旅立つ前夜の『紅薔薇の間』にて
今回より、降臨祭ディアナサイド、始まります!
シェイラがナーシャと仲直りし、寝台の上で抱擁を交わしている、まさに同時刻。
エルグランド王国北西部、〝メルナオの森〟を抱く土地の一つ、シュラザード侯爵領にて。
「ここが、俺の捨てられてたって森か~」
「……それより私は、最速でも数日かかる距離を一瞬で移動した、この〝霊術〟に興味があるわ」
ミスト主神殿での主日礼拝を終えた『紅薔薇様』ことディアナと、彼女専属の隠密を自称する男カイが、そこそこに気の抜けた会話を交わしていた。
二人が何故、どうやって、主日の午後、ミスト主神殿から遠く離れたシュラザード侯爵領を訪れたのか。
話は、降臨祭の礼拝旅へ向かう、その前夜まで遡る――。
***************
「ねー、ディー。寝る前、ちょっと時間ある? 父さんが話したいことあるらしくて」
去年よりは落ち着いて心身の準備ができた、ミスト主神殿へ出発する前日を過ごし。
あとは寝る前のルーティンをこなして就寝するだけ、となったタイミングで、天井裏から降って来たカイが、開口一番そう告げた。彼が夜、ディアナしかいない寝室に姿を見せるのもまた、エルグランド王国へ帰ってきてからの習慣となりつつあるので(行く前もそれなりに習慣化していたが)、ディアナも特に突っ込まないが。告げられた内容には、少々驚く。
「ソラ様が?」
「あ、今日の髪型も可愛い」
「いつものことながら、アイナとロザリーの気合いが凄くて……って、違うでしょ」
スタンザ帝国でのあれやこれやを通してか、『紅薔薇の間』の侍女と女官は全員、カイの存在を黙認……どころか、ディアナとの仲を全力で推し進めようとしている気配がする。毎夜、ディアナの就寝前にカイが寝室を訪れていると知ったその日から、ディアナの服飾担当であるアイナとロザリーの纏う空気が明らかに変わった。夜着一つ選ぶのにも真剣なディスカッションが繰り広げられ、後は寝るだけだというのに、風呂上がりのディアナの髪を余念なくセットしてくる。就寝の邪魔にならず、かつディアナ様の魅力がより増す装いを、と二人の研究意欲はそれはもう凄まじかった。
そんな侍女たちの努力を天井裏から直接、あるいは『闇』を通して間接的に知らされているカイもまた、毎夜のことというのに、ディアナへの褒め言葉をサボることがない。「どんなディーでも俺の気持ちは変わらないけど、それはそれとしてオシャレに気合いを入れてくれてる心遣いが嬉しいよね」とか抜かす男のどこが色仕掛け劣等生なのか、ソラ含めた諸先輩方に問い詰めたくなったディアナである。
余談だが、就寝前の側室を飾り立てる侍女たちのムーブは本来、国王陛下を迎える寵姫に向けられるものであると知っている『名付き』の三人は、この話を聞いて「後宮とは……?」と遠い目になったとか、なんとか。
――閑話休題。
「私のことは、どうでもよくて。ソラ様が、今からこちらへいらっしゃるの?」
「貴重な休息時間に申し訳ないけれど、シュラザード侯爵家について分かったことを共有しておきたい、って」
「そういうことね。分かったわ」
「あと、ディーのことはいつだってどうでもよくないからね?」
自然な動作でソファーの横に腰掛けられ、頬から首へカイの掌が滑る。王国へ帰ってきてからのこの時間、二人きりで過ごす間、カイはディアナに触れることを躊躇わなくなった。友人の頃とは明らかに違う、彼の想いが伝わってくる〝熱〟は、いつだってディアナに少しの気恥ずかしさと不思議な安らぎをもたらしてくれる。
カイに抱き寄せられ、優しい抱擁を交わして。ディアナは小さく頷いた。
「……ありがとう。アイナとロザリーにも、明日お礼を言うわ」
「うん、よろしく言っといて」
