お茶会
国王が眠っている側で、呑気に眠れるわけがない。
僅かな灯の下で、書き物や編み物をして夜明かししたディアナは、明け方一人で夜着から普段着のドレスに着替え、国王の目覚めを待った。
……もちろん、朝目覚めた国王ジュークは、愕然とした表情を見せてくれたのである。
「……これは、どういうことだ」
「おはようございます、陛下」
「どういうことだと聞いている! 貴様、私に何をした!」
呼び方が、『そなた』から『貴様』にランクダウンしている。親切心でやったことだが、何故か嫌われるのに一役買ったらしい。結果オーライである。
「ご心配なさらずとも、何もしておりませんわ。陛下はご自分でお休みになったのです。一晩お眠りになれば、お疲れも取れたことでしょう」
「そうやって恩を売るのが狙いか。言ったはずだぞ、何をしようが、私が貴様を愛することなどないと!」
「わたくしも、御心のままにと申し上げました。そもそも――不敬を承知で言わせて頂きますが、わたくし、陛下の寵愛など望んではおりませんもの」
「……望むは世継ぎのみ、というわけか」
どこまでも捻くれた解釈をされる。普段のディアナならさらりと流すが、如何せん徹夜明けだ。何でそこまで言われにゃならんと、カチンと来たのは致し方ない。
「よくお休みになられたようで、結構なことですわ。どうぞお戻りくださいませ」
「……何?」
「お帰りくださいと申し上げました。――わたくし、疲れておりますの。これ以上無駄な労力を使いたくないのです」
もういい加減にしてくれ、という気持ちを込めて、国王を一瞥する。間違っても一国の王に対する態度ではないが、ディアナも疲れていた。自分の言葉をまともに取り合ってすらくれない相手に振り撒く愛想など、この状況で持てるはずもない。
「……当たり前だ! 言われずとも、貴様の顔などもう見たくもない!」
怒りの罵声と共に、国王が部屋から出て行った。入れ違いに、リタと王宮の侍女たちが入って来る。どこか遠慮がちな侍女たちを置いて、リタは真っ先に駆け寄ってきた。
「ディアナ様、何かございましたか?」
「リタ……寝台のシーツを変えて」
「え……、ディアナ様、まさか!」
「大丈夫、後で話すから」
主人の命を受けて、侍女たちがようやく行動を開始する。さすが王宮侍女、テキパキとした動きには無駄がなく、あっという間に寝台はもとの美しさを取り戻した。寝台が整えられるその間に、ディアナは再び夜着に着替える。リタが申し訳程度に手伝いながら、小声で尋ねた。
「ディアナ様、寝てないんですか?」
「一睡もしていないわ。寝台は陛下にお譲りしたし、陛下がお休みのときに万一のことあればすぐ動けるよう、ソファで待機していたから」
「……そこまでお気を遣われていたとは思えないくらい、先程の陛下との仲は険悪に見えましたが」
「陛下が勝手にわたくしを嫌っているのだもの。わたくしも少し腹が立って、やり返してしまったし」
しかし後悔はしていない。下手に感情を抑えてしまうと後が大変なので、イライラしたらしたときに解消するのがクレスター流だ。嫌われることには慣れっこであるし、そもそもその程度で壊れる人間関係に執着するような女々しい思考回路では、『悪役顔』とは付き合えない。
リタは深々とため息をついた。
「そのご様子では、朝食は無理そうですね」
「今はとにかく寝たいわね。お昼前に、昼食兼の軽食を用意してもらって」
「かしこまりました。……あ、そういえば」
優秀な侍女は、僅かな隙間も見逃さず、『伝達事項』を告げた。
「本日午後より、『名付きの間』を与えられた方々によるお茶会が開かれるそうですよ」
「……さっそく来たわね。分かったわ、ドレスは任せるから、用意よろしくお願い」
「はい、お茶会の用意はお任せを。ディアナ様はとりあえず、お休みにならなければ」
「えぇ……、そうする」
