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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
211/241

明け方の診察


「――で、最後に、ここから揮発した成分がこの管を通ってこっちの容器に入るから、管に水をかけて冷やして、溶液の状態にしてくれたら完成ね」

「思ってた以上にめちゃくちゃ面倒くさい……!」

「でも、荒地で純水作るときと、基本的な考え方は一緒よ?」

「あー、だから普通の調理器具でもできないことはないわけか。けどさぁ、考え方は一緒でも、植物さんから必要なものだけ〝取り出す〟となると、やっぱ色々違うって」

「そうなんだけどね。ウキュウもギョーモもゾンカーンも、欲しい薬効成分以外の効能が、今のナーシャ様には邪魔すぎて」

「それも分かるけど!」

「……まぁ、工程は俺も覚えましたんで。ひとまず、抽出できたこいつらで、最初の薬は調合しちゃいましょう」

「そうね」


 紆余曲折ありつつ、それでも恙なく、ナーシャへ投薬したい薬は完成した。ビスタが予め用意してくれていた消毒済みの瓶に入れ、しっかりと蓋をする。


「それで一日分?」

「そうだけど、一回で全部飲むには多すぎるから、一日三回に分けて飲んでもらおうかなって。……ナーシャ様のご様子はどうかしら?」

〈ご安心を。今は安定して、よくお眠りです〉


 誰にともなく発した疑問には、どうやら天井裏にいてくれたらしいソラが答えてくれる。頷いて、ディアナはカイを振り返った。


「今のうちにコッソリ部屋へ戻って、着替えた方が良さそうね」

「着替えるの? 下手にドレス着ちゃうと目立たない?」

「大丈夫。最近はほぼ使ってないけど、隠密行動用の侍女服と茶髪の鬘があるから」

〈――それよりも、末姫様。クロケット様に何かあればお知らせしますゆえ、お部屋に戻られるのでしたら、しばらくお休みください〉


 降ってきたソラの言葉に、カイとビスタが賛同した時点で、ディアナに〝休む〟以外の選択肢はなくなるわけで。

 ――薬の瓶を持って厨房を辞した後、再び隠し通路を案内されて久々の『紅薔薇の間』へと戻ったディアナは、マグノム夫人が気を利かせて持って来てくれた湯で体を清めたあと、泥のように眠った。


「朝からずっと、ほぼ無意識に霊力(スピラ)を使いっぱなしだったんだ。お疲れでないわけがないだろう」

「うん、ごめん。休ませるタイミングが掴めなくて。――ありがとう、父さん」

「クロケット様の一件が落ち着いたら、聞くべきことと、話さねばならないことが一つずつあるが……とりあえず今は、お前も休め」

「聞くべきことは想像つくけど、話すこともあるんだ? ……はぁい、おやすみ」


 夜が更ける中、人知れず帰還した戦士たちはしばしの休息を得――、




 そして、朝。


「おはようございます、ディアナ様」

「おはよう、マグノム夫人。……さすがにこの時間だと、人は少ないわね」


 朝イチで目覚めたディアナは、昨晩宣言した通り久々の侍女服に身を包み、隠し通路を使ってナーシャの部屋を訪れていた。


「ナーシャ様が倒れたとの知らせを受けてから、シェイラ様とリディル様が交互でお部屋に詰めていらっしゃいましたが、昨晩、容体が安定したのを受けて、一度お部屋へ戻るよう、進言いたしました。侍女たちにも交代で休息を取ってもらい……ナーシャ様のことは、我々女官と、ヴィオセル医官で」

「ヴィオセル医官がオーバーワークね」

「はい。ディアナ様がお越しくださったので、引き継ぎを終えたら、お休み頂こうかと」

「それが良いわ。――あと、マグノム夫人も休んでね」

「……勿体無いお言葉にございます」


 命の危機にある病人の側に控え、常にその状態に気を配って看病するというのは、当人が思っている以上に心身を削る。マグノム夫人は疲れを見せないが、だからこそ心配だ。


「――それで、ナーシャ様は?」

「はい。明け方頃、一度目を開けられまして、それからはうとうとと、覚醒と半覚醒を行き来していらっしゃいます」

「ちょうど良いタイミングね」


 一つ頷き、ディアナは昨晩も入ったナーシャの寝室へ、静かに足を踏み入れる。

 入り口のディアナに気づいて立ち上がったのはヴィオセルで、手だけでナーシャの枕元の椅子を示してきた。気遣いに微笑んで、示された椅子へと座る。


「……どうですか?」

「今のところ、どこかを痛がったり、殊更に苦しんだりするご様子はありませんが……ただ、熱は依然として高いですし、呼吸音にもやや喘鳴がありますね」

「なるほど。昨晩と、大きく変わったところはないようですね。――一応、ひとまずの対処療法として、ナーシャ様のお身体に見られる諸症状を緩和するお薬は調合して参りました」

