暗雲漂う密会
最近、推敲が不充分でご迷惑をお掛けしております……
今回は特に筆が乗っているので、読みづらいことこの上ないかもしれません。間違いがありましたら、報告欄にてどしどしご指摘くださいませ!
シェイラがリディルと、密かな盟約を交わしている頃――外宮では。
「モンドリーア宰相閣下。この度は、急な面会をお受けくださり、誠にありがとうございます」
外宮の外れにある一部屋で、エルグランド王国宰相ヴォルツ・モンドリーアと、女官長シャロン・マグノムが、密かな会談の場を設けていた。
「構わない。大まかな内容は、先ほど陛下からお伺いした。必要な話し合いならば、急であろうと時間を作るのは当然のことだ」
いつもの無表情の中に差し迫った緊張感を漂わせるシャロンに対し、宰相ヴォルツもまた、いつもの無害な笑みを消し去った、信頼する仲間にしか見せない鋭い眼光を宿した有能な政治家の顔で応じる。その表情は険しく、彼がこの事態を楽観視していないことは、非公式の面会の要請に二つ返事で了承を返したことからも、充分に読み取れた。
――昨晩、シェイラからナーシャの懐妊について報告を受けたジュークは、今朝早くに外宮へと戻る際、「皆と事態を共有しておく」と言い置いていた。この件は部外者へは絶対に漏らせない超重要秘密事項のため、どうしても口頭伝達に頼らざるを得ないのだ。ジュークが後宮を去ってから、タイミングを見てヴォルツ宛に面会の申し入れをしたが、この反応の速さから見て、ジュークは本当に戻ってすぐ、外宮の仲間たちと情報共有してくれたらしい。
「それで、マグノム夫人。ご懐妊されたという、ナーシャ・クロケット嬢のご様子はいかがか? 昨日までは、食事もままならないほど、体調が思わしくなかったと聞くが」
「食に関しましては、シェイラ様からお聞きしたナーシャ様のお食事の好みを参考に、厨房長が特別メニューにて対応中です。先ほど、ナーシャ様の侍女から話を聞いたところ、今朝の食事はここ最近で最も進みが良かったと申しておりました」
「それは良かった。食が細ると、比例して体の様々な機能が衰えてしまうからな。身重でいらっしゃるのならば尚更に、きちんと栄養を摂らなければ」
「はい。シェイラ様のご助言どおり、しばらくは味の濃い、油分の多い食事は避け、あっさりした味付けで喉の通りが良いものを中心に、ご提供する予定にしております」
「ふむ。後宮には厨房長もいることだし、これ以上食べるものについての心配は必要なさそうだな」
後宮の厨房を任されている厨房長は、シャロンやヴォルツと同年代だ。リファーニアが王太子妃であった頃から王宮に勤めている彼のことは、二人もよく知っている。
リファーニアを心から愛した前王オースターが、国王戴冠と同時に、彼を後宮の厨房長に抜擢した。その事実が何よりも、厨房長の実力と人柄を雄弁に物語っているだろう。
彼が、いる限り。後宮で、〝食〟にまつわる人死にが出ることはない。
「厨房長には、折を見て詳細をお伝えしようと考えております。母体の状態は、妊娠の経過とともに刻一刻と変化し、その都度、気をつけるべき点も変わって参りますゆえ。食事の内容も、いつまでも油分を避けていては、却って栄養不足となる可能性もあります」
「確かに。その辺りに最も詳しいのは……実のところ、紅薔薇様であるのが辛いところだな」
「宰相閣下から見てもやはり、そうなりますか……」
「クレスター家は基本的に、あらゆる学問に対して広く深くの知識を有してはいるがな。さらにそれぞれ特化して詳しい分野というものがあるのだ。――生物学、医学方面での専門家は、ディアナ以外に居ないだろうな。デュアリスとエドワードも知識は豊富だが、実際に患者を診た経験ではディアナに遠く及ばない」
「そうなのですね……」
こういうとき、クレスター家の特異性を実感する。まだ二十歳にも届かぬ娘が、医術を生業とする者たちと同等の働きができ、その実力を宰相閣下から認められるほど、かの血筋は〝有能〟なのだ。
若い頃は、そんな彼らが羨ましかった。王宮で有能女官の呼び声高かったとはいえ、シャロンは所詮、典型的な努力型の秀才でしかない。クレスター家のようなずば抜けた才能など欠片も持ち合わせていない、ただの凡人でしかないと痛いほどに分かっていたから。
