表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
201/235

襲い来る〝過去〟

先週に引き続き、マグノム夫人視点です。


(何故、宰相閣下は、あれほど頑なに内務医官の派遣を拒まれるのか……)


 ヴォルツとの会談場所だった王宮外れの小部屋を出て、シャロンは一人、人気のない回廊を歩く。――無表情の裏側で、忙しなく頭を回転させながら。


(少し待て、の理由が〝人材がいない〟……? それはつまり、今いる内務医官の中から、後宮へ派遣する者は選べないということか)


 シャロンは女官長なのだから、本来ならば、王族の生活空間である内宮の統括責任者として、内務医官たちとは連携を密にするべき立場だ。ただ、現在、日常的に内宮で過ごしている正式な王族はリファーニアのみで、健康体そのものの彼女は、無駄に医者の診察を受けることを好まない。

 加えて、内宮の主でもある国王陛下ジュークは、そもそもあまり内宮を使っていない。シェイラの部屋を訪れる時間を除けば、彼がプライベートで内宮に留まる時間はほぼゼロだ。当然ながら、内宮には国王陛下専用の立派な居室があるのだが、ジュークは一日のほとんどを外宮で過ごし、シェイラの部屋を訪れないときは、国王執務室にほど近い場所にある仮眠室で寝泊まりしている。外宮で国王陛下が過ごす際は担当者が違ってくるため、シャロンはそこへは立ち入れない。

 ――といった諸々の事情が合わさった結果、昨年の秋に女官長職に就いてから今まで、シャロンは内務医官と関わることがまるで無かった。一応、女官長として、就任の挨拶くらいはしておいた方が良いかとも考えたのだが、リファーニアが「今の内宮は特に医官を必要とはしていないから、下手に挨拶へ行って無駄に絡まれるより、そっとしておいた方が無難よ」と遠回しに止められたのだ。


(……そう。考えてみればリファーニア様も、医官とは距離を置かれている。今回の件で医官の派遣が必要という話になったときも、理解はされつつ、あまり良いお顔はされていなかった)


 リファーニアと、ヴォルツ。『第二の王家』モンドリーア公爵家の兄妹が、揃って内務医官と距離を置く……否、〝拒絶している〟理由とは――!


「――女官長殿!!」


 不意に背後から掛けられた声に、シャロンは足を止め、表情を変えることなく振り返る。……もちろん、変化がないのは表面だけで、内心はそれほど穏やかではない。


「これは、ロガン準男爵。ご無沙汰致しております」

「あ、あぁ」


 冷静に挨拶を返されたからだろう、一瞬動揺を見せた壮年の男を、シャロンは冷ややかに見据えた。とある侯爵家の三男に生まれ、若い頃から内務省を中心に王宮で官職を務め、その功績に依って一代限りの〝準男爵〟の位を与えられた彼は、経歴だけならば立派に聞こえるが、その実は古参貴族へおべっかを使いまくって取り立ててもらった、単なる三下の腰巾着に過ぎない。シャロンは実家も嫁ぎ先も古参貴族、かつロガン準男爵とは同年代なので、嫌でも昔から社交の範囲は被り、顔見知り歴はそれなりに長い相手だが、間違っても自分からお近づきにはなりたくない相手である。

 準男爵位は一代限りの爵位のため、子孫へ繋いでいくことはできない。繋ぐには、準男爵である間に家を発展させ、〝家〟そのものが国と王家にとって有益な存在であると認められる必要があるが、それは口で言うほど生易しいことではなかった。これは『爵与制度』の制定後、皮肉混じりに言われていることだが、現在のエルグランド王国では、貴族家の次男以降に生まれて真面目に王宮勤めに励むより、平民から立身出世を目指した方が〝貴族〟になり易い側面がある。それくらい、準男爵から男爵へと〝昇格〟するのは難しいのだ。

 貴族に生まれ、貴族として育ったロガン準男爵はもちろん、己の爵位を一代限りで終わらせる気などさらさら無い。別に向上心を持つのは悪いことではないし、男爵位を目指すことそのものは好きにしてくれれば良いのだが――。


「それで、準男爵。何か私に御用でしょうか?」

「そっ、そうだ! マグノム女官長、侯爵様からのお手紙に何の返事もないとは、一体どういった了見か! 度々の問い合わせに音沙汰なく、侯爵様は大変に気分を害されておるぞ!!」


