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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
164/255

上陸

本日より、スタンザ帝国編、本格スタートです。


 スタンザ帝国、皇都イフターヌ。広い港と豊かな緑を有し、スタンザ建国以来変わらず発展を続けてきた、名実ともにスタンザ帝国を代表する都市である。

 朝夕吹く風に身を裂くような冷たさが混じり、本格的な秋の深まりを感じさせるようになったその日、イフターヌは朝から華やかながらもどこか浮ついた、落ち着きのない空気に包まれていた。


「――ねぇ、本当なのかい? 海向こうのエルグランド王国へ渡られた皇族様が、戦果を上げて凱旋なさるっていうのは」

「あぁ、どうやら確からしい。なんでも皇族様は、戦果の証としてエルグランド王国きっての美姫を手中に収め、皇帝陛下へと献上なさるそうだ。ということは、あちらで美姫をお手にできるような戦果を上げなさったということだろう」

「しかしねぇ……相手はあのエルグランド王国だよ? いくら皇族様とはいえ、そう簡単に戦果なんて上げられるのかねぇ」

「まぁ……お偉方の戦いは、単純な切った切られただけじゃねぇんだろうよ」


 イフターヌに昔から住む生粋のスタンザ人は、噂に聞く皇族の〝戦果〟を喜びつつも、貿易都市でもあるイフターヌを支えているだけにエルグランド王国の豊かさは身を以て感じているようで、今ひとつ信じ切れていない。生粋のスタンザ人ゆえ、皇族や貴族が戦果を上げることで国土を広げたり、人質を得て外交を有利に進めたりすることに躊躇いや罪悪感はないが、さすがに武力国家であるスタンザ帝国で暮らしてきただけのことはあって、標的となる国の手強さは本能的に感じ取ることができる。

 皇都イフターヌに住む大半のスタンザ人にとって、エルグランド王国は〝そう易々と落とせるとは思えない、手強い相手〟という印象なのだ。それゆえ、数日前からじわじわと広がった『皇族様がエルグランド王国で戦果を上げ、美姫を人質として連れ帰るらしい』という噂も頭から信じる者は少なく、喜びつつもどこか落ち着けない様相となっている。


 ――そして、その噂をまるで喜べず、まだ見ぬ〝異国の美姫〟に深い同情を抱いている者もまた、皇都イフターヌには数多く存在した。


(お可哀想に……)

(おいたわしや……)

(母国から遠く離れたこのような国に……海向こうのお国の方では、言葉すらも通じなかろう)

(せめて、宮殿で手荒な扱いを受けられませぬように……)


 声も出せず、ただ心中で呟く者たちは、言葉を発する自由すら認められていない、奴隷や貧民――もとはスタンザ帝国の者ではなく、スタンザ帝国の支配に降ったり、かろうじて隷属を認められたり、あるいは滅ぼされた国々に生きていた民たちだ。スタンザ帝室は、従属を誓った国の支配層はそれなりに遇したものの、一般の民たちは古くからのスタンザ人より〝下〟とはっきり位置付けている。彼らは毎月とてつもない重税を強いられ、払えない者は容赦なく奴隷へ落とされ、辛うじて払える者もすぐに蓄えが底をつき、稼げる仕事を求めてイフターヌへ出るしかないよう仕向けられ、劣悪な環境で働くことを余儀なくされていた。奴隷ともなると完全に〝人〟ではなく〝物〟として扱われ、食事と住処、最低限の衣服を与えられるだけで生涯、子子孫孫に至るまで主家の所有物。貧民はかろうじて〝人〟だが、毎月税をやっと払える程度の給金しかもらえない者がほとんどで、下手をすると奴隷より見栄えも悪く、痩せている。それでも〝物〟に成り下がるよりはと、貧しくとも貧民身分にしがみつく者は多かった。

 そんな彼らにとって、母国のため人身御供となった〝異国の美姫〟の身の上は他人事ではない。彼女がどのような身分の姫君かは分からないが、せめて母国での地位がスタンザ帝国を怯ませるくらい高いことを、彼らは心秘かに願った。


 様々な民の思惑が入り乱れる中、日が高く昇る頃――皇宮殿から、迎えの馬車が豪奢に連なってやって来る。この国の女性は全身の肌を一切見せないのが美徳とされ、高貴な身分ともなると姿さえ易々と人前には見せないのが当たり前。そのためか、姫用と思われる馬車は豪奢ながらも堅牢な造りで、それはどこか牢獄のようにも見えた。

 色鮮やかな迎えの一行が列を成す港に、やがてスタンザ帝国が威信を掛けて造り上げた、最新式の快速船がしずしずと滑り込んでくる。さすがというべきか、短い期間にスタンザとエルグランドの間を往復したとは思えないほど、船は堂々と光り輝いていた。

 迎えの一行と民たちが見守る中、船に相応しいしっかりした造りのタラップが取り付けられ、まずは数名の女官と思わしき者たちが姿隠し用のベールを手に船へと入った。それからまた、しばらく時間が経ち――エルグランド王国へ行き、〝戦果〟を持ち帰った者たちが次々と船を降りてくる。ひときわ眩い衣装に身を包んだ、いかにも皇族な若い男がタラップの上に姿を見せたときは、大きな歓声が湧き上がった。