侍女たちが顔を覗かせる。寝台の用意ができたのを見て、彼女は寝室へと足を踏み入れた。
「しばらく休みます。食事はお昼前に、簡単な軽食をお願いします」
「はっ……はい。かしこまりました」
「茶会のこと、リタから聞きました。リタと共に、用意をしておいてください」
「はい……っ!」
侍女たちの返事はやたら切れが良い。ここでもやっぱり怯えられているのだろうな、とディアナは半ばやさぐれながら、後宮入りして初めて、寝台へと潜り込んだ。
――自分の外見が、意図せず人に警戒を抱かせるものだということは、もう充分に分かっている。
けれど。願わくは。
外見だけではなく『ディアナ』本人を見てくれる、そんな人に出逢いたい。
……そう思ってしまうのは、そんなにもおかしなことだろうか。
§ § § § §
エルグランド王国の国王後宮には、花の名前を冠した五つの『間』がある。
一つは言うまでもなく、現在ディアナが与えられている『紅薔薇の間』。別名『正妃の間』とも呼ばれ、後宮が機能しない時代においては、『紅薔薇の間』こそが正妃の生活空間である。
その『紅薔薇の間』に続いて、『牡丹の間』『睡蓮の間』『鈴蘭の間』『菫の間』が順に並ぶ。正妃が選ばれぬ多くの時代、この『名付きの間』に家柄の優れた姫たちが集められ、正妃を目指して暗い争いを繰り広げた。
しかし、現在の後宮においての『名付きの間』は、過去の時代とは少し違った意味を持つ。何せ集められた人数が人数だ。部屋数が五つで納まるわけがない。
現国王の後宮では、『名付きの間の側室』イコール『家柄、教養トップレベルの姫君』を意味した。実際『名付きの間』を与えられた姫君たちは、そうそうたる顔触れだ。
「ようこそ、ディアナ様。お待ち致しておりました」
「こちらへどうぞ」
「まぁ、ありがとうございます」
リタとユーリを伴いやって来た茶会の部屋で、真っ先にディアナに声をかけたのは、顔見知りの侯爵家令嬢二人だった。
ライア・ストレシア侯爵令嬢と、ヨランダ・ユーストル侯爵令嬢。社交界ではディアナと並んで、『花』と謡われる突出した美貌を持つ。家格も同じ位で歳も同じらしく、この二人は昔から仲が良い。ディアナにも何かと親切にしてくれ、顔見知り程度の親交がある相手だ。
「お茶は紅茶でよろしくて? レティシア様の領地から取り寄せた逸品ですのよ」
「えぇ、もちろんありがたく頂きますわ。レティシア様……というと、そちらのお方ですか?」
「あの……はい。初めまして、ディアナ様。私、レティシア・キールと申します」
ディアナは素早く頭の中にある『貴族図鑑』をめくり、『キール家』の項目を開いた。温暖な南の地を領地に持つ、伯爵家だ。なるほど、お茶の栽培には適した気候だろう。
「キール伯爵様の領地でお茶の栽培をなさっておられたとは、恥ずかしながら存じ上げませんでしたわ。事業として興していらっしゃるの?」
「は、はい、そうなのです。特にこの茶葉は、気温の高い土地の方がよく育つようでして。我が領地特有の産出品になればと、父の代から広く手をつけるようになったのですわ」
「素晴らしいことですわね。農作物も、その土地独自のものがあって然るべきですもの。我が国はせっかく広い領土を有しているのですから、もっと各領主の方々が、自らの土地に合った作物を研究なさればよろしいのだわ」
「――あらあら。昨日後宮入りされたばかりで、さっそく正妃気取りでいらっしゃるの?」
ディアナの前にティーカップが置かれたタイミングで、真横からイヤミが飛んできた。目の前のレティシアが固まり、席についたライアとヨランダが軽く眉を潜める。ディアナは会話の対象を、真横の見知らぬ令嬢へと切り換えた。
「わたくしは思ったことを申し上げたまでですわ。何故今のお話で、『正妃気取り』となるのでしょう?」
