帰宮
11月に入りましたね。
スタンザ編、引き続きよろしくお願いします!
――二日ぶりの皇宮殿は、見るからに落ち着きなくざわめいていた。
《地方においでの皇子殿下方への知らせは済んだのか!?》
《キズーニャへの調査隊の編成は?》
《役人だけというわけにもいくまい。大学に依頼して、専門家の派遣を……》
上役も下役も関係なく、あちらこちらでバタバタと官人たちが行き交い、忙しなく言葉を交わし合っている。皇族であるはずのエクシーガの帰宮すら、ほとんど認識されない慌ただしさだ。
とはいえ、ラーズへの出立そのものがお忍びに近かったエクシーガは、別に帰って来るときも大袈裟な迎えは望んでいなかったらしく、揃いのローブを纏って女官に成り済ましたディアナとリタを連れ、スタスタと皇宮殿の内部を抜け、一直線に後宮を目指してくれた。――お陰で、慌しく立ち働く官たちに紛れ、コソコソ噂話に花を咲かせるだけの上流階級な皆様方の様子も、しっかりばっちり観察することができる。
《しかし、真の話なのかのぅ?》
《キズーニャの駐在役も確認したらしいが……》
《あのような不毛の土地に、まさか》
《巨大な、鉄の山があったなど――》
本人たちはヒソヒソ話のつもりなのだろうが、興奮しすぎて声のトーンが高くなっているため、まるでヒソヒソしていない。普通に歩いているだけのディアナが、特に耳を澄まさずとも聞き取れる。
《俄には信じられぬ話ではないか?》
《だが、実際に鉄の岩が掘り出されたと》
《本当ならば我が国にとってこの上ない朗報であるが……納得いかぬ》
《ああ、まったく。そのような重大な発見を、身分も名もなき一兵卒が成し遂げるとは》
(どうやら、情報はある程度正確に伝わっているようね)
分かり易く噂してくれていた上流階級のおじ様方は、大忙しの官人たちにとっては邪魔この上ないだろうが(事実、彼らの横を通り過ぎる官人たちの表情は、一様に「噂話なら他所でやれ」と語っていた)、ディアナにとってはスタンザ宮廷内の情報精度を測るにちょうど良い標本だ。作戦を立てたは良いものの、不確定要素も多い中で上手くハマるかどうかは賭けのような部分もあったため、こうして順調に狙い通りコトが進んでいる様を実況してもらえるのは実にありがたい。
――噂話に夢中な方々の横を通り過ぎ、皇宮殿の奥へ奥へと進んで、ようやく後宮前の門へと辿り着いた。……毎回思うことながら、スタンザの宮殿は、外も内も無駄に広い。エルグランド王国の城もバカみたいに広いと常々感じていたが、何事も、上には上がいるものだ。
《……では、姫。私どもは、これにて失礼致します》
《はい、殿下。送って頂き、ありがとうございました》
いつもの挨拶を交わし、去りゆくエクシーガを見送って、ディアナは奥から出てきた女官に導かれて、後宮の中へと入る。
屋内に入り、ちょっとした控え室のようなスペースへ差し掛かったところで、連絡を受けて待っていたらしいミアとユーリが近付いてきた。
「ディアナ様、お帰りなさいませ」
「ご無事のお戻りを、アメノス神に感謝致します」
「ただいま帰りました。ミア、ユーリ、出迎えありがとう」
ふわりと微笑み、言葉よりも表情で〝大丈夫〟なことを伝える。ディアナの痩せ我慢な笑顔を見抜いてくれる二人なら、心から笑っている今も、同じように伝わるはずだと信じて。
その判断は正しかったようで、ディアナの微笑みを見た二人は、心底の安堵を瞳に乗せて頷いた。
「お疲れでしょう、ディアナ様。お部屋にお茶と軽食を用意してございます」
「皆も、部屋に揃っておりますよ。少し時間は過ぎましたが、お昼に致しましょう」
確かに、時間で言えば昼食よりもお茶が相応しくはあるが、午前中にラーズを出発してから昼食抜きで馬車を走らせてきたため、お腹はそこそこ空いている。ここは皆の厚意に甘えるべきだろう。
