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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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油断は大敵

ユーリから夜の外出の許可をもらった(もぎ取ったとも言う)ディアナは、昼間は馬車の中で大人しく『紅薔薇様』を演じ、宿に着いたら即行で着替えて町を見て回るという、端から見たらオマエいつ寝てるんだと言いたくなるような行程で、何とか慣れない『旅行』を続けていた。馬車が通る道は、これまでディアナが通ったことのないところで、必然的に毎日降りる町も初めての場所ばかり。それを喜ぶことにして、自由に動けない昼間のことは、あえて考えないようにしている。

旅は順調に進み、本日、四日目を迎えていた。先程お茶の休憩が終わり、馬車は今、森の中に切り開かれた道をかぽかぽ進んでいる。曲がりくねった道は、大層な行列が通るにはなかなか大変らしく、速度はいつもより緩やかだ。


「明日の夕方には、ミスト神殿に到着しますから。今日の夜は、早めに切り上げてくださいね」

「分かっているわ。ただでさえワガママを聞いてもらっているのだから、これ以上困らせるようなことはしません」


主の不在を、上手い具合に誤魔化し続けてくれているユーリとルリィには、感謝してもしきれない。今日降りる町で、二人に何かお土産を買って帰ろう。

こっそり決意し、ディアナが息をついた――、そのとき。

馬車が、音を立てて揺れた。


馬車とは揺れるものだ。馬が引き、動いているのだから、当たり前の理屈である。

が、今ディアナが乗っているのは、王家が用意した最高品質の馬車。馬も、馭者も、もちろん車体も、最上級のものを使っている。乗っている人間が極力不快を覚えないように、揺れは常に、最小限に抑えられているのだ。現に、この旅の間、ディアナはしばしば、自分が馬車の中にいることを忘れるほどだった。

その馬車が、今。乗り手の身体が傾ぐほど、大きく揺れた。それだけではない。中の侍女たちが事情を問うより先に、繋がれた馬がやや動揺する気配がして……馬車が、完全に停止する。


「何事ですか?」


ユーリがすかさず車窓を少し開けて、並走してくれている後宮近衛騎士に問い掛けた。


「よく分かりませんが、行列自体が止まっているようです」

「それでは、前の方で、何か問題が?」

「おそらくは……あ、伝令が参りました」


足音が駆けてくる。転がるように近付いてくるそれは、ディアナでも分かるほど狼狽しきっていた。不吉な予感が、頭の隅から広がってくる。


「紅薔薇様に申し上げます!」


馬車の前で止まった彼は、取り次ぎも待たなかった。


「先程、先頭を走る国王陛下の馬車が襲撃を受けました。現在、交戦中です!」


周囲の空気ががらりと変わる。今聞いたことが信じられない、自分の耳を疑う驚愕と――。

大変なことが起こっている、その現実への緊張が、一瞬にして最大にまで膨れ上がった。


「――王宮近衛の皆様は、すぐに助力へ向かってください」


非常事態に、 ディアナの頭は『紅薔薇』仕様へと切り替わる。馬車の中から発した言葉に、馬車の周りはざわりと揺れた。


「しかし紅薔薇様、それではこちらの守りが手薄に……」

「こちらには後宮近衛騎士がいてくれます。今優先するべきは、国王陛下のお命でしょう。――直ちに向かいなさい」

「――はっ!」


何頭もの馬が走り去る。後宮近衛の者たちが馬から降り、ディアナの馬車を守る配置に移動したのが、音だけで伝わってきた。


「そんな、降臨祭の神事に赴く列が襲撃を受けるなど……」

「それは言っても仕方ないわ。現実に起こってしまったのなら、それをどうやって乗り切るかを考えるべきよ」


衝撃を隠せない王宮侍女二人を宥めつつ、ディアナはリタと、視線を交わした。


――何か、嫌な予感がする。首の後ろがチリチリするような、全身の毛が粟立つような、この途方もなく嫌な感じは。


「――ッ!」


リタが鋭い眼差しを外へ向けたのと、外で悲鳴が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。


「何者です!」

「この馬車は王家のもの、そうと知った上での狼藉ですか!」


叫ぶ後宮近衛に合わせるかのように、複数の足音が、じりじりと近付いてくるのが分かる。その音だけでディアナは悟った。


(不味い。こいつら……慣れてる)


