側室会議
先週は更新できず申し訳ありませんでした。
一週開いたんだからきちんと推敲した文章を出したかったのですが、相変わらず不十分です……。
マグノム夫人が『エルグランド国使団の代表者として相応しい側室の選定を行うように』と内務省から通達されて冷ややかに怒り、ほぼ同時にディアナの手元には外宮室より「内務省にしてやられました」という旨の事情説明が届いた――、
その、翌日。
「本日は急な呼びかけにも拘らず、ご側室方に足をお運び頂き、感謝の言葉もございません。皆様、ようこそお越しくださいました」
「マグノム夫人がお呼びとあらば、何を置いても馳せ参じねば。――そうでございましょう、皆様?」
後宮の中で最も広い、側室全員が集まれるだけのスペースがある部屋(ディアナは話に聞いただけだが、降臨祭の礼拝もここで行ったらしい)にて、集まった総勢四十一名の側室を前に、マグノム夫人は落ち着いた様相を崩すことなく挨拶した。夫人の言葉を好意的に肯定し、同意を促したディアナの言葉に、『名付き』の三人と『紅薔薇派』の側室たちが間を置かず頷く。
夫人が軽くディアナに頭を下げて謝意を示してから、視線を全体へと戻した。
「本日お集まり頂いたのは、他でもございません。ここのところ外宮にて騒がれている案件につきまして、耳の早い方であればもうご存知のことと思われますが」
「……スタンザ帝国の国使団が、帰国の際、エルグランド王国の王族を同じく国使として伴いたいと申し出ている件ですね」
「はい、睡蓮様。内務省は昨日、『スタンザ国使団との調整がどのように運ぶか不透明ではあるが、エルグランド国使団を組織するとなった際、速やかに準備を進められるよう、国使団の代表として相応しいご側室の選定を後宮で進めるように』と通達して参りました。もちろん、スタンザ帝国と正式な国交が樹立されてすらいない現状、ご側室様を帝国へ送るなどという非常識がまかり通って良いわけはなく、その点については私の方からも申し上げた次第ではございますが」
「今の外宮の状況を鑑みるに、マグノム夫人の真っ当なご意見が通るかどうかは、大いに怪しいと言わざるをえませんね」
「その通りです、鈴蘭様。そして、こういった通達が参った以上、後宮側としては形だけでも『選考を行なった』という体裁を整えねばなりません」
「もちろん、マグノム夫人のお立場とご苦悩は、ここに居る皆が理解しておりますよ。マグノム夫人が本気で側室の誰かをスタンザ帝国へ送ろうと考えているなんて、誰も思っておりません」
「……お優しいお言葉、痛み入ります。菫様」
実に貴族らしい遠回しな会話だ。ざっくばらんに要約すると、「内務省がクソふざけたこと言ってきたから、一応国使の『選考会』的な場を設けはしたけども、後宮としてはこの状況に全力で歯向かっていく所存」というマグノム夫人の決意表明になるのだろうか。……冷静で穏やかで落ち着いているのはあくまでも表面上だけで、今のマグノム夫人は史上最強にキレているらしい。『名付き』の三人も同上だ。
とはいえ、『選考会』の形式を整えるだけなら、何も(広い部屋にお茶会用の丸テーブルと椅子をわんさか集めてまで)側室全員を集める必要はない。わざわざ『選考会』に側室全員を集めたのは――。
「あら。あたくしは、側室がエルグランド王国の名を背負って国使団の代表となるのは、そう悪い案だとは思わなくてよ? 正式な王族であれば国から出るにも大仰で煩雑な手続きが必要でしょうけれど、側室はあくまでも王族に準じる存在でしかないのだから、貴族子弟が留学や商いで異国へ赴くときと同じ手続きで出国できるもの。時間も手間もそれほどかからないから、今回のような急な話にも対応できて、尚且つ身分も準王族とすれば、王国の面目を保てるわ」
扇で口元を隠しながら、リリアーヌが高らかに言い放つ。――そう、ディアナは〝これ〟が知りたかった。
今回の、この件に。後宮側の〝誰〟が〝どこまで〟事情を知らされ、関わっているのか。それはつまり、ディアナたち以外に後宮内に外宮と連携して政局を操ろうとしている一派がいるという証明になる。
