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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
179/235

運命の〝修正〟

先の4日間の連続更新にお付き合いくださり、感想&ポイント評価くださった皆様、本当にありがとうございました!

スタンザ編、後半戦もよろしくお願い致します!


 ――ずっと、暗い暗い洞窟の中を歩いているような感覚だった。


「どうした? ……そなた、こんなところで何をしている?」


 ……あの日、あなたという〝光〟に出会うまでは。



 ***************



 貧しい家に生まれ落ちた者は死ぬまで貧しく、墜ちることはままあれど這い上がることは余程の幸運に恵まれなければ有り得ない。それが、このスタンザという国だ。

 サンバはそんなスタンザ帝国の、かろうじて平民身分ではあるけれど暮らし向きは貧民たちとそう変わらない、貧しい家庭の三男坊に生まれた。スタンザ帝国、それも多種多様な民が住まう皇都イフターヌともなれば、サンバの生家のような家は特に珍しくもなく、物心ついたときから両親や兄姉の手伝いをしながら、彼はごくありふれた少年時代を過ごしていたのである。

 ――ただ、一つ。サンバの家にあって他の家にはなかった特筆すべき点は、そう広くはない家の一室を占める、夥しい量の書物であった。手が届く場所に書物があれば、幼子は当然興味を示す。一線を退いた祖父母に読み書きを教わりながら、サンバは暇を見つけては書物を片端から読み漁り。

 そして、知った。――自身のルーツを。


 遡ること百二十年ほど前、サンバの直系の先祖はイフターヌより遥か南にあった小国の王族であった。長年スタンザ帝国と戦を繰り返し、敗北が見えているにも拘らず苦しむ民に鞭打つ王家に見切りをつけたサンバの祖先は、娶ったばかりの妻と下野を選択する。彼が市井に降りて十数年後、スタンザ帝国との戦は決着。最後まで抵抗を続けた王家は生まれたばかりの赤子に至るまで皆殺しにされ、民たちのほとんどはスタンザ帝国が属国に課した税を払えず奴隷とされた。……サンバの祖先が平民身分でいられたのは、腐ってももと王族として、それなりの蓄えがあったからに過ぎない。

 いくら下野してそれなりの時間が経っているとはいえ、最後の最後まで抗った国の王族を、スタンザ帝国がそう簡単に見逃してくれるとは思えない。サンバの先祖はしばらくの間、小国の隅の方で隠れるように暮らし、数十年の長い時間をかけて、じわじわとイフターヌまで出てきた。

 その理由は、ただ一つ――もと王族として、国の最期を看取った一族の責務として、かつての民たち、その子孫たちを守り、救う術を模索するためだ。

 そもそも、下野した先祖の(こころざし)こそが、「戦と貧しさに喘ぐ民を救うには、王族として高みに立っていてはいけない。民と同じ場所で、同じ目線で世界を見なければ、本当に彼らが必要とするものは見えてこない」というものだった。それは代々、サンバの生家の家訓となって受け継がれ、時間はかかろうとも必ず民をこの苦境から救い出すことを、サンバの先祖は誓い続けてきたのである。


 幼い頃、最初にその一節を読んだ際は「うちって昔は王族だったのか」程度の認識だった(それだけでも結構な衝撃ではあったが)サンバも、長ずるに従い、何度も同じ書物を読み返す中で、先祖の志を――民を守り切れなかった無念を理解できるようになる。そう広くない家の一室が書物で埋まっているのは、家族が今も先祖の意思を継いでいる証であることも。たとえ自分たちが道半ばで斃れたとしても、故国の歴史を、民たちの記録を、先祖と自分たちが歩んだ足跡を……それらの知識を記した書物を遺し、繋ぐ限り、志が途切れることはないのだから。

 幸いにして、サンバはとても頭の回転の速い子どもだった。勉強もよくできたし、何よりしばらく人を観察すれば、その人が今何を望んでいるか、何をすれば喜ばれるか、どこに手が足りていないのかなどを判別できる、観察眼に恵まれていた。己の特技を遺憾なく発揮し、サンバはできるだけ金持ちで身分高い者に気に入られるよう立ち回り――成人前に、後継のいない旧家の養子に迎えられることとなる。家族は驚いたが、サンバは「先祖の意志を継いで、忘れないだけじゃ意味がない。そこそこに立ち回れる僕が少しでも高い身分を得て、(まつりごと)に意見できる地位まで出世すれば、属国出身の民たちの待遇改善の道が開ける」と決意を告げ、生まれ育った生家を後にした。

