回想その1〜新・チーム紅薔薇集合〜
3年9ヶ月ぶりの更新にも拘らず、沢山の感想をありがとうございました!
ここからしばらく、回想が続きます。
エルグランド王国初の試みである、女性だけで構成された後宮近衛騎士団。
その存在は、主に娘を側室に上げている貴族家や、当の騎士団員の実家の者たちによって、時には好意的に、どちらかといえば悪意寄りで社交界に広がり、人々の好奇の的となっていた。
ただ、彼女たちの所在地は、基本的には後宮の内。その姿や実力を実際に見る機会はそうそうない。だからこそ、余計に噂話だけが飛び交っていたとも言える。
「ちょっと剣を扱える程度の小娘たちが、いい気になって騎士を気取っている」――そんな風に捉えられていた後宮近衛騎士団は、長たるクリスが御前試合で見せた華麗かつ苛烈な剣技によって、見事にその評価を覆してみせた。
クリスの活躍は、ジュークとともに試合を観戦していたディアナによって、ほぼタイムラグなく後宮へと伝えられ、当の後宮近衛の女性騎士たちはもちろんのこと、「女だから」というだけで何かと軽く見られがちな、後宮内にいる多くの女性たちは喜びに湧いた。試合を終えて後宮に帰還したクリス本人が引く程度には、後宮は連日お祭り騒ぎだったのだ。社交期間が終わってから、華やかな行事らしい行事も無かったわけだから、後宮に篭りっぱなしのストレスもあったのだろう。
「――皆様。本日はお忙しい中わざわざのご足労、誠にありがとうございます」
そんなお祭り騒ぎもひと段落した、花月の半ば――『紅薔薇の間』、要するに後宮におけるディアナの居室にて、とある密かな集会が開かれていた。
参加メンバーは、部屋の主人であるディアナとその私的侍女リタに加え、彼女の部屋を取り仕切る王宮侍女4名と女官1名、後宮の実務最高責任者として女官長、後宮護衛の責任者としてクリス。
そして。
「もう、ディアナ。何度も言っているでしょう。あなたがそこまで腰を低くする必要はないのよ」
「今日の集まりだって、この人数が集まることを考えたら、一番広い『紅薔薇の間』が都合良かっただけなのだから」
「ライアさんとヨランダさんの仰る通りですよ、ディアナ。逆に、これだけの用意を『紅薔薇の間』の皆様だけでこなすのは大変だったでしょう?」
「そうそう。サロンを解放すれば、私たちの侍女もお手伝いできたけれど……」
「非公式のこの集まりに、あんな外から丸見えのサロンなんて使えないものね」
ディアナと同じく側室の中でも特別な地位にある『名付き』の側室たち――『睡蓮の間』側室ライア・ストレシア、『鈴蘭の間』側室ヨランダ・ユーストル、『菫の間』側室レティシア・キールの三名も同席していた。ライアとヨランダが言う通り、特に地位の近い側室同士で集まる際には自室とは別の場所を用意するのが恒例であるが(茶会準備の不公平を無くすためらしい)、今回に限っては集会の参加者が後宮内に留まらないため、可能な限り人目につかない場所が望ましかったのだ。
『紅薔薇の間』は別名『正妃の間』とも呼ばれ、サロン等に使われる集会用の部屋を除けば、後宮内で最も広い。更に、国王が通い易いようにとの配慮からか、後宮の外と繋がる通路にも割と近い上、王と妃のプライベートを考慮してか、部屋の周囲にいくつか人目につかず移動できるルートが確保されている。秘密の集会を行うのに、実はとても都合の良い部屋なのである。
だからこそ思い切って、本来なら後宮にいては問題になる面々も足を運ぶことができたわけで――。
「申し訳ありません、ディアナ様。私のために、『紅薔薇の間』の皆様にご負担をお掛けしてしまい……」
「そのようなこと、お気になさらないでくださいませ、キース様。外宮室のお仕事で忙しくしていらっしゃる中、こちらからお願いしてお越し頂いているのですから」
「ディアナ様の仰る通りですわ。我ら一同、この集いのための準備を負担だなどと考えてはおりません」
男女比が圧倒的に女性側に偏っている中、やや肩身が狭そうに謝意を表したのは、キース・ハイゼット。ハイゼット子爵家の嫡男で、エルグランド王国三省直結下部機関『外宮室』の室長補佐を務める、若手官吏の中ではずば抜けて優秀な青年である。
外宮室はかねてより、ディアナの実家であるクレスター伯爵家と親しくしており、その縁もあって何かと後宮内の問題解決を手助けしてくれていた。政に深く直結しているにも拘らず、政治の表舞台である外宮に働きかける術をほぼ持っていない現後宮にとって、非常に頼りになる存在だ。今となっては、後宮についての話し合いに外宮室は欠かせない。