「じゃあ、ソラ様をお迎えする準備をしなきゃ」
「いや、父さん、部屋へ降りるつもりはないって言ってたから。この時間になったのも申し訳ない、ってさ」
「そんなこと、気になさる必要ないのに」
確かに、就寝前、ディアナが寝室にて一人で過ごすこの時間は、暗黙の了解でカイ以外は『紅薔薇の間』に近寄らないようにと、天井裏の面々は気を遣ってくれているらしい。だから、ソラが敢えてこの時間を指定して訪ねると言ったのも意外ではあったが。シュラザード家のことはカイも聞いておいた方が無難だろうし、となればむしろ、ディアナとカイが確実に揃っているこの時間を狙うのは、理に適っている。
「ソラ様だって、お疲れでしょうし……お茶くらいならお出しできるわよ?」
〈……お心遣い、誠に痛み入ります。ですがさすがに、うら若き女性のお部屋を、夜に堂々と訪うのは、褒められた行為ではないでしょう〉
「父さん、それ遠回しに俺のこと言ってる?」
「えっと、あの、この時間のカイの訪問は、陛下もクレスター家も承知していることですから。――それはともかく、いらっしゃいませ、ソラ様」
〈はい、末姫様。お邪魔いたします〉
ずっと部屋にいたか如くの空気感で会話にぬるっと入ってきたので流しかけたが、ソラを迎えてそのままというわけにもいかない。ソファーから立ち上がって一礼し、ディアナは天井裏を見上げた。
「お茶はすぐにご用意できます。……よろしければ、お話がてら休息なさっては?」
〈お気持ちは、大変ありがたいのですが。王宮という国の中心部で堂々と姿を晒すのは、却って落ち着かない性分でして〉
「でしたら、後ほどカイにお願いして、簡単な軽食とお茶を運んでもらいますね。ソラ様の良きときに、どうぞご休憩なさってください」
〈……恐縮です。ありがたく、頂戴いたします〉
ソラの返答を聞いて、ディアナはひとまずカイとともにソファーへ座り直す。
二人が腰を落ち着けたタイミングで、改めてソラの声が落ちてきた。
〈明日の朝も早いところ、こうしてお時間を頂戴し恐縮です。なるべく簡潔にお話しできればと考えてはおりますが〉
「簡潔にしようにも、内容が内容ですからね……」
「シュラザード侯爵家のことで、分かったことがあるんでしょ?」
〈あぁ。私の伝手で調べてもらった結果と、女官長様の調査で判明した事実。そして、それらから見えてくる予測だな〉
「なるほど。お伺いしましょう」
多くは返さず傾聴の姿勢に入ったディアナに、一呼吸分置いて、ソラが語り出す。
〈シュラザード侯爵の行動には、不可解な点が多くありました。その最も大きなものは、〝何故、二十年近くも経った今、我が子の可能性がある侍女に執着しているのか〟だと思います〉
「俺も思ったし、たぶんディーも思ったよね」
「話を聞けば誰だって疑問に思うかと。〝カリン〟にあれほど執心するのなら、もっと早くに我が子探しをしていてもおかしくないわ」
〈はい。女官長様と私は、主にその謎を解き明かすべく、それぞれ調査を進めました。我々は後宮から動けませんが、女官長様には長年マグノム侯爵夫人として社交界で築かれてきた人脈がありますし、私もそういった調査に長けた知り合いは多いですからね〉
「……ま、伊達に〝裏社会の双璧〟呼ばわりされてないよね、父さんも」
「マグノム夫人も、遠ざかっていたのはあくまでも中央の社交界で、中立主義の古参貴族家とは普通にお付き合いあるだろうし。……あの界隈の情報網はバカにできないから」
「そうなんだ?」
「その辺りの代表的なお家が、ヨランダさんのユーストル家だった、って言えば伝わる?」
「あ、一瞬で理解できた」
