『牡丹派』との抗争
「ディアナ様!」
青ざめたリタが息せき切って駆け込んで来たとき、ちょうど『紅薔薇の間』は、呼んでもいない客を迎えている真っ最中だった。
「ですから! あのような娘、ディアナ様の権限で、即座に後宮から追い出してしまえば良いのですわ!」
「えぇ全く、図々しい。許せませんわ!」
部屋の中央で喚いているのは、『紅薔薇派』の中でもディアナにゴマ摺ることの多い令嬢たち数名である。ノックもなしに扉を開けたリタに気付かないくらいの勢いで、延々と怒鳴り続けていた。よくもまぁそんなに息が続くものだと、話し掛けられている張本人――ディアナは、半ば投げやりな感想を抱いた。
それでもここは、『紅薔薇派』の頂点として、きっちりシめなければならない場面である。いや、暴力にはさすがに訴えないが。
「ひとまず皆、落ち着きなさいな。ソファにでも座って。……ユーリ、皆様にお茶をお出しして」
「はい」
ユーリ筆頭に、侍女たちがさささっと動き出した。その様子からは、一分一秒でも早く出て行ってもらいたい、侍女たちのあからさまな迷惑感が漏れ出している。
しかし、頭に血の昇った令嬢方は、そんなことに気が付きはしなかった。
「信じられませんわ。ディアナ様に保護して頂いている身分の者でありながら、ディアナ様から陛下を寝取るなど」
「大人しそうな顔をして。どうせあの儚げな風情で、陛下をたぶらかしたに違いありません」
「当たり前ですわ! 誰がどう見ても、あんな女よりディアナ様の方がお美しく、気品がおありだもの!」
「……まぁ、だから落ち着きなさいな。第一、陛下がそのご令嬢のもとに通っていらっしゃるというのも、単なる噂なのでしょう?」
お茶が入ったタイミングで、ディアナは話を切り出した。令嬢たちがお茶のカップに気を取られた隙に、そのまま続ける。
「そんな噂ごときに躍らされるなんて、それこそ『紅薔薇』の名が泣くのではなくて?」
「……ですが、見た、という者がいるのですよ?」
「それだって噂でしょう? 張本人が言い触らしていたのを、貴女たちは聞いたの?」
「いぇ…」
侍女たちが入れたお茶も、流石の選択だ。気持ちを落ち着かせる効能があるハーブが入っている。おそらくは、リタの手回しだろう。
お茶と言葉で令嬢たちを鎮めたディアナは、ここぞとばかりに『紅薔薇』の笑みを浮かべた。
「仮に噂が本当だったとしても、気にすることはないわ。陛下のお気持ちがどこにあろうと、わたくしは気にしませんから」
「そ……そうですわよね!」
「私たちとしたことが……余計なお世話でしたわ」
「気がついて頂けた? くれぐれも早まって、噂の男爵令嬢に余計なことをしてはいけませんよ?」
「は、はい!」
何故か頬を赤らめて令嬢たちは頷き、お茶もそこそこに席を立つ。ウキウキと軽い足取りで部屋を出ていった彼女たちに、ディアナはまた何か勘違いされたらしいと理解したが、結果としてシェイラに害が及ばなければ良いのである。勘違いの内容はこの際、気にしないことにした。
「――それで、リタ。どうしたの?」
ユーリたちが茶器の片付けに下がり、二人きりになった室内で、即座にディアナは聞いた。侍女としての振る舞いは申し分ないリタが、たとえ主の部屋とはいえノックもなしに飛び込むなど、よほどの異常事態である。