「領地の運営は、政の一貫。女の身で賢しく口を挟むなど、正妃気取りでなければできぬことですもの」
「随分と前時代的なことをおっしゃるのですね。えぇと……」
「リリアーヌ・ランドローズと申します」
「ご丁寧に。わたくしは、ディアナ・クレスターでございます。以後、お見知り置きくださいませ」
挨拶を返しながら、再び脳内の『貴族図鑑』をめくる。かなり高位の侯爵家に、『ランドローズ』の名前はあった。歴代何度も宰相を輩出している、エルグランド王国きっての名門だ。
……なるほど、それならばこの、初対面なのに全身から発されている敵愾心の説明もつく。名門侯爵家の令嬢であるはずのリリアーヌよりも、例外的に高い家格とはいえ一伯爵家令嬢に過ぎないディアナの方が、後宮での序列が上なのだから。
お茶会のテーブルは長方形で、時計回りに『紅薔薇の間』『牡丹の間』『睡蓮の間』『鈴蘭の間』『菫の間』の側室が座るしきたりだ。ディアナの真横にリリアーヌ、反対側に回ってライア、ヨランダ、レティシアの順に座っているということは、つまり。
(リリアーヌ様が『牡丹の間』、ライア様が『睡蓮の間』でヨランダ様が『鈴蘭の間』、そして……レティシア様が『菫の間』を与えられた側室、ということになるわけね)
ディアナ以外は概ね、家格に合った部屋が与えられている。レティシアが『名付き』に加えられているのが規格外と言えなくもないが、新たな特産物を発掘し事業にまで発展させたやり手の伯爵の娘だ。家格だけではなく実績も鑑みて、『名付き』は選ばれたのだろう。
「ところでディアナ様、もう既に噂になっておりますわよ?」
話がひと段落したと判断したのだろう、ライアが面白がるような瞳をディアナへ向けてきた。軽く首を傾げて返すと、ヨランダが後を続ける。
「昨日後宮入りされたばかりなのに、もう陛下と夜を共にされたとか。ついに陛下が『理想の相手』と巡り会ったのかと、後宮では大変な騒ぎですのよ!」
「そう……なのですか」
ディアナは軽く苦笑を返した。『陛下と夜を共にした』という部分だけは事実だが、色めいたことがあったわけでもなし、実際は『運命の相手』どころか散々嫌われていることを認識しただけの一夜だ。もともとジュークという人間はディアナの好みではなく、嫌われている相手に無理してまで好かれようとも好かれたいとも思わないディアナは、『国王ジューク』イコール『寵愛を望むべき相手』という公式を、綺麗さっぱり消去していた。
故に。国王との関係でどんな噂を立てられても、ぶっちゃけどうでも良いのである。噂は間違っているので否定するべきなのだろうが、否定に使う労力すら惜しい。精神的負担になる噂ならまだしも、道端に落ちている石ころレベルでやり過ごせる噂に時間をかけるなど、無駄の極みでしかない。
「陛下はわたくしの父に気を遣われたのでしょう。仮にも『紅薔薇』を与えた相手を蔑ろにすることは、陛下の外聞にも関わりますし」
「そうでしょうか?」
「あの陛下が、そんな義理を気になさるかしら…」
「仮にそうであったとしても、一晩中部屋に留まる理由はございませんよ?」
「それは……陛下もお疲れでしたから」
「まぁ! きっとディアナ様の傍らでなら、陛下もおくつろぎになれますのね」
……否定するのも面倒なので、見解と真実をありのまま述べた。それが更に噂の信憑性を深めてしまったようだが、どうでも良い噂を気にするだけ無駄である。
ライアとヨランダは楽しそうに、レティシアも控え目ながら会話に加わり、四人の間ではそこそこ和やかな空気が流れた。適当に会話を続けながら、ディアナは真横を気にかける。……正確には、ひたすら憎しみのこもった殺気をぶつけられて、気にするしかなかったという表現が妥当だ。
ありのまま生きているだけなのに、やはりクレスター家はどこかで誰かに怨まれる。
……どうやらややこしいことになりそうだな、と、ディアナは内心嘆息した。