暗雲の中の安息
さてさて皆様、読書のおともに苦味のご準備はよろしいですか??
「ディアナ!」
ジュークから教えられた部屋へ隠し通路から侵入(正規の扉からではなく、本来は壁であるはずの場所から入室したので、侵入で間違ってないと思う)した瞬間、ディアナは待ち構えていたらしいクリスに抱きつかれた。ぎゅっと抱き締めてくるクリスの背に手を回し、ディアナも抱き返す。
「申し訳ございませんでした、クリスお義姉様。大事ございませんか?」
「大事があったのはディアナでしょ! こんなときなのに他人の心配ばっかりして……怪我は? どこか痛いところとかない?」
今日は貴族令嬢でなく後宮近衛の団長として会場にいたクリスは、見慣れたいつもの騎士姿だ。そんな中、普段のクリスなら絶対に浮かべない泣きそうな顔でディアナを覗き込んでくることだけが異質だった。至近距離でディアナをじっと見つめた後、クリスはディアナの肩に手を置いたまま一歩下がり、上から下までまじまじ眺めてくる。
「確か、手首握られてたよね……捻ったりとか、痣になったりとか、そういうのは大丈夫?」
「えぇ、わたくしはどこも傷ついておりませんし、痛いところもございません。いくら男の方とは申せ、武術の心得がまるで無い方に遅れは取りませんわ」
「そりゃ、ディアナの護身術が板についているのは分かってるけど! 男と女じゃ、どう足掻いたって絶対的な力に差があるんだよ」
「それでもわたくしは、あんな方にわたくしの一欠片だって、害させはしません」
ディアナの強い口調にクリスと、その後ろで静かに様子を見守っていたエドワードが目を丸くする。
スタンザの皇子とやり合うため一旦脇に置く形にはなっていたけれど、そもそもディアナはうっかり冷静さを失って相手を逆上させてしまう程度には、グレイシー男爵に対して怒りを覚えていたのだ。
「あの方が、クリスお義姉様のお身内で、今となってはたった一人の肉親でいらっしゃることは存じております。ですがわたくしは、たとえお義姉様のお兄様でも、〝クリス様〟をあれほど侮辱される方を年長者としても男性としても敬えませんし、尊重することもできませんから。あの方がわたくしを傷つければ、それにわたくしが臆すれば、やはり女は力で抑圧することが可能だと思わせてしまうでしょう。あの方を調子づかせる可能性は、極力排除するのが当然です」
「……ディアナ、何を言われた?」
「言いたくありません。聞くだけで耳が腐るかと思ったのに、口に出したら口まで腐ってしまいます」
「言いたくないことは言わなくて良いから、要約して話せ。――お前がそこまで怒るんだ、余程のことを言われたんだろう」
エドワードに引く気は無さそうだ。さすがは兄と言うべきか、ディアナがこれほど怒るということは〝クリスのことを〟相当悪く言われたらしいと察している。最愛の恋人を妹の眼前で貶されて怒らない兄ではなく、正当に怒るためにも正確な状況把握が必要と判断した、というところだろう。……分かるがやはり詳細を言う気にはならなかったので、ディアナは少し考えてから口を開いた。
「結論だけ申し上げれば、後宮近衛の団長を『紅薔薇派』へ引き入れたのであれば、その実家へも便宜を図れという要請でした」
「奴は何故、後宮近衛の団長が『紅薔薇派』に入ったなどと考えた? 確かにクリスはお前に協力しているが、後宮内の様子など、奴に知る術はないはずだぞ」
「春の御前試合で、グレイシー団長が上位八名の成績を修められたことから、そう邪推されたようですね」
「はぁ?」
「……なるほどね、いかにもあの人の考えそうなことだよ」
ディアナとエドワードの会話を無言で聞いていたクリスが、ぞっとするほど低い声で相槌を打った。エドワードが向けた視線に、一つ頷いてクリスは続ける。
「大方、ボクが上位八名に食い込んだのは、ディアナが裏で賄賂を積んで仕掛けた八百長だとでも思ったんじゃない? 『女が剣で男に敵うはずがない』ってのが口癖で、信条の人だし」
「はあぁ? アイツ、試合見てなかったのか? あの試合運びと勝ち上がり方で八百長を疑うのは無理あるだろ」
