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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
144/235

姉と弟

今話は少し短めです。


 廊下の隅での休息と、垂れ幕裏でダイナ、フィガロと話をしていた時間を合わせても、それほどの長時間が経過したわけではない。大広間は先ほどとそう変わることなく、ダンスと貴族の社交が展開されている。休憩中に変わったこともなかったようで、感じ取る限り、場の空気は休憩前とさして動いていなかった。保守派と革新派の間に冷たい緊張感が流れていることも、スタンザ一行がいない者として扱われているのも、休憩前と変わらない。

 ディアナは先ほどアベルと一緒に消えた方向から、徐々に気配を戻しながら大広間の内側へと戻る。当たり前だがすぐに気付かれ、「紅薔薇様!」と呼び止められ、休憩前と変わらず挨拶を受けることとなった。相変わらずダンスに誘ってくる人はおらず、周囲に人が集まるにつれ保守派からの悪意増し増しになるのも、先ほどとまるで変わらない。分かっていたことなので別に良いけれど。


「紅薔薇様」


 そんな中、たおやかだけれど頼りになる声が耳に届き、ディアナは内心ホッとしつつ振り返る。

 予想通りそこには、シェイラと、シェイラの友人であるリディルとナーシャの姿があった。

 しずしずと進み出てきた三人は、綺麗に一礼する。


「紅薔薇様にご挨拶申し上げます」

「今宵はまた、一段とお美しくていらっしゃいますね」

「まさに、闇夜に咲く一輪の薔薇のようですわ」

「ありがとうございます、ナーシャ様、シェイラ様、リディル様。皆様もお美しくていらっしゃるわ。ドレスも宝飾品も、とてもよくお似合いよ」


 にこにこ笑い合いながら、言葉を交わす。ちなみに一人ずつの名前を呼んだのはわざとで、ディアナは今回、複数の側室から挨拶を受けた場合は、なるべく後宮内の新序列に沿った順番で個別の名前を呼ぶよう心掛けていた。新しい後宮内の序列では、ナーシャの地位がかなり上がり、次いで貴族議会の功績によってシェイラが上がった形になる。というより、上がり調子な紡績業を営んでいるクロケット家の令嬢でありながら、これまでのナーシャの地位はあまりにも低すぎた。クロケット男爵が声の大きい人であれば、とっくの昔に大きな騒動になっていただろう。シェイラの地位を上げるための後宮改編ではあるけれど、抜け目のないマグノム夫人はこの機会に、これまで実家の力とは無関係に新興貴族というだけで冷遇されていた側室たちの処遇もきっちり見直したようだ。

 プライベートな場では遠慮のない間柄でも、社交という公の場では序列に従った振る舞いが求められるのは、エルグランド貴族の常だ。三人ともそれを分かっているから、シェイラとリディルは一歩引いて、三人の代表の立場をナーシャへと譲った。これは同時に、後宮内に新たな序列ができたのだと、後宮外にも知らしめる効果を狙ってのことだろう。

 友人たちに譲られたナーシャは、控えめながらもしっかりと微笑んで、ディアナをまっすぐ見つめてきた。


「紅薔薇様。先ほどは、デビューを迎えました弟に温かなお言葉を掛けてくださり、誠にありがとうございました。家族を代表致しまして、御礼申し上げます」

「御礼など……ナーシャ様の弟君となれば、わたくしにとっても知らない方ではありませんもの」

「いえ、そんな。何分、今宵デビューしたばかりの新参者で世間を知りませんゆえ、紅薔薇様に失礼なことを申しましたのに、お目こぼし頂きまして……」


 演技ではなく、心底申し訳なさそうに、ナーシャは頭を下げてきた。少し微笑んで時間を稼ぎつつ、ディアナは少し考える。


(えーと……失礼なこと、って何だっけ?)


 ルドルフの挨拶は、概ねしきたりに則ったものだと記憶しているが……あぁ、もしかして。


「確かに、弟君はまだ、世界の広さをご存知ないようですけれど。デビュタントであればそれは誰しも同じことですし、失礼なことなど何一つありませんでしたよ」

「いえ、ですがよりにもよって紅薔薇様に、自身の容貌を自慢するような振る舞いを……」

「弟君の、あの際立った見目麗しさでは、それも致し方ないことでしょう。わたくしは後宮で、皆様方のような美しいご令嬢方を見慣れていますので、今更人の美醜に心動かすことはありませんが」


 やはりナーシャが気にしていたのは、ルドルフがディアナに対し、「私に笑いかけられて、頬を染められなかった若い女性は初めてです」と言ったことについてだったか。ぶっちゃけた話、女神の美貌を持つリファーニアと幼い頃から間近で接していたディアナは、割と本気で人の美醜に鈍感だったりする。もちろん客観的に見て整った顔なら美しいと思うし、普通に感心もするけれど、どちらかといえばそれは美術品を鑑賞している感覚に近い。そもそも自分自身が「ハイレベルな美人(但し悪人面)」と耳タコで言われ続けてきたわけだから、そもそも美人であることにあまり価値を見出せないのである。

