新たな仲間
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ジュークにナーシャの件を伝え、夜を共にした、その翌日。
午前中の予定を変更し、シェイラは急遽、リディルの部屋を訪ねていた。
「おはようございます、リディル様。すみません、先触れもなしに」
「いいえ、お気になさらず。どうぞ、お入りになって」
侍女に任せることなく、自ら扉を開けてシェイラを迎え入れてくれたリディルは、シェイラが来ると半ば予期していたのだろう。事前連絡なし侍女なしの訪問にも、驚く気配はない。
――招かれるまま部屋に入ると、テーブルの上には申し訳程度に飲み物が用意された状態で、侍女たちは出払っているようだった。
「このような事態ですから、話を聞く者は極力少なくするべきと判断しましたの。……なんて、できる令嬢風の言い回しを使ってみましたが、私の部屋の侍女は二人だけですから、この時間は概ねいつもこんな感じですわ」
「侍女が少ないお部屋は、どうしてもそうなりますよね。私のところも同じです」
「シェイラ様は逆に、もう少し侍女を増やしても良いと思いますけれど」
「部屋の広さからすればそうなのかもしれませんが……私の場合、抱えている事情が特殊ですから」
苦笑しつつ言うと、リディルも軽く笑って椅子に座るよう促してくる。ありがたく席につき、用意されていた飲み物を飲んで喉を潤したところで、シェイラは真っ直ぐにリディルを見つめた。
「――リディル様。今日は折り入ってお話ししたいこと、お願いしたいことがあって、参りましたの」
「そのようですね。ナーシャ様の件でしょうか?」
「はい。ナーシャ様の件も含めて、です」
頷いたシェイラを見る、リディルの眼差しは穏やかだった。深い緑の瞳が、包み込むような温かさを宿してシェイラを映している。
その瞳に勇気づけられるように、シェイラはゆっくりと口を開いた。
「……陛下が昨年から、私のお部屋に通われていらっしゃることは、リディル様もご存知のことですが」
「はい」
「実は――陛下のご意向と、私自身が希望したこともあり、現在、内密にではございますが、正妃に必要な教養や立ち居振る舞いを習得するべく、教えを受けているのです」
「それは、つまり……ジューク国王陛下のご正妃様にシェイラ様が内定したと、受け取ってよろしいのでしょうか?」
「正式な決定ではなく、あくまでも関係者の皆様方の間で内々に、秘密裏に交わされた約定ではございますが……」
「その約定を交わされた〝関係者〟の方々を、具体的にお伺いしても?」
「えぇと、それは後宮内で、でしょうか?」
「後宮内ももちろんですが、どちらかといえば外宮の、『表』の方を把握したく思います」
シェイラに問いかけてくる、リディルの瞳は真剣だ。戸惑うまま、しかし別に隠すことでもないので、シェイラは素直に頷く。
「そうですね……。まずは、言わずもがなですが、ジューク様――国王陛下と。続いて、宰相様と、外宮室の皆様方。それから、睡蓮様、鈴蘭様、菫様のご実家の皆様方も、『里帰り』中にそれぞれ、お味方くださるようご説得くださったと伺いました」
「なる、ほど……」
「もちろん、後宮内でも、リリアーヌ様を除いた『名付き』のお三方は頼もしいお味方で……マグノム夫人とグレイシー団長も、事情を把握した上でお力を貸してくださっています。マグノム夫人にお話を聞いたとかで、畏れ多いことながらリファーニア王太后様からも教えを賜ることが叶っておりますわ」
「少人数ながら、必要最低限の〝要〟は押さえていらっしゃる……といったところですね。この隙の無さはさすがと申し上げるべきか、その慧眼にひれ伏すべきなのか――」
「あ、あの、リディル様?」
リディルの纏う雰囲気が、どこかいつもと違う。これまで見たことのない、どこか冷たく硬質な気配に目を丸くしたシェイラに気付いたのか、リディルは少し困った風に笑った。
