日、中庭には二十人余りの側室が集まり、色とりどりのドレスがあちらこちらと飛び回る、目にも楽しい光景となっていた。
「お客さん、かなり増えましたよね」
「私たちみたいな末端貴族のご令嬢だけでなく、それなりの地位の方もいらっしゃるようになりましたからね。確かに、後宮の中で降臨祭のパーティをしても、集まる人は決まりきっていますから、退屈にもなりますもの」
リディルがまさに言った通り、最初は『庶民向け』だと中庭を避けていた高位貴族の側室たちも、代わり映えのないパーティを続けるよりはと、入れ替わり立ち替わり顔を見せるようになっていた。……まぁ、それはあくまでも変わった催しに理解のある令嬢方だけで、『庶民』をあからさまに見下す『牡丹派』の姿は、当然ながらなかったけれど。
「お客様が増えたのはもちろんのことですが、お店の様子も、日々華やかになっておりません?」
「あら、シェイラ様。毎日同じことの繰り返しでは、お客様に飽きられるのも早いですもの。きっと、後宮に店を出すことを許されたお店同士、互いに励み合っているのでしょう」
「小売業には、小売業の苦労や工夫があるものなのですね……」
「売れ筋の商品を分かりやすく飾るのはもちろんですが、自信のある商品を魅力的に見せるショーアップも忘れてはいけませんからね。このように他のお店と競合する場では、ああして屋根に飾りをつけたり、店名を目立たせるなどの工夫を凝らして、まずはお客様に興味をもって頂く工夫も必要です」
シェイラの父親は、国内の業者から海外の業者へ国内品を、海外の業者から国内の業者へ外国の品を斡旋仲介する、云わば輸出入専門の卸売り商店だった。よほどの高級品を仕入れたときは、金持ち相手に直接売りもしていたが、基本の商売相手は業者。最終的にその商品を手にする消費者を相手にする技術とは、あまり縁がない。
ナーシャの家のことは深く知らないが、彼女の語り口からして、小売り販売店もいくつか持っているのだろう。もしかしたら、後宮に上がる前は手伝っていたのかもしれない。
「ところでシェイラ様、ナーシャ様、お気付きでして? もうそろそろ、お昼の時間ですのよ」
小売店の経営戦略について盛り上がっていたシェイラとナーシャを止めたのは、呆れたように笑うリディル。きょとんとした二人は、目を合わせて軽く吹き出す。
「そういえば、お腹空きましたね」
「忘れるところでした」
「お二人とも、そんな色気のない話題でお昼ご飯を忘れないで頂きたいわ。花の乙女が台無しでしてよ?」
「色気より食い気、なのも、乙女としては問題ではありません、リディル様?」
「あら。ナーシャ様も言いますわね」
軽口を叩きながら、三人は食事を配ってくれている調理場出張所へと足を向けた。後宮内で外部の食べ物を売るわけにはいかないので、降臨祭の間、後宮の調理場が、出店のような雰囲気で軽食を配ってくれているのだ。
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは。今日のお昼は何かしら?」
「リディル様、すっかり常連様ですね。明日まで忘れて中庭に降りてこないでくださいよ。明日は、ここも、他のお店もお休みですからね」
「失礼ねー、さすがに主日は忘れないわよ」
誰とでも気軽に話すリディルは、侍女にも知り合いが多い。今日の店番の侍女とも顔見知りだったらしく、食事の用意が整うまで、二人の口は止まらなかった。
「はい、どうぞ。今日はクレープサンドとスープです」
「クレープサンド……?」
「クレープっていう薄い生地に、肉や野菜を乗せて、くるくる巻いた食べ物、だそうですよ? 手が汚れないように、料理長が考案して、マグノム婦人が了承なさったと聞きました」
「へぇ、すごいわね」
中庭で配られる食事は、今日のクレープサンドも含めて、手を汚さず歩きながらでも食べられるような、それこそ庶民の屋台で売られる食べ物を彷彿とさせる工夫が凝らしてあった。偶然ではなく、調理場の気遣いの賜物だったらしい。
「ありがとう、頂くわ」
「あちらに、甘味の出張所もありますから。よろしければどうぞ」
お金は受け取っていないのに(側室たちの昼食扱いになるからである)、商売熱心な台詞に見送られ、シェイラたちは丸机の並ぶ一角へと移動した。
