新たなる嵐の訪れ
予告しておりました通り、ここから新展開が始まります!
季節は飛ぶように過ぎていく。『里帰り』を終えた側室たちが続々帰宮して……マグノム夫人が予想した通り、後宮内の新たな序列に『紅薔薇派』『牡丹派』でそれぞれ一悶着はあったものの、待遇面はそれほど変わらないという現実を前に、覚悟していたほどの大騒ぎには発展しなかった。
後宮に側室たちが戻って来た頃、外宮ではスタンザ帝国からの書状を巡り、日夜激論が繰り広げられており――「断るべきだ」という意見も多くあったが、冷静に考えて、今のエルグランド王国の国情を鑑みるにスタンザ帝国の『親善国使団』を突っぱねるのは得策ではなく。
最終的には、帝国への留学経験があるストレシア侯爵を仲立ちとする形で、前代未聞のことながら、社交期間幕開けに合わせたスタンザ国使団の受け入れが決定した。
外宮が史上初となる国賓受け入れの準備に大騒ぎとなる中、後宮側はひっそりとシェイラの正妃教育を開始させ――そうして光月はその名の如く、光の速さで去っていった。
(光月ももう終わるのね……社交期間がまたやって来る)
後宮の庭園をなんとなく眺めながら、ディアナは去年の今頃を思い返し、この一年の濃さを改めて感じていた。
――ちなみに、後宮と外宮はそれぞれに慌ただしかったわけだが、ディアナはそれらにほぼノータッチである。後宮に戻ってから、新序列に戸惑う『紅薔薇派』の側室たちを落ち着かせこそしたものの、後はほぼすることがなかった。報告、連絡、相談だけはしっかり行なっていたけれど、スタンザ帝国とのアレコレにしても、シェイラの正妃教育にしても、ディアナの出る幕はほとんどない。できることといえばせいぜい、シェイラが頑張り過ぎないように、折を見てお茶に誘うくらいのものだ。シェイラの教育課程が立ち居振る舞いの基本を終えて、本格的な座学の分野に入ったら、講師役を頼まれてはいるけれど。
そんなわけで、最近のディアナは時間が空いたときのお決まりとなりつつある、後宮内の見回りという名の散歩を頻繁に行なっていた。マグノム夫人が割と本格的な改修工事を入れたので、上の方はともかく下の階の構造はかなり変わっている。建物の造りを把握しておく意味合いも兼ねて、暇を見つけてはリタをおともに、せっせとあちこち見て回っていた。
今日もそうして後宮の地下と一階をこっそり見て回り、こうして庭園まで出てきたわけで……去年も同じようなことをしていたなと思い出して少し笑うと、斜め後ろで控えていたリタが首を傾げて問いかけてくる。
「突然お笑いになって、どうかなさいましたか?」
「何でもないの。そういえば去年は、こうやって後宮内を冒険してはあちこちで見つかって、その度変な噂が立ってたなぁと思い出していただけ」
「あぁ、ありましたね。無駄に悪くて怖そうな噂が山ほど立ってました」
「羽を怪我した小鳥を介抱してたら、調教して伝書鳥にするつもりだ、なんて噂が立ったときは、考えた人の想像力の豊かさに感心したわ」
世の中、何事にも向き不向きというものがある。いくらディアナがあらゆる〝命〟と対話できるからといって、頼めば皆が何でもしてくれるわけではない。鳥類は基本的に短期記憶が長続きしない生き物なので、「この手紙をどこそこまで届けて欲しい」という頼み事には実は不向きだ。それこそエクス鳥のように、刷り込み本能を利用した雛の頃からの気長な調教でもしない限りは。
……と、そんなことを思い返していたからだろうか。不意にディアナの目の前の木から、何かがぽとりと落下した。リタも同じものを見たようで、目をぱちくりさせる。
「今、落ちましたね」
「落ちたわね」
意識を向けると、落ちた辺りから[ままー!]と泣く〝声〟が〝聞こえ〟てくる。苦笑して、木の根元へ歩み寄った。そのまま草を掻き分けて、落下した〝声〟の主を探す。
そう時間をかけることもなく、ふわふわの産毛をぷるぷる震わせて、まだ生まれて間もないだろう鳥の雛を見つけることができたディアナは、一緒に探してくれていたリタを振り仰いだ。
「いたわ。巣から落ちてしまったのね」
「怪我はなさそうですか?」
「産毛と、あとは下の草がクッションになったみたい。羽も足も無事よ」
「それは何よりですが……どうやって戻します? ディアナ様はもちろんですが私も、この格好で木登りは難しいですよ」
今のディアナは『紅薔薇』仕様の普段着だ。いつもクレスターで着ているドレスなら装飾なんてあって無いようなものだから、そのまま木に登って多少汚れたり破れたりしても大したことではないけれど、さすがにこの『紅薔薇』仕様で木登りはまずい。リタにしても、後宮での侍女服は王宮から貸し出されているものだから、粗末には扱えないのだ。
少し考えて、ディアナは周囲に〝呼びかける〟。
(――私の声、聞こえる? あなたたちの巣から、雛が一羽、落ちちゃったんだけど。戻すの難しそうだから、この声が聞こえたら、降りてきてくれないかしら?)