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」
「いえ、驚くというほどではありませんが……」
「それなら、良かった。――ところでシェイラ様」
「はい、何でしょう?」
「シェイラ様がご存知の〝関係者〟は、今仰った方々で全員でしょうか? ……私にはどうも、最も中心となって動いておいでのお方の名が欠けているように感じるのですが」
敢えて触れなかった〝中心〟にド直球で切り込んでくるリディルから、悪感情は読み取れない。むしろ、どこか楽しそうな、何かを面白がっているような空気である。
リディル個人の〝彼女〟に対する見解が分からなかったので、ひとまず触れずに流そうかと思ったが――向こうから振ってくれたのなら、遠慮はせずに済みそうだ。
笑顔のリディルに、シェイラもまた、にっこりと笑い返す。
「まぁ。よくお分かりになりましたね、リディル様」
「分からないはずがございませんわ。この後宮に生きる者にとって、何よりの支えと導でいらっしゃるお方ですもの」
「えぇ、本当に。紅薔薇様――ディアナ様、は」
名前を口にした瞬間に込み上げてくる複雑な感情を、ぎゅっと掌を握ることでやり過ごす。遠く離れた異国でも揺るがず困難に立ち向かっているであろう親友の余計な心配事にはなりたくないと、シェイラはナーシャの件について、今はまだスタンザのエルグランド勢に告げないよう、ソラに頼んでいた。シェイラの頼みを聞いたソラも、「そうですね。今聞いたところで、スタンザにおいでの末姫様が打てる手は限られる。下手に報告を入れてお心を乱すより、ある程度の状況が見えてからまとめてお伝えした方が良いでしょう」と賛同してくれたため、ディアナだけでなくスタンザへ行った面々にエルグランドの事情は伝わっていないはずだ。
ディアナのことを思うと、胸を締め付けるような愛おしさと泣きたくなるほどの切なさと、今もまだ抱いてしまう申し訳なさと、ひたすらに無事を祈る切実さと……それらが幾重にも絡み合った、複雑この上ない感情の波に襲われる。今、もしもこの場にディアナがいたらどうするだろうと――そんなことを考えては、「ディーのようにはできない」と己の力不足を痛感して、できることをするしかないのだと『雪の月』の簪に背中を押される、その繰り返し。
――ほんの刹那、よぎったものを内へと沈め、シェイラは切なく微笑んだ。
「リディル様が予想していらっしゃる通り、私を正妃にと各所へ働きかけてくださったのは、他でもない紅薔薇様です。外宮の皆々様も、後宮内の方々も、紅薔薇様にお心を動かされたようなもの。紅薔薇様なくして、今の私はおりません」
「シェイラ様は、ずっとずっと前から……紅薔薇様に初めてお会いした頃から、お慕いしておいででしたものね。シェイラ様の見る目は確かだったということでしょうか」
「それを申し上げるなら、リディル様とて……」
「私ですか?」
「思えば私は、リディル様から、紅薔薇様の悪口を聞いたことがありません。ナーシャ様は、最初の頃は少し警戒していらしたようですけれど。――リディル様も、紅薔薇様が世間に蔓延している噂とは程遠いお方だと、見抜いていらっしゃったのでは?」
思い切って尋ねてみると、リディルは少し笑って――首を、横に振った。
「え……」
「私の場合、正確には〝見抜いた〟わけではありません。〝知っていた〟のです。後宮でお目にかかる、そのずっとずっと前から」
「そ、れは、どういう……」
「知っていたから……シェイラ様が国王陛下に見初められたと気付いたとき、きっとあのお方なら、シェイラ様のためにお心を砕かれるだろうと思いました。紅薔薇様――いいえ、ディアナ様なら間違いなく、身分の壁なんかものともせず、想い合う二人が未来までずっと手を取り合えるように、最善を尽くされると」
「リディル様……あなたは、どこまで」
「何もかもが見えているわけではありません。情報収集は欠かさないように心掛けておりますが、下位の側室に出回る噂から真実を推し量るには限界があります。推測できても、正誤を知る術もない身では……でも、」
