表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
129/241

プロローグ

本当に、本当に、長らくお待たせ致しました。

3年前の予告通り、『にねんめ』が始まります。


 ――爽やかな初夏の風が、足元の草花を揺らし、駆け抜けていく。


 南北と西を踏破困難な荒海に囲まれ、大陸と陸続きの東側には年中吹雪く険しい山脈が聳え立ち――しかしながら、それらに囲まれた国土内は不思議と穏やかな気候に恵まれ、巡る四季によって豊かな自然が育まれている、エルグランド王国。

 王国の南東端、女神の山脈の麓に広がる森林地帯を含む広大な土地は、古くより『クレスター地帯』と呼ばれ、この地を治める領主一族によって恙無い毎日を約束されていた。

 領主一族の家名は、土地の名からそっくりそのまま取って〝クレスター〟。爵位は伯。叙爵されてから優に三百年は経過している、立派な古参貴族の一員である。

 クレスター地帯は、数あるクレスター伯爵領の中で最も古い、いわば伯爵家の本拠地。通常、ご立派な古参貴族様の本拠地には、一族の歴史が詰まった素晴らしい城が(住む住まないは別として)建っているものだが、クレスター地帯を端から端まで見回しても、そんなモノは一つも見当たらない。

 一族が代々住まうのは、山脈の麓に広がる森林に埋もれるように建っている、かろうじてお屋敷と呼べなくもない程度の館。周りは人の手がほとんど入らないまま太古の姿を留めている森林地帯が広がり、屋敷の顔ともいえる正面と、たまにガーデンパーティを開くこともある……かもしれない裏手だけ、申し訳程度に庭が整備されている。周囲には人家もほとんどなく、木々がまばらに立つ平原となっており、そのだだっ広さだけが〝ご領主様の土地〟を主張しているような、そんな有様だ。


 ただ、クレスター地帯の民たちは別に、領主一族に遠慮して周囲に家を建てていないわけではなかった。――それ以前に、ものすごーく単純な問題で。


「すごい緊張感ですね……」

「あぁ……先程から二人とも、まるで微動だにしない」


 屋敷の周りに広がる草原の中程にある木陰に大きな敷布を広げ、その上にお菓子の入ったバスケットとお茶のポット、人数分のティーカップを並べて、そこだけ見れば完全にピクニック状態な草原。

 しかしながら、その木陰から充分に離れた場所で武器を構えて向かい合う男性二名の緊迫した空気が、これがただのピクニックではあり得ないことを物語っていた。

 ――そう、クレスター邸の周りに広がる平原は、かなり以前から、クレスター家に仕える者たちの訓練場になっているのである。単なる剣の練習だけならまだしも、彼らの多くは投擲武器をよく使うため、訓練場の近くに家など建てては、いつ窓を破って武器が飛んでくるかわからない。必然的に領民たちは、屋敷から離れた場所に住まうようになる。その結果が、やたら広い屋敷周りの草原地帯というわけだ。

 今、武器を構えて向かい合っている男二人のうち、若い方はまだ二十歳前後といったところ。動き易い黒装束に身を包み、片手で短刀を構えている。もう一人の年齢は分かりづらく、顔立ちや体つきだけなら二十代後半から三十代にも見えるが、全身から醸し出される深い存在感が、彼の歩んできた年月が決して短くはないことを物語っていた。向き合う青年と同じく黒装束に短刀で、エルグランド王国人には滅多にいない、黒髪黒目が印象的だ。

 二人が向かい合ってから、優に茶葉がしっかりと蒸らせる程度の時間は経過したはずだが、ここに至るまでどちらも指一本動かさない。


 そんな彼等を見守れる位置にある木陰に広げられた敷布の中央に並んで座り、固唾を呑んで二人の様子を窺っているのは、まだ年若い男女。男の名はジューク――正式名は、ジューク・ド・レイル・エルグランド。その傍らに座る娘の名は、シェイラ・カレルド。エルグランド王国の若き国王陛下と、知っている人間はごくごく少数ではあるが、その国王陛下に見初められた寵姫である。