『紅薔薇の間』の担当女官、ミア・メルトロワは、弟のクロード・メルトロワが外宮室で勤めているのもあって、弟を訪ねる名目で頻繁に外宮室を訪れ、伝達役となってくれている。その関係で、キースや他の室員たちとも親しくしているようだ。小さくなっているキースに柔らかく微笑んで声掛け、彼女の言葉に侍女たちが一斉に頷いた。
「準備と申しましても、いつもより多めに茶器と焼き菓子を用意する程度です。ディアナ様が、四六時中手が離せないようなお方なら大変だったかもしれませんが」
「こう言っては不敬かもしれませんが、ディアナ様はお一人でも特に問題なく、自分のことは全部自分でしてしまわれますからね。誰かが控える必要も特にないといいますか……」
「あー、それはありますね。というか正直、クレスター家は主人一家の一人一人にお付きの使用人をつけるほど、人が余っていませんから。クレスター邸では基本、ご一家の皆様は放置です」
『紅薔薇の間』侍女次長のユーリと、諜報戦略担当のルリィの言に、ディアナの私的侍女リタが深い相槌を打つ。唐突に語られたクレスター家あるあるに、いわゆる正統派な大貴族出身であるヨランダが目を見開いた。
「本当なの、ディアナ?」
「えぇ、まぁ……。ごく幼い頃はともかく、ある程度分別がつく年齢になってからは、お世話係がいた記憶はありませんね。食事の時間は決まっているので、それに合わせてそれぞれが食堂に足を運ぶ感じで」
「その食事すらすっぽかす方が、何を仰いますやら」
「だって、書庫で調べ物程度なら家まで戻るのも手間じゃないけど、森の奥とか町に出掛けてたら、わざわざ食事のために戻るのも、時間がもったいないじゃない?」
「……出掛け先の第一に〝森〟が出てくる辺り、本当に破天荒よね、クレスター家は」
「いいえ、ライアさん。クレスターの者が全員、森と親しいわけではないですよ? お兄様はどちらかといえば、森より山とか谷に出掛ける方が多いです」
「それは単に、賊がそういう地形に潜みやすいから、討伐に出るときは必然的に山や谷に出向くってだけだよ。ディアナが森と親しいように、エドが山や谷と仲良しってわけじゃないからね?」
ディアナの言葉に込められた微妙なニュアンスのズレを、話題に出ているエドワードの婚約者であるクリスが訂正した。つい先頃まで後宮が騒がしかった原因その人であるが、クリス本人はどちらかといえば複雑な心境らしい。一人の騎士として、力試しと後宮近衛騎士団の名誉のためにと御前試合に挑んだまでは良かったが、相手があまりにも弱すぎて手応えがまるでなく、力では圧倒的に男に劣る自分が上位八名に名を連ねたことが、却って王国軍や騎士団の弱体化を示してしまったのではと気に病んでいる。
ディアナからすれば、あのエドワードからみっちり剣を教わったばかりか、「速い剣の使い手としては、国中を探してもそうはいない、稀に見る逸材」とまで言わしめるクリスが、好成績を残さないわけがないのだけれど。実際に観戦していたディアナとしてはむしろ、クリスが御前試合用の〝魅せる剣技〟をしっかりばっちり会得していたことの方が意外だった。クリスが〝魅せる剣技〟を扱えるということは、当然師匠であるエドワードも使えるはずで、あの兄が実用性皆無の剣技まで覚えていたとは、という観戦者としてはナナメ上方向の驚きである。
それはともかく、とディアナは横道に逸れた話題を訂正する。
「そういうわけでわたくしは、忙しい侍女の皆の手を煩わせずとも、自分のことは自分でできますので。お世話してもらう立場のわたくしが言うのもおこがましいことではありますが、それで皆の負担が少しでも減っているのなら何よりです」
「それはもう。――ですので、我々へのお気遣いは無用です。私どもとしましても、ディアナ様にずっとお力添え頂いていた皆様方を『紅薔薇の間』へお招きできるのは、この上ない誉れなのですから」
ディアナの言葉にユーリが力強く頷き、それでようやく、キースを始めとした周囲の表情が明るくなる。やはり貴族の常として、招く側の苦労を重々承知している面々なだけに、部屋の広さに反比例して侍女数が少ない『紅薔薇の間』で集まることへの申し訳なさがあったようだ。
それはどうやら、王族としても例外ではないらしく――。
「……この集いがそなたらの重荷でないようで、安心した。何度も話には聞いていたが、『紅薔薇の間』の結束力は凄まじいな」
