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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
210/237

厨房にて

書いてて、作者が一番、何がどうしてこうなったと困惑した回です。


 ナーシャの看病をシェイラへ託したディアナは、人目の少ない廊下を選びつつも急いで、後宮の奥にある厨房へと向かった。幸い、ディアナの霊力(スピラ)は他者の気配を察知するのにも使えるため、思っていたよりはずっと早く、目指していた厨房へと辿り着く。


(あー……今ってちょうど夕食どきか)


 必死になっていたため忘れていたが、日没と競うように戻ってきてから、時間そのものはさほど経過していない。後宮に住まう側室たちは、基本的に食べたいものを食べたいときに食べる生活スタイルだが、夜会がないときの夕食時間は概ね日没から数時間の間というのが一般的な貴族の様式ということもあって、その時間帯に夕食を食べる側室が多かった。

 要するに、現在。厨房前の、食事受け渡し場所は、側室の夕食を取りに来た侍女たちで、大変混雑しているのである。


(どうしよう……ここから外へ回るとなると、それはそれで下級侍女や下女たちの活動場所を突っ切ることになるから、どちらにせよ目立つし)


 足を止めて考え込んだところに、真横の壁から声がする。


〈――末姫様。そのまま後ろへお下がりになり、角を右に曲がって頂けますか〉


 言われた通りに動くと、曲がった先の壁がギギギと僅かに開く。開いた隠し扉から素早く隠し通路へと入り込んだディアナに、待っていたらしいソラが苦笑した。


「……すっかり、隠し通路と慣れ親しんでいらっしゃいますね」

「お陰様で。――ありがとうございます、ソラ様。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」

「とんでもない。よくお戻りくださいました」


 微笑んで、ソラは視線で行き先を示しつつ、歩き出す。


「厨房へ直接抜けられる隠し扉はないのですが、厨房の裏口まで人目につかないように進むことは可能です。私が先導いたしましょう」

「助かります。よろしくお導きくださいませ」

「いえいえ。カイに案内させるのが一番なのでしょうけれど、薬草運搬に最適なルートとこちらは、少々離れておりましてね」

「……ご案内くださるのに、どなたが一番などということは、ありませんけれども」


 ソラの言い回しは、どこか含みのあるもので。そんな場合でもないのに、ディアナは思わず、分かりやすく狼狽えてしまった。


(スタンザでのあれこれ……特にカイとのアレソレは、エルグランドへ戻って落ち着いてから、改めてちゃんと皆へ伝えよう、って話になってたけど。よく考えなくても、ソラ様はカイのお父様で、つまりえっと、私にとっても、もう他人とは言えないお方なわけで。そういう方に素知らぬ顔で接するのって礼儀的にどうなの!? いやだとしても、アレソレの話は絶対〝今〟じゃないし……!)


 カイは「どうせ戻ったら秒でバレて、居残り組全員からぐちぐち責められるのは決定事項なんだから、わざわざ事前報告して責め句の弾数(たまかず)増やさせるようなマネしなくて良いでしょ」と、アレソレ話を報告事項に加える気はゼロだったが。ディアナも、大事なことはきちんと顔を見て伝えねばと思ったからこそ、彼の判断に何も言わなかったわけだが……今にして思えば、「帰ったら話したいことがある」くらいの前振りは入れておくべきだったかもしれない。いざ、ソラを前にして、これほど狼狽するとは思わなかった。


「……末姫様が、そのように悩まれる必要はありませんよ」

「――はいっ!?」


 思考がぐるぐる回っているところへかけられた声は、多分に苦笑を含んだもので。

 ひょっとして考えごと全部声に出ていたかと、ぴゃっと飛び上がった心地で出した返事は、見事に裏返っていた。


「え、ぇと、ソラ様? わたくし、何か言ってました……?」

「何も仰ってはおりませんが、末姫様の気配が随分と思い戸惑われているご様子でしたので。――スタンザ帝国にて、愚息と〝何か〟があったのだろうとは察しておりますが、だからといって私への対応を苦慮される必要はございませんよ」

