閑話その5-2 ~王宮の隅で~
ディアナから頼まれた用件は、『陛下が後宮に目を向ける気になったきっかけを探って欲しい』というものだ。追って手紙も届き、後宮の侍女や女官たちについて調査して欲しいというものも加わった。女官長の無責任な采配や、侍女や女官への対応は、確かに見逃せない。
『女官と侍女については、お任せください。わたくし共でどうにか探りますわ』
手紙を一読したエリザベスがにっこり笑って請け負い、女性関係のことは彼女に任せることにしたデュアリスである。エリザベスが『笑って』『宣言した』以上、下手に手を出せば邪魔になりかねない。あれ程激怒した妻の表情を見たのも久しぶりだ。
ともあれ、デュアリスに残された探るべき課題は、『陛下が後宮に目を向けるようになったきっかけ』だ。そんなもの、エドワードがアルフォードに聞けば一発で判明、かと思えば、そうは問屋が降ろさなかった。
「一応アイツも、今は陛下の側近って立場だもんなぁ…」
アルフォードは連日忙しく、帰宅どころか王宮から出ることすらままならない日々を過ごしているらしい。
更に今は社交シーズン、たまに家に帰れたとしても、茶会だの夜会だのが待っている。実はのんびりしているように見えるクレスター家一同も、連日どこかしら出掛けて社交という名の情報収集を行っているのだ。この時期、貴族たちは皆、密かに結構忙しかったりする。
昨日ディアナから手紙が届いてから、エリザベスは幾つかどこかに便りを出し、にこにこしながら社交の予定を組み直していた。母譲りのパーツを持ったエドワードもそれに倣い、二人は今日からあちこちの茶会、夜会へ出席する段取りを整えたらしい。実に見事な手際である。
一方デュアリスはといえば、彼とて伯爵位を与えられた大貴族、あちこちから招待を受けてはいるが、少なくとも今回のようなデリケートな情報収集には向いていない。自分の顔が、無駄に他人を怖がらせることくらいは自覚している。
結果として、彼がたどり着いた場所は――。
「調査の基本は紙媒体、ってかー?」
王宮内にある、資料室。しばらく放っておいたせいで紙の山となっている、埃舞う部屋の片隅と相成ったわけだ。
この資料室には、少なくとも百年ほど前からの、王国に関するありとあらゆる情報が、紙媒体としてきちんと保管されている。惜しむらくは最新の情報が不足しがちなことだが、貴族たちの領地運営を調べるだけならば十分だ。……整理整頓ができていないのはともかくとして。
「うわー、そのうち雪崩が起きるなこりゃ……。今度エドでも連れて来るか」
ぶつぶつ呟きながらも目的の資料に目を通しつつ、ざっと紙の束を項目順に揃える。一応この部屋の整理はデュアリスの仕事なのだ。多分おそらく絶対誰も気にしない内容だとしても。
「――これは珍しい御仁がいらっしゃいますね」
片付けに精を出しているデュアリスの背後から、涼しい声がかけられた。ぐるりと振り向いた彼は、そのまま片手だけひらひらさせる。
「なんだキースか。ヒマならそこの窓開けてくれ、さすがに埃がひどくてどーも」
「自業自得でしょう、ご自分の仕事を疎かにしているからそうなるのです。ついでに私は暇ではありません」
デュアリスの言をばっさり切りながらも、手伝う気はあるのか窓を開けてくれたのは、眼鏡をかけた青年。質素だが仕立ての良い服に身を包んだ彼からは、育ちの良さが感じられる。彼の名は、キース・ハイゼット。現ハイゼット男爵の長男で、王宮に勤める官吏である。
エルグランド王国の一般市民にとって、『王宮』といえば王都にある国王が住まう城、という印象が主であるが、貴族階級にとっての『王宮』は、また少し違った意味を持つ。王族が起居する場であることはもちろんだが、同時に王の執務を補佐し、国の政を行う、いわば行政機関としての意味合いが強いのだ。主にその区画を『外宮』と呼び、王を含む王族たちが生活する一画、『内宮』とは、完璧に区分されている。言うまでもないことだが、ディアナたち側室が集められている『後宮』は、『内宮』の一部に当たる。
現在デュアリスがいる場所は、外宮の端も端、おそらくほとんどの貴族が存在すら認知していないであろう、『資料室』と呼ばれる部屋だ。一応デュアリスの肩書きは、この部屋の室長なのである。室員など誰ひとりいない、室長イコール唯一の室員という、典型的な窓際族。
「で、なんか用だったか?」
「貴方にはではなく、資料室にですが。――王都の施薬院についての資料はどこに?」
「あー、それならあっちの奥だな。最近事業滞ってるだろ?」
「そもそも、先王陛下が進められていた事業ですからね」
「陛下に継げったって、無理な話だよな〜」
「ですが、民にとっては必要な施設ですから。……あぁ、ありました」
一貫して冷静な受け答えを崩さない彼は見るからに能吏だが、デュアリスは彼がピリピリしていることに気付いていた。冷静沈着を絵に描いたようなこの青年が、意外と激情家であることは知っている。
「ひょっとして、今の外宮室は、陛下の代替わりで滞ってる事業の面倒も見てるのか?」
