閑話その4 ~『蔦庭』での集い~
ディアナが『紅薔薇』のサロンで戦っていた頃。
とある『秘密の場所』――蔦の生い茂る庭の片隅では、小さなテーブルを囲んで、密かなお茶会が開かれていた。
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ディアナが見つけて密かな交流場所として確保した中庭は、そう経たないうちに『蔦庭』と呼ばれるようになり、ディアナ、ライア、ヨランダ、レティシアの四人が人目を避けて会いたいときに利用されるようになった。四人全員が集まるときもあれば、二人だったり三人だったりするときもある。皆それぞれ密かに忙しいので、四人揃う方が珍しいかもしれない。――ちょうど、今日のように。
「ディアナ様も苦労なさるわね。『紅薔薇』とて、決して一枚岩というわけではないし」
「むしろ結束力という点では、『牡丹』の方が勝っているのではないかしら? あそこは目的がはっきりしていますから」
「はた迷惑ですけれど。新興貴族を蔑ろにしては国が成り立たないということくらい、お分かりにならないのでしょうか?」
優雅にお茶を楽しみながら、殺伐とした会話を交わす『名付き』の三人。レティシアの率直な疑問に、ライアとヨランダは苦笑する。
「……正直、分かっていらっしゃらないのでしょうね。今、世情がどう動いているのか」
「王国がこの先も変わらず繁栄していくか、今がまさに節目の時代なのだけれど。残念なことに古参貴族の中には、時代の変換点に立ち会っているという自覚のない方々が多すぎるもの」
「……それは、ランドローズ家を筆頭に、ということですか」
「そうね。あそこが筆頭だわ」
エルグランド王国において、建国当時から続く名門一族といえば、真っ先に上げられるのは王太后の実家、モンドリーア公爵家である。王太后の兄、現モンドリーア公爵は宰相の位に就いており、『第二の王家』とも呼ばれるほどの、名門の中の名門だ。
『名門』と呼ばれる家は、他にもある。が、リリアーヌの実家ランドローズ侯爵家は、歴史こそモンドリーア家と並んで長いものの目立った功績もなく、『名門』と呼ばれるには一歩及ばない家だった。それでも古参貴族の筆頭として、そこそこの地位にはいるのだが。
「あそこはもともと、『爵与制度反対派』の先鋒でもあったから。世代が変わっても、考え方は変わらないみたいね」
「それでも先代まではもう少し、立ち回り方も心得ていらっしゃったようだけれど。当代のランドローズ侯爵は、ねぇ……」
「主義主張で支持を得て、それを人望と勘違いしているようなお方だから。本気で新興貴族を潰す気でいるのではないかしら?」
「えぇっ!? そ、そんなことをしたら……」
「『アズール内乱』なんて目じゃない事態に陥るでしょうねぇ」
さらりと他人事口調で怖いことを言ったヨランダ。ちなみに『アズール内乱』とは、百五十年ほど前に起こった内乱の通称である。『王国最大の内乱』とも呼ばれる歴史を軽く凌駕する騒ぎになるだろうと、彼女は予測しているのだ。
特に緊張感のない口振りで、ヨランダは続けた。
「でも、『爵与制度反対』の一派というなら、ストレシア家もそうだったじゃない?」
「え、そうだったんですか!?」
「……誤解なさらないでね、レティシア様。ヨランダ、それは昔の話でしょ。反対していた人たちとウチに、今じゃ繋がりなんてないも同然なのだから」
「あらあら、一応親戚の方々に手厳しいこと」
「家格と財産狙いの者たちと、親戚付き合いするつもりはないわ」
今でこそ『社交界の花』と名高いライアであるが、彼女自身はかなり数奇な遍歴の持ち主であると言える。
ライアの父親、現ストレシア侯爵は、先代侯爵の次男として生まれた。基本として長男に爵位継承権が与えられる貴族社会で、長男以外に生まれた男は、生まれ落ちたその瞬間から、自分自身の道を探さなければならない。現侯爵も例に漏れず、学院に通って興味のある分野を勉強し、選んだ道が異国への留学だったのである。『保守』の考えが色濃かった当時の侯爵――ライアの祖父からは、そのときにほぼ縁を切られた。
