若き〝希望〟が運ぶもの
旧き年は去り、新たな年が始まった。吹く風は日に日に冷たさを増し、夜の間に降った雪は溶け切ることなく、朝の景色を白く彩り出す。
『年迎えの夜会』が無事に終わった王宮は、一部慌ただしいものの、概ねはゆったりした時間が流れていた。
「ディアナ様……連日の人手不足でご迷惑をおかけし、申し訳ありません。もう一週間もすれば、またお茶会などを開いて頂けると思いますので」
「毎年のことでしょう? わたくしは室内でのんびり過ごす時間も好きだから、そこまで気にしなくても良いのよ、ミア」
「寛大なお言葉に感謝します」
後宮に住み込みで働く者たちは、降臨祭が終わって……要するに新年が明けてから、交代でまとまった休みを取るのが、去年からのパターンだ。降臨祭の期間中は、多くの職種が長期休暇に入り、王宮も例に漏れないのだけれど、唯一後宮では側室たちが各々に祭りを楽しむため、女官侍女の休む暇がない。そのため、後宮だけは休みの期間がズレている。
本日の『紅薔薇の間』では、ルリィとロザリーがお休み中。マリス前女官長時代は、出自によって休みが取れたり取れなかったりだったらしいが、マグノム夫人はもちろん、そんな贔屓はしない。実家関係が複雑らしい彼女たち(『紅薔薇の間』の侍女たちは全員、漏れなく事情持ちだという)も、しっかり休めているようで何よりだ。
「ミアも、もっと休んで良かったのに」
「長く休んだところで、家族も何かと忙しなく働いていますから、家でゆっくり過ごせるわけではありませんし。里帰りできるほど、長期の休みでもないですしね」
「あー……領地が遠いと、なかなか気軽に帰れないわよね」
ミアの家族は、そのほとんどが昨年のマリス前女官長の不祥事の煽りを受け、貴族籍を剥奪されている。ギリギリで生き残ったのが、ギリギリでディアナに味方したミアと、新人官吏でありながら後宮の不正を見つけ出したクロードだ。実質二人きりとなったメルトロワ子爵家は、姉弟どちらもが王宮で働いているため、行動範囲はほぼほぼ王宮付近で固定されている。
ちなみに、クロードの職場である『外宮室』に、休みらしい休みはない。……いや、室長のノートンは、ちゃんとシフトを組んで、規定通りの休みが部下たちに行き渡るよう、日々心を砕いているのだけれど。三省から降りてくる通常業務の他に、ジュークが抱えている案件の細々した雑務を一手に引き受けている彼らは、何かと休みを放棄気味らしい。
――年が明けてからは、特に。
(クロード……昨年も思ったけれど、あの子は鋭い着眼点を持っているからこそ、辛いことにいつもいち早く、気づいてしまいがちね。『外宮室』があの子の職場で、本当に良かった)
手遊び程度に刺していた刺繍の手を止め、ディアナは『年迎えの夜会』の夜、カイを迎えに行く前にクロードと交わした会話を、改めて反芻する――。
■ ■ ■ ■ ■
「ディアナ様。お話が、あります」
控え室の扉を、開けた先。
明らかにディアナを待っていたクロードは、見るからに、何かを思い詰めた顔をしていた。
彼の様子を見て思い出したのは、昨年の夏――王宮官吏となり、『外宮室』に配属されたクロードが、図らずも姉の不正の証拠を見つけてしまい、精神的に追い詰められてしまった、あの一件である。当時、ディアナはクロードの存在を知らなかったけれど、後から聞いた話では、内宮の、ミアの不正を見つけながらも、領地のために口を噤む決断をしたクロードは、辞表を出すほど苦しんでいたそうだ。真面目で実直なミアの弟らしく、彼もまた、自分に厳しいタイプなのだろう。
今すぐ対応すべきだという直感に従い、ディアナはクロードをしっかり見て首肯した。
「もちろん、すぐに聞きましょう。……その様子を見る限り、立ち話で済む内容ではなさそうですね?」
「そう、ですね。あと、できれば、もう一人同席させたいのですが」