「さっ、して、いらっしゃるのですか?」

「さすがに、私もカイの父親として長いですからね。『遠話』で聞く声の調子や語り口調などで、あの子の心情は概ね量れます」


 ……どうやら、ソラの前ではカイもただの息子で、どんな息子も偉大な父親を前に隠し事など不可能らしい。そういえば、エドワードがクリスと付き合い出したとき、「あのお兄様に恋人が!」と驚いたのはディアナだけで、デュアリスもエリザベスも祝福こそすれ驚く様子はなかったな、と現実逃避気味にディアナは過去へ思いを馳せた。


「とはいえ、こうして末姫様へお目にかかるまでは、あの子の独りよがりが暴走しただけの可能性も否定できませんでしたが……そうではなかったようで、安堵しております」

「……カイに限って、独りよがりはあり得ないのでは?」

「私もそう信じたくはありましたが。男女の仲というものは、単純なようでいて、ときに思いもよらない拗れ方をしますのでね」

「ソラ様は……私がカイの、えっと、〝そういう〟仲の相手で、問題ない……認識、なんですか?」

「古今東西、若いふたりの〝そういう〟あれこれに親が口を挟むほどの野暮はないでしょう。私個人の考えを忌憚なく申し上げるなら、そうですね……互いを取り巻く環境や社会的身分の壁は決して低くありませんが、あなた様ご自身は問題ないどころか、両手を上げて歓迎したい〝お相手〟ですよ」


 思っていた以上の高評価である。目をぱちぱちさせて、言外に〝意外〟を表現していると、はっきり苦笑したソラが、歩きつつチラリとディアナに視線を流してきた。


「末姫様は、たまに自己評価が低いといいますか、変に自信がない素振りを見せられますね」

「一般的に、〝お相手〟の親御さんに気に入ってもらえるかどうかって、男女関係なく結構大きな課題でしょう? 正直、〝これ〟に関しては、自己評価がどうであろうと自信なんか持てる気しません」


 どれだけ自分を高く見積もっていようが、見積もった自分が〝お相手〟の親のお気に召さなければアウトだ。ソラは初対面からディアナに好意的だったが、〝クレスターの末姫〟としては気に入っていても、息子の……アレソレ的〝お相手〟としてはまた別、なんてこともあるだろうし。

 ソラと対面する今の今まで、〝彼父へのご挨拶〟という一大ミッションがすっぽ抜けていたのは、帰路ずっと一緒だった当の〝彼〟がそれについて思い至らせないよう、軽妙に振る舞ってくれていたからだろう。実際、こうして会って話さなければ相手の反応など知りようもないのだから、予め考えても緊張するばかりでどうにかなるものでもないし。


「末姫様は謙虚でいらっしゃる。――私としてはむしろ、本当に愚息で良いのかと、お尋ねせねばならないところですよ」

「え、そっちですか?」

「もちろん、自慢の息子ではありますがね。あの子は器用なようでいて不器用ですし、基本的に大雑把で適当ですし、それでいてこだわるところは絶対譲らない頑固なところもありますし。深く付き合うとなると、面倒臭い部類の男ですよ」

「あー……」


 ソラの言うカイの〝面倒〟な部分は、知り合ってからのこれまでで、ディアナも感じてきたことだ。ディアナもディアナで譲りたくないところは譲らないワガママ末っ子気質の持ち主のため、何度かしょうもないことでケンカもした。

 でも。


「なんか……そういうところ全部含めて、カイだなぁ、って。ぜんぶ、大事だなぁ、って、なる、ん、ですよね」

「……姫」

「不器用なところも、かわいくて。適当なところも、たのしくて」

「……」

「頑固で、お互い譲れなくて、たまにケンカしちゃうのすら――ケンカできるのが、うれしい」


 エドワードとの兄妹ゲンカとはまた違う、対等な相手との意地の張り合いと意見のぶつけ合い。互いに怒りを向け合っても、それで相手を嫌いになることはないと信じ合える関係性を、血の繋がりのない第三者と築けることがどれほど尊いか、カイと手を取り合ったことで改めて実感できる。


