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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
116/236

議会、始まる


今日から始まりますハイパー水戸黄門タイムの前に、皆様に一つ、お詫びがございます。

議会編を書くにあたり、私にしては珍しく大まかな流れを組んで「だいたい3話、長くても5話くらいで終わる。もしかしたら年内に完結できるかも!」と予定を立てておりました。

が。廻船問屋とお代官様(水戸黄門を知らない方の為に念のため注釈入れておきますが、要するに悪人ども)の往生際が思いの外悪く、また味方陣営の奴らすらも空気読まずに山ほど設定の後出しをしてきやがったたため、かなり努力したのですが、当初予定していた倍ほどのボリュームになってしまいました……。お前ら、8時35分くらいに「やっておしまいなさい!」が始まってから15分ちょっとでスピード解決に導くご老公様を見習え、マジで。

「スカッとサクッと裁いて解決!」をご期待の読者の皆々様には大変申し訳ございませんが、年を跨いであと3ヶ月ほど、こ奴らにお付き合いくださいませ。


ではでは。いざ、今年最後のクライマックスへ!


 太陽とは実に偉大である。地上にどれほどの変事があろうとも、素知らぬ顔で規則正しくその姿を現し、ときを告げる役割を律儀に果たしてくれる。

 朝靄が晴れ、世界がその偉大な光の恩恵を、思う存分受けられるようになった頃。

 やたらもったいぶった足音が、地下牢の中でうとうとしていたディアナのもとへ、近付いてきた。


(……来たわね)


 ディアナを捕縛したあの王宮騎士が、直接誰の指示を受けているかは知ったことではない。

 が、『処刑』については意気揚々と知らせに来た馬鹿が、その後しばらくして決定した『貴族議会』について何も言いに来なかった点から見て、彼らはディアナに僅かの希望も持たせなくないものと思われる。――ちなみに、王宮騎士が知らせなかった議会の開催を教えてくれたのは、こっそり食事を差し入れに来てくれた外宮室の室員だ。はしっこそうな印象の彼はカシオと名乗り、「私は貴族ではないので、姫様に酷いことをした奴らを直接懲らしめることはできませんが」と無念そうに言いながらも、自らの立場でできる限りのことをすると、頼もしく請け負ってくれた。

 カシオの、外宮室の様子から、『(ジューク)』との繋がりが見えて。彼はまだ諦めていないと感じ、だからこそ真夜中を過ぎても、待ち続けることができたのかもしれない。……たった一日で。思えば、いろいろなことがあった気がする。


 カツン。

 昨日を振り返っていたディアナの前で、足音が止まった。顔を上げると――。


「あら、おはようございます。随分と苦いお顔をしておいでですのね」


 予想と違わず、ディアナを捕縛した王宮騎士、階級章から見て小団長が、苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。

 膝に顔を埋める形でうつらうつらしていたディアナは、それを微塵も感じさせない、猫のようにしなやかな仕草で立ち上がる。


「いかがなさいました? 太陽の位置から見て、まだ正午には早いかと思われますが。――わたくしの処刑が早まりでもしたのかしら?」

「違う。……出ろ」

「ここを出て、わたくしにどこへ行けと? 『紅薔薇の間』へ帰してくださるの?」

「そんなわけがあるか。今から向かうのは……議会だ」

「議会?」


 今初めて聞いた、という風に、ディアナは目を丸くする。カシオが知らせてくれたことを、わざわざこ奴らに教えてやる必要はない。


「議会とは、貴族議会のことですか?」

「そうだ。……王は、側室『紅薔薇』にかけられた嫌疑の詳細を明らかにし、その断罪を行うべく、議会の開催を決められたのだ!」

「……まぁ」


 驚いた、そんな様子を取り繕って。

 ――ディアナは、ゆったりと微笑んだ。


「そうなのね。分かっていたわ。陛下は、わたくしを信じてくださる。わたくしがこのようなことをするはずがないと、」

「勘違いするな! この議会は、王の御前で、そなたの罪を明らかにするためのもの。我らが行う処刑が正当なものであると、全貴族に知らしめるためのものだ!」

「いいえ。……それがあり得ないことを、あなたはもう、分かっているはず」


 赤黒い顔で怒鳴る目の前の男に、ディアナはただ、凪いだ目を向けた。


「あなたが今回の計画に、どの段階から関わっているのかまでは、わたくしは知らない。けれど、僅かなりともその片鱗を知らされていることは、あなたの言動から読みとれるわ。――悪事の片棒を担いだあなたなら、わたくしが、『ディアナ・クレスター』が、本当はこの件に一切の関与をしていないと、よく知っているはずよ」