 ……こうして、四十をとうに超えた大人になってなお、おべっかと使い走りで身を立てようとしてくるから、無能かつ面倒な厄介者としてしか扱えないのである。こんな人気のない回廊で対峙したい相手ではないが……後宮に口出ししたい有象無象を避けるため、敢えて遠回りして人の少ないルートを選択したことが裏目に出たか。


(真剣に男爵位を望むのであれば、準男爵が向き合うべきは国であり、仕えるべきは王家であろうに……)


 準男爵位までは、発言力のある貴族にすり寄って推挙してもらえば割と楽に得ることができるが、正式な貴族位となるとそうはいかない。国王と宰相はもちろん、重臣たちと審議に加わった者全てに、功績を認められる必要がある。いつまでもおべっかと使い走りが通じるほど甘い世界ではないのに、末っ子三男坊として甘やかされて育った彼は、どうしてもそこが理解できないらしかった。

 準男爵になる前までは、立場の身軽さと若さゆえの特権で重宝されても、一代限りとはいえ貴族に連なる者となってまで、己の出世のため他人に阿ることしか能がないとなると、自然、信用は薄くなっていく。彼の場合、使い走りにばかり血眼になって、官吏の職務を蔑ろにしているから余計にだ。今となってはもう、彼を〝使う〟者は、よほど他に頼める人が居ない崖っぷちな人物ばかりである。……今、話題に登っている〝侯爵〟も、まさにその一人。

 ロガン準男爵が〝何〟について喚いているのか、十二分に理解した上で、シャロンは敢えて首を傾げてみせた。


「はて。どちらの侯爵様からのお問い合せにございましょう?」

「なっ……」


 一瞬、息を呑んだロガン準男爵は、次の瞬間、足音高く前に進み出た。


「シュラザード侯爵閣下だ! ここしばらく、毎日のように、後宮宛に問い合わせの手紙を出しておられるはずだろう!!」

「あぁ……はい、確かに。シュラザード侯爵家からのお手紙でしたら、届いておりますね」

「なっ、ならば何故、返事を出さぬのだ!」


 答えなど一つしかあり得ない問いに、シャロンは内心呆れ返る。……無駄だと分かりつつ、頼むから少しは自分の頭で考えてくれと心中密かに呟いてから、ゆっくりと身体ごと、準男爵に向き直った。


「ロガン準男爵。後宮には日夜、王宮内外より、様々なお問い合わせが寄せられます。もちろん、それら全てに目を通しはしますが、対応や返答が王国及び王宮にとって重要度の高い方から順に行われることは、官人であれば誰もが知る常識でしょう。ただでさえ『紅薔薇様』のご不在により忙しない今、側室様のご実家ですらないシュラザード侯爵家からの、後宮運営とまるで関わりのない、単なるシュラザード侯爵個人の疑問に過ぎない〝問い合わせ〟を優先させる道理はございません。そのような悠長なことをしていられるほど、私どもは暇ではないのです」

「な……!」

「ましてや、侯爵からの問い合わせ内容は、とある侍女の素性についてでした。そのようなこと、わざわざ手紙を出して尋ねずとも、内務省に保管されている侍女名簿を照会すればすぐに分かります。ゆえに、お返事を出すまでもないと判断致しました」


 こんなことは、一度でも王宮で文官として勤めれば、説明されずとも理解できることだ。いかにロガン準男爵が真面目に仕事をしていないのか、よく分かる。

 話は終わりとばかりに踵を返そうとしたシャロンを、ロガン準男爵が「待て!」と慌てて引き止めてきた。


「まだ、何か?」

「侍女名簿の照会はしたが、それでも分からぬゆえ、問い合わせておられるのだ! そのようなことも分からぬとは、これだから貴様は気の利かぬ……」

「――念のため、申し上げますが。昔はともかく今は、準男爵位であるあなたと、マグノム侯爵家の前夫人である私との間には、れっきとした身分の差があることを、お忘れなきように。私は女官長ゆえこうしてお話ししておりますが、これが社交の場であれば、あなたの無礼な物言いに対して正式な抗議を入れているところです」


