動き出した『紅薔薇』
お世辞にも『無事に』という言葉は使えない、様々な波乱を巻き起こして、それでも何とか夜会は終わった。確かな収穫といえば、『ディー』としてシェイラと仲良くなれたことくらいしか思い浮かばないディアナである。まぁ、それがでかいことも確かだが。
夜会が終わった後は、さすがのディアナも疲れきって、リタとの会話もそこそこに寝台へと潜り込んだ。有能な侍女は主が休んでいるその間も、情報収集に余念がなかったようだ。
「シェイラ様のことは、まだ後宮内でそこまで広まっていないみたいです。むしろ今のところ、昨夜の『紅薔薇大失態』の方が、保守派では騒がれていますね」
「狙いどおりね。わたくしがあれだけのことをすれば、『牡丹派』としては格好の攻撃の的だもの」
「ですが、全く音沙汰がないわけでもありません。シェイラ様が注目され、真実が明るみになるのも、時間の問題かと」
「……ぐずぐずしてはいられないわね」
夜会の夜が明けた朝。朝食が終わった後、例によってリタと二人きりになった部屋で、ディアナはこれからのことを話し合っていた。シェイラのことが完璧に明るみに出る前に、こちらの態勢を整えなければならない。
「ライア様、ヨランダ様、レティシア様。このお三方と早急にお会いして、ご協力をお願いしなければならないわね」
「できれば内密に、ですか?」
「えぇそうね。わたくしとあの方々が繋がっていると思われることだけは、避けなければならないもの」
「一番手っ取り早いのは、『闇』に手紙を届けてもらうことですが……」
リタの提案に、ディアナは苦笑し首を横に振った。
「それではあまりに礼儀に反するでしょう。こちらの都合でお願いするのだもの、直接足を運ばなければ」
「ディアナ様が、ですか? しかし、それでは…」
「分かってる。目立つわよね…」
側室筆頭であり、『クレスター伯爵令嬢』であるディアナは、どこにいても何をしていても目立つ。人気が全くない場所なら別だが、少なくとも『名付きの間』付近に人がいないなど有り得ない。
「リリアーヌ様抜きで『名付き』の茶会を開くのも不自然だし、わたくしが次々『名付き』を訪ねるのはどうしたって目立つし。一番良いのは、どこか人目につかないところでこっそり、皆様にお話することなのだけど」
「ディアナ様からのお呼び出しだと、警戒されてお断りされかねませんね」
「そうなのよ。リリアーヌ様が再三、ご自分の派閥に誘っていらっしゃるように、わたくしも派閥拡大を狙っているのだと思われたら。多分、お話すら聞いて頂けないわ」
「かと言って、お名前を伏せたお呼び出しでは怪し過ぎますし……」
「全く、普通に話したいだけなのに、どうしてこうも面倒なのかしら」
頬に手を当て、ディアナは息をつく。こういうとき、人脈がないのは不便だ。
「貴族間ならまだしも、王宮にツテなんかないしねぇ……。今のところ、『闇』たちの情報だけで、なんとかやっていけてるし」
「しかし、側室様方とのお付き合いに『闇』を使うのは、却って逆効果なのでしょう?」
「普通のご令嬢は、隠密の者たちに馴染みなどないでしょうからね」
「……どうしましょう? 早くしなければ」
「えぇ。後宮が荒れる前に、何としてでも、『名付き』の方々の協力を得なければ。荒れてからでは遅いわ」
そこだけは、関係者一同一致した考えだ。考えが一致しているだけで、事を運ぶのはディアナに丸投げという事実が泣けてくるが。
「――失礼致します」
不意に、二人の他には誰も居ないはずの室内に、声が響いた。リタがはっ、となり、反射的にディアナを庇う位置に移動する。そんなリタを抑え、ディアナは立ち上がった。
「……貴女、ルリィね? 入りなさい」
「はい」
寝室の奥から出て来たのは、物静かな黒髪の侍女。余計なことは言わず、仕事は丁寧で早い。ディアナが密かに、目をかけていた王宮の侍女であった。
「申し訳ございません、ディアナ様。お話全て、お聞きしてしまいました」
「貴女、ずっと寝室にいたの?」
「はい。夕べの夜会でお使いになった装飾品を片付けるようにと、命じられまして」
「……驚いたわね。全く気配を感じなかったわ」
ディアナだけならまだしも、リタにも感知できないとなると相当なものだ。黒髪の侍女――ルリィは、深々とひれ伏した。
「一人で仕事しているときは、気配を殺すのが癖になっているのでございます。そのうちにディアナ様とリタさんのお話が始まってしまい……出るに出られず」
「それなのに、どうして今、出て来たの?」
「それは……ディアナ様がお困りのように、見受けられましたので」
ルリィが真っ直ぐに顔を上げた。黒耀石の輝きを持つ瞳が、ディアナの目を強く見据える。
「僭越ながら、お役に立たせて頂きたいのです」
「……それは、正直とてもありがたいけれど。とりあえず、立って頂ける?」
目線が違うと、お話しにくいわ。
微笑んで手を差し出すと、ルリィはおずおずとディアナの手を掴み、立ち上がった。そして、笑う。
「やっぱり、ディアナ様が恐ろしいというのは、ただの噂なのですね。ディアナ様は、これまでお仕えしたお方の中で、誰よりもお優しいですもの」
「あら、ルリィさん。貴女なかなか見所がありますね」
「ルリィで結構ですよ、リタさん」