ユーストル侯爵家そのものは今年の『シーズン開始の夜会』にて〝国王派〟を堂々宣言したことで、代々の中立主義から抜け出したが、あの家が油断ならないことは周知の事実。マグノム夫人が嫁いだマグノム侯爵家もまた、どちらかといえば〝ユーストル家寄り〟の一派なのである。中立であることを第一義とし、中立であるため、国と各貴族家の動向把握は欠かさない。年季の入った〝中立派〟には独自のネットワークがあり、その情報量はなかなかに豊富であると聞く。
「……で。父さんとマグノム女官長さんのこわーい〝伝手〟で、シュラザード侯爵家を丸裸にしちゃったわけだ?」
〈相手は腐ってもアント聖教国出身の、年季だけは折り紙つきな旧家だ。時間も限られているし、丸裸とまではいかなかったがな〉
「でも、大まかには分かったんでしょ?」
〈あくまでも、概要程度だ〉
そう前置いてソラが語ったのは、二十年前――カイが捨てられたと推察されるときからの、シュラザード侯爵の動きであった。
〈〝後継〟を喪ってからのシュラザード侯爵は、中央の社交界へ出ることはほとんどなく、もっぱらシュラザード侯爵領と、その近隣を生活圏内にしていたようです。よほど外せない社交であれば奥方を連れて参加されることもあったようですが、基本、貴族の社交そのものから遠ざかっていたようですね〉
「要は引き籠り? ずっと領地の屋敷にいたってこと?」
〈いや。調べたところ、侯爵は領邸にすら用事がない限りは寄りつかず、領地に建てた別邸で、愛人を取っ替え引っ替え住まわせながら暮らしていたらしい〉
初っ端から、なかなかのぶっ飛び具合である。思わず眉間に皺が寄った。
「……あれほどの大騒ぎを起こして、マリア様を娶っておきながら? それは、あまりにも不実が過ぎるのでは?」
「いやうん、女官長さんの話を聞く限り、マリアンヌさんは侯爵との夫婦生活が無くても問題ないというか、むしろ安心しただろうけど。不実って意見には同感」
〈お前の捨てられた経緯が想像の域を出ないから、確かなことは言えないが。もしも侯爵が、カイの目の色を見て〝魔に連なる者〟と考えたとしたら、そんな子を産んだ奥方のことも『妻として不適格』だと判断した可能性は、決して低くはないだろう。それに加え、奥方は産後に体を壊してからずっと具合が悪く、今も容態が思わしくない。……領邸に出入りしている商人の話だと、この冬を越えられるか危うい状態だそうだ〉
「この冬って……!」
「……ほぼ入りかけてるよね。そっか、そんなに悪いのか」
ライアとヨランダの話では、少なくとも数年前まで、小さな茶会などの集まりには姿を見せていたとのことなので、まだ余裕があると信じたかったが。
(亡くなってさえいなければ、引き留めることは可能だけれど)
推定息子のカイの、淡々とした呟きからは、母かもしれない人への思いは読み切れない。助けるにしても、カイの気持ちは確かめておきたい。
〈侯爵の考えはともかく、シュラザード侯爵夫妻が長年ほぼ別居生活を送っていたのは確かです。侯爵は定期的に愛人を入れ替えながら、別邸で過ごしていたわけですが……その目的はどうやら、〝喪った我が子〟に代わる自分の血を継いだ子どもを得るため、だったようで〉
「……いかにもありそうですけれど」
「なんだっけ、前にディーから聞いたな……。エルグランド王国は一夫一婦制だから浮気は犯罪だけど、王族と貴族の男だけは例外で、外に女作って子ども産ませても、処罰の対象にならないんだっけ?」
「そ。古い、ふるーい法律が、未だにしぶとく息をしてるのよ」
「てか、子ども欲しいけど奥さんが体壊して無理そうなら、潔く離婚して再婚した方が早くない? 倫理的にどうかは置いといて」
「あー……シュラザード侯爵がアント聖教の影響を色濃く受けてるなら、離婚って選択肢ないかも。あそこ、神前での誓いがめちゃくちゃ重いから、神に永遠の愛を誓った相手とどんな理由があれ別れることは、死後地獄行きの重罪って教えなのよね。国が許しても、神がお赦しにならない、ってやつ」
