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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
33/241

暴かれた罪

女官長を失脚させよう。


ディアナがそう決意したのは、カイと喧々囂々やり合った、まさにその日の夜だった。


『女官長サーラ・マリス、及び後宮の女官たちについて』


『闇』たちが届けてくれた、一通の分厚い書簡。涼やかに流れるような筆跡は、母、エリザベスのものだ。そっけないほど簡潔な書面が、彼女がどれだけ怒っているかを物語っている。

穏やかじゃないな……そう思いながら内容を読み進めて――。


「これは……アウトよねー」


サーラ・マリスが女官長の職に就いたのは二年半ほど前だが、その間に急な国王の代替わりなどがあったこともあって、火事場泥棒よろしく彼女が行ってきた不正は数知れなかった。

公金横領、後宮私物化、勝手な人事。それだけならまだしも、善良な女官や侍女を脅して悪事の片棒を担がせるなど(『トカゲの尻尾要員でしょう』と書簡には記されていた)、クレスター家が怒り狂う程度には悪いことをしていた女官長に、慈悲を与える必要はない。


リタ含む侍女一同には、翌日の朝食の席で女官長の所業を伝え、近いうちに免職に追い込むからそのつもりで、とだけ告げた。ディアナは何も指示していないが、ユーリたち後宮侍女は自在に噂をコントロールし、『女官長のヤバい話』を密かに流してくれたらしい。今は侍女や女官の一部だけで、本当にうっすら囁かれている状態だ。『紅薔薇』の侍女たちは目立つタイプではないが、幼い頃から侍女勤めをしている者が多く、王宮での世渡りの仕方はばっちり心得ていた。


それから三日。有能な『闇』たちが集めてくれた証拠資料をふむふむと検分したディアナは、次の手をどうするか考えていた。例によって例の如く侍女たちは忙しく、今は次の間にリタが控えているだけの状態だ。


(女官長を失脚させる……最低でも懲戒免職処分は食らわせたいな。けど、そのためには陛下に彼女の所業を知らせる必要があるわけで――)


女官長がのうのうと生き延びて来られたのは、更に上にいる人物の保護があったからだ。

現内務大臣、ランドローズ侯爵――リリアーヌの父親である。状況証拠では間違いないと思われるこの事実、しかしこれを裏付ける物証が見つからない。ランドローズ侯爵が女官長を守っている以上、正規のルートで情報を上げても、必ずどこかで握り潰されるだろう。ディアナにはその確信があった。


(物証が上がればなぁ……女官長、ランドローズ侯爵、ついでに『牡丹様』も一気に追い込めるんだけど)


更には女官長が居なくなった後、後任の心配もある。現在女官の職にある者たちは総じて若く、女官長となるには経験が足りない。今エリザベスとエドワードが走り回って適任者を探してくれているが、内憂外患のこの状況を乗りこなせる、そんな傑物はなかなか見つからないというのが正直なところだった。


問題は山積み。腕を組んでお茶に手を伸ばした、そのとき。


「ディアナ様、リタです。少しよろしいでしょうか?」


ドアの向こうから声がした。入ってきたリタは、どこか困惑した表情をしている。


「リタ、どうしたの?」

「あの……女官のミアさんがいらしているのですが」

「ミア?」


記憶していた報告書をざっと思い返す。後宮内では『女官長勢力』の懐刀、女官長の右腕と名高く、『紅薔薇』のスパイ及び監督のために送り込まれただろう人物。実家はこれまた過激な『保守派』の一員で、それもあって女官長に可愛がられているとの報告もあった。


が。


「そう、ミア、ね……。良いわよ、通して」

「あの、ディアナ様、私も…」

「いいえ。リタはドアの向こうで控えてて。上手くいったら入ってもらうから」

「分かりました」


リタは一度下がり、少ししてミアを連れ、帰ってきた。書き物用の椅子に座ったまま、ディアナは無言でその様子を見守る。

そのままリタは打ち合わせどおりに下がり――。


「お助けください、紅薔薇様!」


半ば予想はついていたが、床にはいつくばるレベルで土下座された。ディアナは一言も発さず、そんな彼女をただ見下ろす。


「どうか、どうか、職ばかりはお助けを! 後宮より追い出されるくらいなら、いっそ処刑を命じてくださいませ!」

「……何故?」


ここで静かに問い返す。


「貴女がしてきたことは、証拠も含め全て、わたくしの手の中に揃っています。公金横領、後宮内の備品の私物化。立場の弱い女官や侍女たちに、辛く当たったりもしましたね」


はいつくばったまま、ミアは一言も発しない。全てばれていることを知り、恐ろしさのあまり声も出ないのか。


「ですが過去の事例と照らし合わせるに、命を奪うほどの大罪には当たらないでしょう。せいぜいが免職、実家にて謹慎が妥当です。わたくしもそのつもりで今から陛下へ陳情書を――」

