新年を迎えて
――時間は進む。フィガロとダイナに見送られ、夜会場へと舞い戻ったディアナは、目敏い貴族たちから挨拶を受けたり、誘われたダンスを無難にこなすなどして、夜会場の様子を確認して回った。
『年迎えの夜会』は例年、降臨祭を締めくくる最後にして最大の催しということで、全体的にどこか浮ついた雰囲気が漂うものだ。今年も若者を中心に、鐘が鳴った後をそわそわと待ち望む気配は感じるけれど、全体的にはいつになく落ち着いた印象を受ける。
(なんというか……保守派の中でも過激な方々が、今年は妙に大人しいのね?)
もちろん夜会に出席はしているし、保守派は保守派だけで固まっている。しかし、いつもならば見られる、革新派貴族との小競り合いが、今年は随分と控えめなのだ。どうやら〝敵〟側らしいウェイク伯爵が、革新派貴族の中でもとりわけ華やかな一団を率いていることも相俟って、ともすれば地味にすら見える。
(一見すれば、スタンザ帝国と良好な関係を築けたことで、彼らを受け入れて関係改善に尽力した革新派が盛り返して、帝国と距離を取っていた保守派が力を失いつつあるように感じられる光景だけど……今年中、宮廷を巡っていた陰謀が未だ全容解明されていない現状を踏まえると、気持ち悪いにも程があるわね)
保守派の中でも攻撃的な面々――ヒルダの父、ベルティア侯爵に代表される人々の様子をさり気なく伺うけれど、彼らに追い詰められている者特有の焦りは見られない。それどころか、随分と余裕そうにすら見える。それでいて、攻撃の矛先が革新派へと向くこともないのだ。毎年、会場のどこかでは保守派と革新派のバチバチしたやり取りが見られただけに、はっきり言ってこの静けさは、嵐の前のなんとやらにしか思えなかった。
そんなことを思いつつ、年迎えの鐘が鳴る直前、『紅薔薇派』の側室たちが集っている近くを、敢えて通りかかってみると。
「まぁ、紅薔薇様!」
気付いた一人が、即座に声を掛けてきた。正直、声を掛けられ待ちだった部分は大きいので、とても助かる。エルグランド王国はスタンザ帝国ほど身分制度が厳格ではないけれど、公的な場で身分が下の者から上の者へ声を掛けてはいけないという何となくのマナーは浸透していて、けれどその〝マナー〟を気にしなくて良いとされている場の一つが、こういった夜会なのだ。理由は簡単で、貴族同士の交流が目的で開かれる夜会(もちろん建前)の場で、身分を理由に自由な会話が妨げられるのは本末転倒だからである。
そのため、夜会の場では、身分が高い貴族ほど、自分から下の者へ話しかけることはせず、挨拶待ちになる慣習がある。あくまで慣習で、自分から話しかけることを咎められているわけではないけれど、ディアナの身分が仮にも準王族である今は、それに則って動いた方が無難。そのため、『紅薔薇派』の側室たちにも声は掛けず、これ見よがしにその隣を通ってみたわけだ。
「紅薔薇様! ご無沙汰しております」
「国使団のお役目、お疲れ様でございました」
案の定、一人を皮切りに、わっと大勢に囲まれた。彼女たちの表情は晴れやかで、心から、この夜会を楽しんでいることが伝わってくる。
少し考えて、ディアナはちょっと微笑んだ。
「皆様、ご丁寧にありがとうございます。スタンザ帝国より戻ってすぐ、ほとんど間を置かずに降臨祭の礼拝旅に出なければならなかったから、皆様とはゆっくりお話しする時間も取れなかったわね。年が明けて落ち着いたら、またサロンを開きましょう」
「素敵なお話ですわ」
「その際は是非、紅薔薇様のご無事のご帰還を、お祝いさせてくださいませ」
『紅薔薇派』の側室たちは、全体的に、さほど力の強くない新興貴族家の娘が多い。庇護者もなく、後宮にて虐げられるばかりだった娘たちが、一縷の望みを抱いてディアナの下に集い、結果として派閥化しただけの集団だから、当然ではあるのだが。クレスター家の調査では、そもそもジュークの寵愛狙いで入宮した令嬢は少なく、実家の困窮につけ込まれて援助と引き換えに側室へ上がった娘が六割、様々な事情で結婚そのものを避けたく、側室となれば望まぬ結婚を避けられると踏んで側室志願したものが二割といったところだったらしい。半分出稼ぎのつもりで後宮入りしてみれば、先に側室となっていた古参貴族の令嬢たちから辛く当たられ、守ってくれるはずの王宮女官や侍女はむしろ彼女たちに迎合するばかりとなれば、側室筆頭『紅薔薇』に縋りたくなる気持ちもまぁ、分かる。