 ――しかし、現実はいつだって、考えている以上に厳しい。サンバが養子に入った家は、歴史こそ古いもののここ数代に渡って政争からは距離を置いており、皇宮殿で働く政務官になりたいという彼の希望を叶えるだけの力がなかった。サンバの頭脳明晰さを見込んでいた養父母は、(まつりごと)などという人間の醜い側面ばかりが目につく世界より、学問の世界で身を立てる道を彼に勧め、サンバは大学へ入ることとなる。

 とはいえ、政務官となって出世することを目標に掲げてきたサンバに、大学で取り立てて学びたい分野があるはずもなく。持ち前の立ち回り能力の高さで教授たちには可愛がってもらったものの、生家の身分の低さ、大した研究成果もないことなどから、同輩たちからは蔑まれ、嫌がらせなどは日常茶飯事。

 そう。……あの日も、そんな日常の一つとして過ぎるはずだった。あんな建物の陰の、滅多に人が通らない場所に、彼が気まぐれで通り掛からなければ。


「どうした? ……そなた、こんなところで何をしている?」


 少し目を離した隙に研究用の服をドロドロに汚され、仕方なく空き時間に洗濯して邪魔にならない建物の陰に干していたところに、突然掛けられた声。背を向けていても分かる、生まれながらに下の者と接することに慣れた声音と口調に、サンバは考えるより先に跪いていた。


「お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ございません。……少々不手際があり、研究用の衣服が汚れてしまいまして」

「そなた、見たところ下働きではなく、研究員か学徒であろう。洗濯など、そなたがせずとも良いのではないか?」

「いえ。研究員と申しましても、私は浅学非才の身ゆえ、教授方のお手伝いくらいしかできることがございません。ならばせめて、己にできることでお役に立ちたいのです」

「そうか……」


 呟いた声の主は、次の瞬間、ふっと空気を緩ませて。


「浅学非才と言ったが、そなたの洗濯の腕は確かなようだ。一つでも才があれば、〝非才〟の言葉は似つかわしくないな。――他人(ひと)から何を言われようと、己で己を卑下してはならぬ」


 穏やかな声で、優しい音で、強く気高い言葉をくれた。望みが絶たれたからと不貞腐れ、大学の片隅で燻っていたサンバの目を開かせてくれたのだ。

 不敬だとは思いつつ顔を上げ、サンバは去りゆく彼の後ろ姿を目に焼き付けた。衣服から、立ち居振る舞いから察するに、彼はおそらく雲の上の人だ。もう二度と会うことはなくとも、スタンザ帝国の高貴な人がサンバを見つけ、声を掛けてくれた事実に勇気が湧く。過酷な現実にもう一度立ち向かう、力となる。

 敬意と、感謝を込めて。サンバは名も知らぬ高貴な人を見送った。




 ……まさかその数日後、これまで全く関わりのなかった学術棟から呼び出しを受け、引き合わされた若き特別研究員、エクシーガ・アサー・スタンザウム――スタンザ帝国第十八皇子の助手兼侍従に任命されるなど、そのときは露ほども思わずに。



 ***************



 ――エクシーガがずぶ濡れになって帰ってきたとき、サンバは明日の宴の準備に追われているところだった。関係各所に伝達を出し、招待客の返事から出席者の最終リストをまとめ、料理について厨房と何度目かの意見交換を行う。

 そんなてんやわんやな状況の中、よりにもよって主が上から下までぐっしょり濡れて帰ってきたのだから、サンバでなくても度肝を抜かれるのは当たり前だ。エクシーガの姿を見た瞬間、サンバは思わず、開かれたバルコニーから外の天気を確認した。忙し過ぎて突然の大雨を見逃していたのかと思ったからだが、そろそろ夕暮れの色となりそうな空は変わらず、スタンザ帝国らしくぴかぴかに晴れていて。


「殿下……!? どうなさったんです、こんなに濡れて」

「大したことではない。池に落ちただけだ」

「落ちた〝だけ〟って……」


 確かに、ここラーズはスタンザの他地域に比べて水源も多いため、川や池、湖も豊富だ。しかしそれはあくまでも他地域に比べての話であって、普通に馬を走らせていてうっかり落ちるほど、水場がありふれているわけでもない。

 サンバは執務室を訪れていた業者や厨房責任者に一旦席を外してもらい、ひとまずエクシーガを浴場へ放り込んだ。通常、皇族ともなれば湯を浴びる際、身体や髪を洗ったり、湯を共にして癒しとなる慰女(なぐさめ)が数人は付き従うものだが、エクシーガはそういった慣習を嫌い、いつも一人で浴場を使っている。スタンザの皇族としては異色ながら、エクシーガは身の回りの世話を焼かれることを、殊の外厭うところがあった。