「そんな風に想えるのは、カイ、だけだから。だから、私はたぶん……カイじゃないとだめなんだと思います」

「……そう想ってくださる方と出逢えた、あの子はつくづく果報者ですね」


 そう言って、ソラは歩みを止める。いつの間にか、目の前は行き止まりとなっていた。

 壁の一部分に触れて何やら操作しつつ、ソラはこちらを振り返る。


「いつか……近い将来、『紅薔薇様』でなくなった末姫様が、光の下であの子と手を取り合う日が来ることを、心待ちにしております」

「はい。――必ず」


 ディアナが頷くと同時に、隠し扉が開く。どうやら、厨房の裏口すぐ近くの庭へと出たらしい。

 ソラに促されて外へ出ると、そこには。


「来たね、ディー」

「カイ、いたの?」

「薬草届けてからディーの様子を見に行こうと思ってたんだけど、父さんがもう回ってくれてるみたいだったから。――俺もうっかりしてたけど、今の時間、厨房の正面入り口は使えないよね」

「そうね。結構な混み具合だったわ」

「ひたすら馬を走らせてたから、時間の感覚なくなってたよなぁ。疲れないのは便利だったけど、いつもと違うことすると調子が狂うのも確かだから、よっぽど急いでるときじゃない限り、あれは使わない方が無難かも」

「私もそう思う。大地にかける負担もゼロじゃないし。もちろん、生態系に大きな影響が出るほどでもないけれど」


 ディアナもそうだが、馬で長距離を移動する人間は、馬を休憩させたり交換したりといったインターバルを頻繁に挟むため、そこで概ね今が何時かを把握しているのだ。今回、かなり荒っぽい裏技を使用したわけだが、その弊害は意外なところで現れた。


「とはいえ、今回は急いで正解だった案件でもあったけれど……薬草、いけた?」

「うん。クレスター家の仕事には不足がないね。ウキュウとギョーモも、フレッシュが用意されてたよ」

「最悪、ドライでも使えないことはないけれど、フレッシュから抽出した方が有効率の高い薬効成分だからね。クレスターでの研究成果は一通りお父様に伝えてあるし、気を利かせてくださったのかも」

「あー、それっぽい。――その〝抽出〟っていうのに使うのが、あのよく分かんない機器類?」

「えぇ、そう。とにかく向かいましょうか」


 ディアナは一度振り返り、隠し扉の前で穏やかに微笑んでいるソラへ向けて一礼する。


「ソラ様、ありがとうございました」

「礼も含め、積もる話は後にいたしましょう。――カイ、末姫様をしっかりお守りするんだぞ」

「言われるまでもないって。行こ、ディー」

「えぇ」


 カイに先導され、向かった先は厨房の裏口。野菜の洗い場や皿洗い場、厨房で出た汚れ布の干し場などが並ぶそこを突っ切り、木製の階段をドンドンドンと叩く。


「失礼致します。厨房長はいらっしゃいますか」

「なんだい、騒がしいねぇ」


 がちゃんと開いた先にいたのは、大柄な女性。下級侍女の服こそ着てはいるが、貴族階級でないことは一目で分かる。後宮の厨房は厨房長の領域(テリトリー)、雇う人間も彼の意思が最も尊重されるという話だから、身分問わず優秀な人間を集めているのだろう。

 馬に乗ってひた走り、隠し通路を駆使して後宮へと舞い戻り、ナーシャの治療を最優先したディアナは、当然ながら遠駆け用の一般的な旅装のままだ。目立つ金髪はずっとストールを巻いて隠しているし、ぱっと見では『紅薔薇』どころか貴族とすら思われまい。