一度言葉を切り、リディルは強く輝く瞳でシェイラを真正面から見つめて。
「これだけは、確信しているのです。ディアナ様がずっと、シェイラ様を見守り、その幸福を願って動かれてきたこと。――いいえ、シェイラ様だけでなく、この後宮のため、この国のために、その身を尽くされてきたことを」
「リディル様……」
「そんなディアナ様と、大切なお友だちのシェイラ様のお力になりたくて、私の手の届く範囲でできることを、ずっと模索してきたつもりです。とはいえ、私の立場ではできることなど微々たるもので、大したお役には立てていませんが」
「そんなこと! リディル様に、私がどれだけ救われたか……!」
――言われて、気付く。リディルの何気ない行動、その一つ一つに、大きな意味があったことを。
思い返してみれば……『紅薔薇』としてのディアナに、夜会の席で最初に挨拶するよう促してきたのは、他の誰でもないリディルだった。あのとき密かにジュークの訪問を受けていた身では、自分から率先して側室筆頭の『名付き様』に挨拶するなんて、逆立ちしたって思い付かなかっただろう。リディルに背を押され、挨拶したからこそ、シェイラは『紅薔薇』として立つディアナの気高さと優しさに触れることができたのだ。
後宮が荒れる度、シェイラの立場が取り沙汰される度、周囲の己を見る目はコロコロ変わった。最初は好意的に接してくれても、いつの間にか距離を置かれて。……無理もないだろう。何かと騒動の絶えないシェイラと仲良くしていては、いつか自分まで、その火の粉を被りかねないのだから。
けれど。そんな嵐のような情勢変化の中にあって、リディルは絶対に、シェイラを見る目も接し方も変えなかった。友人だと言い続け、傍にあることを止めなかった。
それは、単なる義侠心だけの行動ではなくて――シェイラを守り、どんな窮地にあっても救い出せるようにと、リディルが打っていた密かな一手だったのか。
「ありがとう、ございます。そしてどうか、愚かな私をお許しください。……これほど深くリディル様に守られていることに、今の今まで気付かなかったなんて」
「謝らないでください。気付かなかったも何も、敢えてシェイラ様に勘付かれないよう、立ち回っていたのです。鋭い視点と思考力をお持ちのシェイラ様ですから、下手なことを申せばうっかり色々バレかねないと、それなりにヒヤヒヤしつつ」
「どうして、そこまで」
「恩は着るものであって、着せるものではございませんでしょう? 過去に受けたご恩をお返しするにしても、恩着せがましいやり方では意味がありません。以前に頂いたものをお返しするだけなのですから、尚更に」
「以前の、恩……?」
よく分からないことを言われ、シェイラは軽く首を傾げた。以前も何も、リディルと出会ったのは一年ちょっと前、この後宮でだ。後宮に入ってからは間違いなく、シェイラはリディルから恩しか受けていない。着る着せるで言うならば、間違いなく着てばかりのはずだが。
その疑問が表情に出ていたのだろう。リディルはゆっくりと、大人びた笑みを浮かべて口を開く。
「本当に、ご存知なかったのですね……薄々そうだろうとは思っていましたが、カレルド家らしいこと」
「え、ぇと……カレルド家、ですか?」
「はい。私の実家、アーネスト男爵家は、シェイラ様のお祖父様より受けた、並々ならぬ恩があるのです」
「お祖父様から――?」
思わぬ方向へ転がったリディルの話に、シェイラは目をぱちくりさせた。カレルド家はシェイラの曽祖父の代に功績を認められて男爵位を賜り、曽祖父の後を継いだ祖父も優れた商才を発揮したことで、立場を確立させたと聞く。シェイラが生まれる前に亡くなった人なので、身内といえど、祖父のことは父から聞いた話の中でしか知らなかった、が。