けれど、今は。
「仮に紅薔薇様がいらしたとしても、彼女に必要以上の負担をかけるつもりはございません。――ディアナでなければ難しいことは別として、ごく常識的な範囲内の医療であれば、彼女でなくとも担える者は他に居るのですから」
シャロンの言葉に、ヴォルツは片眉を上げた。
「……そなたらしくもない言葉だな。この件は、決して明るみにしてはならない重大事だ。であれば、事情を知る関係者のみで事態の収拾に当たるのが、最も適切かつ安全であることは言うまでもない」
「お言葉ですが、宰相閣下。紅薔薇様は現在、側室として後宮にお住まいなのです。ただでさえ正妃候補という重圧を背負わせてしまっている今、この上ひと二人の命を彼女の肩に負わせることは、総合的に見れば危険の方が大きいと、私は考えます」
シャロンは内宮という巨大な組織の統括者として、常に組織運営を考えねばならない立場だ。――だからこそ、思う。〝替えの利かない存在〟は、少なければ少ないほど良い、と。
組織の大小に関わらず、〝その人にしかできない役目〟など、本来は無いに越したことはない。一人ひとりの人間がかけがえのない存在であること、組織において、それぞれがそれぞれの個性と能力を最大限に発揮する差配を行うことと、特別な、替えの利かない存在を作らないことは、当たり前に両立する。――それはつまり、誰か一人だけの肩に重い荷物を背負わせず、皆で分け合い、持ち合うことを意味するからだ。
「ディアナならば、頼めばナーシャ様の医療的ケアを引き受けてくれるでしょう。本職の医者以上に完璧に、何があっても彼女とお子の命を守り通し、出産――あるいは産後ケアまでやり通してくれるであろうことは、想像に難くありません」
「その通りだ」
「ですが……そうして一度、ディアナに〝命の誕生〟という重いものを背負わせて、彼女がそれを完璧にこなしてしまったら、王宮はきっとこの先も、彼女に頼る〝癖〟がついてしまいます。ただでさえ今、正妃代理の役目を完璧以上にこなし続けている彼女に、私たちがかけている負担は並大抵ではないというのに」
「ディアナは、頼られることを拒絶も厭いもしないと思うが?」
「だからこそ、です。――ディアナが決して断らないからこそ、そして頼られた案件を完璧に成し遂げる才覚があるからこそ、私たちは頼ってはならないのです」
〝替えの利かない存在〟は、少なければ少ないほど良い。一人が抱える荷物は少なく軽いほど、その人に万一のことがあった際、組織が受ける被害は軽減できるからだ。重い荷物ならば決して一人では持たず、分け合って持つことで、荷物の持ち手も組織も守ることができる。そもそも、人間の容量には、どうしたって限界があるのだから。
しかし――。
「ディアナは――〝クレスター伯爵令嬢〟である彼女は、この上なく優秀です。私のような凡人が努力で形成できる〝優秀〟などとは比べものにならない真の才と、その才に溺れないだけの格がある」
「左様。どこまでも貪欲に知を求め、その知を人々のために活かす努力を惜しまないディアナは、まさにクレスター家が誇る〝宝〟であろう」
「はい。ゆえに、彼女の真の姿に気付いた人々は、多くの期待と望みを彼女へと掛けます。救いを求め、奇跡を願って……心優しいあの子は、それを決して無碍にしない。掛けられた期待と望みを背負い、苦しみから人々を救い、――奇跡すらも、その身一つで叶えてしまうことでしょう。何故なら、あの子はそれが〝できる〟から」
「……」
ディアナが持つ奇跡の〝力〟については、シャロンもクリスから聞いている。どこまでもディアナらしい〝それ〟はしかし、使えば使うほどディアナ自身を蝕む〝呪い〟に近く、決して良いものだとは思えなかった。
凡人には決して到達できない、真の才能があること。奇跡すらも可能にする、超人的な力があること。……若い頃はただただ羨ましかったそれらが、歳を重ね、〝人間〟を知れば知るほど、今のシャロンはただただ恐ろしい。
何故ならば。
