快走する船上で
(主に作者のせいで)長い間国外へ出ていた国使団組のターンです!
ザアアアァァァァ……。
潮騒が、草原を渡る風の如く響く。
軽快に走る船上にて、決して軽くはない沈黙が、話を聞くエルグランド使節団の面々に落ちていた。
「――そんなわけだから、カイから〝ディアナ軟禁〟の知らせを受けた時点で、迎えに行く準備も粗方整いはしてたんだ。レティシア嬢も言ってたが、スタンザ帝国がエルグランド国使団をすんなり返す確率は、まぁそう高くなかったからな」
「快速船は、スタンザへの純粋な〝圧〟だったということ?」
「〝圧〟が六割と、残り四割は単純に急いだ方が後宮的に良かったから、だな。ナーシャ・クロケット嬢の正確な診断は、早ければ早いほど良いはずだ」
「それは、間違いないけれど……」
頷きつつ、ディアナは自らの不手際に歯噛みする。スタンザ帝国へ赴く前、〝側室会議〟にてナーシャと言葉を交わした際に、素通りしてはいけない違和感を覚えはしたのだ。今から思えばあれは、覚醒しつつあったディアナの霊力が、ナーシャの内にある命を感じ取ったからだったのだろう。
「後宮という場所の特異性ゆえに、無意識で妊娠の可能性を排除してしまっていたのね……。患者を診察するときは、先入観を捨てて病状をフラットに捉えねばならないと教えてもらっていたのに。師匠たちに顔向けできないわ」
「それで言うなら、落ち込むべきはディーより俺でしょ。父さんが一目で気付いたナーシャさんの〝内〟の気配に、全く気付かなかったんだから」
「二人とも、そう落ち込むな。クロケット嬢の件に関しては、ソラ殿が見抜いてくださるまで、マグノム夫人ですら思い至れなかったんだ。これに関しては、誰が悪いというものでもない」
「開き直るわけじゃないけど、ボクも同感。何より、ナーシャ様本人が必死で隠してたからね。ディアナがスタンザへ出発した時点では、まだ本人も確信を得てなかっただろうし。あのタイミングで見抜くのは、それこそ特異な〝何か〟がなきゃ無理だったと思うよ」
頼りになる兄夫婦の慰めをひとまず受け入れつつ、ディアナは気持ちを切り替えて二人を見る。
「後宮がそのような状態ならば、女官も後宮近衛もおいそれとは動かせないであろうことは理解しました。というかクリスお義姉様、この状況下で本当によく出て来られましたね」
「そこはホラ、さすがに王宮の役職付きが誰一人いないのは〝迎え〟として格好つかないから。エドはエルグランドの貴族ではあるけど、王宮で何かしらの役職に就いてるわけじゃないからね。身内のエドが一人で特攻かけても、受け入れてもらえるかどうかは半々じゃない?」
「下手をすると、娘可愛さにクレスター家が単独暴走してるだけ、とも捉えられかねなかった、と」
「単独でも暴走させちゃマズい家なんだけども、そんなことはスタンザの人たちには分かんないし。となると、曲がりなりにも〝後宮近衛騎士団〟の〝団長〟職にあるボクも一緒に出向いた方が、エルグランド王国全体の意志なんだと伝わり易いだろうって話になったんだよね」
「外宮側のどなたかでは難しかったのですか?」
「ガントギアで作った快速船の試運転でもあったからな。ガントギアの事情を知らない人間はそもそも乗せられないし、さらにある程度スタンザへ押し出しの効く役職持ちってなると、宰相閣下かストレシア侯爵か、ってレベルまで飛ぶだろ。あの辺の御仁はさすがに動かせん」
「キース様は?」
「キースはもう、アルと並んで立派なジュークの側近だ。表向きは外宮室の室長補佐でも、王の側近をホイホイ外へは出せない」
「まぁ……」
驚きと感嘆が入り混じった声を落としたのはミアだ。弟が外宮室に勤めている関係もあってか、『紅薔薇の間』の中で最もキースと関係が深いだけに、感じ入るところも多いのだろう。
「外宮室は敵方からマークされて、動きを制限されていたんじゃなかった? キース様が陛下の側付きとなると、反対する声も大きいでしょう」