 国内で最も高貴なカップルが息を詰めて食い入るように目の前の光景を眺めている様に、一緒に敷布に座っていた兄妹が苦笑する。


「アレは……厳しいわよね、お兄様」

「俺でもあんなの無理だぞ……攻撃の隙が全く見当たらない。さすがというか、怖いというか」

「パッと見た限りでは、至って無造作に剣を構えているようにしか見えないのに……」

「無造作だからこそ怖いんだよ。自然体ということは、どこから打ち込まれても対処できるってことだからな。仔獅子の方もどうにか気圧されず、隙は作っていないが……それでも攻撃を仕掛けるなら、仔獅子の方だろうな」

「いずれにしても、こんな強者(つわもの)同士の真剣勝負、滅多に見られるものじゃないわ。ソラ様とカイに感謝しなきゃ」


 冷静に目の前の戦闘について話し合っているのは、このクレスター地帯を統治する領主一族、クレスター伯爵家の嫡男であるエドワード・クレスターと、その妹のディアナ・クレスター。古参貴族の末裔なんていう高貴な身分に生まれ落ちたにも拘らず、兄の方は武術を極めに極めた戦闘の超人、妹は野山森林を駆け巡って動植物の薬効を見つけ出すのが大得意という、「貴族何それオイシイノ?」を地で行く兄妹だったりする。……まぁクレスター家の場合、二人の親世代も祖父母世代も、それより上へ遡っても、あまり貴族然とした人は見当たらないのだが。

 そんな貴族らしくない兄妹のやり取りを聞いていた非公式ロイヤルカップルが、揃って首をナナメに傾ける。


「この勝負って、そんなにすごいものなの?」

「実力者の勝負というのは、激しい剣戟が繰り広げられるものではないのか? 御前試合などは大抵、団長同士の剣戟戦になるだろう」


 戦闘の素人であれば、この疑問はむしろ当然なのかもしれない。友人たちの質問に、問われた方は首を横に振って答えた。


「実力者同士での真剣勝負となると、剣戟戦は滅多にありませんよ」

「御前試合は一種のパフォーマンスだからな。お互いにある程度は〝見応えのある戦闘〟を意識して戦うもんだ。だろ、アル?」

「そりゃそうだろ。騎士の剣の腕をアピールするための試合で、ガチの命の奪い合いをして何になるよ。御前試合はあくまでも、王国上位の騎士たちの腕を大衆に見せて、王の治世は『武』の面でも盤石だと世に示すためのものだ。必要なのは分かり易さであって、真剣勝負とはまた別さ」

「ふぅむ、そういうものなのか。つまり、パフォーマンスを抜きに真剣勝負を行うとなると、また違った戦闘の様子が見られるというわけだな」


 御前試合の当事者の一人であり、地味に今年の優勝者でもある国王近衛騎士団団長、アルフォード・スウォンの言には、確かな説得力がある。常に国王の側近くに控え、公私ともに王の剣となり盾となる国王近衛騎士団――その団長ともなると、名実ともに王の第一の臣下であるはずだが、王を前にして彼の口調はめっぽう軽い。

 それも当然で、今は公的な場ではなく、完全なる王のプライベート。そしてアルフォードはエドワードと同じく、王にとっては臣である以上に大切な友人なのだ。

 仲の良い男三人の会話に、ディアナも微笑んだ。


「パフォーマンスの向きが強いとは申せ、それでも今年の御前試合も、なかなかに盛り上がりましたからね。……まさか、あんな特等席で顔を晒して観覧する羽目になるとは思いませんでしたが」