 それを良いことに、ディアナは勢いよく切り出す。


「厨房長はいらっしゃいますか。彼と約束をしていた者なのですが」

「い、いるけど。どういう約束だい?」

「厨房の片隅を使わせて頂きたく、お願いをしていたのです。先ごろ、こちらに用途不明の器具一式と、ついさっきは薬草が届けられたはずでして」

「あぁ、あの変な形をしたガラスの……けど、薬草? そんなもんあったか――あれ、いつの間に」

「――どうした、マージ」


 応対に出ていた女性(どうやらマージという名らしい)の背後から、低音が心地よい男性の声が響いた。振り返った彼女は、「ちょうど良かった」と身体をずらす。


「厨房長に御用があるってお嬢さんがいらしてますよ。格好を見るに、侍女様や女官様じゃないようだが」

「は? お嬢さんの知り合いなんて、俺には、」


 訝しげな声が途中で止まった。マージ越しに目が合った彼は、分かり易く驚愕している。

 彼が何か言う前に、ディアナは素早く顔の前に人差し指を立て、何も言わないで欲しいと知らせて。その合図を受けた厨房長は、何度か大きく、呼吸してから。


「……あぁ、うん、思い出した。俺の客だ。しばらく厨房を借りたいって、連絡もらってたよ」

「お嬢さんの話と一致しますね。それじゃ、あたしはこれで」

「あぁ、マージ。あとはもう、注文されたメニューを盛り付けて出すだけだから、任せていいか」

「はいよ」


 後を託されたマージが、料理の提供場所の方へ去っていく背中を見届けてから、今度こそ彼は何の取り繕いもない驚きと焦りを表情に浮かべ、裏口へ歩み寄ってきた。


「今朝方、船が港へついたという連絡は頂戴しましたが、まさかもうお戻りとは」

「ナーシャ様の件を聞かされたから、急いで戻ってきたの。応急処置はもう済ませて、今から調薬に入るわ」

「無茶はせんでください。――まったく、クレスター家と付き合っていたら、心の臓がいくつあっても足りませんよ」

「ごめんね、ビスタ」


 後宮厨房長、ビスタ・オールズ――オールズ子爵家出身とされている彼が、その昔、ふらりとクレスター地帯にやってきた流れ者の料理人で、一時期、クレスター伯爵領邸のコックを任されていたと知る者は少ない。エドワードが生まれるよりかなり前、デュアリスがまだ爵位を継いでいない頃の話だが、今の領邸の厨房責任者はビスタの一番弟子ということもあり、クレスター家との繋がりは深い人物である。ディアナの後宮入りが最終的に決まったときも、「まぁ後宮なら、少なくとも食べ物については心配せずに済むからな」とデュアリスがぼやいたほど、ビスタへの信頼は厚い。

 食材を単に美味しく調理するだけでなく、東洋の思想でもあるという〝医食同源〟の信念を持つ彼は、〝食べる人の体に一番良い食事を作る〟ことをモットーとしている。エルグランド王国の料理人は、基本的に地位が上がれば上がるほど美食を求める傾向にあるため、メインではないにせよ王宮の厨房で長を務める料理人としては、相当な変わり者に分類されるだろう。

 そんなモットーの持ち主でもあるからか、一般的な料理屋での仕事は長続きしなかったようで、ある日ふらりとクレスター地帯を訪れた彼は、森に抱かれて生きるあの土地に何か感じるものがあったらしく、腰を据えて暮らし始めた。自ら開いた料理屋が評判となり、当時のクレスター伯だったディアナの祖父の目に留まって、領邸の厨房を任せたいとスカウトされて。デュアリスを訪ねてクレスター地帯を訪れたオースター夫妻(当時は王太子夫妻だった)にもまた、その腕前と考え方をいたく買われて、リファーニアの生活を食から支えて欲しいと頼み込まれたのだという。本人は「自分は貴族の生まれでもないし、王宮で働けるような人間ではないから」と固辞したけれど、オースターは物腰柔らかながら、自分が必要だと見定めた事柄に関して妥協はしない性質で、「貴族の身分さえあれば良いかな?」とオールズ子爵との養子縁組を用意してきて。

「アイツがここまでするってことは本気で、本気ってことは逃げても無駄だ」とデュアリスに諭され、〝後宮の厨房における権限の全てを預けてもらえるならば〟という条件付きで、ビスタは後宮の厨房長となったのだとか。

