導かれた奥庭で
こんなに長くなると思わなかった、カイとマリアンヌさんの〝決着〟編、始まります。
「よ、『仔獅子』。ケリはついたのか?」
シュラザード侯爵の〝始末〟を終え、地下牢と地上を繋ぐ隠し通路を進んでいたカイは、角を曲がったところで前触れなく声をかけられ、足を止めた。
壁に背を預け、いかにも待ち人風に佇んでいた男は、カイにとっても馴染み深い相手だ。
「フレッドさん? なんでここに?」
「まぁ、お前たち『獅子親子』との情報伝達は、基本的に首領の仕事だけどな。シリウス様は今、方々との調整であちこち駆け回っていらして、さすがに王宮に詰められる余裕がない。そういうわけで、俺が代理を任されてるんだ」
「シリウスさんが詰められないとなると、次点でフレッドさんになるのは分かるけど」
クレスター伯爵家お抱えの隠密集団、通称『闇』。カイはその全貌をしっかり把握しているわけではないけれど、シリウスを頂点としてざっくりいくつかのグループに分かれており、主にシリウスたち世代がデュアリスとエリザベスのサポートを担当し、エドワードに近い世代が後宮にて任務についていることは知っている。
フレッドは後宮任務組の中でも一際生真面目で、とにかく与えられた役目をきっちり確実にこなすことを重視する、稼業者としては非常に珍しいタイプだ。この手の性質の人に向いている仕事は、外宮室がしているような文官的業務……いわゆる〝机上仕事〟で、現場の状況によって〝役目〟すらもコロコロ変質していく、臨機応変が合言葉のような裏稼業とは相性が、普通は悪い。
だが。
「侯爵とのケリがついたなら、ちょっと寄り道して、この先にある奥庭へ行ってくれ」
「俺、王宮の庭に堂々と顔を出せる身の上じゃないけど」
「あそこは大ホールから離れているし、何より道が入り組んでるから、はっちゃけてる連中も入り込めない。誰に見られるわけでもないなら、別に構わないだろ。そもそも、毎日『紅薔薇の間』に降りてる時点で今更だ」
「……その奥庭に、何があるのか知らないけどさぁ。俺の方は特に用事ないし、仕入れた情報をディーにこのまま持っていく方が、有意義な時間の使い方だと思うんだよね」
「お前が奥庭へ行くことは、そのディアナ様の望みでもあるぞ?」
「…………なるべく、ディーと離れる時間は短くしたいんだけどなぁ」
「そう言うだろうと思って、ディアナ様のご用事が済み次第、奥庭近くの隠し通路までご案内申し上げる手筈は整えてある。――カイ」
「……なに?」
「血縁のしがらみは、お前にとって煩わしいだけのものかもしれない。だがな、煩わしいものほど、向き合うべきときに覚悟を決めて向き合わねば、そのツケは思わぬところで回ってくるぞ」
超がつくほど生真面目なのに杓子定規な頑愚とは無縁であり、むしろ己に課せられた〝役目〟の本質を理解し、それを遂行するためにあらゆる手を尽くすことを躊躇わない。少々固く感じるほどの真面目さと、目的のためならば固定概念を捨て去る柔軟性を併せ持った、世の中全体を見回しても滅多に見ない希少種――それがフレッドという稼業者なのだ。真面目な人は総じて頭がカッチコチという思い込みを、彼は真正面から無自覚に粉砕してくる。
こうして、奥庭へ行きたくないカイを、いとも容易く懐柔してくるやり口などは、まさに彼の常套手段。〝カイを奥庭へ向かわせる〟という役目を遂行するため、先回りして逃げ道を塞ぎ、最後は彼特有のド真面目さで完封する。これを計算でなく無意識でやっているのだから、エドワード世代の『闇』もなかなかに曲者の集まりだと思う。
(……聞いた話だと、シリウスさんは次代の首領にフレッドさんを指名するつもりらしいけど。この人の実務能力の高さと、任務達成率を考えれば、納得しかないな)
フレッド本人は、それほど戦闘能力の高くない自分が『闇』を束ねる未来を想定していない(歴代において、『闇』は当主一族の護衛を担ってきたため、一番戦える者が首領になることが多かったのだとか)ようだが、次代に限っては、そのセオリーは通用しない。なにせ、次期伯爵夫妻は、自衛どころか他衛もばっちこいな、戦闘能力超級カップルなのだ。いずれ生まれる二人の子を護衛できる程度の戦闘能力は必要だろうけれど、それくらいならフレッドを含めた『闇』全員、過不足なく持っている。というか、当代首領と次期当主が理不尽に強すぎるだけで、世間一般に照らし合わせれば、クレスター家の『闇』は普通に、充分、強い。