「へー。そんな教えを信じる奴の気が知れない」
宗教関連のトンチキについてはディアナも同意見だが、そこを掘り下げると話が逸れる未来しかないので、カイの相槌には賢く微笑み一つで対応し。
ディアナは視線を上に向ける。
「……つまりシュラザード侯爵は、この二十年もの間、自分の血を引いた〝我が子〟を得るため、出産可能な年齢の愛人を取っ替え引っ替えしていたわけですね?」
〈時には数人を別邸へ招き入れるなど、なかなか節操無かったようですよ。事情を知る裏社会の者たちから、彼の別邸は密かに〝シュラザード・ハレム〟と呼ばれていたとか〉
「何それ。俺知らない」
〈俺も調べて初めて知った。お前を捨てた人間がいるだろう〝メルナオの森〟周辺の土地は、足を踏み入れるのを避けていたからな〉
「……そういえば」
父親の密かな気遣いを知り、どこか面映い表情になったカイに柔らかく微笑みつつ、ディアナは本題へと切り込む。
「二十年間、〝ハレム〟を維持して……それでも、彼に子どもはできなかった?」
横のカイが息を呑んだ気配がする。――そう。普通に考えればあり得ないのだ。それほど〝我が子〟を得ることにこだわり、女性を抱き続けたであろう男に、子ができないなんてことは。
ディアナの問いに、天井裏から重々しい声が返ってくる。
〈その通りです。さすがの彼も疑問を抱いたようで、数年前、医者に罹ったところ……十数年前、あの地方一帯で流行した熱病に罹患した影響で、生殖能力を喪っていることが判明しました〉
カイが、目を丸くした。一方、ディアナは得心し、深く頷く。
「モーデン病ね。仰る通り、後遺症の一つに男性不妊があります」
「待って待って、ディー。そんな怖い病気があるの?」
「エルグランド王国では、それほど珍しくない流行病の一つよ。早期発見して感染予防策を実行し、罹患者の治療に当たれば、それほど広がることもなく収束するけど……確か、私が生まれるちょっと前にマミア以西で流行したモーデン病は、発生した土地の領主が初期対応をしくじって、そこそこの規模まで広がった、ってクレスターの師匠たちから聞いたことがある」
「……ドンピシャじゃん。絶対ソレだよね」
「罹っても死ぬことは稀だから、領主によっては大した病気じゃないって舐めてる場合もあるのよね。実際、初期のうちに適切な治療を受ければ、後遺症もなく回復する。けれど、モーデン病由来の発熱が三日続いて、その間一度も解熱などの対処療法を行わなかった場合、子種が作れなくなる後遺症の発症率が跳ね上がるの。そういう論文を、以前読んだわ」
「間違いなく、病気を舐めてちゃんとした治療もしないまま三日過ぎたパターンだなー」
「……師匠たちから聞いたんだけど、アント聖教の信者の中には宗教上の理由から医者の治療を断る人もいるらしいの。病気は神が人に与えた試練だから、医者にかかるのは試練を放棄する不信心者の行いである、って教えがあるんだって」
「聞けば聞くほどろくな教えなくない? アント聖教って」
カイのツッコミはド正論だけれど、この場合、曲がりなりにもエルグランド王国貴族の中に、狂信者レベルのアント聖教信者がいたことの方が問題かもしれない。前シュラザード侯爵はマトモな人だったらしいので、話に聞く、前侯爵夫人がヤバかったのだろう。
「……まぁ、侯爵が後遺症を負った原因については、ひとまず横に置くとして。重要なのは、〝我が子〟にこだわっていたシュラザード侯爵が、実はずいぶん昔から、女性を妊娠させる能力を喪っていた、ってことよね」
〈その通りです、末姫様。いわゆる〝男性不妊〟の診断を受けたシュラザード侯爵は、当然すぐ受け入れることはできず、あちこちの医者を転々と巡っていたようですが、返ってくる答えはどれも同じ。治療法もなければ自然回復の見込みもないと告げられ、ここ最近は〝ハレム〟を解散し、別邸にて引き籠る日々、だったとか〉