(陛下の寵愛を望んでいないとなれば、〝下賜制度〟が本格始動して実家に利のある嫁ぎ先が出来次第、ここにいらっしゃる大多数はすんなり去ってくれそうよね)
一度側室としてジューク王に仕えた功績を讃え、側室である彼女たち個人の地位は、王女相当まで引き上げられる予定である。この辺は、スタンザで得た下賜の仕組みをまるっと横流した。側室である彼女たちが〝下賜〟される場合に限り、身分の壁は限りなく低くなるだろうから、あとは彼女たちがこういった社交場で〝結婚相手〟と巡り逢えるかどうか、それが重要になってくる。
「紅薔薇様にご挨拶申し上げます……」
「ご無事のご帰還を……」
次々に投げ掛けられる挨拶へにこやかに応答しつつ、ディアナは側室たちの集団、その中央へと進む。……先ほど確認した感じだと、そろそろ。
「――ディアナ様!」
側室たちの中心で、リディル、ナーシャ、アナベラと歓談していたらしいシェイラが、ディアナの姿を見つけた瞬間、パッと花咲くような笑顔を浮かべた。そのまま、三人を引き連れ、シェイラは心なしか軽やかな足取りで近づいてくる。
「お久しぶりでございます、ディアナ様。本日の夜会でご挨拶できますことを、心待ちにしておりました」
そう言って見事な礼を執るシェイラからは、どことなく風格のようなものが感じ取れる。本人が自覚しているかは分からないが、正妃教育の成果が如実に表れた姿であった。
敢えてシェイラがディアナを名前で呼ぶのも、親しげな振る舞いを見せるのも、全て計画された作戦の一部だが、おそらくシェイラは素でやっているのだろうな……と思いつつ、ディアナもまた、シェイラに心からの笑みを浮かべた。
「ご丁寧に、ありがとうございます。――シェイラ様、夜会は楽しんでいらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。今宵は特に、夜会を共に過ごす友人にも多く恵まれ、退屈しない時間を過ごしておりますわ」
「それは何よりです。新年を迎える鐘が鳴り響いた後も夜会はまだまだ続きますが、シェイラ様には是非とも、ご友人方とのお時間を大切にして頂きたいですね」
「お優しいお言葉、胸に刻みます。友人との時間は得難いものですし、私もこれを機会に、皆様ともっともっと仲良くなれたら嬉しいです」
お互いに嘘のない笑顔で語らう様は、周囲からもとても親しい間柄に映ったことだろう。――今後、側室筆頭『紅薔薇』でなく〝シェイラ・カレルド〟が正妃に選ばれる流れへと持って行くにあたり、スタンザ帝国との一件で無駄に高まってしまったディアナの評判は、邪魔にしかならない。シェイラとディアナが正妃の座を巡って争っていると思われないために、自分たちの仲が良好であるとアピールしておくことは、割と急務である。
幸い、昨年の『貴族議会』でシェイラが助力を求めた『名付き』の三人とディアナが親しいことは、三人の実家がそれとなく広めてくれている。ライアたち繋がりでシェイラとディアナが仲良くなり、身分を超えて名前で呼び合うほど親しい仲になったとしても、不自然ではない。
そうして仲良くなったシェイラが、同じような下位側室に慕われてるのを察したディアナが、彼女の実力を見込んで側室たちの保護を託した――。そんな既成事実を作っておけば、いずれシェイラの名が正妃候補として広まっても、「あの『紅薔薇』も認めた側室」と一部には思ってもらえるのでは、と、これは大いに希望的観測が含まれるけれど。