もともと次男、実家に頼る気もなかった侯爵は、そのまま異国へと渡り積極的に勉強をし、若者らしく恋に落ちて結婚。もう母国へ帰ることもないと思っていた矢先、お決まりの『父危篤、すぐ帰れ』の知らせが舞い込んで来たのだ。新婚ほやほやの妻を連れて帰国した彼は、危篤の父と、やたら顔色の悪い兄に再会した。
兄はそもそも、あまり身体の丈夫な方ではなかった。療養と後継ぎの勉強を半々でこなしていたような印象しかなかったその兄は、突然父が倒れたことで当主代行もこなさなければならないようになり、身体を休めることもできなかったのだ。あまり話をすることもなかった兄だが、別段険悪だったわけでもない。なし崩しに彼は、兄を手伝って侯爵家の雑務を引き受けるようになった。
そのうちに父は亡くなり、兄が新たなストレシア侯爵となる。『兄の手伝い』という半ばプータローな立場にいた彼は、親戚連中から『後釜狙いのハイエナ』扱い。そんな彼を父親に、ライアは生まれてきたのである。
『プータローが異国から連れて来た得体の知れない女』が身篭ったと分かったときには、親戚連中の目の色が変わったという。肝心の当主には子どもどころか妻すらおらず、一方考えの読めない弟には、子を産める能力のある妻がいる。このままでは王宮から、後継ぎ問題を回避するため『弟に爵位を譲れ』という達しが来るかもしれないが、若い頃から異国に渡っていて自分たちと繋がりの薄い弟では、いざというとき便宜を図ってもらえない。それでは困るというわけだ。
真面目な話、これでライアが男の子であったなら、命を狙われていたかもしれない。女の子であったため、親戚連中はひとまず安心したのだ。貴族ではあっても爵位のない父を持ったライアは、他の令嬢たちと交流することもほとんどなく、少女時代を過ごした。唯一の例外が、ヨランダだ。
父親同士が学院時代の友人、家が近かったというのもあって、ライアとヨランダは物心ついたときから一緒に遊んでいた。当時からヨランダはユーストル侯爵令嬢、一方のライアは単なるライア・ストレシアと立場は違ったが、子どもも親も気にすることなく。
それでも大きくなれば、自然と自分の立場も分かってくる。自分のような者と仲良くしていてはヨランダの評判に傷がつくと、一時期は離れようともしたが。普段はのほほんにこにこと笑うヨランダに泣きながら会いに来られては、白旗を振るしかなかった。
そして、月日は流れ。父親の兄――伯父の好意で、ヨランダと一緒に社交界デビューさせて貰った、そのしばらく後。
季節の変わり目に風邪を引いた伯父は、どんどん症状が重くなり、闘病のかいなく亡くなった。亡くなる間近、親戚一同を集めて『次期侯爵は弟に』と宣言、正式な書面もしたためておいてくれたおかげで、親戚連中が文句を言う暇もなく父親が爵位を継ぎ、同時にライアも『プータローの娘』から『ストレシア侯爵令嬢』へと昇格したのである。
父は爵位を継ぐなり、金をせびるしか能のなかった親戚連中との縁切りを決行、『保守』ではあっても過激派ではない立ち位置にストレシア家を置き、王宮内での立場を安定させた。数少ない留学経験のある当主ということで、今の王宮ではご意見番として、そこそこ一目置かれているらしい。――そういう背景があって、ライアに後宮入りの打診が掛けられたのだ。
ざっとストレシア家の事情をレティシアに説明し、ライアはふぅ、と息を吐いた。
「そういうわけだから、お父様は本音では、新興貴族の方々の肩を持ちたいのよ。ストレシア家の家柄と先代までの立場を考慮して、今はあの位置で落ち着いているけど」
「なるほど……。驚きました、ストレシア家はずっと昔から、今のようなお立場なのだとばかり思っておりましたから」
「普通はそう思うわよね。……だから私、お父様から後宮に入りなさいって言われたとき、これは勢力が偏らないようにだな、ってすぐに分かったわ」