 そんなディアナから見れば、申し訳ないけれどルドルフの美貌は、確かに天使の如きではあったけれどもそれだけだ。単純な顔貌レベルだけで比較するなら、さっき話したフィガロとて負けていないし、もっと身近なところで言えばカイだって普通に美形である。……いやむしろ、少年時代の天使度でいえば、カイの方が勝っているのではないだろうか。クレスターでの『里帰り』中、ディアナはソラとひょんなことから意気投合し、ソラがこっそり隠し持っていた少年時代のカイを描いた肖像画を見せてもらったことがあるのだ。そこには正しく、天使が鎮座していた。

 ――と、どうでも良いことを思い出しかけたディアナは少し取り繕うように笑い、改めてナーシャに語りかける。


「弟君はこれから社交をしていく中で、ご自身のこれまでの世界がいかに狭く、限られた箱庭であったかを実感なさるはずです。そうなればきっと、わたくしのような者も特に珍しくはないと気付かれるでしょう」

「そう、だと良いのですが……」

「心配することはありませんよ。あのご聡明なクロケット男爵のご子息で、ナーシャ様の弟君なのですから」

「そうですわ、ナーシャ様」

「弟君がご心配なのは分かりますけれど、あんまり先々のことばかり案じられては、ナーシャ様の方が参ってしまいますよ」


 ディアナの言葉に、シェイラとリディルも賛同する。友人たちに励まされ、ナーシャはようやく、安堵したような笑みを浮かべた。


「――姉上。こちらにいらしたのですか」


 そこへ、まさに今話題に上っていたルドルフがやってくる。先ほどデビュタントの挨拶をしたときと変わらない天使の微笑みを浮かべ、ナーシャに近付いてくる彼の姿に、やはり周囲からは感嘆のため息が漏れた。シェイラとリディルもルドルフを見るのは初めてだったようで、目を丸くして彼を見つめている。

 ナーシャを見つけて嬉しそうなルドルフだが、肝心のナーシャの方は、どこか遠慮がちというか、困ったような笑みを浮かべて近付いてくる弟を見つめている。ディアナの角度からはナーシャとルドルフ両方の表情がよく見えて、だからこそこの姉弟のちぐはぐさが妙に引っかかった。


「良かった。姉上のお姿が見当たらなかったので、探していたのです」

「ルドルフ……何度も言うけれど、あなたはここへ、クロケット男爵家の次代として来ているのですよ。確かに私とあなたは姉弟ですけれど、陛下の側室としてここに立つ私とはもう、立場が違っているのです。他の側室方も、ご家族と行動を共にしてはいらっしゃらないでしょう。王宮夜会の場で私と顔を合わせられるからといって、ずっと一緒に行動できるわけではないし、して良い道理もありません」


 いつも穏やかで控えめなナーシャにしては珍しい、厳しい物言いだ。ディアナが密かに驚いている前では、シェイラとリディルが、こちらは素直に驚愕の表情になっている。

 この場はディアナが何か言うより、近い立場の二人に仲裁してもらった方が良いだろうと、ディアナはさり気なくシェイラへ視線で合図した。


「ナーシャ様……。何もそこまで、弟君に厳しくされなくてもよろしいのではありませんか?」

「えぇ、シェイラ様の仰る通りです。確かに私たちは側室ですけれど、だからといって夜会の場で顔を合わせた家族にまで側室として振る舞えとは、陛下も仰いませんでしょう」

「お気遣いありがとうございます、シェイラ様、リディル様。ですが、ルードに――弟にとって、この王宮夜会は、社交は、とても大切なものです。今後、クロケット家がエルグランド王国で恙無く商いをしていくためには、養父(ちち)の地盤を継ぐだけでなく、自ら社交の場で人脈を広げていかねばなりません。……嫁いだ姉などに、構っている暇はないはずです」

「ナーシャ様……」


 これほど頑ななナーシャは初めてなのだろう。シェイラが困惑した様子で、ナーシャの名を呼ぶ。言っていることが間違っていないだけに、ナーシャの態度を軟化させるための隙が、なかなか見つけられないようだ。

 ナーシャに跳ね除けられたルドルフは、見るからに落ち込んだ様子で俯いている。ディアナは少し考えて、ふわりとルドルフへ微笑んだ。


「お姉様は、なかなかお厳しいようですね」

「え……?」

「わたくしも末っ子ですので、お気持ち、少し分かります。兄や姉というものは、どうしたって弟妹に厳しい物言いをしてしまうのだと、頭では分かっていますけれど……こちらにだって理由はあるんだから、聞いてくれても良いじゃないかと思いますよね」


 エドワードに聞かれたら即座にお説教が始まりそうな言い分を、こっそりと落とす。ディアナの視線に何を思ったか、ルドルフは少し明るい表情になった。


「そうなのです。姉はいつもこんな調子で、何かと言えばクロケット家のことを考えなさい、側室となった自分のことは気にしなくて良いからと、そればかりで。姉とてクロケット家に連なっているのですから、家のことを考えればどうしたって姉のことも切り離せはしないのに」