――堂々と回廊を渡り(ローブを着たままなので、すれ違う後宮の住人から奇異の目を向けられはしたが、いつものことである)、二日ぶりの与えられた部屋へと入ると、待ち構えていたルリィ、アイナ、ロザリーに抱きつかんばかりの勢いで囲まれた。
「ディアナ様!」
「よくぞご無事で……本当に、ようございました」
「ミアさんからお話を伺ったときは、どうなることかと……」
……どうやら自分で思っていた以上に、皆には心配をかけていたらしい。ラーズへ出立する前のディアナは、自分でも分かるくらいに落ちていたわけだから、そんな状態でリタ一人だけをおともに遠出する羽目になって、侍女たちが心配しないわけもないのは自明の理だが。
「……いろいろ、心配をかけてごめんなさい。たくさん気遣ってくれて、本当にありがとう」
……白状すると、ラーズへ出発する前のディアナには、そうやって皆の気持ちを慮るだけの余裕がまるでなかった。自分の感情に振り回されて周囲への思い遣りを忘れるなんて、割と真面目に貴族失格案件である。
ディアナの謝罪に、ミア、ユーリと、部屋で待っていた三人は、揃って首を横に振った。
「よろしいのですよ、ディアナ様。こうしてご無事なお姿を拝見することができたのですから」
「主を気遣うは、侍女の務め。ディアナ様が負い目を感じられることではございません」
「ミアさんとユーリさんの仰るとおりです。私たちは、好きでディアナ様を心配しているんですから」
優しく温かい言葉に、ディアナは自分で考えていた以上にほっとして、無言でもう一度頭を下げた。
ここはスタンザ帝国で、油断のならない状況が続いていることは間違いないのに、こうして皆の顔を見て、言葉を交わすことで、自分でも驚くほどに気持ちが安定していくのが分かる。
(……もしかしたら、人にとっての故郷は、生まれ育った土地だけを指すんじゃなくて。心を交わし、信頼した〝人〟そのものが、帰りたい〝場所〟になるのかもしれない。たとえ赤子の頃から慣れ親しんだ場所であったとしても、待っていてくれる誰かがいなければ、その場所への愛着はぐっと薄れてしまうのでしょうね)
なんとなくそんなことを考えて、改めて皆への感謝を告げようとした、そのとき。
「――あ。ディー、無事に着いたんだね」
奥の使用人用の続き部屋から、侍女仕様になったカイが常と変わらぬ様子で姿を見せた。
近付いてくるカイに、ディアナも笑う。
「あなたもね、カイ。いつ頃こっちに着いたの?」
「イフターヌに着いたのは昼過ぎだったかな」
「そっか……。やっぱり単騎だと早いわね」
「道中だけはね。イフターヌに着いた後、貸し馬屋に馬を返して、怪しまれないように注意しながら皇宮殿に忍び込んで、ってやってたから、後宮に辿り着くまでにちょっと時間はかかったけど」
「そうなんだ?」
「人が大勢行き交ってるこんな時間じゃね。夜に屋根の上走るのとはワケが違うし」
「……それでも、誰にも気付かれずにこのお部屋まで到達されるのですから、大したものです」
ユーリの感想に、これまた王宮組が一斉に頷く。言われた張本人は苦笑気味だ。
「さすがに、これだけ人目があると気配消すだけじゃ無理だから、父さんから預かった呪符を使っての強行突破だよ。ズルみたいなモノだし、あんまり高評価されても困る」
「呪符だって、立派なカイの技の一つでしょう? そこまで謙遜することもないと思うけど」
「そうなんだけどさ。霊術関連はずっと〝禁じ手〟扱いだったから、同じ霊力者相手ならともかく、一般の人相手に使うのはどうも気が引けちゃうんだよねぇ」
軽い態度とは裏腹に、職人気質なカイらしい言葉だ。カイの返事は何となく分かっていたので、ディアナもそれ以上は突っ込まずに笑って流した。
……自分たちの会話を静かに見守る留守番組の視線を、痛いほどに感じながら。
(……何となく思ってたけど、ひょっとしなくても私の気持ちって、皆にバレバレってやつかしら?)
