園遊会に向けて
前途は多難である。招待客リスト作成、中庭改装、園遊会の具体的な内容決定及び準備と、とにかくすべきことは盛り沢山。正直一月では到底足りない。が、それが勅命である以上はやらなければならないのが『貴族』の務めだ。――それが例え、不可能であっても。
(この状況で一月後とか、外海に小船で乗り出して対岸に辿り着けって言われる方がまだ現実味あるぞ…)
パラパラと手元の書類をめくりながら、思考が愚痴方面に傾いてしまうのはもう、どうしようもない。それでも自分はまだ恵まれている方だ、となんとか気持ちを前向きにする。
女官長たちがやって来た翌日、ディアナはライアたち『名付き』の側室三人に誘いをかけ、『蔦庭』で茶会を開いて状況説明と協力を呼び掛けた。丸々一日経っても女官長側からの音沙汰がないのを見て取って、これは思ったより手こずりそうだと踏んだのだ。
今回の園遊会は国王陛下の名の下開かれる、いわば王室の公的行事である。ともなれば、その準備の一つ一つを、公の規則と道筋に従って行わねばならない。
極端な例を一つ挙げるとするならば、園遊会用の茶葉だ。既にレティシアの実家、キール伯爵領で栽培しているものを使うことは決まっている。
レティシアが普段使い用の茶葉を頼むだけならば、実家に手紙を書いて女官に託ければ済む。しかしこれが公的行事、園遊会用の茶葉となれば、話は大きく変わる。『王宮がキール伯爵領から茶葉を仕入れる』ということになってしまい、レティシアの個人的なツテは使えなくなるのだ。
公式ルートに乗って王宮からキール伯爵領へ、いついつまでに茶葉をこれだけ用立てるように、という書面が王の名で送られる。その書面を作るまでにも、招待客の人数的に茶葉の量はこの程度必要であり、これくらいの経費がかかる、という報告をし、予算執行の許可を得なければならない。では、誰が予算執行の許可を降ろすのかといえば――女官長である。
『公』的な場面において、最も強い権力を持つのは、外宮でも内宮でも官僚たちだ。もちろん絶対王政のエルグランド王国において国王の『鶴の一声』は絶対であるが、それすらも利用、もしくは操作するのが貴族たちのやり方であることは、最早分かりきっている。
女官とは、国が任命する官吏であり、役職の一つ。『私』の色が強い内宮で、『公』に関する雑事を取り仕切るのがその役目だ。故に公的場面においては、その権限は絶大なものになる。要するに――。
はっきり言おう、女官長に反旗を翻された時点で、ディアナに公的行事の采配など、できるわけがないのである。
(……うん、ね。イヤな予感はしてたけども)
側室と実家についての情報など、後宮で纏めてあるものをそのまま出せば良いだけの話だ。それすらも丸一日持って来ない。この時点でこれからのディアナがすべきことが、女官長との対決になることは火を見るよりも明らかだった。それを率直に『蔦庭』で述べたところ。
『あらあら。お仕事なさらない方だとは知っていましたが、まさかここまでとは』
『女官長との折衝はディアナ様にお任せして。わたくしたちは、園遊会の内容について決めていきましょうか』
『書類も過不足なく整えて、すぐに出せるように用意しておきますから』
実に頼もしく話の早い、有能な『名付き』の三人が、園遊会の具体的な内容について、一手に引き受けてくれた。これでディアナは後顧の憂いなく、女官長との戦いに挑めるようになった……のだが。
たかが後宮の側室とその親族関係について纏めた書類を持って来るだけで、三日。その間に決まったこと、必要なことをその場で伝えて書類も渡したが(主に中庭整備についてである)、これでは次の反応がいつ返ってくるか分からない。
相手の出方が、ひたすらにやる気なく、仕事を遅くし、こちらの足を引っ張るというやり方らしいということは察した。疑問があるとすれば、こんなことをしたら女官長や女官たち自身の職務怠慢とも見なされかねない、やってること地味な割にリスクの高い嫌がらせだなぁというところだろうか。大体、園遊会が失敗したら、一番困るのは『公』の雑事を取り仕切る役目の女官たちであり、責任者の女官長ではないのか。その辺りがどうも分からない。
(ひとまず招待客のリストは暫定でこれを提出するとして……さすがにこれは、陛下に目を通して貰わなきゃならないよなぁ)
