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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その15~隠密会談~

お祭り中の村の人々は親切で、馬二頭を初めとした遠駆けの準備はあっという間に整った。

露店を廻りながら簡単に夕食を食べた後は、宿探し。この村唯一の宿に奇跡的に空き室があり、カイは迷わずその部屋を取った。「私一人だけが休むの?」と不満そうなディアナを要領よく宥めてベッドへ放り込むと、彼女はそのまま間を置くことなく眠り込んだので、やはり相当疲れていたのだろう。


ベッドとサイドボード、洗面台が置いてあるだけのシンプルな部屋に、窓の外から月明かりが注ぐ。月光に反射してきらきら光る金の髪を、ベッドに腰掛けたカイはそっと櫛削った。艶やかな手触りはまるで絹のようで、いつまでも触れていたくなる。


「――それ以上進んだら、問答無用で斬りかかるぞ」

「……あのさぁ。窓の外から、いきなり睨み付けるのやめない? 分かっててもビビるから」


カイは振り返ると、窓の鍵を外して人一人分通れる程度に窓を開け、そのまま外へと飛び出した。窓枠を使って器用に身体を捻らせ、外にいた人物の真横に着地する。


「さすがシリウスさんだね。もう見つかったか」

「ディアナ様があの森に入られたとしたら、最も近いのはこの村だからな。何人かには森も探させていたが……お前が一番早かった」

「誉め言葉と受け取っとくよ」


いつも通りの軽い口調ながら、カイの眼差しからは、これまで纏っていた己を見せない警戒と眩惑の気配が消えていた。紫紺の瞳には強い決意が煌めき、目指すべき未来を見据えて歩む、鋼の意思が感じられる。――彼の中で何かが変わったことは、シリウスにはすぐに分かった。


「ディアナ様が世話になったな」

「お礼とかいいよ。俺がやりたくてやったことだし」

「それでも、助けられたことには変わりない。――さすがは『仔獅子』と言うべきか」


静かに響いた己の呼び名に、カイはただ、大人びた笑みを浮かべた。


「気付いてたんだ、やっぱり?」

「クレスター家と関わることなく、『裏』で生きる者など限られるからな。最初に気付いたのはデュアリス様だったが」

「ご当主が?」


目を見開いて驚きを示す彼に、シリウスは柔らかな笑みを返した。


「黒獅子殿と関わりがあったのは、私よりもデュアリス様なのだ。父上から聞いていないか?」

「全然。黒獅子……父さんは、昔のこと、あんまり話したがらないから」

「では、詳しいことを知っている訳ではないのだな」

「まぁね。父さんが関わらないって決めてるし、じゃあ俺も避けるか、くらいの感覚だったよ。俺にとってクレスター家はさ」


予想外の連続で、がっつり嵌まり込んだけどね、とカイは苦笑し、斜め下へと視線を下ろした。屋根の向こうにいる彼女へと、彼は温かな眼差しを注ぐ。


「クレスター家の末姫様が、あんな子だって知ってたら、後宮になんか行かなかったのになぁ」

「今更言っても仕方あるまい。刺客にすら温情をかけるお人好しぶりは、確かにクレスター家の中でも指折りだ。我々とて、ディアナ様の思考は読み切れん」

標的(ターゲット)としては、やりにくいことこの上なかったよ。協定結んだら結んだで、あり得ないくらい至れり尽くせりだし。……『裏』の人たちが、世代を越えてクレスター家を慕う理由が、嫌でも理解できたな」


仕事の対象に個人的感情を抱くなど、『裏』の者としては未熟の代名詞のような失態だ。相手がどんな人間だろうと、依頼された仕事を完璧に成し遂げる。それで初めて、一人前の稼業者として認められるのだ。