 貴族風の言い回しで、「身分を弁えて話せ」と刺しておく。若い頃はお互いに侯爵家の子息子女であり、身分にそれほど差異はなかったため、ロガン準男爵がシャロンに無礼な発言をしても、眉を顰められこそすれ咎め立てされることはなかったが、今は違う。彼が準男爵位を授けられ、シャロンがマグノム侯爵家へ嫁いだ時点で、二人の身分差は決定的なものとなっているのだ。女官長として呼び止められていなければ、シャロンにはそれこそ、ロガン準男爵と話す義務もなければ義理もない。

 シャロンの冷たい物言いに、ロガン準男爵はようやく、昔のような暴言を吐いて良い相手ではないと気付けたらしい。ぐっと押し黙り、何度か口の中をモゴモゴさせてから、不服そうに口を開く。


「……昔からの顔馴染みゆえ、口が軽くなってしまった。本意ではない」

「左様にございますか。――それで? お話が終わりであれば、私はもう行きますが」

「い、いや、待たれよ。その、侍女の素性だ。侍女名簿の内容は、あまりに薄すぎる」

「薄すぎる、と言われましても。侍女の素性は、侍女名簿に記載されている内容が全てです。それ以上のことは、お答えできない決まりとなっておりますゆえ」

「しかし! あの侍女に関しては、他の侍女に比べても、あまりに記載内容が少なすぎる! 家名もなければ生年の記載もなく、縁戚関係欄に〝マグノム侯爵家遠縁〟とあるのみ……そうだ、マグノム侯爵家だ! つまり、あの、あの――〝カリン〟とかいう侍女は、そなたの血縁者なのだろう!!」


 思わず漏れそうになったため息を、意志の力で抑えつける。ここであからさまに呆れを見せるのは、相手のプライドが無駄に高い分、明らかな悪手だ。


「……私の血縁者ではなく、マグノム侯爵家の遠縁です」

「え、縁戚の者を優先するなど、女官長の職権濫用ではないか!」

「特別に優先などしておりませんよ。後宮も未だ人手が足りぬ中、縁戚の伝を頼って仕事を探していたあの者を、侍女として雇ったまで。礼儀作法はしっかりしており、すぐに王宮勤めをしても問題なさそうでしたので」

「つ、つまり、そなたは、あの者の素性の詳細を知っているのだな!?」

「――仮に知っていたとしても、侍女名簿で照会可能な内容以上のことをお伝えするつもりはございません。側室様、女官、侍女を問わず、無関係の外部の方へ個人情報を漏らすわけには参りませぬゆえ。内宮の内部情報漏洩が重大な服務規定違反に該当することを、まさかご存知ないわけではないでしょう」


 先ほどと同じことを、より明確に宣言する。……〝カリン〟を守らねばならないのはもちろんだが、仮にこれが〝カリン〟の話でなかったとしても、シャロンの返事は同じだっただろう。

 ――かつて、侍女や女官の個人的な事情が、今ほど厳格に守られていなかった頃に、幾度も繰り返された〝悲劇〟。それらを完全なる〝過去〟とするため、正妃となったリファーニアを中心に、内宮の規定は大幅に変更された。情報漏洩違反の対象を、正妃と側室だけでなく、内宮に勤める女官と侍女、下女たちにまで広げたのだ。身分や立場問わず、内宮で過ごす者は皆、自身の望まぬ情報を無闇に公開せずとも良くなり、同時に仲間の情報を本人に無断で外部へ漏らすことは、正妃や側室に対してと同じく、固く禁じられた。

 全ては、未来の若者たちに、自分たちと同じ苦しみや後悔を与えないために――変遷の時代を生きてきた者として、シャロンの〝芯〟は決して揺らがない。


 とりつく島もない返答に、ロガン準男爵の表情はぐにゃりと歪む。

 次の瞬間、彼は大股でシャロンへと詰め寄ってきた。


「〝無関係の外部〟だと!? あの〝カリン〟という侍女がシュラザード侯爵と無関係だなどと、よく言えたものだ!」

「ロガン準男爵――」

「あれほど――マリアンヌに生き写しな女が、シュラザード家と無関係のわけがないであろう! あの類い稀な美しさが、同じ時代に二人存在するなど、偶然であるものか!!」

「準男爵!!」


 分かっていたはずなのに、彼の口から飛び出した〝名前〟に、シャロンの理性は脆く崩れた。……若い世代にはなかなか信じてもらえないが、シャロンは元々、それほど冷静沈着な人間ではない。感情の起伏はむしろ激しい方で、だからこそ王宮勤めを始めてからは、官の仕事に必要以上の情は不要と、意志の力で抑えてきたのだ。