「な、なに、を……」

「何を思って、このような(はかりごと)に加わろうと思ったのかは、もう聞かない。……聞いたところで、意味がないから」

「何なんだ、お前は、いったい、」

「あなたなりの信念があったのかもしれない。立場が変われば、善悪も変わる。あなたたちの立場では、わたくしはただの、『悪』だったのかもしれないわね」


 煤けた天上を見上げて、ディアナは静かに、瞑目した。

 クレスター伯爵家に生まれた以上、貴族社会における様々な悪事に『裁く側』として携わることは、どうしたって避けられない。自分たちは、存在そのものが悪事を企む者にとっての『罠』。法を侵す者、民を苦しめる者、ときには『王』に刃向かう逆賊を、歴史の裏側で、数え切れないほど葬ってきた。

 けれど、歴代の当主は。一族の者たちは一度だって、自分たちを『正義』と称したことはなかった。一つの『罪』を裁く度、自分たちの手も同時に『罪』と『血』に(まみ)れることを、彼らは誰より知っていたから。


 それだけの、覚悟をしても。『クレスター』はただ、自分たちのために、『エルグランド』の力になりたかった。


(わたくしも、今から、罪を犯す――)


 マリス前女官長のときとは違う。彼女は明らかに、女官長として不適格だった。それだけの罪を、ディアナとは関係なく犯していた。

 今回の『彼ら』は、きっと。ディアナが『紅薔薇』にならなければ、ここまで血迷った暴挙には及ばなかった。彼らの心にもともと『芽』があったとしても、それを育て、悪事という『花』を咲かせたのはディアナだ。――『古の誓約』に基づく、クレスターの『役目』のままに。

 法に反し、王を軽視し、他者の心と命を弄んだ彼らに、王国の法は容赦しないだろう。彼らは罪を犯した、それはもう変わらない。

 だからディアナも、彼らを憐れむことは、今後一切しない。……これが、最後だ。


 目の前の男に顔を戻して。静かに、強く見つめ、揺れる瞳に告げる。


「それでも、わたくしはわたくしの信念で、あなたたちのやり方を認められない。保守とか、革新とか、本当のところはどうでも良いの。――わたくしが赦せないのは、あなたたちの、『自分とは考えの違う他人』を同じ人間として扱わず、その心も、命すらも自分本位に操ろうとする、身勝手な傲慢さだから」

「な、な……!」

「牢に入れられたから、怒ってるわけじゃないわ。……あなたたち、この計画のために、どれだけの人の心を踏みにじった?」


 ソフィアを筆頭に、ディアナを――『紅薔薇』を守ろうと、幸せになって欲しいと、勘違いではあっても必死だった側室たち。

 ベルも、ライノ・タンドールも、オレグ・マジェンティスも。自業自得な面もあるとはいえ、最初に付け入られた心はきっと、純粋なものだった。

 何よりも、シェイラを苦しめた。ジュークを、傷つけた。

 ディアナに毒牙を伸ばしたことで、ディアナを大切に想う、多くの人の心も――。


「――覚悟、しておいて」


 厳かに、ディアナは言い放った。


「わたくしを、議会に連れて行きなさい。……それがあなたの、騎士としての、最後の仕事よ」


 数拍の、間を置いて。

 ――騎士が鍵を開ける音が、やけに大きく、地下空間にこだました。



  ***************



 ディアナが議会の、裁かれる『王族』用の席に近い扉を潜ったとき、議会は既に紛糾していた。


「あまりにも横暴に過ぎる! 紅薔薇様がこの件に関与した確かな証拠もなく、一部の判断で最高刑を執行しようとするなど、王国の秩序を乱す愚行でしかない!」

「ほう。では尋ねるが、実行犯共が口を揃えて『紅薔薇様の御ために』と証言しているこの現状で、逆にかの令嬢の関与を疑わない道理は?」

「そ、それは……実行犯の暴走と」

「そもそも! その証言は確かなのか? ここが紅薔薇様の罪を問う場なら、当然その者たちも参考人として召喚されるべきであろう」

「もちろん、定時になり、議会が始まれば呼び寄せる」


(あ、まだ始まってなかったのね)