「もう一人……?」
「はい。ディアナ様とも面識があります」
面識がある人物ならば、別に構わないだろう。聞けばその者は、クロードがディアナを連れてくるのを、いくつかある休憩スペースで待っているという。
そういうことなら、とクロードに案内された先で、待っていたのは。
「……ご無沙汰しております、ディアナ様」
「まぁ、アベル殿」
意外なような、妥当なような。ヨランダの弟で、次期ユーストル侯爵の、アベルであった。
今年社交デビューしたばかりのアベルは、身分上まだ学生だが、『シーズン開始の夜会』でクロードと知り合い、親交を深めているという話は聞いていた。しかしまさか、王宮夜会という大舞台で、二人で示し合わせ、ディアナに話を持ちかけて来るほどの仲になっていたとは。そのコミュニケーション能力は、是非とも大事に育ててもらいたい。
二人に促され、ディアナはソファーに腰を降ろした。アベルが手際よく給仕してくれたお茶を飲み、一息ついたところで、二人の顔を順繰りに見る。
「お茶をありがとう。二人を引き合わせたのはわたくしだけれど、随分と仲良くなったのね」
「アベルのお陰ですよ。俺が休日も仕事しがちだと知って、休みのたびに王都へ連れ出してくれるようになったんです」
「いや、休まず仕事するとか、そっちの方がフツーにあり得ないから。いつ誘っても忙しい忙しいって返事ばっかりで、ルードと『王宮ってそんなヤバい職場だっけ……?』ってめちゃくちゃ心配したからな?」
「休みはちゃんとあるよ! 休みに休む暇がないだけ!」
「それは休みとは言わないって、ルードにゲンコツくらったろ!」
「だからって、外宮室まで乗り込んでくることないじゃんかぁ……」
「聞いてた休みの日に家行ったら、何故か『旦那様はお仕事へ向かわれました』とか言われたからですけどー? 行ってみたらまさか、上司に隠れてコソコソ仕事してるなんてなー?」
「ううぅ……」
……何故だろう。同年代で一足早く大人になったはずのクロードより、まだ学生のアベルの方が、圧倒的正論を述べているのは。こういうのは普通、先輩が後輩に指導すべき内容では。
そして、何となく察してはいたが、やはり『外宮室』の面々は、休みの日もノートンに隠れて仕事しているらしい。
「……あのね、クロード。こちらもあなた方に頼り切りの身で、あまり言える立場じゃないけれど。『外宮室』が休めないほど仕事を抱えているのは問題だし、必要ならお父様とお兄様も交えて方々へ分担する策を練るから、どうか休みはきちんと休んでね?」
「室長にも同じこと言われて怒られました……」
「あぁ……お友だちが職場まで迎えに来て、しっかりバレちゃったのね……」
「俺とルードでバラしました!」
「そこで部外者つまみ出すどころか、『よく見つけた若人! そいつの首に縄括り付けて、王都中引きずって遊んでこい!』って喝采する室長も、どうかと思うよ」
「部下の労働量をしっかり把握する、立派な上司じゃないか?」
「ノートンさんが立派な方なのは知ってる」
そういえば、ノートンとクロードは単なる上司部下という関係だけではなく、若き子爵とその後見人という、非常に近しい間柄でもあったか。前メルトロワ子爵は存命だが、貴族籍を剥奪されて隠居という名の幽閉処分だ。貴族社会で庇護者を失ったクロードにとって、後見人を引き受けてくれたノートンは、親のような存在であろう。彼の様子を見るに、二人は上手くやっているらしい。
……ところでディアナは、先ほどからずっと、気になっていることがあった。
「ねぇ、アベル殿」
「はい、ディアナ様」
「あなたが口にしている『ルード』というお名前に、わたくし、心当たりがあるのだけれど」
「おそらく、思い浮かべていらっしゃる人物で、間違いないですよ」
「では、その方はやはり……ルドルフ・クロケット殿かしら?」
「……左様です」