専門に訓練を受けたかどうかは不明だが、おそらくこういった場面、戦闘にも慣れた者たちだ。後宮近衛は、剣術の修行を積んだ女性たちではあるが、実践経験は乏しい。総合的に見れば、こちらが不利だ。

ちらりとリタに視線をやると、彼女は目だけで頷き返してきた。ちらと笑い、ユーリを見る。


「ユーリさん、ディアナ様をお願いします」

「――リタ!?」


ユーリが止める暇もなかった。リタは、言うが早いか馬車の扉を開け、外へと――まさに今、戦闘が始まろうとしている外へと、その身を踊らせたからだ。


「ディアナ様、リタは!?」

「大丈夫だから、落ち着いて」


リタが飛び出したことが、きっかけとして、戦闘開始の合図となったらしい。剣と剣がぶつかり合う金属質な音、地面を蹴る足音が聞こえたかと思うと、たちまち馬車の周りは、闘いの音で埋め尽くされる。


「ディ、ディアナ様……」

「大丈夫よルリィ。こんな闘い、長くは続かない。すぐに終わるわ」

「ディアナ様、こちらへ。私とルリィでお守りします故」


自分たちの間に座り直すようユーリが示してくるが、ディアナは緩く首を横に振る。


「わたくしはこのままで良いわ。それより、あなたたちこそ、あまり窓には近寄らないようにして」


突然響いた後宮近衛の悲鳴から考えて、相手方に最低一人は、弓使いがいるはずだ。今窓は閉まっているとはいえ、念には念を入れた方が良い。

外の様子を直接窺い見ることは控えたが、リタが出た以上、そう時間はかからず決着すると、ディアナは考えていた。リタは、表向きは普通の侍女だが、シリウスから直接の戦闘指南を受けた、闘いの玄人でもある。彼女が苦戦する相手が、外にいるとは考えづらかった。


……しかし。


(おかしい。リタの位置が、さっきから動いていない)


全部は無理でも、リタが戦っている気配くらいは、ディアナは探ることができる。馬車から降りて、そのまま敵を一掃すると思われたリタは、戦闘が始まってからずっと、同じところで戦っているようだ。……それは、つまり。


(リタと同じ程度、もしくはリタが苦戦するくらいの使い手が、いるということ……!?)


――だとしたら、これは。極めつけに、ありがたくない事態である。


外の気配に脅えながらも、ユーリとルリィの二人は気丈に背筋を伸ばして座り、その場から動かない。こういう場合は非戦闘員が余計なことをするのが最も戦局を悪化させると、彼女たちは本能で察しているのだ。

そして――いざというときは、自分たちが盾となって主を、自分を守ると決意していることも、その瞳の色から、容易に感じられた。


(リタ……!)


二人に気付かれないよう、ディアナは僅かに身体をずらし、小さな窓からリタが戦っている方を見ようと試みる。幸いリタの姿はすぐそこにあったが、戦況は、ディアナが考えているより、遥かに厳しいものだった。


リタは使い慣れた武器を両手に、一人の男と対峙していた。男の武器は長剣であるため、間合い的にはリタが不利だ。彼女は相手の間合いに飛び込む戦闘に慣れているが、男の動きはリタに踏み込ませる隙を与えず、逆に踏み込んでくる。

もちろんリタとて負けてはいない。相手が攻撃に転ずる隙をついて、何度も斬り込んでいる。しかし、男はどうやら身体の下に何かしらの防具を着込んでいるらしく、リタの攻撃は致命傷を与えるまでは至っていない。

そして、リタは今、そういう相手を瞬殺できるだけの道具に恵まれていなかった。彼女が持っているのは両刃の暗器、どんな場面にも応用が利くものではあるが、戦闘に特化している訳でもない。本気で相手を殺害したいとき、『闇』はこれと毒を併用する。この暗器だけで化け物じみた闘いが出来るものなど、ごく少数に限られている。


結果――二人は五分五分の、余裕のない闘いをしていた。そしてリタがその男に抑えられていることで、後宮近衛たちも闘い慣れした賊たちに圧され、戦況はじりじりと、敗北に向かっていたのである。


