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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
258/259

鍵の〝心〟に手を伸ばす


 ――情報共有会議の数日後。ナーシャの部屋にて。


「仮に、私が、どれほど苦悩していようと。……叶わぬ想いに、胸引き裂かれる絶望を、幾度も、幾度も味わおうとも。それらは全て、私が得た、私だけのもの。どなたにも――ディアナ様にも、共感し、共有して頂こうとは思いません」

「ナーシャ様、わたくしは、」

「今までのお話は、全て、ディアナ様の憶測にございましょう? 証拠など、何一つないのですから」

「ナーシャ様! 警戒されるお気持ちは分かります。ですが、どうか聞いてください。恐らくルドルフ殿は、あなたへの想いゆえに、我が身もろとも国を滅ぼしかねない、恐ろしい陰謀の渦中に立とうとしておられます。彼を引き戻し、救えるのは、あなただけ。ナーシャ様、たったお一人だけなのです」

「……それが、ディアナ様の〝お願い〟ですか」

「ナーシャ様のお心に負担をかけてしまうようなことを申し上げるのは、本当に心苦しく思っています。しかし、ルドルフ殿の歩みの先に、決して希望はありません。ナーシャ様と、お子様と。そして、他ならないルドルフ殿の、未来のために。わたくしは是が非でも、彼を止めねばならないのです――!」


 ディアナの訴えに返ってきたのは、暗く平坦な、感情を隠したナーシャの眼差しだ。

 それをしっかりと受け止めつつ、ディアナは内心、(でしょうね)と嘆息する。


(今の状態で〝未来〟とか言われても、ナーシャ様には綺麗事としか感じられないでしょうし。なんなら綺麗事ですらない、単なる絵空事かも)


 それ以前に、大して仲良くもなかった(スタンザ訪問前のディアナとナーシャの距離感は、正しく側室筆頭『紅薔薇』と一側室のものであった)相手から「気持ちを分かってあげられなくてごめんね」などと言われても、傲慢にしか聞こえないだろう。……〝作戦〟のため、一度はナーシャに拒絶してもらう必要があったとはいえ、あまりにも上から目線な物言いに、ちょっと心がヒリヒリした。


「……ルドルフが。ルードが破滅するというのなら、運命を共にすることこそ、私の選ぶべき道なのでしょう」


 長い沈黙の果て、絞り出すようにそう返してきたナーシャ。

 意識を集中させ、カイが新たな『陣』――『千里眼』除けの小結界を張ってくれたのを確認してから、ディアナはまっすぐ視線を合わせた。


「それが、する必要のない破滅でも?」

「必要のあるなしは分かりません。でも、このまま彼が身を引かねば、どちらにせよ破滅するのでしょう?」

「そうですね。ルドルフ殿がナーシャ様を欲し、それ故に愛する女性を奪った国王と国に弓引かんとされている――彼の〝謀叛〟の動機がナーシャ様にあるのなら、全くする必要のない破滅ですけれど」


 ナーシャは決して、頑迷な女性ではない。彼女の本質は、どちらかといえば冷静で理知的だ。だからこそ、〝恋心〟というイレギュラーに振り回されたときほど〝らしくない〟言動が目立つのだろう。

 そんな彼女は、ディアナの纏う空気が、先ほどまでとは微妙に異なっていることを、鋭敏に察知したらしかった。


「……今、なんと仰いました? ルードが、謀叛を、企てていると?」

「はい。信頼できる筋から情報を得て、クレスター家で調査した結果、判明した事実です。ルドルフ殿は、国に……というより、ジューク陛下個人に対し、大逆を計画している、と」

「…………まさか、そんな」

「スタンザ帝国より密かに最新武器を買い集め、腕に覚えのある荒くれ者を雇って王都の外れへ結集させる、そこそこ本格的なスタイルです。人の集め方もお上手で、さすがはクロケット家の跡取りと、陛下を含め、詳細を知った方々も感心しておいででした」

「ディアナ様……!?」


 ナーシャが目を丸くしていく前で、ディアナは呑気な世間話の雰囲気のまま、とんでもない爆弾を次々と投下して。


「ナーシャ様は先ほど、ルドルフ殿が破滅されるなら、共に滅びることこそ、ご自身の選ぶべき道と仰いました。不躾かもしれませんが、一つ聞かせてください。――ナーシャ様が、それほどまでに〝滅び〟を求められるのは何故ですか?」