「甘味まで食べられるなんて、いよいよ町の出店みたいですね」
「今回の『中庭祭り』は、侍女や女官からアイデアを集めて、試験的に始まったものだそうですから。開催の途中でも、実行可能な提案は積極的に取り入れようということでは?」
「冷静沈着、四角四面な雰囲気のマグノム夫人だけれど。実際のところは、遊び心が旺盛な方なのかもしれませんわね」
くすくすと笑い、クレープサンドに口をつけようとした――そのときだった。
「あらあら。随分と下品な食べ方ですこと。……お里が知れますわね」
――回廊の奥から、高飛車な声が響いたのは。
ナーシャが口を開けたまま凍りつき、リディルは一瞬眉を顰めて、しかしそのままクレープサンドにかぶりつく。
そしてシェイラは、実は台詞の意味を認識するより先にサンドをかじってしまっていたので、もぐもぐごっこんするのを優先させ、結果として無言かつ、横柄な態度になってしまっていた。
口の中のものを飲み込んで、シェイラはようやく、声のした方を振り向く。
やたらきらきらしいドレスに宝飾品を纏った五人ほどの側室が、背後に侍女を引き連れて、嫌そうな顔を扇で隠し、中庭に踏み込んでくる姿が見えた。
(……そんなに嫌なら、来なければ良いのに)
彼女たちから漏れ出す嫌悪感を素直に感じ取ったシェイラは、内心そんなことを思う。彼女たちの様子を見るに、『シェイラが嫌』というより『この中庭が嫌』であるようだから。
「後宮内にどこの誰とも知れぬ庶民を入れるだけでは飽き足らず、商売までさせるなんてね。由緒正しい後宮の姿は、どこに消えたのかしら」
「仕方がないことですわ。本来ならば、女官長の暴走を止めるべき立場の者たちが、このように庶民に紛れて楽しんでいる有り様では」
「少しでも道理を弁えているものならば、このような場に赴くことこそ恥と、分かりそうなものですのにね」
「所詮、貴族であることの責任も誇りも知らぬ者たちです。同じ貴族と思うことが、そもそもの間違いではありませんか?」
「そうね。見て、このドレスのみすぼらしいこと。これでめい一杯、着飾っているつもりなのかしら」
あくまでもシェイラたちと視線を合わせることなく、仲間内で話している風を装いながら、彼女たちは話し始めた。シェイラは顔を知らないが、雰囲気や話の内容から考えて、彼女たちは『牡丹派』の側室たちだろうか。
シェイラたちの他にも、テーブルが並ぶこの一角では、昼食を摂ろうとする側室たちが集まっていた。突然の『牡丹派』の襲来に、食事が途中だった者も、歓談中だった者たちも、皆が等しく固まっている。
「この者たちと同じ立場だと思うだけで、わたくし涙が止まりませんわ」
「嘆くことはありません。この者たちは所詮、下賤の家から数集めに差し出されただけの、取るに足りぬ女たち。陛下の後宮が寂しくないよう、賑やかしのためだけに存在するだけなのだから」
「それならば、己の立場を弁えて、大人しくしていてほしいものですわね?」
「まったくですわ」
聞いているだけで、気分の悪くなる会話だ。この場から去るなり、一言黙れと言うなりしたいところだが、今この場で食事をしていた側室たちは皆、子爵以下の爵位。一方『牡丹派』に属する令嬢は、ほとんどが伯爵位以上の実家を後ろ楯にしている。あちらより自分たちの身分が低い以上、どれほど理不尽なことを言われても、彼女たちを無視して立ち去ることも、こちらから彼女たちに話しかけることも、シェイラたちには許されていないのだ。
「同じ空気を吸っているだけで気分が悪いわ」
「本当、分別がつくなら、後宮を我が物顔で歩くなんて恥ずかしい真似はできないでしょうに」
「このような浅ましい場に、喜んで出てくるくらいだもの。食事の仕方も、なぁに? ナイフもフォークも使わず、大口を開けてかぶり付くなんて。下品な未開人でも、あのようなことはしないわ」
シェイラの、その場にいる側室たちの脳裏に、夏以前の後宮が甦る。
――そう、以前は、このように難癖をつけられることなど、日常茶飯事だった。
遠回しに、死んでくれと言われることすらあった。
苦しくて、悔しくて、ただひたすら、身を寄せ合い耐えるだけの日々――。
「このような者どもを侍らせて調子に乗っている、『紅薔薇』の程度も、たかが知れるというものよね」
――変えてくれたのは、『彼女』だ。