 皇族はそのまま輿には乗らず、タラップの側で立ち止まる。彼が見上げたそのとき、女官たちが掲げる衝立式のベールに守られる形で、〝異国の美姫〟が人々の前に姿を現した。……もちろん、その姿を実際に見ることはできないが。姫のベールを囲んで歩く付き人と思わしき娘たちの容姿を見るに、どうやら〝美姫〟であることは確かなようだ。浅黒い肌が一般的なスタンザ人にとって、エルグランド人の抜けるように白い肌は、それだけで異国情緒を感じさせる。

 タラップを降り切った姫は、待っていた皇族に話し掛けられ、何やら会話をしているようだ。彼は姫用の馬車を示し、乗り物を示された彼女は抵抗する素振りもなく、至って素直に馬車へと向かう。巨大な馬車は、姫と付き人全員を飲み込んで、そのまま重い音を立てて閉ざされた。

 この瞬間、古くからのスタンザ人も、イフターヌで生きるしかない被支配階級の者たちも、感じたことは一つだった。


(――まさしく、虜囚)


 彼女を待つ運命は、決して優しくはないだろう。動き出す行列は嫌でも、〝異国の美姫〟への哀れを誘う――。




「きゃあぁっ!」


 動き出した行列は、しかしながらそう長く進むこともなく、不意に止まった。見物の人だかりの中から、ボロボロの身なりの幼子が飛び出してきたからだ。男とも女とも咄嗟に判別がつかないほど髪が伸びきり、服も肌も薄汚れた幼子は、そのままふらふらとよろけ、ちょうど行列の進行を妨げてしまう位置で倒れ伏す。周囲は騒然となり、行列の護衛役と思われる兵士たちが抜身の剣を手に殺気立って幼子へと駆け寄った。


「お待ちくださいませ!」


 兵士たちが幼子に辿り着くより早く、両者の間に飛び込んできたのは、こちらもまだ妙齢とは言い難い娘。纏っている服はやはり薄汚れていて、一目で貧民身分の子どもと分かる。

 娘はそのまま、がばりと地に頭をつけて平伏した。


「高貴なお方の進路を妨げましたこと、誠に申し訳もございません。ですが、どうか、どうかお慈悲を。弟は昨晩から高熱を出しており、まっすぐに歩くこともままならないのです。決して、害意があったわけではありません」

「黙れ! こちらの輿には皇子殿下がお乗りなのだぞ! その歩みを妨げるは、万死に値する罪である!!」

「でしたらどうか、その罪は私に。弟の不始末は、姉である私の責にございます。どうか弟はお見逃しを……!」

「黙れと言うのが分からんか! 貧民風情が、宮殿付きの我らに指図するとは……言われずとも、貴様ら二人、まとめて切って捨ててくれるわ!!」


 兵士の刃が高く掲げられ、陽の光がギラリと不吉に反射する。平伏していた姉は声にならない叫びを上げて、倒れたままほとんど意識がないように見える幼子……弟に覆い被さった。

 周囲の誰もが、運悪く行列の前に倒れてしまった幼子とその姉の最期を確信し、目を背ける――!


「お止めなさい」


 凶刃が振り下ろされそうになった、まさにその瞬間。刹那の無音を狙ったかのように、凛と一筋の声が響いた。

 強く、気高く、聞きようによってはどこか高慢にも感じられるその声は、紛れもない女性のもの。こんな場面で発されるには甚だ場違いな声に、剣を振り上げた兵士が不意を突かれて動きを止め、声がした方を振り仰ぐ。

 彼の動きを待っていたかの如く――、行列の前方、皇族が乗っていた輿のすぐ後ろを走っていた絢爛豪華で巨大な馬車の扉が、ゆっくり、ゆっくりと、開いて。


「その剣を下ろしてもらいましょう。もちろん、誰の血も流さずに」


 行列が、周囲が、ざわりと音もなく揺れた。開いた扉から、いかにも異国風の、裾が大きく広がった長い衣服を着た若い女性が姿を見せたからだ。真紅の衣装は錦糸銀糸で豪華に刺繍されているばかりか、光る石がそこかしこに埋め込まれており、豪華な馬車にもまるで見劣りしない華やかさである。

 腰まである長い黄金の髪は複雑に編まれ、彼女の美麗な容姿を更に引き立てている。涼やかな切れ長の瞳は海の蒼、すっと通った鼻筋は高く、真っ赤な唇がよく映えて。

 お世辞にも善人とは思えない、けれど確かにそこに立つだけで人々を惹き付ける美しい女性が、そこには居た。 

 彼女は馬車の足場の高さを感じさせない滑らかな動きで地面へ降りると、ゆったりとした足取りで兵士たちへと近付いていく。


「わたくしの言葉が分かりませんか? ――剣を降ろすのです、今すぐに」

「は……」


 どこの誰とも知れぬ、女の言葉だ。兵士たちが従う義務は、もちろんない。それなのに彼らは、彼女の言葉に逆らうことができなかった。振り上げていた剣を降ろし、彼らはそのまま、一歩下がる。