 エクシーガが湯を使っている間に、サンバは厨房から湯を貰ってお茶を淹れる。エルグランド王国でもらったいくつかのブレンドティーをエクシーガはとても気に入って、最近はスタンザのお茶よりエルグランドのお茶をよく飲んでいた。


「サンバ」

「上がられましたか、殿下。こちらへどうぞ」


 浴場から出てきたエクシーガに、お茶の入った器を渡す。スタンザの茶器に入ったエルグランドのお茶を、彼はしばらくじっと見つめると、次の瞬間まるで酒を呷るように一気に飲み干した。……繊細なエルグランドのお茶を、味もろくに分からないような飲み方で飲むエクシーガは、はっきり言って尋常ではない。ずぶ濡れで帰ってきたところからして、もともと尋常ではないわけだが。


「……殿下。差し支えなければ、池に落ちた経緯など、お話頂けませんか」

「……お前のことだ。もう、大体のところは予想がついているだろう」

「…………紅薔薇の姫君、ですか?」


 エクシーガの想い人の通り名を挙げると、彼は目に見えて表情を暗くした。


「……姫、は。ディアナ姫の心は、揺らがない。私の想いを、姫が受けてくださる未来は……来ない」

「殿下……」

「国を離れれば……エルグランド王から距離を取れば、盲目的な恋心から解き放たれるだろうと思っていたが。私の見込みが、甘かった。姫のお心は、私が考えていたよりもずっと深く、激しい」


 ――現スタンザ帝の実子という高貴な身に生まれ落ちながら、不遇の半生を送ってきたエクシーガ。そんな彼が生まれて初めて想いを寄せたのは、自国から遠く離れた異国で出逢った、一人の娘だった。太陽の如き黄金の髪に、まるで海原を映し取ったかのような蒼の瞳を宿す美しき姫、ディアナ・クレスター。その顔立ちのキツさから、また生家にまつわる悪い噂の数々から、彼女自身の評判も決して良いとはいえないが(事実、初めて彼女を目の当たりにしたとき、サンバはエクシーガの趣味を一瞬だけ危ぶんだ)、きちんと見れば彼女が噂されているような〝悪女〟ではなく、聡明で心の優しい娘だと分かる。エクシーガが彼女に心を奪われたことは早い段階から察していたサンバだが、何せ相手はエルグランド王の側室筆頭にして、第一の寵姫と名高い姫君。エクシーガの相手としては申し分ないどころか願ってもない娘ではあるが、進展するのは難しいだろう……と思っていたところ、実はエルグランド王が真に愛しているのはディアナではなく、身分低い一人の側室であることが判明した。

 その事実に、エクシーガはサンバが考えていた以上の嫌悪感と怒りを見せた。高貴な身分の人々にとって、婚姻関係と愛情を切り離すことは珍しいことでも何でもない。スタンザ帝国ではもちろんのこと、聞いた限りではエルグランド王国でもそうだ。……それでもエクシーガがあれほど感情的になるのは、そういった高貴な者の身勝手で振り回され、儚くなった母のことがあるからだろう。

 ――そう。下の身分の者など同じ人間とすら思わず、己の欲望の捌け口にして悪びれすらしないスタンザの特権階級の中にあって、エクシーガは本当に稀な、身分問わず相手を〝人〟として思い遣れる人だった。さすがに貧民や奴隷にまで身分が下ってしまうと、あまりに馴染みがないゆえ〝身分制度における最下層民〟としか思えず、彼らの境遇に思いを馳せるなんてことには思い至らないようだけれど、少なくとも平民身分を〝人〟として見る目があるだけ、他よりは圧倒的に見所があるし、伸び代もある。

 生まれついての〝皇族〟という身分ゆえ、どうしたって無意識の傲慢さはちらつくけれど、それでもエクシーガほど民に寄り添う皇族は居ない。最初にエクシーガと言葉を交わしたときに抱いた敬意は、助手として、侍従として彼に付き従ううち、サンバの中でどんどん、どんどん大きくなった。