「ありがとうございます。……実は私、医療技術は外科方面を中心に学んだため、薬学はさほど強くないのです。ディアナ様がそちらに秀でていらっしゃると知り、安堵いたしました」

「医者それぞれ、得意分野は異なりますものね。わたくしはヴィオセル先生とは反対で、外科には明るくありませんから、頼りにさせてもらいます」


 そう、枕元にてひそひそ話していると。


「ぁ……?」


 寝台で眠っていたナーシャの瞳が開き、ゆっくりと周囲に視線を彷徨わせる。ディアナはすかさずベッドボート上の水差しを手に取り、ナーシャに微笑みかけた。


「おはようございます、ナーシャ様。よろしければ、お水をどうぞ」

「……みず」


 意識が覚醒しつつあるナーシャが起きようとする背を支え、口元へ水差しを運ぶ。

 中の水が順調に減っていくのを見守り、ナーシャが吸い口から唇を離したタイミングで、水差しを一度、ベッドボードへ戻した。

 そのまま、彼女の背をもう一度、敷布の上へと戻そうとして――。


「べ……べに、ばら、さま?」


 視線をひたと向けてくるナーシャに、どうやら意識が完全に覚醒方向へ向いたと知る。

 彼女の視線にこちらの視線を絡め、ディアナは大きく、ゆったり、頷いた。


「はい、ナーシャ様」

「ど……して、紅薔薇さま、が」

「ナーシャ様が危ない状態と聞き、一足早く帰って参りましたの。わたくし以外の国使団の皆は、明日の昼頃、戻ってくる予定です」

「そん、な……私などの、ために、わざわざ?」

「これでも、クレスターの実家では医療を学んでおりましたゆえ、微力ながらお役に立てるのではと思いまして」


 目を丸くしたナーシャが、寝台の上に座ろうとするのを手伝う。……今の状態で座位を続けるのは良くないが、『紅薔薇様』を認識してしまった以上、ナーシャの性格で寝たまま対応することは難しいだろう。なるべく早く、手短に済ませねば。

 ――ディアナは持参した往診用カバンから、聴診器と拡大鏡を取り出した。


「ナーシャ様。少し診察させてもらってもよろしいでしょうか?」

「し、診察、ですか?」

「おそらく、今のナーシャ様は、何らかの感染症にかかっておいでかと思うので。症状から病名が分かれば、お薬を調合する参考にできますし、詳細な症状が分かれば、厨房の方でも病人食が作りやすくなります。……円滑な看病のため、ご協力頂けるとありがたいのですが」

「は……は、い」


 覚醒したとはいえ、まだ起きたばかりで頭の回っていないナーシャを、医者モードで言い包めて診察へと持っていく。……ちなみにクレスターでは、医者にかかりたくない頑固なご老人に対して、この技をよく使っていた。


 まずは手首から脈を取り、続いて皮膚に触れての感触の違和感、関節痛の有無の確認から、目の充血、拡大鏡で喉の奥の様子を観察し、さらに聴診器で肺と心臓の音を聞いて――。

 一般的な診察内容を淡々とこなすうちに、ようやく思考の巡り出したらしいナーシャが、驚愕と困惑に包まれていくのが分かる。それはまぁ、実に妥当な反応なのだけれど。


「熱が高いことで、喉の炎症と、関節痛が見られますね。あまり食欲もないのでは?」

「そう、ですね」

「胃腸も弱り気味……と。とはいえ、お薬を飲む前に、何かしら食した方が良いのも確かなのですが、スープくらいなら飲めそうですか?」

「は……い。スープくらいでしたら、何とか」

「ナーシャ様の今の症状ですと、野菜の栄養素を多く取った方がお身体に良いので、穀物とお野菜を煮込んだスープを作ってもらいましょうか。何か苦手な食材はありますか?」

「い、いえ。野菜であれば、特に食べられないものはありません」

「承知いたしました。――マグノム夫人、厨房へ伝達をお願いできるかしら?」

「仰せの通りに」


 今は何を置いても、食事を摂って、薬を飲んでもらうことが先決だ。医者モードを貫き通してマグノム夫人への指示出しを終え、一息ついたところで、ディアナは部屋の隅でずっと控えていた侍女を振り返った。