問題は、その一派が完全な外宮側の操り人形なのか、それとも自由意志と目的を持って政に食い込もうとしているのか、だ。前者なら十把一絡げに叩けば良いが、後者ならば状況如何で対応策はがらりと変わってくる。
(予想通り、リリアーヌ様は外宮側から一定の情報を与えられているみたいね)
リリアーヌはほとんど家族と手紙のやり取りをしていない。物資は頻繁に送られてくるので、その中に一方通行の情報が入れられているか……もしくは、ディアナにとっての『闇』のような存在が居るかのどちらかだろう。通常ならば、そんな不審者の気配を『闇』やカイが捕捉できないのはあり得ないが、敵側に霊力者がついていることを考慮すれば、何らかの手段で気配を完全に消すことはできそうだ。
――ディアナは敢えて言葉を発さず、リリアーヌが投げ込んだ石がどのような波紋を広げるのかを見守ることにした。
「そうですわ。牡丹様の仰る通り、エルグランド王国国使団の代表を側室から出すのは、理に適っております」
「なんと言っても、国の代表ですもの。それ相応の身分がございませんと」
「そうなりますとやはり、相応しいのは側室の中で最も身分がお高い……」
『牡丹派』の側室たちが一斉にリリアーヌに賛同する中、顔色を変えたのは『紅薔薇派』に属する側室たちだ。こういう状況下で先陣を切る役目を果たしてきたソフィアたちはもう居ないけれど、かといって『紅薔薇派』の側室たちは決してディアナに追従するしか能の無い令嬢ではない。
「まぁ、何を仰るのですか」
「そもそも、スタンザ帝国へ国使を送ること自体、現状では危険を伴います。ここは国使代表の選定ではなく、心を一丸にして外宮の横暴に立ち向かうべきでしょう」
「まぁまぁ。スタンザとの商いをご家業にされている方が、そのようなことを仰るなんて。それほど信用できない相手とご商売なさってよろしいの?」
「……っ、単なる商いと国同士のお付き合いは違います。商談相手は信用できても、国全体としては油断ならない。そこに矛盾はございませんわ」
「ですけれど、あなたのお父様もお兄様も、スタンザ国使団と親しくお付き合いなさっていると聞き及んでおりますよ?」
「父が、兄が、どのように考えようと。私は後宮に住う者として、側室の身を危険に晒す外宮の決定には、断固反対致します」
(あそこで舌戦を繰り広げているのは確か……ザフィーラ侯爵令嬢とドレディ男爵令嬢)
言うまでもなく、ザフィーラ侯爵はランドローズ侯爵とも親しい過激保守派、ドレディ男爵は主にスタンザを相手に食品の輸出入を行っている商家が前身の新興貴族で革新派だ。業績は上々で、今回の後宮改編で位が上がったうちの一人でもある。
ドレディ男爵は外宮でスタンザ国使団に同情的な一派の一人だと聞いているが、この様子を見る限り、どうやら娘はそんな父に賛同していない。もっとも、今回は革新派と言えども一枚岩ではなく、娘を側室として後宮に上げている家の中でドレディ男爵のようにスタンザ寄りな意見をはっきり述べているのは少数らしいが。ほとんどは無言を貫いているか、あるいは。
「ドレディ男爵様はとても心優しく、慈悲深い方ですからね。哀れを誘うスタンザ国使団を信じてしまわれたのでしょうけれど、冷静に考えれば、スタンザ帝国へ国使として出向くことがどれほど危険かということはすぐに分かります。私の父もそのように考え、国使団の件は賛成しかねると、申しておりますわ」
静かながらもはっきりと、ナーシャ・クロケット男爵令嬢が――シェイラの友人でもある彼女が発言した。ナーシャが言う通り、クロケット男爵は今回の件で当初から一貫して「個々人のスタンザ人と付き合うことと、スタンザ帝国そのものと繋がりを深めることは分けて考えねばならない。スタンザ帝国から送られた国使団に気を許してはならない」と主張し続けている、数少ない一人だ。
ナーシャの言葉に、その隣に座っていたリディル・アーネスト男爵令嬢も頷いて。