「バレてるんなら逆に、もうコソコソする必要もないだろ。外宮室はもともとが三省直下の、言うなれば全てに属し全てから独立しているような、特殊な立ち位置の組織だったからな。どんな仕事を誰から与えられても不自然じゃないだけに、王が〝便利に使う〟のも黙認されてる感じだ。外宮室が使える権限なんざほぼゼロだから、敵さんにとってもさしたる脅威じゃないしな」
「えぇー……大体の保守派にとってはそうでも、〝敵〟の中枢はそう思っていないでしょう。実際、スタンザの国使団が王宮で暴れ回っていたときは、あからさまに邪魔してきたのよ?」
外宮室そのものは権限を持たない組織でも、その立ち位置を活かして王宮全体から広く浅く集めた情報を王へ献上し、それを有益に使ってもらうことは可能なのだ。クレスター家との繋がりも掴んでいるだろうし(エドワードもデュアリスも、別に隠れて外宮室を訪れてはいない)、下手に権限を持っている三省の一部署より、よほど脅威な気がする。
外宮室の室員たちは、一部を除いて、荒事とは無縁な生粋の文官ばかりだ。下手に王宮内で目立っては、最悪命の危険がある。
「いえ、ディアナ様。僭越ながら、その心配は杞憂かと」
キースたちを心配するディアナだったが、反論は意外なところから投げられた。キースがジュークの側近となったことに反応した、ミアだ。
「外宮室が小規模とはいえエルグランド王宮の一組織である以上、彼らへのあからさまな危害はそのまま、王国への危害と見なされます。とはいえ、外宮室が目立たぬままであったなら、危害を受けて訴えても握り潰されましょう。実際に三省の便利屋でしかなかった頃ならともかく、こうして王の意向を受けて動く組織と化した今であれば、下手に隠れたままでいるより、存在感を強めて〝害してはならない相手〟だと意識づけた方が、却って安全です」
「俺も同感。表立って攻撃できない相手を害するとなると、裏稼業と霊力の領域になってくるけど、そっちはクレスター家と父さんで弾けるし。――スタンザへ行く前、俺が作った〝お守り〟って、外宮室の人たちも持ってるんでしょ?」
「あぁ、渡してある。――実際、ジュークが堂々とキースを呼び出して一緒に仕事するようになってから、外宮室へ渡っていた書類の量はかなり減った。外宮室の業務を圧迫していたのは、仕事をサボりたい奴らから降りてくる〝誰にでもできる雑務シリーズ〟だったからな。外宮室の室長補佐が王から気に入られたことで、自身のサボりが王へ筒抜ける可能性を恐れたんだろう」
「ビックリするほど今更すぎる……」
キースが表舞台へ上がってから取り繕ったところで、これまでの彼らのサボり事実は無くならないし、スタンザ国使団の対応であっぷあっぷしていた外宮室へ、嫌がらせの如く書類仕事を押し付けていた妨害行為の罪状も溶けて消えはしないのだが。
ディアナのツッコミに、すぐ後ろで聞いていたリタが肩を竦めて応える。
「浅はかな方々の振る舞いなどそのようなものと、ディアナ様とてよくご存知ではありませんか」
「それはまぁ、知ってはいるけれど。そもそも仕事をサボるなって話なのよね」
「あー……回ってくる書類が一気に減った状況を見て、カシオがイイ笑顔で『さて、じゃあ手始めに、回ってこなくなった書類の本来の処理先がこれまでいかに給料泥棒だったのか、証拠の写しを添えて纏めましょうか』って腕まくりしてたな」
「アッ、それダメなやつ。カシオさんの標的になった方々、終了のお知らせなやつ」
「王宮全体がスタンザ帝国に気を取られているうちに、ジュークの敵と味方になりそうな有望株の選別を始めてるから、その一環と思えばまぁ……」
「陛下の敵を明確にするのと、お味方を増やしていくことは必要だけど。間違っても、カシオさん以下、これまでの鬱憤が溜まりに溜まった外宮室の皆のテンションでやることじゃないのよねぇ……」
「それはうん、そうだな」