「え……」

「義理とはいえ姉弟(きょうだい)でありながら、ルドルフ殿を愛してしまったから? 出自が平民であることに加え、実父周りの人間はクロケット家に害しかもたらさない身では、次期クロケット家当主の妻になど、なれるはずもないから? ……あるいは、他に想う(ひと)がいると自覚しながら〝側室〟となった挙句、結局は想いを断ち切れず、その男の子を宿してしまったことに対する、陛下と、国への罪悪感から、でしょうか?」

「……本当に不躾ですね。私がどのような理由で破滅を望もうと、ディアナ様には関わりなきことではありませんか? 今挙げられた〝理由〟全て、側室筆頭たる『紅薔薇』様には、縁もゆかりもなきことでしょうに」


 皮肉げに笑ったナーシャに――ディアナははっきりと苦笑した。


「実のところ、そうでもないのです。確かに、義理のきょうだいで恋仲に……という項目は当てはまりませんが。他二つは、わたくしと無縁ということもなくて」

「……ぇ、?」

「わたくしにも、想う方がいますから。……陛下とは違う、別の」

「!!」


 絶句したナーシャと目を合わせたまま、ディアナは一つ頷いて。


「ありがたいことに、彼もわたくしを想い、わたくしとの未来を望んでくれています。ですが、その〝未来〟を得るのは、決して楽な道ではありません。あのひとは貴族身分でなく、窮屈なことも多い貴族社会とは距離を置いている。いくらわたくしがクレスター家の娘でも、彼に差し出せるものは決して多くありません。……むしろ、自由を尊ぶあのひとにとって、わたくしの手を取る道は、デメリットの方が多いでしょう」

「そ……んな、こと、が」

「状況は違いますけれど。陛下以外の方を想い、そのひとと共にある〝未来〟を目指す選択に障害が多いことは、わたくしたち、共通していませんか?」


 ここまで、呆然と目を丸くするばかりだったナーシャ。

 しかし彼女は、ディアナの言葉のどこかで頭を切り替えたのか、突如として姿勢を正し、ディアナの手を逆に握ってきた。


「今のお話は、まことですか?」

「こんな話、嘘でできませんよ」

「まさか、ディアナ様が……あの、シェイラ様はご存知で?」

「もちろん、知っています。シェイラも、陛下もご存知のことです。二人とも、彼とは顔馴染みですし」

「それで、あの……問題ない、と?」

「まぁ……わたくし、元々、そう長く『紅薔薇』でいる気はありませんでしたから。シェイラを正妃に推していることからも、ご推察頂けていたとは思いますが」

「……素人疑問で恐縮なのですけれど、『紅薔薇』様ってそう簡単に辞められます?」

「そこ、なんですよねぇ……」


 地味に痛いところを突かれ、ディアナは軽く唇を尖らせた。最初期の、方々から嫌われまくっている状態であれば、適当な理由をぶちまけて自分勝手に出て行っても「だろうな」で見送られた気がするけれど。


(今は……無理でしょうね)


 計画が上手くいって〝シェイラ正妃〟が誕生したとしても、「それはそれ、これはこれ」精神で王宮残留を打診されそうな予感がひしひしとする。ディアナの心情を思い遣ってくれる仲間たちは引き止めないだろうけれど、〝王宮〟という強大な生き物が、これほど便利な『紅薔薇』を逃すかどうかはまた別の話だ。今更ながら、ちょっと真面目に働き過ぎたかもしれない。

 ――とはいえ、それはあくまでも『紅薔薇』の話である。


「今すぐ出ていくわけではありませんし、『紅薔薇』の消え方については、また追々考えますよ」

「そんな……呑気にもほどがあります」

「わたくしは、お腹の中に新たな命を抱えているわけではありませんから。――今は、ナーシャ様が幸せになる道を探ることが、何より肝要です」


 ナーシャが取ってくれた手を、ディアナもぎゅっと握り返した。

 戸惑うヘイゼルの瞳に、真摯な心をもう一度向けて。


「わたくしは、ナーシャ様に、幸せな〝明日〟を得て頂きたい。だからこそ、ナーシャ様が〝滅び〟を望む――〝滅び〟の中に幸福があると信じている状態を、なんとかしたいのです」