三日経ってディアナに与えられたものは、全側室の簡単な家系図のみだった。後宮からの情報がもたらされ次第作れるように準備は整えていたので、作業自体は考え事の片手間に済んだが、さすがに王宮、しかも後宮内に招く人間を、一側室が独断で決めるわけにもいかない。これは王様のハンコが必要な内容だ。
既に紙が山と積まれている机の上に、ディアナは作成したばかりの招待客リストをでんと置く。上にメモ用紙を挟み、『陛下の決裁が必要と思われる、要相談』と走り書いて、彼女はようやくペンを置いた。
「疲れたー……お茶飲も」
侍女たちが入れてくれたお茶は冷めきっていたが、却ってその冷たさが心地好い。令嬢らしくなくカップのお茶を一気飲みしたところで、くすくすという笑い声が降ってきた。
「何よ、カイ。居たの?」
「居たよー、一応ね」
例の襲撃事件以来、『二重隠密』となった彼は、前にも増して自由に後宮内を行き来しているらしい。『闇』たちのように交代することがない分、ある意味誰よりも事情通だろう。
とはいえ、実際に姿を見せるのは久しぶりである。音もなく降りてきた彼は、部屋をぐるりと見渡した。
「『紅薔薇サマ』がお部屋で一人? どーなってんの?」
「……そうでもしないと、来客対応が追いつかないのよ」
『紅薔薇様』が園遊会での采配を任された、という噂が広まってから、ただでさえ荒れていた後宮は蜂の巣を突いて揺らして蹴っ飛ばしたくらいの騒ぎに陥っていた。これを期に『紅薔薇様』の威光を示すべきだという過激派たちに連日押しかけられ、ディアナは匙を投げて書室に篭ったのだ。訪ねて来られても、『園遊会のことで『紅薔薇様』はお忙しく、お会いすることが出来ません』と追い返すことにしたのである。
それでもしつこく訪ねてくる輩は後を絶たず、遂にはユーリだけでなくリタまでも、来客対応に追われる羽目になった。その合間を縫って情報収集と、通常業務もこなさなければならない。『紅薔薇』付きの彼女らが有能でなければ、とっくの昔に回らなくなっていただろう。
「そっかー、大変だねぇ。あ、ソレ、園遊会関連?」
「そうよ。まだ大したことやってないけど」
「あー、女官長に邪魔されて?」
どうやらカイは詳しいようだ。ディアナは彼に椅子を勧めた。
「その情報、持って来てくれたの?」
「まぁね。そろそろ疑問に思ってる頃だろうと思って」
実に優秀な隠密である。
「どうやら本格的にケンカ売られてるらしいことは分かるけど。地味な割にリスク高い嫌がらせよね?」
「あいつらの狙いは、単なる嫌がらせじゃなくて、園遊会の準備役を『紅薔薇』から『牡丹』へ移すことだからね」
「あー…、そう来たか」
椅子に深く腰掛けたディアナに、カイは哀れみと慰めが入り混じったような視線を向けた。
「女官長は『牡丹』とべったりだから。『紅薔薇』の邪魔を散々やって、園遊会の準備が進まないことを突かれるの待って、王様に『紅薔薇』の不手際だって言い付けるつもりなんだよ」
「で、『紅薔薇』に任せるより『牡丹』に任せた方が良い、と進言する?」
「王様の『紅薔薇』への信頼も無くなり、『牡丹』に対する株が上がって一石二鳥、って感じかなー」
「信頼? されてるの、私?」
「少なくとも、公式行事の采配を任されたってトコロは、後宮内で優位に立てる強みになるでしょ。王様の本心はともかくさ」
「……まぁ、真実はどうあれ、確かに」
一側室でしかないディアナには本来、公的行事を仕切る権限はない。後宮内でそれを持っているのは、『正妃』たる立場の王妃のみである。
「そもそも陛下が、どうして私に園遊会の采配を投げて来たのかナゾなんだけど。こういう公式行事って、普通は『官』の領分よね?」
「けど、『紅薔薇』って別名『王妃の間』って呼ばれてるんでしょ。そこに入った側室が、仮とはいえ王妃的役目を任されるのも有り得ないことじゃない」
「……迷惑だわ」
本心から呟けば、はははっと大笑いされた。
「笑い事じゃないわよ。おかげで後宮の勢力争いにまで発展して、女官長にはシカトされるし、内での騒ぎを抑えるのも一苦労で」
「けど、最初から女官長に采配権渡されて、『牡丹』のお嬢ちゃんと結託されるよりはマシなんじゃない?」
「……なるほど。それでアルフォード様、『紅薔薇』が采配することに反対なさらなかったのね」
「女官長さんの裏のカオは、騎士団長さんの耳にも入ってるからねー」