「シェイラ様のお祖父様……先々代カレルド男爵様は、商いにおける卓越した才以上に、優れた人格者として知られたお方です。ご本人様はそのように語られることを厭われ、恩も仇も後の世代へは引き継いでくれるなと仰っていたそうですので、あまり広く知られてはいませんけれど。密かに感謝していらっしゃるお家は、きっと少なくないはずですわ」
「お祖父様が……」
「以前にも申し上げましたが、アーネスト男爵家は叙爵当時、幸運に幸運が重なって事業が上手く転がっただけの一発屋でした。どうやら事業が波に乗ったところで運は使い果たしたらしく、叙爵と共に与えられた領地も、さほど経済効果の見込めぬ地域で……あっという間に、事業で得た利益は領地運営の経費へと消えて無くなったのです」
「確か……以前のアーネスト家は、エルグランド王国特有の農作物を上手く保存食へと加工し、スタンザや山向こうの商店相手に取引なさっておいででしたね」
「まぁ、よくご存知ですね。――はい、その通りです。頂いた領地が農耕向きでしたら、生産加工から販売まで、全てアーネスト家が管理する、新たな商売の構想もあったのですけれど。残念ながら、賜った土地は高山地帯で、農作物の育ちはあまり良くないのですわ。民たちは昔から、狩猟や木こり業などで、細々と食い繋いできたと聞いています」
「それはまた……上の方々も、よほどのことがない限り、わざわざその家の特性に適した土地を与えたりはなさいませんものね。カレルド領も、海運とは特に関わりのない内陸部ですし」
「えぇ。特に、爵与制度にて新興貴族が一気に増えた当時は、それこそ家に合わせた領地なんて選定している暇はなかったでしょうから。どんな土地を与えられるのかは完全に運任せで、領地に恵まれてより一層発展したお家もあれば、我が家のように領地運営で躓いて、泣かず飛ばずになってしまった家もそれなりに多いと聞きます。どこにでも転がっている、ありふれた不運の一つですね」
その観点から考えれば、カレルド家は幸運な方だったのだろう。家業とは特に関わりのない内陸の土地ではあるものの、昔から農耕牧畜が盛んで税収も安定した地域だった。先祖代々、領地守護職を受け継いできた家と領民との信頼も厚く、領主としての仕事はほぼ、税収の計算と王宮への報告書作成といった書類仕事のみで事足りていたのだ(ゆえに、経営の〝け〟の字すら知らない叔父が爵位を継いでも、問題なく領地は回っている)。
リディルは少しお茶を飲んで喉を潤してから、シェイラに優しい笑みを向けた。
「正直なところ、アーネスト家が最も輝いていたのは、男爵位を賜った瞬間で……後はもう、慣れない領地運営と貴族社会に振り回されて、先細っていくばかりだったそうです。父が物心ついたときにはもう、屋敷の補修もままならぬ状態だったそうですから」
「そう、だったのですね……」
「祖父は、父を学院へと入学させるため、ついに商会の売却まで視野に入れました。商売で成功した新興貴族にとって、商会を手放すことは零落の証にも等しい……周囲が一斉に嘲笑う中、ただ一人手を差し伸べてくださった方こそ、先々代のカレルド男爵様――シェイラ様のお祖父様だったのです」
これまで十七年間生きてきて、そのような祖父の話を聞いたことはない。確かに祖父は立派な人だったらしく、屋敷の近隣住民から慕われていたし、幼い頃、父に連れられて何度か行ったことのあるカレルド領でも、領民たちから尊敬を集めていたと記憶はしているけれど。そんな、縁もゆかりもない新興貴族を、困窮の噂一つで救いに出向くような……どこかクレスター伯爵家を彷彿とさせるような人だったなんて。
「我が家の事情を知ったシェイラ様のお祖父様は、かなりの額の援助をくださいました。その資金のお陰で、祖父は商会を手放すことなく父を進学させることが叶ったと聞いております。さらには、アーネスト領のような土地の管理経営に詳しい方をご紹介までしてくださって……その甲斐あってアーネスト領は持ち直し、領民たちの暮らしも上向いております。とはいえまだまだ道半ば、民の暮らしが王国の平均水準まで達し、安定した税収を得られるようになるまでには、もうしばらくかかりますけれど。――アーネスト男爵家の今があるのは、シェイラ様のお祖父様のお陰と言って、過言ではないのです」
