予想外の訪問
襲い来る荒波を大騒ぎしながら何とか乗り越え、ようやく園遊会は終わった。たった二時ほどの時間のためにこれほど苦労したことも、その二時間がこんなに長く感じられたことも、ディアナにとっては初めての体験である。
本当は中庭の後片付けまで手伝いたかったのだが、『紅薔薇様』をこれ以上働かせてはならない、という奇妙な連帯感が女官たちの間に生まれたらしく、『後は我々がやっておきますので』の一言で、ディアナは部屋に強制送還された。待ち構えていた侍女陣に問答無用で着替えさせられ、化粧を落とされ、寝台に放り込まれて――。
「――畏れながら。ここをお通しするわけには参りません」
なにやら言い争う気配に、目が覚めた。
外は既に薄暗い。横になって一瞬目を閉じただけのつもりだったのだが、どうやらしっかり眠っていたらしい。
言い争う声は、寝室の外の廊下から聞こえてくる。主に話しているのは、リタのようだ。控えめながら、ユーリの声もする。
「どうか、お引き取りくださいませ。『紅薔薇様』はお休みなのですから」
「それは分かる。だが、どうしても今、話したいのだ」
「『紅薔薇様』をこれだけ酷使した上、束の間の休息まで、妨げられるおつもりですか?」
リタの声は、それはそれは冷ややかに怒っていた。
「主はここ何日も、寝る間も惜しんで園遊会の準備に当たっていたのです。私は王宮侍女ではなく、あくまでディアナ様にお仕えする身。故に今は、国王陛下のご命令であっても、引き下がるつもりはありません。今の主に必要なものはただ一つ、休息です」
半分夢の中にいたディアナは、その一言で覚醒した。まさか、今リタは、扉の向こうで国王本人と対峙しているのか。
「――誰か。誰かいないの?」
真面目に焦りながら、ディアナは声を張り上げていた。何があったかは知らないが、リタが本気で怒っている。こうなったらもう、リタは相手が誰だろうが止まらない。国王陛下? 何それ食べ物だっけ? 状態だ。
幸いにしてディアナの声は扉向こうに届いたらしく、言い争う声はひとまず収まった。プライベートルームに繋がる扉が開き、ルリィが駆け足に近い早足で入って来る。
「ディアナ様」
「何があったの?」
「陛下がお越しです」
「みたいね。それでどうして、リタがあそこまで怒っているの」
「ディアナ様はお休みですと、ユーリさんが告げられたのですが……どうしても今話す必要があると寝室の方の扉までいらっしゃいまして。寝室に控えていたリタが応対に出たんです」
「そう、大体分かったわ」
話をしながら、ディアナは手早く室内着に袖を通した。ルリィが驚く。
「お会いするおつもりですか?」
「当たり前でしょう。メインルームにお通しして。ユーリは陛下のご案内、貴女たちはお茶をお出しして。リタには身仕度を手伝ってもらうから、すぐに呼んでちょうだい」
「分かりました」
ルリィは沈黙している廊下側の扉を少し開けて、一言二言告げた。彼女はそのまま出ていき、入れ替わりにリタが入って来る。
「リタ、髪をお願い」
「……ディアナ様」
リタの表情は渋い。何を言いたいかは分かっているから、笑って首を横に振った。
「――ありがとう。ごめんね、心配をかけて。もう大丈夫だから」
それだけで、リタはディアナの、心境の変化を感じ取ったらしい。渋々ながらヘアブラシを手に取り、苦笑をこぼした。
「――全く。お傍にいて、これほど歯痒い想いをしたのは初めてです」
「家にいるときと同じようにしていてはいけなかったわね。ここには、お母様もお兄様もいらっしゃらないのだから」
「えぇ。ディアナ様の無茶を諌めてくださる方がいないことが、こんなに大変だとは思いませんでした」
話しながら髪をささっと整えてくれたリタが、僅かに目を吊り上げる。
「私はもう、二度とごめんですからね。死にそうな顔色をしたディアナ様を、見守ることしかできないなんて日々は」
「悪かったってば。これからは気を付ける」
今回、リタにはかなりの心配をかけてしまった自覚があるだけに、ディアナは素直に謝った。そんな彼女を見て、リタはようやく笑う。
「心配でしたが、今のディアナ様なら、どんなことになっても平気そうですね」
「えぇ。……さ、行きましょうか」
のんびりしてはいられない。待たせてはならない『客』が、待っているのだ。
「――お待たせ致しました、陛下」