「でも、ディーがそうやって御前試合を観覧してくれて、その様子をつぶさに後宮へと伝えてくれたから、グレイシー団長の素晴らしい戦績を皆で祝うことができたわ」

「一部を除いて大盛り上がりではあったわね、確かに」

「グレイシー団長にあそこまで隠れファンが多いってことにもビックリしたけど」

「そこはあんまり驚かない。後宮で職務中のクリスお義姉様は、遠目に見ても本当に凛々しくて、素敵でいらっしゃるもの」

「ディーは本当にグレイシー団長を慕っているのね。じゃあ、御前試合を特等席で見られたのは、幸運だったんじゃないの?」

「それはそうかも。お義姉様の試合の度に、『紅薔薇』の顔を取り繕うのに苦労したけど」


 年に一度、春先に、王が臨席して開かれる御前試合は、国中の騎士職が参加する一大行事だ。もちろん事前に予選が行われて参加者は削られるが、それでも本戦は三日間続く。今年は王の隣に、今はまだ不在である正妃の代理として側室筆頭『紅薔薇』が座り、王と並んで仲良く試合を観戦したこと、加えて上位八名の中に、後宮近衛騎士団の団長、クリステル・グレイシーが食い込んだことで、例年以上の話題となった。

 その話題の人、クリステル――通称クリスは、義妹(いもうと)とその親友の会話に苦笑しきりである。


「まぁ、ディアナや後宮の側室方に喜んでもらえたなら、あれだけ目立った甲斐もあったってものかな。けどさぁ……〝魅せる〟試合と真剣勝負が別なのは良いとしても、ボクは正直、王国軍の腕の鈍さにビックリしたよ。剣の型をなぞって派手に見せることばかりに捉われて、目の前にいる相手すらマトモに見えてない。あれじゃあ、実際の戦闘でろくに動けないまま切られちゃうでしょ」

「そう言ってやるなって、クリス。戦そのものが〝歴史〟になった現代じゃ、軍の役目は戦闘よりも街の治安維持だ。裏稼業の連中と戦うなら話は別だが、一般的な破落戸(ごろつき)相手に人殺しのための剣は必要ない。それこそ場合によっちゃ、威嚇目的の剣舞だけで相手を怯ませて捕獲できるだろ」

「エドは達観してるよね……。百歩譲って軍はそれで良いとしても、城を警備する王宮騎士団まで、剣舞寄りの剣しか使えないのはどうかと思うんだけど」

「それこそ、城が戦いの舞台になるなんて状況、反乱以外じゃそうそうないだろ。結論、この現代に生き残ってる〝人殺しのための剣〟なんて、それこそごく一部――彼ら裏稼業者のような、世界の陰で命のやり取りをしている連中だけが会得している特殊技能になるわけだ」


 内々ではあるが婚約中であるエドワードとクリスの会話は、実にテンポが良い。エドワードはクリスに実践的な剣を教えた師匠でもあるから、こういう会話はおそらく二人の日常でもあるのだろう。

 苦笑しつつ話していたエドワードだが、会話が途切れたタイミングでクリスから目の前の戦闘へと視線を戻した。彼につられるように、その場にいる面々は再び、目の前で武器を構えて向かい合う二人の男に注目する。

 静寂が落ちた、その三拍後――。


「!!」


 低めの強い風が吹いた瞬間、若い方――裏社会で『仔獅子』の通り名を持つ男の身体が掻き消えた。戦闘に精通したエドワード、アルフォード、クリスの目は彼の動きを捉えただろうけれど、武術の腕はそれなりでもあくまで自衛に特化したディアナでは、大まかなところしか分からない。勢いよく地を蹴って瞬時に相手へと迫り、直前で身体を捻って背後へ回り、相手の首筋目がけて一太刀を……!


 キィ、キィン!


 金属同士が強くぶつかるとき独特の、高い音が響く。至近距離で動きを止めた二人を見ると、『仔獅子』が手にしていた武器……構えていたものだけでなく、隠し持っていたらしいもう一擲も遠くへ弾かれ、深く身を沈めた対戦相手の短刀の鋭い切っ先が、彼の喉元へと突きつけられていた。

 二人の戦闘を、見学者たちの対極で気配を消して見守っていた男が、片腕を高らかに上げる。


「そこまで! この勝負、ソラ殿の勝利とする!」

「――ありがとうございました」


 負けた方――『仔獅子』の通り名を持つ青年、カイが姿勢を正して一礼した。同じく礼で応えた黒髪黒目の男は、先ほどまでの張り詰めた、触れる者全てを切り裂いてしまうかのような鋭い空気を霧散させ、柔らかく笑う。