(いけない……っ)


このままでは、誰かが命を落とす、最悪の事態に陥りかねない。先程悲鳴を上げた後宮近衛の安否も気掛かりだ。

ディアナの内心に焦燥が渦巻いた――、


その、瞬間。


「リタッッ!!」


考えるより先に、身体は動いていた。馬車を飛び降り、ほとんど勘で、持っていた暗器を投擲する。ディアナの背筋を凍らせた光は、森の中からリタの胸を真っ直ぐに狙って宙を飛び、リタに刺さる直前で、ディアナが投げた暗器とぶつかり地面に落ちた。白銀に光る、切っ先の鋭いそれは――紛れもなく人の命を奪うために作られた、弓矢。

あのままリタに刺さっていたら、命も危なかったかもしれない。


殺伐とした戦闘の場には相応しくない、美しいドレスを纏った貴族の娘。突如目の前に現れたその存在に、その場の全員が一瞬虚をつかれ――。


(――ッ!)


襲ってきた者たちの、紛れもない殺気が、一斉にディアナの方を向いたことを、肌で感じた。


(この人たちの狙いは、私だ)


理屈も、理由も、分からない。ただ、彼らが馬車を襲った原因が自分であること、自分を殺すためならどんな犠牲もいとわないことを、殺意を向けられたディアナは瞬時に感じ取った。

――同時に、この場にいる、大切な人たちを守る方法も。


ディアナが馬車を降りてから、ここまで、時間にすれば僅か二秒ほどの間に過ぎない。たったそれだけの時間でも、彼女が決意するには充分だった。

ふらりと、前に身体を倒す。馬車のすぐ近くで闘っていた敵が、勝利を確信して剣を振り上げる。


「よせ!」

「紅薔薇様!」

「――いけません、ディアナ様!!」


敵味方の悲鳴が入り交じる中、ディアナは密かに隠し持っていた武器第二弾で敵の手首を切りつけ、叫び声を上げた男と入れ代わるようにして、囲みを突破した。そのまま後ろを振り返ることなく、先程矢が飛んできたのとは反対側の森へ飛び込んで、森の奥へと走り出す。

彼らの狙いは、ディアナだ。ならば、標的があの場から居なくなれば、彼らが馬車を襲う理由はなくなる。現に背後からは、獲物に逃げられた男たちの不機嫌なうなり声が、後を追ってくる荒々しい靴音が、風に乗って聞こえてくる。


森の奥へと、ディアナは逃げた。できるだけ落ち葉が多く、足跡が残りにくいところを選んで走り、わざと方向を変えながら、彼女は走った。

普通の令嬢であれば、こんな真似は不可能だ。彼女たちは、自分の足で外を歩くことすらほとんどない。森の中に自ら飛び込むなど、緩慢な自殺と変わりない。

しかし、ディアナにとって森は、どんなに堅牢な城よりも、安心できる場所だった。生まれたときからクレスター地帯の森林に囲まれて過ごしてきた彼女は、森は付き合いかたを間違えさえしなければ、必ず自分を守ってくれると熟知していたからだ。

単純な足の早さだけで比べれば、女のディアナは男の追跡者たちに敵わない。にもかかわらず、ディアナが森を進むほどに追跡者たちの気配は遠ざかり、一時間も走った頃には、完全に撒くことに成功していた。


(一応、何とか、なった……?)


ここまでドレスのまま、慣れない靴で、走り回ったのだ。さすがのディアナも疲弊していた。

ドレスを脱いで、コルセットも脱いで、身軽になりたい衝動が頭をもたげたが、如何せん代わりに着る服がない。いくらもうすぐ夜になるとはいえ、こんな目立つドレスで逃亡を続けるなど危険極まりないが、今は他に選択肢がなさそうである。


そして――、それ以上に、彼女には、大きな問題が迫っていた。


「さてと……。ミスト湖はどっちかしら?」


儀式は明後日なのに、完璧に行列からは離れてしまった。こうなった以上、何とかして明日の夜までに、自力でミスト神殿に辿り着くしか、主日の礼拝を無事に終える方法はない。

ない、のだが――。


「地図、持ってくれば良かった……」


目的地までの道が、まるで分からない。

ディアナは正しく、迷子だった。



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