聞かれたリタは、表情を強張らせて言った。
「先ほど緊急の連絡が入りまして……シェイラ様が、『牡丹派』の方々に、連れて行かれたそうにございます」
「……どういうことなの。早過ぎるわ」
立ち上がり、身支度を整えながら、ディアナは眉根を寄せた。
夜会が終わり、社交の季節が始まってから、既に半月が過ぎていた。その間、ディアナはライアたちと協力して、密かに新たな勢力――便宜上『中立派』と呼んでいる――を作りながら、同時に後宮内の噂の動きにも気を配ってきたのだ。少なくとも昨日までは、ここまで爆発的にシェイラの噂は広まっていなかった。
(……仕組まれたかしら)
噂というのはあっという間に広まるものではあるが、昨日の夜にはほとんど音沙汰なかった話が朝起きたら広まっているなど、どう考えても不自然だ。誰かが意図的に仕組んで操らなければ、こうはならない。
「ライア様たちに、知らせは?」
「先ほどルリィに頼みました。すぐになにかしらの対応を取ってくださるかと」
「えぇ、でも……『中立派』は、表立っては動けない。シェイラ様救出は、わたくしがやるしかないわね」
「不自然ではありませんか?」
「わたくしは『クレスター伯爵令嬢』なのよ? 陛下の寵愛より何より、後宮の勢力を維持することを第一に考えたと、あちらは勝手に解釈するでしょう」
「……それもそうですね」
ディアナが陛下を慕っているという噂も、半月新たな動きがなければ下火になる。このタイミングでシェイラの噂が出て来たのは、不幸中の幸いか。
「失礼致します、ディアナ様……まぁ、どうなさいました?」
「ユーリ、これから『牡丹派』のサロンに乗り込みます。侍女をできるだけ連れて、」
「お待ちくださいませ、ディアナ様!」
戻ってきたユーリに話をしているところへ、新たな人物が加わった。ルリィに連れられやって来たのは、側室の中でも末端に位置し、その実は争いを望んでいないながら『紅薔薇派』に入らなければ、後宮を渡って行くことすら難しい令嬢たち。
そのうちの二人に、ディアナは見覚えがあった。確か夜会で、シェイラと一緒にいた娘たちだ。
「シェイラ様をお助けするために、『牡丹様』のところへおいでくださるのでしょう?」
「数は多い方が良いはずです。どうか私たちもお連れくださいませ!」
その二人を筆頭に他の娘たちも、お願い致します、お連れくださいと口々に言う。ひとまず両手を上げて落ち着かせ、ディアナは尋ねた。
「……皆様、わたくしに力を貸してくださるの?」
「はい! 『紅薔薇様』のもとへ行けば、シェイラ様をお助けできると聞いたのです」
誰から聞いたのか、令嬢たちは言わない。しかし、ディアナには分かった。これがライアたちの『手助け』だと。
おそらくルリィから情報を聞いてすぐ、『紅薔薇派』の内にいる『隠れ中立派』の側室たちに連絡を回したのだろう。シェイラに反感を持っている過激な一派ならともかく、争いを好まずシェイラとも仲が良い彼女たちならば、シェイラ救出の力強い味方になると見越して。
――流石ですわ、ライア様、ヨランダ様、レティシア様!