「はい、陛下。皆のチームワークには、いつも助けられております。貴族としてはかなり自由に育ったわたくしですから、王宮内では行き届かないことも多いですが、皆のフォローで何とか外面を保っているようなものですわ。わたくしには勿体無いくらいです」
今の今まで気配を殺し、皆の話に注意深く耳を傾けていたジュークが、ゆっくりと頷く。王が臨席する正式な茶会であれば、部屋の主人はともかく招待客や侍女たちが好き勝手に言葉を交わし合うなんて光景はそう見られないが、くどいようだがこれは非公式かつ秘密裏な集会。ジューク本人もこの場ではあくまでも、ディアナの招待客の一人でしかない。ここに招いた面々には予め、「この会の間は、身分や役職、立場の垣根は無いものと思ってほしい」と伝えてあり、全員がそれに納得してこの場に足を運んでいるため、いわば一種の無礼講状態となっている。
ジュークの傍に控えていた、国王近衛騎士団団長のアルフォードが豪楽に笑った。
「古の諺に、『臣は主の映し身なり』ってのがある。昔は貴族と民の距離が、今よりずっと離れてたからな。領主の為人を知りたければ、その臣下を見れば良い、って意味だ。民を思い遣る良い領主なら、自然とその下にいる者たちもそのように振る舞うし、逆に自分のことしか考えない者が領主であれば、臣下たちも民に対し横暴になるだろう。――この諺に倣うなら、結束力のある侍女たちを束ねる『紅薔薇の間』の主人は、人々の和を尊重する出来たお方、ってことになるんじゃないか?」
「あまりおだてないでくださいませ、アルフォード様。その諺は承知しておりますが、必ずしもそれが当てはまるとは限りませんよ。横暴な主人に仕えながらも、領民の苦境に心を痛めて力になろうとする臣下はおりますし、反対に主人がどれほど家臣に心を砕いても、その思い遣りを感じ取れずに自分勝手に振る舞う者は出てきますもの」
「否定はしないけどな。少なくとも、自分勝手で横暴な主人に仕える者たちが、一致団結して主人のために尽くす、ってことだけはないと思うぞ?」
「確かに。それはアルフォードの言う通りだ」
「だろ?」
身分や役職を抜きにしたときは、あくまでもジュークの友人として振る舞うアルフォードは、この場でもそれを徹底している。もともとアルフォードは、古参伯爵家の次男坊にも拘らず身分や爵位といった序列に無頓着なところがあるが(だからこそ、あのエドワードと長年友人関係を継続できているともいえる)、その意識を国王陛下にまでスライドできる辺り、相当思考が柔軟なのだろう。
ジュークは前王のただ一人の男子として生まれ、将来国王になることを約束された身として育った。しかし、その育ち方は決して健全なものとはいえず、つい先頃まで彼には心を許せる側近も、こうして気兼ねなく話せる友人も――力を合わせて難局に挑めるような仲間もいなかったのだ。だからこそ今の彼は、ようやくできた友人であるアルフォードを、キースを、――ディアナたち後宮組を、とても大切にしてくれている。生育環境の歪さによって思考と思想を制限されていた頃とは見違えるように、日に日にジュークは王らしくなっていた。
そして、そんなジュークの全てを愛し、生涯彼の傍に寄り添い、彼の歩みを支えると決意した娘こそ――。
「騎士団長様のお言葉はそのまま、陛下と騎士団長様にも当て嵌まりますね。私のような世間知らずの娘から見ても、お二人が互いに良い影響を受け合っている、映し鏡のような主従だと分かりますもの」
控えめに、けれどしっかり発言する、寵姫シェイラというわけだ。相変わらず、ここぞというときに的を射た発言をする賢い親友に、ディアナも破顔して頷いた。
「本当、シェイラの言う通りだわ。陛下もそうだけど、アルフォード様も近衛騎士団の団長になられて、良い方向に変わられたなって思うもの」
「そうなの、ディー? 私は以前の騎士団長様を存じ上げないから、そこは分からないけれど……」
「昔のアルフォード様、ね……シェイラが気になるなら、教えましょうか?」
「勘弁してくれ、ディアナ嬢……。今の俺があの当時の俺に会えるなら、頭かち割って鬼説教したいレベルには反省してるし、後悔してるんだ」
「その反省と後悔を告げる相手は、少なくともわたくしではありませんね。――そのお相手が、アルフォード様のお話を聞いても良いと思える日まで、せいぜい反省と後悔を続けてください」
「……わぁ、ディーが珍しく辛辣」
「本当に、お前は一体何をしたんだ、アルフォード……」