いずれにせよ、シェイラとディアナの仲が良いことは積極的に外宮へ見せていくべきである……と、これは関係者一同の共通した見解だ。シェイラはもちろん二つ返事で頷いたし、ディアナも下手に構えずシェイラと接して構わないとなれば、夜会で気を抜くタイミングも掴みやすくなって、とてもありがたい。
演技でなく、シェイラと目を合わせてニコニコ笑い合った、そのとき。
ゴォーン、ゴオォー……ン――
重厚な鐘の音が、遠くから近くから、幾重にもこだまして響き渡る。王都中の神殿が一斉に鳴らした十二回の鐘を、ディアナたちだけでなく大ホールにいた全ての貴族が、静かに姿勢を正して恭しく傾聴し。
やがて、十二回目の鐘の余韻が消える頃、スッと頭を上げ、目の前にいる人と視線を合わせる。
「新しい年の訪れを、お祝い申し上げます。今年も、アメノス神の恵みが、あなたとともにありますように」
「ありがとうございます。あなたにも、この上ない幸福が訪れますよう、お祈りいたします」
シェイラと交わした新年の寿ぎが、周囲でも異口同音に行われている。新年の挨拶は、ともに鐘を聞いた人がいれば、まずはその相手と交わすものなので、こう言った大人数が集う場では、しばらく寿ぎの言葉で満ちることになるのだ。
そのざわめきに紛れ、ディアナは素早くシェイラに近寄り、耳元で囁く。
「この後の段取りは、手筈通りにお願いね」
「任せて。今年はちゃんと、夜会前に避難用の部屋の場所を確認してあるから。リディル様とナーシャ様、アナベラ様もお手伝いくださるのですって」
「頼もしいわ。王宮夜会の中でも『年迎えの夜会』は特に、何かと参加者の箍が緩みがちだから。皆様をお部屋までお連れして、内鍵をしっかりかけて、後宮近衛が迎えに行くまでは、決して部屋から出ないようにして」
「大丈夫よ。後宮の皆様は、私たちで必ず守るわ。――ディーも、気をつけて」
「えぇ、ありがとう」
ヒソヒソ話が終わる頃には、新年の挨拶もひとまず落ち着きつつあった。ディアナは自然にシェイラと距離を取り、周囲へ微笑みかける。
「新たな年を迎えたことですし、わたくし、陛下へご挨拶して参りますわ。皆様はどうぞ、ごゆるりと過ごされてね」
「ありがとうございます、紅薔薇様!」
「またお会いできる日を、楽しみにしております」
気の良い『紅薔薇派』の側室たちに見送られ、ディアナは優雅にその場を立ち去る。
「紅薔薇様。新年の寿ぎを申し上げます」
「新しい年の訪れを、お祝い申し上げます」
側室たちのエリアから離れ、数歩進むごとに周囲から飛んでくる、新年の挨拶。言葉をかけられるたびに立ち止まり、「アメノス神のお恵みが、今年もあなたとともにありますように……」の決まり文句を返し、また歩き出しては挨拶を投げかけられ、応答し――。
そんなことを繰り返している間に、気付けば時間は随分と経っており、ちらりと確認したところ、シェイラたちが上手く誘導してくれたようで、夜会に慣れていない新興貴族出身の側室たちの姿は、大ホールから集団ごと消えていた。華やかなドレスの集団が居なくなったことに違和感を覚えている人もいるようだけれど、若い未婚の貴族が新年の鐘を合図に大ホールを抜け出し、お叱りを受けない程度にハメを外すのは『年迎えの夜会』の恒例みたいなものだからか、大多数は気にも留めていない。シェイラたちに任せておけば、大ホールを抜けてからも心配はいらないだろう。
「これはこれは、紅薔薇様。新年のご挨拶を申し上げます」
「ご丁寧に、ありがとうございます。アメノス神のお恵みが、今年もありますように」
そろそろ、挨拶もまばらになってきた。もう少しすれば、無事にジュークたちのいるエリアまで戻れるだろう。
このまま、大多数の関係者の懸念が懸念のまま、夜会が終わってくれれば一番良いが――。
――ざわり。
不意に、大ホールの正面大扉近くから、不穏なざわめきが響いた。最初はささやかだった〝それ〟は、時が経つごとにじわじわ、じわじわと大きくなり、遂にはディアナまで届く。
「ねぇ、あちらって……」
「シュラザード侯だ。シュラザード侯がいるぞ」
「侯は確か……王宮で何やら不始末を起こし、今シーズンの社交を禁じられたはずでは」