「皆様もご存知でしょう? 今でこそ殊勝な態度を崩さないスタンザ国使団ですが、この国に入ったばかりの頃の彼らの態度は、それはもう酷いものだったと。歓待を任された外務省の官吏たちを人とも思わず、エルグランド王国を下に見る態度を省みる素振りすらなかったと」
「……えぇ、まったくです。紅薔薇様の素晴らしい手腕によって、彼らの暴虐な振る舞いはなりを潜め、『反省した』などと調子良く申しているようですが。仮にスタンザ国使団が反省したとしても、異国人ならばどれほど粗略に扱っても良いとされている国に国使を派遣するなんて、そもそも考えられません」
二人と同じテーブルに座っていたシェイラが、完全に据わった目で、内心の怒りを押し殺した声で、怒りを殺し切れていない口調で言い放った。シェイラは、そして『名付き』の三人はスタンザ皇子の標的がディアナだと知っているので、実は冒頭から怒髪天フルスロットルなのである。
シェイラの言葉に、『紅薔薇派』と『中立派』のほぼ全員が深々と頷いた、が。
「そうかしら? だからこそ、国使派遣に意義があるとあたくしは思うわ。スタンザの国使団だけがエルグランド王国を、王国人の優秀さを知っていても意味がないもの。エルグランド王国人が国使としてスタンザ帝国の中枢へ入り、王国の素晴らしさを知らしめてこそ、スタンザ帝国の思い違いを正すことができるのではなくて?」
(……なるほど、一理はある)
これがリリアーヌ自身の考えか、それとも緻密な打ち合わせの上で「こう言われたらこう返せ」と指示されていたのかまでは判別しかねるが、どちらにせよ彼女の言い分にも一定の筋は通っている。シェイラもそう感じたらしく、すぐには反論できずに言葉を詰まらせた。
「リリアーヌ様の仰ることも、分かるけれど。それは別に、今すぐ、大急ぎでしなければならないことでもないでしょう」
言葉に詰まったシェイラの代わりにやんわりと反論を切り出したのはライアだ。長年、同年代の社交の中心となってきた彼女は、さすがに間の取り方を心得ている。
「スタンザ帝国とのお付き合いは、確かに今後しっかりと考えていかねばならない外交案件の一つであることは間違いないわ。場合によっては確かに、リリアーヌ様が仰る通り、エルグランド王国からも国使を派遣して親善に努める必要も出てくるかもしれない。けれどそれは、あちらが王国を軽視している今、することではないと思うの」
「わたくしもライアに賛成よ。本音かその場限りの取り繕いか定かではないけれど、スタンザ国使団はエルグランド王国と『真の友好を結びたい』と明言されていらっしゃるわけだし、彼らが国に戻ってどのように立ち回るか見極めてからでも遅くはない。今の段階でエルグランド王国から国使を出しても、圧倒的に味方の少ないスタンザ帝国ではろくな外交もできないわけだしね」
「攻めの外交姿勢を取るにしても、今はまだ時期尚早ということですね。どれほどの良策も、タイミングを見誤れば悪手となる。リリアーヌ様が仰ることはごもっともですが、それを叶える準備が今はまだ整っていないことは、誰の目にも明らかでしょうから」
『名付き』の三人が柔らかい言葉ながら、はっきりとリリアーヌに〝否〟を突きつけた。三人がディアナと手を結んでいることは昨年度末の貴族議会での一幕からも明らかだっただろうけれど、それでも彼女たちが後宮の全側室の前ではっきりとリリアーヌ――保守派との離別を宣言するのは、それなりの覚悟がなければできないことだ。……特に、長年古参保守貴族の一員に名を連ねてきた、ストレシア侯爵家の令嬢であるライアにとっては。
リリアーヌも三人の覚悟を感じ取ったのか、扇の向こう側で彼女の表情が一瞬歪んだのが分かった。怒りか、悔しさか、あるいはそのどれでもない別の感情によるものか。隣に座っているディアナがどうにか分かった程度の歪みだから、大多数の他の側室たちで気付いた者はごく少数だろうけれど。
「……あたくしは、そうは思いませんわ」
一瞬の動揺を、次の瞬間には綺麗に隠し。
