お茶会、inお茶会
――やっと、気持ちの整理がついた。
夏に後宮入りし、何も分からないまま王宮の勢力争いの只中に立たされてから、思えば今日までずっと、目をそらし続けていた。
自分の中の、一番奥にある、想い――『大切なものを守りたい』と願う、その心から。
見ないふりをしていたのは、怖かったからだ。『願い』を直視して、叶えようと必死になって、その全てを砕かれてしまうことが怖かった。ひとは、強く願えば願うほど、臆病になる生きものだから。
『紅薔薇』になったから、派閥ができたから、噂が立ったから、貴族だから、命令を受けたから――だから、仕方ない。
そう自分に言い聞かせることで、不安や恐怖を受け流し、走り続けてきた。『守りたいから此処に在る』のではなく、『此処に在るから守る』のだと、そう考えることで折り合いをつけて。
――けれど、大切なひとが増えるほど、誤魔化し続けることが難しくなったのだ。
シェイラを傷つけてしまったことは、ディアナの中にある、『守りたい』欲求を浮き彫りにさせた。守りたいから、大切にしたいからこそ、そうはできない現実を前に苦悩する。
不安を遮り、見ないふりをして得る力より、戸惑いの方が大きくなってしまった今となってはもう、自分を誤魔化し続けることはできない。
きっと、この辺りが限界だったのだ。母に縋り、叔母に慰められて、ようやくディアナは、素直に自分の心を受け入れることができた。
「――さぁ、これで元通りになったわよ」
泣くだけ泣いて落ち着いたディアナの化粧直しをしていたフィオネが、満足そうに頷いて立ち上がった。ちなみに化粧道具は、ディアナが気づいたときには当たり前のように沸いていたので、フィオネにとってこの展開は予想されていたものだったらしい。
「ありがとうございます、叔母様」
「どういたしまして。……まだ目が少し赤いわね。お義姉様、時間はまだありますかしら?」
「えぇ、大丈夫だと思うわよ。もう少しここでのんびりしてから戻りましょう」
のほほんと木陰にシートを敷いてお茶を淹れていたエリザベスが、にっこり手招きした。まるで自分の家の庭にいるかのようなくつろぎ様である。シートとお茶セット一式がどこから出てきたのかと、突っ込んではいけない。
「ですけど、庭は大丈夫でしょうか?」
「何かあったらエドが教えてくれるわ。貴女はとにかく、少し休みなさい」
いつも優しい微笑を浮かべているエリザベスの目が、今は厳しい。
「ディアナ。これからは、手紙には報告だけでなく、愚痴や不満も吐き出しなさい。こんなときに甘えないで、いつ甘えるの」
「……わたくし、家には十分甘えているつもりでしたが」
「まだまだ足りないわ。念のため言っておくけれど、調査を頼むとか警護を頼むとか、そんなことは甘えている範疇に入らないからね」
さすがは母。ディアナの思考回路など、まるっとお見通しのようだ。
フィオネがくすりと笑った。
「ディアナは昔から、人一倍自分のことには無頓着だからねぇ。でも、そのせいでこんなに追い込まれてしまっては、意味がないわよ?」
「全く。こうなると分かっていたから、デュアーの頭をかち割ってでも後宮入りを阻止したかったのに」
さらっと怖いことをため息とともに吐き出し、エリザベスはディアナに視線を戻した。
「それで、ディアナ。後宮を出るつもりはないのね?」
「――はい、お母様」
気持ちの整理がついた今、ディアナに迷いはない。しっかりと頷いた。
「わたくしは、本当の意味での『側室』になるつもりはありません。後宮からも、いつかは去るつもりですが。それは今ではないのです」
「そう。……なら、わたくしはもう、何も言わないけれど。何かあったら、いつでも言いなさい」
「ありがとうございます」
どんなときでも、例え何が起ころうと、家族だけは自分の味方でいてくれる。それがどれほど心強いことか。
母娘の短い会話を横で聞いていたフィオネも、笑って言った。
「ディアナが『紅薔薇』である間は、私も社交に出る頻度を増やすわ。少しでも拾える情報は多い方が良いでしょう」
「それは正直、とても有難いですが……お家の方はよろしいのですか?」
人前ではとても口にできない話題を、ディアナはここぞとばかりに持ち出した。
「今日お呼びしたのも、申し訳なく思っていたのですけれど。お店のこともありますし、サミュエルとネローニだっていますのに」
「私一人くらいいなくても、店は回るわ。あの二人だって、何もできない赤ん坊じゃないんだから、どうにでもなるわよ」
それに何よりジンがいるしね、とフィオネは微笑んだ。
「私のことは心配いらないわ。第一、クレスターの社交を手伝うのは、ウチにも益があることなんだから」
「……益、ですか?」
「流行の最先端を研究、ライバル店の敵情視察、商品の『本番』点検、その全部が堂々とできるのよ? 有益なことばかりじゃないの」
「まさか『ノーラン服飾商会』の女将が、貴族社会で『独身魔女』をやっているなんて、誰も思わないでしょうからね」
上流階級御用達の服飾品全般を取り扱う商店、その中でも一二を争う人気を誇る、それが『ノーラン服飾商会』だ。王都に本店を構え、王国の至るところに支店を持っている。
ディアナが生まれるより前に、フィオネは商会の跡取り息子と恋に落ち、貴族社会には一切告げずに、密かに嫁いだ。彼女の夫は現在、若くして有能と評判高い、商会の三代目総領だ。
総領の妻として店を切り盛りし、子育てに追われる傍ら、フィオネは夫の後押しもあって、旧姓を名乗り社交界に顔を出しているのである。