「お……おぉ。来たか」
メインルームへ行ってみると、国王陛下は侍女たちの冷たい視線に晒されながら、肩身狭くソファーにおさまっていた。立場上言えなかっただけで、どうやらディアナに休んでもらいたかったのは満場一致の意見だったらしい。
あからさまな『空気読めよ』の空気に、ディアナは逆に気の毒になった。
「――皆、下がりなさい」
「『紅薔薇様』?」
「心配をかけたのは悪かったわ。陛下がお帰りになったら、きちんと休むから。……貴女たちは王宮侍女でしょう、どなたの意志を最も重んじるべきか、わたくしが言うまでもなく分かっているはずよ」
「お言葉ですが『紅薔薇様』、例え王宮に雇われた身であろうとも、『紅薔薇の間』に仕えることになった以上、我々の主は貴女様です。貴女様のため、全力を尽くすことが、我々の職務なのです」
ユーリの目が据わっている。国王陛下がディアナにあまり好意的でないことを薄々感じ取っている彼女たちは、本気でディアナを彼から守ろうとしてくれているのだ。
その気持ちを何より尊く思い、ディアナは自然と微笑んでいた。
「――ありがとう。わたくしは、世界一の幸せ者だわ」
「『紅薔薇様』、」
「わたくしは、大丈夫です。……だから、ほんの少しの間だけ、陛下と二人にして」
暗に、リタとアルフォードにも、下がるよう促す。リタはすぐさま察して頷き、ユーリの方を向いた。
「行きましょう、ユーリさん」
「リタ!」
「大丈夫ですよ。何かあれば、ディアナ様は呼んでくださいますから」
先程まで一番怒っていたリタが落ち着いていることで、侍女たちは、何かを悟ったらしい。静かに一礼し、控えの間へと消えていった。
アルフォードもそれに続くかと思われたが――意外なことに彼は動かず、王の後ろに控えている。
「スウォン、団長様?」
「私のことはお気になさらず、『紅薔薇様』。どうぞお話ください」
「ですが…」
「陛下に頼まれたのです、傍にいてくれと」
「アルフォード!」
可哀想な王様の制止にも、彼は止まらなかった。
「何です、陛下。『紅薔薇様』を前に上手く話せる自信がない、だから私に傍にいてほしい、そう仰いましたよね?」
「確かに言った、だがそれは、俺たちだけの秘密だろう!」
「お言葉が崩れていますよ」
「最初に崩したのはどっちだ!」
「――じゃあ俺も崩すけどな。お前、目的忘れてないか? 何しにここまで来たんだ。侍女たちに冷たくされたのが予想外だったとか言うなよ。これまでお前が『紅薔薇様』に何をして来たか考えれば、茶を出されただけありがたいと思うべきだろ」
完全に素になって王に説教し出したアルフォードに、むしろ焦ったのはディアナだ。彼女の知るアルフォードは、こんなに堂々と不敬を働く人物ではない。
「スウォン団長。陛下に何を、」
「あぁ、大丈夫ですよ。陛下は私を罰したりなさいません。『紅薔薇様』が今の会話を聞き流してくださるなら、の話ですが」
「そ、そうだアルフォード。『紅薔薇』の前だぞ!」
「黙ってろジューク」
一連の流れを冷静に観察したディアナは、どうやら二人の関係が、単なる『王と側近』から一段階進んだものになったらしいと判断した。お互いに納得した上でこうなったなら、第三者が口を出すことでもない。
「わたくしは何も聞いていないことに致しますが……皆が流せるとは限りませんよ? 陛下、くれぐれもご注意なさってください」
「……今のはアルフォードのせいだ」
「その意見には、同意しますけれど」
アルフォードとて、誰の前でも素になるわけではない。貴族の皮を被っていない彼をディアナが知っていて、なおかつこの場で行われたことが決して外には漏れないと確信しているからこその行動だ。少し勘の良い者なら、アルフォードがディアナを信頼しているからこその行為だと見抜けただろうが……今のジュークには、そこまで分からないだろう。
苦笑を噛み殺しながら、ディアナはジュークの真向かいに腰掛けた。
「陛下、侍女たちの無礼をお許しください。皆はただ、わたくしを案じてくれているだけなのです」
「あぁ…。そう、らしいな」
「半分以上、八つ当たりですわ。睡眠時間を削る羽目になったのはわたくしの要領が悪かったからで、陛下のせいではありませんもの」
「いや、だが、そもそも私がそなたに園遊会の采配を任せたから、こうなったのだ。侍女たちの怒りも無理はない」