「見た目『保守派』、実は『革新派』って家だものね、ストレシア家は」
どちらかに勢力が傾いたとき、上手く調整できる家の娘だという期待があったのだろう。現実は厳しく、リリアーヌが暴走したおかげでライアが立ち回る隙もなかったが。
「最初は私に期待されていた役割を、今はディアナ様が一身に背負われていらっしゃるのよね……。あの若さであの立ち回り、末恐ろしいご令嬢だわ」
「陛下があのような有様ですから、余計に輝いていらっしゃいますね」
「えぇ、そうね。……そういえばライア、貴女今宵陛下のお渡りがあるのでしょう? 用意しなくて良いの?」
「何の用意よ。部屋の掃除なら侍女たちがしてくれているし、私がすることなんてないわ。大体迷惑よ、この忙しいときに」
「……忙しいのは間違いなく、陛下に原因の半分があると思います」
せめてもうちょい考えて『訪問』してくれれば……とは、ディアナだけでなくこの三人も思ったことである。おかげで『牡丹』が勢いづいて、情報収集や『中立派』との連携に大忙しだ。
しみじみ言ったレティシアに頷いて、ヨランダは笑った。
「それでも、『牡丹』の勢いを止めるのに一番有効なのは、陛下が『牡丹』に続いて『睡蓮』へ渡られたと、噂を広めることだろうから。頑張りなさいな、ライア」
「……顔を見たら、反射的に罵倒してしまいそうだわ。今のうちにお父様に謝っておこうかしら」
「ライア様、真顔でおっしゃらないでくださいませ。怖いです」
突っ込んだレティシアが、ふと小首を傾げた。
「……けれど、何か勿体ないですね」
「え?」
「レティシア様、勿体ないとは?」
「だって、せっかく陛下が、きっかけはどうあれ後宮に目を向けてくださったのですよ? このまま、ただシェイラ様をお守りするために『適当に『名付き』に顔を出しておこう』だけで終わるのは、あまりに勿体なくありませんか?」
父親が新たな事業を展開しているところを身近に見て育ったレティシアは、変なところで効率的だ。せっかく国王が後宮を見る気になったこのチャンス、逃しては勿体ないと思ったらしい。
一理あるといえばあるその主張を聞いて、ライアとヨランダは考え込んだ。
「確かに、ね」
「この機会を、次に繋げられたら言うことないけれど」
「でしょう?」
「……どう繋げるか、問題はそこよね」
呟いたライアの横で、ヨランダが菓子をつまむ。白い手をひらひらさせて、ヨランダはひとりごちた。
「そもそも陛下が後宮に目を向ける気になったことが奇跡だもの。表の有力者の娘がわんさかいるって分かっていても、政務と後宮を切り離して考えて、無視しつづけてきたお方だからねぇ」
「……ヨランダ、それだわ」
「え?」
閃いたライアは、ヨランダの指先から菓子を掠め取る。
「陛下が後宮を顧みられないのは、表の政と奥の雑事は別物だと勘違いしていらっしゃるから。後宮にここまで側室が溢れたのは未だかつてないことだから、分からなくはないけれど」
「……つまり、表と奥が密接に繋がっていると自覚して頂ければ」
「為政者の目で、後宮をご覧になってくださるかもしれないわ」
三人は顔を見合わせた。――できる。今の自分たちになら。
「折しも今は社交シーズン。後宮に側室の実家の者たちを招いてガーデンパーティを開いても、不自然にはならないわね」
「陛下主催で開いて頂かなくては。そうなれば、陛下もいらっしゃるかと」
「直接言っては勘繰られるかもしれないわね。私がちょっときついことを言うから、ヨランダ、フォローついでに軽く提案してみて」
「では私は、美味しいお茶を陛下に飲んで頂いて、パーティを開きたくなって頂けるよう後押ししてみましょう」
共犯者の微笑みを、三人は浮かべた。『名付き』で良かったと、今初めて思ったかもしれない。
「……これで少しは、ディアナ様のご負担が軽くなると良いのだけれど」
ぽつり呟いたヨランダの言葉は、残り二人の代弁でもあった。