巣の中には雛たちの気配しかないけれど、親鳥たちもそう離れたところにいるわけではない。ディアナが〝呼べ〟ば気付くかもしれないと、そう淡い期待を寄せてみる。
手の中の雛がピィピィ鳴くのを、羽を撫でて落ち着かせつつ。
(大丈夫よ。すぐにお父さんとお母さんが来るからね)
[ぱぱ、まま、くる?]
(えぇ、来るわよ。――ほら)
ばさりと響く、羽ばたきの音。立ち上がって、上を見る。
体毛は茶色で、風切羽と尾羽だけが真っ白な、エルグランド王国全土に広く生息しているカーガという種類の小鳥が二羽、連れ立って下降してくるのを、腕を差し出し受け止めた。
[我らをお呼びでしょうか?]
(えぇ。この子は、あなたたちの子どもよね?)
[左様にございます]
[巣から落ちたのですね。助けてくださって、ありがとうございます]
(たまたま落ちたところが見えたから。見つけることはできたのだけれど、私たちじゃ巣まで戻すことができなくて)
[それでお呼びくださったのですね。お優しい姫さまのお心遣いに感謝致します]
……会話を人間風に表現すると、ざっとこんな感じになるのだろうか。王都の〝命〟たちは長く人間の側で生活しているからか、他の地域よりはまだ話が通じ易い。クレスターの皆に比べると、かなり堅い感じではあるが。
つがいの二羽はそれぞれの足と嘴で協力して雛を抱えると、ゆっくり上昇して巣へと戻っていく。三羽が落ちないよう、巣に到着するまでを見届けて、ディアナはほっと息をついた。
「どうにかなったわね」
「……お呼びになったのですか?」
「聞こえるかどうかは分からなかったけれど、一応ね。カーガの縄張りは狭いし、そう遠くへは行っていないだろうと思ったから」
「相変わらず非常識なことをなさいますね……」
「でもやっぱり、クレスターの森ほど声の通りは良くないわ。あそこなら、やろうと思えばあの辺一帯の森全部に声を届けることができるのに」
「まぁ……ディアナ様にとっては生まれ育った土地ですし、慣れというのも大きいのではありませんか?」
「あぁ、確かに」
ディアナの慣れもあるが、クレスター地帯そのものが『森の姫』の〝声〟に慣れているというのは大きいかもしれない。ディアナは数百年ぶりにこの世へ生まれ出でた『森の姫』だが、森に生きる木々たちにとっては、数百年前など少し前くらいの感覚だ。しばらく聞かなかった程度で〝声〟を忘れることはない。
雛たちの無事を確認したカーガのつがいが、再び巣から飛び立っていく。去り際に二羽でぐるりとディアナの頭上を舞って、感謝の意を伝えてきた。それに応えて手を振り、ディアナは軽く伸びをする。
「思ったより長い散歩になったわね。リタ、そろそろ――」
話しつつ意識を後宮側へ戻して――ディアナは唐突に言葉を止めた。
(視線……?)