 兵士たちが下がったことで開いた空間へ、彼女は躊躇いなく進んだ。


「大丈夫ですか? お怪我は?」

「え……」

「失礼ながら、馬車の中から事情を伺っておりました。弟さんの具合を、診させて頂けませんか?」


 弟を抱き締め震えていた少女が、純粋な困惑に包まれる。いかにも高そうな衣服を身に纏った高貴な方が、しかも女性が、往来で貧民に声を掛ける。そんなことが起こるなど、あまりにも現実離れし過ぎていて、驚くことすら思いつかないのだ。

 高貴な女性は、衣服の裾が汚れるのも構わず、その場に跪こうとして。


「ひ、姫!」


 すんでのところで、我に返って輿から降りてきたらしい皇族に呼び止められ、振り向いた。


「何をなさっているのです!」

「それはこちらの言葉です、殿下」


 皇族と対峙した、彼女の言葉は鋭かった。その表情を見られる位置にいた者は、彼女の蒼い瞳に、稲妻のような怒りが轟いていることに気付く。


「友好のため訪れた異国の国使団の眼前で、自国の民を切り捨てる。それが、スタンザ帝国式の歓待ですか?」

「そ、それは……」

「仮にも我が国、エルグランド王国との友好を望み、我らを〝招待〟なさったのであれば、客人への一定の配慮は見せて然るべきでしょう。スタンザ帝国では、身分高い者の進路を塞いだ下層階級民は切り捨てられるのが当たり前なのかもしれませんが、そのような様を見せつけられた我々は、決して良い気は致しません」

「姫……」

「ましてやこちらの方々は、国や皇族方に叛意を抱いていたわけではない。幼い男児が状況判断もつかないほどの高熱に苦しめられ、たまたま倒れた場所が行列の前だっただけの話です。仮に非礼であったとしても、それは姉君がきちんと謝罪していらっしゃった。行列を速やかに進めたいのであれば、何も剣を振り下ろして若い命を奪い、道を血で汚さずとも、二人に手を貸して安全な場所まで移動させれば良いだけのことではありませんか?」

「そ、そうですが……」

「それとも、わたくしが無知ゆえ存じ上げないだけで、スタンザ帝国では皇族の進路を妨げた者は即座に死罪であると、法によって定められているのでしょうか?」


 女性でありながら、また異国の者でありながら、彼女の操るスタンザ語は一分の隙もなく皇族の反論を封じていく。ついに返す言葉を失った皇族に背を向け、彼女は今度こそ、躊躇うことなく膝をついた。


「申し訳ありません。具合の悪い弟さんの前で、お見苦しい様を」

「い、いえ」

「少し、弟さんの様子を拝見しても良いかしら? ……あぁ、これは辛そうね」


 女性は、まるでそうするのが当たり前のように、貧民である幼子に触れ、顔色、脈拍、瞳の様子や口の中などを診て、頷いた。


「あなたたちが飲んでいる水は、安全? 汚れていたりはしませんか?」

「は、はい。地下水を汲み上げる井戸がありますので」

「それは良かった。火は焚けますか?」

「はい。廃材は自由に使えますので。……廃材ですので、暖を取るには不向きですが、料理の煮炊きくらいならできます」

「分かりました。――リタ!」


 徐に背後を振り仰いで声を張った女性に応え、同じ年頃か少し上に見える、彼女の付き人らしき娘が進み出た。


「はい、お嬢様」

「わたくしの薬箱を」

「承知致しております。ここに」

「さすがね」


 手渡されたのは、美しい衣装には不釣り合いな、使い込まれた傷だらけの大きな木箱。女性は慣れた手つきで、いくつもある引き出しのうちの一つを開け、中から植物を取り出し紙の袋へと入れた。同じ行動を何度か繰り返し、あっという間に紙袋が3つ、用意される。常日頃から植物を取り扱う行為に慣れているとよく分かる、淀みない動きだった。


「こちらをどうぞ。分かり易いように、袋の色を分けてあります。説明してもよろしいですか?」

「え……」

「赤の袋に入っているのは、熱冷ましのお薬です。熱はある程度出さなければ身の内の病魔と戦えませんが、上がり過ぎても身体がついていけません。弟君の幼いお身体には随分と酷な体温のようですから、まずはこちらを煎じて、飲ませてあげてください。小さな袋に小分けして、3回分、入っています」

「は、はい」

「熱が少し引いて、何か口にできるようになりましたら、こちらの青の袋をどうぞ。大抵の病魔に効く薬効のある煎じ薬です。飲み易いようにブレンドしてありますので、少し量は多いですけれど。こちらは一応、6回分。朝、昼、晩と、できれば食後に。食事を摂るのが難しいようなら、お薬の前に白湯を一杯飲んでからでも大丈夫です」

「はい……」

「こちらの黄色の袋は、体力回復に効能のある薬草です。煎じても良いのですが、穀類と一緒に食べると効果が高まりますので、できればお粥などにして……もちろん、こちらも難しいようなら普通に煎じて頂いて構いませんよ」