「分かりますよ。特に貴族社会の婚姻は、嫁いだからといって実家と無縁ではいられません。ごく稀な例外を除いて、実家の影響力は嫁ぎ先にも及びますし、逆もまた然りです。事実、ナーシャ様が側室へと上がられたことで、クロケット様が営む紡績工場への生地発注も増えられたとか」

「えぇ。姉のお陰で、昨年の業績は一昨年を上回りました。……だからこそ、側室へ上がられたからといって、姉を無碍に扱うなどできるはずがありません」

「そうでしょうね」


 ディアナの相槌に、ルドルフはさらに瞳を輝かせて。


「紅薔薇様のお兄様は、クレスター伯爵様のご長男でいらっしゃいましたよね。やはり、紅薔薇様にはお厳しいのですか?」

「ちょっ……、これ、ルード! 失礼よ!」

「大丈夫ですよ、ナーシャ様。――そうですね。先ほどのナーシャ様より、厳しいかもしれません。ここだけの話、怒るととっても怖いのですよ」

「へぇ……やっぱり、どこのお家でも同じなのですね。こうして叱られるのが私だけではないと知れて、少し安心しました」

「よろしければ、他の弟君のお話も聞いてみてはいかがですか? 先ほどデビュタントの挨拶をされていた方々の中ですと、ユーストル侯爵家のアベル殿と、新メルトロワ子爵でいらっしゃるクロード殿が、それぞれ末の弟君でいらしたかと」

「ユーストル侯爵家のアベル殿なら、学院で何度か顔を合わせたことがあります」

「そうなのですね。――ナーシャ様」


 ルドルフの気持ちが完全にほぐれたところで、ディアナはまだ固い表情のナーシャにも微笑みかけた。


「よろしければ、弟君を鈴蘭様へご紹介頂けませんか。わたくしが間に入るより、姉君でいらっしゃるナーシャ様が仲立ちされた方がよろしいでしょう」

「で、ですが紅薔薇様……」

「――ナーシャ様が仰ること、大変よく分かります。弟君の社交の邪魔になってはいけないと、強く己を律していらっしゃるお姿に、感銘も覚えました。しかし、側室であるからこそご実家のお役に立つ方策もあるのではないでしょうか? 控えめなのはナーシャ様の美徳ですが、もう少しご自身の価値をお認めになって、積極的に動かれるのも良いと思いますよ」


 ディアナの言葉に、ナーシャは少し沈黙してから、静かに頷いた。


「畏まりました。お言葉、しかと胸に刻みます」

「それほど大層なことは申しておりませんよ。――シェイラ様、リディル様も、よろしければお二人に付き添って差し上げてくださいませ」

「承知致しました」

「紅薔薇様の寛大なお心遣いに感謝致します」


 シェイラとリディルの感謝の念に、ディアナは視線だけで「気にしないで」と返した。実際、大したことをしたわけではなく、単に目の前で始まりそうだった姉弟ゲンカを末っ子の立場で仲裁しただけだ。上の兄姉(きょうだい)から正論で頭ごなしにお説教される居心地の悪さは、同じ弟妹にしか分からないだろうから。ナーシャが想定外に頑なだったため、手っ取り早く場の空気を和らげるには、ナーシャよりもルドルフを切り崩した方が早いという計算が働いた、という理由もある。


(それにしても、やっぱり変というか、ちぐはぐよね……?)


 個人的に親しいわけではないけれど、ディアナから見たナーシャは、場の調和を大切にする気遣い上手なご令嬢という印象だった。控えめな性格ではあるけれど卑屈ではなく、いざとなれば前面へ出て闘うことも躊躇わない。そんな彼女を見てきたからこそ、弟のこと、家のこととなると途端に「私など」という言葉を口にする彼女に、強い違和感を覚えてしまう。もしかしたらルドルフも、そんな姉が心配だからこそ、必要以上に気にかけているのかもしれない。


(生まれが貴族じゃない、って……そんなに重いことなのかしら?)


 こればかりは、貴族の家に生まれ落ちたディアナには、想像することしかできない世界だけれど。少なくともルドルフはナーシャを姉として慕っているように見えるし、クロケット男爵も貴族議会での様子を見る限り、継子だから、貴族の生まれでないからという理由でナーシャを厭っているわけではないだろう。社交界へ出れば陰口を叩かれるのは避けられないにせよ、そんな無責任な他人の言葉ではなく、身近な家族の気持ちこそを信じてほしいと思う。

 ――ヨランダとアベルの姉弟と話をすることで、少しでもナーシャの気持ちが解れればと願いつつ、ディアナは去りゆく皆の背を見送ったのだった。


ルドルフくん本格登場に伴い、お月様にて先行出演しておりました彼の名前を訂正致しました。

改名理由はいくつかありますが、〝クロード〟が既に居たというのが大きいですね……。

ご指摘くださった方、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど。回答ありがとうございます! 既にいたクロードさん……え、どこのどなたでしたっけ(汗 ナーシャ様がクロウって呼ぶの、可愛くて好きだったからちょっと寂しい。 いやしかしルード呼びも、…
[一言] う~ん、ルードとナーシャの関係、切ないよぉ~!!! お月様の小説を読んで、お互い思いあっているのを知ってるだけに…。
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