――しかし。いつの時代も、クレスター家はその鉄則を無意識に、軽々と、撃ち破ってきた。


「……殺したくない、って思ったんだよね」

「ん?」

「初めて、声が聞こえるほど近くで、ディアナを見て。殺したくない、って思って、そう思った自分に驚いた」

「あぁ……、あるな、そういうこと」


その眼差しの先にいる彼女を思い、シリウスも自然と、穏やかな心地になる。彼女の心に触れて、それでもなお害意を抱ける者は、なかなかに筋金入りの悪党だろう。


「もともと、クレスター家のご令嬢に危害を加えるつもりなんてなかったけど。それだけじゃなくて、今あそこにいるあの子を傷付けたくない、なんてさ。……ま、そんなこと言ったら仕事にならないから、そんな感情はすぐにきっぱり閉じ込めたけど」

「無意味な努力をしたものだな」

「ほんとにね。傍にいればいるだけ、閉じ込めても育つのに」


だが、シリウスにも分かる。この少年は玄人(プロ)だ。だからこそ芽生えた感情の危険性を理解して、完全に封じ込め、忘れ去った。……それがあまりに完璧過ぎたから、封印の向こう側で想いが育っていることに、ずっと、気付くことができなかったのだと。


「気に病むことはない。天性の人たらしで敵を味方に引き込むなど、クレスター家にとっては日常茶飯事だ。特に我々のような稼業をしていると、自然に相手の器を図る目も肥えてくるからな。ディアナ様に堕ちたとしても、それはお前が未熟だからというわけじゃない」

「シリウスさんにそう言ってもらえると、ちょっとは気が楽になるよ」

「私のことを、知っていたのか?」

「そりゃあ、話にはしょっちゅう聞くよ。『黒翼(こくよく)のシリウス』――『黒獅子のソラ』と並んで、『裏』の双璧と語られる有名人だもん」

「私の職務上、有名になるのはあまり好ましくないのだがな」


久しぶりに聞く己の通り名に苦笑し、シリウスは隣に佇む少年を見つめた。


「……何?」

「いや、少し疑問に思ってな」

「疑問って?」

「何故、雇い主よりディアナ様を選んだ? 例えば二重隠密のままでも、ディアナ様の力にはなれただろう」


見た目よりも老成している少年は、ゆっくりと首を横に振った。


「ディアナに危害を加えようとしている誰かがいるって分かってるのに、この状況で二重隠密であり続ける方が、俺にとっては無茶だよ」

「ディアナ様は『紅薔薇』として、王家の馬車で旅をする。危険は少ない、そう分かっていても?」

「王家の馬車の中にいることが、イコール『安全』とは限らない。第一、ディアナを狙っていたのは後宮近衛の誰かだ。俺が刺客なら、何とかして随行員に潜り込んで、道中のどこかで『仕事』する。――そう、思ったからね」


実際、とカイは瞳に、物騒な光を昇らせた。


「ディアナ、もうちょっとで殺されるところだったよ」

「……何?」

「マナ・コルトだったかな、名前。調べてみたら良いと思う」


森の中での一連の騒動を、彼はテンポ良くシリウスに語って聞かせた。ディアナが休んでいる場所にやって来たコルト騎士が、毒の短剣でディアナを刺そうとしたこと、それをカイが食い止めたところに、これまた見計らったように現れた刺客たち。


「隠れてた奴らは、牽制に投げた針が上手いこと刺さったみたいで、それ以上は襲って来なかったけど。奴らの頭は、そこそこの腕だったね」

「馬鹿な……! 森の中で、本気を出して逃げたディアナ様を、あんな短時間で見つけ出しただと? 我々でも不可能だ!」

「あ、やっぱりディアナって、妙に森と相性良いよね? 俺も、すぐ近くにいたはずなのに見失って、心臓が冷えたよ」

「幼い頃から、クレスター地帯の森を遊び場に、育った方だからな。森との付き合い方は、一族の中でも抜きん出ている。そんなディアナ様を、よりによって敵が……」


よほど鋭い感覚を持つ者でも、森に潜んだディアナを探し出すのは容易ではないのだ。まさか、村にたどり着くまでに一戦あったなど。……なまじディアナを知っていることが、油断に繋がったか。