「だ、大丈夫です。それほど良いものではありませんが、穀物なら、なんとか……」


 答えつつ、貧民の娘の瞳から、ぽろぽろと滴が零れ落ちる。


「ですが、お嬢様。これほど良くして頂いても、我が家には支払えるお金はおろか、お礼になるものすらございません。せっかく、ですが……」

「何を仰るのです。お金も、お礼も、必要ありませんよ。わたくしがしたくて、勝手にしていることなのですから」

「そ、そんな……」

「わたくしは、スタンザ帝国とエルグランド王国、二国間の友好のため、我が国の国王陛下より遣わされた使者です。友好のために訪れたお国の民が苦しんでいらっしゃるところを素通りなどしては、何のために遥々スタンザへ参ったのかと、わたくしが陛下よりお叱りを受けてしまいますわ」

「しかし、お嬢様のような高貴なお方が、私のような貧民風情に……」

「スタンザ帝国の世情は不勉強にして存じませんが、我がエルグランド王国では、民の困窮は支配層である貴族の責とされております。苦しんでいる民に手を差し伸べるのは、自領他領問わず、貴族として当然のこと。あなた方をお助けしないことこそ、高貴な身の上として許されません」


 微笑みを絶やさず、終始穏やかな口調でとんでもないことを話す高貴な娘に、周囲はまるで伝説の偉人を描いた芝居の一節を見ているかのような、一種の非現実感に包まれた。国が違えば常識も違って当たり前といえば当たり前なのだろうが、女性の話はあまりにもスタンザ帝国の常識と乖離し過ぎていて、現実だと受け入れるより先に〝そんな国が本当にあるものか〟と拒絶反応に襲われるのだ。


「それから……これは、余計なお節介かもしれませんが」


 女性は少し躊躇った後、木箱の一番大きな引き出しを開けると、中から大量の草束を取り出した。


「こちら、打ち身や切り傷によく効く薬草です。擦り潰して患部に塗れば、痛みも引きますし治りも早くなります」

「え……打ち、身?」

「弟さんもだけど、あなたも。身体をあちこち、庇ってるように見えるから。……放っておけばそのうち治癒するものかもしれないけれど、だからといって放置していてよいわけではないわ。少し多めに渡しておくから、良かったら、ご家族やお友だち、近隣の方にも分けてあげてください」

「お嬢様……」


 娘の表情が、今度こそ、確かに現れた救済者を見るものに変わった。あまりに現実離れした振る舞いをする女性は、けれど確かに家族や友人、ご近所にも思いを馳せることのできる、地に足をつけて生きる紛れもない人間だと、貧民の少女は心で感じ取ったのだ。


「ありがとう、ございます。ありがとうございます……!」

「お礼なんて。これくらいしかできないのが、心苦しいくらいだわ。……そうだ、お家はどちら?」

「は……?」

「この薬草、薬箱の中にはこれだけしか入ってないけど、それなりの量を後ろの馬車に積んで来てるの。弟さんの経過も気になるし、良かったら今度、お家までお伺いして良いかしら? そのときに、また追加の薬草を持ってくるわ」

「そんな……! そこまでして頂くわけには」

「あら。医者として、患者さんが元気になるまで見届けるのは当たり前のことよ。――もちろん、エルグランド王国国使としても、スタンザ帝国の民であるあなたと交流を深めるのは、とても有意義なことです」

「――姫!」


 唖然となりつつ話の行方を見守るしかなかった皇族が、ここでようやく言葉を発することを思い出したらしい。顔色を変え、女性の言葉を遮る。


「そのような……! 我が国の民に対し、勝手なお振る舞いをされては困ります! エルグランド王国では、民に対してそのように振舞うのが当然なのかもしれませんが、ここはスタンザ帝国です」

「これは異なことを仰います。国使団とは、自国の有り様を他国の方々へ広くお伝えすることこそ役目であり、存在意義であると認識しておりましたが。――そのように思えばこそ、我らエルグランドの者も、スタンザ帝国国使団の皆様方のお振る舞いに対し、理解と寛容の心で接していたのですから」


 にっこりと笑って紡がれた女性の言葉に、皇族の顔色が一瞬で悪くなり、彼の背後に控えていた国使団の面々も青ざめて視線を逸らす。詳しい事情は分からずとも、周囲で固唾を飲んで成り行きを見ていた民たちに、スタンザ側の旗色が悪いことを知らしめるには充分すぎる〝一瞬〟だった。

 皇族の物言いをあっさり封じた女性は、改めて少女に向き直る。


「さぁ、いつまでもこんなところに、病の弟さんを置いていてはいけないわ。お家はどちら? 遠いようなら、わたくしの侍女に送らせるけれど」

「だ、大丈夫です。すぐそこですから」

「そう? くれぐれも、無理はしないでね。――必ず、また行きますから」


 女性が手を貸し、弟をおぶって薬を抱えた少女(こうなることを予想してか、女性は簡易の手提げまで用意していた)はゆっくりと立ち上がる。

 貧民だからと辛く当たらないどころか無償で薬まで提供する慈悲深い女性に勇気づけられたのか、人だかりの中から同じような服装の、少女と顔見知りと思しき男女が数名、飛び出してきた。


「サージャ、大丈夫かい?」

「ポルテは俺が運ぼう」

「おい、先に行って湯を沸かしておいてくれ」

「あいよ」


 民同士のやり取りを、少し下がって見守る女性の横顔には、ただ穏やかな慈しみだけがあって。そんな彼女を振り仰ぐ貧民たちの瞳には、溢れんばかりの感謝と、それ以上の信仰が見えた。言葉を発することすら思いつかないようで、彼らはただ深々と女性に拝礼し、立ち去っていく。