「そうして、周囲の期待と望みを叶え続けているうちに……いつかディアナの存在は、あの子が重荷を背負うことは、周囲にとって〝当たり前〟となることでしょう。どれだけディアナに負わせているかも忘れ、〝替えの利かない存在〟になっていることすら無自覚になって、ただただあの子を使い続ける。それがどれほど残酷な未来か、宰相閣下ほどのお方が気付いていないとは、まさか仰いませんでしょう?」
才能があれば、凡人では決して背負えない重い荷物も一人で背負えてしまう。そんな人間が組織に居れば、周囲は当然その人を頼り、多くのものを負わせるだろう。……本当なら皆で持つべき重荷まで、たった一人に押し付けて。
それで、周囲は楽になるかもしれない。余力ができて、他のことに目を向けられるかもしれない。
だが。そうしてできた余力の陰で、本来ならば皆で持つはずだった荷物をたった一人で背負っている〝誰か〟は、ずっと耐え続けなければならないのだ。――一人で持てるからといって、その荷物が〝重くない〟わけでは、絶対にないのに。
〝才能〟の有無など、関係ない。たった一人に重荷を背負わせるその行為そのものが、無自覚の犠牲の選定なのである。〝替えの利かない存在〟と言えば聞こえは良いが、要するに、組織のための〝人柱〟だから地中から出て来られたら困る、と言っているようなもの。……これほど残酷な言葉が、仕打ちが、どこにあるというのか。
誰も貴方の替わりは居ない――……それは、〝才能〟という神からの祝福を言い訳にした、凡人たちの甘えでしかない。驕りでしか、ない。
天賦の才などなくとも、人にはそれぞれ、困難に立ち向かう力がある。努力することで己の力を伸ばし、一人で不可能なことならば仲間と力を合わせることで、あらゆる困難を乗り越えることが、できる。特別な、〝替えの利かない存在〟など、この国には必要ないのだ。
それこそ、歴代の国王が代々志してきた、〝誰も犠牲にしない国〟の実現――!
「ディアナが、生涯に渡る王宮との親密な関係性を望んでいるのならまだしも、歴代のクレスター家の慣例と、何より本人の言動から、あの子が後宮の問題にケリをつけた後、貴族籍から抜けて一平民となり、貴族社会から距離を置くつもりであろうことは明白です。であるならば尚更、私たちはこれ以上、彼女に頼るべきではありません。王宮の重要人物である側室の命まで背負わせてしまっては、下手をするとあの子の自由すら奪い、生涯を王宮に縛りつける未来を招いてしまいます」
はっきりと、改めて、ナーシャへの医療分野をディアナの担当にはしないことを宣言する。ヴォルツの真意を見逃さないよう、真正面から彼の瞳を見据えて。
覚悟を宿したシャロンの視線を受け止めたヴォルツは、しばしの間、沈黙して――。
「……結局、そなたも〝そちら側〟に堕ちるか」
やがて脱力し、どこか自嘲するような笑みを浮かべて、小さく呟いた。
言葉の意味がよく分からず、目を瞬かせたシャロンに、ヴォルツは軽く笑いながら続ける。
「そなたは知らないだろうな。――歴代のモンドリーア家がどれほど、長男以外は貴族籍から全力逃亡するクレスター家の〝悪癖〟を食い止めるべく腐心し、敗れ続けてきたか」
「と、仰いますと?」
「そもそもクレスター家は、貴族をしている方が間違っているような家だ。大抵の人間には程度の差はあれ存在する権勢欲というものが、あの家には存在しない。知識欲が異常に抜きん出ている反動か、彼らは〝人の業〟から逸脱している節があるからな」
「はい。よく……とてもよく、分かります」
シャロンがよく知っている〝クレスター家〟はフィオネとディアナだが、あの二人を見るだけでも、かの血筋が良くも悪くも浮世離れしているのは実感できる。
「クレスター伯爵家の興りはおよそ三百年前、初代伯爵のポーラストが叙爵されたことに端を発する。その際、嫌だ無理だと散々ごねて逃げようとする彼の首根っこを引っ掴み、ほとんど強制的に王宮へと縛り付けたのが、後にモンドリーア公爵となったアスト王の実弟、ネルヴァだ。――結果的にだが、それ以来モンドリーアは代々、クレスターのお目付役のような立場であり続けてきた」
「まぁ……」