「ですよね。実際に観戦していて、ある程度の武術の心得があれば、そんなこと自明の理なのですけれど」
「試合観てようが観てまいが、あの人の目は自分が見たいモノしか見えない仕様だから」
「随分とご都合のよろしい目をお持ちなのですね」
「ある意味羨ましいな」
ときに『賢者の慧眼』効果によって見たくもない真実を見通してしまうクレスター一族に生まれ落ちた身としては、そういう手合いの存在を知ってはいるけれど、どう足掻いても理解も共感もできないなと感じる。エドワードも同感のようで、「羨ましい」と言いながらその唇には冷笑が浮かんでいた。
「で? 妹を『紅薔薇派』に取り込んだんだから、その実家にも援助しろって言い出したってことは……クリスを金持ちに嫁がせる計画は諦めたのか?」
「……えぇまぁ、完全にというわけではないでしょうけれど、ひとまずは」
あの自分勝手な男がその結論に至った思考を懇切丁寧に説明する気にはなれなかったので、歯切れ悪く頷くに留めておく。察しの良いエドワードとクリスはそれだけでディアナの心情を汲んでくれたらしく、返ってきたのは軽いため息だった。
「……やっぱり、もう止めよう、エド」
しばらくの沈黙の後、クリスが静かに切り出す。
「グレイシー家のことをこんなにも考えてくれる、君とクレスター伯爵家の方々のご厚意はありがたいし、とても嬉しく思ってる。けど、これ以上待っても無駄だよ。あの人は、ボクが未婚でいる限り、ボクを使って誰かから金銭をせびることを諦めない。――結婚すれば、ボクの籍はクレスター家へと移って、あの人が自由にできる〝妹〟は居なくなるんだ。もう待つのは止めて、あの人の浅ましい欲望を叩き折るのを優先させるべきだよ」
「だが、そうなったら騎士の家柄としてのグレイシー男爵家は終わりだぞ。今はお前がグレイシーの名で後宮近衛の騎士団長の座にあるからこそ、辛うじてその系譜が保たれているんだ。……ここまで必死になって繋いできたのに、それを諦めて良いのか?」
「……グレイシーの、騎士の誇りなんて、ディアナを傷つけて苦しめて、危険な目に遭わせてまで守るほど大層なモノじゃないよ。ここで必死に繋いだって、兄が何かやらかせば、いつまたフイにされるか分からない」
「――それは、諦める理由になりません」
珍しく気弱なクリスに黙っていることができず、ディアナは兄夫婦の会話に割り込んだ。
「お義姉様は誤解なさっておいでです。わたくしは、〝クリス様〟を家の道具としか見ていない男爵にひたすら腹を立てているだけで、心身共にかすり傷一つ負ってはおりません。あんな男のために、クリスお義姉様が大切なものを手離して諦める必要はないのですよ」
「ディアナ……」
「わたくしの我慢が効かなかったせいで男爵を逆上させてしまい、社交の場であれほどまでに目立ってしまいましたから、これまでのような男爵を日陰の身に置き続ける待ちの一手が使えなくなってしまったことは確かです。しかし、グレイシー男爵家の系譜を、騎士の誇りを守る手段は一つではないはず。幸い、我々を取り巻く環境もこれまでとは大きく異なり、力になってくれそうな方々も昨年の今頃からは考えられないほど沢山いらっしゃいます。この状況で諦めることこそ愚行だと、わたくしならば考えますが」
「……ま、ディアナの言う通り、今〝グレイシー男爵家〟を諦めるのは早計だろう。外宮の反応や動きを見極め、ジュークや閣下に事の次第を説明して、考えを伺ってから対策を練っても遅くはない。諦めるだけなら、いつでもできるわけだしな」
「エド……ごめん」
「謝罪はいらん。お前の家の存続を俺が考えるのは当たり前のことだ」
「……うん、ありがとう」
うっすらと涙を浮かべて微笑むクリスを、エドワードが無言で抱き寄せる。エドワードとクリスの性格上、第三者がいる前では恋人というより剣士仲間といった雰囲気でいることが多い二人だが、今回だけは例外ということだろう。馬に蹴られる趣味はディアナには無いので、こっそり視線とジェスチャーでエドワードへ問い掛ける。
(お兄様とお義姉様は、もうしばらく休んでいかれますよね?)
