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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その8~寵姫の散策~


園遊会の準備は粛々と進んでいた。最初の一週間ほどこそ、情報が錯綜し後宮全体が混乱状態にあったためか、あまり噂は入って来なかったが、それから後は毎日何かしらの進展があるようで、女官や侍女たちがいつも忙しなく動き回っている。それに伴い、混乱も徐々に落ち着いたようだ。


陛下が『牡丹様』に渡られたという噂が広まってからしばらくの間のことは、思い出すだけで胸が冷える。『紅薔薇サロン』での一件は、シェイラにとって正直、かなりのトラウマになった。

突然部屋に押しかけられて無理矢理連れ出され、気がつけば『紅薔薇』のサロンだった。方々から刺さってきたのは悪感情を乗せた視線。


そして――。


『感謝も謝罪も不要ですわ。わたくしは、わたくしのしたいようにしただけですもの』

『わたくしが『不要』と言っているのです。……意味はお分かりかしら?』


――冷徹な、『紅薔薇様』の言葉。


彼女の言葉も当然のように思われた。『牡丹派』の側室たちに囲まれ、あわや乱暴されるところだったシェイラを助け、守るとまで言ってくださった『紅薔薇様』。それなのに『紅薔薇』の不利になるような噂を、シェイラは許してしまったのだ。

感情の篭らない『紅薔薇様』の言葉は平淡で、それがより彼女の心中を表しているように思え、シェイラは苦しくて仕方なかった。あのひとに『要らない』とまで言わせてしまう自分が不甲斐なく、情けなくて。


仲良くしている側室仲間は、後で慰めてくれた。あの場で自分を返し、場を収めるには、ああ言うしかなかったのだろうと。

確かに、それもあるかもしれない。けれど、シェイラはどうしても、『紅薔薇様』に嫌われたという思いが拭えなかった。それがどうしてこんなに辛いのか、分からないけれど。


へこんだシェイラはしばらくの間、早朝の餌やり以外は一切外出せず、閉じこもって過ごした。たまに訪ねてくる人がいても、絶対に扉を開けずに。


そんなときだ。小鳥の餌やりという、唯一の癒しの時間に、ジュークが突撃してきたのは。


『牡丹』『睡蓮』『鈴蘭』『菫』を順に訪問した後は、再びシェイラの部屋の戸を叩いたジュークであったが、シェイラは恐れ多くもガン無視していた。不敬罪で死刑になるならそれも良しと、簡単に言えば自棄になっていたのである。


――もちろん、彼を避けた理由はそれだけではない。


『『名付き』たちを廻ったのは、彼女たちの様子を見て不満があれば解消し、そなたへの風当たりを弱める狙いがあったからなのだ。決してそなたを蔑ろにしたつもりはない。分かってくれるか?』

『分かるも分からないも……私は最初から、陛下のお気持ちは一時の気の迷い、私のような何もない娘に陛下がお心を動かされるなどあるはずがないと思っておりましたから』

『違うシェイラ、それは誤解だ! 俺の心は最初からシェイラにしかない、出会ったその日からだ。それだけは間違いない、信じてくれ!』

『……申し訳ございません、陛下。私は、そこまで強くはなれないのです』


ジュークが『牡丹』に渡ったと聞いたときに、自分でも驚くほど動揺した。その後も続いた、『名付き』の方々とジュークとの噂。耳に入る度に心は揺れ、平静ではいられない。

あの日、気付いてしまった己の気持ち。シェイラはそれに、今はまだ、蓋をしておきたかった。理解したくないのだ、胸が痛む理由など。自覚してしまったら、受け入れてしまったら、それはこれまでの『シェイラ』を完膚なきまでに破壊してしまう。


