園遊会~寵姫の場合~
側室たちの家族を招いて行われる、園遊会。最初にその話を聞いたとき、シェイラは思わず、「カレルド男爵家だけは例外にして貰えないかな」と呟いた。養父母――叔父叔母と会いたくない、というシェイラの個人的感情もあり、
――あの叔父叔母が後宮に招かれて、何もやらかさず無難に過ごすなんて奇跡があるわけない、という予感もあり。
結果、予感は当たった。――ある意味、シェイラにとって最悪の形で。
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「お養父様、お養母様。お久しぶりです」
「おぉ、シェイラ。久しいな、元気にしていたか?」
王が主催するこのような場で、最低限の常識すら弁えていない格好をしている者は目立つ。悪い意味でかなり目立つ。故にシェイラは、招待客が集まったその瞬間から、悲しいことに探す必要もなく、叔父叔母の姿を見つけてしまっていた。
そもそもこの二人には、嫌悪こそあれ親しみはない。ひたすらこき使われ、殴られ、蹴られ、最終的に売り飛ばされた。これで家族だと思えという方が無茶だ。
向こうも自分の顔など見たくないだろう、挨拶が済んだ後はどうしよう――と考えていたシェイラはだから、やたら機嫌の良い叔父の返答に、内心面食らったのである。
「……おかげさまで、つつがなく」
「それは良かった。そなたは我が家の誇り、大事な一人娘だからな。いつも美しく、健やかでなければ」
いっそ清々しく思うほど、わざとらしい『父親』の演技だ。この叔父にこんな『優しい』言葉をかけられたことは、十六年の人生全て遡っても覚えがない。
「――お養父様、お養母様も、お変わりございませんか?」
「あぁ、まぁ、変わらん。お前がいなくなって寂しくなり、多少食が細くなったくらいか」
「まぁ、あなたったら……」
わっはっは、おっほっほ、と空々しい笑いが周囲に響く。ちなみにあくまでシェイラの主観だが、叔父叔母は春に別れたときと比べ、一回りくらい大きくなったようだ。食が細くなった人間が膨らむとは、生命の神秘は奥が深い。
――と、ここまで考えたところで、シェイラはいい加減この三文芝居に付き合うのが馬鹿らしくなってきた。第一今更こんな『良い両親』演技をしたところで、一体何になるというのか。白けた目で、叔父叔母を見る。
「おぉそうだ、ところでシェイラ――」
アホ笑いをしていた叔父が、突然声を潜めた。……心なしか、嫌な予感がする。
「――陛下は、お優しくしてくださるか?」
ニヤリ。いやらしい笑いを浮かべながら放たれた一言で、シェイラは全てを理解した。足元から、冷たい何かがはい上がってくる。
(……どうして。いつ、知ったの。陛下が一時期、頻繁に私の部屋へいらしていたこと。これは後宮内でも、噂としてしか広まっていなかったはずなのに!)
――シェイラは知らなかった。王宮という場所が、貴族という人種が、どれほど『噂』に踊らされるものかということを。
陛下が足しげくシェイラの部屋へ渡っているという噂が後宮内で広まったあの日、同じように外宮にも、そして社交の場を通じて貴族たちにも、同じ内容が浸透したことを。
『陛下は、シェイラ・カレルド男爵令嬢を寵愛している』――そんな噂が一時期、社交界を埋め尽くしたことを。
――彼女は知らなかったし、予想もできなかった。
「……何の話でございましょう?」
動揺しながら、それでもシェイラは偉かった。焦りは心中に留め、静かにそう聞き返せたのだから。
「恥ずかしがらずとも良いのだぞ。知っているのだからな」
「お養父様、お話の意味が分かりませんわ」
「早く元気な子を産めよ。……立派な、男子をな」
ニヤニヤと笑いながら、叔父は下品で欲深い言葉を言い募る。彼の魂胆が読み解けてしまい、シェイラは怒りと羞恥で身体がほてるのを感じた。
――まさか、この強欲で醜悪な男は、世継ぎの祖父として出世し、権力を得ることを目論んでいるのか。若い頃から働かず、他人の財産を食い潰すことしか知らない、そんな男が身の程も知らずに。
考えただけで吐き気がする。冗談ではない。
「お養父様、何か思い違いをしていらっしゃいますわ。私は所詮、末端の側室に過ぎません。お養父様が考えていらっしゃるようなことなど、起こり得ませんのよ」
「全くお前は……そんな気弱なことでどうする。もっと強く出なさい」
「お養父様、」
「では、我輩は挨拶に回ってくる。……お前はシェイラに案内でもしてもらいなさい」
言いたいことを言うだけ言って、叔父は巨体をゆさゆさ、去っていく。追いかけようとしたシェイラであったが、
「あら、あちらのお菓子は珍しいわね?」
「あ……!」
手近なテーブルに突進した叔母に、行く手を阻まれてしまった。
叔父につくか、叔母につくか。散々迷ったシェイラは、結局叔母についていることを選んだ。叔父はあれでも生まれたときから貴族、一方の叔母は平民上がりだ。社交で問題を起こす率は、どっちもどっちではあるが叔父の方がまだ低い。