「なんとか、って……できる、わけが」

「――できます」


 不確定の未来を、敢えて、断言する。


「ナーシャ様が、本心ではルドルフ殿との未来を望み、叶わぬがゆえに絶望しているのなら。その絶望は、晴らすことができるのです」

「私の、抱えているものを知って。それでもなお、絶望を晴らせると?」

「えぇ。――ですから、どうか信じて。抱えているものを、一度、こちらへ渡してはもらえませんか?」


 揺るぎない自信を、言霊へ込める。……きっと、これまでのディアナには、この〝強さ〟が足りなかった。


 何があっても絶対に、目の前の人を喪わず、幸福へと橋渡しできるという、自信。――必ずそうしてみせるという、不屈の覚悟。

 他者へ言葉を、思いを届けたいと願うなら。まずは誰よりもディアナが、届けたい思いを、信念を、信じなければならなかった。……信じ、必ず成し遂げると覚悟し、確固たる自信を己の中に構築して、相手の心へ訴えねばならなかったのだ。

 他人の心は、その人だけのもの。変えることなどできないし、動かすのだって容易ではない。容易でないことに挑むのだから、自由にできる自分の心に筋を通しておくことは、むしろ最低限の心構えだろう。


 ナーシャを――ルドルフを。

 必ず、笑顔溢れる〝未来〟に続く道へ、導いてみせる。切り拓いてみせる――!!




「……本当に、不思議なお方です。ディアナ様は」


 どれほど、時間が経ったのか。

 沈黙を破ったのは、小さな、小さな、ナーシャの呟きだった。


「不思議、ですか?」

「……私。本当は、ずっと、ディアナ様が怖かったのです」


 ぽつ、ぽつと。

 ナーシャは、静かに語り出す。


「悪い方でないことは、初めてご挨拶申し上げた日から、何となく分かっていました。リディル様が一切警戒していらっしゃいませんでしたし、シェイラ様も『紅薔薇様』を慕っておいででしたから、悪い方どころか、きっととてもお優しく、素晴らしい方なのだろうとも、感じておりました」

「それほどでもありませんが……」

「です、けれど。ディアナ様がどれほど素晴らしい方でも、私は、ずっと、怖かった」


 まるで懺悔のような、ナーシャの言葉たち。

 余計な口は挟まない方が良さそうだと判断し、ディアナは視線だけで傾聴を表現する。


「ディアナ様の〝何〟がそこまで恐ろしかったのか、それは今でも分かりません。『紅薔薇派』のサロンに招かれ、ディアナ様とお顔を合わせる度、ずっと、どうしてか、責められているような心地で……。いつだってお優しいお言葉をくださるのに、もしやそのお言葉に〝裏〟があるのでは、本当は全てをご存知で、私に引導を渡すときを計っていらっしゃるだけなのではと、一人、怯えていたのです」

「……わたくしが、ナーシャ様へ、なんの引導を渡すと?」

「……先ほど、ディアナ様が仰ったではありませんか。他に想うひとがいて、本音では〝側室〟として陛下にお仕えする気など微塵もないのに、ただ自身の身勝手な望みのため、入宮する道を選んだ。――そんな女は陛下の側室に相応しくないと、今すぐ部屋を引き払って立ち去れと、全てを知った『紅薔薇様』に言われる日が、いつか、来るのではないかと。たぶん、そのように感じていたのだと思います」

「え……ぇと、ですね」


 どこから突っ込もうかなと考えて、全部突っ込むしかないなと、ディアナは三拍で考えるのを放棄した。


「現後宮に関しては、そもそも〝ジューク陛下の妃になりたい〟あるいは〝側室として子を成したい〟と考えて入宮している方が、割合的にはおそらく少数派です。リディル様のように出稼ぎ感覚でいらした方も多いですし、まず五人いる『名付き』のうち四人が、妃になる気も世継ぎを産む気もさらさらなく、単に後宮内の秩序を保つお仕事感覚で入ってきておりますから。他にも、〝実家と距離を取りたい〟とか、〝断りにくい縁談を断る口実に〟とか、そういった理由で入宮された方もいらっしゃいます」

「そ……そう、なの、ですか?」

「えぇ。なので、身も蓋もない結論にはなりますが、心情的にはそもそも、現後宮は〝後宮〟とは言えないのです。心から王を愛し、王に仕えて慰めとなり、王の子を宿して国に貢献するのが〝側室〟であり、園の中で競い合って、最も王の隣に相応しい〝花〟を定めるのが〝後宮〟の本分ではありますが、現状、あまりにもかけ離れていますので」

「ですが、シェイラ様は」

「そうですね。シェイラが奇跡的にいてくれたから、まだかろうじて、外側のキラキラメッキは剥がれずに済んでいる状態かと。これでシェイラがいなかったらと思うと、正直、ゾッとします」


 何しろ、『側室筆頭』であるはずのディアナに〝側室〟をする気が欠片もなく、『名付き』の中で唯一やる気に溢れているリリアーヌは実家が不穏で、彼女が仮に正妃となれば国難待ったなし。残る三人も……うん。