冷静になって考えれば、カイと離れたままラーズへと向かったディアナを案じた王宮組が打った一手が、皇宮殿への抗議でもなければ自ら追いかけるでもなく、〝カイに知らせてラーズへ向かわせる〟一択だった時点で、八割方バレているのは確定のようなものだ。だからこそ、こうして後宮で顔を合わせた自分たちの様子が気になるのだろう。
つまり、己の恋心に無自覚だったうちから、ディアナの想いは周囲へ分かり易くダダ漏れだったわけで……改めてそう認識すると、とてつもなく恥ずかしい。
「ディー?」
思考の淵に沈みそうになった絶妙のタイミングで、カイが名を呼んでくれる。静かに一度呼吸して、ディアナはぐるりと周囲を見回した。
「――ひとまず、着替えてくるわ。スタンザの伝統衣装、軽くて動き易いのは助かるけれど、やっぱりちょっと心許ないのよね」
「あ……、畏まりました。リタも着替えますよね?」
「そうですね。私はディアナ様ほど、露出過多ではありませんが。慣れ親しんだ衣服でないと、普段の調子が出ないのは確かです」
「では――アイナ、ロザリー。ディアナ様のお召し替えを」
「承知致しました」
ユーリの指示で、アイナとロザリーが進み出る。寝室へと促され、歩き出そうとして……ディアナは少しだけ、足を止めた。
「ミア。――皆も」
「――はい。どうなさいました、ディアナ様?」
「……後できちんとお礼はするけれど、まずは言葉だけ、言いたくて。――ありがとう、カイに知らせてくれて」
「ディアナ様……!」
ミアの瞳が見開かれ、驚きと、それ以上の喜びに満ちる。ユーリとルリィが視線を交わし、アイナとロザリーが手を取り合ったのが分かった。
使用人用の控え室へ入ろうとしていたリタが、ゆっくりと振り返る。
「私からも、皆様に心からの感謝を。……本当にありがとうございます」
「リタ……」
「超絶ファインプレーだったよね。あの手紙がなきゃ、さすがにディーがラーズに居るなんて分かりっこなかったし。――真面目に助かったよ」
「カイ……」
「では――!」
きらきらと輝く瞳を向けてきた仲間たちに、ディアナは軽く頷いて。
「詳しいことは、着替えてから話すわね。――わたくしが離れていた間のことも聞きたいし」
「――はいっ」
笑顔の皆に見送られ、ディアナは今度こそ着替えのため、寝室へと引っ込むのであった。
***************
慣れたエルグランド式のドレスに着替え、温かいお茶と軽い食事を楽しんで人心地ついたところで、頭を切り替えて離れていた間の報告に入る。――たった二日の留守ではあったが、スタンザでは一日たりとも気が抜けないことは周知の事実。互いの状況把握は、今後を乗り切るためにも必要不可欠だ。
「我々はいつも通り、スタンザのお嬢様方の〝悪ふざけ〟にお付き合いしつつ、情報を集めつつ、お部屋をお守りしつつ、過ごしておりました」
ディアナ不在の二日間、どのように過ごしていたのかという問いには、代表でユーリが答えてくれる。皆の様子を見る限り心配ないとは思ったが、念のためにとディアナは質問を続けた。
「その〝悪ふざけ〟はどんな感じだった? わたくしが不在になって、エスカレートするようなことにはならなかったかしら?」
「いいえ、特には」
「むしろ、一時期の気合が入ったものに比べれば、楽なものでしたよ。――ねぇ?」
「本当に。毎朝、部屋の前にゴミをちょこっとばら撒かれるくらいで」
「通りすがりにイヤミを言われるようなことも、ほぼありませんでしたし。……まぁそれは、私が聞き取れていないだけかもしれませんが」
王宮組の中で、異言語の才に最も恵まれていたのは、意外にも引っ込み思案なロザリーだった。彼女は、服飾、装飾関連となると人が変わったかの如く饒舌になるものの、その他の場面では非常に大人しい。自分から前に前に出ていく性格ではない分、注意力や集中力に恵まれていたらしく、ロザリーには抜きん出たヒアリングの才能があった。――カイが皇宮殿から離れ、『通詞』の呪符が使えなくなったことで、本人ですら予想だにしなかった才能が開花したようだ。