――結論としてシェイラはこのときの選択を深く後悔するのであるが、このときの彼女はもちろん、そんなこと知る由もない。テーブルに突進しては周囲に迷惑をかける叔母の後始末をしながら、彼女が決定的な失敗をしないように見張ることで精一杯になっていた。
ひやひやし、ぺこぺこ頭を下げながら、シェイラは叔母の後ろをついて回る。叔母の通った後は菓子が食べ尽くされた、寂しいテーブルが残るだけ。女官たちに「大丈夫ですから」と言わせてしまうことが情けない。
テーブルを巡ってあっちこっちしているうちに時間は過ぎ、園遊会も半ばへ差し掛かっていた。叔母の見張りだけに追われていたシェイラはそこでふと、何やら庭の空気が違ってきていることに気付く。中央の大テーブルを中心に、何やら人だかりができているようだ。
「あらー、あれは何かしら? 何か見せ物でも始まったのかしらねぇ?」
「まだその時刻ではないはずですが……お養母様!」
のんびり返答している場合ではなかった。叔母は言うが早いか、人だかりへ突撃していったのだ。叔母の姿はあっという間に人混みにまぎれ、シェイラは青くなってその後を追う。あの叔母を野放しにしたら、どんな大惨事を引き起こすか、考えるだけで恐ろしい。
必死に人を掻き分け、シェイラは何とか前へ前へと進む。叔母のことだ、『見せ物』が確実に見える最前列までは、何が何でも行っているに違いない。早いところ捕まえなければ。
焦ってもがくほど、足は前へと進まない。大テーブルが近付くにつれ、人口密度が高くなっていることもあるだろう。せめて、声が聞こえる範囲にだけでも――。
ざわり。
シェイラの尽力を嘲笑うかのように、その瞬間、嫌などよめきが駆け抜けた。まさか、と背筋が寒くなる。
「――無礼な!」
甲高い、激昂した高い声が、シェイラの耳に突き刺さる。この声には聞き覚えがあった。後宮では珍しく、真面目に日々の勤めをこなすことで有名な女官だ。
「先ほどから聞いておれば、紅薔薇様に無礼極まりないことを……それだけでは飽き足らず、侮辱するなど!」
「何……? たかが女官が、我輩を愚弄するか!」
「紅薔薇様を侮辱した貴方を、敬う道理などありません!」
女官と言い争う声には、聞き覚えがありすぎた。その場で足が震え、崩れ落ちそうになるところを、シェイラは何とか踏み止まる。
――何てこと。あの人は、よりにもよって!
申し訳なさと情けなさに、打ちひしがれている場合ではない。後宮のために尽力し、シェイラたち末端の側室すら守ってくださる『紅薔薇様』に、あの愚かな男が何をしたのかは分からないが、女官があれだけ憤慨しているということは、相当な馬鹿をやらかしたのだろう。ここは一側室として、身内として、誠心誠意謝罪しなければ。
人混みの向こうで、『紅薔薇様』と女官が何やら話し合っている声がする。叔父の処遇を検討しているのだろうか、処罰されるならされるで構わないが。
「愚かな男だ…」
「『クレスター家』の令嬢をあそこまで侮辱するとは」
「あそこにフィオネ様もいらっしゃるぞ。……カレルド男爵家も終わりだな」
方々から聞こえてくる言葉は、『紅薔薇様』が謂れなく蔑まれ、傷付き、怒っていることを知らせてくる。――シェイラは、ぐ、と足に力を込めた。
『紅薔薇様』はきっと、シェイラの顔など、もう見たくもないだろう。あれだけお世話になって、助けて頂いたのに、シェイラはただ、あの方を窮地に陥らせることしかできなかった。今だって、そんな自分の『実家』が、あの方を辱めている。
けれど――それでも。シェイラは、せめて『紅薔薇様』にだけは、誠実でありたかった。彼女の優しさに、懐の広さに助けられてばかりだからこそ、卑怯者にだけはなりたくないと。
(……向き合わせてください、貴女と)
――シェイラはもともと強いし、充分に勇気あるひとよ。
震える心と身体を叱咤し、シェイラは一気に、人混みから飛び出した。
認識したのは、佇む『紅薔薇様』と控える女官、そして彼女たちをあからさまに見下している叔父叔母の姿。
それだけでも、頭を下げるには充分だった。
「申し訳ございません、『紅薔薇様』!」
中央まで進み出て地に膝をつき、平伏した。情けなくて申し訳なくて、目を合わせることすら憚られる。
「養父が、養母が無礼を働きましたこと、誠に申し訳ございません。お怒りはごもっともにございますが、どうか――」
そこで、言葉は途切れてしまう。……自分は一体、どう繋げるつもりだったのか。
お許しください? 謝罪をお聞き届けください? ――そんなこと、言えるはずもないだろう。厚顔無恥極まりない。
何と申し上げたら良いのか。必死に頭を回転させていたシェイラの右腕に、突如鋭い痛みが走った。
「――何をしている! 立て、シェイラ!」
ものすごい力で、無理矢理立たされる。叔父の突然の愚行に、思考回路が追いつかない。
「お前は陛下の寵姫なのだぞ! そんな名前だけの側室にペコペコする必要はない!」
――今、一体、この男は何と言った?
