閑話その1-2 ~酒場にて~
引き続き、エドワード視点です。
貴族たちの大部分から誤解されているクレスター家だが、稀に彼等の本性を知る者もいる。
そしてそれは意外と、王宮内で高い地位に付いている人物だったりするのである。
「よぅ、エド。今年は早いな」
「ん? ……あぁなんだ、アルか」
これからの対応についてデュアリスと話し合った日の夕刻、エドワードは王都の下町にある、場末の酒場でグラスを傾けていた。服装はそこらの町人と変わらない質素なもので、雰囲気もがらりと変わっている。今の彼を見て、貴族の子弟だと見抜ける者はそういないだろう。
そんなエドワードに声をかけたのは、どこぞの荒くれ者のように乱れた服で髪もぼさぼさ、日雇いでその日暮らしをしているかのような若者だった。但し、動きは機敏で隙がない。見るものが見れば、かなりの手練れであることは容易に想像できるだろう。
アル、と呼ばれたその男は、慣れた仕草でエドワードの隣に腰を降ろし、きつめの酒を注文した。
「おいおい良いのか? 仕事はどうした」
「今日はもう終わりだよ。息抜きくらいさせろ」
「馬鹿言うな。お前の仕事に休みなんかないだろ」
そう言いながらもエドワードは、瓶で出された酒を男のグラスに注いでやる。酔い潰れて仕事ができなくなるような、そんな可愛げのあるタマではないと、よく知っているからだ。
「全く、偉くなるのも考えモンだぜ。飲みに行くヒマもありゃしねぇ」
「そいつは災難だったな。こっちはつくづく、しがない一領主の息子で良かったよ」
「『しがない一領主』ねぇ……。どの口が言うやら」
男は鼻で笑い、グラスを煽った。一瞬で空になったグラスにまた酒を注ぎながら、エドワードは尋ねる。
「冗談はさておき、本当に良いのか? 陛下の護衛が、こんなところで油売ってて」
「俺以外にも護衛騎士はわんさかいる。後宮に渡るなら、さすがに傍は離れられないけどな」
「なんだ、今日は行かないのか?」
「……引っ掛かる言い方だな。まるで陛下が毎日、後宮に渡っているみたいに聞こえるが?」
エドワードは、はっ、と皮肉げに笑い返した。
「この場で隠し事は無しにしよう。アルフォード・スウォン護衛騎士団長殿?」
「……相変わらず、怖いな。筒抜けか」
言葉とは裏腹に、彼の表情はただの苦笑いだ。おそらく、予想していたのだろう。
アルフォード・スウォン。スウォン伯爵家の次男坊で、幼い頃より剣の才能が突出していた。剣の腕一本で出世の街道をひた走り、若くして現国王の護衛騎士団団長を任されている、若きエリートの一人である。
……そんな彼が場末の酒場で荒くれ者の恰好をし、同じくお忍びで下りてきているエドワードと会っているというのは、何とも奇妙な情景に思える。だが、二人の間では、これは普通のことだった。
「やっぱり、クレスター家がいつもより早く領地から出て来たのは、ディアナ嬢のことがあるからか?」
「当たり前だろう。入りたくもない後宮に入れられて、悪戦苦闘している妹を放っておけるか」
「悪戦苦闘、ねぇ……。噂じゃ、ディアナ嬢は後宮生活を謳歌してるように思えるけど?」
「……本気で言ってないよな?」
言葉と同時に本気の睨みを効かせると、アルフォードは即座に両手を上げた。
「怒るなよ。分かってるさ、ディアナ嬢にとっちゃ、予想外の連続だったろう、ってことはな」
「あぁ。そもそもディアナに後宮入りの命が下ったこと自体、予想外だ。いくら父上の取り巻きが喚いたとはいえ、社交界でのディアナの評判は最悪。言っちゃなんだが、坊ちゃんの好みとは掛け離れてるだろ?」
「坊ちゃんておま……、陛下は一応、お前と同い年だぞ?」
「あんなの、温室でぬくぬく甘やかされて育った坊ちゃん陛下で充分だ。王宮育ちとは思えないくらい甘ちゃんだからな」
「……まぁ、否定はせんが」
不敬とも思えるエドワードの言葉はしかし、真実をズバリと言い抜いていた。王宮で同じことを言えば問答無用で牢屋行きだが、ここでは彼らはただの『エド』であり『アル』。隠し事も建前もなし、というのが、暗黙の了解なのである。
「陛下の母上は、名門モンドリーア家出身。それもあって、保守派の連中からちやほやされて育ったんだ。思考が偏りがちなのは無理もない」
「先代陛下は、これから執務を少しずつ任せていく中で、偏りを矯正しようと試みていらっしゃったのだろう?」
「あぁ。その矢先、突然の崩御だ。なし崩しにジューク殿下が国王になったが……不安要素が山積みな中での即位だったからな」
「ま、一番の不安要素は、本人が自分の未熟さを理解してないってコトだろうが」
はっきり言うなぁ、とアルフォードは苦笑するしかない。エドワードに限らずクレスター家の人間は、他者を見抜く鋭い観察力と洞察力の持ち主なのだ。故にエドワードの評価はどこまでも的を射ていて、反論を許さない。