 ――この方ならば、スタンザ帝国の旧態依然とした身分制度を撤廃し、真に民が幸福になる国を創ってくださるのではないか。

 ――この方が、皇帝陛下となれば。百年以上継いできた先祖の志を、果たすことができるのではないか。


 ……いつしかそう思い、願い、実現に向けて密かに動き出すほどに。


「……諦められるのは、まだ早いでしょう。姫が殿下につれない態度でいらっしゃることなど、今に始まった話ではありませんよ」

「傷口に塩を塗り込むな……。私とて、最初はそう思っていた。だが……」

「……何か、決定打となるようなことでも?」

「姫の……あの、全ての希望を喪失したかのようなお顔を拝見してしまうと、な。私のものとなるのはそれほどの絶望なのかと、実感せざるを得ない」


 サンバの知るディアナは、エクシーガの求愛に対し、「エルグランド王の側室筆頭として、お受けすることはできない」と、淡々と返答している印象だった。エクシーガ個人が云々というより、お互いの立場からそもそも恋だの愛だのが入り込む余地はないと冷静に割り切っているように見えたからこそ、サンバは(おそらくはエクシーガも)付け入る隙は充分にあると判断したのだ。――理性的な割り切り方をしている人間ほど、一度制御不能の感情に溺れれば、容易くそちらに絡め取られるものだから。

 言い換えれば、ディアナはエルグランド王との関係も、ある程度は理性で割り切っていたことになる。エクシーガは、ディアナを想うからこそエルグランド王の不実に怒り、彼に尽くしているディアナが哀れでならないと憤っていたが、サンバから見たディアナはそれほどエルグランド王に惚れ込んではいなかったのだ。確かに心は通わせているし、お互いに信頼し合ってはいたけれど、あれはどちらかといえば親愛、友愛の情が強い。

 とはいえ、ディアナが自身の感情を恋だと勘違いしている可能性もあるし、一概にエクシーガが的外れとも言い切れないだろう。そう結論づけたからこそ、サンバはエクシーガがディアナを得られるよう、密かに陰から支え続けた。

 ――全ては、エクシーガが帝位を手にする、その布石のために。


 エクシーガが皇帝の座に就くために、最も高い壁はやはり身分だ。母親が名家出身でなく、それどころかそもそも側室ですらなかったエクシーガは、他の皇子たちに比べてスタートラインから遥か後方にずれている。生まれがその生涯を決定づけるのは、スタンザ人なれば誰もが逃れられない業のようなものなのだろう。

 どうにかして、エクシーガに課せられた〝身分〟という壁を払い、ずれたスタート位置を修正したい。そう考え、サンバは密かに立ち回っていた。皇帝がエルグランド王国へ国使派遣を検討しているという話が耳に入った際は、エクシーガの語学の才と近隣諸国に対する見識がずば抜けている事実が、巡り巡って皇帝の耳に入るよう計らいもした。そうして見事、皇族として国使団の代表となり――異国で彼が見初めた姫は、身分、才覚ともに皇妃として遜色ない女性だったのだ。

 クレスター伯爵家はエルグランド王国きっての名門貴族。その令嬢であるディアナは、正妃不在のエルグランド後宮において、正妃代理を恙無く遂行している実績が既にある。スタンザ語を問題なく操るだけの教養があり、(まつりごと)においても自身の立場を自覚して振る舞い、民を思う心映えは伝説の聖女もかくやと言わんばかり。

 ディアナがエクシーガの妃となり、エルグランド王国が後ろ盾となれば、エクシーガの皇宮殿での地位はがらりと変わる。帝位争いにも、充分食い込めるはずだ。……そんな女性を、政略ではなく愛情から、エクシーガは純粋に望んだ。

 ――運命だと、思うだろう。天はエクシーガが皇帝となる未来を望んでいるのだと、そうあるべく世界を動かしているのだと、サンバは確信した。


 そうして、ディアナをスタンザ帝国へと誘い、毎日顔を合わせ……貧民たちにも変わらない慈愛を向けるディアナに影響され、エクシーガの顔つきが日に日に変わっていく様を間近で見て、ますますサンバは確信を深くした。

 ディアナは――エクシーガの〝運命〟だと。

 二人が結ばれることで、スタンザ帝国とエルグランド王国間には姻戚関係と友好が生まれ、エクシーガは帝位が近くなり、ディアナは仮初の恋を捨て、真に愛されることができる。エクシーガとディアナが手を取り合いさえすれば、世界は全て良い方向へ回るのだ。


 そう、信じていたから……ディアナの心境に変化が出てきたとみて勝負を仕掛けたこのタイミングで、逆に完全な〝脈なし〟を突きつけられるのは、サンバにとっても想定外だった。


「……殿下の、思い違いという可能性はございませんか? 姫がはっきり、言葉にして拒絶なさったのですか?」

「そうでなければ、さすがに衝動的に池に飛び込んで、なりふり構わず失恋の痛みに浸ろうとは思わぬよ。……姫ははっきり、仰った。心は捧げられぬ、全ての希望を絶たれ、魂の抜け殻となった身体だけしか、私に渡せるものはないと」


(……どういう、ことだ?)