リリアーヌは、あくまで表面上は淑やかに、歳上の令嬢へ敬意を払っている様子で口を開いた。
「あたくしとて、スタンザ国使団と我が国の間に何の交流もない状況であったなら、大切な国民をみすみす死地へと追いやるような、こんなお話に賛同は致しません。それはきっと、外宮でスタンザ国使団のご提案に前向きな姿勢を示していらっしゃる方々とて同じでしょう」
「つまりリリアーヌ様は、スタンザ帝国そのものはともかく、スタンザ国使団と私たちエルグランド王国との間には、一定の信頼が築かれていると、そうお考えなのね?」
「……まさかリリアーヌ様が、それほど好意的に異国の国使団を受け入れておいでとは存じませんでした。ご寛容でいらっしゃるのですね、私も見習わなければ」
字面だけ見ればリリアーヌに好意的なレティシアの言葉だが、にこやかな表情とは裏腹にまるで笑っていない目と、いつもより随分と低いトーンの声が全てを物語っている。最初から、裏があることを確信している相槌だ。言外に「何を悪だくんでる、とっとと吐け」と促す、貴族特有の言い回しでもある。
そもそもレティシアを下に見ているリリアーヌは、彼女の煽りににっこりと笑う。
「異国に好意的? あたくしが? とんでもないわ」
レティシアの言い分を真っ向から否定するリリアーヌからは、まごうことなき本音が感じ取れる。彼女の、好き嫌いがはっきりしているこの性格と姿勢が、実のところディアナはそれほど嫌いではない。異国との交易を全面的に認めている国の貴族階級だからといって、何も絶対異国に好意的でいなければならない決まりもないのだから。……その好悪を他者にまで強制しようとするところが問題なのであって。
「あんな恥知らずな者たちのことを好意的に受け入れるなど、あたくしにできるはずがないでしょう。国使だか皇族だか知らないけれど、厚顔無恥に我が国の宮廷に入り込んで堂々と歩き回るなんて、身の程知らずも良いところ。顔を見ただけで身の毛がよだつわ」
「……ですけれど、リリアーヌ様。あなたは先ほど、その恥知らずで身の程知らずな者たちと我が国の間には、一定の交流があると仰ったわ」
「実際、ございますでしょう? ――ねぇ、紅薔薇様?」
無言で成り行きを静観していたディアナに、ここで初めてリリアーヌが勝ち誇った流し目を向けてきた。敢えてディアナを絡めないよう話を進めていた『名付き』三人と、大勢の側室の中で議論の行方を見守っていたシェイラの瞳に厳しい色が走る。
「ここ連日、紅薔薇様がスタンザ国使団の代表でいらっしゃるスタンザの皇子殿下と親しくお話ししていらしたことは、ここにいる側室皆が目にしております。皇子殿下は無論のこと、紅薔薇様も随分と楽しげなご様子で、会話も弾んでいるようにお見受け致しました。皇子殿下のご信頼篤い紅薔薇様ならば、スタンザ国使団とも密に連携を図り、国使のお役目を十二分に果たすことができるでしょう」
(ふむ、そういう方向性で来たか。……ある意味、想定の範囲内ね)
リリアーヌがこの会で『ディアナを国使とするよう議論を誘導しろ』と指示されていることは、この流れでほぼ確定事項となった。後は、その〝指示〟にどの程度彼女の自由意志が絡んでいるかの確認だ。
反論しようと口を開きかけた『名付き』の三人に視線だけで謝意を示して、ディアナはここで初めて、議論に参入することにする。
「……困りましたね。まさかリリアーヌ様がそれほど、わたくしのことを高く買ってくださっているとは、夢にも思いませんでした」
「まぁ、ご謙遜を。スタンザの皇子殿下と、あれほど親しげにお言葉を交わしておいででしたのに」
「わたくしはあくまでも陛下のご下命に従って、王宮のご招待客でいらっしゃる方々のお相手を務めたに過ぎないのですが。スタンザ帝国の第十八皇子殿下のお話相手もお引き受けはしましたが、それは話の内容が陛下のお手を煩わせるまでもない、皇子殿下のご無聊をお慰めする雑談でしかなかったからであって、そのようなもので殿下の信頼を得られたとは思えません。むしろ、あの程度の話しかできない女を国使の長に据えるなんてと、皇子殿下と国使団の方々にエルグランド王国が笑われてしまうかもしれませんよ」