「結果的には、ホンモノの引き籠りになっちゃったわけだ。後継が望めないって分かって落ち込むのは分かるけど、その場合貴族って、近親者から養子縁組するのが一般的じゃなかった?」
「そうなんだけど、特に〝血統〟を重視する家の場合、血が遠い子に家を継がせるのを嫌がって、何がなんでも実子相続にこだわる場合もなくはないから。エルグランドが半島統一してから三百年で、その辺の血統至上主義者はゆるゆる滅んではきてるけど、完全に消え去ったわけでもないのよねぇ」
「子どもなんて授かりものでしかないんだから、後継ぎを実の子にこだわる家の方が長続きしないのは、自然の摂理ってやつか」
「三百年間、何事もなく直系だけで繋いできた貴族家って、今となっては少数派でしょうね」
「その〝少数派〟にクレスター家が入ってるのも、冗談みたいな話だけど」
「ウチはちょっと特殊だから、一般例に当て嵌まらないのよ」
カイと雑談しつつ、ディアナは過去に一度だけ夜会で見た、まるで覇気のないシュラザード侯爵を思い返す。……なるほど、アレは医者から〝男性不妊〟の診断を受けながら信じられず、あちこちの医者を流浪していた頃だったのか。であれば、一人でこの世の終わりを表現していたかのような、あの空気にも納得がいく。
「……後継となる我が子を望むも得られる可能性はないと知り、絶望していたところに、『あなたと奥方の子では?』なんて話を耳打ちされたのだとしたら――侯爵の、〝カリン〟への異様な執着も、理解できますね。諦めるしかない〝実の子〟が生きているとしたら、瞳の色など、今の侯爵にとっては瑣末事でしょう」
呟きに近い、ディアナの所感。
それを横で聞いたカイは、数拍、沈黙して。
「理解できなくは、ないね。共感は一切できないけど」
深々としたため息とともに、重く一言、そう吐き出した。
複雑な感情を垣間見せる息子に、天井裏の父親は、苦笑を含んだ声を投げ掛ける。
〈調査で分かったのは、あくまでも凶行に及んだシュラザード侯爵の背景だけだ。侯爵夫人側のご事情までは分からん。それに、俺と出会う前、赤ん坊だったお前に何が起きたのか、それもあくまで推測でしかないだろう。シュラザード家にどう対するか、最終決定を下すのは侯爵夫人と話をしてからでも遅くはない〉
「……けど、マリアンヌさん、この冬を越えるの難しい状態、って言ってなかった?」
〈つまり、今ならまだ、本人から話を聞くのも可能ということだ。幸い、シュラザード侯爵本人は、先日王宮で起こした騒ぎの責任を取り、『年迎えの夜会』までの間、王都の屋敷で謹慎することになった。王都の騎士団が警護という名の見張りをするそうだから、それを振り切ってまで、わざわざ王都から出るような真似はしないだろう。降臨祭の期間だけ大人しくしておけば、また〝カリン〟を探しに王宮へ入れるわけだからな〉
「降臨祭の間なら確実に侯爵の邪魔が入らないから、直接シュラザード領まで行ってマリアンヌさんから話を聞けるってこと? そりゃ、父さんの手を借りればできなくはないかもだけど。肝心の当人が、マトモに話せる状態か分かんないよ? この冬を越えられない、ってことは、既に危篤状態でほぼ意識もない可能性だってあるんだし」
カイの視線は、先ほどから不自然なほどずっと、天井を向いたままだ。
今度はディアナが苦笑して、そっとカイの方を向く。
「……マリア様の命の灯火さえ消えていなければ、私の霊力でお引き留めすることができるわ。あなたなら、そんなこと、最初から分かっているでしょう?」