「ディアナも大体同意見だしな。政治ってのは、正義感だけあれば良いってモンじゃないだろ。その正義感にしても独りよがりだ」
「お説一々ごもっともだが、あんまり言ってやらないでくれ。本人も少しずつ気付いて、歪みを正そうとしているんだ」
「――へぇ? ディアナの目論見どおり、恋愛効果か?」
ずばり切り込む。アルフォードは頭を掻いた。
「一部の関係者しか知らない情報を堂々と入手されてちゃ、後宮内の警備を疑いたくなるな」
「後宮の警備に不備はないさ。ディアナとリタが行くまで、どう潜り込めば良いか、ウチの優秀な『闇』たちですら悩ませた場所だからな」
「ディアナ嬢を入れたことで、情報流出……か」
「何を今更。他ならいざ知らず、お前がそれを予想しなかったとは言わせないぞ」
「ははっ、まぁな。クレスター家の直系を入れるんだ。お前んトコに情報が筒抜けになることは、最初から折り込み済みだよ」
エドワードはじろりとアルフォードを見た。
「情報流出を黙認してまで、ディアナを後宮に欲しかったのか?」
「陛下は大反対だったけどな。『あんな毒婦を『紅薔薇』へ入れるなど!』って」
「ディアナの魅力を理解できないアホは、失恋でも何でもして再起不能になれば良い」
「おい、シスコンも大概にしろ」
軽くツッコミを入れ、アルフォードは続けた。
「だが現実的に見て、たとえデュアリス殿を勝手に取り巻いている輩からの圧力が無くても、近いうちに『紅薔薇』の候補にディアナ殿の名前は上がったはずだ。家柄と実際の地位を考え合わせたとき、ランドローズの上に立てる家はそうない」
「……やっぱり、そういうことか」
後宮内の勢力バランスを保つために、ディアナは『紅薔薇』に入れられた。そう考えたデュアリスとエドワードは正しかったらしい。
「デュアリス殿の取り巻きの後押しがあったから、ディアナ殿を『紅薔薇』に入れやすくなったのは確かだけどな。陛下への説明も楽になったし」
「圧力に抗えず……ってか? あの坊ちゃん、自分の後宮がどうなってるのか把握……できてるわけないか」
「把握どころかつい最近まで、後宮の存在完全無視だったからなー」
「だから周りが気を揉んだんだな。後宮内での勢力争いは、表の政治にも大きく影響する。バランスが崩れるのはよろしくない」
ディアナは――クレスター家は、まんまと調停役に抜擢されたということだ。一番苦労するポジションに。
「後宮に誰を入れるのかは、時節を見て主立った重臣たちが話し合って決める。陛下も一応意見するが、最終的な決定権は重臣たちにあると思って良い」
「……へぇ、そうなのか」
「問題は、ディアナ嬢の後宮入りを決めた重臣たちのほとんどが、『クレスター家』の真実を知らないってことだな」
エドワードの眉がピクリと動いた。グラスを弄んでいた手を止め、アルフォードを深い眼差しで射抜く。
「良いのか? 『俺』にそこまで話して」
「隠し事はナシ、なんだろ? それに実際問題ないさ。なんだかんだ言って、クレスター家ほど貴族らしい『貴族』を、俺は見たことない」
「なーに言ってんだか」
エドワードは軽く流したが、言っている意味は理解していた。
貴族たるもの、国に尽くし、民に尽くし、人々の幸せのために生きるべし。
エルグランド王国でそう言われて長いが、そうあれる家は極めて少ない。しかしエドワードは、我が家が数少ない『貴族』であると確信できた。アルフォードが言っているのも、多分そういうことだろう。
クレスター家に情報が渡っても、王国の危機になることはない。それが分かっているから、彼はこれほどぶっちゃけているのだ。
「まぁ……重臣たちの思惑は置いといてだ。ディアナ殿は、予想以上によくやってくれた」
「ディアナ自身が望んでやったんじゃないけどな。あの子が『紅薔薇』に入った時点で、避けられない流れだ」
「それでも無能な娘なら、勢力を拡大させようと目論んだり、相手方を攻撃したり、逆に内側を抑え切れずにもっと混乱させたりするだろ? 『表』が何も言わなくても、状況を察してベストに振る舞ってる。並の令嬢にできることじゃないぜ」
「ディアナならそれくらいできて当然だ。何しろ、叔母上と母上から、宮廷の泳ぎ方をみっちり仕込まれてるんだからな」
自慢げに頷くエドワード。妹を信頼しているのと、心配なのは別問題なのだ。
「あぁ、ディアナ嬢を入れたのは大正解だ。誰も予想できなかった『寵姫問題』ですら、彼女のおかげで事なきを得ている」
「……シェイラ・カレルド男爵令嬢、だろう? どんな姫君なんだ?」
「珍しいな、お前が貴族の令嬢のことを記憶してないなんて」