「私もリタで構わないわ、ルリィ。ディアナ様の本当の姿を見抜ける人って、どんな立場の方でも貴重なの。外見や噂に惑わされず、本質を見抜ける目を持っているってことだもの。貴女って優秀なんですね」
「そうかしら……? 普通に側でお仕えしていたら、分かると思うのだけど。侍女が何か失敗しても怒らないし、何か無茶な命令をおっしゃることもないし」
「それが、『失敗した相手への報復を笑顔の裏で考えている』『命じるまでもなく動く人材でなければ、使う価値もないと切り捨てる』って解釈されるのが、クレスター家の方々なのよ?」
「いえ確かに、私も最初は『何企んでるんだろう?』とか思わないこともなかったけれど。一月も経てば、ただ単に顔が誤解されやすいだけで、そこまで酷いこと考えるお方じゃないってことくらい分かりますよ」
本人の目の前で加速していく、侍女たちによるかなり失礼な会話。黙って聞きながら、本人の居ないところでやりなさいとツッコミ入れるべきかしらと考えたディアナだったが、幸いにして彼女が口を開く前に、侍女二人は気付いたらしい。
「えーと……、すいません、ディアナ様」
「……別に良いのよ。事実だし、誤解されることには慣れっこだし。でもこれからは、わたくしの居ないところでやりなさいね」
「はーい…」
話をひとまず纏めて、ディアナは再びルリィを見た。
「それで、ルリィ。わたくしに力を貸してくれるの?」
「はい!」
「ありがとう。話を聞いていたのなら、分かると思うのだけど」
「はい。『睡蓮様』『鈴蘭様』『菫様』にそれぞれ、所定の場所に密かにおいで頂けるよう、お伝えすれば良いのですよね?」
「えぇ。できる?」
「お任せくださいませ。私、これでも、王宮に仕えて長いのです。侍女の顔見知りも多いですし、特にその三つのお部屋にはそれぞれ、仲の良い子が入っています。彼女たちに頼めば『名付き』の方々に、ディアナ様のお言葉を届けることができるかと」
「わたくしの名前は伏せて、それでも来て頂けるような伝え方ができる?」
「――確実に、とは申し上げられませんが。ディアナ様の目的を、匂わせることができれば」
ルリィの瞳に宿る光は強い。ディアナはその目を見返した。
「侍女の中にも、現後宮の状況を快く思わないものはいます。私含め、仲の良い子たちは皆、後宮の状況に危機感を抱いているのです。それはきっと、『名付き』の方々も同じのはず」
「そのとおりよ、ルリィ。リリアーヌ様除く『名付き』の側室は、後宮の現状を、決して良しとはしていないわ」
「ならば。そのお考えをそれとなく伝えれば、乗ってきてくださるはずです」
ディアナとリタに、希望が宿る。ディアナは強く、ルリィの手を握った。
「ルリィ。……できる?」
「はい!」
「お願い、ルリィ。状況は一刻の猶予も許さない。できるだけ早く……、そうね、今日の午後にでも。今はもう使われていない、東の中庭においで頂けるよう、ライア様、ヨランダ様、レティシア様にお伝えしてちょうだい」
「畏まりました」
ルリィは綺麗に一礼した。くるりと回り、ちょっと厨房へ行ってきますというような軽い足取りで部屋を出て行く。扉が閉まり、ディアナはリタと、顔を見合わせた。
「意外な身近に、素晴らしい人材がいたわね」
「マヌケ陛下にお仕えさせるには、勿体ないくらいの人ですよ。ディアナ様が後宮をお出になるときは、一緒にお連れしませんか?」
「そうねぇ……。王宮に太い人脈パイプを持つ人材は、貴重よね」
「何より、たった一月ちょっとでディアナ様の本性を見抜けるなんて、相当見る目ある証拠ですし」
「リタ貴女、さっきからよく聞いたら、かなり失礼なコト言ってるわよ?」
「え、そうですか?」
リタは悪びれない。まぁこれも、姉妹同然に育った仲であるが故の気安さだ。
「黒髪黒目……か。さぞ苦労してきたんでしょうね」
「かなり優秀で、しなやかな強い心をお持ちなんでしょう。でなければ、王宮の侍女、それも『紅薔薇の間』付きになるなんて、できるとは思えません」
「えぇ、わたくしも同感だわ。あの子が『紅薔薇』に入ってくれたことを、感謝しなくちゃ」
黒、という色は、この国ではかなり珍しい。そして同時に、忌み嫌われる色でもある。
遠い昔、王国建立以前。この世界には、人間に害を及ぼす『魔の者』と呼ばれる存在がいた。全身真っ黒のその者たちは、人を虐げ、拐かし、時には喰らい、人々の生活を脅かしていたという。
そんな伝説の影響もあってか、この国の人間は『黒』という色を嫌う。実際エルグランド王国の国民には無い色だ。遥か東、海を越えた先にあるという列島では、黒は珍しくもない色だというが。
「ルリィは東の血を引いているのかしら。東の国のこと、何か知っていると思う?」
「どうでしょう。お互いに仲良くなれば、聞いてみれば良いかもしれませんね。今はまだ、ルリィが自分の色にどういう感情を抱いているか、分かりませんし」
「黒の何がいけないのか、わたくしにはよく分からないけれど」
「それはディアナ様がクレスター家の方だからですよ。『闇』の者たちだって、黒の装束を纏ってますし」
一般の中にいれば、色々辛い想いもしてきたんじゃないですかね。
リタの言葉にディアナも頷き、新しく仲間になった黒髪の娘を大切にしようと、強く誓った。