「ですから! それだけはどうかお許し頂きたいのです!」


がばりと顔を上げたミアは、常では考えられないことに真っ直ぐディアナの目を見つめ、じりじりと迫ってきた。


「どんな罪を捏造してくださっても構いません。いっそここで、私が紅薔薇様を殺害せんと企んだと。そう陛下へご報告くださいませ! この職を失ったら、私は、私は……!」


後は言葉にならない。遂にはディアナの足に縋り付いて啜り泣きを始めたミアの様子を見て、ディアナは予想を確信に変えた。


「――えぇ、分かっているわ、ミア」


すとんと椅子から降り、ミアの肩を抱き寄せる。ゆっくりと背中を叩いていると、やがてミアの呼吸は落ち着いた。


「大丈夫?」

「べ、紅薔薇さま…」

「その呼び名は、あまり好きではないわね」


苦笑しながら、ミアを立ち上がらせ、ソファへと誘導する。一度ドアを開けて、リタに茶を入れるよう頼んだ。くるりと振り返ると、真昼に幽霊にでも見たかのような、そんなミアの瞳と目が合う。

くすくす笑って、ディアナはミアの正面に腰を下ろした。


「驚いているようね」

「い、いぇ、そんなことは」

「別に良いのよ。顔に書いてあるわ」


視線が落ちたミアに、ディアナは静かに語りかけた。


「ずっと『悪者』でいるのって、案外難しいわよね」

「え…」

「貴女は女官長の右腕。腰巾着。女官長や仲間の女官からは便利にされているけれど、善良な侍女や女官からは蛇蝎の如く嫌われている。……それが貴女に関する、最初に入ってきた情報だったわ」

「情報も何も……事実でしょう」

「そうね。片側だけ見れば」


ディアナの言い方が引っ掛かったのか、ミアは僅かに視線を上げた。


「わたくしが後宮に入る前の話だから、詳しくは知らなかったのだけど。今の女官長がその地位に就いて、横暴なやり方を通し始めた頃、実家が『革新派』だったり、新興貴族だったりする女官や侍女がいじめられることが度々あったそうね」

「……はい」

「貴女もそれに、荷担していた。ときには先頭に立って」

「……そのとおりです」


ミアはきっ、と顔を上げる。強い瞳だった。


「私にはそのときの罪もあります。苦しむ彼女たちを嘲笑い、砂を投げたり扇で叩いたり」

「えぇ。それが原因で仕事を辞めた方もいらしたみたいね」

「はい。ですから紅薔薇様、」

「――その中のお一人とね、先日ウチの者が夜会でお話させて貰ったの」


ミアの視線を受けて、ディアナも真っ直ぐ、しかし柔らかな眼差しを注いだ。何の威圧もないそれに、しかしミアは言葉を失う。


「彼女は、『妖精さん』の正体に気付いていたわよ」

「そ、んな…」

「偶然見てしまったのですって。――真夜中、怪我をした侍女の部屋の前に薬を置く、貴女の姿を」


――イジメが激しくなっていた、当時。後宮に『妖精さん』が出没し、怪我をした者に薬や包帯などをくれるという不思議現象があったのだという。ユーリはあまりそういうことは話したがらないが、ルリィは後宮の事情と噂話にも詳しく、聞いたらすぐに教えてくれた。

そしてつい昨日、エドワードがその『妖精さん』の正体を掴み、走り書きを寄越してくれたのだ。


「良心を持つ人間が悪人を演じるのは、実は難しいのよ。――必ず誰か、見ている人がいるのだから」

「……捨て去りました、そんなモノ。ただ女官長様の手足となり、生きて参ったのですから」

「本当に良心を捨て切っていたら、自分の命を犠牲にしてまで、家族を守ろうとはしないでしょうねぇ」


さらりと告げてやる。ミアの表情が強張った。


「貴女、様は……どこまで」

「ミア、わたくしの前で取り繕うことが難しいのは分かるけれど、貴女演技下手過ぎるわよ。本気で処刑を願うなら、ナイフ隠し持ってわたくしを刺しに来るぐらいしなくちゃ。いざというときに直球で嘆願に来られちゃ、何が何でも助けたくなっちゃうじゃない」