「済まなかった、迷惑をかけたな」

「だーから、別にいいってば。俺がやりたくてやったことなんだから。……肝心なところでは、役に立たなかったしさ」


『闇』の伝令役が、人知れず行列を追いかけていたように、カイもまた、誰にも気付かれないよう、行列を見守っていた。森での戦闘は、その双方が目を離した、僅かの隙に行われたのだ。


「森を半分進んだところで、俺は森の先に危険がないか見に行った。それを見計らったように、あいつらは馬車を襲ったんだ」

「……出来すぎているな」

「言い訳する気はないけど、俺もそう思う。逃げたディアナを見つけたことといい、『敵』を舐めてかかるとえらい目を見るよ」

「そうらしい。……デュアリス様にお伝えし、本腰を入れて闘う必要がありそうだ」

「これは俺のカンだけど、ランドローズの親父さんは、敵の一味ではあるけど親玉じゃないよ。そこまでの器には見えなかった」

「お前を雇っていたのは、ランドローズ侯爵だったな?」

「俺は知らなかったけど、一緒に説明を聞いた人がそう言ってたね」


もちろん侯爵は椅子にふんぞり返っていただけで、実際にカイたちと言葉を交わしたのは部下らしき男だった。が、顔は隠していなかったので、ある程度貴族社会に詳しい者なら彼の顔は分かる。

雇い主をあっさりばらし、自然体でそこに立つ隠密の少年に、シリウスはようやく、本題を切り出した。


「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」

「これから、って?」

「『牡丹の間』に戻るつもりはないのだろう?」

「そりゃね。さすがに戻ったらヤバいだろうし。……なるべく王宮に近いところで次の仕事探しつつ、王宮と後宮を探る、くらいじゃない? 今決まってる予定って」

「ディアナ様に雇われる、という選択肢もあるぞ?」

「あぁ、それはないよ」


軽やかに、きっぱりと、言い切られた。まるで躊躇いない返事に、ややイラッとする。


「ディアナ様は、雇い主として不服か?」

「そうじゃないよ。理由はいくつかあるけど……ディアナに雇われたら、ディアナの命令を聞かなきゃならないじゃん?」

「それがどうした?」

「自分のことに無頓着なディアナの命令を聞いてたら、いざってときに不便かなぁって思ってさ。命張って守らなきゃって場面でも、平気で『逃げろ』とか命令して来そうなんだもん、あの子」


あまりに的を射た指摘に、シリウスは返す言葉を失った。


「今、ディアナを守ってる人って、みんなディアナの命令を無視できない立場でしょ? けど、ああいう子の傍には一人くらい、言うこと聞かない奴がいた方が良いと思う。……じゃないと絶対、際限なく無茶するから」

「しかし……それでは、いざというときに統制が取れん」

「それは分かる。だから俺、ディアナの言うことは基本的に聞かないけど、何かするときはちゃんと、『闇』の人たちにお伺いを立てるよ。……それでバランス取れないかな?」


この少年は、シリウスの想像を遥かに越えて、様々なことに考えを巡らせている。――そしておそらく、ディアナと同程度には頑固だ。


「まったく……黒獅子殿は、とんでもない男を育ててくれたな」

「……それ、誉め言葉?」

「半々だ」


一度言い出したことを決して曲げない意思の強さも、――護りたい何かをどこまでも大切にする優しさも。本当に、父親とそっくりだ。

……そして、この期に及んでもまだ、『クレスター家』に助けを求めようとしない律儀さも。


「お前の行動を決めるのは、お前の意志だ。故に我々が口を出すべき問題ではない。――もちろん、目的を同じくする者として、連携してくれたら助かるが」

「うん、りょーかい」

「……それから、」


……この親子は分かっていない。遠い昔から、呆れるほどのお節介を発揮し、(こぼ)れた命を拾いながら、歴史の波を渡ってきた一族。――それが、クレスター家だということを。