となれば、当主の補佐も兼ねている次代の『闇』の首領に求められる能力は、たった一つ。隙あらば机仕事を厭って脱走しようとする当主を叱咤し、彼の苦手とするちまちました作業をフォローしつつ一緒に書類作成できるだけの、胆力と実務力である。そういう観点で見れば、フレッドほどエドワードの片腕として相応しい人物も、そう居ないだろう。カイが見ている限り、張本人であるエドワードが誰よりもフレッドの能力を高く買い、なんやかんや頼って振り回そうとしては、振り回し切れずに怒られている。
……そう。あのエドワードすら怒られて、押し切られて、仕事させられるほど、フレッドは密かな実力者なのだ。カイが敵わなくても、こればかりは仕方ない。
「――分かったよ。奥庭ね」
「分かってくれて何よりだ。ディアナ様は責任持って案内するから、行ってこい」
「それは、ほんとお願い」
念押しし、カイは言われた通り、曲がるはずだった隠し通路を真っ直ぐ進む。しばらく進み、やがて行き当たった突き当たりにある、壁の窪みを押した。その動作によって仕掛けが作動し、ただの壁が動いて隠し扉となる。
(古典的な仕掛けだよね。作られたのは三百年くらい前らしいから、当たり前だけど)
フレッドが言っていたとおり、外に人の気配は〝ほぼ〟ない。扉を出る間際、意識して呼吸を整えている自分に気付き、らしくもなく緊張しているらしいと自覚する。
(俺のこと、良くて道具くらいにしか思ってなかった奴と話すときは、なんとも思わなかったのに。実は大事に思ってくれてたらしい人と話すってなったら、こんなに身構えちゃうもんなのか)
心ってやつは、自分のものでも一筋縄でいかないらしいと自嘲して、カイは静かに扉を押した。開けた扉の先には、奥庭の名前に相応しく、こぢんまりした庭園が広がっている。
その庭を、静かに、ほんの少しだけ足音を立てながら、ゆっくり、ゆっくりと進んで。
「……来ましたか」
木々に囲まれたスペースに置かれたベンチ。その脇に佇んでいたのは、割といつも忙しいはずの、マグノム女官長だった。
そして……彼女に付き添われ、ベンチに座っていたのは。
「シャロン姉様……彼が?」
「えぇ。『仔獅子のカイ』――裏社会で高名な、若き実力者です」
雲一つない夜空に浮かぶ月は、その人物の色彩までも、鮮やかに照らし出す。
カイにとってはとても見慣れた、枯葉色の髪。直毛ゆえ硬そうに見えて、触ると意外に柔らかい髪質だと、以前ディアナが笑いながら言っていた。
その髪に縁どられた顔立ちは……確かに、〝カリン〟に扮していた当時、鏡越しに見ていたものと、とても似ていて。唯一、印象的に輝く紫水晶の瞳だけが、〝カリン〟とは明らかに異なっている。
その、透き通った紫の瞳を、彼女はひたとカイへ向けていた。
「……『仔獅子のカイ』、と仰るのね。はじめまして。ご存知だと思うけれど、マリアンヌ・シュラザードと申します。もうすぐ婚姻が解消されたら、トランボーノの姓に戻るけれど」
「え、っと。ハイ」
「シュラザードの領邸から、ディアナ様とあなたが、私を連れ出してくれたと聞きました。命を救ってくださったこと、心から御礼申し上げます」
「……その礼を受けるのは、俺じゃないので。お礼なら、ディアナに」
「えぇ。もちろん、ディアナ様にも申し上げましたけれど。ただ、ディアナ様だけでは不可能だったと思うの。……お嫌でなければ、受け取って頂きたいわ」
「…………そういう、ことなら」
自分でも分かるほどぎこちなく頷くと、マリアンヌが静かに笑った。
「ツテムノでの湯治療養は、ありがたいことに、とても効果がありました。私などには勿体無いほど、丁寧な治療計画も立てて頂きまして……クレスター家は『完全に毒が抜け、健康体を取り戻すまで、ツテムノに逗留すればいい』と言ってくださいましたが、これほど良くして頂いた上、これ以上を望むなど、バチが当たります。今後はシャロン姉様を頼みに、王都のマグノム侯爵邸にて、療養するつもりです」