どこをどう取っても荒れざるを得ない中、それでも最善を探せばこうなるしかなかったらしい。ディアナはふぅと息を吐き出した。
「ややこしいことになったわね。女官長が今のままじゃ、私が園遊会の準備を進めるなんて出来るわけない。けど、後宮内の均衡を保つためには、『牡丹派』に采配権を譲るわけにもいかない。……どうしようかな」
「ディアナの顔で脅して言うこと聞かせたら?」
カイの発言は完璧に事態を傍観して面白がっている者のそれだ。ディアナはじろりと、彼を睨んだ。
「あのね、これでも私たち、好き好んで人様に怖がられる顔に生まれたわけじゃないのよ。確かに脅せばなんとかなるかもしれないけど、そんなの後々こっちの弱みになるじゃない。クレスター家の人間が自分達の悪人顔を意識して使って、上手くいった例がないんだから」
「そうなの?」
「先祖代々、語り継がれてるわね」
クレスター家の人間は『悪人顔』ではあるが、『悪人』ではない。だからかもしれないが、相手の弱みを握っての脅迫ならばすんなり上手くいくのに、単純に顔の怖さでハッタリ効かそうと思っても、意識すればするほど失敗するのである。
「女官長の弱み握って脅すか……、いっそ免職させた方が早いかもしれないわね」
「できるの、そんなこと?」
「彼女の業績にもよるけど。あんまり仕事無茶苦茶だったら、辞めさせた方がこの国のためにもなるし……後宮の未来考えても」
「怖いねぇ、クレスター家は」
くすくす笑っていたカイは、ふと、どこか遠くを見るような、不思議な眼差しになった。
「……どうかした?」
「――ねぇ、何でそこまで必死になるの?」
突然投げ掛けられた質問はこれまでと変わらず軽い口調で――しかしその瞳の色の深さが、これまでとまるで違っていた。紫紺の瞳が真摯な光を宿して、ディアナを真正面から射抜いている。
答えるディアナの背筋は、自然と伸びた。
「何で、って?」
「今の王国が、物凄い岐路に立たされていることは、後宮に忍んでいれば分かるよ。ディアナが『紅薔薇派』として『革新派』を実家に持つ側室たちをまとめ上げなかったら、そのうち激怒した『革新派』の貴族たちが王国に牙を向いただろうってこともね。そしてその危機は、未だに去っていない」
「さすがね、カイ。そのとおりよ」
右も左も分からないまま後宮に放り込まれ、ディアナは半ば流されるままに、後宮内の派閥争いの先頭に立たされることになった。クレスター家そのものは中立派だが、そもそもが悪名高い一族だ。伯爵位でありながら図々しく侯爵位の令嬢たちの上に立とうとも、後宮内で何をしようとも、大概のことは『クレスター家令嬢だから』で済まされる。しかしそれは逆に、『紅薔薇派』の側室たちからすら、見限られる理由になりかねないのだ。
「今の後宮は、ディアナの一挙手一投足で情勢ががらっと変わる。それは表の政にも影響を及ぼして、下手をしたら王国内で『保守派』対『 革新派』の内乱なんてことに発展する可能性だってある」
「……そこまで分かっているの。貴方つくづく優秀ね」
カイの見識の豊かさと鋭い洞察力に、ディアナは舌を巻いた。隠密として働けば自然と勢力図などにも精通するものだが、そこまで深く読み取れる者はそうはいない。
「理不尽だと思わないの? ディアナ自身には何一つ非はないのに、ディアナ一人の肩に王国の行く末がかかっているみたいな、この現状」
「思わなくもないけど。ある程度は仕方ない部分もあるかなって。そもそも爵与制度が制定された時点で、いつかは起こると予想ついてたことだし」
「それにしたってさ。誰か一人に極端に負担をかけるやり方は、健全とは思えないよ。しかも何にも悪いことしてない、十七歳の女のコにさぁ」
予想外過ぎることを言われ、ディアナは目をぱちくりとさせた。話しながら徐々に不機嫌そうになっていたカイは、そんな彼女を見て――何故か更に、むっとする。
「ナニ、その顔」
「いや、なんていうか……そういう扱いが新鮮だったから」
「どういう扱い?」
「十七歳の女の子、って。確かに私は十七だけど。貴族の十七歳といえば社交デビューもとっくに終えて、結婚だってできる立派な大人よ。社会に責任を持たなきゃならない立場だから」
「ディアナが貴族だから? こんな極端に理不尽なことも、我慢して引き受けなきゃならない? ……ちょっと甘すぎるんじゃないの」