 ゆえに。ひとたび制御(リミッター)が外れれば。


「今すぐ口を閉じなさい。あなたに、あの子を苦しめた張本人であるあなたに、その名前を口にする権利があるはずがない!」

「苦しめた? 何を言う。私は侯爵と彼女を結び合わせた功労者だぞ。私の働きがあればこそ、マリアンヌは分不相応な身分でありながら、侯爵夫人となれたのだ」

「それをいつ、あの子が望みましたか。マリアは婚姻など、望んだことはなかった。侍女の仕事に誇りと情熱を抱いて、生涯を王宮に……オースター陛下とリファーニア妃殿下に捧げることを、至上の誉と感じていたのに。あなたが余計なことをしたせいで、あの子は、マリアは――!」

「馬鹿なことを。女の喜びは、いつの時代も婚姻の先にあるものだ。ましてやマリアンヌは、格上のシュラザード侯爵家に嫁ぐことができたのだから。あの時代の女の中では、幸運であった」

「あの子の名を口にするなと、何度言えば分かるのです。マリアのことを知りもせず、どのような生き方を切望していたか理解しようともしないあなたに、あの子の人生を語る資格などない。――押し付けられた〝喜び〟と〝幸運〟が、マリアを絶望の淵へと叩き落としたことも知らぬ、あなたが!!」


 身体の大きさと瞳の色以外は〝カリン〟と瓜二つだった、若かりし頃の〝彼女〟が脳裏に蘇る。二十年以上経った今もなお色褪せぬ、まるで昨日のことのような鮮やかさで。

 ――静謐な表情の中に揺らがぬ情熱を宿した、星の光の如き娘だった。儚いほどに美しい見目は、見る者に庇護欲を抱かせるけれど、少し深く付き合えば、〝彼女〟が他人に守ってもらうほどか弱い人間でないことはすぐに分かる。太陽のように目を焼く眩さはなくとも、夜空の星が己の力で輝き続けるように、〝彼女〟はどこまでも(したた)かだった。

 そんな、〝彼女〟に。誇り高い――貴族という身分にではなく、己の足で己の人生を歩くことに真の誇りを抱いていた娘に、残酷な時代の波と愚かな男の欲望は、容赦なく襲いかかった。望んでいた未来を得ることなく、王宮を去るしかなかった〝彼女〟の背を見送ったとき、シャロンの中で、確かに何かが一つ音を立てて崩れたのだ。


 ――シャロンの剣幕にロガン準男爵が怯んだ隙を逃さず、くるりと完全に背を向ける。


「……これ以上話すことはありません。失礼します、準男爵」

「ま――待て!!」


 背後から伸びてきた腕が、シャロンの右腕を掴んでくる。ぐいと捻って逃れようとしたが、残念ながらディアナのように護身術に精通していないシャロンでは、男の力を振り解くのは難しかった。


「無礼に無礼を重ねるだけでは飽き足らず、狼藉まで働かれるおつもりですか。今すぐ、その手をお離しくださいませ」

「黙れ! シュラザード侯爵様に対し、無礼なのはそなたの方であろう! 侯爵様直々の手紙を無視するなど……」

「王宮への個人的な問い合わせに、即座のお返事を求められる方が不見識にございましょう。加えて、後宮に対し、第三者の立場でありながら侍女の個人情報を問うなど、常識外れも良いところ。何度お手紙を出されても、お答えなどできるわけもありません」

「私に手ぶらで帰れと言うのか!」

「準男爵の都合など、それこそ私の管轄の範囲外。慮る必要性をまるで感じませぬ。シュラザード侯爵の〝頼みごと〟の内容を精査せず、安請け合いしたあなたの自業自得というものです」

「こ、の……っ、言わせておけば!!」


 掴まれた腕に激痛が走ると同時に、強い力で床へと叩き落とされる。ぶれる視界の中、赤黒い顔で怒りに顔を歪ませたロガン準男爵が、足を振り上げるのが見えた。

 さすがにこの体勢から回避は不可能と、多少の怪我は覚悟の上でぐっと目を閉じ、衝撃に備えるべく身体を固くする――!