 ただ一人、最後に残った少女だけが、女性を真っ直ぐに見つめた。


「本当に、本当に、ありがとうございました。お嬢様に頂きましたお心は、生涯の宝にございます」

「今生の別れのようなご挨拶は、大袈裟ですよ。――サージャ、というのね」

「はい」

「わたくしは、エルグランド王国貴族、クレスター伯爵が一女、ディアナと申します。……あなたと出会えて、わたくしの方こそ、とても嬉しいわ。病の弟君を我が身も顧みず庇い、強大な力の前にも怯むことなく立ち向かう。国こそ違えど、大切な誰かを思う人の心は同じだと、感じることができましたから」

「ディアナ、さま」

「さぁ、早くポルテくんのところへ行ってあげて。またお伺いしたときに、薬草の効きなど、経過を教えてくださいね」

「……!」


 涙ぐみながら、それでも貧民の少女は確かに笑って頭を下げ、人だかりへと駆け戻っていく。人垣が自然と割れて少女に道を空け、そんな彼女を優しい表情で見送った女性は、少女の姿が見えなくなった次の瞬間、がらりと纏う空気を切り替えて、背後の皇族と真正面から向き合った。


「出過ぎた真似を致しました、殿下」

「姫……」

「ですが、謝罪は致しません。ここであの姉弟が斬られるのを見過ごすは、エルグランド王国貴族として恥ずべきこと。わたくしどもはスタンザ帝国の〝郷〟に従うため、遥々海を越えたわけではないのです。あくまでもエルグランド王国の人間として、両国の友好の架け橋となるべく、スタンザ帝国を訪れたのですから」

「仰ることは、ごもっともですが」

「……ですがもしかしたら、エルグランド王国での殿下とスタンザ国使団の方々のお振る舞いから察するに、スタンザ帝国における〝友好〟は我が国で一般的に思い浮かべるそれとは、少々意味合いが異なるのかもしれませんね。スタンザ帝国の方々にとっては、自国他国問わず、民を傷つけ血を流す様を見せつけることこそ〝友好〟の証なのでしょうか?」

「――姫!」

「しかしながら、仮に〝そう〟であったとしても、」


 女性の言葉は、止まらない。全身から氷のような冷たく鋭い怒りを放ちながら、その瞳はエルグランド王国貴族としての誇りに燃え、それらが絡み合って炎の如く立ち上っている。

 その様はさながら、氷炎を纏って色鮮やかに咲き誇る、真紅の薔薇のようで――。


「我ら、エルグランド王国の者を〝友好の国使団〟として是非にスタンザ帝国へと招待したいと仰ったのは、あなた方スタンザ帝国であるはずです。――であれば、我らがあなた方の〝友好〟を受け入れたのと同様に、わたくしどもの〝友好〟もまた、ご理解頂けるものと信じておりますわ」


 その気高き様に、その場にいた誰もが気圧され、問答無用で平伏したくなる心地を味わったのであった。



  ■ ■ ■ ■ ■



 くつくつと、馬車の中でほとんど無音の忍び笑いが響く。行列が再び動き出してからしばらく、黙って様子を見ていたが、もうそろそろ突っ込んでも良いだろうか。


「カイ。……笑い過ぎ」

「いやぁ……腹抱えて大笑いするの我慢してるんだから、これくらいは許してよ」


 どうやら純粋に面白かったようで、笑い過ぎて目尻に溜まった涙を拭いながら(その様すら楚々とした美人風を保っているのが凄い)、ようやく通常の呼吸に戻ったカイが言う。


「ガチギレモードの『紅薔薇様』、久々に見たよ。最近のディー、大人しかったもんね」

「そりゃ、キレなきゃならない場面じゃなければ、無意味にキレたりしないわよ。最近の後宮じゃ、一応対外的には陛下の寵姫ってことになってるからか、無駄に喧嘩を売られることも減ったしね。マグノム夫人やクリスお義姉様もいてくださるから、私が出るまでもないことだって増えたし」

「皇子殿下もスタンザ国使団の連中も、人知を超えた恐ろしい存在を見る目をディアナ様へ向けていましたね。……いい気味です」

「何を今更という気がしなくもありませんが。国使団の連中はともかく、スタンザの皇子殿下はディアナ様の優秀さを散々目の当たりにしていましたのに」


 ルリィとユーリの感想にアイナとロザリー、ミアが深々と頷く中、ディアナのパフォーマンスを華麗にサポートしたリタが苦笑しつつ口を開く。


「ディアナ様の優秀さ、頭脳明晰さを頭では重々理解しておいでなのでしょうけれど、それ以上にあの皇子殿下は、ディアナ様を『愛ゆえにエルグランド王の横暴から逃れられない哀れな姫』というとてつもなく分厚く歪んだ色眼鏡で見ていらっしゃいますからね。そんな哀れな姫君が、あんな大胆な行動に打って出るなんて思いもしなかったのでは?」