アルフォードのことは別に嫌いではないし、実は文武両道で貴族社会での立ち回りにもソツがない彼のことは尊敬しているし、兄やクリスと仲良くしてくれていることにも感謝していて、とどのつまり総合的には好感を持って接しているけれど――唯一、〝昔のアルフォード〟に関してだけは、未来永劫許せる気がしない。ディアナがこれほどまで根に持って怒りを隠さないことは滅多にないだけに、周囲の反応は自然と「アルフォードが悪い」方向に傾いたようだ。
アルフォードにとっては非常に居心地の悪い空気が流れかけた、そのとき。
「悪い悪い、少し遅れた。――上も揃ってるぞ、そろそろ本題に入ろうぜ」
何の前触れもなく突然、上から言葉とともに人影が降ってきた。余計な装飾をギリギリまで削ぎ落とし、動き易さ最優先でデザインされたと分かる、かろうじて男性貴族の衣装の体をなした衣服に身を包んで現れたのは、エドワード・クレスター。先ほどもちらっと名前が出てきた、ディアナの兄だ。
相変わらずといえば相変わらずな彼に、ディアナは意味がないと知りつつ突っ込む。
「お兄様……ほぼ初対面な方々もいらっしゃる中で、その登場の仕方はいかがなものかと思うのですが」
「ほぼ初対面っつっても、『名付き』のお三方とは貴族議会のときにお会いしてるし、『紅薔薇の間』の侍女方ならそれこそ、クレスターの非常識には慣れていらっしゃるだろ」
「お兄様とわたくしでは、非常識の方向性が違うのです。少なくともわたくしは、本来出入り口でないところから突然姿を見せたりはしませんから。……滅多に」
最後に一言付け加えたのは、確かにディアナ一人でエドワードのような隠し通路を駆使した移動は不可能だが、『闇』を始めとした隠密業の玄人たちに連れて行ってもらえれば、できなくはないことだからだ。実際〝彼〟にエスコートされて隠し通路を行き来した経験もあるわけだし、出入り口でない場所を使用したことが全く無いと言えば、それは嘘になってしまう。
ディアナの苦言に近い意見を、しかしエドワードは鼻で笑った。
「安心しろ、ディアナ。お前と『仔獅子』がセットな時点で、アイツの非常識もお前の非常識の範疇に取り込まれ済みな筈だ」
〈――ちょっとちょっと、エドワードさん。いつの間に、俺とディアナがセットになったのさ?〉
姿の見えない声が突如室内に響き、主にジュークと『名付き』の三人が目を見開いて頭上を仰ぎ見る。〝そこ〟にいると予め知らされてはいても、実際に〝いる〟証を目の当たりにすると、やはり驚くものらしい。
驚く面々を余所に、エドワードと姿なき声――『紅薔薇の間』の天井の上にいるのであろうカイの会話は続く。
「既成事実、って言葉知ってるか、カイ?」
〈知ってるけど、この場合は微妙に意味が違うんじゃない?〉
「違わないさ。これまでの経緯はともかく、今となっちゃディアナにお前が付いているってのは、既に成り立ってる事実だからな」
〈そこを否定する気はないけど、それを言うならシリウスさんたちだってそうじゃん〉
「『闇』たちは、どちらかといえばクレスター家とセットだろ。ディアナ単体とセットなのはお前だけだ」
〈……〉
エドワードの乱暴な理屈にカイが黙り、ディアナは深々とため息を吐いた。
「言いたいことは諸々ありますが……取り敢えず、論点はそこではありません。一応招かれている身なのですから、普通に扉から出入りしてくださいという話です。――あとカイ、お兄様に屁理屈で勝つのは無理だから、諦めた方が賢明よ」
〈みたいだね……〉
「随分な言い草だな、ディアナ」
「他人をセット販売商品扱いするお兄様よりはマシです」
兄妹特有の気安い言葉の応酬に、今度は上からため息が落ちてくる。
〈エドワード様、ディアナ様。ご招待客様の前で醜態を晒し、時間を無駄に浪費するのは如何なものかと。キース様をはじめ、お忙しい方々のお時間をわざわざ頂戴しているのですよ〉
「……そうね、シリウス。お兄様への意見は日を改めることにして、そろそろ本題に入りましょう」
集った頼りになる仲間たち――ジューク、シェイラ、『名付き』の側室三人、キース、二人の騎士団長、マグノム夫人と『紅薔薇の間』の皆を、一度ぐるりと見回して。
後ろに控えたエドワードと、天井裏のカイ、シリウスの気配を感じながら。
「これまでの話と――これからの話を」
望む未来へ向け、ディアナは言葉を紡ぎ出した。
主要登場人物が集まるだけでこのボリュームだと……?
 