嘘は一つも言っていない。ディアナがサシでスタンザ皇子とお茶会(という名の質問会)をするようになったのはジュークの命があったからだし、その場で今の国政や外交について意見を交わし合うなんてこともなかった。エクシーガ皇子がディアナへの質問を通してエルグランド王国の内情を探ろうとする、という展開だって充分に想定できるものだったから、さすがにその辺の対策はしっかりした上で挑んでいる。
皇子とディアナの会話は徹頭徹尾、両国の歴史と文化、その上に築かれてきた民と支配層の意識や考え方の違いについて学術的な面から紐解いていく討論だったのである。皇子は学者としてのディアナは認めたかもしれないが、ディアナにどの程度、官吏としての才を見出したかは未知数だ。
……彼の、エクシーガ皇子の目的は、〝女〟としてのディアナを手に入れること。皇子のそんな私的な思惑にホイホイ乗っかってディアナを国使団の代表などに据えてしまえば、まず間違いなく「この国の宮廷はちょろい」とスタンザ側に笑われる。仮にスタンザ国使団のほとんどは皇子の真意を知らなかったとしても、皇子本人と、側近だという男には笑われるだろう。
(そこ、地味に課題なのよね。まぁ外宮側と上手に連携すれば、どうにかクリアできるとは思うけど)
脳内だけで一人ごちつつ、リリアーヌの出方を窺ってみると。
「本当に、紅薔薇様らしくもないご謙遜ですわ。スタンザの皇子殿下が紅薔薇様に心を開いていらしたことは、誰の目にも明らかでしょう。紅薔薇様も殿下とお話ししていらっしゃるときは、とても華やいだ楽しげなお顔でした。紅薔薇様も、他の殿方よりはずっと、皇子殿下を特別に感じていらっしゃるのでは?」
にこやかなリリアーヌの言葉に、室内の空気が凍てついた。後宮内で暮らしている側室のどの程度が『紅薔薇がジューク王の寵姫』説を信じているのかは不明だが、少なくとも対外的には事実として通っている。そんな相手に「他の男の方が特別だろう」と言い放つなんて、礼を失しているにも程がある行為だ。『紅薔薇派』の側室たちは怒りに顔を赤らめて、『名付き』の三人とシェイラは視線だけで案じてくれる。
そんな彼女たちに深く感謝しながら、ディアナはにっこりと笑った。
「学者としての皇子殿下は、たいそう優れたお方ですよ。わたくしは、リリアーヌ様のお言葉をお借りすれば、〝女の分際で賢しらに殿方の領域に口を挟みたがるはしたない女〟ですから、殿下の深い学識に感銘を覚えたことは否定致しません。ですがそれは、皇子殿下が女性であったとしても同じこと。わざわざ〝殿方〟だけに限定するお話ではありませんね」
「ですが、殿下の一部でもお認めなのであれば、やはりそこに信頼関係は生まれているでしょう」
「殿下の頭脳を認めることと、為政者としての殿下を信じることは違います。世の中には、自身の専門分野には並外れた才を見せるけれども、それ以外は常人以下な学者などごまんとおりますから。殿下が学者としてどれほど優れていようが、スタンザ国使団の外交を振り返れば、官吏としても為政者としても信頼するにはほど遠い。実のある言葉は少なく、上辺をどのように取り繕おうと、結局のところエルグランド王国と友好を結びたいと心底から思っているわけでないことは透けて見えますから」
「……紅薔薇様が皇子殿下を信じておられないとしても、殿下の方は違うのでは?」
「わたくしは殿下ではありませんので、殿下の内実は解りかねますけれど。……仮に、万が一、リリアーヌ様が仰るように殿下がわたくしを一国の代表に相応しいとお考えなのでしたら、あまりにも人を見る目がなさすぎますわ」
ディアナが話す度、リリアーヌの瞳に〝困惑〟の二文字が浮かぶ。ディアナがこれほど痛烈にスタンザ皇子を批判するとは思わなかった、とでも言いたげな顔だ。
(……誰に、何を、吹き込まれた?)