(はっきりと聞いたわけじゃないけれど……ライアさんもヨランダさんもレティも、正妃になる気はないというか、そもそも〝側室〟する気もなさそうだったのよね)


 曲がりなりにも〝側室〟の上位であるはずの五人がコレでは、もとより現後宮が〝本分〟を果たすのは、始まる前から望み薄だったに違いない。加えて、(ジューク)自身が後宮を単なるポーズにする気満々だったとなれば、機能不全は予定調和だ。


「この際ですから全部言ってしまいますけれど……現後宮に関しては、王宮の上層部は最初から、ナーシャ様が思っていらっしゃるほどの心構えを側室方に求めていないのです。でなければ、家計が厳しいお家に〝支度金〟を渡してまで、出稼ぎ感覚の〝側室〟を集めるような真似はしないでしょう」

「た、確かに」

「ナーシャ様がとても真面目に〝側室〟の本分と向き合い、心から陛下を愛せない身でありながら入宮したことに、深い罪悪感を抱いていらっしゃったことは伝わりました。ですが、〝精神の不義〟を理由にナーシャ様を追い出してしまったら、他にも結構な数の方を追い出さねばならなくなってしまいます。そうなるとシェイラの味方が減って、結果的にわたくしも困るのですよ」


 ジュークを男として愛せないことが側室の〝罪〟なら、まず『名付き』全員が後宮から追い出されねば整合性が取れなくなる。側室全体で見ても、心からジュークを愛している側室など、それこそシェイラくらいだろう。ディアナ自身、入宮して実際に側室たちと関わるまで、「後宮に住んでいる側室たちは、想いの強さに差はあれど、皆それぞれ王に好意を抱いているはず」と薄ぼんやり思っていたけれど、蓋を開けてみたら内情はかなりシビアだったのだ。

 王太子時代のジュークは、内務省の教育方針ゆえか、公の場に姿を現すことが、そもそも非常に少なかった。王族全員の出席が求められる年三度の夜会で、冒頭にちらっといた程度だったらしい。成人してからはやや露出も増えたけれど、為人(ひととなり)がつぶさに伝わるほどではやはりなく。〝王太子〟という偶像に憧れを抱く娘はそれなりの数いても、〝ジューク〟への好意には繋がらなかったのだろう。

 仮に、入宮するまで〝王太子〟に憧れていた側室がいたとしても、後宮で知った〝王〟の姿は、側室を集めるだけ集め、後宮が荒れ放題の状態でも気にせず放置している、間違っても好意など抱きようがないモノ。百年の恋でも醒めそうな様相を目の当たりにして、淡い憧れを恋心へ昇華など、できるわけもない。現後宮の側室たち――とりわけ『紅薔薇派』の彼女たちからジューク王への好意が清々しいほど感じられないのは、最初期の後宮の惨状と、決して無関係ではないと思われる。


(私、今でも一応、対外的には陛下の〝寵姫〟のはずだけど。陛下を本気で好きな方が後宮にいらしたら、〝寵姫〟に対して何らかの反応を見せそうなものだけれど、そういうの感じたこと、これまで一度もないし)


 あのシェイラですら、『ディー』が『紅薔薇』なのではと疑念を抱いた際、〝紅薔薇寵姫説〟を聞いて不安になり、「ディーは陛下のこと、好き?」と尋ねてきたのだ。シェイラほど思い切りの良い女性は少数派だとしても、〝寵姫(ライバル)〟の動向が気にならない恋乙女はいないはず。なのにディアナは、これまで一度たりとも、ジューク関連の惚れた腫れた騒動に巻き込まれたことはないし……もっと言えば、そんな騒動が後宮で起こったことすらないのである。


(なんか、考えること自体、バカバカしくなってきたわ……)


 面倒ごとは少ないに越したことはないので、ジュークの後宮はこの状態を保ったまま緩やかに閉じてほしいけれど。〝後宮〟としては致命的に間違っているというか、〝後宮〟と呼ばれていることそのものが、ここまで来ると立派な詐欺だなと諦観しつつ、ディアナは乾いた笑いを漏らした。


「ナーシャ様は、本当に真面目なお方ですね。仮に去年の段階で、ナーシャ様とルドルフ殿のご関係を知ったとしても、それを〝罪〟だと断じる気概も真剣さも、わたくしはこの後宮に抱いておりませんでしたよ」