「だとしたらあのお方、いくら何でもディアナ様が見えていなさ過ぎますよ」

「目の前で民が『馬車の前でこけたから』なんて理由で切り捨てられそうになって、ディアナ様が本気でお怒りにならないわけがありませんのに」

「……まぁ、そこで怒るだけでなく、一石何鳥も狙うあたりが、いかにもディアナ様ですが」

「ホントほんと。――あんな見事な全反撃(フルカウンター)、初めて見た」


 カイが放った実に楽しそうな言葉に、ディアナ以外の馬車に同乗していた全員が大きく頷いた。これまでの鬱憤もあってか、その表情は晴々としている。


(……まぁ真面目な話、ここらで一回、スタンザ側の思い違いを分からせておかないと、後々動き難そうだったのよね)


 ――そもそも、エルグランド王国からスタンザ帝国までの船旅の間中、ディアナの憤懣は溜まりに溜まっていた。スタンザ帝国の国使団は、皇子とサンバ、彼らに近い上層部はまだマシだったものの、彼らを補佐する立場のはずの実務官たちの態度が(話には聞いていたものの)それはもう酷かったのだ。ディアナの目の前ではペコペコしていたが、あくまでもそれはディアナの前だけで、ディアナに同行した侍女たちのことは同じ人間とすら思わず、事ある毎に侮辱的な暴言を吐く始末。リタ以外の侍女はスタンザ語をきちんと聞き取れるわけではないが、言葉が違えども馬鹿にされていることくらいは何となく分かる。侍女たち――というよりリタとカイから報告を受け、ディアナがやんわりと苦言を呈せば、彼女たちが言葉を分からないのを盾に「気のせいでしょう」とヘラヘラ笑って言ってのける。ディアナにヘコヘコしているのもあくまでポーズだけで、内心では「人質風情が偉そうに」と蔑んでいることは明らかだった。

 今回のスタンザ訪問がディアナの完全なプライベートで、ディアナ個人が馬鹿にされているだけならいくらでも流すが、さすがにこの状態をそのままにはしておけない。皇子に直談判して官たちを大人しくさせることは簡単だが、それでは連中の「所詮女、男に泣きつくしか能がない」という思い違いを砕くことはできず、根本の解決にはならないだろう。

 それに、だ。


「……いくらスタンザ側が、そしてエルグランドの大多数の貴族までもが、今回の国使団を『まぁぶっちゃけ人質みたいなもの』だと考えているとしても、それを事実にするわけにはいかないのよ。むしろわたくしたちは、国使団という建前の方を〝実〟とするために、わざわざスタンザ帝国へ乗り込んだのだから。エルグランド王国はスタンザ帝国へ人質を送って命乞いしなければならないほど弱くはないし、安易に手を出せば痛い返り討ちを食らう、油断のならない国だと実感してもらうためにね」

「なぁるほど。そのために、最大の効果を得られる機会を、じっと待っていたわけだ?」

「あんな小さな船の中で、スタンザ国使団の連中だけを黙らせても意味がないもの。せっかく動くなら、できるだけ大勢の前で〝エルグランド王国〟を印象づけられるようにしないとね」

「ディアナ様がそうお考えなのは、何となく存じておりましたが……まさか、宮殿に入る前に動かれるとは思いませんでした」


 ユーリの言葉には、ディアナも軽く苦笑を返して。


「わたくしも、派手にやらかすとしたら皇帝陛下の御前かしら、とは考えていたわよ? でもまさか、行列の進行を遮ったからなんてふざけた理由で、異国の国使団が目の前で見ているというのに、自国の幼子を切り捨てようとするなんて思わないじゃない。……まったく、子どもは国の宝だというのに、その命を惜しまないどころか進んで奪おうとするなんて」

「スタンザ帝国の程度が知れるというものですね」

「本当に。あそこで動かずして、どこで動くというの」

「でも実際、効果は抜群だったよ。あの短いやり取りで、『女性でも剣に怯まないエルグランド人の勇敢さ』『国を問わず弱い立場の民を思い遣るエルグランド王国貴族の慈悲深さ』をばっちり印象付けて、『エルグランド人がスタンザを訪れたのは人質としてではなく、友好のための国使として』だってスタンザ人の思い違いを分からせて、『エルグランド王国はスタンザ帝国と対等だ』って態度で示したわけだから」

「勇敢なのも慈悲深いのもディアナ様個人の資質で、エルグランド貴族の全員がそういうわけではありませんが、そんなこと、側で見ている方々には分かりませんしね。ディアナ様があのように振る舞われたことで、エルグランド王国の支配層が如何に民の守護を己の責務と心得ているか、具に伝わったはずです。これはかなりの思想革命で、スタンザ帝室にとって相当な打撃ですよ」

「当然、皇子サマたちにとってはめちゃくちゃ都合が悪いから、ディーの行動を制限したいのは山々だけど。……できないよねぇ、自分たちがエルグランド王国で散々好き勝手やらかしたのを〝前例〟とされちゃ、ちょっとやそっとのことで口出しはできない。エルグランド王国内でこっちが散々飲まされてきた煮湯を、このタイミングで全部お返しするなんて、ホントお見事。善意と親切も、ここまで極めると立派な武器になるんだね」