「……あの家の人たちは、そういうの、気にしないと思うけど」
「存じていますよ。存じているからこそ、そのご厚意に甘え切りになるべきではないでしょう。かの家の方々は、王家のように万民へ向ける慈愛こそお持ちではありませんけれど、一度心を許した相手に対しては、利用されることすら甘んじて受け入れてしまうほど、底抜けにお人がよろしいのです。あの一族の気質を知っている人間は、せめて甘え過ぎないようにしなければ、いつか無自覚に彼らを搾取してしまいかねません」
「って、もしかして、王太后様が言ってた?」
「……よく分かりましたね?」
「いろんな人の話を聞いて、何となく、先代の王様はクレスター家……というよりデュアリスさんに〝悪〟を背負わせてるの、めちゃくちゃ不本意だったんじゃないかなーって気がしてて。これ以上クレスター家を便利に使わないように、表向きはかなり距離を取ってた感じがしたんだよね。王太后様はその人の奥さんだったわけだから、気持ちとか色々聞いて、信頼してる部下には意思統一してそう、って思ったんだけど」
カイは個人的にクレスター家と近しいわけではなく、あくまでもディアナを通して彼らを見ているだけだ。彼女の実家であるクレスター家とは、最初から今まで変わることなく、協力者の立ち位置を貫いている。その絶妙な距離感だから、気付けた。
(クレスター家って、頼られたらお節介上等精神で助けるけど、逆に頼られなかったら、ダメになるギリギリまで手出し口出しを一切しないんだよね)
彼らが自己裁量でその手腕を奮うのは、徹底して自領内のみ。他領に関しては、たとえどれほど個人的に親しい家であっても、しゃしゃり出るような真似はしない。代々、奇跡のような絆を結んできたエルグランド王家に対してでさえ、彼らから何か言わない限り、クレスター家は不干渉を貫き通す。
(クレスター家が父さんを助けたのは、俺がディーのものになるって決めたからだ。あの一族にとって、ディーのものになった俺の身内は、是が非でも救うべき対象になったんだろう)
逆に、それくらいの〝特例〟でもなければ、彼らは自己都合で他人の命運を引っ掻き回しはしないのだ。……たとえそれが、どれほど助けたい、愛する友人であっても。
「先代の王様……オースターさん、って名前だっけ。話を聞く限りすごく賢い感じの人なのに、大事な場面でちょくちょく、不自然な判断ミスしてる気がして。ジュークさんの養育環境とか、個人情報ダダ漏れの内宮とか――シュラザード侯爵の横暴だって、結構な長期間続いた後の〝例の事件〟だったわけでしょ?」
「……えぇ、そうね」
「今みたいに、クレスター家ががっつり王宮の内情に関わってたら、話に聞くような事態になる前に、もっと早い段階でテコ入れしてると思う。なのに、シュラザード侯爵の一件に関しては少なくとも、王宮に不審者侵入なんて一大不祥事が起きて、ジュークさんの命の危機だった、って〝建前〟ができるまで、クレスター家は不干渉だった。それは何故かって考えたら、オースターさんがデュアリスさんに細かいことを相談してなかったから、って理由が一番しっくり来るんだよね」
当代王のジュークは、そもそも最初から、あまりに味方が少なすぎた。彼を傀儡王でなく、意思ある国主と認めて支えようとしていたのは、戴冠時点ではそれこそ宰相ヴォルツと国王近衛騎士団長アルフォードくらいだっただろう。それほどの孤立無援の中、まずは傀儡の糸に気付いて断ち切るところから始めねばならなかったのだ。
その大きなきっかけとなったクレスター家をジュークが頼みにするのは当然だし、頼みにはしていても便利に使おうなんて下心を、彼は微塵も持っていない。おそらく無意識だろうけれど、クレスター家に頼るべきところは頼り、彼らに甘えずとも王宮側で賄えるところは自分たちでと絶妙にバランスを保ちながら、ジュークは政務を舵取っている。
その、バランス感覚が……おそらく、オースターには欠けていた。
「……リファーニア様から聞いた話だけれど。オースター陛下にとって、デュアリス様はまごうことなき〝唯一無二〟でいらした、と」
カイの言葉を受け、何か感じるところがあったのか、マリアンヌが呟くように過去を振り返った。