「朝早くからお疲れ様。あなたは確か……モコ、でしたね?」

「は、はいっ」

「少し、ヴィオセル先生とお話ししたいことがあるの。ナーシャ様のお世話をお願いできるかしら?」

「も、もちろんです!」


 意気込んで頷く年若い彼女へ微笑み、ディアナは手短に、食事が来るまでナーシャに寝台で休んでもらうこと、リラックスできるよう、彼女の好きな本や趣味のものがあれば手に取れる位置へ置いておいて欲しいことなどを話す。こくこく首を縦に振るモコはどうやら、『紅薔薇』のことは遠目でしか見たことがないらしく、目の前の医者っぽい侍女と後宮最高位の側室は結びついていないようだ。ナーシャが萎縮しないよう、極力声を抑えて会話していたため、少し離れた場所にいた彼女は、断片的にしか会話が耳に入っていないのだろう。

 そんなモコへ何か言いたげな視線を向けるナーシャへは、いたずらっ子の微笑みとともに人差し指を唇へ当て、言外に〝私が誰かは黙っていてほしい〟と伝えて。


「それじゃ、お願いしますね。――ヴィオセル先生、参りましょう」

「はい」


 ヴィオセルを連れ、ディアナは一旦、寝室から主室へと移動した。


「ありがとうございました、ヴィオセル先生」

「それはこちらの言葉です。しかし、間近で拝見してもなお、信じられませんね。――実に手慣れていらっしゃる」

「クレスター地帯では、地元の街でいくつかの診療所へお邪魔し、先生方に弟子入りして参りましたから。元々、興味があったのは動植物の薬効についてだったのですけれど、それらを人間が摂取することでどういった効果があるのかを調べているうちに、自然とそういう流れに……お恥ずかしい限りですわ」

「動植物の薬効に興味がおありとのことでしたが、薬師への弟子入りではいけなかったのですか?」

「もちろん、そちらにも弟子入りはいたしましたわ。ですが、薬師は調薬が専門で、なかなか投薬した患者の経過観察まではできないでしょう?」

「あぁ、確かに。それで、薬師と医師、どちらも学ばれたわけですね」

「珍しい……というより、節操なしな振る舞いであることは承知しています。クレスターの師匠たちにも散々笑われましたもの、当時は」


 とはいえ、先祖代々クレスターの街に住む民の多くは『森の民』を先祖とする者たちで、『賢者』一族の病的な知識欲には耐性がある。師匠たちのほとんどはデュアリスと同世代か少し上のため、若い頃の彼のこともよく知っており、「本気で家出して行方をくらませていたこともあるデュアー坊ちゃんに比べりゃ、ディア嬢様の〝お出かけ〟は可愛いもんだ」と笑って受け入れてくれた。


「いえいえ、頼もしい限りですよ。――それで、クロケット様の病について、ディアナ様のお見立ては?」


 ディアナの医術が、貴族令嬢のちょっと変わった趣味の範囲から逸脱した本格的なものだという確信を得られたからだろう。ヴィオセルの雰囲気が〝側室に仕える内務医官〟から、〝対等の医者相手に話す医療者〟のものへガラリと変わる。クレスター領でドリー医師と話したときと似た気配を醸し出す彼に、間違いなく二人は師弟だと内心頷きつつ、ディアナはヴィオセルをまっすぐに見返した。


「感染症の一種ではありますけれど、さほど感染力が強いものではなさそうです。これまで看病したことのある誰にも感染していないとなると、免疫力のある者にとってはさほど脅威でなく、罹ったとしても『ちょっとした風邪』で流せてしまう程度のものでしょう」

「しかしながら、そもそもつわりで食が細り、病原体への抵抗力が落ちていたクロケット様にとっては、深刻な病となってしまった……というわけですね?」

「妊娠初期の妊婦にとって最も留意すべきは、自身の心身の健康を第一に過ごすことです。しかし、ナーシャ様の場合、少なくとも心を穏やかに保つことは難しかったでしょう。それに加えてつわりなどの体調変化も重なれば、しっかり睡眠を取れていたかどうかすら、怪しいです」

「あぁ……確かに、以前の問診でも、寝不足気味なところは見受けられました」

「妊娠初期は眠くなりがちなのに、その眠気すら感じられないほど、思い悩んでいらしたということですね」

「クロケット様の置かれた状況を思えば、致し方ないところではありますが……」


 苦い顔で呟くヴィオセルに頷きつつ同情する。〝国王陛下の後宮で側室が懐妊し、しかしその胎児は国王の子ではあり得ず、なのに国王と寵姫を筆頭に皆が懐妊した側室を守ろうとし、その片棒を担がされる〟なんて状況、ベテランの医者でもそうそうお目にはかかれない。ヴィオセルはドリー医師に師事していたため、裏社会へ一定の理解はあるし、クレスター家にも臆せず接してくれる肝の持ち主ではあるけれど、それとこれとはめちゃくちゃ話が別である。


「ナーシャ様の胃腸の調子を見ながらではありますが、食事はしばらく肉を避け、穀物と豆類、野菜類を具としたスープ系……いわゆる流動食を中心に提供して頂こうと考えております。お話を伺った限り、ナーシャ様は脂っこいものが喉を通りにくいタイプのつわりのようですので」

