花が繋ぐ密会
本日より4日間、連続更新を行います。
トップバッターは久々のカイ視点。よろしくお願いします!
洗濯場でアルシオレーネと出会い、ディアナが彼女に力を貸す決意を固めた、スタンザ帝国五日目の夜――。
いつもの黒装束を身に纏い、カイはスタンザの空を駆けていた。
目指す先は言わずもがな――ディアナが力を貸したい、その片割れだ。
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アルシオレーネとの話を終えた後、大急ぎで洗濯を終わらせて部屋へ戻ったディアナは、昼食も忘れる勢いで彼女との会話の一部始終を仲間たちと共有し、レーネとブラッドがどうにかして手を取り合うことはできないか、相談を持ちかけた。ブラッドとの会話に同席していたユーリ、ディアナとの付き合いが誰よりも長いリタは、概ねこの展開を予想していたようだが――だからといって受け入れられるかどうかは別問題だったようだ。
「ディアナ様……それはいくらなんでも、お人好しを通り越してお節介が過ぎるというものです」
リタの返答を皮切りに、『紅薔薇の間』の侍女たちとミアも控えめながらはっきりと反論を述べる。
「昨日、ブラッド殿とお話しされるディアナ様のご様子を拝見しまして、何かとんでもないことをお考えでは……とは感じておりましたが。皇帝陛下のご側室と一兵士の仲立ちなど、どう考えましても国使の職責から逸脱するお振る舞いです」
「毒草混入が急になくなった原因を教えてくださったアルシオレーネ様に、ディアナ様が感謝していらっしゃるお気持ちは分かりますけれど。そのお礼に、好いた殿方とくっつけて差し上げようというのは、いささか親切過多かと」
「スタンザで過ごせる日数も十日を切っているわけですから、時間的にも厳しいですよね」
「現実問題として、私たちに何ができるかという話でもありますし……」
「――私どもは、国使としてスタンザ帝国を訪問しているのです。ユーリが申し上げた通り、そのお役目から逸脱する行為は、何よりディアナ様の御身を危険に晒しますわ。それに……アルシオレーネ様には申し訳ありませんが、お二人の仲立ちをしたところで、ディアナ様にも、エルグランド王国にも、何の利点もありません」
さすが、長年王宮勤めを続けてきたベテランたちは、言葉にも思考にも澱みがない。息をするかの如く自然に、主と国益を第一に考える。公的な立場を最優先に考えれば、アルシオレーネなどに構っていられないという意見は尤もではあるから、カイは口を挟むことなくディアナの次なる言葉を待った。
「みんな、冷たいわね――と言いたいところだけど、普通に考えればみんなの方が正論よね。さすがに、それくらいは分かってる」
全員からの反論を前に、しかしディアナの決意は揺らがなかった。一人ひとりの瞳をしっかりと見返しながら、ゆっくりと、しっかりと、言葉を紡いでいく。
「それでも、わたくしはレーネ様とブラッド殿の仲立ちをするべきだと思う。別にお人好し精神とか、レーネ様に情報を頂いたお礼とかじゃなくて――お二人の未来を切り開くことが、長じてはエルグランド王国の現状打開にも繋がると考えるからよ」
思わぬディアナの言葉。反対していた女性陣はもちろんのこと、カイも密かに驚いて、彼女の表情を伺う。
冗談でも、誤魔化しでもなく。ディアナはその蒼い瞳に強く鋭い光を――英明な『賢者』の輝きを宿していた。
「昨日、アルシオレーネ様からお伺いした、側室の『下賜』制度……使えると、思わない? ――エルグランドの、後宮にも」
「それ、は……武功を挙げた将に、皇帝が側室を妻として下げ渡す制度、でしたか?」
「えぇ。大きな戦がなくなってからは廃れた制度らしいけれど、形としては今も残っているそうよ。ブラッド殿は、この制度に則って、合法的にレーネ様を後宮から救おうとしていらっしゃるわ」
……なんとなく、ディアナの考えが読めてきた。リタも同様らしく、「まさか、」と彼女の唇が動く。
「ディアナ様……まさかとは思いますが、その『下賜』制度とやらを、エルグランドの後宮にも適用なさるおつもりですか? 百年も前に廃れた制度を?」
「制度の詳細が分からないから、文献を当たってきちんと確認してからにはなるだろうけどね。今日の午後はまた大学の視察の予定だし、図書館で制度について調べるくらいの時間は取れると思う。……わたくしの感覚だと、制度によほど致命的な欠陥がない限りは使える気がするの」