(あぁ)
(でしたらわたくし、少しこの辺りの庭でも散策して参りますわ。今は会場へ戻らない方が無難でしょうから)
(……悪いな)
(お気になさらず。お義姉様の方が心配です、ついていて差し上げて)
エドワードと視線を合わせて一度頷いてから、ディアナは音を立てないようそうっと扉を開けて部屋を滑り出る。隠し通路の位置関係から大まかな場所は把握できていたので、一番近くの人気の無い庭へとそのまま抜け――。
(あ……)
人の気配が完全に途切れたところで緊張が抜け、そのままがくりと足から崩れ落ちる。
久々に倒れるか、と思った身体は、伸びてきた力強い腕に支えられた。
顔を見るより先に――その馴染んだ体温に全身が安堵で包まれる。
「カイ……」
「よく頑張ったね、ディー。……ちょっと頑張りすぎた?」
「うん……」
まるで壊れものを扱うかのような慎重な手つきで、ゆっくりと抱え上げられる。
遠慮する気力もないまま、ディアナはただ黙って、その優しい腕に縋り付いた。
ディアナを抱えたまましばらく歩いたカイは、ほぼ全方向から死角の位置にある忘れ去られたかのようなベンチまで辿り着くと、やはりそっと――ディアナに痛みどころか衝撃一つ与えないほど丁寧に、降ろしてくれる。
ベンチに落ち着いたディアナを確認したカイは、そのまま立ち上がろうとして――。
「……ディー?」
カイの腕に縋り付く指先に力を入れたままのディアナに気付いて、動きを止めた。
「どうしたの?」
「わから、ない……わからない、けど」
緊張が切れた瞬間、ディアナに襲いかかってきた、怒濤の感情。様々に混じり合ったそれらを紐解いて分析する余裕など、今はまるでない。
――けれど、ただ。
「お、ねがい、カイ。……はなれ、ないで」
自分の手が、全身が、氷のように冷え切っていたことを。
カイの熱い腕に抱き留められたことで、初めて実感して。
今はただ、この熱を失いたくないと、本能が叫んでいることだけは分かるのだ。
ディアナの言葉を、眼差しを、真正面から受けたカイの動きが止まる。
一拍の間を置いて――ディアナはもう一度カイに強く、しっかりと、抱き締められた。
力強い温もりの中でようやく、心のままに呼吸をして。
「あり、がと……ごめんね、わがまま言って」
「こんなの、わがままのうちに入んないから。……俺で良いなら、いくらでも使って」
「……ちがう」
カイの言葉が引っかかり、連鎖で自身の感情が一つ、はっきり浮かび上がってくる。
「カイ〝で〟良いんじゃない。カイが、良いの。カイが、良かったの」
「……ディー?」
「私、今たぶん、過去最高にわがままだわ……」
グレイシー男爵が喚く会場から、スタンザの皇子に手を取られて連れ出された、そのとき。
バルコニーで話している最中、彼に手を取られたとき。
駆けつけてくれたジュークが、側室を愛する王らしく手を引いてくれたとき。
――理性で抑え付けて〝無い〟ことにした違和感が、今この瞬間、ディアナの中ではっきりした形になる。
(私、触られたくなかったんだ。……このひと、以外に)
通常時ならまだしも、あれほど緊張を強いられる場面で、自身の身体を一部でも他人に預けるなど、できればしたくはない。それがこれまでのディアナだった。
あのときだって、それは変わらなかったはずなのに。いつの間にかディアナの中で、他人に触れられたときの感覚が変わっていたのだ。
誰かに勝手に触られることへの不快感より――その手が、体温が、特定のひとのものでないことへの違和感と、それゆえの渇望感が勝るなど。
(弱った私に触れるのはカイだけが良かった、なんて……いつの間に私、こんなわがままになったの?)