「狙いは悪くなかった。が、甘いな」

「いや、アレは無理だって……あそこまでガチで隙無くさなくったって良いじゃん。動いた瞬間に消されると思ったのは久々だよ」

「本気でやらねば、仕置きにならんだろう」

「そういう有言実行はいらない……」


 肩を落としたカイを慰めるように、男は彼の肩を叩く。その表情は慈愛に満ちていて、まさに子を思う父親そのものだった。血の繋がりは無くとも、彼――『黒獅子のソラ』にとって、カイは大切な息子なのだということがよく分かる。

 とても戦闘直後とは思えないほのぼのとした空気が流れる中、審判役を担っていた男が苦笑しつつ近づいた。


「実に良いものを見せてもらった。エドワード様はもちろんのこと、その辺で見ているウチの若い連中にも、良い刺激になっただろう。ウチの次世代はどういうわけか、戦闘が苦手なのが多くてな」

「そう? この前、訓練の様子ちらっと見せてもらったけど、そこまで弱い人はいなかったと思うよ?」

「確かに弱くはないがな。我らの責務は第一に、クレスター家の方々をお守りすることだ。若様より戦闘能力が劣っていては、とてもお側には付けられん」


 審判役だった彼――クレスター伯爵家お抱えの隠密集団『闇』の当代首領シリウスは、さすがに部下に厳しい。もっとも彼の場合、それ以上に自分に厳しいため、鬼のような彼のしごきに文句を言う者はいないのだけれど。

 苦い顔のシリウスに、獅子親子が揃って苦笑している。


「……シリウス殿。それは少々、若い方々に高い水準を求め過ぎておられるのではありませんか?」

「俺らの世代でエドワードさんより強い人なんて、そうそう居ないもん。俺だって、卑怯な手をオンパレードで使えばどうにか勝てるかもだけど、ガチのタイマンで勝てるかどうかは自信ないし」

「お前のように、どんな手を使ってもエドワード様の上を行こうとする気概がないのだよ、ウチの若い連中にはな」

「未来のご当主ってだけで対戦相手としてはハードル高いのに、その上さらに卑怯な手を使うって、相当な強心臓の持ち主だと思うよ? エドワードさんより戦闘力が下回ることより、伯爵家への忠誠心と常識的な感覚を評価してあげたら?」


 目の前でぽんぽん交わされる会話の、その非常識な内容に、クリスとディアナは揃ってため息を吐いた。


「毎度のことなんだけどさ……エドって絶対、場所間違えて生まれてきたよね」

「ランドローズ家のようなガチガチの保守のお宅に生まれなかっただけ、まだ空気読めているのではないでしょうか……」

「クレスター家で助かった感はあるよね、かなり。――だとしても、どこの世界に、裏稼業の人たちに怖がられるほど戦闘力の高い貴族家の嫡男がいるんだ、って話だけど」

「カイだけでなく、そのカイを育てたソラ様にすら『高い水準を求め過ぎ』と言われるとなると、いよいよお兄様の非常識は本物ですね……」


 その非常識な男は、目の前と横で同時に進む話のどちらに突っ込むか迷った後、目の前の会話に加わることを選んだらしい。敷布から立ち上がって、男三人に歩み寄る。


「シリウス、まだそんなこと気にしてたのか。俺は別に、『闇』の首領に俺の上をいく戦闘力なんて求めてないって、何度も言っただろ。シリウスはたまたま俺より強いけど、別に歴代の首領全員が戦闘特化ってわけでもなかった。そりゃ、クリスとか、いずれ生まれるだろう俺たちの子を守れるくらいの戦闘力は欲しいけど、その程度ならもうみんな持ってるしな」