「……なんて恐ろしいお顔なの」
(……やっぱり)
何事も起こらずなど、あまりに無理な願いだった。シュラザード侯爵が王都邸を抜け出した時点で、仮に今日を平穏無事に過ごせても、いつかは対峙せねばならない。――腹を、括るしかないのだ。
(……王宮回廊で堂々と女官長を襲うような危険人物を、陛下へ近づけるわけにはいかないわね)
あの男が何のためにここへやって来たのか知らないが、彼が探す誰も彼も、決して彼の手には渡せない。それだけははっきりしている。
ならば。やはり、この場で正面切って彼と戦うべきは、ディアナであろう。
ざわめきの中心部へ歩を進めれば、何かを察した様子の貴族たちが、じわじわ後ずさって道を作っていく。ホールから出て行こうとする者はほぼおらず、こんな場合だというのに野次馬根性を失わないエルグランド貴族たちに、ディアナは内心、呆れつつも感心した。……まぁ、今日に限り、野次馬の数は多ければ多いほど良いため、彼らの根性には感謝するべきなのかもしれない。
「シュ、シュラザード侯! 貴侯は、なにゆえ、こちらへおいでになったのだ!」
「貴侯には、王都邸での謹慎が命じられている! 今すぐ縛を受け、陛下の沙汰を待て!」
明らかに狼狽えている王宮騎士の声が、人混みの向こうから聞こえてきた。位置的におそらく、大ホール正面扉横に控えていた騎士たちだろう。――彼らからすれば、シュラザード侯爵は〝扉を潜った姿を確認していないのに、気付いたら大ホール内にいた〟ようなものだろうから、狼狽えるのも致し方ない。
(……カイの『打破』は、きちんと大ホール全体に掛けられているみたいね)
――シュラザード侯爵が王都邸から姿を消した。
その報告を受けてすぐ、カイは『遠話』の呪符にてソラと連絡を取り、対策を授けてもらっていた。おそらくはまた『隠形』を駆使して王宮へ忍び込むつもりであろうシュラザード侯爵と、おそらく王宮のどこかに隠れ潜んでいる〝敵〟に好き勝手させないための、策を。
【そうだな……味方も一切、霊術を使えなくなるが。現状、有効打となりそうな霊術を使える味方側の霊力者はお前くらいだろうから、特に問題はないか】
そう言ってソラが授けてくれた〝策〟こそ、彼が以前作成しておいた術式効果範囲指定陣にて〝大ホール〟を〝場〟に設定し、そこでカイの霊力そのものと言える霊術、『打破』を発動させるというものであった。カイの『打破』は、その気になれば相手の霊術効果を全て〝打ち破れる〟のだとか。
つまり、今宵。エルグランド王宮大ホールは、一時的にではあるが、究極の〝霊術封じ〟が施されているのである。この大ホール内では、一切の霊術は発動せず、発動した状態で大ホールに入っても、一歩中に踏み入った瞬間、全ての効果は打ち破られ、消え去ってしまう。シュラザード侯爵にかけられていた『隠形』の霊術も破られ、それが王宮騎士たちには、〝侯爵が突然現れた〟ように見えたわけだ。
「シュラザード侯!」
「……だ。どこだ。どこだどこだどこだ――」
王宮騎士に詰められているはずのシュラザード侯爵は、いつかの回廊襲撃事件のときと同じく……いや、あのときよりもっと、他人の話を聞いていない。
〝これ〟を騎士たちに任せるのは酷だろうな、と判断したディアナは、扇を広げて覚悟を決め、まぁまぁな修羅場へ飛び込むことにした。
「――騒がしいですね。いったい何事ですか?」
ディアナが声を発した瞬間、周囲を取り囲んでいた野次馬がはっとこちらを向き、一糸乱れぬ動きでざざざと人垣が動いて、綺麗な道ができた。エルグランド貴族の意外な一体感に内心ちょこっと引きつつ、表面上は鷹揚な笑みを浮かべて、ディアナは作られた道を軽やかに進む。
「こ、これは、紅薔薇様――!」
「大変な失礼を! 謹慎者はすぐに下がらせますので……」
「まぁ、そのように恐縮なさらないで。あなた方が職務に忠実な王宮騎士であることは分かっています。罰するつもりも、職務不履行を責めるつもりもございませんわ」