 あの姫が、エクシーガを躱すためだけに、そんな言い回しをするとは思えない。しばらく見ていて分かったが、彼女はその顔と迫力から周囲に誤解を与えこそしても、自ら言動を偽るような真似はしないのだ。エクシーガを振るためだけに、わざわざエルグランド王に恋をしているような振る舞いはしない……というか、そもそもできないだろう。


(考えられるのは……エルグランド王以外に、想いを寄せる人物がいる?)


 しかし、彼女は側室だ。エルグランドの後宮は、スタンザのそれほど厳格ではないようだが、基本的には男子禁制。エクシーガについてディアナを観察した限り、彼女にエルグランド王以外の男の影は見当たらなかった。

 もしや、側室になるより前に出逢った存在を、ずっと慕い続けているのだろうか。だが彼女の性格上、想いびとがいるのなら、非公式とはいえ王の妻である側室なんて立場は断固として拒絶する気もする。


(いずれにせよ……このまま黙って手を(こまね)いているわけにはいかない)


 ディアナに想いびとがいるにせよ、エクシーガの運命が彼女であることは揺らがないのだ。――もしもディアナがそれに気付かず、他に心を奪われているのなら、それを修正することは彼女のためでもある。今抱えている恋を失うことは辛いだろうが、それは所詮いっときのこと。エクシーガの愛に包まれれば、遠くない未来、こちらの道こそ〝正解〟だったと気付くだろう。


〝天〟のさだめに逆らっても――……誰ひとり、幸福になどなれないのだから。


「――お話は分かりました。そろそろ夕刻でもあることですし、殿下は食事を召し上がって、今日はもうお休みください」

「……サンバ?」

「もしかしたら、紅薔薇の姫君も、突然のことで混乱なさっただけかもしれません。今のお二人に必要なのは、休息と、しばしの冷却時間ですよ」

「いや……どれほど時間を置いたところで、姫の心は私には向かぬよ。サンバの気持ちはありがたいが、直接姫のお顔を拝見した私には分かる」

「……殿下がそうまで仰るのならば、確かなのかもしれませんが。私は常々、世の中に〝絶対〟はないと、そう信じておりますので」

「まったく……相変わらず、お前は私に甘いな」


 エクシーガは素直に、サンバの言葉は失恋した者へのありきたりな励ましだと受け止めたらしいが……生憎、こちらは掛け値なしの本気で言葉を紡いでいる。

 ――エクシーガを私室まで送り、離宮の侍女たちに後を任せて、サンバは執務室へと足早に戻った。その道すがら、すれ違った侍従を捕まえ、別室に待機させていた商人を執務室へ連れてくるよう告げる。

 サンバが執務室へ戻ってから、そう時間を空けずにやって来た商人へ、彼は表面だけにこやかに口を開いた。


「急がせてしまって申し訳ない。実は、明日の宴に必要なものがもう一つ増えたのだが、今から注文しても間に合うだろうか」

「それはそれは、ありがとうございます。とはいえ、珍しいものですと入手に時間がかかる場合もありますが……」

「イフターヌの皇宮殿ではありふれたものなので、それほど珍しくはないと思う。後宮(ハレム)の女人方が愛用していらっしゃる花で――」


(このまま……殿下が紅薔薇の姫を諦めたまま、終わらせてなるものか。お二人はまだ、お互いの〝(まこと)〟に気がついておられないだけなのだ。殿下と姫の運命の糸は、私が必ず、繋いでみせる――!)


 笑顔で商人と言葉を交わしながら、サンバは心中で、強く、固く、誓っていた。


サンバさんに関しては、初登場時からちょくちょく気にされている方がいらっしゃいましたが、陽気なお名前とは裏腹に、重くて熱いお人です。

次回は再び、ディアナ視点に戻ります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] サンバさん…あなたも主に似て現実像を捉えることそのものは鈍くなさそうなのに、願望というエッセンスを最後に加えてしまわれるのですね… エクシーガにとってはいい影響を与えてくれる初恋の女性でも…
[良い点] 「天」がどーたら、などという言葉は自分の価値観を絶対視するための体のいい名目でしょうか。 サンバの過去を読んで、行動原理がスタンザの民を想ってのことならばディアナとの接点があると思っていま…
[一言] …カイが動いちゃうぞ… 下手なことしたら… ディアナの侍女も優秀だから大丈夫だと思いたいけど… ディアナの侍女さま!お願い、破壊神降臨する前になんとかディアナを魔の手から救い出してくれ! や…
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