「淡い金髪が印象的な、大人しい感じの娘だった、ってことくらいしか記憶にない。第一俺が記憶している令嬢は、要注意人物のみだ」
「よく言うぜ、年頃の令嬢は軒並み把握してるくせに」
アルフォードのからかい口調を、エドワードは鼻で笑った。社交シーズンの度に無駄に紹介され続ければ、もともとずば抜けて記憶力に優れているエドワードのこと、覚えたくなくとも記憶に残る。それだけのことだ。
「この顔が女性相手の情報収集に向いてるってだけの話だろ。それより話をそらすな、シェイラ嬢のことだ」
「ふむ。何が知りたい?」
「人となりだな。大体の経歴は分かってる」
「……全く、たまにクレスター家が本気で怖くなるよ」
口調と内容がさっぱり合っていないアルフォードである。エドワードは取り合わず、視線だけで先を促した。
「シェイラ嬢なー。ま、一言でまとめりゃ、陛下の好みド真ん中ってトコロか」
「坊ちゃんの好みなんざ知るか」
「……うん、だよな。分かってる」
まぁ俺もそう親しく話したことがあるわけじゃないが、と前置きし、アルフォードはシェイラについて語った。
「繊細で儚げ、吹けば折れそうな風情ながら、芯は強い。そんな感じの令嬢だな」
「……坊ちゃんが好きそうなテンプレ令嬢か」
「まぁ…な」
エドワードの感想は身も蓋も無い。頷いたアルフォードもアルフォードだが。
「坊ちゃんは、初めての恋に浮かれてるんだろう?」
「あぁ。シェイラ嬢は、国王の一時の気まぐれだろうとガードが固い」
「そんな令嬢の気を引くため、連日後宮通い……か。あの陛下、現状を理解した上で行動……できてないよな」
「できてない。そもそも後宮の状態すら分かってない。シェイラ嬢が他の側室からの嫉妬を受けないように、って言い含めて、何とか裏からコソコソ通うように仕向けられたんだ」
ちょうどディアナ嬢との噂もあったから、後宮に陛下がいるだけなら、あまり騒ぎにならなかったしな、とアルフォードは纏め、酒を煽った。
「お前も大変だな、坊ちゃん陛下のお守りで」
「一応見どころはあるお方さ。全くの無能には付き合わねぇよ。時間がもったいないからな」
「……ま、お前がそう言うなら、とりあえず経過観察にしとくか」
「そうしてくれると助かる。――しかし、ディアナ嬢には感謝だ」
アルフォードはしみじみ呟く。
「突然後宮に入れと言われ、入ってみれば『紅薔薇』を与えられ、陛下からは冷遇され、なのに側室同士の争いに容赦なく巻き込まれる。しかも肝心の陛下は、状況も見ずに身分の低い側室に夢中と来たもんだ。普通ならキレるか投げ出すかしそうなモンなのに、彼女は状況を全て理解して、『表』の思惑も呑み込んで、その上で後宮内のバランスを絶妙に保ってる。はっきり言ってディアナ嬢がいなければ、近いうちに後宮内は荒れて、『表』の政治も狂い出しただろう」
「面倒だとは思ってるぞ、ディアナも。ただ、ああいう立場に立たされた以上は投げ出せないんだろう。自分が下手を打てば、どこまで余波が及ぶか分からない。そんな状況でキレるほど、あいつの神経はヤワじゃない」
「全く、得難い人材だな。普通に正妃向きなんだが」
「馬鹿かお前。可愛い妹を、あんな坊ちゃんにやるわけないだろ」
エドワードは清々しく言い切った。一応ディアナはジュークの側室であり、お嫁に行ったに等しい状態なのだが、そんな認識はエドワードにはない。
「大体、いくらディアナが優秀で、後宮を切り盛りできてるって言ってもなぁ……限度があるぞ。陛下が自重できてないのに、シェイラ嬢のことをいつまでも隠せるわけないだろ」
「まぁ……そこは俺も傍にいるし、何とかするさ。ひとまず舞踏会までは大丈夫だろう」
「……状況が動くとしたら、やはり夜会でか」
社交シーズンの幕開けは、王の名前で催される王宮の舞踏会だ。国中の貴族階級にある者が残らず招待される、ビックイベントである。
今年は特に華やかだ。何と言っても、後宮幕開けの初年である。側室が皆着飾って、王宮を彩るのだろう。
「陛下のパートナーは、後宮内で最も身分の高い側室が務めることになった。要は『紅薔薇様』だな」
「ディアナか……。また、苦労する役割を」
「けど陛下は、何とかしてシェイラ嬢と近付こうと必死だ。夜会で何かが動き出す可能性は、極めて高い」
「……自重させろよ」
「善処するが、期待はしないでくれ」
アルフォードの言葉を正しく解釈すれば、『無理』だ。エドワードは頭を抑えた。
「……ひとまず、妹に報告する」
「そうしてくれ。情けないが、ディアナ嬢だけが頼りなんでな」
「ホントに情けないな。あんまりウチを働かせるなよ」
息を深く吐き出したエドワードに頭を下げて、アルフォードはカウンターの奥に向かい、エドワードの好きな酒を注文するのだった。