「そんな……そのようなお話は、父から、一度も」
「敢えて伏せていらしたのかもしれませんし、もしかしたらお父様すらご存知ではなかったのかもしれませんね。伝聞ですが、我が家に資金援助をくださった際、『必ず返します』と借用書を作ろうとした祖父に、『これはカレルド商会の資産でなく、私個人の金ですから、そんなに堅苦しく考えずともよろしい。余裕ができたら返してくれても良いし、返せず時が過ぎてもうるさく言うつもりはありませんので』と仰ったそうです。……ご家族にすら内密に、ご自身の手の届く範囲で目についた人々に、そっと手を差し伸べていらしたのでは?」
「祖父が……」
大きく頷いて、リディルは真っ直ぐ、シェイラを見つめた。
「カレルド家には伝わっておらずとも、私は幼い頃より、先々代様から受けた恩について父から話を聞いておりました。後の世代へ継ぐなというご遺志には反しますけれど、我がアーネスト家は先祖代々、人との縁を何よりも重んじます。――たとえ愚直と嗤われようと、信義を結んだ友を決して裏切ることなかれ、受けた恩義を決して忘れることなかれ、と」
「そういえば……そのようなことを、前にも仰っていましたね」
「えぇ。ですから、貴族の一員となってからは、笑顔の裏で相手を陥れることが標準装備な貴族社会に、戸惑いと嫌悪感を感じることも多かったそうですわ。でも、こんな家訓を後生大事に抱えるくらいですから、アーネストの人間は割と頭が硬いんです。曽祖父も祖父も、偽りと謀略蔓延る貴族社会で、どうすれば信義と恩義を貫けるのか、考えに考えて……今の私がしているように、広く浅くの人脈を築く立ち回り方を編み出した、と」
「それ、って――」
「誰とでも当たり障りなく仲良くしておけば、手に入る情報は自ずと増えるでしょう? 細くても人脈を維持しておけば、第三者同士の縁を結ぶ機会も増える。――要は、貴族社会の人間関係に振り回される前に、独自の人脈網を築いて操縦する側に回ろう、というわけです。これなら、誰のことも裏切らず、いざというときは人脈と情報を武器に、大切な存在を守ることもできますから」
「なる、ほど」
……知らなかった。現アーネスト男爵の顔は、シェイラも園遊会で見たけれど、まさかそれほど人脈形成に長けた人物だったとは。口元がリディルによく似た、穏やかで優しそうな男性だったという印象しかないが、人は見た目によらないとはよく言ったものだ。
シェイラの表情から言いたいことを読み取ったのか、リディルはふふふと笑った。
「祖父と父もかなり手広く人脈を広げていますけれど、正直、現アーネスト家の中で、一番人脈を築くのが得手なのは私だと自負しておりますわ。何せ、母から『口から先に産まれてきたような子ね』と言われながら育ったくらい、誰かとお話しするのが大好きですから。初対面の方とご挨拶するのも特に緊張しませんし、得た縁を繋ぐべく、お手紙のやり取りやお茶会の誘い合いなどをマメにするのも苦になりませんし」
「確かに、リディル様ってもの凄くマメでいらっしゃいますよね……」
「人によっては、時候のご挨拶のお手紙すら煩わしいそうですけれど、私はちっとも。むしろ、書かなきゃ落ち着かないくらいです」
にこりと笑って言い切ってから、リディルは表情を真面目なものへと切り替えた。
「シェイラ様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろん。何なりと」
「陛下と紅薔薇様のご意向が、シェイラ様の正妃戴冠を目指すところにあることは、十二分に分かりました。で、あるならば……シェイラ様がご正妃様となられた暁には、後宮はどうなるのでしょうか?」
「……おそらく、リディル様の推測が正解であろうと考えます」