 さすがと言うべきか、カイは、馬車の中の皆は、ディアナの言葉の裏側を正確に読み解いていた。ディアナが皇子へ向けて放った、『国使団とは、自国の有り様を他国の方々へ広くお伝えすることこそ役目であり、存在意義であると認識しておりましたが。――そのように思えばこそ、我らエルグランドの者も、スタンザ帝国国使団の皆様方のお振る舞いに対し、理解と寛容の心で接していたのですから』が、これまで溜めに溜めた、一撃必殺の反撃(カウンター)だとしっかり理解されている。アレは要するに、「お前らが散々エルグランド王国でスタンザ式を貫いたように、こっちもエルグランド式を貫くだけだ。文句あるか」という対等宣言であり、同時に「異国を下に見て横暴に振る舞うのが『スタンザ帝国』だと、あなた方スタンザ国使団の振る舞いを見ていてよく分かりました。であれば我らは同じように、たとえ異国の民であっても慈愛の心で接し、民を守り生かす様こそ『エルグランド王国』であると、この身を以て伝えましょう」という、盛大な皮肉でもあったのだ。


「別に、同じことを皇帝陛下の御前でやらかしても良かったんだろうけどね。ウチの国でもそうだけど、偉い人の近くで起こったことって、何故かとんでもない曲解が加わって、思いもよらない広まり方をするから。真実からかけ離れた、スタンザ帝室にとって都合の良い広まり方をされるくらいなら、いっそスタンザ帝国で生きるごく普通の人たち大勢の前で、直接派手に振る舞った方が良いかなと思って」

「俺も、こっちの方が効果的だと思うよ。皇子サマが公衆の面前でやり込められたわけだから、当然箝口令は敷かれるだろうけど、これだけ大勢の前で起こったことなら、どう足掻いたって話が広まるのは避けられない。『民に優しいエルグランド王国』をアピールするには、まさに千載一遇の機会だったよね」

「あんまりタイミングが良いから、一瞬、スタンザの〝親戚〟の仕込みかしらとすら疑ったけれど。……ポルテという子の具合を見るに、それはないわね。完全な偶然だわ」

「あの姉弟にとっても、倒れたのがディーの前だったのは、不幸中の幸いでしょ」

「だと良いけれど。一応、『手を出すな』と牽制はしたけれど、どこまで伝わったかしら」

「あそこまであからさまに言えば大丈夫だとは思うけど、念のため、リクに見張らせとくよ」

「ありがとう」


 カイの言葉に少し安心して、ディアナは軽く息を吐く。

 会話が途切れた馬車の中で、「それにしても、」とアイナが徐に切り出した。


「便利なものですねぇ。その……『通詞』の呪符、でしたっけ?」

「えぇ、本当に。ディアナ様のスタンザ語も、皇子殿下のお言葉も、しっかりエルグランド語で聞き取れました」

「便利で、不思議ですね」


 アイナの後を引き継いだロザリーとルリィに、ユーリとミアも頷いて。


「これなら、スタンザの宮殿でも困ることはなさそうです」

「言葉の不利を克服できるのは、大きいですよ」

「……まぁ、万能ってわけでもないけどね。さっきは、ディーが話していた場所がギリギリ呪符の効果範囲内だったから、どうにか聞き取れたけど。この呪符、そこまで効果範囲広くないからさ」

「あの距離が聞き取れれば充分だと思うわよ? そこそこ広いサロンの対角面くらいは離れてたでしょ?」

「スタンザの宮殿が馬鹿みたいに広いって聞いて、父さんが通常の『通詞』の呪符に手を加えて、効果範囲をできるだけ広くしたみたいだね。この呪符、普通は言葉の違う相手と一対一で話すときに不自由しないよう使うものだから、大人数で使うことはあんまり想定されてないんだよ」


 今回、『エルグランド王国国使団』としてスタンザ帝国の地を踏んだ者の中で、スタンザ語を自在に操れるのはディアナとリタだけだ。リタが居れば通訳として過不足ないだろうが、圧倒的人手不足の中、ずっと通訳だけをできるとも限らない。そんな言葉のハンデをカバーするため、ソラがカイに持たせてくれたのが、『通詞』の呪符なのである。異なる言語が自らの最も馴染んだ言葉に〝聞こえる〟、摩訶不思議な呪符だ。

 先ほど、その『通詞』が発動している中スタンザ語を話していたディアナは、自らのスタンザ語がエルグランド語とスタンザ語の二重になって聞こえるという、実に面白い経験をした。自分が発してるのは確かにスタンザ語のはずなのに、耳にはエルグランド語が強く届き、話しているスタンザ語はそれに被るように小さく響く。一瞬混乱したが、あれはあれでなかなかに面白かった。

 今は呪符を発動させていないカイが、少し真面目な顔になる。


「前にも言ったと思うけど、念のためにもう一回言うね。この『通詞』の呪符、確かに便利なものではあるけど、その分あんまり融通が利かない仕様だから。効果範囲内に居る人間は、例外なくこの呪符の効果を受ける。俺たちが呪符を使ってスタンザ語を聞き取るだけなら問題はないけど、うっかり効果の発動中に俺たちがエルグランド語を話しちゃうと、近くにいるスタンザ人には俺たちのエルグランド語がスタンザ語に〝聞こえて〟、こっちが謎の翻訳術を使ってるってバレるよ。それだけは、くれぐれも気をつけて」