だから、逃げた。ジュークからも、自分自身の気持ちからも。


我ながら嫌になる弱さだ。虐げられることにも嫌われることにも、喪うことすらも、とっくの昔に慣れたはずだったのに。


――それでもなお、後宮に居続けようと思えたのは、ある人がくれた言葉があったからだ。


『どんなことがあっても、何が起ころうと、例え世界中が貴女の敵に回っても。私はシェイラの味方だから。それをどうか、忘れないで』


顔も本名も知らない、けれどたった一人、シェイラに弱くあることを赦してくれたひと。どんな貴女でも良いと、心を殺してまで従順である必要はないと、いつだって励ましてくれた。

彼女の前では、シェイラは力を抜いていられた。笑ったり泣いたり怒ったり。まるで、ごく普通の女の子のように。――そして、彼女は言ってくれたのだ。そんなシェイラが『好き』だと。


『紅薔薇』のサロンで、震えながらではあったが言いたいことが言えたのも。

『紅薔薇様』の前で、無様に泣き出さずに済んだのも。

案外冷静に、ジュークと話ができたのも。


全て、シェイラの心の中に、ディーが居てくれたおかげだろう。『シェイラが好き』『貴女の味方よ』という言葉が、ともすれば後退りそうになるシェイラをいつも、支えてくれた。


――独りではない。だから、情けない自分に落ち込むことはあっても、それで全てを投げ出したりはしない。


それがシェイラの、散々迷った末の決意だった。






が。


(……今日も、来ない)


いつもディーと話をしている場所へ、日参とまではいかなくても結構な頻度で足を運んでいるシェイラではあるが、抱き着いて泣いたあの日から、ディーの訪れはぱったりとなくなった。後宮が園遊会の支度で色々と忙しい中、もしかしたらディーも何かの役目を与えられたのかもしれない。


(だとしたら、仕方ないけれど。けれどやっぱり、寂しいわ)


よし、とシェイラは気合いを入れると、その場から離れ、適当に歩き出した。


園遊会の招待状が届いてから、側室たちもめいめい、ドレスを新調したり装飾品を買ったりと準備に大忙しだ。もちろんそんな側室ばかりではなく、シェイラのように暇を持て余している者もいる。暇の潰し方はそれぞれだが、シェイラは最近専ら、『ディー探し』に精を出していた。向こうが忙しいならこっちから会いに行こう、実にシンプルな結論である。

当然、ディーの姿形、本名を知らないシェイラが現実的に彼女を見つけ出せる確率は低いわけだが、そこはこの際関係ない。何かしていれば寂しさは紛れるし、余計なことを考えなくて済む。要は単なる暇潰しだ。


侍女もつけずに地味なドレスでうろちょろするシェイラを、ほとんどの者はスルーする。たまにシェイラの顔を覚えている者がギョッとしたり、『どこそこへは行かない方が良いですよ、誰々様がご散策中ですから』と親切に忠告してくれる侍女がいるくらいだ。五十人もいれば、末端の側室の扱いなどこんなものだろう。


適当にてくてく歩き、再び人気のない場所にやってきた。この辺りには初めて来る、どこをどう通ったのやら。

誰かいないかな……と周囲を見渡す。ふと紺色のドレス(侍女のお仕着せだ)が目の端に映った気がして、そちらへ歩を進めてみた。角の向こうを覗き込むと行き止まりで、やはりそこには侍女が一人。こちらに背を向け、しゃがみ込んでいる。


道を聞こうと口を開きかけて、シェイラはふと、何かが引っ掛かった。――侍女の髪に、見覚えがある。あの、綺麗にカールされた茶髪は。


「……、ディー?」


しゃがんだまま器用に飛び上がる人間というものを、シェイラは生まれて初めて目にした。その反応から、自分の勘が正しかったことを知る。


「ディー、なのね?」

「シェイラ? どうしてここに」


珍しく、ディーは動揺しているようだ。いつも穏やかで落ち着いた風情の彼女の新たな一面である。

ディーは膝に顔を埋めて、可哀相なくらいに丸まっていた。顔を見られたくない、というのは初めて会ったときから彼女が何度も口にしていたことだ。シェイラはさっと引っ込んだ。


