園遊会~ある側室の場合~
主要人物が軒並み退場した園遊会。それが関係者以外にばれていないのは、招待客の注意を見世物の方へ誘導するのに成功したからだ。ライアとヨランダ、レティシアの三人は、やれやれと息をついた。
ディアナがカレルド男爵に絡まれたと女官が知らせてきたときは、三人の顔から真面目に血の気が引いた。下手をすれば、シェイラの後宮での立場が、今以上に危うくなる。どうにかして招待された貴族たちの興味関心を、この騒ぎから引き離さなければならない。
ライアはヨランダ、レティシアと協力し、予定されていた見世物の順番を急遽変更、本来ならば見世物の最後を飾るはずだった、女性近衛騎士団による剣舞を、冒頭に持って来たのである。そもそも女が剣を振るうということ自体奇異の目で見られる社会で、女性騎士を手っ取り早く認めさせるためには、彼女らの実力を実際に見せるのが一番有効。そのため園遊会開始直前に方々を調整し、彼女らの剣舞を演目の最後に用意していた。そうすれば、招待客と側室、ついでに女官たちにも、女性近衛騎士の存在を印象付けることができると踏んで。
……そう、良くも悪くも、彼女たちの存在は、大きな衝撃を人々に与え、大きな評判を呼ぶだろう。その直前にあったことが綺麗に霞む程度には。
ライアたちの目論見は当たった。『女性近衛騎士団』の存在、そしてその剣舞を見せられた人々は、物珍しさも手伝って大興奮、すっかり見世物に夢中になり、『クレスター家』の人々が誰一人庭にいないことも、カレルド男爵夫妻が近衛に引きずられていったことも、『寵姫』の姿が見当たらないことも、全く気にしていない。とりあえずは、ギリギリの瀬戸際で何とかなった。
(……心臓に悪いけど)
そもそも昼前に、ディアナから突然の連絡が舞い込んだときから、ライアたち三人はてんてこ舞いだ。後宮常駐の女性近衛騎士団ってなんだ、いきなり今日から働いてもらうって、事前の根回しなしで後宮の女が受け入れられるわけがないだろう、これはアレか、嫌がらせか何かか!? と叫んだヨランダは実に的を射ている。
直前で必死の根回しを行い、何とか側室たちに存在を受け入れてもらい、きちんと実力も伴っていることを証明するために剣舞を滑り込ませ。この調整手腕は、ちょっと褒められても良いと思う。もちろんライアだけの手柄ではなく、ヨランダ、レティシア、そして『隠れ中立派』の側室たちの、チームプレーだ。
『森を抜け、丘を越えて、乙女は進んだ。愛しい男に逢うために――』
現在舞台にいるのは、宮廷に雇われている吟遊詩人だ。恋人と離れ離れになった少女が、彼を探して旅をする物語を唄っている。ヨランダ曰く、彼の新作らしい。
人々はうっとりと、彼の甘い声に聴き入っている。ライアはといえば、唄の素晴らしさよりも何か問題が起こっていないかそちらの方が気掛かりで、出し物を楽しむどころではそもそもない。どれだけ必死に段取っても、馬鹿が一人いるだけで、全てが台なしになるのだから。
(……あ、)
何気なく周囲を見渡したライアの目に、豪華な衣装がコソコソ庭の奥へ消えていく様子が映った。……映って、しまった。
(あの馬鹿……とか言ったら、やっぱり不敬罪になるかなぁ)
衣装が向かった方向には、現在シェイラが保護されている控え室がある。あの馬鹿もとい、国王陛下が乱入したら、ややこしいことになるのは自明の理だ。
ライアは音が出ないようにため息を吐きつつ、足早に先回りした。
「――陛下」
「……っ、何だ、『睡蓮』か」
国王はあからさまに、悪いことが見つかった子どもの顔になっていた。近衛騎士団長、アルフォード・スウォンから、『動くな』と言われていたことは明白だ。このお坊ちゃま陛下をある程度操作できるという一点で、ライアはアルフォードを高く評価している。
「何だではないでしょう。陛下がお庭から離れて、いかがなさるおつもりです」
「しかし……」
「シェイラ様のことは、スウォン団長にお任せなさいませ。それとも陛下は、ご自分の側近を信頼できませんの?」
こういうド直球はあまりよろしくないということは百も承知であったが、いい加減この陛下にうんざりしていたライアは、自重するのを止めた。お父様ごめんなさい、と、一応内心で謝っておく。
もちろんシェイラのことを突かれた国王は、大変分かりやすく、狼狽した。表情を変え、一歩踏み出す。
「……シェイラのことを、知っているのか」
「知らないと思われていたことに驚きますわ。後宮で生きる者ならば、そこに広まる噂を聞かずに生活はできませんもの」
「では、誰もが知っていると?」
「知られては、困りますか?」
ずばりと切り込んでやる。国王は僅かに、沈黙した。
「……アルフォードの言ったとおりだった。私がシェイラを想っている、それを知られたら、きっとシェイラの身に危険が及ぶと」
「えぇ、当然そうなるでしょう。後宮にいる側室の多くが、陛下の寵愛を望んでいることでしょうから」
「そなたは……違うと、言っていたな」
驚いた。覚えていたのか。
「はい。私はただ、命じられて後宮へ参った、それだけにございます」
「後宮へは、入りたくなかった。それは今も変わりないのか?」
「本心を申し上げますのは不敬故、ご容赦を」
やんわりかわしつつ、実は今更不敬も何もあったものではないライアである。国王が『睡蓮』にやってきた夜、開口一番にこやかに罵ったことは、密かに関係者の間で伝説になっている。