様子見はここまでにしよう。リリアーヌは確かに外宮の〝誰か〟と手を組み、この事態を彼らの都合の良い方向へと転がすべく動いている。
けれど――〝誰か〟に〝何か〟を吹き込まれ、操られているだけだとしても、リリアーヌ自身の意志が完全に消えているわけではない。彼女にはまだ、目の前の現実と吹き込まれた話の齟齬に違和感を抱き、自分の頭で考えられるだけの余地があるのだ。
(思想も、考え方も、やり方も、全部相容れない。何年かかっても潰すって決意だって、揺らがない。……でも、潰したその先の未来だって、彼女の居場所は必ずある。私は貴族としての、政に携わる立場の〝リリアーヌ・ランドローズ〟を潰したいのであって、ただのリリアーヌ様を奪いたいわけじゃないのだから)
このまま進めばきっと、リリアーヌも〝捨て駒〟にされる日が来てしまう。正体の掴めない〝誰か〟は、目的のためなら手段は選ばない。
民を統べる貴族としてのリリアーヌを、ディアナは認められない。けれど、だからといってリリアーヌの命を奪おうとは思わない。貴族でなくなった、権力を失った先にだって、命ある限り未来は広がっていくのだから。
(リリアーヌ様に知られたら、間違いなく「お節介」で「大きなお世話」と言われてしまいそうね。――でも、決めたから。私はもう二度と、私の周囲で誰一人、無念に命を散らせはしないと)
密かな決意を胸に、ディアナは真っ直ぐ、リリアーヌを見つめて――。
「わたくしは、この後宮でこそ『紅薔薇』と呼ばれ、暫定的に側室筆頭の立場をお預かりしておりますが、それはあくまでもエルグランド王家の私事の範囲内でしかありません。公的な場に於けるわたくしは、政に関して何の権限も持っていない、いち貴族家の娘でしかないのです。尤もそれはわたくしだけでなく、ここにいる側室方全員に言えることですが。そんな娘を国使の代表に任命しようなんて、そもそも『エルグランド国使団』に大した成果は期待していないと暗に宣言しているようなもの。異国に対し、これほど自国を貶める振る舞いもそうそうないでしょうね」
「でっ……ですが、今回の国使団は両国の友好を深めるためのものであって、外交権限が必要とされるような事態は想定されていませんわ」
「それはスタンザ国使団が言っているだけで、もしも帝国に渡ったエルグランド国使団が、両国の国交に関わる正式な条約締結などを迫られたらどうなさいます? 決定権がないから持ち帰りますなどと返答しようものなら、国使団の立場を悪くするだけです。それは即ち、エルグランド王国がスタンザ帝国に侮られる隙ともなる」
リリアーヌは、側室の多くは、スタンザ帝国が長年密かにエルグランド王国の侵略を目論んでいることを知らない。それゆえ柔らかな表現にはなったが、噂に聞くスタンザ帝国の皇帝なら、のこのこやって来たエルグランド国使団を皆殺しにした上で「エルグランド国使団の代表者が、スタンザ帝国の属国となる旨の約定に署名した」と大嘘をついて、それを根拠に堂々と侵攻するくらいの暴挙を平然と行っても、まるでおかしくない。
(……国使団を派遣する流れが、もう止められないのなら。やっぱり、最善策は――)
暗くなる目の前を、静かに呼吸することで戻して。
震えそうになる手足は、強い決意で封じ込めた。
「以上の理由からわたくしは、側室を国使団の代表とする外宮の案には反対です。……お話を伺う限り、賛成していらっしゃる方はそれほど多くないのではないかしら?」
「そ……うだとしても、あたくしたちは外宮の決定に逆える立場にないわ」
「それは、リリアーヌ様の仰る通りですね。――マグノム夫人」
落ち着いた声で、ディアナはマグノム夫人を呼ぶ。夫人はすぐに近寄ってきた。
「はい、紅薔薇様」
「外宮には、この件については引き続き審議するけれど、そもそも後宮の多数の意見としては、側室を国使団の代表とすることは却ってエルグランド王国の品位を落としかねない懸念があること、国使団の派遣そのものが時期尚早と考えていることを、お伝え願えますか? ――わたくしどもはエルグランド王国の側室として、王宮の命には従いますけれど、だからといって側室が何の考えも意志もなく、ただ王宮の決定に動かされるだけの駒だと思われているのは不愉快です。側室にも意志があり、仮に国使団の代表として側室が選定される運びとなったとしても、それは決して本人も周囲も望んでいたわけではないことを、重々ご理解頂けますようにと」
「承知致しました。――必ず」
マグノム夫人の声には力があった。演技ではない微笑みを浮かべ、ディアナは頷き返す。
「――これで、堅苦しいお話は終わりかしら?」
すかさず優しげな声で手を叩いたのはヨランダだ。ディアナはマグノム夫人と一緒に首肯する。
「そうですね」