ディアナが気付いたのとほぼ同時に、リタも同じものに気付いたのだろう。二人で後宮の回廊へと目を向ける。
雛が落ちるまでは確かに、誰の姿もなかった回廊。
しかし今、その回廊に複数の人影が見え、しかもその複数が揃ってこちらへ近付いていた。
明らかに自分とリタ目掛けて近付いてくる人々に、ディアナの思考は一瞬で緊急時のものへと切り替わる。
何故ならば――。
「ご散策中、失礼致します」
マグノム夫人の案内で歩を進め、ディアナの少し前で立ち止まった〝彼ら〟は。
……たった一人を除いて、ディアナがこれまで見たことのない〝男性〟ばかりだったからだ。
「こんにちは、マグノム夫人。今日はまた、随分と賑やかなのね」
一行を案内してきたマグノム夫人へ、ディアナはにっこりと『紅薔薇』の笑みを向けた。マグノム夫人相手には滅多に使わない貴族風の言い回しで、〈後ろの方々は誰?〉と誰何しつつ。
それに対するマグノム夫人は……大層珍しいことに、いつもよりずっとずっと朗らかに笑った。
「はい、左様で。お騒がせ致しまして、申し訳ございません」
「良いのよ、気にしないで」
笑顔のまま応えつつ、ディアナの緊張は否が応でも跳ね上がった。表情があまり動かないことが個性として周知されているマグノム夫人が、徹頭徹尾朗らかに話す。それはつまり、〝明るく話す必要がある〟ということに他ならない。
例えば――相手の表情一つを取り上げて「無作法だ」と騒ぐような、厄介な〝お客様〟がいる場合、などに。マグノム夫人ほどの人ならば、何も言われずとも一瞬で相手の厄介度を察して、突かれるであろう瑕疵を極力減らすくらいの芸当はやってのけるだろう。言葉ではなく態度で、マグノム夫人はディアナの問い掛けに対し、警戒を促したのだ。
それくらい、マグノム夫人が細心の注意を払って〝案内〟している一行となると――。
「ご機嫌麗しゅうございます。ご散策中、先触れなくお邪魔しましたことをお許しください」
「――頭をお上げくださいませ、ストレシア侯。侯がわたくしに詫びる必要はございませんわ」
普通に話しているだけなのに美しく響く、特徴的な声。高低こそ異なるものの、娘によく似たその声質の持ち主は、現ストレシア侯爵――ライアの父に他ならない。この一行の中で唯一、ディアナが顔と名を知る人物だ。
『紅薔薇』の笑みを崩さず、ディアナはストレシア侯爵へ語りかけた。
「貴族議会の折には大変お世話になりましたのに、こちらこそご挨拶が遅れました無礼をお許しくださいませ。お嬢様……ライア様には、いつも何かとお気遣いを頂戴しており、ありがたいことと感謝しております」
「勿体ないお言葉です。不出来な娘ゆえ、常日頃より大層ご迷惑をお掛けしていることと思いますが……」
「とんでもない。わたくしの方こそ、ライア様には助けられてばかりですわ」
貴族らしい形式的な挨拶をさらりと終え、ディアナはゆったりと微笑んで本題を切り出す。
「ところで、ストレシア侯。本日は何か、ライア様にご用でいらっしゃいますか?」
「いえ。私は只今、通詞として、こちらの皆様方へ王宮内をご案内申し上げている最中にございます」
「まぁ……」
ここで始めて、ディアナは微かな驚きを表へ出して、ストレシア侯爵が示した背後の一団へと〝分かるように〟視線を滑らせた。それまでも視線を向けないように観察はしていたが、相手にしてみれば、ディアナが彼らの方を向いたのはこれが最初ということになる。
「――僭越ながら、ご紹介申し上げます。こちら、本日王都へ入られました、スタンザ帝国親善国使団の皆様方です。中央のお方は、国使団の代表を務めておられます、スタンザ帝国の第十八皇子殿下でいらっしゃいます」
正式な紹介に、ディアナはただ黙って、王族に対する最高礼を執る。……そうだろうとは思っていたが、相手が王族である以上、こちらから話し掛けることはできない。
足元まで覆う白い衣装は、合わせの部分と裾に煌びやかな刺繍が入り、頭に巻かれた布もまた、色こそ白だが所々に豪奢な模様が入っている。飾り紐は金糸銀糸で編み込まれ、日差しが強い場所ではさぞかし美しく映えるだろうと思われた。
似たような白い長衣の中で、一際豪華な衣装を着た長身の男を中央に据えたその一団が〝誰〟かなど、本当は、誰何するまでもなく明らかだ。衣装も、肌の色も、エルグランドの人々とは何もかもが違う。
表面上は静かに頭を下げながら、ディアナの脳内は高速で回転していた。
(スタンザ帝国の国使団? 確かに王都に近付いていると報告はあったけれど……予定では、来週の社交期間開始の夜会に合わせての王都入りじゃなかった?)