「不敬ではない。私もあれから考えた。……望んで入ったわけではない者にとって、後宮とはどのような場所なのだろうかと」
「結論は、出ましたか?」
「いや。……ただ、もしかしたらシェイラも、後宮入りを望んだわけではないのかもしれぬということだけ」
彼の顔つきは、以前部屋へやって来たときとは比べものにならないくらい、何かを考えている者のそれだった。どうやらこの大騒動も無駄ではなかったらしいと、ライアは一縷の希望を見出だす。
「私は、シェイラのことを、何一つ知ろうとしていなかった。……いや、シェイラのことだけではないな」
「他に、何か?」
「この国のことも、……後宮という、場所のことも。教えられたままのことを信じ、現実を見ようとしていなかった」
「……ならば、これから知ることが叶いましょう」
ライアは今すぐ、ヨランダとレティシアの元へ走り、ディアナを労ってやりたくなった。
――散々苦労した。睡眠時間もろくに取れないほど東奔西走し、一筋縄ではいかない女官たちと渡り合い、理解者の少ない後宮で孤独な闘いを強いられてきたディアナ。
けれど、報われた。何一つ知らず、目を塞いでいた国王が、ようやく己が無知であることに気付いたのだ。それはこの昏迷する時代の中、揺らぐことない光となる。
「『睡蓮』……私はシェイラに、何をしてやれば良い? 何が、できる?」
「今も、できることを探していらっしゃったのですか?」
「考えたが、見つからなかった。ただ心配で、側にいることしか思いつかなかったが……。そうだな、考えてみれば、俺はシェイラに拒絶されていたのだった」
俺が行ったところでどうにもならないか、と呟く彼の声は弱々しい。その姿は、恋に悩む男の等身大だ。
ライアはほんの少しだけ、同情したくなった。
「……難しくは、あると思うのです。陛下は国王でいらっしゃる。想いのまま振る舞えず、それが結果的に、愛するお方を傷付けてしまうこともあるでしょう」
「歯痒いな。……そういう、ものか」
「ごく普通の恋でさえ、相手を想うがあまり空回り、反対に相手を苦しめることもあるのです。ましてや、陛下のお立場では。陛下ご自身のなさりたいことと、国主としての責務が、時には相反することも、珍しいことではございません」
「……愛する者を、王妃にしたいと望むことは。その娘を、苦しめることになるのだろうか」
――そう。歴代国王の中には、愛する女を守るため、敢えて手を離した者もいた。戦乱の時代、例え離れ離れになっても、生きて欲しいと願いを込めて。
それが正解であったかどうか。それは、当人たちにしか分からない。
「陛下。大切なのは、どのような決断であれ、きちんと考え、相手の想いを、自らの想いを、捨て去らずに選ぶことではないでしょうか」
「……捨てずに、選ぶ?」
「今の陛下が何をなさろうと、きっとシェイラ様は苦しまれます。……当然でしょう、陛下はシェイラ様のことを知らず、シェイラ様もまた、陛下のお心をご存知でない」
大切なことを、告げられましたか?
問い掛けると、王は沈黙した。ゆっくりと、ライアは笑む。
「互いがすれ違っている、そんな中で出した結論は、それが何であれ正解にはなり得ません。陛下がシェイラ様を知らないと、そう思われたならば、まずは知ることから始めなければならないでしょう」
「……決めるには、まだ早いと。そういうことか」
「熟考は、悪いことではございませんよ。感情のままに振る舞うより余程、君主にとっては必要なことではございませんか?」
「俺は、考え過ぎてはいけないと言われてきた。考え込むことはそのまま悪臣に、付け入る隙を与えることになるからと」
「陛下ご自身は、そのご意見についてどう思われます?」
即答せず黙ったところから見て、彼も、その意見に何かしらの違和感を覚えているのだろう。
……これだけ分かりやすいのも、問題だけど。今の陛下にこれ以上求めるのもねぇ。
何はともあれ、大きな前進であることに違いはない。ライアは姿勢を正すと一礼した。
「――そろそろ、園遊会も終わりますわ」
「……そうか。戻らなければな」
「はい。私は後ほど参ります」
顔つきを変えた陛下は、さすがにもう、悩める青年の表情は消し去っていた。見送ったライアの後ろから、ぱちぱち手を叩く音が響く。
「さすがライアねー。アメとムチ、っていうのかしら、こういうの?」
「……ヨランダ、人聞き悪い」
彼女が途中から盗み聞きしていたことには気付いていた。伊達に赤ん坊の頃から親友をやっていない。
「今日は随分と、陛下に優しかったのではない?」
「あれだけ分かりやすく落ち込んでいる人間イジメる趣味は、さすがにないし。……うっかりほだされそうにはなったけど」
「陛下、あれで意外と、臣民から愛される素質があるのかもしれないわね。どうする、ライア? あんなに優しくして、惚れられちゃったかもしれなくてよ?」
「冗談よして、ヨランダ。陛下はシェイラ様一筋。あの様子見てたら分かるでしょ」
王国は今、恋だの愛だのを穏やかに楽しめる状況にないのだが。あの国王陛下を見ていると、それすらうっかり忘れそうになる。
「……ま、何とか園遊会を開催した目的は、達成されたかしら?」
「なら良いんだけどねぇ」
したたかな側室二人は、これから先の変化が明るくあることを、心の底から祈ったのだった。