「しかし、それでは栄養不足になりませんか? 妊娠期の妊婦は特に、肉を食べるべきという説を聞いたことがあります」

「肉類には、体を作る栄養が豊富に含まれていますからね。……でしたら、豆の料理を増やしてもらいましょうか」

「豆?」

「豆類の中には、肉と同じ栄養が含まれているものも多いのですよ。この辺りはわたくしより厨房長が詳しいはずなので、相談してみます」

「後宮の厨房長……とはもしや、ビスタ・オールズ様でいらっしゃいますか?」

「あら、面識がおありでした?」

「いえ、私ではなく――師が」


 どこか痛みを堪えるような、それでいて何かを羨むような表情で、ヴィオセルは微笑む。


「酒に酔ったドリー先生が、口癖のように言っていたのです。『王宮は何もかもがクソだったが、アイツと、ビスタと、三人で呑んでるときだけは、まぁ悪くなかった』と」

「……存じ上げませんでしたわ。ビスタ――厨房長とドリー先生は、それほど親しい間柄でしたのね」

「そのようです」


 ドリー――かつてドリーミル医官と呼ばれていた彼もまた、ディアナが生まれるより前に王宮を去った人物だ。デュアリスを始めとした親世代が、自分たちの若い頃について思い出話を聞かせてくれることはほとんどなく、それは今より少しだけ昔の王宮が、貴族社会が、今にも増して居心地の良い世界でなかったことを言外に物語っている。


「ドリー先生があれほど信頼されている方がお作りになる料理なら、間違いはありませんね」

「えぇ。加えて彼は、わたくしが調薬した薬の原料も知っていますから。薬効を妨げる具材は使わないと、そこも信頼できます」

「ありがたい。落ち着いたら、個人的にお会いしてお礼を申し上げたいところです」

「えぇ、ぜひ。ドリー先生の近況を知らせてあげてください」


 微笑んで頷いたディアナに、ヴィオセルは一つ咳払いして。


「ところで、調薬されたというお薬はどちらに?」

「こちらにございます。――この液薬を、一日三回、朝昼夜の食事後に服薬する計算で作りました。この瓶で、一日分ですね」

「きちんと三等分の位置に目盛りまでつけて……丁寧ですね」

「わたくしに調薬と投薬を叩き込んでくれた師匠が、よく言っていましたの。『投薬のタイミングと一回量は、素人でも間違いなく分かるようにしておけ』と。入院患者ならともかく、多くの患者は自宅で自ら服薬するわけですから」

「なるほど、薬師ならではの視点ですね。勉強になります」


 ヴィオセルが大きく頷く。

 勤勉な彼に微笑んだところで、天井裏の気配が動いた。


〈ディー。ナーシャさんの朝ご飯、できたみたいだよ〉

「了解。ありがとう、カイ」


 さすがはビスタ、仕事が早い。

 カイに礼を述べ、ディアナは改めて、ヴィオセルに視線を向ける。


「ヴィオセル先生。投薬が終わりましたら、一度お休みください。ここ数日、まとまった睡眠を取れていないのではありませんか?」

「まぁ……遍歴医をしているときはほぼ一人でしたから、慣れてはいますが」

「医者の不養生という言葉もございます。少なくとも後宮では、ご無理なさらず。……内務医官のお仕事との兼ね合いもあることでしょうし」

「ありがとうございます。……そうですね、内務医官でした、私」


 何度か頷いてから、ヴィオセルは笑う。


「王族の問診すらやんわり断られている内務医官の仕事など、暇の極みでね。今回も、後宮から連絡を頂いてすぐ、身内の急な病を口実に抜けてきたのですが、誰からも引き留められないどころか『ゆっくりしてきてください』なんて言われる始末でして」

「まぁ」

「ディアナ様のお心遣いに感謝して、しばらく休んで参ります。その後は、医局の同輩の気遣いに甘えて、クロケット様が落ち着かれるまで、こちらへ詰めさせてもらいますよ」

「……とても助かりますが、くれぐれもご用心を。内務省管轄下の医局は、国の上層部が揃って何らかの〝含み〟を持っている部署です」

「承知いたしました」


 頼りになる医官とともに、ディアナはもうすぐ運ばれてくる、ナーシャの朝食を待つのであった。


おそらく、このお話随一の巻き込まれ体質であろうヴィオセルさんに合掌……基本スタンスが「命を救えるのなら時も場所も選ばない」人なんで、この状況下でも平然としていますが、ただ師匠の留守を守ってただけの善良なお医者さんがとんでもない目に遭っていますよね。

次回、お話がもう少し動きます。

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