謙遜するロザリーの背を、アイナが軽く叩く。
「どうしてそこで自信無くしちゃうかなぁ。スタンザ女官からの連絡事項だってほぼ完璧に聞き取れてたんだから、この一週間でロザリーのスタンザ語レベルは格段に上がってるって。ロザリーの耳に聞こえなかったなら、本当にイヤミは言われてないのよ」
「そう、かなぁ……」
「わたくしも、アイナに賛成ね。――ロザリー、エルグランドへ戻ったら、この際だから山向こうの言葉も少しずつ学んでみない? 今回、こうしてスタンザと関わったように、もしかしたら山向こうの国々とも正面きって話すときが来るかもしれないし。異国語に堪能な侍女が内宮にいてくれるのは、未来の正妃殿下や、そのお子様方にとって心強いことだわ」
「ディアナ様……」
ロザリーの頬がほのかに染まる。……そういえば、大人しいのに服飾に関しては絶対に妥協しないロザリーは、人付き合いが苦手な分誤解されることも多かったようで、『紅薔薇の間』付きになるまで上役から褒められたことがほとんどなかったのだったか。そんな彼女にとって、思いがけなく発掘された自身の才を認められることは、望外の喜びなのだろう。
静かに頷いたロザリーに微笑んで、ディアナはぐるりと皆を見回した。
「皆の体調も良いみたいだし、この二日間で食事に毒が混入される、なんて危険もなかったみたいね」
「はい。食事に関しては、ディアナ様に教えて頂いた毒草が混入されていないか、常に気をつけておりましたが。ディアナ様が出立される前と変わらず、ごく普通のお料理でございました」
「ディアナ様がイフターヌを離れられたからか、運ばれる食事の内容は些か質素にはなりましたものの、食事そのものを与えないといった嫌がらせも特になく」
「そう……良かった」
ユーリとルリィの報告に安堵する。聞く限りでは、この二日間、後宮の国使団に目立った被害はなかったようだ。
「――私どものことより、御身を危険に晒されたのはディアナ様でしょう。ラーズでは、皇子殿下に無体を強いられるようなことはございませんでしたか?」
ディアナの言葉が途切れたタイミングで、ずっと黙っていたミアが発言した。どうやら、話を聞きながら質問の機会を窺っていたらしい。
エクシーガに半ば無理やり連れ出される一部始終を見ていたミアだからこそ、この二日間、気が気でなかっただろうことは分かるが……地味に答えにくい問いかけに、ディアナは思わず、背後のリタとカイを振り仰いだ。
ところが何故か、エクシーガとのあれこれを見ていたはずの二人からすら、留守番組と同じく疑問の視線を投げ返され、ディアナは思わず首をこてんと傾けてしまう。
「……どうして二人まで、『さっさと話せ』的な顔なの? あなたたち、大体全部見ていたでしょう?」
「確かに〝大体全部〟拝見しましたが、肝心要の部分に関しては、実のところ詳細を伺ってはおりませんので」
「肝心要の部分? って、どこ?」
「……ディーがリタさんに泣きながら縋り付いてた、その前」
簡潔にして具体的なカイの指定に、留守番組の気配が一気に険呑になる。……そういえば、あのときはエクシーガとの会話で引き摺り出された己の本心への対処だけでいっぱいいっぱいで、どういった流れで恋心云々の話になったのか、きちんと説明してはいなかった。特にリタにしてみれば、エクシーガと二人で出掛けたディアナが前後不覚の状態で泣きながら縋り付いてきたわけだから、結局のところ何があったのかという疑問が燻って当然である。
「ディアナ様が、泣きながらリタに縋り付いて……?」
「やはり、無体を強いられたのですね?」
「事と次第によっては、エルグランドへ報告を入れて――」
「ちょちょ、待って!」
王宮組の雰囲気が怖い。ディアナは慌てて口を挟んだ。