外宮室のこれまでの苦労を散々見てきているクレスター家としては、「そのテンションは絶対に違うけど、苦労をよく知っているだけに何も言えない」状態であろう。立場上、口では「ほどほどにしとけよー」と言っているであろうパジェロ室長とて、内心ドンドン行こうぜと思っているに違いない。
「父上も苦笑いしてたけどな。外宮室のことだから、鬱憤はここぞとばかりに晴らしても、私怨で法令以上の罰則を与えようとはしないだろうから、大目に見てやれって感じだった」
「法令以上の罰則はなくても、外宮室の皆が本気を出したら、まずメンタルはボコボコにされるだろうけど……その辺はもう、自業自得か」
「そうそう。それこそお前がさっき言った、そもそも仕事をサボった方が悪いって話だからな」
「外宮室の本気を受けて、それでもなお粘り強く再起してくる人がいたら、それはそれで見込みあるしね。敵か味方かはともかく」
「なるほど。そういう選別もできるな」
うんうん頷き合う自分たち兄妹を苦笑しながら見つつ、ユーリがクリスに視線を流す。
「それで、陛下の敵味方の選別は順調なのですか?」
「そうだね、順調なんじゃないかな。特に敵方は、去年一年で慎重に証拠固めしたのもあって、マリス前女官長の不正に加担してた連中の洗い出しと処分は概ね終わったみたいだし」
「連中がスタンザ帝国とのあれこれに気を取られてる隙を見て、言い逃れのできない物証も確保できたしな。具体的には、後宮備品の現物とか」
「あ~、そこ押さえられちゃったら、もう一切の言い逃れ不可能ね」
「処分まで一足飛びだったのが二人、処分待ちが三人、処分内容検討中が七人ってとこか」
「……まぁまぁな粛清では? そんなド派手に動いて大丈夫なんですか?」
思わずといった風の言葉が零れ落ちたのはルリィだ。諜報活動が得意なだけに、王側の動きが目立ち過ぎては〝敵〟から撃たれかねないと、危惧してしまうのだろう。
ルリィの質問には、官身分にはないくせに官と貴族の賞罰に詳しいエドワードが答える。
「確かに規模はデカめだが、貴族の不正の洗い出しと処罰は調停局管轄で年中やってることだからな。今回はマリス前女官長の不正関連って建前が堂々と使えたから、王主導で調査したため処罰内容の決定まで早かった、ってだけで、不自然とまではいかない。処分内容検討中の七人に関しては、自分の首に縄がかかってることをまだ知らない奴もいるからな。粛清だ横暴だって騒がれるほどじゃないと思うぞ?」
「それなら良いのですが……」
「――まぁ、せっかくなら現状打開も兼ねてと、スタンザ帝国へ『紅薔薇』を迎えに行くことに反対の声がデカい奴らの中から〝処分〟していったから、連中が警戒したのは間違いないだろうけどな。二人が処分されて、三人目の捕縛と処分内容が決定した辺りから、あからさまに反対意見が萎んでいったのは見ものだった……と、父上が仰っていた」
「そこ兼ねたの?」
「変なところ面倒くさがりな父上とヴォルツ小父さんらしいよな」
「しかもその二人主導だったんだ。陛下可哀想に……」
「シェイラ様が陛下からその話聞いたって言ってたよ。『一生かけてもあの二人の境地まで辿り着ける気がしない』と仰っていたから、『クレスター伯爵様と宰相閣下の後は、エドワード様とキース様がお継ぎになるでしょうから、ジューク様はご無理なさらず』ってお返しになったらしいね」
「さすがシェイラ、状況把握が的確すぎる」
「あのヒトほんと、見た目に反して思考がドライだよね」
「そこがシェイラの良いところよ。正妃に必要な資質でもあるわ」
「それはまぁ、否定しないけども」
渋々頷くカイに笑って、ディアナはエドワードへ頷いた。
「話があちこち飛んじゃったけど、外宮も大忙しで迎えの手が回せなかったのは理解できたわ。……陛下の敵味方選別以外にも、ナーシャ様の件で内務省と鍔競り合ったり、スタンザ帝国国使団の動きを陰で支えていた内通者の調査と、やることは山積みだったでしょうし」