「では、やはり――最終的には、現在の後宮の、完全解体を目指していらっしゃると?」
「はい。その通りです」
しっかりと頷いて、シェイラも真っ直ぐにリディルと向き合う。
「現在の後宮が、エルグランド王宮全体における、影の権力抗争の〝主戦場〟になってしまっていることは、リディル様もご承知でしょう。このような場所をいつまでも残しておくことは、長い目で見て国のためになりません。――陛下はもちろんのこと、紅薔薇様も、現後宮の完全な解体を最終目標に、策を詰めていらっしゃいます」
「そう、ですか」
ゆっくりと首肯した後、リディルは静かに目を閉じて――そう待つことなく、覚悟を決めた瞳でシェイラの目を見つめてきた。
「先ほども申し上げました通り、アーネスト男爵家は未だ発展途上にございます。いずれは四つ歳下の弟が家を継ぐでしょうけれど、その下にも更に弟妹が多く、暮らし向きは決して豊かとは申せません。……実のところ私は、この先後宮がどうなろうとも、実家に帰るつもりはないのです」
「それは……ご実家のご負担を考えて、ですか?」
「それもありますが、一番は、外で働くことで実家を支えたいからです」
「外で、働く?」
「『紅薔薇の間』の女官、ミアさんは、メルトロワ子爵家令嬢でありながら、長年王宮勤めに励み、得た賃金を仕送りしていたと聞いています。そんな風に私も、自分の特技を活かして外で働き、家族や領民の力になりたいと……本音を申せば、成人する何年も前から、密かに考えておりました」
「そうだったのですね」
「はい。ですから私、本当は側室よりも、侍女か女官になりたかったのです。私の身分から考えましても、そちらの方が相応ですし」
「まぁ確かに……私が言うのもなんですが、男爵家出身の貴族令嬢が側室に選ばれるなんて、前例は多くありませんものね」
「えぇ、本当に。側室支度金があれほど魅力的な額でなかったら……あと、たまたま前女官長の悪行についての噂を小耳に挟む機会がなければ、うっかり侍女職に応募して理不尽な苦労をする羽目になっていたところです」
さすが、人脈を最大の武器と位置付けているアーネスト男爵家である。前女官長、マリス伯爵夫人のあれこれについては、あのクレスター家でさえ、後宮で実態を目の当たりにするまで薄ぼんやりとしか把握していなかったそうなのに、後宮開設前に彼女の〝悪行〟の情報を入手していたとは。新興貴族と商売人の情報網も、なかなかに侮れない。
傾聴の姿勢に入ったシェイラに、リディルは僅か、身を乗り出した。
「そうして参った後宮で、大恩あるカレルド家のご令嬢と巡り会って……大袈裟な言葉かもしれませんが、運命を感じました。――あぁ、私はこの方のお力となるため、この場所へ導かれたのだと」
「そんなこと……」
「最初に侍女職を考えていた頃は、安定した仕事を得て、継続的に実家を助けたいとしか考えていませんでした。ですが、今は違います」
「リディル様――」
「シェイラ様。どうかこの先も……後宮が解体されたその後も、シェイラ様のお傍で、シェイラ様のお手伝いをさせてください。側室という立場ではなく、侍女、或いは女官として、生涯シェイラ様をお支えすることができれば、これ以上の幸福はございません」
リディルの瞳は掛け値なしの本気を映して、シェイラを真正面から射抜いている。彼女の言葉がその場のノリで発されたものではなく、ずっと前から密かに決意をして、声に出すタイミングを測っていただけだということは、その表情と姿勢からも明らかだった。
少しだけ視線を落として考えて……しかし、思った以上にシェイラの気持ちははっきりしていた。
顔を上げ、改めて、シェイラはリディルを見つめ返す。
「正直に申し上げますと、今、嬉しい気持ちと寂しい気持ちが半々くらいあります」
「と、仰いますと?」
「嬉しいのはもちろん、リディル様のお気持ちです。この先も共にと望んでくださったことは、本当に嬉しく思いますから」
「では何故、寂しいなどと……」