内心で惜しみない賛辞を送り、ディアナは目の前の側室たちに頷いた。
「ありがとうございます。シェイラ様をお助けするには、『紅薔薇派』が纏まらねばなりませんものね。感謝致しますわ」
「あの、ディアナ様。本気ですか?」
「もちろんです、ユーリ。貴女たちも来てくれる?」
ルリィを除いた王宮侍女たちは、やや困惑して顔を見合わせた。しかしそれもつかの間、ユーリを筆頭に向き直り、力強く頷く。
「はい!」
「話は纏まったわね。行きましょう!」
話しながらも身支度に余念がなかったディアナは、誰が見ても立派な悪女の風体を整えて、大勢を引き連れ『紅薔薇の間』を飛び出した。
§ § § § §
言うまでもないことだが、『牡丹派』と『紅薔薇派』は仲が悪い。故にディアナは無用の衝突を避けるため、普段は『牡丹派』の行動範囲には近寄らないようにしている。不本意ながら『紅薔薇派』を立ち上げたときも、わざわざ『牡丹派』のサロンやその他の集会場所を調査し、絶対に被らないところを『紅薔薇派』が使うように指定したくらいだ。会えば面倒事が勃発すると容易に予想できるのに、わざわざ身近にいる必要はない。
しかしディアナは今日、初めて、自身が定めたその決まりを破った。
「あらあら皆様お揃いで……随分と混み合っているようですわね?」
『紅薔薇派』の側室たちを引き連れ、堂々と『牡丹派』のサロンに姿を現したディアナは、身も凍るような笑みを浮かべて開口一番、その場を静まり返らせた。その姿はまさに氷の薔薇、『咲き誇る氷炎の薔薇姫』の二つ名に恥じない存在感である。
常に付き従っているリタでさえ、久々に主人から発せられる怒気と威圧感に息を呑んだ。ディアナが反射的に怒りを顕にするくらい、その場で繰り広げられていた光景は、酷いものだったのだ。
『牡丹派』のサロンは屋外である。シェイラは土の上に押し倒され、周囲を側室たちに囲まれて、小さくなっているようだった。ところどころ見えるドレスのシミは、お茶をかけられた跡だろうか。
シェイラが危害を加えられ、リリアーヌがそれを、サロンの一段高いところから眺めている。そんな残酷な図が、そこでは展開されていた。
――許せない。本当に久しぶりに、ディアナは頭に血が昇った。
「お久しぶりですわね、リリアーヌ様。随分と面白そうなことを、なさっているではありませんか。陛下がご覧になられたら、一体何とおっしゃるかしらね?」
「な……、無礼者! あたくしに向かって、なんて口の聞き方を!」
「まぁ、側室筆頭たる『紅薔薇様』に、何たるおっしゃいよう」
「無礼なのは、一体どちらなのでしょうね?」
援護射撃は、後ろに任せる。ディアナは一歩、前に進み出た。
「そちらの方は、確か新興貴族のお家からいらした姫君のはず。『牡丹様』のサロンには不似合いでしょう。……ここはわたくしが、引き取らせて頂きますわ」
「何を言うの! あたくしが招いたのよ!」
「その招いた席で、貴女がしたことは何です? 綺麗なお庭が泣いていますわよ」
「黙りなさい! たかが伯爵家の娘が!」
苦し紛れにリリアーヌが叫んだ、その瞬間。
ディアナの周囲の空気が、すうっと、低くなった。
「わたくしを伯爵家の娘と侮る前に、名門ランドローズ家の娘でありながら『牡丹』しか与えられなかった、己の器を省みたらどうなのです」
「な……!」
おそらく、何ですって! と叫びたかったのだろう。しかしリリアーヌはディアナの迫力に圧され、言葉を発することすらままならない。
ディアナ自身は気がついていないが……ただでさえ悪役顔の彼女が本気で怒気を剥き出しにすると、気の弱い者なら気絶してしまうほど怖いのだ。実際シェイラの近くにいた令嬢のうち、三割は失神、四割は腰が抜けてへたりこみ、残り三割も蜘蛛の子を散らしたようにその場を離れ、かろうじて遠巻きに事態を見守ることができるだけ。結果シェイラの周りには誰一人として、まともに動ける者が居なくなった。
有能な侍女は、この隙を見逃しはしなかった。それまで援護射撃に精を出していた令嬢たちに「今です!」と声をかけ、全員でシェイラのもとへ走る。止めようと腰を上げかけた『牡丹派』の上層部の令嬢たちは、ディアナの一睨みで止められた。