「そこは、あまり心配しなくても大丈夫よ。基本的に公の場で話すのは私の役目だし、スタンザ人と話すときは、エルグランド語ができる相手であってもスタンザ語で話すわ。皇子殿下も基本的にエルグランド人と話すときはエルグランド語を使っていらっしゃったから、前例に倣うという意味でも不自然じゃないだろうし」

「その分、こちらの耳が変になりそうですけどね。ディアナ様はスタンザ語しか話していらっしゃらないのに、何故か耳にはエルグランド語が同時に〝聞こえて〟くるわけですから」

「『通詞』って、あくまで〝聞こえてるように感じる〟だけで、実際は心の中に直接言葉を届ける霊術(スピリエ)だからね。言語翻訳というより、どちらかといえば精神作用系に分類される」

「……そうなのですか? 普通に〝聞こえて〟いましたが」

「人間は、言葉を発するとき、無意識のうちに心で言葉を組み立ててから声に出してる。その〝心で組み立てて声にした〟部分を読み取って、直接受け手の心まで〝伝える〟のが『通詞』の霊術(スピリエ)だよ。〝言葉を聞き取る〟ことでその効果が発動するようになってるから、感覚としては〝聞こえた〟風になってるだけ」

「なるほど。だから、私が発したスタンザ語も、私自身が聞き取ることでエルグランド語に〝聞こえる〟わけね。となると、皇子殿下が『通詞』の呪符発動中にエルグランド語を話されたら、逆にスタンザ語がダブって〝聞こえる〟のかしら?」

「たぶん。そういう意味でも、できればあの皇子とはスタンザ語で話して欲しいかな」

「分かったわ」


 カイのことだから、様子を見ながら必要に応じて呪符の発動をコントロールはしてくれるだろうけれど、彼にばかり負担をかけるのも忍びない。ディアナが積極的にスタンザ語を使えば、わざわざスタンザ人がスタンザ帝国内でエルグランド語を話そうとはしないだろう。

 凄腕隠密の忠告に頷きながら、ディアナは何となく、窓の隙間から見える外に目を向けた。


(スタンザ帝国、か。さっきの一件で、一般の民にも私のスタンザ語が問題なく通じると分かったのは良かったけれど……)


 見た限り、その内情は、聞いていた以上に厳しそうだ。

 ディアナの表情に何かを感じ取ったのか、カイが軽く首を傾げる。


「ディー?」

「……あ、ごめんなさい。ちょっと、さっきのことを思い出して」

「あの姉弟のこと?」

「あの子達のことも、もちろんだけど。スタンザ帝国そのもののこと、とか」


 その言葉に、リタがやや眉根を寄せた。


「ディアナ様。また、悪い癖が出ていますよ。スタンザ帝国にどのような問題があろうと、それはスタンザ人が解決すべきです。あまりお心を痛められませんように」

「それはそうなんだけど……」

「目の前で苦しんでいる人がいたら、どうしたって放っておけないのが〝ディー〟だもんね」

「……さすがに私も、スタンザの人たちの苦しさ全部をどうにかできるなんて傲慢なことは思わないわ。でも――」


 ボロボロの服、痩せ細った身体で、どうにか這うように生きている人がいる一方で、上等な衣服と装飾品で身を飾り、丸々肥えた人がいる。その両者は確かに同じ空間、同時に目につく場所に存在しているのに、まるで見えない壁があるかのように、両者の視線も生き様も重ならない。

 皇帝陛下のお膝元である、皇都イフターヌですら〝こう〟ならば。


(このままでは、この国は保たない。近いうちに、必ず限界が来る)


 海を渡った先のエルグランド王国など、悠長に欲している場合ではない。民の分断は、すなわち国の分断だ。貧しき者と富める者に民が分かれ、両者を繋ぐ中間層は思っていた以上に少ない。このままの状態が長く続けば、国そのものが成り立たなくなることは自明の理だ。

 そして、国が崩れるとき――真っ先に犠牲となるのは、自らを守る術すら教えられていない、最も弱い民なのである。


(スタンザ帝国の行く末を決めるのは、スタンザの人々。それは分かっているけれど。……未来を諦めずにいられるよう、希望の種を蒔くくらいのお節介なら許されるって、思いたい)


 どこまで、できるか。――何が、できるか。

 スタンザ帝国で為すべきことを考えるディアナと、そんな彼女を見守る『国使団』を乗せ、馬車の車輪は軽快に回る。


 ……やがて見える、スタンザ帝国の皇宮殿を目指して。


初っ端から飛ばすこと……まぁクレスター家って、周りに敵が多いほど無駄に強くなるステータス異常持ってる面ありますからね。

スタンザ編、今考えてる感じだと結構長くなりそうなんですが、それなりに話は大きく動くはずなので、ごゆるりとお付き合い頂ければ嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 台詞による説明が、読者には親切ではありますが、些か鼻に付くかなあ、と(苦笑)。 お互いにとってほぼ自明である筈の事象を、いちいち、声に出して話しますかね? 代案としては、可能な限り…
[一言] ディアナがキレてるシーン(皇子との会話 道を地で汚さずとも→道を血で汚さずとも ではないでしょうか?
[良い点] ディアナの優しさと強さが素敵すぎて 感激です…! [一言] 次回の更新も楽しみにしてます!
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