「私は角から顔を出さないから。大丈夫よ」

「……ごめんなさい」

「何故謝るの? 気にすることないわ」


がさごそ、ディーが立ち上がる気配がする。が、それ以上の音が聞こえない。シェイラは首を傾げた。


「どうしたの?」

「いえ、その……驚いたわ。こんなところにシェイラがいるなんて」

「私も驚いた。もしかして、と思って呼んでみたら大当たりだったから」


思わず笑いが漏れる。暇潰しのはずが本当に会えるとは、人間動いてみるものだ。


「どうして私だって分かったの?」

「髪の毛が、似てる気がして」

「……それだけ?」

「えぇ、それだけよ。ほとんどあてずっぽうね」


久々に会えたのだ、シェイラは自然、上機嫌になる。

一方のディーは、どこか口が重かった。


「ディー?」

「……元気そうで、良かった。色々話は聞いていたのに、会いに行けなかったから」

「話?」

「…………『紅薔薇』とのこととか」


ディーの声のトーンが急に落ちた。怒っているのか気にしているのか、いずれにしろ良い感情を持ってはいないのだろう。

彼女が落ちているらしいことを察して、シェイラは逆に浮上した。


「確かに、衝突してすぐは辛かったし、『紅薔薇様』に嫌われてしまったのは悲しいけれど。そんなこと、ディーが気にする必要ないのよ」

「あれは『紅薔薇』が悪いのよ、どうしてシェイラを追い出すの、あいつらを追い出せば良かったのに」

「ちょっと、ディー? 落ち着いて、私なら大丈夫だから」

「またシェイラはそうやって我慢する!」


本当に珍しい、ディーがここまで感情を荒立たせることは。

シェイラは何故か、微笑んでいた。


「……ありがとう、ディー。でも私は本当に、思ったよりは大丈夫なのよ」

「シェイラ…」

「――だって、私にはディーがいるもの」


ディーが不意をつかれたように黙った。くすくす笑い、シェイラは続ける。


「ここ最近、自分の弱さとか狡さとか嫌でも目について、我ながら落ち込むことも多いけどね。でも、ディーがいてくれるから、大丈夫だと思えるの」

「……そんな。私、何も、」

「してくれているわ。ディーはいつも、私に勇気と強さをくれる」


それは間違いない。自信を持って言い切れることだ。ディーと出会っていなければ、今頃シェイラはどうなっていたか分からない。

ディーはしばし、黙っていた。やがて、不思議なほど落ち着いた声が、返ってくる。


「――シェイラはもともと強いし、充分に勇気あるひとよ。けれど、私がいることでそれを自覚できたなら、とても嬉しいわ」


声で分かる。ディーはこれ以上、この件で会話するつもりはない。

シェイラは話題の転換を試みた。


「……それはそうと、ディー。こんなところで何をしていたの?」

「同じ台詞を返したいけれど……とりあえず私は、あるところから園遊会の準備について頼まれて、色々動いていたところ」

「やっぱり」


ディーが突然姿を消したわけは、園遊会だったのだ。


「何が?」

「ううん、何でもない。それで、ディーはどんな準備を?」

「えぇと、もう大方済んでるんだけどね。どうしても秋の花は春の花に比べて華やかさで劣るから、全体的にもう少し盛り上げるにはどうすれば良いかしら、ってことを」

「あぁ……そうよねぇ」


確かに秋の花は地味なものが大半だ。近くで見れば美しいが、庭に植えただけでは寂しいかもしれない。園遊会を開いても、見るものが少ないのは残念である。


木に咲く花もほとんど見頃を過ぎているしねぇ……とぼんやり思ったところで、閃いた。


「ねぇ、木は植えてある?」

「え? えぇ、それはもちろん。花は咲いていないけれど」


それは返って好都合だ。


「あのね、こんなのはどう?」


このときのシェイラは、自分の何気ない思いつきがとんでもない評判を呼ぶなど、もちろん思いも寄らなかった。


――園遊会が、やって来る。



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