「その無礼な口を閉じて頂けますか」
立ち上がり、逃げることなく真っ直ぐに、『牡丹派』の令嬢たちを睨み据えたシェイラに、驚きの視線が集まる。雑談を装い罵詈雑言を投げて来ていた令嬢たちは、唖然となってシェイラの方を向いた。
「紅薔薇様は、現後宮において、最も地位の高いお方。此度の降臨祭に当たっては、正妃代理に選ばれるほど、陛下からの信頼も篤いお方です。あなた方に、紅薔薇様を侮辱する権利などありません」
自分を、友人たちを、蔑んだ彼女たちへの怒りは、もちろんある。
けれど、位の低い自分たちには、自らの手で自らの尊厳を守る権利すらない。
その悔しさを、いつだって凛と立つ強さを纏ったあのひとが、引き受けてくれた。我慢する必要はないと、手を差し伸べてくれたのだ。
――ならば。彼女を守ることと、自分たちを守ることは、同義。
誰より優しいあのひとを、夜の闇に震える自分たちに光を灯してくれた、月のように清廉な彼女を、汚すことだけは赦さない。
「ご自分の過ちに気が付かれたのであれば、あなた方に相応しい場所に、お帰りになったらいかがです? 先程から仰る通り、ここはあなた方には不釣り合いなところでしょうから」
「な……んて無礼な……!」
どうやらこの集団のリーダーらしい、最も派手派手しい装いの令嬢が、足音高く一歩踏み出した。唇はわなわなと震え、顔がほんのり赤らんでいる。かなり、頭に血が上っているらしい。
「身の程を知りなさい、シェイラ・カレルド! わたくしたちに指図できる立場だと思っているの!?」
「もちろん、思っておりません。あくまで『提案』ですわ、『牡丹』に近いお方」
「図々しい。『提案』ですって? 何様のつもり?」
「こちらにお留まりになるのは、お身体によろしくないかと。僭越ながら、漏れ聞こえたお言葉では、我らと同席するだけでご気分が優れないとのことでしたので」
するすると出てくる言葉に、シェイラは自分で驚いた。『牡丹派』を相手に、自分がこんな冷静に話せるとは。
どうやら『紅薔薇様』を侮辱されたことで、想定外に今、自分は怒っているらしい。怒りが恐怖を押しやるとは、世の中上手くできているものだ。
人を食ったようなシェイラの言葉に、当然、相手は激昂した。
「お前は! 自分の立場が分かっているの!」
「私があなた様より下位に位置する側室であることは、もちろん、理解しております」
「ならば今の態度、手打ちにされても文句はないわね!?」
「どうぞ、ご随意に。――ですが皆さま方も、お叱りをご覚悟くださいませ」
もとより、この場で自分を守ることなど、考えてはいない。我が身が大事なら、彼女たちの気が済むまで、悪口に耐えれば良いだけの話だ。
――けれど、シェイラは決めた。他の誰がどう思おうと、この後宮で自分だけは、心の底から、ディアナの味方であることを。
だから、逃げない。逃げるわけには、いかない。
一歩も引かない覚悟で、シェイラは、怒りに猛る『牡丹派』の令嬢たちと対峙した。
「私の態度が、地位を逸脱したものであることは、承知しております。けれど、側室筆頭たる紅薔薇様への無礼が目の前で行われていて、見過ごすことこそ不忠というもの。なれば私は、己の立場より、紅薔薇様への忠義を選びます」
「どこまで愚かなの? あんな女のために、己が身を滅ぼそうとするなんて」
「私のことは、良いのです。……少なくとも紅薔薇様は、ご自分が庇護する方々への侮辱を、お許しになる方ではないわ」
遠回しに、今日のことがディアナの耳に入れば、彼女たちも無事では済まないと告げる。
赤から青へと顔色を変えた令嬢たちは、しかしどこまでも『貴族』だった。
「これだから、頭の足りない下賤の民は嫌なのです。虎の威を借ることしか知らぬ。わたくしたちがいつ、お前たちを面と向かって侮辱しました? わたくしたちの話が聞こえたのだとしたら、盗み聞きを咎められるのはお前たちの方よ」
「『紅薔薇』とて、直接危害を加えていないものを、どうこうすることはできないでしょう」
「この場で罰を受けるとしたら――愚かにも目上の人間に無礼を尽くした、シェイラ・カレルド。お前だけよ」
卑怯な、と呟く声。立ち上がろうとするリディルとナーシャを、シェイラは視線と手で抑えた。驚きの気配が、二人から返ってくる。