まずは初手で王宮騎士たちを〝こちら側〟へ引き込んだ。シュラザード侯爵は王都邸での謹慎と、今シーズンの社交禁止の処分を受けている身であり、当然ながらこの『年迎えの夜会』に参加する権利はない。王宮の処分に背いてこの場にいるのだから、本来であれば、彼らが警告していた通り即座に捕縛し、新たな処分が決まるまで、王宮の貴人牢に入れておくのが、正しい遇し方だ。
そんなことは、ディアナも重々分かっているけれど。
「そちらの侯爵閣下には、以前、わたくしの目の前で、陛下の忠臣たる女官長に危害を加えられましたの。その処罰の最中にも拘らず、身の程知らずに王宮へノコノコ現れた理由も分からないままでは、わたくし安心して、女官長に働いてもらえないでしょう。――ここは、わたくしに任せてもらえないかしら?」
「紅薔薇様……」
この場にシュラザード侯爵が姿を見せた以上、主要人物が勢揃いし、かつ野次馬がわんさか周囲を取り囲んでいるこの場で、この男の息の根を止めてしまった方が良い。〝証拠〟が出揃っていないことは気になるが、最悪後追いでも何とかなるだろう。
ほんの少し、世間で言われている〝高飛車で自分勝手〟な『紅薔薇』を意識しながら言ってみると、王宮騎士の二人は感激した様子で膝をついた。
「お言葉、ごもっともにございます。女官長を思うそのお心に、感謝いたします」
「側室筆頭であり、正妃の代理を務められ、準王族であらせられる紅薔薇様には、王宮の処罰にご意見される権限もございましょう」
「――えぇ、ありがとう」
思ったよりすんなり引いてくれたな、と思って彼らの顔をよくよく見てみれば、二人とも新興貴族出身の若騎士で、うち一人は昨年の園遊会で見たことがあった。『紅薔薇派』に所属する側室の兄、だったはず。
(あ~……偶然、じゃ、なさそうね)
たぶんきっと間違いなく、アルフォードが噛んでいる。国王近衛騎士の団長であるアルフォードには、ジュークが出向く夜会や視察現場などの警備体制にがっつり絡み、どこに誰を配置するかまで決められる、かなり強い権限があるのだ。いざというときディアナが動き易いよう、大ホールの警備を『側室紅薔薇』にそこそこ好意的な面々で固めた可能性は、うん、かなり高い。
(ありがたいけど、変に高飛車な『紅薔薇様』しちゃったから、これ下手したら、『紅薔薇』が顎で王宮騎士を使ってるように見えない? ……見えそうよね?)
ちょっぴり世知辛い気持ちになりつつ、今は騎士たちが協力的なことを喜ぼう、と気持ちを切り替え、ディアナは彼らへ微笑んだ。
「騎士殿の英断に感謝します。引き続き、夜会に出ていらっしゃる方々の警護を、よろしくお願いしますね」
「――はっ!」
「承知仕りました!!」
そう言って下がっていく騎士二人を見送り、ディアナは。
「――さて、シュラザード侯。お話をお伺いしましょうか?」
ディアナの顔を見た瞬間、不気味なまでに沈黙し、憎悪に満ちた眼差しで睨んできていたシュラザード侯爵を、真正面から睨み返した。
少し前、王宮の回廊で攻撃されたときとは、シュラザード侯爵の様子も、向き合うディアナの心持ちも、何もかもが違う。あのときはただ、『隠形』を使ってまでマグノム夫人に危害を加えようとし、意味不明の憎しみを向けてくる、危険な人物でしかなかった。
けれど、今は。
(薄汚れた執心から卑劣な策略でマリア様を王宮から奪い、生まれたばかりのカイに見当外れの難癖をつけてその命を奪おうとし、〝用済み〟だからとマリア様を密かに殺そうと図り、自身の望みが絶たれたと見るや、奪ったはずの〝我が子〟を未練たらしく追いかける――そんな自分本位の、同じ〝人〟とすら思いたくない輩を、これ以上のさばらせるわけにはいかない)
シュラザード侯爵がディアナに憎しみを向けるなら、対するディアナがシュラザード侯爵へ注ぐのは、絶対零度の怒りと心からの侮蔑だ。ディアナの大切な人たちを苦しめた彼の振る舞いに芯から凍るほど冷たい怒りを覚え、同じエルグランド貴族として、その貴族たりえない振る舞いの数々と爵位に見合わない人格を、心底侮り軽蔑する。