「シェイラ様!」
「え、あ、皆様……?」
「ご無事ですか? 助けに参りましたよ!」
友人たちの力強い言葉を聞いて、シェイラの瞳に涙が浮かぶ。しかし、すぐに青ざめた。
「いけません、そのようなことをしては皆様まで!」
「大丈夫よ、シェイラ様。『紅薔薇様』御自ら、シェイラ様を助けにいらしたのだから」
「そんな……!」
友人たちの支えで立ち上がったシェイラと、目線が合う。その時だけ怒気を消して、ディアナは柔らかく微笑んでみせた。
「ユーリ、リタ、ルリィ。侍女の者たちも、側室の皆様とご一緒に、シェイラ様の介抱を」
「ですがディアナ様。それでは、ディアナ様のもとに控える者がいなくなります」
「わたくしは大丈夫。それより今はシェイラ様です。お話をお聞きして、必要ならば『紅薔薇の間』で休んで頂いて」
「そ、そんな恐れ多い……!」
叫んだのはシェイラだ。ディアナは僅かに、眉を下げた。
「……助けに来るのが遅くなり、申し訳ありませんでした」
「とんでもございません!」
「さぁ、こんな場所に長居は無用ですわ。一足先に、行ってください」
「ですがそれではディアナ様が!」
渋るシェイラ。しかしここで、リタが頷いた。
「――分かりました。シェイラ様、皆様、参りましょう」
「リタ!?」
「ルリィ、ディアナ様は、ああなったらお引きにならないわ」
こちらが折れるしかないのだと、言外に言い含め。リタは一団を促した。
「ディアナ様……」
「大丈夫です、シェイラ様。わたくしも、すぐに参りますから」
シェイラだけは最後まで気にしていたようだが、ディアナは強引に送り出した。『紅薔薇派』の一団を見送ってから、ディアナはようやく動き出した『牡丹派』の方に向き直る。
「……さぁ、これでわたくしも一人になりましたわよ」
放った声は、平淡なもの。しかしそれは、怒気をはっきりと声に顕しているときより、はるかに聞く者の背筋をぞくりとさせた。
「お一人でいらしたシェイラ様を捕まえて、ここでいたぶっていたのなら。同じことを、わたくしにもしてみればいかが?」
「……っ、その、ために、」
「さぁどうぞ。『たかが伯爵家の娘』なのでしょう? やってみれば良いわ」
誰一人――リリアーヌですら、動けない。決して声を荒げもせず、怒りを表情に出しているわけでもないのに……それでもディアナの威圧感は他を圧倒し、動くことを許さないのだ。
「………わたくしが陛下に寵愛されているという噂では動かず、シェイラ様だと動くのね。貴女たちの器が知れるというものだわ」
「――それは、」
「わたくしのときは単なる噂、今回のシェイラ様は確証を得てでもいらしたの? どちらにしても、そのあからさまな差別には吐き気がするわ」
「……っ!」
リリアーヌの顔が青くなり、白くなった。どこまでディアナに見透かされているのか、恐怖が襲ったのだろうが……ディアナの知ったことではない。
「今日、この瞬間より、『紅薔薇派』はシェイラ様をお守りします。シェイラ様に害成すことは、『紅薔薇』全体を敵に回すことと心得なさいませ」
「ディアナ・クレスター……貴女は!」
「何でしょう、リリアーヌ・ランドローズ様? ――あぁそうそう、貴女には個人的な怒りもありますのよ。よくも我が家を、『たかが伯爵家』と侮ってくれましたわね」
ディアナの切れ長の美しい目が、すうぅ…と細められた。じりじりと、『牡丹派』の令嬢たちが後ずさる。もちろんリリアーヌ自身も。
「我が家は、勝手な評判を立てられることにも、悪く言われることにも慣れっこです。しかし、『クレスター家』を『たかが』などと侮るお方には、容赦しないことにしていますの」
ストレートな脅しをぶつけてやると、リリアーヌの身体がふらりと傾いだ。周囲の令嬢たちが、慌ててリリアーヌを支える。
『牡丹派』は完全に戦意喪失したようだ。これだけ念押しして釘を刺してついでに脅しておけば、当分は大丈夫だろう。
「では皆様、ごきげんよう。このようなことがもう二度とないように、祈っていますわ」
さらりと念押しを追加して。
ディアナはサロンを後にした。