「それは……カレルドの祖父から受けた〝大恩〟のため、リディル様が私と仲良くして、この〝先〟まで望んでくださっているのなら、結局それは祖父への恩返しであって、私個人が結んだ絆ではないような気がするのです。もしもアーネスト家のご先祖様が恩を受けた相手が祖父でなかったら、リディル様とはこんな風に親しくできなかったのかもしれない、と」
「そんなことは――」
「ですから、」
一度言葉を切り、シェイラは心からの笑みをリディルへと向けた。
「側室を下がった後は王宮勤めをしたいというリディル様のご希望は、一旦、私の方で預からせてください。そしてこの先は、カレルドの祖父の〝大恩〟とは関わりなく、ただの〝シェイラ・カレルド〟を見て頂きたいのです。その結果、それでもお気持ちが変わらなかったなら――そのときは喜んで、リディル様の申し出を受けたいと思います」
「……いくらアーネストが恩義を重んじる家とは申せ、恩人の孫というだけで、無条件に人生を捧げることはありませんよ。シェイラ様の人柄を拝見し、惚れ込んだからに決まっているではありませんか」
「残念ながら現段階では、私が私のことを、リディル様に人生捧げて頂くほどできた人間だと思えないのです。……これまでリディル様のお心とお気遣いに気付けなかったことも、大事な話を打ち明けないまま過ごしてきたことも、全部ひっくるめて」
「私は気にしてないのですが……変なところで自信のないシェイラ様らしいお言葉ですね」
リディルも笑って、肩を竦めた。
「ま、預かって頂いて構いませんよ。どれだけシェイラ様を間近で拝見しようと決意が揺らがないことは、私自身がよーく分かっておりますから。実質、後宮解体後の就職先を得たようなものだと思っておきます」
「リディル様こそ、らしいお言葉ですよ。……お気持ちは、嬉しいです。本当に」
「そう仰って頂けて、安堵しました」
互いの言葉に、自然と笑いが溢れる。自然な笑顔で、シェイラはリディルと笑い合った。
昨夜、ジュークに言われた「自信は経験の積み重ね」というクレスター伯爵デュアリスの言葉が脳裏を過ぎる。こうして誰かと心を交わすことも、一つ一つ重ねることで、確かな〝何か〟に繋がるのだろうか。――だとしたら、自信以上に、その〝何か〟こそ掴みたい。
すっかり冷め切ったお茶を淹れ直すべく立ち上がりながら、リディルは少し、真剣な顔になった。
「しかし、シェイラ様が今、実質的な正妃候補として動かれているとなると……ナーシャ様のご体調については、ご友人に対する心配以上に、後宮の問題として捉えねばなりませんね。ご正妃様は、後宮の管理者でもあるわけですから」
「その通りなのですが……あの、リディル様。ナーシャ様の体調について、昨日あれから、ご本人や侍女方から、何かお話は聞けましたか?」
「いいえ、特に何も。マグノム夫人が退室されてからも、『大丈夫だから医者は呼ばないで』の一点張りで。侍女たちもナーシャ様の意向を汲んでか、何も言わずでした」
「そう、ですか」
リディルにすら口を閉し、しかし医者は拒絶する。この状況から推測するに、ナーシャはおそらく、もう――。
「あの、シェイラ様。シェイラ様は、ナーシャ様の体調について、何かご存知なのですよね?」
不意に低くなったリディルの声に何かを感じ、シェイラはぐっと顔を上げる。
「そう仰るリディル様も……何かを察していらっしゃるように、お見受けします」
「……あまりに荒唐無稽な〝推察〟に過ぎませんわ。男子禁制のこの後宮では、決してあり得ぬことです」
「……」
無表情のまま、無言で、ただ静かな視線だけを返す。……荒唐無稽な〝推察〟に対するその反応は、何よりも雄弁な肯定の証だ。
シェイラの様子から〝真相〟を察したリディルの方が、大きく目を見開いて息を吸い、驚愕の心情を表情に乗せた。
「ま、さか、そんなことが」
「確かな筋からの情報ですわ。……念のため、何故そう考えられたのか、お伺いしても?」