互いに睨み合った末、言葉を発したのはシュラザード侯爵だった。
「……どこだ」
「相変わらず、言葉が足りませんね。侯爵は、何を探しておいでなのです?」
「それは……〝カリン〟、否――!」
何かを思い出したように、彼は足音高くディアナへ近づいてきて。
「マリアンヌ! 我が妻、マリアンヌはどこだ!!」
「……何のお話です?」
「マリアンヌが、領地の邸から消えたと、今朝早くに知らせが届いた! マリアンヌを見張らせていた侍女の姿もないという! マリアンヌをどこへ隠した!!」
侯爵の突然の激昂に、野次馬たちが揃って三歩引いた。許されるならディアナも引きたいが、それでは渦中へ飛び込んだ意味がない。
ディアナは敢えて、とことん冷たい眼差しで、シュラザード侯爵を睨め付けてやった。
「マリアンヌ様の失踪が本当のことだとして、何故わたくしがその行方を知っていると思われるのです?」
「貴様は、マリアンヌがつるんでいた端女を、ずっと庇っていただろう!」
「……まさかとは思いますが、それは女官長のことを言っていますか? マグノム侯爵家の前侯爵夫人にして、内宮官の長として国王陛下のご信頼厚い、シャロン・マグノム女官長を、よりにもよって〝端女〟呼ばわりなさったと?」
「そうだと言っている! あの端女が頼れる、身分ある女など、貴様くらいだ! 堅牢な我が城から妻を連れ出せる荒くれ者とて、『クレスター』の貴様なら、容易に雇えよう!」
「……お話になりませんね」
お約束の超理論ではあるけれど、心の底から、『クレスター』ならどんな不可能も可能にするというトンデモ説に異を唱えたい。今回は確かにそれなりのトンデモを経験したけれど、『クレスター』云々は関係なく、単に獅子親子が規格外なだけだ。
チラリと周囲を窺えば、野次馬の圧倒的大多数は、どこからどう見ても錯乱状態なシュラザード侯爵にドン引きしており、数少ない……ただただディアナとクレスター家が気に食わない保守派のお歴々のみ、喚き散らす彼に同情の眼差しを向け、ディアナを睨んでいる。
(シュラザード侯爵がもはや、〝侯爵位〟を担える状態にないことは、充分に伝わったみたいね)
王宮全体のうち、王族の〝私〟的空間として存在している内宮は広く、その職務は多岐に渡る。女官長はその全てを取り仕切り、内宮官の長として、彼らの働きを統括する立場なのだ。当然ながら無能には務まらないし、ましてや現国王がこの上ない信頼を置いているとなれば、最上級の敬意を捧げられて然るべき女性であることは明白。ジュークの信厚い官を蔑む行いは、その官を信頼しているジュークへの不敬に直結するのである。
そんなことは、わざわざ説明されるまでもなく、王国貴族であれば当たり前に理解している。だから現状、少なくともジュークの耳目に触れる場所で、彼が表立って信頼している官や貴族を悪し様に言う者はいない。マグノム夫人によほど目立った粗でもあれば別だが、彼女は本当にそつなく、過不足なく、女官長の職務を遂行しているので、ケチのつけようもないのだ。
それなのに。
「あの端女に泣いて縋られでもしたのだろう! マリアンヌを我が領地から連れ出してくれと! 夫の許しなく妻を連れ去るなど、『クレスター』は噂通り、悪辣な家であるな!」
一度注意したにも拘らず、マグノム夫人を〝端女〟と呼称し続けるシュラザード侯爵に、エルグランド貴族の何たるか、重い責任を担う侯爵位の何たるかが理解できているはずもないことは、火を見るよりも明らかだろう。
ここから、彼が過去に犯した罪を暴き、マリアンヌに対する非道な仕打ちを糾弾すれば、マリアンヌに対する「離婚もやむなし。婚姻事実の抹消も認められるのでは」という世論を形成することは、充分に可能なはず。
さぁ、どう攻めようか――。
「悪辣な女め! さっさとマリアンヌの隠し場所を言え!!」
ほとんど白目を剥き、理性を無くしてがなり立てるシュラザード侯爵へ、ディアナは足音高く一歩を踏み出す――!