「違うの! その、あのときかなり取り乱したのは、殿下との会話がきっかけではあるけれど、殿下とは直接関係なくて……」
「……では、無体を強いられた訳ではない、と?」
「えぇと……」
改めて、あの朝のヒーリー草原での会話を反芻させる。……途中までは、どちらかといえば政治的な内容だった。
「――まず、殿下が、スタンザ帝国の足元の危うさに気付いた、というお話を始められて」
「はい」
「帝国を維持するためにも、これまでのような強権的な身分制度に固執し、戦で得た富にばかり頼る政ではなく、民を第一に考える国へと転換しなければならない、と仰って」
「ほぉ……」
「殿下のお立場では、どこまで政の中枢に食い込めるかは未知数ではあるけれど、生涯を掛けてスタンザ帝国の変革に取り組む、と宣言なさったの」
「……良いことですね?」
「ディアナ様が混乱される要素、今のところありませんね?」
ロザリーとアイナの相槌に、こくりと首肯して。
「ここで話が終わってくれれば、わたくしもすっきりとした気持ちで、草原の美しさを堪能できたのだけれど。……殿下はそのままの流れで、改めてわたくしに求婚なさったの。皇子妃として、共に歩んでほしい、と」
「な……っ」
「……想定の範囲内ではありましたが、やはりそういうお話でしたか。わざわざイフターヌから、後宮からディアナ様を連れ出された以上、ラーズで一気に勝負をかけるおつもりだろうと、予想はしておりました」
「わたくしも、そういう展開になるだろうなと予想できていたから、冷静にお断り申し上げたのだけれどね。ルリィの言う通り、勝負に出られていただけあって、殿下はなかなか引いてくださらなくて」
……そうだ、思い出した。努めて冷静に、感情を殺して対応しようと、それだけを心掛けていたディアナに焦れたらしく、エクシーガは腕を伸ばしてきて。
避けることは容易だったけれど、ギリギリまで言葉での説得を試みようと、敢えて囲われつつ厳しい言葉で拒絶したのだ。
理路整然と論破したつもりの〝それ〟に、エクシーガが返してきた言葉こそ――。
「……ディアナ様?」
突然黙ってしまったディアナを案じたらしい、ミアの声がする。
どんな風に説明しようか、と考えて、結局、ありのままを告げるしかないという結論に落ち着いた。
「……なかなか、引いてくださらなくて。わたくしを決して愛さないエルグランド王に尽くしても、幸福にはなれないと仰って。それならいっそ、強引に奪ってでもと」
「――っ、」
「……そのくだりは初耳ですね」
「ま、ありそうな展開だけど」
リタとカイの気配まで、一瞬で尖る。一気に物騒になった背後の二人に、ディアナは振り返って微笑んだ。
「ありそうな展開でしょ? だからね、別に驚くことも焦ることもなく、きちんと論理的に殿下をお諌めしたの。――好きだと言いながら、その相手の気持ちを無視して迫るとはどういう了見だ、って。そんな気持ちが〝愛〟だなんて理解できない、ってね」
「……そういうこと、でしたか」
さすがに、年齢一桁の頃からの付き合いであるリタは、状況把握が早かった。納得し、やや呆れ気味に返してくる。
「話は分かりましたが……ディアナ様らしくもない下手を打たれたものです。恋に溺れた殿方が、この世で最も理屈が通じない存在であることは、去年、陛下で散々経験されたはずでしょう」
「それはそうなんだけど。陛下に話が通じなかったのは、クレスターマジックも多分に影響してたかな、とも思ってたから」
「まぁ……確かに」
リタの相槌に苦笑して、ディアナは改めて、まだ頭の上に疑問符を乗っけている面々へと向き直った。
「わたくしは、論理的にお諌めすれば、殿下もご自身の非に気付かれるだろうと考えていたのだけれどね。逆に、殿下のお気持ちを逆撫でしてしまったみたいで……言い返されてしまったの。『相手の心など斟酌する余裕もなく、その存在に身も心も溺れ、ただそのひとだけが欲しくなるのが〝恋〟だ』って」
「あぁ……」
