修羅場
宝物庫は、『紅薔薇の間』から近い。正妃が暮らす部屋と宝物置き場が近いのは、まぁ当たり前のことではあるが、ディアナは宝飾品に全く興味がないので、場所を教えられたときは「へぇ、意外に近いのね」くらいの感想しか持たなかった。――こうなってみると、実に便利である。
「これも、こちらも、模造品です!」
「何てことだ…」
「国宝保管室の鍵は!?」
「今、後宮近衛の団長が探しに行っています!」
部屋から出て少し歩き、物陰に隠れてちらりと様子を窺うだけで、宝物庫周辺が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していることが分かる。陛下とアルフォードの姿は見当たらないから、宝物庫の奥の方にいるのだろう。
(売る方も売る方だけど、買う方も買う方よ。いずれバレてこうなることくらい、分かりそうなものなのに)
しかし誤算だった。キースが女官長を連れていったので、宝物庫の調査はあらかた終わったものだとばかり思っていたが、肝心要の国宝保管室がまだのようだ。意図せずして、一番の修羅場を傍観する羽目になりそうである。
『なーにしてるの、ディアナ?』
「あ」
反射的に上を見たが、もちろん姿はない。あきれ声を隠そうともしない彼に、ディアナはやや膨れてみせる。
「ご挨拶ね。あなたに会いに来たのよ」
『俺に?』
「ちょっと話したいことがあってね」
『ふぅん…? ちょっと待って』
言われて頷くと、本当に『ちょっと』で、正面の壁――扉ではない――がぱかりと開いた。
こんな非常識を白昼堂々とやらかす人間に呆れられる筋合いはない、と思いつつ、壁の中に抵抗なく入るのだから、結局はディアナも同類だ。足音を殺して通路を進むと、曲がり角で探し人が待っていた。
「どれだけの隠し通路を熟知してるの?」
「それ、『闇』の人たち従えてるクレスター家の人にだけは言われたくないよ?」
明るいときに隠し通路に入ってみると、通気口やモザイク模様の隙間から外の光が漏れ入ってきて、神秘的な雰囲気さえ感じられる。お互いの顔もよく見えた。
「話先にしようか? それとも、そろそろクリスさん戻ってくるけど、国宝調査とやらを見物してみる?」
「……正しくは、修羅場見学、よ」
「――ふぅん?」
楽しそうなのに物騒な声で、カイは笑った。
「修羅場になるのは決定なんだ?」
「十中八九決まりかしら。……言っておくけれど、私たちのせいじゃないわよ?」
「女官長さんの自業自得ってことは知ってるよ。そっか、なら、大人しく先に修羅場を見学しよっか」
カイは意外と泥沼好きなのだろうか。首を傾げつつも、ディアナはカイに案内されるまま、隠し通路を進んだ。
「ここ、二重構造になってるんだよね。隠し階段上がった先に、かーなり古い隠し部屋があるんだ」
「隠し通路の中に、更に隠し階段……?」
「この城建てた人って、よっぽどヒマだったか変だったんだろうね。おかげで俺は助かっちゃってるけど」
隠密にとっては、まさに天国だろう。せせこましい天井裏に隠れなくても、のびのび活動できる。
言われるままに階段を上がり、用途不明の隠し部屋に入った。中は埃だらけ、内装もかなり前時代的だ。ディアナは目をしぱしぱさせた。
「これ……百年じゃ利かない年期が入ってるわよ。この手の美術品が流行ったのって、確か二百五十年くらい前じゃなかったかしら」
「わぁすごい。古そうだなー、とは思ってたけど、ホントに古いね」
「それで、この部屋がどうかしたの?」
「うん。この下、国宝保管室ってやつ」
倒れなかった自分が不思議だと、ディアナは真剣に思った。
「こ、国宝保管室? この下が?」
「だから思うわけ。この城造った人、相当な変人だったんじゃないかってさ」
「泥棒さん大歓喜のお部屋だものね…」
「逆に騎士さんたちは涙目だけどね」
守らせる気がゼロとはこのことである。
ディアナは痛む頭を指先で押さえた。
「ここのことは、絶対に秘密にしなきゃ。女官長にばれたら、嬉々として全部泥棒さんの仕業にするわよ」
「まぁ現実的に、この部屋に辿り着くには結構な技量使わなきゃだから、普通の泥棒には無理だろうけど」
「そんな常識外の『現実』知らないわよ」
常識って何だったっけ、と、しばし遠い目をしたくなるディアナだったが、床下の人々は、そんな現実逃避すら、させてくれなかった。
『――開きました、陛下』
『うむ。ご苦労、グレイシー団長』
「……随分はっきり声が聞こえるのね?」
「たまにこういう部屋があるんだよ。造りが特殊らしくて、下とか横の声が響くようになってる。ついでに、この部屋での会話は、よっぽど大声出さない限り下には聞こえない」
「ますます変人説が強まるわね…」
立ったままも疲れるので、ディアナとカイはソファーに積もった埃をぱたぱた払い、適当に腰掛けた。その間も、床下の会話は続く。
『まさか、あれほど多くの品が、偽物だったとは…』
『後宮設置前はこんな風ではなかったと、外宮室の者たちが証言しています。この春頃から、宝飾品の換金を行っていたのでしょう』
『国の財を、何だと思っているんだ……!』
『陛下。お怒りはごもっともですが、今は国宝を確かめねば』