「ぐっ……おぉ」


(……?)


 数拍を数えるまでもなく、頭上から聞こえてきたのはロガン準男爵の呻き声だった。次いで、ドサリと重いものが落ちる音がする。

 状況確認のため、ゆっくりと身体を起こしつつ目を開けると、そこには。


「……女官長様は、私が考えていたよりもずっと、直情的でいらっしゃるようですね。個人的に嫌いではありませんが、こういった輩を真っ向から正論で叩きのめすのは、あまり良い手ではないでしょう」


 漆黒に身を包み、美しい黒曜石の瞳に理知の光を宿した年齢不詳の男が、苦笑に近い微笑みを浮かべて佇んでいた。彼の足元にロガン準男爵が倒れ伏していることが気にならないほど、実に穏やかな雰囲気だ。

 顔こそ見るのは初めてでも、この声は何度か聞いたことがある。シャロンは何度かゆっくりと瞬きをして、その名を呼んだ。


「ソラ殿、で、いらっしゃいますか……?」

「はい、左様です。――よろしければ、どうぞお手を」


 自然な動作で手を差し伸べられ、当たり前のように助け起こされた。服の汚れや型崩れを整えている間に、ソラがロガン準男爵を回廊の外側、庭の植木の陰へと転がし、強制退場させる。

 ――姿勢を正したシャロンに、ソラは柔らかく微笑んだ。


「ご様子を拝見するに、腕や足を痛められてはいないようですね」

「はい。特に問題はございません。――ありがとうございます、ソラ殿。危ないところを助けて頂きまして」

「とんでもない。むしろ私の方こそ、お礼と謝罪を申し上げるべきでしょう」


 どこか複雑な表情で、しかし視線は逸らさずに、彼は真っ直ぐにシャロンを射抜いてきた。


「――息子の我儘が発端で、女官長様には大変なご迷惑をお掛けしているようで……誠に申し訳ございません」

「そのようなことは……」

「このようなことになると事前に予想がついていれば、別の方法を考えるよう諭したのですが。……まさか私も、女装した〝あれ〟がそれほどまでに〝瓜二つ〟とは思わず、細かな確認を怠ってしまいました」


 発された言葉に、ほんの一瞬だけ息を呑んで。

 シャロンもまた、ソラと――カイの育ての親と対峙する。


「ソラ殿は、カイの素性について、どこまでご存知なのですか?」

「私が知ることなど、ごく僅か……国使団が出立してからの、後宮の皆様方のお話を断片的にお伺いして、仮説を組み立てているに過ぎません。――ただ、」

「……ただ?」

「あの子の生家が、食べるに困らない裕福な家であろうことは、出会ったときから分かっておりました。あの子を包んでいた産着も上質なものでしたし、籠もしっかりとした作りで、一目で高級品と判別のつくものでしたから。貴族か、裕福な商人か……いずれにせよ、瞳の色一つで生まれて間もない赤子を森へと置き去りにするくらいですから、古い因習に縛られた〝歴史ある名家〟の類であろう、とね」


 無音で長い息を吐いてから、ソラは改めて姿勢を正した。


「私も一つ、お伺いしてよろしいでしょうか?」

「もちろん、何なりと」

「……あの子は、それほど。当時を知る方が一目でそれと気付くほど、似ているのですか。――おそらくは御生母君であろう、女性に」


 似ている――などという、生易しいものではない。〝カリン〟の姿は、その仕草や表情に至るまで全て、在りし日の〝彼女〟そのものだった。まるで、〝カリン〟の周囲だけ、二十年の歳月を遡ったかのように。

 ――過去を思い返したシャロンの沈黙を、肯定と捉えたのだろう。ソラが、ゆっくりと目を伏せて、口元だけで笑う。


「……何となく、あの子が両親のどちらかによく似ているのだろうとは、感じていたのです。あの子が、クレスター伯爵夫妻と顔を合わせてご挨拶申し上げた際、特にエリザベス様の表情が、そのように物語っておられましたから。ですがおそらくエリザベス様も、本格的に〝化けた〟あの子が、それほどまでに似通うとは思われなかったのでしょうね」