 外に出て太陽の位置を確認し、たぶんまだ十時にはなっていないと思ったのに、既に議会が始まっているかのような様相だったため、のんびり後宮暮らしが祟って感覚が鈍ったかと危ぶんでいたのだ。ディアナは貴族令嬢ではあるが、議会なんて修羅場にはこれまで縁がなかったため、どうなれば『開催』状態なのかいまいち分からない。


(よく見れば、陛下も宰相様もまだいらっしゃらないし、お父様たちも姿が見えないし。時間になっていないことは確かよね)


 とはいえ、そろそろ時間になることも確かだ。人生初体験の『貴族議会』に『被告人』の立場も忘れ、ディアナの興味関心は否が応でも高まる。……考えてみれば、『被告人』なんて超特等席で、歴史上も稀な『王族断罪』の議会を目の当たりにできるなんて、『賢者』一族の末裔(すえ)としては相当に幸運かもしれない。


(こういうこと考えちゃうから、クリスお義姉(ねえ)さまからは『ビョーキ』って言われるのよね)


 おそらくは母も呆れた顔をするだろう。しかし、それが『クレスター』の血を引く者の抗えない本能なのだから、こればっかりは仕方がない。

 家族の顔を思い返し、一人和んでいるディアナとは対照的に、(まだ始まってもいない)議会の喧噪は留まるところを知らない。


「側室『紅薔薇』の関与は、実行犯共の証言から、間違いないものだ」

「いいや! 証言だけでは、最高刑の根拠には弱い」

「待て。まずは誘拐されたご側室の安否確認だろう。捜索は行われているのか?」

「悪名高い『氷炎の薔薇姫』の指示による誘拐だぞ。――生きているわけがない」

「なんと」

「ならば、なおさら、斬首が妥当ですな。ただの側室でしかない『紅薔薇』が、同じ側室を卑劣な手段で殺害した。そのような罪を犯した者を、のうのうと生きながらえさせては、それこそ王国の乱れ」

「――静粛に!!」


 なんか勝手に私がシェイラを殺したことになってる――とディアナが眉を顰めた瞬間、朗々と響いた、喧噪全てを負かす声。普段は決してこのように声を張り上げることはないけれど、『臣下』の頂点に立つ彼を知らない者は、王国貴族にはいない。

 エルグランド王国現宰相、ヴォルツ・モンドリーア。現モンドリーア公爵であり、王太后の兄であり、現国王の伯父である彼は、貴族議会において『議長』を兼任する。

 凡庸な外見ゆえに目立たない彼は、誰にも気付かれないよう議長席まで登り、そこで初めて声を放ったのだ。


「ただいま、定刻の十時を迎えた。これより『貴族議会』を開くこととする。――一同、起立!」


 ヴォルツの号令で貴族たちが一斉に立ち上がり、議会場正面、一番高い場所にある重厚な扉に注目した。

 しんと静まった空間で、扉が開く音だけが鮮明に聞こえる。


 開ききった、扉の奥から。この国の王、ジューク・ド・レイル・エルグランドが、内心の読めない無表情で現れた。

 その場にいる全員が、無言で頭を垂れる。

 たっぷり三拍の間を置いて、ジュークの「面を上げよ」が聞こえた。


「本日は、皆、大儀である。この議会の場に置いて、裁くべき者を、法に則り正しく裁くように」


 そう、一言だけ告げて。ジュークは椅子に深く腰掛け、目を瞑った。

 ジュークの様子に何を思ったか、先ほどから「紅薔薇を殺せ!」と主張していた一派が、目を輝かせる。

 ヴォルツの視線が罪人席の方を向き、後ろの騎士に背を押されて、ディアナは前に進み出た。


 宰相と斜めに向かい合い、会場全体から見える場所に姿を見せたディアナに、この場全ての視線が集中するのが分かる。いちいち見返していてはきりがないので、ディアナはただ、斜め前のヴォルツだけを見つめた。

 鉄壁の仮面で中立を装っている彼だが、本当はそこまで剛胆な人ではないと知っているディアナは、早くも彼が気の毒になってくる。仮面の裏では間違いなく、「あああぁ、ディアナ、済まない……!」と平謝りしているはずだ。


「被告人、『紅薔薇の間』側室、ディアナ・クレスター。罪状は、王の寵愛を独占せんと、『寵姫』の噂がある下位側室、シェイラ・カレルドを殺害するため王宮より連れ出した、誘拐と殺人。――求刑は、斬首」