耳奥で何度も、彼の言葉がこだまする。『そんな名前だけの側室に』――。
叔父の言葉が正しく理解できたそのとき、シェイラの身体は血の気が引き、小刻みに震えていた。恐怖によるものではない、――これまで経験したこともない激しい怒りが、彼女の心身を支配したのだ。
――何も、知らないくせに。この方が、後宮で、どれほど大変な立場にいらっしゃるのか。どれほど大勢の人間を救い、守ってくださっているのか。何一つ、知らないくせに。
『紅薔薇様』を――ディアナ様を侮辱するなど。誰が許しても、自分だけは許さない。ディアナ様のどこが、『名前だけの側室』であるものか。これほど己を殺して誰かのために尽力しているお方を、一体誰が非難できる!
生来穏やかで、本気で怒ったことがないシェイラを支配した、初めての感情。怒髪天を突くと、人間どうやら言葉も無くなるらしい。
「――仮に、シェイラ様が寵姫でいらっしゃったとして、」
無関係のシェイラがこれだけ怒りに震えるのだ 、言われた当人はもっとだろう。『紅薔薇様』――ディアナの声は、これまでシェイラが聞いたことがないほど、冷ややかに激昂していた。叔父に固定された双眸は、表情よりも雄弁に、荒れ狂う彼女の内を物語っている。
「それで貴方の、傲岸不遜な振る舞いが赦されるわけではありませんわね」
どれほど荒れていても、ディアナは冷静だった。ただ正論を述べ、叔父の所業を、感情ではなく理屈で非難する。
「側室の実家ならば何もかもが赦されるなど、愚かな勘違いはくれぐれもなさいませんように。わたくしが仮に名ばかりの側室であったとしても、後宮内で最も高位であることに違いはありませんのよ。――現『紅薔薇』を度々侮辱した罰、その身に受ける覚悟はおありなのですか?」
そう、ディアナは『紅薔薇』。正妃の冠を与えられていてもおかしくない人物だ。そんなひとを、悪意で以って貶める――投獄だけでは済まない罪になるだろう。
叔父と叔母が、揃って尻餅をついた。自分たちが何をやらかしたのかようやく理解したのか、ただ単にディアナの迫力に圧されたのか。おそらく後者だろう。
……ごめんなさい、ごめんなさいディアナ様。
『紅薔薇様』に嫌われてしまったと落ち込んでいた少し前の自分を、シェイラは罵りたくなった。嫌われて当たり前ではないか、むしろ彼女にここまで言わせてしまう自分のどこに、好かれる要素がある。情けをかけられる資格すら、自分にはない。
「『紅薔薇様』――!」
気付いたときには、足から力が抜けていた。崩れ落ち、いつの間にか流れていた涙と一緒に、馬鹿みたいに謝罪を繰り返すことしかできない。
……いっそ、牢に繋いでくれたら。ふっ、とそんな思いが浮かんだそのとき、頭上から静かな声が降ってきた。
「……王国史上初の後宮園遊会を、不名誉な歴史とするわけには参りません。幸いにしてカレルド男爵が不遜を働いたのは、陛下ではなくわたくしに対してです。――今回だけは、不問に付すことと致しましょう」
――どうして貴女は、そんなに優しいのですか。
蔑まれて、貶められて、傷付かないはずはないのだ。怒りを覚えないはずもない。連日走り回って園遊会の準備をして、招いた客から心ない言葉をぶつけられる。理不尽だと思わないわけがないのに、それでも彼女は立場を優先して、その身一つで総て飲み込む。
それは、どれほど気高くて、どれほど優しくて――、どれほど孤独な行為なのだろう。
いつの間にか、人垣は崩れていた。シェイラの側を人々が通り過ぎていく。……何か、始まるのだろうか。
「シェイラ様、こちらへ」
ぼんやりしていたシェイラに、声が落ちてくる。導かれるまま人混みをすり抜け、気付いたときには庭園すら抜けて、近くの小部屋まで案内されていた。
「ご無事ですか。どこか、お怪我は?」
ここまで連れて来てくれた人を、虚ろな瞳で見返した。艶やかな赤茶色の髪には、見覚えがある。いつも陛下の後ろに付き従っている近衛騎士団長、確か名前は――。