「いくら制度に欠陥がなくても、百年以上前に廃れているのですよ?」
「わたくしたちの滞在中に、誰か一人でも『下賜』制度によって側室が嫁ぐことが決まれば、廃れた制度じゃなくなるわ」
力技にも程がある理屈に、全員の口がぽかんと開いた。クレスターの非常識もここに極まれりな暴論に、カイは思わず吹き出す。
「しれっと無茶苦茶言ってる……! 初日にサージャさん庇ったときも思ったけどさ、親切と実利の両取り狙うのって、ひょっとしてクレスターのお家芸だったりする?」
「お家芸……かどうかは知らないけど、どうせ無茶するなら、その無茶一つで最大の益が得られるように考えて無茶しろ、とは言われたことあるわね」
「うっわ、超言いそう。絶対デュアリスさんでしょ、それ」
「大正解。私なんか、お父様に比べれば可愛いものよ」
「デュアリスさんと比べることがまず間違ってるから」
笑いながら突っ込むと、こちらは真顔のリタが、同意を示してか何度も首肯して。
「できれば、デュアリス様の非常識を見習って頂きたくはありませんね。……今のディアナ様のお言葉は、まさしくデュアリス様が乗り移られたかのようでした」
「そこまで変なことを言っているかしら? レーネ様が『下賜』制度を利用してブラッド殿へ降嫁することが決まれば、想い合うお二人がめでたく結ばれて、形骸化していた『下賜』制度に現代の実例が一つできて、それを目の当たりにしたわたくしたちエルグランド国使団が『下賜』の概念を国へ持ち帰っても不自然じゃなくなって――エルグランド後宮を縮小させる絶好のカードが手に入るわ。良いことばかりだと思うのだけれど」
「その最初の前提を実現させる方策がない限り、ディアナ様の仰ることはあくまでも絵空事に過ぎません」
「旺眞の諺で言うところの『絵に描いたモチ』ってやつだね」
「『モチ』って何? 何か高価なもの?」
「お祝い事のとき、特別に食べるものらしいから……たぶん高価なものなんじゃない?」
「へぇ、美味しいのかしら?」
「父さん曰く、『美味いが、毎年、かなりの数の人間を殺している凶器でもある』んだって」
「待って? お祝い用の食べ物なのよね?」
「俺だって実物は見たことないから、これ以上は分かんないよ」
「……ディアナ様、カイ。話がズレています」
冷たいリタの声に、ディアナと二人で我に返り、こほんと一つ咳払いをして。
「――まぁ、ディーの考えは無茶苦茶ではあるけど、一定の筋は通ってるよね。国使団の滞在中に、廃れたはずの『下賜』制度が復活するなんて大イベントがあれば、即座にエルグランド王国まで伝わるのは自然な流れだし。ユーリさんやミアさんの言う通り、スタンザ皇帝の側室と一兵士をくっつけるのはエルグランド国使団の仕事じゃないし、くっつけたことがバレたらイロイロややこしいかもしれないけど、裏でこっそり動く分には問題ないでしょ」
「つまりカイは、ディアナ様のお考えに賛成なのですね?」
「いやコレ、賛成反対以前の話。今まで、ディーがこの調子で無茶なこと言い出して、思い留まったコトないじゃん。俺たち全員から猛反対くらったとしても、ディーの中で未来までの道筋ができちゃってる以上、一人でも絶対アルシオレーネさんとブラッドさんくっつけるために動くって。危険だからって反対して、ディーの無謀な暴走に頭を抱える羽目になるくらいなら、最初からちゃんと策に加わった方が、俺たちの精神衛生的にまだマシだと思わない?」
カイにとって当たり前の事実を告げたところ、ディアナはどこか不服そうな顔になり、残り全員の目からとても分かり易くウロコが落ちた。
「……なんだか私、ものすごく分からずやな、話聞かない人間扱いされてる?」
「――えぇはい、実に妥当な判断ですね」
ディアナとリタの言葉が被る。膨れっ面になったディアナだが、リタ以外の全員も次々と頷き、口々に納得の言葉を述べるのを見て、これ以上の反論は不利と悟ったらしい。少しやさぐれ気味にため息をついた。
「……みんなが分かってくれたなら、良いけど」
「暴論ではあるけど、理屈としては正しいからね。――まぁ、それを正しい理屈にするには、『下賜』制度に則る形でアルシオレーネさんがブラッドさんに降嫁しなきゃなんだけど」
