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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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旅の行程


ディアナとリタが驚いたことに、『紅薔薇様の旅支度』には、ほとんど時間がかからなかった。有能な侍女たちが密かに、ディアナに気付かれないよう、コツコツ準備を進めていたからだ。


「かんっぜんに嵌められたわね……」

「ちょっと人間不信に陥りそうなレベルですね……」


どうやら、ディアナが王に随行してミスト神殿へ行くことは、ディアナとリタ以外の全員が承知していたらしい。国王陛下をあまり快く思っていない侍女たちがどうして、と思ったが、よくよく聞いてみると、往復の馬車は王と紅薔薇で完全に別、両者の間には荷物や旅道具を積んだ馬車が何台も挟まり、夜の寝室も当然別となれば、王の存在は取り敢えず無いものとして、快適な旅を楽しんで頂けるのでは、という結論に達したのだという。


『後宮に入られてから、ディアナ様はずっと、息つく暇もなく動き回っていらっしゃいましたから。少し遠出して、気分転換してくださればと思いまして』


とは、ルリィの台詞だ。善意と気遣いに溢れた言葉に、ディアナは表情筋がひきつらないよう注意しながら、『ありがとう』と微笑むことしかできなかった。

彼女たちの考えは間違っていない。ごくごく一般的な貴族令嬢なら、見知らぬ土地へ遠出することなどそうそうないし、たまの旅行は素晴らしい娯楽になる。幼い頃に家族で出掛けた湖の美しさが忘れられない、と大真面目に話す娘だっているのだ。侍女たちにしてみれば、これまでずっと忙しかったディアナを、しばし王宮の喧騒から解放できる、またとない機会だと思ったのだろう。

問題は――馬車に揺られてのんびり旅行、という行為が、ディアナにとって、まるで気分転換にならない、という点にある。


「王都からミストの神殿までなら、馬を飛ばせば二日で行けるじゃない、街道だって整備されてるんだし。馬車なんかでちんたら進むより、遠駆けの方がよっぽど楽しいのに」

「遠駆けには少し寒い季節ですけれど」

「防寒しっかりしていれば、暑いくらいよ。この時期問題なのは風の冷たさだけでしょ? 雪に足を取られる心配もないんだから、馬車でだって五日もかからないわ」


断っておくが、ディアナは、遠出そのものは大好きである。クレスター家は伯爵位、領地もそれなりの数を持っているため、デュアリスはオフシーズンのほとんどを領地の視察に費やしており、社交デビューするまでは、ディアナも頻繁に同行していたのだ。

見知らぬ土地へ行くことは楽しいし、自分の知らないその土地の文化や風習に触れるのはわくわくする。……が、それはあくまでも、自分で自由に出歩けることが前提。お上品に馬車に揺られて、車窓から外を眺めるだけなんて、ディアナにとっては『旅』とはいえない。


「降臨祭の十日間は、我慢大会になりそうね……」

「まぁ……そこはホラ、隙を見て抜け出して、あちこち見て回ればよろしいのでは? そこまで厳しい警護もないでしょうから」

「それしかないわね。……クリスお義姉様が着いてきてくださるなら、警備を出し抜くのに苦労はしないのだけれど」


今回、クリスは後宮居残りだ。彼女たち後宮近衛は、あくまでも『後宮の安全を守る』ことが任務であるため、『紅薔薇』単品にそう多くの人員を割くわけにはいかないのである。一応数名は着いてきてくれるらしいが、クリスはその中に入っていない。


「唯一の救いは、ユーリとルリィが同行してくれることよね。二人なら、アリバイ工作とかにも協力してくれるだろうし」

「お二人は逆に申し訳ないと仰っていましたけれど。普通、『紅薔薇様』が王宮の外へ出るのに、侍女がたったの三名しか付かないなんてあり得ないって」

「それは二人のせいじゃないでしょ? 後宮の人手不足が原因だし、別にわたくしは『正妃』という訳じゃないもの。むしろ、単なる一側室に過ぎないのに、こんな役目与えられるなんて……偉い人が考えることは、さっぱり分からないわ」