「それは……男女の違いから、でしょうか?」

「もちろん、性別の違いもありますが……普段のあの子はどちらかと言えば表情騒がしく、あのように淑やかな佇まいとは無縁ですから。いかにも有能な侍女風でしたが、いつもの彼を思い起こせば、詐欺師の方がまだ良心的な化け方をすると感じてしまう程度には〝化けて〟おりましたのでね」


 ……つまり、顔立ちそのものはよく似ていても、表情や仕草から醸し出す気配はまるで異なっていたため、印象として似ているとはあまり感じない仕様であったということか。シャロンは逆に普段のカイとほとんど接点がなかったので判断しづらいところだが、時折天井裏から降ってくる声の調子からだけでは、〝彼女〟と似ているとは確かにとても思えなかった。

 ため息を押し殺し、シャロンは努めて冷静に言葉を紡ぐ。


「……睡蓮様と鈴蘭様のお仕事が、それだけ完璧であったということでしょうね。彼を育てた貴方様にそのように言わしめるほど、〝カリン〟はどこから見ても、優秀な侍女そのものでした。――遠い昔の、〝彼女〟のように」

「そう、ですか」

「昔の、ことです。所詮は過ぎた時代のことと……割り切れるなら、良かったのに」


 二十年と、少し。決して短い年月ではないはずだ。怒りを、苦しみを……どうしようもない現実への遣る瀬なさを癒すには、充分な月日が流れたと、そう思っていた。そう思っていたから――戻ることが、できた。

 それなのに……〝カリン〟を見た瞬間に胸を過った思いは、何一つ色褪せてなどいなくて。過去の亡霊の如く沸いて出たロガン準男爵も――その背後にいる〝侯爵〟も、確かに今、この瞬間に存在していて。

 未だに自分は〝あの日〟の後悔の中にいるのだと、突き付けられた気がした。


「実のところ――」


 緩やかな風が吹き抜ける中、柔らかなソラの声が響く。


「あの子の実の両親が誰で、どういった事情で森へ置き去りにされるに至ったのか、これまであまり深く考えたことはありませんでした。あの子を見つけたときの状況を考えても、実親に養育を放棄されていたことは確かでしたので」

「それは……」


 声音は柔らかだが、その内容は決して優しくも柔らかくもない、ソラの言葉。……そう。如何なる理由があったとしても、結果的にカイが生まれてすぐに捨てられ、ソラに拾われたことは事実。そこに言い訳や擁護を挟む余地はない。

 たとえ――シャロンが、当時の〝彼女〟の様子を知り、ほんの僅かとはいえ、その心情を推し量る欠片を得ていたとしても。得ていたのだと〝気付いた〟からこそ、後悔が過去のものにできなくなっているのだとしても。

 過去の真実と思いは当人同士の間で交わされるべきであり、そこにシャロンが立ち入る権利はないのだ。

 ――語る言葉を探して、けれど何も見つからず黙るしかないシャロンの前で、ソラが少し、苦笑った。


「ですが――同時に、あの子の身近な大人の女性……おそらくは母親が、彼の〝生〟を切望していたこともまた、明らかだったのです。お恥ずかしい話、当時の私は相当に世を斜めに見ておりましたので、このように無力な命を捨てておきながら生きてくれと願うとは、この赤子の親は何と愚かで矛盾に満ちた人間かと冷笑したことを覚えていますよ」

「いえ……一分の隙もない正論にございましょう。生を切望するのであれば、手を離すべきではなく。どうしても手を離さねばならない事情があるのなら、森へ捨てるのではなく信頼できる第三者へと託すべきでした。独りでは生きていくことすらままならぬ、生まれてすぐの赤子を捨てるのは、緩やかな殺人行為です」

「そのご意見には、全面的に賛同致します。――本人は気にしておりませんが、私は今でも、危うくあの子を殺しかけた実親を許せませんのでね。実親があの子を捨てたからこそ、私はあの子の父親になれたわけですが、それとこれとは話が別ですから」