――ルドルフ・クロケット。エルグランド王国の紡績業を牽引する新興貴族、クロケット男爵家の嫡男で、年齢は確か、クロードと同じ十六歳。本当なら社交デビューは去年のはずだったけれど、とある事情で今年デビューした。
(そう、言っていたわね。去年は、ナーシャ様が側室として後宮入りしたから、自分のデビューは一年遅らせることにした、って)
〝ルード〟は、ナーシャが呼んでいた、彼の愛称だ。ナーシャとルドルフは親の再婚で姉弟となった間柄で、クロケット男爵家の血筋でないナーシャはそれを気に病み、ルドルフと距離を取ろうとしていた姿が印象に残っている。少なくともルドルフの方は、ナーシャのことを家族として気にかけていると感じたから、尚更に。
……そうだ。確か、あのとき。
「『シーズン開始の夜会』で、わたくし、ナーシャ様伝いに、ルドルフ殿をアベル殿へご紹介くださるよう、お話ししましたね」
「はい。ルードは元々学院の一年先輩で、何かと目立つ存在だったので、入学したときから顔と名前は知っていました。何度か授業や課外活動で一緒になることもあり、顔見知り程度の間柄ではあったのですが……あの日、改めてクロケット男爵令嬢から紹介されて、個人的に付き合うようになったのです」
「クロケット様がアベルにルードを紹介されたとき、たまたま俺も近くにいて、同じく『姉が後宮にいる弟』として、アベルの姉君からご紹介頂いたのです。俺は二人と違って、側室の姉を持つ身ではありませんけれど、広い意味では同じだから、と」
「それから、三人で色々と話して……全員、あの日のデビュタントでしたし、姉が後宮にいるという共通点もあり、意気投合したんです。『今度はこんな堅苦しい場所じゃなく、外で遊ぼう』ってルードが言い出して、それからは結構な頻度で遊んでました」
やはり、ナーシャとの関係がギクシャクしていたルドルフに、同じ立場の彼らを引き合わせたのは正解だったらしい。夜会で出会って仲良くなり、外で個人的に会うようになる流れは、十代の若い貴族子女が友人関係を築く王道パターンである。……ディアナは経験したことないけれど。
ちなみに、アベルとルドルフが通う学院とは、王都にある王立学院だ。十三歳から十八歳の貴族男子が通う学校の一つで、卒業後の進路が領主補佐や王宮官吏など、〝文〟の分野予定の生徒が学ぶ。他にも学校はいくつかあり、エドワードやアルフォードが卒業した騎士学院もその一つ。こちらは〝武〟の分野を進路に考えている者たちの学び舎である。
アベルとルドルフは、どちらも今年社交デビューしたわけだが、ルドルフが一年デビューを遅らせた分、学院での彼らは後輩と先輩の関係性だった。たまに顔を合わせる程度では、互いの心情を語り合うこともなく、〝側室の弟〟という共通項はあっても仲良くなるきっかけが得られなかったのだろう。互いの姉から紹介され合うことで、一気に実感が湧いて仲良くなったのだとしたら、貴族が大集合する王宮夜会も面倒ばかりではない。そこにクロードも加わったのなら、尚更に。
「学院でのルードって、天使みたいな見た目でめちゃくちゃ目立ってるのはもちろんなんですが、明るくて、活発で、情に篤くて、すごく人気者なんです。クロケット男爵令嬢から紹介されたときは、あのルドルフ・クロケットと個人的な繋がりができるなんてと、結構な驚きでした」
「何となく分かるかも。ルードもアベルも華があるけど、学院で普通に仲良くなりそうなタイプじゃないもんね。ルードはいかにも賑やかなグループにいて、アベルはもう少し大人しい気質の子が集まった中にいそう」
「それ以前に、学年違うしなぁ。いくら学年混同授業があるって言っても、やっぱり学院内での先輩後輩の壁は厚いっていうか」
「俺も他の人から聞いただけだけど、学院の上下関係って、結構かっちりしてる感じだもんね」