「形だけとはいえ『紅薔薇』が後宮にいる以上、彼女がこなすべき役割を無視できないという理屈そのものは分かりますけどね」

「だからいい加減、その『正妃』イコール『紅薔薇』って構図を改めてもらいたいわ。少なくとも、今の後宮では」


ディアナは、深く深く、息を吐き出した。


「マグノム夫人って、意外と策士だったわね……。あの人、わたくしが嫌がるって分かっていたから、わざと説明するのをギリギリにしたのよ」

「前もって話したりしたら、ディアナ様が逃げかねないとでも思われたのでしょう。当たってますけど」

「逃げはしないわよ? その役目を他の方に回せないか、頑張ってみるだけで」


広義では、それも逃げると言う。彼女の思考回路を読み切っている辺り、流石はフィオネの知り合いだ。


「考えてみれば、他人の足を引っ張ることに全力を注いでいるような方々が集まる王宮で、有能とまで語られていた人だものね。真面目なだけの人であるはずがなかったのよ」

「準備だけはしっかり進められるよう、ユーリさんたちを言い含めた手際も鮮やかでした。……おかげでこっちは人間不信ですけど」


口を尖らせるリタ。ディアナは、諦めて笑った。


「こうなったらもうしょうがないわ。覚悟を決めましょう」

「それしかなさそうですね」

「リタ、あなたも旅の準備があるでしょう? 今日はもういいから、下がって用意しなさいな」

「ありがとうございます。お言葉に甘えますね」


頷いたリタを見送って、ディアナは何気なく、窓の外を眺めた。


「ミスト神殿……か」


話に聞いたことがあるだけで、行ったことはない場所である。あの辺りは王領なので、お忍びでも行きづらかったのだ。

どんな場所か、軽く予習だけでもしとこうかと壁際の本棚から地図を抜き出したそのとき、背後に人の気配を感じた。


「こんな時間からお勉強?」

「カイ、あなたね……。いつからいたの?」

「ついさっきだよ。この時間にディアナが一人なんて珍しいね、リタさんは?」


どうやら本当に、今日は来たばかりのようだ。この自由人は、下手をするとこちらの話を残らず聞いているから、油断がならない。


「リタはもう下がったわ。旅行の準備があるから」

「旅行? リタさん、どこか出掛けるの?」


カイの顔をまじまじと見つめた。この人が後宮の事情を理解していないなど、珍しいこともあるものだ。


「……何?」

「ううん、ただ意外だっただけ。……そっか、カイが知らないってことは、リリアーヌ様も知らないってことで」

「だから、何の話?」

「私、明後日からしばらく、後宮を留守にするのよ」


カイが目を丸くして絶句する姿など、滅多に拝めるものではない。よほど想定外だったらしい。


「……え、何それ、俺聞いてないんだけど」

「私も、今日の午後に初めて知ったの」

「なんでディアナが?」


問われるままに、ミスト神殿で行われる王家の儀式に、『正妃代理』として参加することになった経緯を話す。話を聞くにつれ、カイはどこか、不機嫌な表情になっていった。


「ふぅん……。降臨祭の主日の『礼拝』ねぇ。この国って毎年、そんなことしてたんだ?」

「え、カイだって主日には神殿行くでしょ?」

「行ったことないよ。だって俺、アルメニア教の信者じゃないし。信じてもいない神様に祈ったところで意味ないし、祈られた方も迷惑でしょ」

「あー、なるほど、そういう考え方……。でも、降臨祭のことは知ってるわよね?」

「そりゃあね。この国に住んでて、年末の騒ぎを知らずに過ごすことはできないもん。祭り自体は好きだよ、あれ楽しい」


現金と言えば現金だ。ディアナはくすりと笑う。


「そうよね。ウチも特に、神様を信じてるわけじゃないけど。主日の礼拝は、なんていうのかなぁ……信者としてより、この国に住む一人の国民として、参加している感じかもしれないわ」

「確かに。宗教行事というより、年末行事って感じだもんね。それは分かるけど……それとディアナがミストまで行くのとは、別問題じゃない?」


話がもとに戻ってきた。苦笑しつつ、首を横に振る。


「私だって、積極的に行きたいわけじゃないけれど。一応今『紅薔薇』である以上、拒否できる話でもないわ」

「ディアナが嫌なら、なんとかするよ?」


恐ろしいことをさらっと言ってくれる御仁だ。どういう手法で『なんとかする』のか、聞いてみるのも何だか怖い。


「嫌ってほどでもないから。ミスト神殿自体は行くの初めてだし、それはむしろ楽しみ」

「あ、だから地図?」

「そうそう」


手に持った地図を眺め、ディアナは少し眉根を下げた。


「馬車に揺られて移動、っていうのが慣れないだけでね。ウチは遠出するときは、基本的に馬だから」

「え、遠駆けするってこと?」

「その方が場所取らないし、移動も早いでしょ? 行きたいところにすぐ行けるから便利なのよ」

「つくづくお嬢様の台詞じゃないねぇ……」


それは一応、自覚している。


「普通のお嬢様ならむしろ、王家が用意する最高級の馬車で優雅に移動できるって、憧れでしょうね。もうちょっと時間があれば、リリアーヌ様に譲れたかもだけど」

「それは、色んな意味で不味いでしょ」


カイがやや真面目な顔になって忠告してくる。


「こんなことがあのお嬢ちゃんに知られたら、またぎゃあぎゃあ荒れるだろうね。ただでさえ最近、侍女と女官の数が減ってご機嫌ナナメだし。だから、新しい女官長さんも、ギリギリまで黙ってたんじゃない?」

「リリアーヌ様にだけじゃないわ。側室全員に黙っていたんだと思う。私含めて」


事前に知っていたのは、マグノム夫人と、『紅薔薇の間』の侍女と女官、その他数名のみだろう。


「私が出発してから、お話しするつもりなのかもね」

「それならもう、どうしようもないもんね。……策士だなぁ、あの人」


先程の自分と全く同じ感想に、ディアナの唇が綻ぶ。気付いたカイが視線で尋ねてきたが、「何でもない」とごまかした。


「まぁ、後宮のことお願いしたいし、ライア様たちには明日お話しするけれど」

「十日は結構長いもんねー。前の女官長さんが痛い目見たばっかりだし、悪いこと考える度胸は今のとこ、お嬢ちゃんにはなさそうだけど」

「降臨祭の間は後宮もいつもより賑やかになるみたいだから、リリアーヌ様の気もそちらに取られて下さるればありがたいけれど」

「ま、単純だからね、あの人」


一応の雇い主に、その言い草はなかなか酷い。


「そこまで言う?」

「だって単純だよ。毎日の報告さえやっとけば、俺がどこで何してるか、まるでノータッチだもん」


……ならば、カイが旅先まで着いてくることはないわけだ。二重隠密先である自分がいなければ、カイの無茶も、少しはマシになるだろうか。


「あんまり油断しないようにね。あの方だって、貴族なんだから。お腹の中で何を考えているか、分かったものじゃないわよ」

「分かってるって。全く心配性だなぁ、ディアナは」

「カイが無茶するからでしょ? 小言言う私がいないからって、危険な場所にまで乗り込むようなマネしないでよ」


二人が話す側で、夜は静かに更けていった。




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