「スウォン、団長様……?」
「――は。お助けするのが遅くなり、申し訳ありません。今、お飲みものを」
「……何故、牢でないのですか」
「……は?」
騎士団の団長、つまりは陛下の側近が、直々に自分を連れ出した。その事実を認識した瞬間、思考能力が驚くほどに素早く戻ってくる。当代『紅薔薇』をあれほど侮辱した実家を持つ側室だ、即座に投獄するべく、団長が赴いたのではないのか。
「覚悟はできております。どうぞ牢へ、お連れくださいませ」
「……ひとまず落ち着いてください、シェイラ様。言われずともカレルド男爵夫妻には、近衛の取り調べが入ります。貴女様からも、お話をお伺い致しますので」
取り調べのために、庭園から連れ出されたのだろうか。それならば納得がいく。
勧められた椅子に座ってすぐ、お茶が運ばれてきた。
「どうぞ、シェイラ様」
「ありがとうございます。……あの、」
「分かっています、先ほどの件、ですよね」
騎士団長は、ふぅ、と苦い顔で息をついた。
「何か問題が起こらぬよう、こちらでも出来る限り、気を配ってはいたのですが。あのような事態を引き起こしてしまい、申し訳ございません」
「私に謝罪は必要ありません。むしろ『紅薔薇様』へ」
「それはもちろんですけど……、あの、シェイラ様?」
彼はやや首を傾けて、視線を投げかけてくる。
「何でしょう?」
「――公衆の面前で寵姫呼ばわりされたこと、ご迷惑ではありませんでしたか?」
「は?」
一瞬、何を尋ねられたのか、本気で分からなかった。
公衆の面前で、寵姫呼ばわり。されただろうか。……されたっけ?
「……あぁ、そういえば」
あの恥知らずな叔父が、言っていたような気もする。『お前は陛下の寵姫だ』とか、何とか。
「え、あの、シェイラ様?」
「叔父が叫んでいましたね。紅薔薇様を侮辱されて、それどころじゃありませんでしたけれど」
「そっち!?」
団長が声を裏返し、扉の方からもがたんがたん音がした。そんなに驚かれるのは心外だ。
「普通怒るでしょう? 私たちをあんなに守ってくださるお方を侮辱されたら。ディアナ様を、形だけの側室などと。後宮の平穏を守ってくださっているお方に、そのような」
「えぇと、シェイラ様。それはそのとおりなんですけどね? もしかしてそれ、側室方の共通認識ですか?」
「身分の低い家から来た側室は、皆そう思っています!」
「うわぁ……」
何故か天を仰ぐ団長。そこで嘆く意味が分からない。
「……あの、団長様?」
「――シェイラ様。無礼を承知で、いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
一瞬の間をおいて、彼――アルフォードの雰囲気ががらりと切り替わった。瞳には力強い光が灯り、伸びた背筋と声音からは、圧倒的な存在感を感じさせる。いつもジュークの傍らにひっそりと佇んでいる印象しかなかったが、さすがは国王の側近に選ばれるだけあって、優雅なだけの『騎士団長』ではなかったようだ。
――彼は何か、重要な話をしようとしている。本能的にそう感じ取ったシェイラは、自然と姿勢を正していた。
「何なりとお尋ねくださいませ」
「感謝します。……では」
少しの間を置いて、彼は切り出した。
「『紅薔薇様』についてなのですが。彼女の行動について、側室の皆様はどのように受け止められているのですか?」
「後宮にいる方全員の気持ちは、分かりませんけれど。『牡丹派』の方々は苦々しく思っているでしょうし、その『牡丹派』に苦しめられていた側室たちはありがたく感じていると思います。……私のように」
「……彼女の思惑、などは?」
何かを探るような口調に、カチンと来た。
「紅薔薇様には、紅薔薇様のお考えがあるでしょう。でも私思うのです、殿方は随分、見る目がないと」
「それは、つまり?」
「私は、『紅薔薇様』――ディアナ様は、世間で噂されているような、酷いお方ではないと思っています。もちろん、ディアナ様が後宮で派閥を作って正妃の座を狙っている、といった噂もありますけれど。そうは思えないのです」