「モンドリーアはクレスターの最大の理解者であり、何かと堅苦しい貴族社会を嫌って隙あらば逃げ出そうとする彼らを阻止する、最大の障壁でもあるのだ。……一応はエルグランドと誼を結ぶはずの長男でさえ、うっかりしていると逃げようとするからな。歴代、どうにかして長男の逃亡は阻止してきたが、長男以降となると阻止の成功率は極めて低い」
「それは、何と言いますか……お役目ゆえ致し方ないとは申せ、なかなか難しいことに取り組んでいらっしゃいますね」
「フィオネが貴族籍から抜け、ノーラン商会に嫁ぐと言い出した際も、父上と二人で奔走したものだ。幸い、ノーラン商会は貴族にも覚えめでたい王国随一の大商会なのだから、新たに叙爵されても不自然ではない。男爵位なり、子爵位なりを与えて、嫁ぐにしてもフィオネと貴族社会の縁が切れることはないように図ろうとしたが……あのときも結局、リファを始めとした女性陣が中心となってフィオネを庇い、ノーラン商会が爵位を固辞したこともあって、フィオネが王宮から去るのを止められなかった」
「あぁ……それで、〝そなたも〟と仰ったのですか」
納得の相槌を打ったシャロンに、ヴォルツは深いため息で応えて。
「〝悪人顔〟が特徴として語られるクレスター家だが、そんなものは私に言わせれば、彼らのごくごく一面に過ぎない。クレスター家は……深く知れば知るほど愛しくなり、魂の自由を尊重したくなるような、そんな魔性を秘めている。あれほど有能なのに、どれほどの好待遇を積んでも決してひとところに留まってはくれず、周囲にもそれを〝是〟とさせてしまうのだよ。――いつの時代も人材確保に苦慮してきた我が家にとっては、ある意味、最もタチの悪い存在だ」
「確かに、閣下のお立場としては、ディアナが王宮から……貴族社会から去ってしまうことは、大きな痛手なのかもしれません。その点に関しては同意致しますが――だからといってあの子の人の好さにつけ込み、敢えて重荷を背負わせ続けて縛ろうとするのは、人としても大人としても、褒められた行いではございませんよ」
「実に真っ当な正論だ。しかし、政の世界というものは、なかなか正論だけではやっていけなくてね。卑劣で泥ついた〝必要悪〟は、どうしても必要になってくる。……歴代最高峰の『賢者』と名高いデュアリスなど、私に会う前からモンドリーアの役目を察していたものだから、初対面から今に至るまで、なかなかにキツく当たってくれているよ」
クレスターが代々、王家の友として〝知略〟を担ってきたように、歴代のモンドリーア公爵はエルグランド王国の政の〝裏〟を担ってきた、ということか。……思い返してみればヴォルツは、その無害な外見とは裏腹に、それが王国にとって最適解と判断すれば、非情とも取れる冷徹な策を容赦なく実行へと移すところがあった。それは、彼が自身の役目を十二分に理解し、そこに信念を持ち続けているからなのだろう。
シャロンの信念と、ヴォルツの信念。それが大きく異なる以上、ディアナの〝この先〟に関して、二人の意見が一致する未来は、おそらく訪れない。
――が。ひとまず、今は。
「宰相閣下のお立場とお考えは、承知致しました。しかし、ディアナが国に居ない今、彼女を戦力として数えることができないのは、覆しようもない事実です」
「……その点に関しては、もちろん、私も異存ない」
「で、あるならば。ナーシャ様のご容態を正しく把握し、そのお命をより確実に守るためにも、医療行為を担当する者は必須。――できるだけ早急に、口の堅い、信頼できる内務医官の派遣を要請したく存じます」
――内務医官。内務省に所属し、官身分を持つ医者たちの総称だ。交代で王宮内に常駐し、日常的に王族の医療的ケアを行うことを役目としている。
側室は正式な王族には数えられないため、側室しか居ない後宮に医官は置かないのが慣例だが、正妃不在の時代でも側室が懐妊することがあれば、例外として派遣はされていた。今回に限り、派遣の事実を公にするわけにはいかないという事情はあるけれど、王と宰相の許可と協力があれば、その辺りの誤魔化しも充分に可能なはずだ。
もしかしたら、ディアナが帰ってくるまで、という条件はつくかもしれないが。医官の派遣そのものは必要だと、そこはヴォルツも納得しているはず――。
「……――しばし、待て」
「――っ、今、何と?」
「しばし待て、と言った」