「早い話、ブラッド殿がアルシオレーネ様を賜るに相応しい武功を上げる必要があるわけですよね……?」
「初手から詰んでいる気もしますが……」
「それに関しては――」
――そこから先の話は早かった。もともと、『紅薔薇の間』の侍女たちは一人ひとりが各部屋の責任者を任されていてもおかしくない程度には優秀だし、女官のミアも王宮勤めが長く、加えて幼い頃から領主だった祖父の手伝いをしていたこともあり、並の貴族子弟よりずっと政に精通している。マリス前女官長に騙され、悪事に加担させられた経験も、本人は無意識のようだがより広い視野を彼女に与えていた。そんな王宮組五人に加え、クレスター家に長年支えていることで知らず知らずのうちに柔軟な発想が鍛えられているリタ、思考力と先見の明では他の追随を許さない『賢者』の知恵を受け継ぐディアナと加われば、不可能を可能にする方策など、いくらでも見つけることができる。
昼食返上で考えた策を、午後のイフターヌ視察で大学へ行ったディアナが文献と照らし合わせて実行可能か判断し――少し修正を加えた最終案を持って、カイは今、夜の人となっているわけである。
(皇都警備隊兵士の宿舎は……ここか)
日が暮れた頃、リクに頼んで仕込みは終えている。カイはブラッドの顔を知らないが、ディアナが皇都へ出ているときは大抵空の上から彼女の様子を見守ってくれているリクは、イフターヌでディアナが交流している人間を概ね把握していた。昼間のうちに、警備の仕事をしているブラッドを探して空から追い、宿舎はもちろんブラッドの部屋まで探り当てたリクは、日が暮れて兵士全員が部屋へ戻った頃を見計らい、アルシオレーネの育てている花を等間隔で落として人目につかない庭の死角までの道を示しておいてくれたのだ。――後は、カイが到着する頃合いを見計らって、適当に建物の隙間から侵入しアルシオレーネの花を撒きつつブラッドを起こすだけ。目覚めたとき、寝具に愛する女へ贈った花が散っていて、それが窓の下から奥の庭まで続いていれば……。
「……誰だ、貴様は」
リクが落とした花の終着点、宿舎のどの部屋からも死角となる庭の隅で佇んでいたカイの背後から、物騒な殺気と声が刺さった。忘れようもない花を追った先にいたのが見知らぬ男となれば、まぁ普通はこうなるよなぁと心中だけで苦笑して、カイは自然体で振り向く。
「名乗る前に、一つだけ確認させて。――お兄さんの名前、ブラッドさん、で合ってる?」
「……なるほど。俺を狙って呼び出したのは、間違いないらしいな」
「そうだけど、別にケンカするためじゃないよ」
「呼び出しにシオネを使っておいて、よく言う」
「シオネ?」
「……この花の名だ。知らないのか?」
「知らない。花の名前なんて聞いてないし。俺たちにとってこの花は、アルシオレーネさんが後宮の奥庭で育ててる、マァリとモモノの交雑新種ってとこかな」
背の高い、精悍な顔立ちの男が、月明かりでも分かるほどはっきりと驚愕を表情に乗せた。この闇の中で瞳の色までははっきりと判別できないが、黒髪という特徴はディアナから聞いていた話と一致する。躊躇いなく花の名前を口にしたことから考えても、彼がブラッドで、アルシオレーネのもと許婚なのは確実だろう。
……そうか、この花の名は。
「シオネって名前、もしかしてテバラン博士がつけたの? ――花とともに手の届かない後宮へと去った、大切な娘を偲んで」
「……何者だ、お前。何故、後宮での彼女を知っている。あの場所は、よほどの例外がない限り、皇帝陛下以外の男が足を踏み入れることはできないはずだ」
「そこは、あんまり詮索しないでいてくれると助かるかな。顔立ちで分かると思うけど、俺、この国の人間じゃないんだよね」
「……予想はつく。先頃、スタンザ帝国へいらしたエルグランド国使団の関係者か。しかし、今回来国した国使団の方々は、全員が女性であると聞いている」
「うんまぁ、対外的にはね?」
「対外的……そういうことか。やはりエルグランド王国は、油断ならん」
「そう? ケンカさえふっかけなきゃ、あの国ほど付き合いやすい国もないと思うけど」
「自分の国なのに、まるで他人事のように話すのだな?」
「俺、エルグランド王国に住んではいるけど、どこかの土地に籍があるわけじゃないから。正式なエルグランド人には数えられてないし、国に義理立てする道理もないよ」