〝医食同源〟――食も薬も、人の体の中に入って調子を整えるものという意味で、根源は同じという信念の持ち主であるビスタにとって、医学薬学方面に特化したディアナは同業感覚らしい。クレスターにいた頃から、ちょくちょく手紙のやり取りはしていたし、何なら成人後に王都へ出向いた際、普通に会ったこともある。『紅薔薇』として後宮入りしてからは、立場上〝厨房長〟としか呼んでいないし、互いに職務上のやり取りしか交わさない仲となったが、今はほぼプライベートのようなものなので、名前で呼んでも問題なかろう。


「事前に伝えていたと思うけれど、調薬作業のために、厨房の一角を貸して欲しいの。あと、今日明日は私が薬を作れるけれど、明後日に国使団が帰ってきたら『紅薔薇』に戻らなきゃだから、調薬作業の大半をお願いしなきゃいけないかもしれない。――今、とりあえず一人、調薬できそうな人は確保してきたけど、ビスタもできれば見ておいて。薬を作れる人間は、多ければ多いほど良いから」

「調薬できそうな人って――俺?」

「毒物扱えるなら、薬だって扱えるでしょ」

「そりゃ、基本が一緒なのは分かるけど。毒より薬の方が繊細な工程多いし、俺には不向きだよ?」

「知ってる。でも、今から伝えたいのは主に、植物から薬効を抽出する作業だから。これさえやってくれたら、あとは調合するだけで、かなりの時短になるの」

「そういうことか。分かった」

「……シリウスから聞いちゃいますが、あの『仔獅子』をここまで手懐けるとは、相変わらずのご様子で」


 ビスタはデュアリスより十ほど歳上らしく、邸で働いていた当時は、デュアリスとシリウスの主従を兄のように見守ってくれていたらしい。それもあってか二人は今でも親しく、ディアナが後宮入りしてから、主にシリウス経由でディアナの大まかな状況はビスタへ筒抜けだったりする。


「俺としては、厨房長さんの中の『仔獅子』がどういう稼業者なのか気になるけど。それ聞くのも今じゃないよね」

「えぇ、後にしましょう。――ビスタ、入っても?」

「はい、どうぞ」


 許可を得て、ディアナはカイとともに厨房内へ入る。入ってすぐのところに厨房専用の靴へ履き替える場所があり、すぐ近くには手洗い場もあった。

 言われる前に靴を替え、手を洗って。石鹸の横にある消毒液で、手を念入りに、肘まで消毒する。


「ディアナ様、こちらを」

「用意してくれていたのね、ありがとう」


 ビスタから差し出されたのは、清潔な調理服だ。上からすっぽり被るタイプで、袖もしっかり付いている。ついで調理帽と口を覆う用の布も渡され、手早く装着していくのを、カイが半ば感心、半ば呆れた様子で眺めていた。


「ディーと出逢ってから、何度も思うけど。調薬スタイルを流れ作業で整えていくお貴族様って、たぶんめちゃくちゃ希少種だよねぇ……」

「これに関しては、フィガロ様だって実験中は似たような格好をしておいでだから、私だけじゃないわ」

「宰相さんの息子さんだって、ディー並の変わり者じゃん」

「分かったから、カイも早く着て」

「あと口元覆うだけ……よし、できた」

「うん。じゃあ行くわよ」


 着替える暇も惜しんでここまで駆けてきたディアナとカイには、当然ながらここに来るまでにさまざまな、目に見えないほど小さな異物をくっつけて来ている。ここまでの一連の下準備は、それらを調薬から極力排除するために必要不可欠なものだが、理屈が分からないと変な儀式のようにしか見えないだろう。

 カイが、文句ひとつ言わず、それに合わせて来たということは。


(やっぱり、カイ……というよりソラ様にも、〝目に見えないほど小さな物質の世界〟の概念が備わっておいで、ということね)