まさかこんなに早く彼らが王都入りして、あまつさえ王宮入りして、何の通達も無しに王家の私的空間たる後宮内を我が物顔で歩き回るなど、さすがに予想できるはずがない。……相手国と擦り合わせた親善日程をあっさりブッチした、スタンザ帝国の狙いは何だ。
――考え込んでいるディアナの頭上から、《面を上げよ》とスタンザ帝国の言葉が降ってくる。すかさずストレシア侯爵が「直ってよろしいとのことにございます」と言い添えてきた。姿勢を元に戻し、視線を伏せて、次のリアクションを待つ。
《我はスタンザ帝国第十八皇子、エクシーガ・アサー・スタンザウムという。そなたの名を述べよ》
「紅薔薇様。先ほども申し上げましたが、改めてご紹介致します。こちらは、スタンザ帝国のエクシーガ・アサー・スタンザウム第十八皇子殿下でいらっしゃいます。殿下も、紅薔薇様の御名を知りたいとの思し召しです」
「ありがとうございます、ストレシア侯」
……通詞というのはとてつもなく大変な仕事なのだな、とディアナは、このやり取りだけで深く深く痛感して。
目の前で尊大に佇む琥珀の瞳に、最上級の微笑みを向けた。
《エルグランド王国へ、ようこそお越しくださいました。エクシーガ・アサー・スタンザウム皇子殿下。わたくしの名は、ディアナ・クレスター。エルグランド王国国王ジューク陛下の後宮にて、『紅薔薇の間』を頂戴しております》
流れるように、滑るように。人生初となる、現地人相手のスタンザ語を披露する。皇子殿下はもとより、その後ろの一団も目に見えて驚愕し、それ以上に間に入っていたストレシア侯爵と、その後ろに下がっていたマグノム夫人が目を丸くし息を止めて、ディアナを凝視してきた。
リタ以外の全員がもれなく驚く中、ディアナとしては心中で苦笑うばかりである。
(いや……二ヶ月前にスタンザ帝国の来訪は分かっていたのだから、言葉くらいは覚えられると思うんだけど。他にすることがあるならまだしも、『里帰り』中も後宮に戻ってからも、基本は暇だったし)
円滑なコミュニケーションの秘訣は、相手にどれだけ自分を寄せられるかにかかっている。民相手に服装や立ち居振る舞い、話し方を変えるのと同じように、スタンザ帝国の人々を相手にするのに言語を変えないという選択肢はディアナにはない。
ましてや今回は、準備期間が二ヶ月近くあったのだ。遠い親戚がスタンザ帝国に住んでいることもあって、クレスター家の地下にはスタンザ語学習のための資料も豊富に揃っている。この環境下で学ばずにいられる方が無理だろうと、知識欲が『ビョーキの域』なディアナは思ってしまう。
ちなみに、ディアナが開口一番にスタンザ語を披露してみせた狙いはいくつかあって――。
「……いや、これは失礼した。まさかエルグランド王国の、しかも後宮などという場所においでの姫君が、スタンザ語に深い造詣があるとは思わず。独学でいらっしゃるのか? 実にお綺麗な発音だった」
「スタンザの皇子殿下にお認め頂けるとは、この身の誉れにございます。殿下も、エルグランド語が大層お上手でいらっしゃいますね」
「なに。十八皇子ともなると、重要な仕事は概ね上の兄たちに取られてしまっていてね。勉学くらいしか、することがないのだよ」
「素晴らしいことですわ。学びこそ、人生を豊かにし、世界を広げる糧となるものですもの。弟君が勉学家でいらっしゃることは、兄君方にとっても心強いことでしょう」
エルグランド語で滑らかに話し出した皇子に対し、ディアナも言葉をエルグランド語に切り替えて応える。無難に返答しつつ、内心でディアナは頷いた。
(なるほど。……事前情報通り、スタンザの第十八皇子はなかなかの切れ者みたいね)