 ヴォルツが読み上げた内容に、議会の空気がざわりと動く。満足そうに頷く何人かを、ディアナは密かに確認した。


「以上について、まずは被告、ディアナ・クレスターに尋ねる。――訴えに間違いはないか」

「ございます。シェイラ様の誘拐に、わたくしは関与しておりません。そもそも、現在行方知れずのお方が既に殺害されたものと決めつけ、罪状に『殺人』を付け加えることにも疑問を覚えます。求刑に関しましては、身に覚えのない罪により頸切られますことは、大儀のない虐殺に相違ないと思う次第です」


 間髪入れない反論に、先ほどの比ではないざわめきが起こった。何人かが椅子を蹴って立ち上がる。


「生意気な!」

「宰相閣下に対し、なんと不遜な!」

「控えよ!!」


 ヴォルツの一喝に、しぶしぶ、立ち上がった貴族たちは口を噤む。今のディアナの反論に対し、あからさまに気色ばんだのは、向かって右側の席に座る者たちだ。中程から左にかけては、注意深くディアナと、宰相ヴォルツを観察している。

 動じることなく己の無実を訴えたディアナに、ヴォルツの瞳が少し和らいだのが分かった。ディアナが精神的に参っていないと、確信できたからだろう。


「なるほど。そなたは、この罪状そのものが、虚偽であると申すのだな?」

「左様にございます、宰相閣下」

「だが、訴えを起こした者とて、何の確証もなくこのようなことは言い出さないはずだ。――ハーライ侯爵」


 ヴォルツに喚ばれ、一人の小太りな貴族が、中央の証人喚問席へと進み出る。ディアナも園遊会で顔を確認した、『牡丹派』側室ハーライ侯爵令嬢の父親だ。


「この度の訴えについて、総責任者はそなたであったな?」

「はい、閣下」

「内務省の副大臣補佐であるそなたが何故、後宮が主な舞台であったはずの一件に気付き、訴えをまとめたのか。陛下の御前で申し上げよ」

「畏まりました」


 ジュークに一礼し、ハーライ侯爵は滔々と語り出す。


「陛下もご存知のこととは思われますが、私の娘は後宮にて、一部屋を賜っております。誉れあるエルグランド王国の貴族として、陛下によく仕え、国の支えとなるようにと、私は娘に言い聞かせて参りました。――娘もその言葉をよく聞いていたのでしょう。年が明けた頃に、『後宮内部で不穏な動きが』と手紙を寄越したのです」

「その内容を、詳しく」

「はい。もともと現後宮は、そこの娘、ディアナ・クレスターが権勢を得ようと企んだことから、派閥争いが勃発し、秩序が乱れておりました。心優しい娘はその現状も憂いていたのですが……ついに、『紅薔薇』の派閥に加わっている側室が、同じ側室であるシェイラ・カレルド嬢に危害を加えるようになったと」


 ざわめきが止まらない中、ハーライ侯爵の言葉もまた、止まらない。


「側室が同じ側室を虐げるなど、あってはならない暴挙です。私はすぐ娘に、『紅薔薇派』の側室と紅薔薇本人を注視するよう、指示しました。――娘が逐一後宮の状況を知らせてくれたがゆえに、私は迅速に動き、協力して頂ける王宮騎士殿の尽力もあって、怪しい動きをしていた、ベルと名乗る娘を捕らえることができたのです。彼女は『紅薔薇派』側室、タンドール伯爵令嬢付きの侍女にございました」


 王の御前ということもあり、控えめな姿勢を取り繕っているハーライ侯爵であるが、言葉のあちこちに高慢な自尊が透けて見える。ジュークを見据える視線も、尊崇よりは侮りが強い。この『王』は自分を疑わないと、最初から信じ切っている目だ。――見ているだけで、気分が悪くなる。

 そんな男を前に、ジュークは。相変わらずの無表情で。


「ハーライ、か。……そなたは確か、一時期私に、内政に関する諸々の手続きについて、教えに来ていたな」

「おぉ、陛下。覚えて頂けていたとは、このハーライ、身に余る光栄に存じます!」

「……ゆえに、不思議だ。そなたほどの知識があれば、貴族の娘を処罰する際には、王と宰相の許諾が必要であると分かるはず。私はもちろん、確認したところ宰相も、紅薔薇の処刑嘆願を認めてはいないはずだが。一部臣下のみの判断で、貴族を斬首できる法律が、いつ作られたのだ?」