――ここで、二人が立ち上がってはいけない。矢面に立つのは、シェイラでなければ。
「仮に盗み聞きであったとしても、紅薔薇様への侮辱を聞いて黙っているという選択肢は、私にはございませんので。――それが罪になるのなら、お好きになさってください」
「シェイラ様、」
厳しい瞳を向けるリディルに、視線だけで笑ってみせる。
大丈夫だ。――ここはもう、夏以前の後宮ではない。
「ただし――あなた方に、私を罰する権利があるのであれば」
シェイラが切り込んだ言葉に、『牡丹派』が虚を突かれたように黙る。
ぐっと頭を上げ、シェイラは続けた。
「側室の罪を裁くのは、常であれば正妃様のお役目。正妃様不在の現後宮では、女官長による事実確認の後、外宮で協議され、罪にみあった罰則が決定されるのではありませんか? 今、ここで、あなた方が私を裁くことは、規則に外れる振る舞いのはずです」
ディアナは、シェイラたちにくれた。
『紅薔薇派』をまとめ、女官長を入れ替え、後宮の規則を広く知らしめることで――勝つことまではできずとも、負けることはない、力を。
彼女から与えられたものを、彼女のために使わなくてどうする。
「私に私的制裁を加え、そのことで後々問題になってもよろしいのであれば、どうぞご随意になさってくださいませ」
身分の高さだけで全てが許される、そんな歪んだ後宮に、戻すわけにはいかない。
ディアナの努力を、無駄にするような――そんな愚かな真似だけは、絶対にしない。
シェイラと『牡丹派』の睨み合いは、徐々に旗色が悪くなっていることを悟ったらしい令嬢たちが、ふいと視線を逸らしたことで決着がついた。
吐き捨てるように、リーダーらしい側室が言う。
「これだから、物事の道理を弁えない『紅薔薇派』には困ったもの。彼女の権威を笠に着た、お前たちの振る舞いが、結果として『紅薔薇』の首を絞めるというのに」
「ご心配には及びませんわ。私は、『紅薔薇派』ではありませんもの。紅薔薇様直々にサロンから追い出された、正真正銘ただの一側室です。私と、『牡丹』に近しいあなた様方との間に確執が起こったところで、紅薔薇様には何一つ、痛いところはありません」
そう。――中庭で食事をしていた側室たちは皆、『紅薔薇派』なのだ。
ただ一人、シェイラを除いて。
もし、ここで、『牡丹派』の雑談に『紅薔薇派』が食って掛かったとしたら。トップの意向も伺わずに好き勝手をした、『紅薔薇派』は統制が取れていないと、格好の攻撃材料になるだろう。下手をしたらそれこそ、『紅薔薇様』に庇護されているのを良いことに身分を弁えていないと、後宮外からも批難されることになるかもしれない。
だから、ここで立ち上がり、『牡丹派』と対峙するのは、シェイラでなければならないのだ。シェイラは『紅薔薇派』ではなく、むしろディアナからは疎まれている存在。『牡丹派』とどんな諍いを起こしたところで、シェイラが勝手に一人で暴走しただけと、ディアナは胸を張って言い切れる。
「――それで、皆様は、どんな罰をご用意していらっしゃるのですか?」
――笑ってやれ。『氷炎の薔薇姫』のように。
例え身分は低くとも、せめて心だけはあの方のように、誇り高く、麗しく。
強く――!!
「――ラ、さま。シェイラ様!」
「……あれ?」
いつ、『牡丹派』の彼女たちが去ったのか、分からなかった。
気付いたときには、泣きそうな顔で、ナーシャがシェイラを揺さぶり、名を呼んでくれていた。
「シェイラ様、あなたは、あなたというお方は……!」
「無茶にも程がありますわ! あなたお一人が矢面に立つことなど、私どもも、紅薔薇様とて、望んではいらっしゃらないでしょうに」
気丈なリディルは、怒りながらも瞳が潤んでいる。シェイラはふわりと、友人二人に微笑みかけた。
「大丈夫、ですよ」
「どこがです!」
「だって……これで、紅薔薇様が守りたいものは、守れます」
優しいあの人は、『牡丹派』と『紅薔薇派』の対立が激しくなり、後宮が全面戦争になることを、きっと、望んではいない。
自分一人への風当たりがきつくなることで、後宮全体の平和が守れるなら、安いものではないか。
(少しは……お役に、立てたかしら)
笑うシェイラを、ナーシャがついに泣きながら、ぎゅうっと抱き締めた。
百合エンド違う、not百合エンド……!