――スタンザ帝国には、クレスター家の遠い親戚が住んでおり、今も帝国内の情報を集めては定期的にエルグランド王国のクレスター伯爵家まで届けてくれている。表向きは貿易商な彼らは、主にスタンザ帝国内の商家と広く浅くの繋がりを保ち、幅広い情報の吸い上げに余念がない。彼らが付き合っている商家の中には、スタンザの皇宮へ品物を卸しているところもあって。そこから、ある程度ではあるが、現在のスタンザ皇室の実情が流れてくるのだ。
その情報によると――現在のスタンザ帝国皇帝には二十人の皇子と二十五人の皇女がいるが、その中でも優秀と呼び声高い皇子皇女の中には、第十八皇子エクシーガの名もあって。彼は皇宮で重要な役職にこそついてはいないが、勉学への意欲は皇子皇女の中でもずば抜けており、国内の学者や研究機関、技術者たちから圧倒的な支持を集めているらしい。あらゆる学術分野に深い造詣を持ち、特に語学に関しては天賦の才の持ち主で、周辺諸国の言葉は一通り話せるのだとか。……なるほどそういう人物ならば、他国への親善国使団の代表はまさにうってつけであろう。
但し。ディアナに対し、出会い頭に尊大なスタンザ語をぶつけてきた辺り、彼もまたエルグランド王国を狙うスタンザ帝国から送り込まれた〝斥候〟であることは変わりないわけで――。
「あなたのような姫君とお会いできるとは、遥々エルグランド王国まで参った甲斐もあったというものだよ」
「まぁ。殿下はエルグランド語だけでなく、女性の扱いもお上手なのですね」
どれほど和やかに語らっていても、そこには絶えず、目には見えない攻防がある。
――エルグランド語が堪能な皇子が、敢えてここまでストレシア侯爵の通詞を挟んでエルグランド人と対話してきた理由はいくつかあるだろうが、最大の目的はこちらを油断させることのはずだ。スタンザ帝国の国使団にはエルグランド語が通じないと思わせておけば、国使団の前でぽろっと、誰かが重要な情報を漏らすかもしれない。〝言葉が分かる〟ことを隠すだけで、諜報戦では圧倒的優位に立てるのだ。
そして同時に、エルグランド国内では徹底してスタンザ語で尊大に振る舞うことで、〝異国の王族〟を印象付けて。ストレシア侯爵が偉そうな物言いを和らげてくれているのを利用し、その振る舞いだけで〝エルグランド王国よりもスタンザ帝国の方が上〟なのだと既成事実化しようとした。エルグランド王国の後宮で、普段着とはいえ『紅薔薇』仕様のドレスに身を包んでいるディアナにまで〝臣下〟に対する態度で接してきたのが、その何よりの証だ。
……〝親善〟の名目でエルグランド王国に足を踏み入れて。よりにもよって『クレスター』の末裔であるディアナの目の前で、そんな堂々とした侵略行為を働いて。
黙って様子見に徹する――なんて巫山戯た真似、できるわけがない。
スタンザ帝国側にストレシア侯爵の存在がバレている以上、同じように〝言葉が分かる〟ことを隠す諜報戦は無意味だ。それならばいっそ、エルグランド王国の王家側にスタンザ語が堪能な者がいることを初見で分からせて、〝親善国使〟の非礼を無言で最大級に攻めた方が良い。ストレシア侯爵や他の貴族が相手なら、臣下相手の振る舞いもギリギリ王族として許されるが(それだって、他国の王家に配慮がないという点で批難されて然るべきではあるけれど)、ディアナは後宮で女官長からもストレシア侯爵からも頭を下げられた、一目で王族ないしは王族に連なる者だと分かる人間だ。そんな相手まで〝臣下〟扱いしたのは明らかに皇子の失態である。