カイの機嫌がかなり悪くなっていることは、口調や態度から分かった。それは分かったが、如何せん、その理由がディアナには分からない。自然と首はナナメに傾く。
「別に甘いつもりはないけど。ただ、私が下手なことをしたら、国が荒れて戦争になる可能性だってある。それが分かっているのに、放置なんてできないでしょう」
「戦争が嫌だから?」
「それもあるわね。戦争になれば、真っ先に被害を受けるのは民だもの」
ごく当たり前の返答をしたつもりだったが、カイの眉間のしわはますます深くなった。顔の整った男が険しい表情をしているのは、それだけで迫力がある。
「……カイ? さっきから、どうしたの?」
「ディアナってさぁ……自分の幸せとか、未来とか、考えたことある?」
突然、また、話題が変わった。咄嗟には質問の意味が分からず首を傾げたディアナに、カイは、何もかもを見通すかのように深く、強い眼差しを向ける。
「さっきから聞いてたら、国とか社会とか、民とか。自分以外の誰かのための言葉ばっかり。ディアナはまた、貴族なら無私の精神で社会に奉仕して当然って言うんだろうけどさ。実際そうできる貴族が少数派だってことくらいは、理解できてるんでしょ?」
「それは……」
そのとおりだった。返す言葉が見つからない。
「貴族だって人間だ。俺は別に、私欲に塗れた貴族どもを責めるつもりはない。ある意味、人間らしいとすら思うよ」
「だから? ウチみたいに、本来の役割を忘れていない貴族は信用できない?」
「違うって」
カイの視線は強いが、荒れてはいない。むしろカイの言いたいことが分からないディアナの方が、疲労も相まって感情を制御できなくなりつつあった。
「誰かのために頑張ることの、何が悪いの。私は充分幸せだわ、仲睦まじい両親と優しい兄に恵まれて、私を慕ってくれる侍女がいて。貴族の家に生まれたから、領民たちのおかげで日々の生活を心配することもない。そんな彼らのために国を安定させなければならないのなら、己の持てる力全てを尽くすのは当然でしょう。貴族だからじゃない、与えてくれる誰かのために生きることの何が!」
「悪いなんて言ってない。ディアナが、ディアナの家族が、そう思って今頑張っていることは、充分に分かってる」
「なら問題ないでしょう?」
「――俺はただ、」
落ち着いた、それでいて深い響きを宿した声が、立ち上がったディアナの耳を叩いた。その声は存在感に満ちて、荒れたディアナの動きを止める。
「ディアナが欲しいものを――幸せとか、未来とか、人として当たり前に欲するものを望むことすら、諦めていないか心配なだけだよ」
胸の奥で、何かがひび割れたかのような音がする。反射的に蘇りそうになる『ある光景』を、ディアナは首を振って追い払った。
「ディアナ?」
「――心配、してくれて、ありがとう。私は、大丈夫」
「……大丈夫には、見えないけど」
「お願い――、カイ」
分からない。この少年は――、少年の紫紺の瞳は、何をどこまで見通しているのか。分からなさ過ぎて、恐怖すら覚える。
しかし、それでも。立ち止まるわけにはいかない。弱みを見せることはできない。図星を突かれて、動揺するわけにはいかないのだ。
何故ならディアナは――『紅薔薇』だから。
「大丈夫なの。そう、納得して」
大きく息を吸って、ディアナは笑みを浮かべた。出すまいとは思っても、放つ言葉は懇願の響きを宿してしまう。
「……分かった」
どれくらい、経った頃だろう。カイが静かに呟くと、ゆっくり立ち上がった。
「悪かったね、ディアナ」
俯き、ふるふると首を横に振る。謝罪など、必要ない。彼が悪意から言葉を発したわけでないことくらいは分かっている。
「……本当、優しいなぁ」
不意に、ぽんと。頭に重みと温もりを感じた。カイの手が置かれたのだと理解した次の瞬間には、「じゃ、またね」の言葉と共に、彼の気配が部屋から消える。慌てて部屋を見渡しても、彼の姿はもう、どこにも見当たらなかった。
「……不思議な、ひと」
呟いたのは無意識だった。手が宙をさまよい、温もりを辿るように髪に触れたのも。
しばし目を閉じ、呼吸を整える。カイがくれた情報を思い出し、己が為すべきことを整理しているうちに、思考は自然と落ち着いていった。
「――よし」
ふ、と目を開け、姿勢を正し。
ディアナは再び、執務用の机に戻るのであった。