話ぶりから察するに、クロードの出身校は王立学院ではないらしい。なるべく早く働いて稼げるようになりたかった彼の事情を鑑みると、彼が通っていたのは平民にも広く門戸が開かれている、王都職業訓練学校だろうか。進路によっていくつかコースが分かれており、最短で三年、最長で十年の卒業年数がかかる。入学できる最低年齢は十歳だが、別に何歳で入学しても構わないので、あちらの生徒層はバリエーション豊かと聞く。その分、学院ほど明確な上下関係もないらしい。
――ところで。
「それほど仲良くなられたのなら、今日も一緒にいらしているのでは? こちらへお連れしても良かったのですよ?」
何となく察しつつも、敢えて明るく、そう投げかけてみる。――案の定、二人はそれまでの多弁が嘘のように、沈黙した。
お茶を飲みつつ、二人が〝本題〟を切り出すのを、静かに待っていると。
「……ディアナ様。俺たち、本当に、楽しく過ごせていたんです。外宮室はいつだって忙しくて、スタンザ帝国のこととか内通者の調査とかでバタバタしてましたけど、休みの日、アベルとルードに連れ出してもらえたときだけは、全部忘れて二人と楽しむことだけに集中できました。そんなの、本当に気が合う人とじゃないと無理だ、って思うから、俺は二人のこと、これからも大切にしたいんです」
「俺も、同じ気持ちです。クロードも、ルードも、姉上繋がりで知り合った仲ですけど、そこから遊ぶようになって、お互い築き上げてきた時間に、嘘はなかったと信じていますから」
「だから――!」
ぐ、と顔を上げ。ディアナを真正面から見据えるクロードの眼差しは、〝あの日〟、ディアナの前で潔く罪を認め、職を奪うくらいならいっそ殺してくれと直談判しにきたミアとそっくりだった。
自分ではどうにもならない事態に直面し、それでもなお諦め切れずに足掻く――逆境の中でこそ強く立てる魂の持ち主に、ディアナは昔から、どうしようもなく弱い。
「お願い、します。どうかルードを、真っ当な、あるべき道へ、導いてやってはもらえませんか」
クロードの懇願に、ディアナは感情を乗せず、向き合った。
「真っ当な道、ということは。今の彼は、〝真っ当〟から外れた行いをしているのね?」
「……詳しい事情は、知りません。ですけれど、エドワード様がディアナ様を迎えに行かれて……エルグランド国使団が全員無事に帰国することになったと王宮で広く知られるようになった頃から、少しずつ、ルードの様子がおかしくなったんです」
「学院でも、友人たちから離れて、一人で何か考え込んでいる姿を、よく見かけるようになりました。それでも、休日遊びに誘えば、『一緒にクロードを連れ出しに行くぞ』と笑って乗ってくれるくらいの余裕はあったんです。あったの、ですけど……」
「降臨祭の期間中、アベルが何度誘っても、ルードはユーストル邸を訪れようとはしなくて……三人で出店を回ろうって誘う手紙を出しても、返事も、来なくて」
「さすがに変だと思って、主日の礼拝で捕まえようとしたんですけど、逃げられて」
「逃げるってことは、ルードは俺たちに知られたくないことか、後ろめたいことを抱えているはず。そう思って、祭りの後半はなるべく定時で上がって、アベルと手分けしながらルードを探していたんです」
「そうしたら……二日前。王都の外縁付近にある、あまり治安の良くない地域で、ルードが怪しげな男たちと会っているところを、見つけました」
話しながら、少年たちの表情が、どんどん、どんどん、悲壮に染まっていく。
クロードが、グッと拳を握りながら、絞り出すような声を上げた。
「男たちは、いかにも、荒くれ者って感じでした。男たちはルードに、『武器が足りない』とか、『もっと良い待遇じゃないと、これ以上人は呼べない』って、言ってて。ルードは、『年が明ければ、王都の宿も空く。そうなれば寝台も美味い食事も用意できるから、年明け以降に人を増やしてくれたら良い』って返してました。『どうせ事を起こすのは雪月に入ってからだから、人集めはそこまで急がなくて構わない』って!」