「寛大なお心に感謝致します」
頭を下げたところで、会話が途切れた。そわそわする王を、後ろから騎士団長がジト目で睨む。
「……ジューク」
「分かっている! 分かっているから、そう急かすな」
「俺に何を言わせる気だ? 急かすとか、そういう問題じゃないだろ」
「謝罪も、感謝も、結構ですよ?」
このままでは埒が明かない。首を傾げて割り込んでみると、男二人がぎょっとした。
「そういうお話ではありませんでした?」
「……いやあの、」
「ジューク」
「そっ、そういう話だ! 悪かった、紅薔薇!」
叫ぶジュークに、頼れる側近アルフォードは実に冷たかった。
「馬鹿だろお前。謝る相手に促してもらわないと謝れないとか、五歳児以下か」
「言い過ぎですよ団長。陛下は幼い頃から、将来の王として育てられたお方です。謝ることなど、そもそもなかったのでしょうから」
「そうやって甘やかすから、ジュークが増長したのですよ。相手に悪いことをしたら謝る、人としての基本です」
「それはそのとおりなのですが……叱られて渋々謝られるくらいなら、ふてぶてしく居直られた方がまだマシでは?」
「その理屈は残念ながら、悪いことをした子どものためにならないんです」
「……俺は子どもか」
「そう言われたくなかったら、さっさと謝っとけって話だ」
なかなかに厳しい保護者だ。ディアナは軽く笑った。
「陛下。団長のお言葉は乱暴ですが、正論でもありますよ?」
「……分かっている」
「もう一つ申し上げますと、わたくしの言葉も本心です」
泳いでいたジュークの目が、ディアナにたどり着いた。
「スウォン団長は陛下のために、わたくしに謝罪するよう勧められたのでしょうけれど、わたくしは求めておりません。上辺だけの謝罪を頂いても意味がございませんので」
「な……、そんなことはない!」
「本心からの謝罪ですか? ならば尚更、受け取れません」
ディアナはゆっくり、微笑みを浮かべた。
「反省し、改めねばならないと思うところがあるからこその『謝罪』なのでしょう? であるならば、そのお心は行動にして示さねば、誰にも分かってもらえませんよ。謝れば済むという問題ではないはずです」
「……それは、確かにそうだ。だが、ならばなおのこと、俺はそなたに謝らねばならぬ」
予想外の切り返しに目をぱちくりさせていると、王はゆっくりと――頭を下げた。
「悪かった。上手くいかないことばかりで、情けない自分に腹が立って、そなたに八つ当たりをした。そなたは『紅薔薇』として、最善を尽くしてくれていたのに」
「わたくしの力など微々たるものです。侍女や女官たち、その他大勢の方々の尽力があって、今日の会は成ったのですから。わたくしに謝罪は、本当に必要ないのですよ」
「そうはいかぬ。先程そなたは言ったではないか、反省は態度に示さねば伝わらぬと」
「それは、確かに申し上げましたが」
「『謝る』ことも、行動の一つだろう。俺の至らぬ点は多い、その一つが素直に謝れないことであるなら、改めねばならないのではないか?」
見つめてくる瞳は、子どものように純真だった。余計なものに染まっていない、ただただ育とうとする者の目だ。
さんざん荒れて、迷走して。どうやら一周ぐるりと回り、彼は何かを見つけたらしい。
「そうお考えになった上での謝罪なのでしたら、謹んでお受け致します。――ですが、」
「分かっている。これで解決したわけではない。……学ばねばならないことは、まだまだ多いからな」
そう言い置いて、彼は立ち上がった。
「――私は、これで帰る。休んでいるところを邪魔して悪かったな」
「勿体無いお言葉にございます。わざわざお越し頂き、ありがとうございました」
同じく立ち上がり、頭を下げて、ディアナは去っていく王と団長を見送った。扉が閉まって少し経って、侍女たちが待ち兼ねたように入ってくる。
「ディアナ様、大丈夫ですか」
「……大丈夫じゃないかも」
「は?」
――今のは本当に、現実だったのか。一体園遊会の間に、国王陛下に何があった。
「これ、夢じゃないわよね? 寝て起きたら全部消えて無くなるとか嫌よ」
割と切実に呟いたディアナが寝台に再び放り込まれたのは、お約束であり妥当な判断だった。
2013年8月4日、誤字訂正致しました。
ご指摘くださった読者さま、ありがとうございました!