「そのデカい三つを抱えつつ、通常業務もこなしてたんだから、つくづくあの世代の方々は人間やめてるよな~」
「一番人間やめてる人がなんか言ってる」
「失礼なクリス。俺は身体を動かす霊力に特化してるだけで、デスクワーク能力は人並みだぞ」
「超人と比べて自分を人並みって言うのやめな? エドのデスクワーク能力が人並みだったら、世の中のほとんどは凡人以下の扱いになるから」
「気質が机上向きじゃないってだけで、能力値は優秀な方に入るものね、お兄様は」
言いたいことをズバズバ言い合えている兄夫婦に、相変わらず仲の良いことでと、ディアナはほっこりした気持ちになる。……状況的には、あまりほっこりしている場合でもないのだが。
「――後宮とわたくしにとって、差し迫って解決すべきはやはり、ナーシャ様の件ね。とはいえこればかりは、実際に彼女を診察して、胎児の成長度合いを見極めない限り、確かなことは言えないけれど」
「父親が誰か、って話?」
「父親もそうだし、一番の疑問はやっぱり、妊娠へ至った経緯よね。当たり前の話だけど、男女が一線越えなきゃ、新たな命が母体に宿ることはないわけで」
「シェイラ様とリディル様の所感では、ナーシャ様がお腹の子を守ろうとされているのは間違い無いんですよね?」
「シェイラ様に対し、『決して手の届かない〝望み〟を抱く苦しさなど分からないだろう』と仰ったことから察するに、絶対結ばれない方を愛して、その方と通じて、お子を成した……と言うことでしょうか?」
首を傾げつつ推理するアイナとロザリーに、大きく一つ、頷いて。
「だとすれば、お相手の方とナーシャ様は相思相愛ということになる。――お二人が互いに想い合っていて、かつ、ナーシャ様の想う方が貴族や官身分だったら、仕入れ立ての『下賜制度』の第一号としてお膳立てできるかもしれないわ」
「確かに! お相手の方次第にはなりますけれど……」
「いやぁ……そう上手くいくかな?」
首を傾げたのはカイだ。もちろん、ディアナにも、彼の言いたいことは分かっている。
「もちろん、これは事態を最も楽観視した想定よ」
「だよね。ディーも気付いてるでしょ? ――ナーシャさんの性格上、もしも相手が本当に〝絶対結ばれない〟男なんだとしたら、愛していてもその手を取ることはない、って」
「〝絶対結ばれない〟理由にもよるけどね……そもそも、ナーシャ様のお立場上、彼女と絶対結ばれないお相手が誰なんだろうって話になるのよ」
「道ならぬ恋……というイメージで思い浮かべるのは、既婚者とか、誰かの恋人とか、ですけれど」
「でも、ミアさん。あの真面目なナーシャ様が不倫なさるとは思えないですよ」
「そうなのよねぇ。他には……」
「うーん……身分違いの、それこそ平民とか?」
今回のスタンザ帝国行きで良かったことの一つに、ミアと『紅薔薇の間』の侍女たちの距離が大きく縮まったことが挙げられるだろう。決して仲が悪かったわけではないが、普段マグノム夫人の補佐的役目も担っているミアは、どうしても『紅薔薇の間』にずっとは詰めていられないことが多い。そのため、どうしても関わりは希薄になりがちであってが、およそ一月に渡って苦楽を共にしたことで、お互いの間に見られた心理的距離は解消されたように思う。
あれやこれやと話すミアと侍女たちに、ディアナは柔らかく笑う。
「そうね。〝絶対結ばれない〟可能性は色々と考えられるけれど……少なくとも、ナーシャ様やクロケット男爵が身分を理由にお相手を弾くことはないと思うの」
「そうなのですか?」
「えぇ。基本的に貴族は貴族としか結婚できない決まりはあるけれど、貴族女性が平民と結婚したければ、お相手を婿養子に取って貴族籍を与えるなり、逆にナーシャ様が貴族籍を返して平民となるなり、やりようはいくらでもあるもの。確か、他でもないナーシャ様が、そうして貴族入りされたはず。平民だったナーシャ様のお母様を、娘もろとも受け入れたクロケット男爵が、その娘の結婚相手を平民だから認めない、とは仰らないのではないかしら?」