「リファーニア様は、よく仰っていました。『あのひとにとってのわたくしは、かけがえのない大切な妻で、喪えば心のどこかが欠落し、欠落したまま生きていくでしょう。……でもね、デュアーを喪うようなことがもしあれば、きっとあのひとは、生きていけない。実際に後を追うことはなくても、死んだ心を抱えて、王としての責務だけを果たす人形と成り果てるのだと思うわ』と」
「……仰っていたわね。『大切な存在を亡くして、心のどこかに穴が空いても、それでも人は生きていける。欠けたまま、埋まらないままでも、前を向くことはできる。――でも、己の命に等しい〝唯一無二〟を亡くしたら、人は生きる意味そのものを喪って、心は死んだも同然となってしまう。そうなった人が未来を描いて〝生きる〟のは、きっととても難しい。オースにとってのデュアーは、そういう存在なのよ』と」
「歴代の国王陛下にはそれぞれ、相棒と呼ぶべき〝クレスター〟がいらっしゃいました。けれど……オースター陛下とデュアリス様ほど近く、お互いに心の最も柔らかい部分を預け合う、魂の盟友とも呼べるような〝絆〟を結ばれた方は、そう多くないでしょう」
「……そこまで、だったんだ」
零れ落ちたカイの言葉に、マリアンヌとマグノム夫人は、同時に深く、頷いて。
「オースター陛下にとって、デュアリス様は誰よりも近しく、愛おしく、喪えば世界が終わるほどの方で……近すぎて、大切すぎて、頼り方を見失ったのかもしれません」
「そうだと、思うわ。リファーニア様も、仰っていたの。『あの頃のわたくしたちは若く未熟で、クレスター家を守るには、王宮から遠ざけるしかないと思い込んでしまった。それがどれほどデュアーを、エリーを苦しめ、傷つけていたかなんて、ちっとも思い至らなかった』って。だから、陛下がクレスター家の手を素直に借りながら、より良い政を目指している姿を見られて、とても嬉しいとも」
「王太后様の、オースターさんの言い分も、間違いじゃないんだよ。クレスター家は万能過ぎて、うっかり頼り過ぎると、無自覚にあの人たちの力をアテにする癖がついて、その献身を犠牲にしかねないから。そういう扱いを甘んじて受け入れる気質の人たちだって肝に銘じて、頼り過ぎないように自分を戒める気持ちを持っとくのは大事だもん、マジで」
「だからといって、無理が出るまで頼らずにいれば、それはそれでクレスター家の心を削りかねませんから、加減が難しいですけれど」
「その辺、ジュークさんは上手にやってると思うよ」
マグノム夫人の苦笑に、励ましというほどでもないけれど、現王に対する所感を述べて。
カイは、ゆっくりとマリアンヌへ視線を移した。
「……じゃあ、ツテムノへは戻らず、このまま王都に?」
「――えぇ。本当は、侯爵領の端にでも、居候させて頂けないかと思っていたのですが。状況をお聞きになったリファーニア様が、『何かあればすぐ手助けできる距離に』と仰ったそうで」
「ツテムノで作成頂いた治療計画を拝見しましたが、あの内容であれば、王都のマグノム侯爵邸でも実行できそうなので。現当主の許可も得ましたゆえ、リアには健康体を取り戻すまで、我が家でしっかりと療養してもらいます」
「そ、っか。……お大事に」
クレスター家の話に脱線したが、マリアンヌの話はそもそも、自身の今後についてだった。
……だが。
(マリアンヌさん本人のことについて、俺が何か言えるわけでもないし、なぁ)
話すべきこと……たぶん話したいことはあるはずなのに、上手く言葉を紡げない。自分の心が、言葉が、これほど不鮮明になるのは初めての経験で、どうしても途中でつっかえてしまう。
戸惑いばかりが先に立つカイをじっと見つめ。――不意に、マリアンヌが微笑んだ。
「……良いのですよ、無理に何か言おうとしなくても。あなたにとっての大切な相手へ、語るべき言葉を惜しみさえしなければ、それで良い。〝その他〟にまで労力を割く必要はないわ」
迷うことなく、そう言い切ったマリアンヌの〝瞳〟は。
「あなたが、あなたの愛するひとと、幸福に生きる。それ以上に大切なことなど、ありはしないのだから――……」
哀しいほどに、〝母親〟のいろを、深く、濃く、宿していた。
次回へ続きます。