「俺は、極力ディーに、その〝奇跡〟を使って欲しくないの。……ナーシャさんはディーの仲間でシェイラさんの友だちだから、救わない選択肢は最初からなかったけどさ」
「何言ってるの、カイ。私は、生きようと必死な命が目の前にあれば、それが誰の命であろうと、自分にできる精一杯を尽くすわ。それが医者の本分だもの」
「ディーの本職はあくまでもクレスター伯爵家のお嬢様であって、お医者さんじゃない気がするんだよねぇ……」
「それはそれ、でしょ。――結局、カイは、自分の生みの親かもしれない人を助けるために、私が無茶するんじゃないかと心配してる、って解釈で合ってる?」
「……」
無言でこちらを向くカイの瞳には、少しの驚きと、喜びと、それ以上に大きな哀切が見えた。ディアナが自分の気持ちを読み解いてくれたのは嬉しいけれど、状況を考えると素直に喜べない、といったところか。
やっとこちらを向いてくれた大好きな夕闇の瞳へ、ディアナは心からの笑みを浮かべて。
「自分を不必要なほど削るつもりはないけれど、私は最初から、マグノム夫人の大切な方を諦める気なんてなかったわ。仮にマリア様がカイのお母様でなかったとしても、夫人のお話を伺った以上、お救いするためできる限りの手を尽くすことに変わりはないのだけれど」
「……そうだった。マリアンヌさんって、マグノム女官長さんにとって、かけがえのない人なんだよね」
「――カイにとっては、どう?」
「……分かんないかな、まだ」
「なら、ちゃんと〝分かる〟ため、一度お話を伺ってみるのは無駄じゃないと思う」
「ディーは、分かった方が良いと思う?」
「カイが心の底から、自分を産んだ人が本当は何を考えていたのか、どうして自分を手放すことを選んだのか、知りたくもないし興味もないって思うなら、それ以上を考える必要はないと思うけど。心のどこかで引っかかって、少しでも二十年前の真相に興味があるなら、向き合った方が良いんじゃないかしら。せっかく今、向き合えるチャンスがあるんだから」
「……そっか。そうだね」
ディアナの言葉に何を思ったか、カイは少し目を細めると、ゆっくり、ゆっくり頷いた。
「分かった。ディー、一緒に行ってくれる? シュラザード侯爵領へ」
「もちろんよ。と言いたいところだけれど……明日から、降臨祭の主神殿礼拝旅でしょ? ミスト神殿からシュラザード侯爵領まで、結構な距離あるし。お祭りの期間中に、私が同行できるチャンスってあるの?」
「それを言うなら、俺だってディーの護衛として、礼拝の旅には隠れてついてくつもりだから、条件は一緒だよ?」
「えっ、ますますどうするの?」
てっきり、カイは明日から別行動するのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。
ますます疑問が膨らんだディアナの耳に、天井裏からソラの声が届く。
〈ミスト神殿からシュラザード侯爵領への導きは、私の方で行います。そのための仕込みも、明日の朝にはカイへ渡せますので〉
「ミスト神殿から? つまり、シュラザード領へ赴くのは主日ですか?」
〈それ以外の日となりますと、末姫様は日中、ほぼ全ての時間を馬車で移動しつつ過ごしておいででしょう。今回使用します霊術は、できれば同じ地点を行き来した方が、安全に使えるのです〉
「そういうことなのですね。承知いたしました」
昨年の主日は、ミスト神殿内に与えられた部屋でジュークと共に過ごしたが、あれは和解に半日以上必要だったからであって、ちゃんと仲良くなった今年まで、同じように過ごす必要はない。今年のジュークには、アルフォードとでも、主従及び友人としての絆を深めてもらっておこう。
(なんだかんだで、今年も慌ただしい旅になりそうね)
今年は去年ほど、馬車の旅も退屈せずに過ごせそうだと、ディアナは密かに心躍らせた――。