「エドワードさんは俺から見ても、圧倒的に守られるより守る側の人だもんねー」

「少なくとも、自分のことは自分で守れる。――だからそろそろ、次代の首領の選定を始めてくれ。『闇』の首領は代々当主の右腕なんだ、俺にとっても無関係の話じゃない」


 確かに、エドワードの年齢を鑑みれば、そろそろ次代の首領が決まって良い頃合いではある。エルグランド王国における爵位継承のタイミングは、基本的に各家の裁量に任されているため、貴族の世代交代はある意味、その家の〝色〟がもっともよく出ると言っても良いだろう。多いのはやはり、王家の王位継承に則る形でもある、当代の死亡、もしくは重病によっての次代への継承だ。

 だが、例によって例の如く、常識や慣例を鼻で笑って蹴飛ばすスタイルであるクレスター家は、先代が死ぬまで爵位を手放さないなんてことはしない。その時々の情勢にもよるが、大抵は次代が妻を娶り、落ち着いた辺りでひっそりと爵位継承している。理由ははっきりしていて、先代がまだ元気なうちに仕事を譲り、新伯爵夫妻が実際の領主業務に当たる中で足りない部分や分からないところをフォローしていった方が、お互いに効率的だからだ。

 エドワードに関しても例に漏れず、クリスとの婚約が正式にまとまり、彼女が名実ともにエドワードの妻となった暁には、彼に爵位が継承されることとなっている。遅くともここ五年のうちに、クレスター伯爵家は代替わりを迎えるはず。――確かに、いざそうなったとき、当主の〝右腕〟が不在では格好がつかない。


 目の前で勃発した、『クレスター家次代VS当代右腕』の論戦を横目に、戦闘を終えた獅子親子が敷布へと近づいてくる。ディアナは笑って立ち上がり、二人を出迎えた。


「お疲れ様でした、ソラ様。カイも、お疲れ様。すごい勝負だったわね」

「まっっっっっったく、敵わなかったけどね~。すごいって言ってもらえるの、この場合父さんだけじゃない?」

「そんなことないわよ。あの隙のないソラ様相手に、あそこまで迫れたってだけでとんでもないってことは、私にでも分かるわ」

「確かに、末姫様の仰る通り。しばらく後宮なんて場所で過ごしていた割には、腕はむしろ上がっているようで何よりだ」

「……だから、それを父さんが言っても、あんまり褒められてることにならないんだってば」


 はあぁ、とため息を吐くカイと、そんな彼を微笑んで見守るソラに、グラスが二つ乗ったトレイを持った侍女が近づいてくる。幼い頃よりディアナとともに育った、頼りになる姉のような存在、リタだ。


「黒獅子様、カイ、お疲れ様でございました。暖かいお茶もありますが、戦闘後のお二人にはこちらの方がよろしいでしょうと、ディアナ様がご用意なさったものです」

「用意というほど、大したことはしておりませんが。濃いめの果実水を氷で割ったものです。よろしければどうぞ」

「これはこれは……何と有難いお気遣いを。勿体ないことです、末姫様」

「いいえ、ソラ様。お二人のお稽古を、間近で見物させてもらったお礼のようなものです。どうぞ、ご遠慮なさらずに」

「では、ありがたく」

「……父さんってホント、クレスターの人たちに固いよねぇ。――ありがと、ディアナ」


 こうして見ると対照的にも思える親子だが、出されたものにきちんと礼を言ってから受け取る律儀さや、目上の者をさり気なく立てる気遣いなど、やはり要所要所はよく似ている。グラスを手に取った二人に頷いて笑い、ディアナはまだ言い合っているエドワードとシリウスに向かって手を振った。


「お兄様、シリウス! 決着のつかない話はそれくらいにして、そろそろお茶にしませんか? これ以上、陛下とシェイラをお待たせするのも悪いです」

「いや、紅薔薇。俺たちのことは、気にすることないぞ?」

「お気持ちはありがたいのですが、半分は口実です。あの話題になると、お兄様とシリウスの意見は平行線なもので。手っ取り早く終わらせるには、お客様を理由にするのが一番」