わたくしたちは、意地悪なんだから。

くすくすと笑いながら、ディアナは言った。ミアは青ざめる。


「わ、私をどうなさるおつもりです……!?」

「あぁ、誤解した?」

「そんな台詞聞かされたら、誰だって誤解しますよ」


呆れ声で突っ込んだのはリタだ。カップを乗せたトレイを持ち、すたすた近付いてくる。


「すいませんね、ミアさん。ディアナ様のあの顔であんなこと言われて、誤解するなって方が無理な話ですよね」

「リタ、それかなり失礼よ」

「ディアナ様は黙っててください。大体クレスター家の皆様は、口を開けば誤解されるのが専売特許なんですから」

「だから前から言ってるけど、わたくしたちからしたらかなり不本意な話なんだからね、それ」


主従の間で飛び交う軽い会話にぽかんと口を開けていたミアは、呆然と呟いた。


「ご、誤解……?」

「ん? あぁ、ごめんなさいねミア。お茶をどうぞ?」

「誤解とは、どういうことです!?」


突然立ち上がったミアを、まあまあとリタが宥めに入った。


「落ち着いてください、ミアさん。多分ミアさんはディアナ様の『わたくしたちは意地悪なんだから』をお聞きになって、弱みを握って脅されるとか実家に害が及ぶとか、まぁ色々悪い想像をなさったことと思いますが、ディアナ様はそんなこと、考えてすらいらっしゃいませんから」

「あら、そんな誤解されたの?」

「あんな悪いこと考えていそうな顔で笑われて、『意地悪なんだから』なんて言ったら、当然そんな風に思われますよ」

「えー…、心外」


半ば本気でふて腐れたディアナを見て、ミアは再び、『幽霊さんこんにちは』なお顔になる。


「ディ、ディアナ、様……」

「なぁに?」

「クレスター家とは……、王国全土の『悪』を牛耳る、暗黒の帝王では、」

「えぇ、ないわね」


口をぱくぱくさせるミア。どうやら驚きのあまり、声すら出ないようだ。

苦笑して、ディアナは続けた。


「信じられないのは分かるけどね。わたくしたち、先祖代々こんな顔だから。おかげで噂が独り歩きして、いつの間にか『悪の帝王』なんて二つ名がついてしまったの」

「それは、本当ですか…?」

「わたくし、嘘は言っていないわよ? 後はミアが、噂を信じるか、わたくしたちを信じてくれるか、ね」

「ここまでディアナ様と正面切って話せる方なら、見込みは充分かと思われますが」


何だその選考基準。

内心突っ込みつつもどこか納得してしまうのが、クレスター家の哀しい性。ふぅ、と嘆息したディアナの前で、ミアがぽすん、とソファに落ちた。


「信じられません……」

「で、しょうね」

「ですが、ここまでお話して正直、ディアナ様が悪いお方だとも思えません…」

「あら、それは光栄だわ」


ゆったりとお茶を口に運ぶディアナ。呆けていたミアは、そんな彼女を見て、現実に戻ってきたようだ。目に光を取り戻し、真正面からディアナを見据える。


「ディアナ様。私を脅すためでないのなら、何故実家のことを?」

「貴女の公金横領、備品の私物化はご実家、メルトロワ子爵家のためよね? 子爵領の運営は厳しくて、貴女が勤めに出る前から生活はかなり苦しかった。それが、今の女官長が任官されてしばらくした頃から徐々に生活水準が向上している。――貴女が横領した公金や私物化した備品を売り払って得た金銭を、メルトロワ子爵家へ流して家族の生活を支えていた」


ミアは視線と肩を落とした。おそらく、図星なのだろう。


ミアの評判は悪かった。『革新派』が集う社交の場や、後宮では特に。

しかし、ただ一人。デュアリスだけが、彼女の実家、メルトロワ子爵領の運営状況を調べ、疑問を差し挟んでいたのだ。


『彼女は先代女官長の頃から女官として働いていたが、領地運営の状態から見るに、実家に横流しを始めたのは今代女官長が任官されてしばらくしてから。単に女官長のやり方を真似ただけかもしれないが、話どおり性根の腐った人間なら、もっと早くから悪事に手を染めていてもおかしくはないのではないか?』


報告書にデュアリスが書き添えた一文。今朝エドワードから届いた一筆。そして、ミアのディアナに対する態度。

総合的に判断すれば、真実は自ずと見えてくる。


「これはあくまで、わたくしの想像なのだけど。貴女、女官長に実家の状態を知られ、助けてあげようかと持ち掛けられたのではない? そして纏まったお金をもらい、実家に全て送った後で、それが公金を横領したものであることを知った」