頷く王宮組に、ディアナは静かに、目を伏せて。
「わたくしは……私は、そんな身勝手な気持ちが〝恋〟だなんて、認めたくなくて。相手の気持ちより、幸せより、自分の欲望が先行してしまうこんな感情が〝恋〟なら、いつかは大好きなはずのひとを不幸にしてしまう、って思って。だからしまったのに、逃げたのに、って混乱して。この混じり気のない想いが、凶暴な勢いで相手を襲ってしまう前に――……いっそ、このまま殿下に奪われた方が良いんじゃないか、とまで、一瞬考えた」
「――!!」
背後から伸びた腕が、無言でディアナの肩に触れる。熱いその手に自身の手を重ね、ディアナは一度、深く息を吐いた。
「……でも結局、身勝手な自分にどれだけ絶望したって、我儘な私はこの想いを捨て去る道が選べなくて。気付けば殿下に、『心はあげられない』とか言ってて。――やっと向き合った想いの激しさと深さが怖くて、どこまでも自分本位な想いが苦しくて仕方ないのに、それでもどうしたって、自分から手放すことだけはできなかった」
「……良かったよ。そこで皇子サマの手を取る道選ばれてたら、真面目に俺、何するか分かんなかった」
心底ほっとした様子のカイに、ディアナも黙って頷く。……思い返せば、あのときの精神状態は人生で一、二を争うレベルでヤバかった。
「ディアナ様のお心がどうあっても手に入らないと察された殿下は、それ以上強引には出られず……殿下と別れたディアナ様は、そのまま戻られたわけですね。で、混乱状態のまま、私に泣き縋られたと」
「そんな感じ。――だから、殿下との会話がきっかけではあるけれど、別にあのときの涙は、殿下とは直接関係ないのよ。単に、いつの間にか鎮座していた自分の中の感情を処理し切れなかっただけだから」
「いえ、あの……」
「で、処理し切れなかった感情をリタさんに吐き出しているその瞬間に、駆けつけた俺が居合わせた、と。スゲー、思ってた以上に手紙のタイミングがぴったしだった。手紙届くのがもうちょい遅かったら、あんなドンピシャな場面に立ち会うとか絶対無理だったよ」
「そうですねぇ。私も、ディアナ様が落ち着いてしまった後でカイが来たとしたら、さすがにあのような立ち回りはできませんでした」
「――えっと!」
ずっとうずうずしていたが、ついに黙っていられなくなったらしい。アイナが会話に割り込んだ。
「お話の内容は、よく分かりました。でも、それより何より、ですね? えっと、その、つまり、ディアナ様とカイは……」
「結ばれた、のですよね? きちんと、想いを交わされたのでしょう?」
踏み込んだ質問をしたのはルリィだが、聞きたいことは全員同じであるらしい。固唾を飲んで、ディアナの返答を待っている。
どう答えるべきか、ディアナは少し躊躇って……肩に触れたままのカイを、そっと見上げた。
ディアナの戸惑いを察したらしいカイが、軽く笑って口を開く。
「そうだねぇ。〝結ばれた〟って表現だと微妙だけど、お互いに特別な感情を相手に抱いてるってことを伝え合った、って意味で〝想いを交わした〟ことにはなるのかな」
「そう、ね。……カイは私にとって、唯一無二の特別な男。そう自覚して、自覚したことが伝わって、カイの気持ちも受け取って。怒涛の展開ではあったけど、お互いの気持ちは重なってる、ってことで今は落ち着いてる、かな」
カイと、ディアナの返答に。留守番組は――。
「よか、った……」
「本当に、どうなることかと思いましたが……」
「災転じて……ですね」
「安心しました……」
「おめでとうございます――」
打ち合わせでもしていたのかと思うほど、綺麗に揃って深々と、安堵の息を吐いた。
嬉しそうに表情を綻ばせている五人に、ディアナも笑顔を向ける。
「……皆のおかげよ。側室筆頭というわたくしの立場では、抱くことすら咎められても仕方のない想いなのに。きっと、わたくしが自分の気持ちに気付く前から、分かった上で見守ってくれていたのよね」