「その、根拠は?」
彼の眼差しは、深い。少なくとも、シェイラの言葉を重く受け止めていることが分かる。
「正妃の座を狙うとなったら、邪魔な相手を蹴落とそうとするでしょう? 実際牡丹様がそうでした。ですがディアナ様は、『紅薔薇派』を纏めはしても、ご自分から何か仕掛けたりはなさっていないんです。……むしろ、私を助けてくださったり」
「『寵姫』のシェイラ様を取り込んで、勢力拡大を狙っているとは、お考えにならないのですか?」
「いいえ。そうだとしたら、助けた見返りに『紅薔薇派』に入るようにと、そういった話をしてきそうなものではありませんか? 一切そんなこと言われないどころか、私『紅薔薇派』の集まりから追い払われたんですよ」
あれはまた、状況が特殊ではあったが。ディアナが本気で勢力拡大を画策しているのなら、あの場でシェイラを取り込まなかったのはやはり不自然だ。
「ディアナ様の行動を冷静に見れば、争いより平和を望んでいらっしゃることは、分かりそうなものです。ディアナ様の噂を耳にしたことはありますが、好んで争い事を引き起こすような、そんなお方ではないと思います」
「――お話、よく分かりました」
団長がゆっくりと頷いた。その表情が柔らかく笑んでいることに気付いて、シェイラは目をぱちくりさせる。
「……団長様?」
「シェイラ様。ご自身のお考えを、お気持ちを、これからも大切になさってください。噂に惑わされず、物事の本質を見極めようとする賢明さを、どうか失われませぬように」
とても意味深な言葉だった。彼の表情も、その眼差しも、シェイラの知らない『何かを』見通しているかのような、そんな色をしている。真正面からぶつけられたそれを、シェイラはむしろ困惑気味に受け止めた。
「――そろそろ庭園も落ち着いた頃でしょうか。様子を見て参りますので、シェイラ様はどうぞごゆっくりなさってください」
にらみ合いにも似た奇妙な沈黙を、先に破ったのは団長だった。空気を和らげて立ち上がった彼は、そのままシェイラに背を向ける。
――このままでは、はぐらかされる。
シェイラは咄嗟に、椅子を蹴っていた。去ろうとする団長を、自分でも驚くほど大きな声で呼び止める。
「あの、団長様!」
「何か?」
「団長様は、何をご存じなのですか?」
質問しながら、確信していた。団長は、何かを知っている。恐らく、ディアナに関わる、何かを。
「教えてください。私は、何を見極めているのですか?」
「……それは、私の口からお話すべきことではありません」
振り返った団長は、厳しい口調とは裏腹に、ふわりと笑っていた。
「『紅薔薇様』に関することです。シェイラ様が知りたいのであれば、『紅薔薇様』に直接、お尋ねしてはいかがでしょう?」
一瞬、言葉の内容が理解できなかった。考えすらしなかった、そもそも実行不能の選択肢だからだ。
唖然となり、考えるより先に、言葉は零れ落ちていた。
「……できません」
「何故です?」
「あれほど迷惑をかけて、苦しめたのに。恥知らずにも御前に出て行くなど!」
「そんなに構えなくても。大丈夫だと思いますけどね、シェイラ様なら」
『大丈夫』の根拠を一から全て、並べて欲しいものである。
誰が何と言おうと、シェイラは二度と、ディアナの前に立つ気はなかった。陰ながら、密かに、何かしたいとは強く思うけれど。
「もしシェイラ様がディアナ様と話をしたいと思われたら、いつでも橋渡ししますから。遠慮なく、仰ってくださいね」
そんな日は永遠に来ないと言いたかったが、シェイラが何か言い返すより先に、団長は部屋から出て行った。
一人部屋に残されたシェイラは団長の言葉を反芻し、そして。
「できるわけないじゃない、あんなに嫌われてしまったのに……!」
苛立ちなのか嘆きなのか、自分でもよく分からない呟きを落としたのだった。