「えぇ……」

「ただ……ここしばらく、後宮のあちこちで皆様の、特に女官長様のご様子をお伺いしているうちに、どうも私が考えていたより事情は複雑なようだと察しがつきまして。〝侯爵〟とやらからの怨念籠った手紙の頻度も増しているようですし」

「そこまでお見通しでしたか」


 シュラザード侯爵からの〝問い合わせ〟は、当初は二日に一度だったのがそう経たないうちに毎日届くようになり、昨日などはついに、朝と晩の二度、届くようになった。ざっと読み、内容に変化がないことだけ確認して放置しているが、放置されている分、恨み言の類は増している。……これは別に〝カリン〟だから特別なわけではなく、『特定の侍女の詳細な素性を教えろ』などと問われて馬鹿正直に答えられるわけもないので、放置していることに後ろめたさはないが、痺れを切らした彼に今日以上の強行手段を取られても面倒だ。


「……まさかシュラザード侯爵が、ロガン準男爵を〝使う〟ほど余裕を失っているとは、私も想定外でした。これから先、女官たちに、外宮を歩く際は気をつけるよう言わねばなりません」

「息子のことで、これ以上女官長様と後宮の皆様方のお手を煩わせるのは、父親として非常に心苦しいところです。――クレスター家の皆様方にも相談して、できる限り危険がないよう、お守りさせてください」

「そのような……これは後宮の諸問題とは関わりのない、一貴族の個人的な事情によるいざこざですのに。お忙しい皆様方のご負担となるわけには参りません」

「どのような事情が発端にせよ、己の不在中、後宮のどなたかに大事があったとなれば、心優しい末姫様は深く悲しまれることでしょう。末姫様のためにも、皆様をお守りするのは当然のこと。――それに、この騒動が後宮の諸問題と〝関わりない〟とは、必ずしも言い切れませんよ」


 ……どうやら、シャロンの意思とは関わりなく、ソラはもう己の行動を決めてしまったようだ。この手の人間に何を言っても考えが変わらないことは経験上明らかなので、シャロンは静かに頭を下げ、了承と感謝を示す。


「……ありがとうございます。よろしく、お願い致します」

「承りました。――ところで、シュラザード侯爵とやらが、不意に現れた〝カリン〟にこれほど執着しているのには、何か理由があるのでしょうか?」

「そうですね……いくつか思い当たる節はありますが、確信を得ているわけではございません。私の方でも情報を集めている最中ですので、確かなことが分かれば、またお伝え致します」

「感謝します。事の全貌が見えているのといないのとでは、事態打開に費やす労力がまるで違ってきますから。情報を共有して頂けるのは、何よりありがたいことです」


 黒曜石の瞳と視線を交わし、ゆっくりと頷き合う。

 もう二度と、間違えない。今度こそ、誰も〝悲劇〟の舞台へ上がらせないために。

 確かな未来を紡ぐため、甦った〝過去〟と対峙する決意を、静かに深く、シャロンは抱く――。


息子にも増して神出鬼没な黒獅子さんェ……


カイの出自に関しては登場時から薄ぼんやりとした設定としてありましたが、まぁ本人がああいうスタンスな以上、明かされることはなかろうなと思っていました。

『にねんめ』を詰めるに当たり、〝カリン〟登場&お披露目が確定したことで、「あっコレ、マグノム夫人めっちゃゴメンなやつ」とはなったのですが、そこからまさか両親世代の因縁にまで話が膨らむとは……エリザベスさんもそうだけど、親世代の女性方は心に諸々秘めすぎてて、話が想定外の方向へ転がっていく(遠い目)

面倒かけてゴメンのつもりだったマグノム夫人自身も過去を清算したがっていらっしゃることが判明しましたので、この先そっち方面の話も絡んで長くなりそうですが、見届けて頂けると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ・・・サクッと事故死か病死で逝っとく?
[一言] ディーに利さないなら侯爵家潰し(裏で家長をプチっと)ちゃってもいいんじゃない?って御子息本人の声が聞こえた気がしました(^_^;)
[一言] うっわ、今まで以上に面白くなる期待に もう次の更新が寝られなくなるぐらいです! どんどん登場人物たちの奥が深くなってくるにつけ、 どんどん寝られなくなる日が増えそうです。 いつも本当にわく…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