「確かに……」
頷くアイナを見て、リタが首を傾げる。
「単純に、ナーシャ様がご側室として入宮されている以上、もうご縁はないという意味での〝結ばれない〟という可能性はありませんか?」
「その場合、お相手といつ出逢って、どのように想いを深めてきたのかという話になるわね。ナーシャ様の普段の生活から、密通の気配は欠片もなかったのでしょう?」
「そうだねぇ。あんまり男の気配が無さすぎて、天井裏がざわつく程度には」
「……『闇』の皆に、誰もあなたたちのことは疑ってないからとお伝えくださいな」
「ですが、ディアナ様とカイという実例がある以上、可能性は排除し切れないのでは?」
「リタ、あなたね……わたくしたちみたいな例外中の例外を〝実例〟にするのは、側室と、プロの稼業者、双方の皆様に失礼よ」
「第一それで言うなら、ナーシャさんのお相手は、少なくともプロの稼業者じゃない。〝本物〟は、妊娠なんていう、誰が見ても一目瞭然な密通の証拠を残して、相手を窮地に追い込むようなことはしないよ。……本当に相思相愛なら、の話だけど」
「……ものすごく嫌な想定の一つとして、ナーシャ様にハニートラップを仕掛けて妊娠させ、それをネタにクロケット家や『紅薔薇派』を追い込む企みが進行してる、なんて可能性もある?」
「ナーシャさんがディーの庇護する側室の一人だって情報を得てる裏社会の人間は、そんな企みに死んでも乗らないだろうけど……」
「最悪中の最悪想定として、カイと『闇』の目を掻い潜った敵方の霊力者の仕業、って線も残しておくべきか……」
「いくらなんでも、天井裏で『闇』とカイから逃げつつ、ナーシャ様にハニトラ仕掛けるなんて器用な真似ができる人がいるとは思えないけれど」
第一、あのナーシャが、明らか不審な侵入者でしかないような男相手に、恋心など抱くだろうか。というか、側室となった後で〝外〟の男と知り合ったとして、わずか一年ほどで子ができる行為を許すほどの仲に、あのナーシャがなるだろうか。
考えて、考えて。結局分からず、ディアナはため息を吐いた。
「ダメね。結局、ナーシャ様のいらっしゃらないところで、彼女と話すらしていないわたくしたちがあれこれ話しても、可能性の域にしか留まらないわ。まずは無事に後宮へ戻って、ナーシャ様を診察して、母子の状態を確認して。話は全部、それからよ」
「ま、そうだよな」
「お兄様。クレスターの邸に置いている、わたくしの医療道具を後宮へ持ち込みたいのですが」
「あぁ。そう言うだろうと思って、もう既に後宮備品の名目で『紅薔薇の間』へ運び入れ済みだ」
「薬草類も?」
「薬草庫にあった乾燥系は、詳しいやつに頼んで種分けした上で持ち込んだ。あとはフレッシュ系だな」
「ひとまず、妊婦の身体に良いものをリストアップしておきますね。わたくしが帰り道すがら摘めたらベストですが、そう悠長なことも言ってられないかもしれませんし」
フレッシュは摘んだら根本を水に浸した綿で包んで……と細かい指示を出しつつ、他にも最悪の事態に備え、あれやこれやと思いついたことを口にするディアナに、エドワードが「とりあえず、指示全部一覧にしろ」と紙と筆記具を出してくる。「書き物するなら船室の方が良いんじゃない?」というカイの言葉で、突発的に始まったエルグランド国使団と迎えの会談は終わりを迎えた。
――そして、船は進み、五日後。明日の朝にはエルグランドの港へ着くと、船上での最後の夕食を皆で食べている、そのとき。
「ごめんみんな、ちょっと静かに。『遠話』入った。――どうしたの、父さん?」
カイの言葉で、食卓は水を打ったように静まり返り、そして。
「は? ――ナーシャさんの容体が、急変した?」
風雲急を告げる事態の中、快速船だけは最初から最後まで変わらず軽快な波音を立てて、エルグランド王国へと突き進むのであった。
次回より、帰国編に入ります。
 