「事……ね」
「『スタンザ武器の入手ルートも、まだ完全には塞がってない。今のうちに調達しておく』とも、言っていました」
「スタンザの武器なんて危ないものを手に入れて、それを使うだろう武張った人間を集めて、ルードは何を企んでいるのか……どう考えたって、まともな事じゃない! そもそも、武器の類を輸入するのは違法です! 密輸の中でも、奴隷と武器を扱うのは最も罪が重くなるって、クロケット家のあいつが知らないはずないのに!!」
心配が高じ、怒りへ変換されているのだろう。目を吊り上げて語気荒く吐き出しながら、クロードはついに、真っ赤な目からポロポロ、ポロポロ、涙を溢した。隣のアベルも、泣いてこそいないけれど、肩を怒らせて荒い呼吸を繰り返している。
どれだけ王宮の荒波に揉まれていても、クロードはまだ十六歳。ましてやアベルは大人の世界にほとんど触れたこともない、十五歳の学生に過ぎない。そんな二人が友人を案じ、自分たちなりに行動して……辿り着いた、残酷な〝答え〟。どれほど苦しく、恐ろしい心地に襲われたことだろう。
それでも、二人は。――メルトロワ子爵と、次期ユーストル侯爵である、彼らは。
無力を嘆くことは許されない、立場なのだ。
クロードが涙をゴシゴシ袖で拭いたのを合図に、ディアナはゆっくり、切り出した。
「……このお話、わたくしより先に、どなたかへしましたか?」
「いいえ、今が初めてです。俺は、すぐにでも先輩たちに相談しようとしたんですけど」
「――俺が、止めたんです。ルードがやろうとしてることは、どう控えめに見ても、最上級にヤバい部類の〝何か〟だろうから。下手に王宮で口にして、万が一にでも信頼できる人以外に漏れたら、クロケット男爵家どころか革新派まで吹き飛んで、派閥の均衡が崩れかねない。それは、陛下やディアナ様の望むところではないと思って」
「アベルにそう言われて、俺も思い出したんです。……王宮の天井裏に潜んでいるのは、〝味方〟だけじゃないってこと。ルードが何を考えているのかは分かりませんが、武器を集めている時点で、陛下のご意向に沿うものでないことは間違いありません。その片鱗を、俺たちは偶然とはいえ、見てしまった。それを外宮室で先輩たちに話したら、そのまま〝敵〟まで筒抜けになって、利用されてしまうでしょう」
「二人で考えて……『年迎えの夜会』で大ホールに敵を寄せ付けない仕掛けをしてると聞いて、そこでなら、ディアナ様へ安全にお話しできるんじゃないか、って思いついたんです。この休憩スペースは大ホールの外ですけれど、位置的には大ホールに食い込んでいるので、仕掛けの恩恵も多少は得られるかな、と」
「それまでは、俺もアベルも、極力ルードのことは話さないようにして、念のため手紙のやり取りも控えました。ですから、二日前のルードについて誰かへ話すのは、正真正銘、今が初めてです」
無力を嘆くことを許されていない彼らは、嘆かず立ち向かうための学びを、日々積み重ねている。クロードは外宮室で、アベルは学院で。
積み重ねる一つ一つは、とても小さく、薄く、脆い。たとえ積んでも、当人が努力して固めようとしなければすぐに崩れ、固めたとしても、心根がブレたり腐ったりすれば、すぐに別のものへと変貌してしまう。
それでも――日々真摯に、誠実に、積み重ねれば。重ねたものを努力によって強固にし、より良い明日を望む心根によって、磨き続ければ。
人は、こうして。苦しく、恐ろしい現実にも負けない〝路〟を見つけ、進むことができる。
クロードとアベルの姿こそ、〝敵〟の策略が包囲網を敷いてくる中、ディアナたちの頭上に輝いた、紛れもない〝希望〟だ。
「――ありがとうございます、クロード、アベル。二人の、ルドルフ殿を思う友情と、直面した現実から目を逸らさない勇気。そして、極限状態にあっても動揺することなく、冷静に最善を選ぶ賢明さに、深く感謝します」