「それは……」

「事実を知った貴女は、女官長に抗議したかもしれない。けれど結局は、女官長に従う道を選んだ。女官長の下に居れば、困窮している実家を救うことができると思って」

「――そうです」


ミアは静かに、重く、言の葉を紡いだ。ゆっくり顔を上げたそこに浮かぶのは――覚悟。


「メルトロワ領は、天候に恵まれない地域の一部です。雨が少なく、川もなく、年中水不足と食料不足に喘いでいる」

「知っているわ。国の最南端。水が豊富な我が国において、数少ない例外とも言える地域ね」

「領地の民は貧しかった。幼い頃、祖父の領地巡回に無理を言って同行し、私は民の苦しみを目の当たりにしました。……民に何もしてやれないと無力に嘆く、祖父の姿も」

「先代のメルトロワ子爵は、立派な人格者であったと伺っています。方々から後ろ指差されながらも、民のために奔走なさった、まさに貴族の鑑だと」

「祖父が聞いたら喜びますわ」


ミアは寂しそうに呟いた。リタが心配そうな瞳を、ミアへと向ける。


「祖父が亡くなり、父が跡目を継いでから、運営は更に厳しくなりました。父は余所から笑われていた祖父をみっともないと感じていたようで、領地の民に何かしてやるよりも社交を活発に行うことに重点を置き、それが貧しさを加速させたのです。私は少しでも民のためになればと、王宮勤めに出ることを決めました」

「……けれど、女官の給金だけでは、傾いた領地を救うことはできなかった?」

「はい。そんな折女官長が交代し、サーラ様が新しい女官長としていらっしゃったのです」


ミアの瞳が痛ましく揺れる。ディアナは彼女の隣へ座り、肩を抱いた。


「……そこで、女官長が貴女の事情を知ったのね?」

「――はい。最初は優しい笑顔で、『よく頑張っているわね』と励ましの言葉を頂きました」

「そうだったの」

「やがて、『貴女は、アズール内乱で大層活躍なさった騎士の末裔なのでしょう? そんなお家が苦しんでいるのは私も胸が痛いわ。援助させてくださいな』と持ち掛けてくださるようになって……何度か金銭を頂きました。本当はそのとき、密かに疑問に思ったのです。こんな大金、女官長様はどこから持って来たのだろうかと」


種明かしは、女官長様の隠し帳簿を見せられたときでした。

ミアは涙声になっていた。ディアナはゆっくりと、背中をさする。


「そこで、公金横領の事実を知ったのね?」

「はい。私が実家へ送っていたものが、陛下と王妃様のためのお金だったということも……目の前が真っ暗になりました」


それはそうだろう。知らない間に、犯罪者になっていたのだ。


「唖然となった私に、サーラ様は言いました。私の直属で働けば、もっと沢山の金品を実家へ届けることができると。私はその誘惑に……逆らえなかったのです」


申し訳ありません、とミアは泣いた。ディアナは背中をさすりながら、言葉をかける。


「分かるわ。目の前が真っ暗で自分の無力が苦しくて堪らないとき、そこから抜け出せる手段を示されたら縋りたくなるわよね。それが例え、どれほどの悪事であっても」

「知っていました、悪いことだと。いざ罪が明らかになったら、せめて私一人で背負おうと。実家や領地の民にまで、苦渋を舐めさせるようなことはするまいと、そう思って」

「だから直談判に来たのね。ご実家を、民を、守るために」

「父は何も知りません。私が毎回お金と一緒に『領地運営に使ってほしい』と書き添えたおかげで、領地の状態も改善したと聞きました。全て私の独断です、どうか罪は私一人に。実家に類が及ぶようなことは」


必死で訴えるミアが憐れだ。彼女は知らない。クレスター家が調べ、明らかになったメルトロワ子爵家の『罪』を。

残酷な真実。けれどここで告げなければ、彼女は間違ったままだ。ディアナは覚悟を決めた。


「――ミア。残念だけど、それはできないの」

「何故です!?」

「貴女のお父様は、貴女の罪をご存知だから」


静かに静かに、重く、囁いた。

ミアから表情が抜け落ちる。


「……嘘です」

「嘘じゃないわ。貴女のお父様は、貴女から送られてくるお金が所謂『裏金』だと知っていた。知っていることを隠して、貴女を諌めることもせず、お金を受け取り続けていたの」

「嘘です!」


ディアナにつかみ掛かり、ミアは激昂する。反射的に動こうとしたリタを片手で制し、ディアナはミアの肩に手を置いた。


「嘘です、そんなことあるはずがない! 私は父に、何も言ってはいないのに!」

「そうね、貴女は何も告げていない。けれど、内政室に勤めている末の弟さんが、貴女のしたことに気付いていたの」


ミアが大きく目を見開いた。


「クロードが……!?」

「貴女が王宮に上がったときは、まだ幼かったのよね? 彼は学院を卒業した後、志願して官吏になり、今は内政室に勤務しています。内政室の仕事をしているうちに、彼は後宮――女官長の公金横領に気付き、自らの実家に流れているお金がその一部であることも知った。そしてお父様に、今すぐ姉を諌めるよう進言したそうです」