「……はい。そうなのだろうなと、先ほどからお話を伺う中で、何となく感じました。おそらくですけれど、ディアナ様は、側室でありながら陛下以外の男性に心を寄せることを、〝罪〟とは考えていらっしゃらない、ですよね?」

「考えてないです。想う方がいらしても、その方と生きる道に未来を見出せず、家族のためにと入宮されたのであれば、それはそれで一つの選択だろうとしか。わたくしのように、入宮してから別の方と出逢い、陛下には感じない〝特別〟を感じるようになったのだって、なってしまったものは仕方ないとしか思えません。己の心が何に動いて何を求めるのかなんて、自分でも分からないのですから」

「ディアナ様が、そうやって寄り添ってくださる度……私が、自分を肯定できる、その度に。何故かずっとあったディアナ様への〝畏れ〟が、どんどん消えていくのです。先ほども……」


 澄み切ったヘイゼルの瞳から、涙が一筋、流れ落ちる。


「私に、滅びではなく、幸福な明日を、得てほしいと。絶望は、晴らすことが、できると。そう仰るお心に、触れて……私は初めて、自分の、本当の望みを、肯定する気になれた。望んでも叶わない、望むこと自体、彼も、家族も不幸にする〝罪〟だと、ずっとずっと、思っていたのに」

「……望むことは、罪になりません。ナーシャ様のお心は、ナーシャ様だけのもの。心の自由は、神様にだって侵せない、侵してはならない大切なものです」

「……本当に、不思議です。あんなに怖かったのが嘘のように、今の私は、ディアナ様を心から慕わしく感じているのですから。慕わしく感じて――信じたいと、思ってる」

「ナーシャ様――」

「……聞いて、頂けますか? 私と、ルードのことを」


 こちらを見つめるナーシャの顔に、もう、迷いや恐怖の色はない。真っ直ぐに前を向き、未来を見据えている。

 ようやく開いた、ナーシャの心。ディアナは、しっかり頷いた。


「もちろんです。――シェイラとリディル様も呼びますか?」

「……呼んで、よろしいのですか?」

「ナーシャ様が本当に話したかったのは、わたくしよりも、ご友人のお二人でしょう?」


 ――今日、このタイミングでナーシャを絶対に説得する。そう心に誓って、ディアナは予め、シェイラとリディルに、ナーシャの部屋近くで待機してもらっていたのだ。ナーシャが事情を打ち明ける気になってくれたそのとき、真っ先に二人と繋がれるように、と。

 何か言うまでもなく、天井裏のカイがシェイラへ知らせてくれたのだろう。少し待つだけでナーシャの部屋の扉……寝室奥にある、侍女用の通用口が大きく開かれた。そこから勢いよく、シェイラとリディルが飛び込んでくる。特にリディルは、見るからに顔色を険しくさせていた。


「ナーシャ様……!」

「ナーシャ様、お身体の具合は大丈夫ですか? ……お話、聞いたのですよね?」


 ジュークからルドルフについての話を聞いて日数が経っていたシェイラはともかく、リディルは現状を、今の待ち時間で説明されたはずだ。言葉もない様子でナーシャへと駆け寄り、ただただ、その手を強く握り締める。シェイラはリディルより冷静だが、それでもナーシャが心配なことは変わりないようで、表情は暗めだった。

 そんな友人二人に、ナーシャはどこかおっとりとした、〝いつも〟の微笑みを浮かべる。


「えぇ、聞きました。でも、不思議と心は落ち着いているのです。紅薔薇様が――ディアナ様が、私の絶望は晴らせると、幸福な〝明日(みらい)〟は絵空事でないと、お約束くださいましたから」

「この状況でも……ここから、巻き返せると?」


 すがるようなリディルの眼差しに、ディアナは強く、首肯した。


「策は、あります。その策をより強固にするため、ナーシャ様とルドルフ殿について教えて頂きたいと、そうお願いしたの」

「……断罪のためでなく、ルードの〝明日〟を守るためなら。向き合えなかった過去とも、気持ちとも、向き合えます。――弱い私はずっと、目を塞いで逃げることしかできなかったけれど」


 告解の呟きを、静かに落とし。

 瞳を閉じたナーシャは、語り出した。


 それは、一人の少女の、ものがたり。

 生まれも育ちも平凡そのものだった彼女が、思わぬ運命に翻弄され、後宮へ辿り着くまでの、波乱に満ちた半生の記憶――。


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― 新着の感想 ―
ディアナとナーシャは対照的ですね。 絶対にその人と未来をつかもうとしているディアナと 共に滅びることこそが幸せだと思ったナーシャと
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