立ち上がり、微笑んで、ディアナは二人に頭を下げた。「えっ、そんな」「顔を上げてください、ディアナ様!」と慌てる二人に笑い、言われた通り顔を上げて、ディアナは二人を見る。
「クロード。ルドルフ殿のことを、外宮室で話さなかったのは正解でしょう。その他大勢の貴族はともかく、〝敵〟の中枢は、外宮室を陛下の懐刀と認識しているはず。だからこそ、ここぞという場面では、外宮室の動きを止めようと働きかけてくるのです。ルドルフ殿の行動の意味はこれから調べますが、冗談で済まされない行いを彼がしている以上、陛下と近しい外宮室が公に絡むべきではありません。外宮室が〝知っている〟としても、それを〝敵〟に悟られてはならない。情報共有の方法は、慎重に吟味する必要があります」
「はい」
「アベル。――ヨランダさんやクロードからどこまでお聞き及びかは、敢えて尋ねません。今後はあなたのことを、同じ派閥の仲間としてだけではなく、秘密も裏も共有できる、最も根幹に近い〝共犯者〟として、頼りにしても良いですか?」
「もちろんです。姉と、クロードと同じく、俺もエルグランド王国の未来を切り拓き、次の世代を担う者として、覚悟は既にできていますから」
「えぇ。頼りにしています」
二人に、『紅薔薇』の仮面を外した〝ディアナ〟の笑みを、チラリと見せ。
ディアナは真剣な表情で、周辺の壁を見回した。
「――誰か、いる?」
〈はい、ディアナ様〉
「その声はフレッドね? 話は聞いた?」
〈全て、拝聴いたしました〉
「なら、夜会が終わり、皆が王都邸へ引き上げ次第、お兄様へ報告を。そこからの情報共有相手と方法は、お兄様に託します」
〈承知しました。伝えます〉
「ルドルフ殿について、至急の調査を。〝敵〟に悟られないよう、必要ならば、ソラ様の援護をお願いしてください」
〈ディアナ様にルドルフ・クロケットの調査を頼まれたことも、併せて報告いたします〉
「えぇ、お願い」
フレッドは、机上仕事大嫌いなエドワードの補佐もそつなくこなす、『闇』若手のホープだ。仕事も着実にこなす安定感があり、この手の頼みごとをするにはシリウスに次いで安心できる。
徐に壁と話し出したディアナを目の当たりにしたアベルが、ほーと感嘆の息を吐き出した。
「噂には聞いていましたが……今のがクレスター家お抱えの隠密、ですか」
「『闇』のフレッドさんですよね。エドワード様のお使いでいらっしゃることが多いので、俺たちもお世話になってます」
「フレッドは後宮常駐組なのに、お兄様が気安く外宮の用事を頼むから、いつも忙しそうなのよね。今日控えてくれてたの、まぁまぁレアかも」
まさか、フレッドがどこぞのフリーダムな隠密と『彼の代わりにディアナを護衛して、用事が終わり次第彼の近くまで案内する』と約束を交わしていたなどつゆ知らず、ディアナはお茶を飲み干して。
(ルドルフ殿が、武器と、戦闘員らしき人を集めている……)
まさか、と思う。しかし、一を聞いて百を知る『賢者』の霊力が、その〝まさか〟こそを正解だと告げてくるのも、確かで。
(……結論を出すのは、まだ早い。ひとまずは、調査結果を待ってからよね)
苦い思考をお茶の残り香で紛らわしながら、この先について、思案するのであった。
前話でのぼやきのような疑問に、想定外の熱量が籠ったご反応をたくさん頂けて、嬉しく驚いております。
諸々考え、書き上がり次第お月様へ投稿しようかなという結論に到達しました(内容的には全年齢ですが、雰囲気だけがやたらと際どい感じなので。。。)
更新しましたらTwitter(今はXか)にてお知らせしますので、今しばらくお待ちくださいませ。
年単位で更新が止まるお話にも拘らず、変わらずキャラたちを応援してくださる読者の皆様方に、深く御礼申し上げます。