「……話が見えん。国に義理立てする道理がないなら何故、国家の顔たる国使団などに同行している?」
ブラッドは兵士ではあるが、元は学者の助手をしていたというだけあって、頭の回転がなかなかに早い。会話がさくさく進むのは、カイとしてもありがたいところだ。
「国には何一つ義理なんてないけどさ――自分の全部かけて守るって誓った女の子が、敵しかいないような国に行かされるってなったら、ついていく以外の選択肢ないでしょ?」
「……っ、つまり、お前は国使団ではなく、その中の一人を守るため、だけに?」
「いやまぁ、あの娘はスタンザへ行った全員が無事にエルグランドへ帰り着くことを第一目標に掲げてるから、彼女を守るってことは必然的に国使団全員を守ることにはなるんだけどさ。でも、極論を言えばそういうことだよね。――俺、あの娘さえ幸福に笑ってくれていれば、その笑顔を誰よりも近くで守れれば、それだけで結構満足できるから」
「……」
「とはいえ、俺の大事なあの娘は、いつだって自分のことはそっちのけで他人の幸せばっかり考えるお人好しでね。周りの幸せ見届けてからじゃないと自分のことは考えられないみたいだから、あの娘自身の幸福を掴むのが、なかなか大変なんだけど」
「…………随分と厄介なお方に捕まったな」
「ホントそれ。――でも、しょうがないよね。この感情って、一度堕ちちゃったらもう手遅れだもん」
実感を込めてしみじみと言うカイを、じっと見つめて。――静かに、深く、ブラッドは笑んだ。
「あぁ……本当に、な。狂気に近いと自覚しながら、それでも焦がれることを止められない」
「スゲー分かる。俺なんか、こんな気持ちになったの初めてだから、普通はどんなもんなのかも分かんなくて、周りから重いだの激しいだのしょっちゅう突っ込まれるし。ま、相手の負担にならないうちはノーカンかなって思ってるけどさ」
「気持ちを手放して、諦めようと思ったことはないのか?」
「不可能だって分かってることに挑戦するほど暇人じゃないよ。そんな無意味なことに時間を費やすくらいなら、負担をかけず傍に居続ける方向に努力した方がマシ。……それも最近は、上手くいってるか怪しいけど」
ディアナの気持ちが、最近ときどき、不安定に揺れる。カイが侍女としてスタンザ帝国へ同行したことで、傍にいる時間は格段に増えた。正確には、これまでも割とカイは長い時間ディアナと共にいたのだが、だいたい気配を消して天井裏に待機していることが多かったので、四六時中顔を合わせているわけではなかったのだ。一日に一度か二度は、ディアナが私室や寝室でくつろいでいるときに部屋へ降りて雑談していたが、逆に言えば直接顔を合わせていたのはその短時間のみだったわけだから、いつもカイの顔が近くにある日々に戸惑っているだけかもしれないけれど。
(リタさんとか、他の人たちが一緒のときは、それほど不安定さは感じないんだよねぇ……。昨日とか、今日とか、俺と二人っきりのときに揺れてる感じ)
カイもディアナと二人きりだと、最近は殊更に、感情を抑えるのが難しくなっている自覚はある。この気持ちは底無し沼に例えられることもあるらしいが、実際に堕ちればその比喩にも納得だ。――沈んでも、沈んでも、愛しい〝想い〟の底が見えない。
己の感情が溢れることで、ディアナを不安定にさせているのなら……この作戦はある意味、ちょうど良いのかもしれなかった。
「……分からんな」
しばらくの沈黙を破り、ブラッドが呟く。
「手の届かない存在まで這い上がるでもなく、諦めるでもなく、狂いそうになるほどの愛おしさを抱えたまま、ただ傍にあり続ける。それも、相手の負担にならないよう、己の感情を押し殺して。……それでお前は、本当に幸福であると言えるのか」
「俺のこと、心配してくれるんだ? 良い人だね、ブラッドさん」
「俺も相当に分不相応な望みを抱いて不可能に挑んでいる自覚はあるが、話を聞く限り、お前には負ける。……生まれながらにあれほど高貴なお方を、ただの女として望む度胸も度量も、俺にはない」
「……俺だってそう思ってたし、そう思おうとしてきたけど、気がついたらあの娘、いつだって上じゃなくてすぐ隣にいてくれるからさ。俺にとってはもうかなり前から、エルグランド王国の偉い人じゃなくて、たった一人の特別な女の子なんだよ」