「黒獅子殿だが、今、迎えが行っている」

「…………、は?」


ここに来て初めて、カイの表情が、年相応の幼さを宿した。予想していなかった言葉に、完全に虚を突かれたようだ。


「珍しい病だが、薬さえあれば快復の見込みも大きいとか。馴染みの港に連絡を飛ばし、既に薬草の入手経路も確保した」

「へ、いやいや、ちょ、」

「お前が頼んだ医者は良い腕だが、如何せん道具が足りていないらしいな。治療と療養に必要な道具一式を揃えた施設を用意したから、冬の間そこで過ごせば、春には元気になるだろう」

「だからちょっと待ってって!」


カイは泡を食った風にシリウスに向き直り、瞳に焦りを映して一歩近づいた。


「何でそんな話になってるの!?」

「お前が仕事の内容に頓着せず高報酬に飛び付いたのは、黒獅子殿のためだろう?」

「だからって、何でクレスター家が! 俺たちはアンタたちには関わらないってスタンスで、ずっとやって来たのに」

「黒獅子殿はそう決めていたようだが、デュアリス様は納得していらっしゃらなかったからな。困っていると聞けば、手を差し伸べたくなるのは当然だ」

「俺の稼ぎで何とかできるって、」

「『牡丹の間』からの収入がなくなったのにか? それもディアナ様を助けるためにだ。そんな話を聞いたが最後、デュアリス様は誰が何と言おうと、黒獅子殿が元気になるまで面倒を見られるだろうな」

「それとこれとは別だろ!?」


声を潜めて叫ぶという器用な技を披露したカイに、シリウスはうんうん頷いた。


「そうだ。どちらもお前の事情で、クレスター家は関係ない」

「だったら、」

「――甘いぞ、カイ」


月明かりの下で、クレスター家『闇』の首領は、実にいい笑顔を浮かべた。


「そんな我々の常識が、『クレスター家』に通じるとでも思ったのか?」

「な……んだよ、それ」

「諦めろ。――『クレスター家と関わる』というのは、こういうことだ」


抜群に勘の良い彼は、その瞬間、全てを悟った。カネ目当てに『クレスター家と関わる』仕事を選んだことが、そもそも全ての間違いだったと。


「うあぁ、これは怒られる……」

「こちらでもフォローはしよう。始まりはともかく、結果としてお前は、ディアナ様にとって必要不可欠な存在となったのだから」

「……どうだろうね」


あまりの衝撃に屋根の上に座り込んだ彼は、静かにその先で眠る彼女を想う。


「俺にとってディアナは、喪えない存在だけど。ディアナは多分、俺のことをそこまで深くは思ってないよ」

「分からないだろう、そんなこと」

「……ていうか、そうじゃない方が、今のディアナにとっては良いと思う」


そう言った彼の瞳には、ただ、相手を想う心だけがあった。ただひたむきに、ただ深く、大切なものを慈しむ想いだけが。


「……何故、そう思う?」

「ディアナは、『紅薔薇様』だよ。王様の側室の中で、一番偉い人。――仮に誰かを好きになったら、きっとディアナは悩む」

「側室でありながら、国王陛下以外の男に恋をしたと?」

「そうじゃなくて。後宮から出られないのに、ていうか恋なんてしてる場合じゃないのに、何やってるの私! って。ディアナ、自分の感情整理するの下手だし、うっかりするとまた、許容範囲越え(キャパオーバー)して真っ白になるよ」

「それは……」


本当にカイは、ディアナのことをよく見ている。師匠であるシリウスをして文句のつけようのない、完璧な想定だ。


「ディアナは俺のこと、それなりには信頼してくれてるし。それだけで、俺は満足。……今は、ね」

「……それでもし、ディアナ様がお前以外の誰かを好きになったらどうするんだ?」

「ディアナが幸せになれる相手なら、もちろん助けて見守るよ。――一番近くでディアナを守る、俺の立ち位置は譲らないけどね」


……それは客観的に考えて、『見守る』とは言わない。


一度決めたことを貫く覚悟と、己の道を突き進む意思と、誰かを想う温かさと――ほんの少しの図々しさを併せ持つ、『獅子』の名を受け継ぐ少年。

彼がディアナの傍らにいることで変わるものを思い、シリウスはゆっくり微笑んだ。



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