「できるだけ早急に、と申し上げたはずです。ようやく食が改善されたとは申せ、ナーシャ様が予断の許さぬ状態であることに変わりはありません。適切にお世話申し上げるためにも、専門家による正式な診断は、可能な限り早く頂戴する必要がございます」
「分かって、いる。しかし、回せる人材が居ない」
「何を仰います。現在、医官が担当している王族方は、陛下と王太后様のお二人のみ。……いいえ、リファーニア様が『用があればこちらから呼ぶ』と仰せになり、毎日の問診も行われていないこの状況下では、医官たちは全員で陛下のみを担当しているようなもの。後宮へ派遣する人材が居ない、などあり得ないでしょう」
予想だにしなかったヴォルツの返答に、抑えようとしても語調が強くなる。かろうじて詰め寄りこそしなかったものの、心情的にかなり圧をかけてのシャロンの言に、ヴォルツは。
「……そなたが何と考えようと、今すぐの医官派遣は認められぬ。この件は後宮のみならず、王国全体にとっての重大事ゆえ、最前線で事に当たる担当者は、慎重を期して選定する必要があるだろう」
「それは、そうですが」
「派遣しないとは言っていない。ただ、待てと言っているだけだ。クロケット嬢本人も医者の診察を拒んでいると聞くし、今日明日に医官を派遣することは、却って嬢とそなたの信頼関係を損ねるのではないか?」
「私への信頼より、今はナーシャ様のお命が大切でしょう」
「クロケット嬢は意識もはっきりしており、加えて食事も改善された。今のところ、即座に生死が問われる状態ではない。……正確な診断はいずれ必要となるだろうが、今はまだ、妊娠初期の妊婦への一般的な対応で乗り切れるはずだ」
「……閣下はご存知ないやもしれませんが、妊娠の状態は人によって千差万別なのです。〝一般的な対応〟と言われてはいても、細かく見れば内容は個々人によって違うもの。だからこそ、お医者様や助産師様といった専門家の視点から、適切な助言を頂かねばなりません」
「――同じことを何度も言わせるな、女官長」
ヴォルツの声色が、決定的に変化した。冷静に、冷徹に判断を下す、情のない〝為政者〟のものへと。
反射的に口を噤んだシャロンに、彼は容赦なく言い募る。
「後宮からの、医官派遣の要請については、確かに聞いた。宰相の権限を以って適任者を選出し、後宮へと送るゆえ、しばし待つように」
「……承知、致しました。医官殿がいらっしゃる日を、一日千秋の思いでお待ち申し上げております」
国王に次ぐ王国全体の意思決定者、宰相からのはっきりとした〝命令〟に、女官長であるシャロンは抗えない。女官長は女官たちの長であり、後宮を含んだ内宮全体を取り仕切る立場であり、官人である以上、基本的には上の人間に従う義務があるのだ。……まぁ、いくつか抜け道があるにはあるが。
(しかし、何故……)
浮かぶ疑問を尋ねようとして、すんでのところで言葉を飲み込んだ。……どう尋ねても、今のヴォルツはおそらく答えてはくれない。
――静かに呼吸を整えて、シャロンは正式な礼を執る。
「宰相閣下。お忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございました」
「礼は、要らぬ。……マグノム夫人、どうか後宮を、クロケット嬢を、頼む。陛下とシェイラ様のためにも――ディアナの、ためにも。己が不在の間に、後宮で人死にが出るようなことがあれば、あの優しい子は一生自分を責めるだろうから」
「頼まれるまでもないことです。ディアナは、国に残る我々を信じ、後宮を託してくれました。――あの子がこれ以上重荷を背負わぬためにも、私たちは最善を尽くし、より良い未来へと繋げていかねばなりません」
厳かな誓いとともに、シャロンは密かな会談を切り上げるのだった。
紅薔薇様を囲み隊、ラスボスはヴォルツ小父様でした、というお話。
良い人なんですよ、良い人なんですけどね、立場が違うとね……大人って難しいですよね。
予想外にお二人の話が長くなったので、マグノム夫人のターンは次回へと続きます。
マグノム夫人、めちゃくちゃ書きやすい人なので超助かるんですけど、その分字数もどえらいことになりがちなんですよね。