「確かに、身分の壁を感じさせないお方ではあったな」
「自分の身分と背負う責任を自覚した上で、ごく自然にその壁を取っ払うって、なかなかできることじゃないよね。あの一族が三百年積み重ねてきた、その成果なんだろうけど」
クレスター家がとことん貴族らしくないのに、その一方でどこまでも貴族らしいのは周知の事実だ。カイも最初は戸惑ったし、若かりし頃のソラもデュアリス相手に相当困惑したらしいから、もう筋金入りである。
――そして。
「俺からすれば、アルシオレーネさんだってスタンザ帝国の偉い人なのに、全然偉ぶったところがない人だと思うよ?」
「レーネはもともと、バルルーン家とは何の関係もない、スタンザ帝国の一般民だ。テバラン博士が学位を持っておられるから、平民身分より少しは上位だったかもしれないが、博士ご自身がスタンザの身分制度に懐疑的な方でいらっしゃるからな。バルルーンの養女になったからといって、名門の娘のように振舞うのは躊躇いがあるのだろう」
「さすが、よく分かってるね」
「レーネとは、生まれたときからの付き合いだ。分からない方がおかしい」
「あー、そういやそんなこと言ってたっけ。幼馴染、ってやつ?」
「そうなるな。……だから今、レーネが博士のため、己の全てを捧げているのも分かっている。博士の研究は、いずれ必ずスタンザを救うと、レーネは信じているからな。もちろん、それは俺も同じだが」
「なら、こんなところで兵士なんかしてないで、テバラン博士の手伝いすれば? 元々は助手だったんだし、今の博士は大学の研究者身分なんだから、助手の一人や二人、余裕で雇えるでしょ? 国を救えるほどの研究なら、そっち方面から攻めた方が確実じゃない?」
「……博士の研究は、成果が出るまでに十年、二十年はかかる。それでは先に、皇帝陛下の寿命が尽きるだろう」
「ん? 皇帝の寿命が尽きれば、側室さんたちは自動的に実家へ帰れるんじゃないの?」
「馬鹿を言うな。皇帝陛下がお隠れになった時点で、皇子皇女殿下の母君方はそれぞれの殿下方が授かった離宮へ、御子のいらっしゃらない側室方は更に奥地の離宮へ移動される。……移動ならまだ良い方で、若い側室の中から数名、亡くなった皇帝陛下の夜伽役として選ばれ、共に埋葬される慣例なのだ。レーネは歳若く、後宮に入ってまだ日も浅いからな。もしも今、皇帝陛下に万一のことあらば、夜伽役に選出される可能性は極めて高い」
突然、予想もしていなかった方向からとんでもない話を聞かされ、カイは素で目を丸くした。上流階級の胸糞事案など見慣れているとはいえ、これはその中でもとびきりだ。ディアナが聞いたら言葉を失った後、烈火の如く怒るだろうことは想像に難くない。
「……それは知らなかった。皇帝の年齢考えたら、そりゃ悠長に構えてられないね」
「そういうことだ。手っ取り早く功績を挙げるなら、軍に入って戦へ出るのが一番だろう」
「そのことなんだけどさ。スタンザ帝国って、かなり昔にこの大陸の砂漠付近までだいたい全部統一しちゃって、軍に入ったって大きな武功を挙げる機会自体がほとんどないって聞いたんだけど」
「まぁ……大陸に限っては、そうだな」
「心から忠告しとくけど、武功を焦って単独エルグランド王国に仕掛けるのだけは止めた方が良いよ。あの国がお人好しなのほほん国家なのは、あくまでも外から攻撃を受けてない時だけだから。俺、あの国の偉い人たちがどの程度、外つ国からの攻撃に備えてるのか、細かいところまでは知らないけど……当代の裏守護神みたいな人の雰囲気見る限り、まず負け戦はしないと思う」
「……裏守護神とやらはともかく、お前のような人間を普通に抱えている時点で、よく言われている平和ボケ王国でないことは分かる」
「それはどうも」
どうやらブラッドは、狂おしいほどの想いでアルシオレーネを求めてはいても、だからといって無謀な手に打って出るほど冷静さを失っているわけではなかったようだ。その二面性は別の意味で怖い気もするが、彼が武功を焦るあまり、エルグランド王国へ乗り込むような人間でないのは助かる。
「一つ確認したいのだが、もしかしてお前は、俺がレーネを得る助力をしようとしているのか?」