「それほど、大したことでは……。私は弟妹が多く、末の妹とは歳も離れております。――その、末の妹を身籠っていたときの母と今のナーシャ様が、ところどころ似ているように感じたものですから」
「なるほど……」
実際に妊婦を間近で見ていた経験があるリディルだからこそ、ナーシャの体調から懐妊の事実を思いついたのだろう。
つまり、それは。同じような経験を持つ側室、侍女、女官が今のナーシャを見れば、それだけ事実が明るみに出る危険性が増すということ。……隠し通すにはやはり、ナーシャに近い場所で隠蔽に協力してくれる、絶対的な味方がどうしても必要になる。
――真っ直ぐに、強い決意で、シェイラは目の前のリディルを見た。
「リディル様。どうか、お力をお貸し願えませんか」
「シェイラ様……」
「今はまだ、私たちも、ナーシャ様がご懐妊なさっているということしか分かりません。お子の父君がどなたで、どういった状況下で身籠り……ナーシャ様が、この先をどう望まれているのか。――何一つ分からない中、唯一確かなことは、ナーシャ様をお守りしたい、お救いしたいという自分たちの心一つなのです」
「――はい」
シェイラに応えるように、リディルも強く頷いて。
「もとより、ナーシャ様のご様子については、私が最初に言い出したこと。想定外の状況であるからといって、尻尾を巻いて逃げるような真似は致しません。――ましてや、大切なお友だちであるナーシャ様のことなのですもの。お救いしたい気持ちは、シェイラ様、皆様方と同じです」
「では――」
「むしろ、お仲間に加えてくださいと、私の方からシェイラ様にお願いせねばなりません。ナーシャ様のため、力は惜しみたくありませんから」
「リディル様……ありがとうございます」
「とんでもない。――こちらこそ、今後とも、どうぞよろしくお願い致します」
ホッとして笑顔を交わしたが、事態は一刻の猶予もない。
そうと決まれば、とリディルはティーカップをカツンと置いた。
「この先どう動くにしても、まずは詳しい状況を把握するところから始めませんとね」
「えぇ。そのためにはどうしても、ご本人からお話を伺う必要があります。……お医者様を拒絶しているナーシャ様には、申し訳のないことですが」
「あれほど必死に、頑なな姿勢を崩されないということは……ナーシャ様は、ご自身の状態について、ある程度確信を得ていらっしゃる可能性が高いですものね。――確信を得た上で、隠し通そうとしておいでなのでしょう」
シェイラと同じことに、リディルも気が付いていたようだ。……そう。ナーシャが頑なに医者を拒否するのは、専門家に診察されたら自身の状態が白日の元に晒されると恐れているからに他ならない。たった一人で、誰にも告げず、彼女は事実を隠し通すつもりなのだ。
シェイラは、ふぅと息を吐いた。
「今はそれで良くても……この先順調にお子が育てば、いつまでもこのままで居られないことは、ナーシャ様とてお分かりのはずですのに。どうなさるおつもりなのでしょう?」
「それも含めて、お尋ねしてみなければ分かりませんわね。ナーシャ様とお話しして……私たちを味方と信じ、心を開いてくだされば良いのですが」
「昨日のご様子では、ご自身だけで抱えるしかないと思い込んでしまっておいでのようにも見えましたものね……」
「いずれにせよ、話してみなければ始まらないことは確かですわ。――早速、今日の午後にでも、お見舞いにお訪ねするのはいかがでしょう?」
「そうですね。ご一緒して頂けますか?」
「当然ですわ」
味方となってくれたリディルは、今まで以上に頼もしい。
新たな仲間と手を携え、シェイラは決意を新たにするのであった。
前にどこかでちらっと書いていたリディルさんのご事情は、概ねこんな感じでした! シェイラの実家カレルド男爵家は、叔父さんがイレギュラーなだけで、基本的に有能な方々なのですよね……シェイラ込みで。
来週はシェイラを一回休みにして、別視点からお届けします。