「……そんな、」

「ご本人に確認したわ」


クロード、と音もなくミアの唇が動いた。ディアナは感情を消した声で続ける。


「お父様はお怒りになった。金の出所など、聞きさえしなければ知らぬ存ぜぬで通せるものを、あろうことか身内の不始末を暴くとは何事かと」


おそらくメルトロワ子爵は気付いていたのだろう。常識で考えれば、娘が頻繁に送ってくる金銭が、後宮の一女官でしかない彼女に捻出できるはずがない大金だということくらいすぐに分かる。まともな親なら出所を聞くはずだ。


「お父様に叱られ、弟さんはお悩みになったそうです。けれど結局弟さんも、証拠を隠すことを決めたと」

「……どうして、」

「ミア、貴女と同じ理由よ」


『例え裏金だとしても、それで民の生活が楽になるなら』


彼はそう言ったらしい。それほどまでに、子爵領の民は苦しんでいるのだろう。


「私は、知らないうちに、クロードにまで罪を」

「――それだけじゃないわ。貴女が横領していたお金は、結局民のためには使われていないの」

「……え?」


遂にミアの手から力が抜けた。リタが慌てて駆け寄る。


「ディアナ様、もう良いでしょう」

「良くないわ。ミアは知らなければならない。それはわたくしたち、貴族の義務よ」

「……どういう、ことですか?」


かたかたと震えながら、ミアはそれでも、ディアナに尋ねる。その視線を受けて、ディアナは告げた。


「メルトロワ子爵領の運営が改善されたというのは、書類上の嘘。おそらくは、貴女とクロードさんを納得させ、お金を送らせ続けるための」

「……ほんとう、ですか?」

「確かな筋からの情報よ」


裏の世界で生きている人間は、王国の至るところに存在している。クレスター家は彼らの力を借りて、王国全土を網羅する情報ネットワークを有しているのだ。早馬を飛ばすまでもなく、目的地の様子は手に入る。


ディアナが嘘を言っていないということが感覚で理解できたのだろう。ミアはとうとう、ソファから滑り落ちた。リタが支えるも、体に力が入らないようだ。

……無理もない。彼女は今、自分が犯してきた『罪』が、全くもって無意味だったことを知ったのだから。


クレスター家にとっては、ごくありふれた現実に過ぎない。後宮の女官が公金横領していることも、それを実家に横流しして私腹を肥やしていることも、よくあることだ。今回の調査でも、似たような家は沢山出てきた。

しかし、女官が己の罪深さを充分に認識し、それでも民のために『悪』に進むことを選んだ、その事実が加わることで、真実はここまで残酷に染まる。


緊迫した沈黙の中、ミアの唇が動いた。


「……ください」

「ミア?」

「殺してください、ディアナ様。私は大罪人です、どうか……」


力無い声。ディアナはゆっくりと、首を横に振った。


「さっきも言ったでしょう? それはできない」

「どうして……!」

「――貴女の心を、得難く思うから」


そ、とミアの手を取る。僅かにミアの頭が上がった。


「貴女がしたことは、間違いだったわ。どれほど苦しくても、真に民を思うなら、悪事に手を伸ばすべきではなかった」

「……はい」

「でもね、ミア。民のため、家族のため、己の命を賭けてわたくしと対峙した貴女は、間違いなく『貴族』よ。貴女のお祖父様と、同じようにね」


殺せるわけないわ、そんな尊い心の持ち主を。

告げた瞬間、泣き崩れられた。


「私は、私は、間違ったのです。罪を、犯したのです……!」

「間違わない人間なんていないでしょう。罪を犯したなら、これから償えば良いのよ」

「罪が明るみに出たら、メルトロワ子爵家は終わりです。私も職を失う。どう償えば」

「大丈夫。貴女とクロードさんは、守れる」


力強く、ディアナは断言した。泣き濡れていたミアが顔を上げる。


「そんな、どうやって……」

「ミア、わたくしに力を貸して。終わりにしましょう、貴女の苦しみを」


真正面から、ミアを射抜く。

こくりと、彼女は頷いた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公もそうですが、周りのキャラもとても良い味出してますね。 まだ途中ですが、とても先が気になって止められません。 [気になる点] 気づいた事がありますので1つ。 暴かれた罪で、「カイ…
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