さすがにこんなわがままを口にすることはできない。口にしたところで実行不可能なのだから、聞かされたカイとて困るだろう。……いくら何でもわがままが過ぎると呆れられるのも嫌だ。
何も言えず、それでもやっと感じられた温もりを失いたくなくてぎゅっと力の入った指を、優しいカイの手が撫でてくれる。
「大丈夫。ディーが望む限り、俺はずっと離れないし、離さないから。……たった独りでよく頑張ったね」
「……独りじゃ、ないでしょ。カイが、ずっと居てくれた」
気配を悟らせるようなヘマを踏むひとでは無いから、その存在を感じ取ることは今の今までできなかったけれど。
今夜、カイがずっとディアナを見守ってくれていることは分かっていたし、実際グレイシー男爵が手榴弾を爆発させようとした際、止めてくれたのは彼だ。
カイが居ると分かっていたから、ディアナはどんな極限状態でも自分を見失うことなく、冷静に立ち向かうことができた。
――心なしか、背中に回っていたカイの腕に力が入る。
「俺は……見てただけだよ。謙遜でも何でもなく、本当に今夜の俺は、見てることしかできなかった」
「そんなこと、ない。グレイシー男爵を止めてくれたし……今だって」
「男爵を止めたのはディーだよ。俺はちょっと手伝っただけ。今こうしていられるのは……他に誰も居ないからだし」
「それでも、カイが居てくれるだけで、見守ってくれているって思うだけで、私は自分でも驚くほど頑張れる。……カイが居てくれる限り絶対独りにはならないって、信じられるからかな。こんな不思議な強さが自分の中にあるなんて、知らなかった」
大切なものを永遠に喪ってしまうかもしれない恐怖に震えるディアナを、カイはたった一言で救ってくれた。――「ディーは、何も喪わないよ」と。
言葉で、行動で、何度も示してくれたカイの想いは、いつの間にかディアナの奥深くまで根を張り、包み込んでくれていたのだ。それこそ、存在だけでディアナを強くしてくれるほどに。
「……ありがとう、カイ。ずっと傍に居てくれて」
「何もできてないのにお礼言われるのは複雑だけど……どういたしまして。見てただけでも、それがディーの安心とか勇気に繋がったのなら、ちょっとは役に立てたのかな」
「役に立つとか、そんなこと考えないで。……何かして欲しくて、あなたを求めているわけじゃないわ」
話しているうち、徐々に体温が戻ってくる。その分カイの温もりが遠ざかった気がして、ディアナは無意識のうちに、カイの首筋に額を押し当てていた。
少し身動いだカイが、ほぼゼロ距離から見つめてくる。
「……ディー、今日はやけに甘えたさんだね」
「……ごめん、嫌だった?」
「俺がディーのことを嫌がるわけ無いでしょ。珍しいから、ちょっと驚いただけ」
「ん……」
優しく髪を撫でた手が、そのまま頬へと滑り落ちてくる。優しい手は心地良いけれど、手袋越しの体温が少し寂しい。
……許される、だろうか。ほんのちょっとだけ、わがままを追加しても。
「……ちょくせつ、」
「ん?」
「直に、触って欲しい。……手袋越しじゃ、なくて」
カイの手が、動きが、ぴたりと止まる。レスポンスが途切れた彼に、やはりわがままが過ぎたかと不安が過り、撤回しようと口を開きかけた――、
その、瞬間。
「――!」
ふわりと一瞬身体が浮き上がり、気付いたときにはカイの膝上に抱き上げられた状態で、これまで以上にすっぽりと全身を包まれる。
ディアナを抱えたまま、自身の手からするりと手袋を抜き去ったカイの瞳が艶やかに細まるのを、どこかぼんやりした頭で見つめた。
「……ほんっとディーって、俺を煽るの上手いよね」
「カイ……?」
「俺、そうやって無邪気に、無防備に求めてもらえるほど、清らかな心は持ってないから。……怖くなったり、嫌になったら、早めに逃げて」
カイの言葉の意味が浸透する前に、手袋越しではない体温が背中へと回り、軽く抱き締めてくれる。もう片方の手が優しく丁寧に髪を梳き、そのまま耳の後ろを、首筋をなぞって、頬を撫でた。
その、感触の全てが。彼の熱が。
ぞくぞくするほど――心地良い。
「ディー……」