「ウチ以外に誰もしないから仕方ないでしょう。本来ならばこれは、内務省の仕事です」
「あー、あいつらはなぁ…」
「えぇ、権力争いで必死のようですから。放っておきますよ、使えない奴らに手を出される方が迷惑ですし」
「にしたって、そんなことまでやってちゃお前ら、家に帰れないだろ」
「部屋に泊まり込むこと、今日で何日目になりますかねぇ…」
「おいおい…」
社交シーズン中とは思えない仕事量である。
「アルフォードも相当忙しいらしいが、お前らも大概だな。過労死する前に言えよ?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、我等の仕事は民の生活に直結すること。疎かにするわけには参りませんので」
「それだって、本来なら内務の仕事だろ……」
今の内務省が能無し揃いなのは知っていたが、そのせいで、思った以上に外宮室の負担が大きくなっているらしい。懸案事項だな、とデュアリスは内心呟いた。
現在のエルグランド王国は、財務省、外務省、内務省の三省と、調停局、監察局の二局で、政を行っている。このうち国内における事業などを取り決め、推進していくのは内務省の役割だ。国の政治の根幹を担う内務省は、その性質上国王との距離も三省二局の中で最も近く、果たすべき役目も多い。そこが無能揃いとなれば、やるべき仕事がぽろぽろこぼれ落ちるのも自明の理ではある。
しかし、まさか落ちるに落ちきって、結果外宮室の負担になっているとは。彼等の職務は三省全体をフォローすることであって、内務省の無能をカバーすることではない。
「書類仕事とかは適当に放っておけよ。何もお前らが全部被ることはない」
「もちろん、優先順位の高い仕事から、片付けてはおりますが……下手に書類を後回しにすると、それはそれで雑音がしますので」
「そんなトコばっか目敏いんだよな、あいつら。……外務と財務はまだマシか?」
「あちらは……えぇ、まだ」
「なら、最悪よりはマシか」
三省の仕事を補佐する名目で設立された外宮室。その扱いは、要するに細々した雑事を押し付けられる雑用係である。しかしそれだけに仕事量は多く、その内容も書類作成から肉体労働まで多岐に渡る。外宮室に長く務めている人間は有能だというのが、デュアリス含むクレスター家の認識であった。
――もちろん、若くして外宮室室長補佐を任されているこのキース・ハイゼットも、例には漏れない一人なのである。
「ところで、デュアリス様は何故こちらへ? 何の用もなく、王宮にはいらっしゃらないでしょう」
「……俺だって一応、純粋に仕事をしに来るときもあるぞ」
「年に一度か二度、局長に呼び出されて、ですよね。今回はまだ、局長が青筋立てるほど、資料室は荒れてません」
痛い指摘にデュアリスは明後日を向いたが、事実故に言い返せない。しばらくの沈黙の後、渋々口を開いた。
「……今日はちょっと調べ物だよ。後宮に娘がいる貴族の、領地運営を把握しときたくてな」
「ほぉ? 『紅薔薇様』関連でしたか」
「ディアナをそんな風に呼ぶな。まるで正妃みたいじゃないか」
「とはいえ、私のような下級官吏が、『名付きの間』のお方を名前で呼ぶなど、赦されませんから」
「そりゃ、外ではな。けどここは俺たちのテリトリーだ。一般の認識は知らんが、俺たちはディアナを、王族ごときにくれてやったつもりはない」
「はっきりおっしゃいますね」
キースは苦笑した。クレスター家の末娘がどれほど大切にされているか、知らない彼ではない。
「それで、ディアナ様は何と?」
「ここ最近、陛下が『名付きの間』に順番で渡っているのは知ってるか?」
「らしいですね。書類が降りてきていました」
「ディアナの見立てじゃ、陛下が突然そんな行動に出たのは、何かきっかけがあったからじゃないかということらしいんだが」
「……シェイラ・カレルド嬢が『牡丹派』に連れ去られた、それ以外にですか?」
「なんだ、そこまで知ってたのか?」
「室員の一人が、陛下の護衛騎士団員の一人と友人なんですよ」
「なるほどな」
公私に渡って、拾える情報は全て拾う。それが外宮室のモットーである。
「お望みならば、詳しい話を聞いて参りますが」
「出来るのか? 護衛騎士は今、忙しいだろう」
「さすがに休憩時間はありますよ。件の彼は、護衛騎士の中では家柄が低い方で『格式高い王宮』が息詰まりらしく、しょっちゅう休憩中に外宮室へ顔を出しますから。普段どおりなら、そろそろ休憩時間のはずです」
「おぉ、良い時間に来たなー、俺。頼めるか?」
「お任せください。……こちらでお待ちに?」
「あぁ。待ちがてら、部屋の整頓でもやっとくよ」
「それは建設的ですね。局長の気苦労も減ることでしょうし」
「……お前、ホントに容赦ないな」
表情を変えないから分かりづらいが、これは相当に痛烈な皮肉だ。クレスター家当主にここまで言いたい放題言いまくる宮廷人も珍しい。もちろん好ましいという方の意味で。
一礼して出て行ったキースを見送り、デュアリスはバサバサ埃を払いながら、まずは掃除道具を持ってくるか、と所帯じみたことを考えるのだった。