「はい、鈴蘭様。――ですが、せっかくご足労くださった皆様方を、このままお返しするわけには参りません。お茶と軽食を用意しておりますので、しばしごゆるりとおくつろぎくださいませ」
マグノム夫人の言葉を合図に、女官と侍女たちが次々とティーセットを、菓子類を運んでくる。ディアナは少し笑って立ち上がった。
「せっかくですから、わたくしは少し、お友だちに挨拶して参りますわ」
「ディアナ様は黙って座っていても、皆様が挨拶にいらっしゃると思うけれど」
「普段ならそうですが、この席順では……」
この即席の側室会議では、『名付き』五人がディアナを中央に横並びで、一段高い席に座っている。建前上は正妃候補な『名付き』の側室と他の側室を区分した形式だ。ディアナの隣にはリリアーヌがいるし、この席並びで『紅薔薇派』の皆とゆっくり話せるとは思えない。
意見したライアも言ってみただけのようで、苦笑しつつ頷く。
「分かったわ。お茶が冷めないうちに、戻っていらっしゃいね」
「はい、ライア様」
表向き、『名付き』の三人はディアナに力は貸していても派閥抗争そのものには非干渉という立場だから(実際は中立派をまとめてくれているが)、ディアナと一緒に立ち上がることはしない。ディアナはゆっくりと段を降りて、会議の間中密かに考えていたルートで机を巡った。
机も原則的には後宮内の位に沿って配置されているから、そう経たないうちにディアナは、ナーシャ、シェイラ、リディルが座る机へと辿り着く。この中では例外的にリディルだけ位が低いけれど、座席は位だけでなく、意見が出やすいよう人間関係も考慮して決められているようだ。
ディアナの姿を認め、立ち上がろうとする三人を、ディアナは他のテーブルと同じように制して。
「お邪魔してごめんなさい。一言、ご挨拶したかっただけなの。楽になさってくださいね」
「そんな、紅薔薇様。畏れ多いことです」
「とんでもないわ。先ほどは、臆せず意見を述べてくださって、本当にありがとうございます」
本心から感謝を述べると、リディルからは称賛が、シェイラからは心配の視線が返された。……さすがにシェイラには、ディアナの心中の揺らぎは気付かれているようだ。
そんなシェイラから逃げるように、ディアナはナーシャへと視線を滑らせて。
(……あ、れ?)
何だろう。……上手く言えないけれど、ナーシャに何となく、違和感がある。すごく小さくて、けれど素通りしてはいけないような。
失礼でない程度にナーシャとその周辺を観察して、ディアナは違和感の原因の一つを発見した。
「……ナーシャ様、食欲がおありでないの?」
「……っ、も、申し訳ありません」
「謝る必要なんて、どこにもないでしょう。もしかして、具合が悪いのかしら? だとしたら、今日は無理をさせてしまいましたね」
「い、いえ、そういうわけでは。ここのところ少し、食が細っているだけですから」
「そうなの? 他に不調はない?」
ナーシャの前には、レモンが浮かんだお茶しかない。取り分け用の皿は真っ白なまま、焼き菓子の屑ひとつ、落ちてはいなかった。
食が細るのは、あらゆる病の兆候だ。胃腸系の病気だけでなく、心の病の患い始めも、食が細ることがある。
「眠れないとか、寝ついてもすぐに目が覚めてしまうとか。そういうことは?」
「いえ……特には。むしろ、普段よりよく眠れているかと」
「そう……」
「それに、食べられないといっても大したことではないのです。モノによっては普通に食べられますから。先日配られた、レモンのケーキですとか」
「あぁ。あの酸味が爽やかで、美味しかったですね」
「はい。ですので、それほど深刻なものではありませんわ。お気遣い、ありがとうございます」
柔らかく微笑むナーシャから、嘘は感じられない。ひとまず納得しつつも、ディアナの内にはやはり、微妙な違和感が残った。
(取り敢えず、後で皆に共有だけしておこう……)
このテーブルにだけ長時間留まるのも不自然だ。ディアナは頷く。
「分かりました。不調が続くようなら、きちんとお医者様に診て頂いてくださいね」
「はい、紅薔薇様」
挨拶を交わしてテーブルを離れつつ、ディアナはナーシャの件も含め、仲間たちへ告げる言葉を考え続けていた――。
というわけで、超久々なリリアーヌさんでした!
先週は少し体調不良で、更新をお休み致しました。その旨活動報告でお知らせできれば良かったのですが、正直真面目にだるくてですね……
短文投稿に違和感がないTwitterさんでは、更新をお休みする際は告知しておりますので(無言で更新すっぽかす事態になったら、割と深刻に切羽詰まってるかと思われます)、よろしければフォローください。今ならば、『悪役令嬢後宮物語』と検索すれば、ユーザーの欄に出てきます。