これまでにないほど近い場所で、耳許で、囁くように呼びかけられる。耳に触れた彼の吐息に、痺れるような〝何か〟が背筋を這った。反射で漏れそうになった声を抑え、少し顔を動かしてカイを見る。
間近で見たその黄昏の宵闇は、これまで見たことがないような不思議な熱に満ちていて、魂全てを吸い込まれそうなほど美しかった。
「なぁ、に?」
「俺も……」
「あなた、も?」
「――ディーの手に、俺も、直接触れたい。グローブ、取っても良い?」
今夜のディアナは正装だから、当然手には夜会用の手袋を填めている。所謂イブニング・グローブというやつだ。
実用性のあるものというよりファッションの一部で、生地もごくごく薄いけれど、布が一枚ある以上確かに〝直接〟ではない。カイの体温を布を挟まず感じたいのはディアナとて同じだったから、深く考えることもなく、ディアナはこくりと頷いた。
――刹那、カイの瞳が艶やかな色に染まる。
「ありがとう、ディー」
言葉と同時にカイの手が動き、ディアナの右腕をすっと持ち上げる。流れるような動きでグローブの裾を肘から手首までたくし上げ――。
「!!」
カイの唇がディアナの指先に触れ、一瞬濡れた感触を覚えたかと思うと、次の瞬間には指先を包んでいた生地を咥えたカイによって、グローブが引き抜かれていた。びくりと慄いた肩をもう片方の優しい手に宥められつつ、手首を支えていたカイの手が露わになった手のひらと向き合って重なり、そのまま彼の指がディアナの指の間に入り込んでいく。指の隙間までぴたりと埋めるカイの温もりは、これまで感じたことのない不思議な高揚感をディアナへもたらした。
「……冷えてるね、やっぱり」
「そ……う?」
カイの手がいつもより熱く感じるのは、繋ぎ方のせいもあるだろうけれど、やはり自身の指先が冷えているからなのだろう。指を絡めた状態で手を握られ、いつもよりずっと深くまで、カイの温もりが手のひらに浸透する。もっとその温かさを感じたくて、ディアナは半ば無意識のうちに、カイの手を握り返していた。
ディアナの指先を感じたらしいカイが、静かに笑った気配がする。向き合って繋がれていた手が、ゆっくりカイの方へと引き寄せられて。
「……っ、カイ、」
「いや?」
「や、……じゃ、ない、けどっ」
手首に、手の甲に次々と落とされる、柔らかく濡れた感触。ちゅ、と時折響く水音に、見なくても何が起こっているのか察せてしまい、頬にこれまでとは違う熱が灯った。思わず目をぎゅっと瞑ると、手首に短い吐息がかかる。
「けど、どうしたの?」
「なんで……き、キス、なんか」
「……理由は、たくさんあるけど」
話しつつ、ちゅう、と先程より大きな音を立てて、カイの唇がディアナの手首に吸い付いた。握られているのは手で、口付けられているのは手首なのに、何故か先ほどから背筋に痺れが走って止まらない。間違いなく初めての感覚で、未知のものへの恐怖は心のどこかにあるけれど、それ以上にカイの熱が心地良くて、濡れた唇の感触すらどうしてか快感で、拒むどころか〝もっと〟と求める欲深な自分が居ることに気付く。
「カ、イ……っ」
言葉さえも見失い、ただ彼の名だけを呼び、自由な方の手で彼の服を掴んで縋ると、大きな手が全て承知しているかのように、ゆったりと頭を撫でてくれた。カイの熱に包まれ慈しまれている手と、撫でられている頭や背中が、自分の身体の中でも特別なものになったかのような錯覚に陥る。
やがて、全身に熱が移る頃――まるで反比例するかのように、ディアナの意識は遠のきつつあって。
「カイ……わたし、」
「大丈夫。俺が連れて帰るから、このまま眠って良いよ――」
柔らかいカイの微笑みを最後の記憶に、とぷりと闇に沈むのであった。
「……他の男の感触も、温もりも、全部忘れて。俺のだけ刻んで、夢の世界へ連れてって――」
微睡の中で聞こえた囁きは、現実か、それとも夢の世界が魅せた願望だったのか。
真実はただ一人、若き獅子だけが知っている――。
書き終わって冷静になってから、しみじみ思ったこと。
「……いや、こんな呑気にいちゃついてる場合じゃないっていうか、何がどうしてこうなった????????????????????」
甘くしようなんてこれっぽっちも思ってなかったのになぁ……ふっしぎー!!