「俺というか、あの娘というか……まぁ、こっちにはこっちの事情があってね。エルグランド国使団がスタンザ帝国滞在中に『下賜』の実例が欲しいのと、あとは単純に、目の前の理不尽を素通りできない彼女の気質的に、できることならアルシオレーネさんには好きな人と幸せになって欲しいんじゃないかな?」
「……薄々感じてはいたが、変わったお方だな」
「今更? ずっと言ってるじゃん。自分のことより他人のことばっかりなお人好しなんだってば」
「あのお方にとって、スタンザ帝国は虎視眈々とエルグランド王国を狙う半仮想敵国だろう。そんな国の皇帝の側室などに情けをかけられるとは……」
「んー、スタンザがエルグランドを狙ってるのは確かだろうけど、だからってスタンザ人みんながエルグランドに敵意たっぷりってわけじゃないし。国同士の関係性だって、最後まで突き詰めれば結局は個人対個人でしょ。今のあの娘はエルグランド王国を背負っているからこそ、色眼鏡でスタンザ帝国を見てないよ」
そういえば、とカイは、こちらも今更ながらずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「俺も聞きたいんだけど、ブラッドさん、あの娘と直接話して、怖いとか悪そうとか思わなかったの? あの娘、初対面の人に、割とそういう印象持たれがちなんだけど」
「確かに……皇都警備隊では、あまり好意的に語られてはいないな。俺はもともと中途入隊で、それほど親しく雑談する相手もいないから、食堂や休憩室での会話を聞くだけだが、仮にも異国の高貴なお方に随分なことを言うと思った」
「そういう話を聞いていた割に、ブラッドさん自身は結構好意的だよね?」
「あのお方と直接話をして、それでもなお悪意に満ちた見方しか出来ないのなら、それはその者の心が歪んでいると考えるしかないだろう。貧民街の住人たちが『伝説の聖女の再来』だと崇めているらしいが、俺はむしろそちらに共感できる」
「……それはそれで、別ベクトルに変な印象持たれてる気もするけど」
「だが、お前の話を聞く限り、かのお方の気質は聖女寄りだろう」
「それはまぁ……だからこそ、アルシオレーネさんのことだって放っておけないんだし」
しかし――なるほど、ディアナが気に入るわけだ。アルシオレーネもそうだが、ブラッドはディアナの言葉に変な副音声を一切聞き取らない。『悪の帝王』クレスター伯爵家の偏見がないことを差し引いても、これは相当稀有なことだ。顔を合わせて普通に会話ができて、変な遠慮や忖度なく言葉が交わせた相手をディアナが特別に気に入っただろうことは、こうしてブラッドと話せば分かる。
(確かに……幸せになってほしい人たちではある、かな)
全員で立てた策を実行するとなれば、カイはしばらく、ディアナから離れることになる。しばらくといっても長くて五日程度だが、スタンザでの五日がとても長いことは、これまでの日々で嫌というほど分かっているから、本心では躊躇いもあったけれど。
(ディーの様子を見る意味でも、やっぱりこの策が最良、か)
――覚悟は、決めた。
決めたら後は、進むだけだ。
「じゃあ、ブラッドさん。『下賜』制度を使ってアルシオレーネさんを後宮から救い出すために、こっちから一つ提案なんだけど――」
エルグランド国使団総出で練り上げた作戦を聞いたブラッドは、しばらくの間沈黙して――。
「それは……上手くいけば確かに、戦で王の首を獲るに匹敵する功績にはなるが。お前たちは、それで構わないのか?」
「一応、国に報告入れて、了承は得てあるよ。方法は聞かないでね、説明が面倒だから」
「……お前の言葉が何故かスタンザ語に聞こえる時点で、俺の領分では理解不能な御技が使われているのだろうということは分かる。言われずとも、無駄な質問はしない」
「ブラッドさんが話の分かる人で助かるよ」
それで、どうする――?
カイの視線での問いかけを、聡明な男は正しく理解して。
「エルグランドのお方のご好意に感謝する。――もうなりふり構っている時間はない、助けて欲しい」
「了解。――同盟成立だね、よろしくブラッドさん。俺のことは、カイって呼んで」
「承知した」
二人の男の握手を見届けて――一羽のエクス鳥が、屋根の上から静かに飛び立っていった。
スタンザ編における影の功労者は、冗談でも誇張でもなくエクス鳥のリクくんだと思う今日この頃……
ちゃんと本編の合間合間でディアナやカイからお礼もらって、美味しいものたくさん食べてますよ!