「無自覚なのが不思議なほど、ディアナ様の好意は分かり易かったですよ。……ですが、お話を聞いて納得致しました。きっとディアナ様は、自覚したらカイを縛ってしまうと、ずっとご自身のお気持ちに蓋をしていらしたのですね」
「ユーリ……そこまで、分かる?」
「恋心ではありませんが……相手を思えばこそ、自分の気持ちを抑えてしまう心理には、私も覚えがありますので」
ユーリの言葉に、皆もこくこく頷いて。
「ディアナ様らしいですよね。側室筆頭というお立場もありますし」
「でも、ルリィ。今のエルグランドの後宮で、ご側室方が陛下以外の殿方を想われることは、別に禁忌でも何でもない気がするわ。陛下とシェイラ様が相思相愛でいらっしゃる時点で、シェイラ様以外の側室様と陛下が男女の仲になることはあり得ないわけだし」
「『下賜作戦』を実行するのであれば尚更、側室方と想いを交わされている殿方がいらっしゃることは、むしろ喜ばしいわよね……」
「――皆の申す通り、我々が第一に願うことは常に、ディアナ様の幸福です。ディアナ様が想う殿方と手を取り合われる未来を喜びこそすれ、咎める道理はございません」
きっぱりと断言したミアの瞳に迷いはない。王宮女官として以上にミア個人として、彼女は〝ディアナ〟の幸福を優先してくれているのだ。
――ディアナは椅子から立ち上がると、静かにミアに歩み寄り、そっとその手を握って額へと当てた。
「本当に、本当にありがとう、ミア。あなたが、皆が居てくれて……カイに知らせてくれたおかげで、私は〝私〟のまま、帰りつくことができたわ」
「ディアナ様……」
「あなたたちは、私の魂の恩人よ。どんなお礼でも足りないくらい、感謝してる」
「そのような……勿体ないお言葉です」
ミアは、何度も首を横に振る。そんな彼女に微笑んで、ディアナはぐるりと仲間たちを見回した。
「エルグランドへ帰ったら、『下賜作戦』と一緒にカイのことも話すつもり。……『紅薔薇』がどういう形で後宮を去ることになるのか、現段階ではまだ不透明ではあるけれど。この先どうなるにせよ、わたくしは大切な人たちに、大切な気持ちを隠しておきたくないから」
「……それもまた、ディアナ様らしいですね」
「話すまでもなく、皆様、何となく察しておいでかとは思いますが」
「あー、だねぇ」
「常々思いますが、エルグランドの後宮は、〝後宮〟という名称なのがそもそも間違っていますよね。本来の後宮の機能など、ほぼ働いていないのですから」
「ある意味、エルグランド王国らしいんじゃない? 実情のグダグタっぷりをきらきらメッキでそれらしく見せて体裁を保つのは、二千年以上前から続く我が国の御家芸みたいなものだもの」
そう言ってディアナが笑ったところで、カイがふと視線を外へ向けた。
「……誰か、こっちへ近づいてくる。いつもの伝達役の女官さんかな」
「皇宮殿中が浮き立つこのタイミングで、外との伝達を任されている女官が来る、ってことは……」
全員の表情が改まる。――密かに進めてきた『下賜作戦』の大詰めを察して。
果たして、女官が運んできた〝外〟からの知らせには。
『明後日には帰国されるエルグランド王国国使団の方々を見送るべく、今宵、宴を催すこととなった。とある兵士が発見した鉄山の祝いも兼ねているため、異例ではあるが皇宮殿の大広間にて行う。急ではあるが、今宵、月が昇る頃、案内の者に従って皇宮殿の大広間までおいで願いたい――』
狙い通りの文面に、ディアナの唇は思わず、鮮やかな弧を描く。
《もちろん、喜んでお招きに預かります、とお伝えくださいませ》
知らせを運んできた女官に快諾を返し、ここまで来れば後は事の行方を見守るだけだと、ディアナは静かに瞳を閉じるのであった。
スタンザ編、新キャラをたくさん登場させられたのも楽しかったですが、『紅薔薇の間』の面々を掘り下げられたのが、個人的には嬉しかったです。
さて、いよいよ来週、物語が大きく動きます。