そう。先ほどのディアナは、最上級の微笑みで以って、スタンザ帝国側を刺したのだ。〈あんまりエルグランド王国を舐めるな〉と。同時にディアナがスタンザ語を理解できると知らせ、〈この王宮で勝手な真似はさせない〉とも通達し、ついでに後宮なんて閉ざされた場所(ついこの間まで『里帰り』で外の空気を満喫していたけれど、そんなことはスタンザ帝国側の知るところではないから、彼らの後宮解釈をありがたく利用しておく)にいる女であるディアナがスタンザ語を口にすることで、暗に〈わたくしでもそちらの言葉が話せるのに、あなた方は親善国使にも拘らず、エルグランド語一つ話せないのか?〉と皮肉りもした。
その攻撃に対し、スタンザの皇子がどのように返してくるかで彼の器量を測る狙いもあったわけだが――。
「あなたのように優秀な女性を娶っておられるとは、エルグランド王は見る目がおありでいらっしゃる」
「わたくしなど、物の数にも入らぬ身ですわ。この後宮には、わたくしよりよほど優れた方が大勢いらっしゃいますもの。――もちろん、その方々からの尊崇と愛情を一身に受けておられる国王陛下が素晴らしい方であらせられることは、揺らぎようもありませんが」
即座に言葉をエルグランド語に切り替え、ディアナとジュークを持ち上げにかかる辺り、政におけるバランス感覚も持ち合わせた切れ者であることは、どうやら疑いようがない。〝エルグランド語が分かることを隠す〟という諜報戦における圧倒的優位性を捨ててまで、皇子は〝親善国使〟としての立場を守ろうとしている。要するに、〈こっちのカードは見せたから、これ以上攻めてくれるな〉とディアナの譲歩を引き出そうとしているのだ。……皇子の非礼は、ディアナがジュークにありのままを報告すれば、即座に一行をスタンザへ送り返せる充分な理由となるレベルのやらかしだから、彼が必死になるのも道理ではある。
美辞麗句を並べてくる皇子に、ディアナが笑顔で返すのは、ただひたすらに受け流す言葉だ。にこやかに語らってはいても、そこに〝実〟は存在しない。〈あなた方の狙い、我が国への姿勢はよく分かった。不実を抱える相手に、こちらも実は返さない〉と、その態度で雄弁に示す。
「ディアナ姫。あなたは実に聡明な方だ。この滞在の間に、またゆっくりと話がしたい」
「光栄です、殿下。わたくしのような者にまで、そのようなお気遣いを頂きまして。両国史上初となる親善国使団の代表でいらっしゃる殿下は、この先お忙しい日々を過ごされることでしょう。国使団の皆様方のご滞在が両国にとって有意義なものとなりますよう、この後宮の片隅よりお祈り申し上げます」
最後の最後、別れ際まで追い縋られたが、変わらず丁寧にきっぱり拒絶して。
もう一度最高礼で国使団を見送り、彼らの気配が完全に消えてから、背後でずっと貝の如く口を閉ざしていたリタを振り返った。
「――部屋へ戻りましょう、リタ。ミアに頼んで、外宮室から情報をもらわないと」
「ですね。ついでにライア様にも連絡して、ストレシア侯爵閣下とどこかでお話できないか、聞いてみませんか? 裏があることは分かっていましたけれど、あの国使団は思っていた以上にあからさまです。建前上は国王陛下以外の男子禁制な後宮に堂々と乗り込んでくるところから見ても、彼らを放置するのは後宮全体にとって危険かと。ずっと側にいたストレシア侯爵様から国使団について詳しくお伺いして、対策を立てるべきかと存じます」
「そうね。ひとまず部屋へ帰って、ミアとルリィに伝達を頼みましょうか」
ディアナが感じた危険とリタの見解は、概ね一致しているようだ。
社交期間幕開けを前に、やって来た新たな不穏の影は、束の間の微睡みをあっという間に奪って後宮を騒乱の嵐へと導こうとしていた――。
ここからしばらく、新キャラ祭りになりそうです。
Twitterでも愚痴りましたが、せめて新キャラの一人か二人は、こっちの言うこと聞いてくれる子だと嬉しいなぁ……(諦めのため息)