カイが短く口笛を吹く。
「役者だねぇ、アルフォードさん」
「全体的に器用なのよね。こういうところ見ると、お兄様のお友だちなのねー、って思うわ」
先程から話しているのは、王とアルフォードだけだ。後宮に置いてある国宝は、正妃のティアラとネックレス、ブレスレットの三点のみ。故に国宝保管室自体、そう広い部屋ではないのだろう。
かちゃりと鍵の回る音、かこんと箱が開く音がする。こんな小さな音までしっかり聞こえてしまうと、妙な罪悪感を感じてしまうから不思議だ。
「これは、盗み聞きしてました、って言えないわね…」
「そもそもどこで聞いてた、って話になるよ?」
「それもそうか」
割り切るしかなさそうである。
『うむ……、国宝は、さすがに揃っているようだな』
『ブレスレット、ネックレスと、……こちらが、宝冠ですか?』
『あぁ。この国の正妃だけが身につけることができる、由緒正しい宝物だ。……どうかしたのか?』
『……いえ、』
『どうしたのだアルフォード。何か気になることでもあるのか?』
顔を見なくとも、声だけで、アルフォードが我が目を疑っていることは分かった。――演技ではなく、だ。
『この、ティアラは……精巧に作られてはおりますが、代々この国に受け継がれてきた国宝とは、別のものです』
『な……、なんだと!?』
ざわりと真下がざわめいた。
『それは間違いないのか、アルフォード! 私の目から見ても、これは本物のように見えるぞ?』
『確証もなくこのようなことを申し上げることはできません。確かに、信じられないほどよくできています。これだけの模造品を作るには、並大抵でない金銭と労力を要したはずですが…』
『だから、なぜ偽物だと分かるのだ!』
『……ティアラを彩る、守護石には。それぞれ細かい傷がついているのです。優れた技師がその傷すらも輝きに変わるよう細工したので、一般には、その傷のことは知られていませんが』
音しか聞こえない隠し部屋からでも、王が無言でティアラを凝視したのが分かった。カイが意外そうな声を上げる。
「アルフォードさん、変なことに詳しいね?」
「アル様のご実家は、歴史研究の大家だからね。この手の知識を語らせたら、王国内で右に出る者はいないわ」
「本気でびっくりしているみたいに聞こえるなぁ。本当、演技上手な人だね」
「いえ、これは演技じゃないと思うわよ。女官長が国宝にまで手を出しているってことは、アル様にお話していないから」
「……そうなの?」
「敵を騙すには、まず味方からって言うし。実を言うと、私も、女官長が国宝に手を出したことは知ってるけど、詳しいことはまだ知らないの」
頬に手を添え、ディアナはふぅ、とため息をついた。
「それにしても、宝冠を盗むなんてね。陛下が即位なさって、すぐにはお妃様をお選びにならないようだという話になって、欲を出したのかもしれないけれど。正妃不在なんて状況がいつまでも続くわけないし、いざ戴冠式となったとき、どうごまかすつもりだったのかしら。大人しく手前の装飾品だけで満足しておけば良かったのに」
「手前のにだって手を出しちゃダメでしょ。ていうか、ティアラの偽物は気合い入れて作ったってことは、一応隠し通すつもりだったんじゃないの?」
「――さぁ、それはどうかしらね?」
ソファーにゆったり腰掛け、何かを思い出したように口端を上げ、しかし蒼の瞳は正反対に厳しい色になったディアナを見て、カイは大体の事情を察したらしかった。首を竦めて座り直す。
『まさか……まさか、正妃に与えられるべきティアラまで、このようなことに!』
『いかがなさいますか、陛下。これは……ことを内々に納めるには、あまりにも』
『もとより内で済ませるつもりはない。――女官長はどこだ?』
『ハイゼット補佐官に身柄を確保した後見張るよう、頼んであります』
『補佐官より、伝言を預かっております。女官長の執務室にて、待機させているとのことですが』
『よし、行くぞ』
「あら、お義姉様、ずっと控えていらしたのね」
「こうやって声だけ聞くと普通の人みたいだよね、クリスさん」
「擬態が得意技だから、お義姉様。その気になれば、淑やかな令嬢にだってなれるお方なのよ」
「クレスター家と仲良い人はみんな変わってる、って結論でいい?」
アルフォードが聞いたら盛大に異議を唱えそうなカイの台詞に笑って頷きながら、ディアナは下の気配を探る。数人分の足音がばたばた響き、国宝保管室は少し前の静けさを取り戻した。
「……予想したほどの修羅場でもなかったわね」
「どの程度の修羅場を想定してたワケ。これでも結構な修羅場だったと思うけど」
「陛下が暴れて手を付けられなくなるとか、ティアラを偽物だと見抜いたアル様を陛下が信じず泥沼になるとか、女官長が乗り込んできて言い訳大会開催とか?」
「……ちょっとは王様側のことも信用してあげなよ」
「別に信用していないわけじゃないわ。ただ、最悪の事態を念頭に置く癖がついているだけ」
「厳しいねぇ」
くすくす笑ったカイが立ち上がる。
「修羅場見学も終わったことだし、話を聞こうか?」
紫紺の瞳が煌めく。『修羅場見学』よりもディアナの話をカイが重要視していることは、その目が十二分に物語っていた。