「結婚を隠したときは、下手に騒がれるのが面倒だからとしか考えなかったけれど。こうなってみると、意外と便利だったわね」
「そもそも、伯爵家の娘が平民に嫁ぐなんて、過去に例がないもの。許されたかどうかすら怪しいわよ」
「平民が貴族になれる世の中なんだから、その逆だってあっても良さそうなものだけど」
妖艶な悪女の外見を超活用することを躊躇わないフィオネであるが、素の彼女は細かいことにこだわらないあっさりした性格をしている。ディアナとは別の意味で、あまり貴族らしくない女性だ。町に降りたのは、却って良かったのかもしれない。
「そんな世の中間違っている、って考える人が大勢いるから、保守派なんていう集まりができたのでしょう?」
「一概にその主張を切り捨てることはできませんわよね。……現カレルド男爵のような実例を見てしまうと」
「あの男はまた、特殊な例外ではあるけれど。法的に、正式なシェイラ様の保護者であるだけ、厄介な存在ね」
美しい女傑二人の殺伐とした会話に、ディアナは苦笑した。
「あのような人物です。叩けば埃がいくらでも出てくるでしょうけれど、その累がシェイラ様に及ぶことは、避けなければなりませんから」
「そうね。小者だし、シェイラ様は今後宮にいらっしゃるのだから、焦る必要もないわ。それよりもっと急を要する人がいるもの」
「サーラ・マリスね? 今日は彼女、どうしているの?」
「裏を任せています」
正確には、裏しか任せられなかった、だ。
「彼女を引きずり下ろすには、今しかないものね」
「これ以上は待てませんから。後任者が見つかるかどうかだけが賭けでしたけれど……叔母様には何とお礼申し上げれば良いか」
「今の社交界に、女官長の職につけるだけの器量と、しがらみのない立場を併せ持った方はいないものね。私を頼って正解よ」
側室と血縁関係がなく、派閥争いから遠く、後宮勤めの経験があり、既婚で、ある程度の身分ある婦人。
探す方が無茶だと思える女官長の後任を見事見つけ出し、口説き落としてくれたのはフィオネだった。
「あの方は、ウチの『お得意様』だから。人柄は保証するわ」
「はい。叔母様のお墨付きなら、安心して来て頂けます」
「問題は、外宮がちゃんと動いてくれるかよね…」
サーラ・マリスの悪事を暴き、更迭するのは、外宮のお仕事である。
「外宮室から、アル様経由で回してもらいますから、途中で握り潰されることはありませんが」
「そんな心配はしていないわ。陛下がそれに気付くか、案じているの」
「アル様のお話では、政務には真面目な方だそうなので…」
大丈夫だと思いたい、が、ディアナの本音だ。
「ただでさえ、降臨祭前の交代で、騒がしくなりそうなのにね。上手く乗り切れるかしら」
「サーラ・マリスと繋がっている高官が邪魔に入らなければ、更迭させるのは難しくないでしょうけれど」
「邪魔してくれたら、それはそれで悪事の尻尾を掴む足掛かりになりますが」
出来れば面倒は一度で片付けてしまいたいディアナがそう言うと、大人二人は揃って首を横に振った。
「それは期待しない方が良いわ。マリス婦人に繋がる者たちを示す、具体的証拠は出なかったのでしょう?」
「『闇』が一通り漁ってくれましたが、それらしいものは何も。とはいえ、わたくしが探ったのはせいぜい、女官長の執務室くらいです。彼女の屋敷や別宅などを正式に調べれば、また何か見つかるかもしれません」
「どうかしらね。彼らは最初から、マリス婦人を切り捨てるつもりで利用していた可能性が高いわ。ここに来て、証拠を掴ませるようなへまはしないと思うの」
「ですが、女官長が捕まって証言すれば、己の身が危うくなる。焦ってボロを出すとは考えられませんか?」
「あの女が証言するかしら。自分たちのことを黙っていれば罪を軽くしてやる、とかいう取引にホイホイ乗るタイプよ」
むぅ、とディアナは黙り込んだ。
「一掃は無理ですか……。面倒ですね」
「そうね。まぁ、また機会は訪れるでしょ」
「今はとにかく、サーラ・マリスをどうにかしないとね」
彼女をこれ以上、『女官長』で居させることはできない。それは後宮のため、だけでなく、王宮全体のためにだ。
「お三方、そろそろですよ」
話が一段落ついたところで、エドワードが顔を覗かせた。どうやら、見せ物も終わりに近づいているらしい。園遊会も、そろそろ終わりだ。
「最後の仕掛けを、種明かししませんとね」
「それにしても、あんなのよく思い付いたわね?」
『仕掛け』に気付いていたらしいフィオネに聞かれ、ディアナは笑った。
「わたくしではありません。シェイラ様の発案ですよ」
中庭を囲むように植えられている木や、植木。それらにはあらかじめ、色とりどりの銀紙で飾り付けがしてあった。それは、ただの飾りではなく――。
「本日いらしてくださった皆様に、ささやかな贈り物がございます。庭の木々に飾ってあります、美しく甘いお菓子を、どうぞお持ち帰りくださいませ」
こうすれば花のない木も鮮やかになるし、後宮園遊会が人々の印象にも残る、ついでに飾り付けの後片付けが楽になって一石三鳥、とは、園遊会前に偶然会ったシェイラの言だ。銀紙の中には、今日園遊会で出した菓子類が少しずつ包まれて入っているのである。
子どものように目を輝かせて植木に手を伸ばす人々を眺めながら、終わりよければ全て良し、とディアナは、ひとまず一段落ついた安堵を噛み締めていた。
6/2 誤字訂正致しました。
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