「慣れてるわね、ディー……」

「伊達に十八年間、お兄様の妹やってないもの」


 仮にも一国の王を相手に堂々と〝口実〟だと宣うディアナは、よく考えなくても相当に不敬である。が、ここには当の王を始め、そんなことを突っ込む輩は一人もいない。

 それは、ディアナが現後宮における最上位、側室『紅薔薇』だから――では、もちろんなく。


「悪い、ジューク。待たせた」

「気にすることはない。お茶の時間は、まだ十分にある」

「バスケットも開けましょうか。どんなお菓子が入っているのかしら?」

「期待してて良いわよ。ウチの料理長、超一流の腕だから」

「お茶、淹れますね」

「ありがと、リタ。用意ができたら、君も座りなよ。この場の全員が座ってもまだ余裕あるくらい、この敷布大きいからね」

「だな。俺たちも警備の建前全力で無視して座ってるし」

「ソラ殿とカイも、良ければ座ってくれ」

「それは、ありがたいですが……」

「俺たちみたいなのが王様と同席しちゃって良いの?」


「――今更、それ聞く?」


 ディアナとエドワードを始めとして、この場にいる全員が身分の垣根を超越した、一種独特な関係性にあるからである。


 後宮にいるときからは考えられないほど、簡素なドレスに袖を通して手ずから茶菓子を取り分けるディアナは、表向きはエルグランド王国現後宮における最高位、側室『紅薔薇』と呼ばれる存在だ。正妃不在の現王室において、一時的に正妃代理を務めて問題ないほど、身分、教養、立ち居振る舞い全てにおいて突出した娘である。――ただ一点、〝歴代全員漏れなく悪人面なせいで、『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』とまで噂されている〟クレスター伯爵家の直系令嬢であるという、一種のイメージ商売である王家にとって最大の瑕疵を除けば、そのまま正妃となってもなんら問題ない程度には、彼女の優秀さはずば抜けていると言っても良いだろう。

 そんなディアナと笑顔で言葉を交わしながら、皿に焼き菓子を盛り付けるシェイラ。ジューク王に見初められた彼女もまた、側室である。ただし、実家が抱える諸々の事情から、後宮内での地位は下から数えた方が早い。去年、今年頭にかけて起こった諸々の事件で、五十人近くいた側室のうち数名がごっそり抜けたけれど、それでもまだ下から数えた方が早い。

 普通に考えれば、最高位と下位の側室が出会って仲良くなるなんてミラクルはそう起こらないし、そこに〝お役目だけの正妃候補〟と〝王の愛情を一身に受ける寵姫〟という事情が加われば、愛憎劇にならない方がおかしい。――だがしかし、そのミラクルおかしい事態をあっさり引き起こすのが、クレスター家でありディアナなのだ。その輪は徐々に広がり、遂には王まで巻き込んで、この不思議な友好関係ができあがった。


 その場の全員が敷布に座り、お茶のカップを手に取ったところで、ディアナが笑ってカップを掲げた。


「それでは皆様、改めて。――ようこそ、クレスターへ!」


 作法なんて完無視で、本来乾杯するものではないティーカップが軽やかな音を立て合う。

 初夏の涼やかな日差しが降り注ぐ中、そこはまるで希望だけが輝いているかのようだった。


 ところで、何故、後宮を住処としている側室であるディアナとシェイラが、王都から遠く離れたクレスター地帯で和やかに過ごしているのか。それどころか、王都からほぼ出ることのないはずのジュークまでもが、一緒にいるのか。

 ことの始まりは、春の王都へと遡る――。


次話よりしばらく、回想です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 闇ってシリウスさんしか出てこないもんね、次代頭首の新しいキャラくると嬉しいけどさてどうかな。
[一言] 更新再開おめでとうございます! これからも楽しみに読ませていただきます!♪( ´▽`)
[良い点] 待ってました‼️これからも楽しませていただきます‼️ [気になる点] すでにもう(私が)興奮状態で、これから先落ち着いて読めるか不安です。(もちろんいい意味で、です)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