 病とは、人間の身体の中に〝目に見えないほど小さな生き物〟が入り込み、身体の内側に異常をきたすことで引き起こされるものであると、ディアナは仮定している。この考え方は比較的新しく、まだ医学界で明確に支持されている説ではないものの、クレスター家の〝慧眼〟が正解を囁いてくるため、おそらく大筋で外れてはいないだろう。

 つまり、患者に投与する薬剤を調合する際とて、必要な薬効以外のものが紛れ込まないよう気をつけるのは、必要不可欠な工程なわけで。同じことは料理にも言えるため、ビスタが取り仕切る後宮の厨房では、特に清潔を心がけている。そこに疑問ひとつなく合わせ、馴染んできたカイもおそらく、似たような考え方をソラから教わっていたのではなかろうか。


(よし。これで、説明の工程がかなり省ける)


 繰り返すが時間はないのだ。省けるところはトコトン省いて、効率よく進めねばならない。

 ディアナは厨房内にサッと目を走らせ、必要備品一式が並んでいる一角へと歩を進めた。周囲から「誰?」という視線は刺さるが、その辺はビスタへ丸投げるべくスルーして。


「今からするのは、ウキュウとギョーモ、あとはゾンカーンからの薬効抽出ね。手順はほぼ一緒なんだけど、時間のかかる作業だから、根気よくお願い」

「それは分かったんだけど……あの、ディー。ひとつだけ聞いて良い?」

「なぁに?」

「――この、変な形のガラス器材が、抽出に必要な道具ってことで合ってるよね?」

「えぇ。フィガロ様ご考案の特別製よ。性能は保証するわ」

「あー、宰相さん家の息子さん……コレ持って来てもらってたんだ」

「外宮室までのお届けでお願いしたから、さほどご負担になってないとは思いたいけど。今度お会いしたら、ちゃんとお礼を言わないとね」


 物体の中から特定の〝物質〟を取り出したり、逆に〝物質〟同士を組み合わせたりと、ものを『化かす』研究を専門としているフィガロにとって、『分離』(と彼は呼んでいる)を効率よく行える器具の発明もまた、同一線上に存在するものだった。「理論上、こういう形でこういう機能を備えたガラス器具があれば、『分離』がやりやすい」と考案したものを、懇意のガラス職人に作ってもらうことを繰り返した結果、彼の研究室倉庫には変わった形のガラス器具が所狭しと転がっている。そのうちのいくつかは薬草の薬効成分抽出にも使えそうだったので、「いざというときは貸してくださいね」と前々から約束を取り付けていたのだ。

 ナーシャが倒れたとの知らせを受け、妊婦が罹りやすいいくつかの病を想定したディアナは、どの病気の治療にも薬効成分のみを抽出した方が良さそうな薬草が複数必要だと判断。船上からフィガロへ連絡し、指定のガラス器具を王宮まで届けてもらっていたのである。人見知りなフィガロに無理がないよう、地味に過疎部屋な外宮室への運搬をお願いしたが、そもそも王宮まで来ること自体、相当なストレスだっただろう。そこはシンプルに申し訳ないと思いつつ。


「薬効成分の抽出って、一般の調理器具でもできないことはないけれど、効率は桁違いに悪いからね。迅速な調薬のためにも、フィガロ様のガラス器具は是非ともお借りしたかったの」

「なるほど……」

「もう聞くことない? 作業の説明に入って大丈夫かしら?」

「うん、いけるよ」

「頼みます」


 ガラス器具と加熱用ランプを順番に設置しつつ、ディアナはこの先の調薬へ向け、心中、気合いを入れ直した。


たかが厨房行って薬作るだけのターンが、想定外の黒獅子さんとの邂逅によりディアナがテンパって、やたら文字数嵩みました。。。

ディアナさん、基本は両親から愛情をたっぷり受けて丁寧に育ったお嬢さんなので、こういう場面でこんなバグり方するんですねー。

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>「いつか……近い将来、『紅薔薇様』でなくなった末姫様が、光の下であの子と手を取り合う日が来ることを、心待ちにしております」 ソラさんと読者一同の思いがひとつになった一瞬であった…。
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