 静かだが、よく響くジュークの言葉に、ざわめいていた議会がしんと静まった。誰もが信じられないものを見る目で、ジュークを眺めている。

 調子よく喋っていたハーライ侯爵とて、それは同じだったろう。よりにもよって、昔自分がジュークに教えていた『内政に関する諸々の手続き』を自身で破ったと、ジュークに責められたも同じなのだから。

 ハーライ侯爵は反射的に口を開いたものの、そこから言葉はなかなか出てこない。……なるほど、昔の癖で「そのような些事にこだわってはなりません」とでも言いそうになったか。周囲が味方ばかりの密室では遠慮なくジュークの思考を捻り潰せても、公衆の面前でそんなことをすれば、非難が集中することなど分かり切っている。それくらいの頭はあるらしい。

 感情の読めないアイスブルーの瞳を、ひたとハーライ侯爵に向けて。ジュークは視線だけで、彼に『答えろ』と圧力をかけている。

 重苦しい沈黙を、「……も、もちろん」と、震える声でハーライ侯爵は破った。


「陛下と、宰相閣下のお許しは、頂くつもりでしたとも。ですが昨日ずっと、陛下は我々の前に、姿を見せてはくださらなかった!」

「答えになっていないな。我らの許諾もないまま、処刑台の準備を進めていたと聞いているぞ?」

「しかし、陛下。側室『紅薔薇』の罪は、誰の目にも明らかにございます。ここで彼女を見逃すことこそ、王国の乱れ!」

「私の問いが、聞こえてはいないらしい。――モンドリーア」


 ジュークが、ヴォルツに視線を移動させる。宰相は静かに一礼した。


「何でございましょう、陛下」

「我が国にいつ、一部臣下のみの判断で、貴族位にある娘を斬首できる法律ができた?」

「畏れながら、お答え申し上げます。そのような法は、我が国にはございません。領地没収、幽閉など、調停局の裁量のみで決定される処罰もありますが、それらですら最終的に、陛下の御璽が必要になります。――極刑たる斬首に関しては、調停局による最低三度の調停の後、陛下も交えての討議を行い、関係各所と宰相、そして国王陛下の許諾が降り、その後数年、異議ある者による申し立て期間を置き、異論が挙がらない場合に限って執り行われます」


 ディアナは内心で、深々と頷いた。近年のエルグランド王国において、ギロチンが錆びるほど『極刑』がなかった理由がこれだ。この国は、死刑に関する制約がずば抜けて厳しい。

 ヴォルツの丁寧な説明に、ジュークも頷いた。


「私の知識とも一致する。つまり、現行の法律で、今日の正午に紅薔薇を斬首することは、そもそも不可能なのだな?」

「法律に照らせば、左様です」

「な、何事にも例外はございます!」


 泡を食った様子で、ハーライ侯爵が、王と宰相の会話を遮った。二人の視線を受けて、彼は小太りな身体を揺する。


「陛下、宰相閣下。側室『紅薔薇』は、後宮を私物化し、派閥争いに多くの側室を巻き込んで、王国を乱しました。それだけでは飽き足らず、陛下の寵愛を独占せんと、ご寵姫様のお命を奪ったのです。このような毒婦をこれ以上のさばらせておくことは、王国の……何より陛下の御ためになりません!」

「だから……速やかに、刑を執行しようとした?」

「はい。我らはただ、陛下の御代が安泰であるようにと!」

「――私がいつ、法に反してまでも国の安寧を守ってくれと、そなたらに頼んだのだ?」


 ここに来て、ようやく、ハーライ侯爵は気付いたらしい。

 無表情の、王は。表情を作る余裕もないほどに、激怒しているのだと。

 ジュークの言葉は、さらに続く。


「ハーライ。そなたはかつて、私に言ったはずだ。――法は守るべきであり、王であっても理由なしの横紙破りは赦されない。内政においてもっとも重要なのは、法を理解し、その中で決められた手続きを踏んで、(まつりごと)を行うことだと」

「は……」

「私は、そなたの言葉を尤もだと思った。それゆえに、これまでも、法に則り政務を進めてきたつもりだ。政における基本姿勢を教えてくれたそなたが、法を軽視する発言を繰り返したことに、私は今、深く失望している」


 ハーライ侯爵の顔色が白くなる。彼の背後で、主に向かって右側が、忙しなくさざめいていた。

 ――当然かもしれない。これまで臣下の言葉を素直に受け取り頷くばかりだった王が、国中の貴族が集結する議会の場で、かつて自らの『教育係』だった男に厳しい言葉をぶつけたのだから。


(すごい……陛下)


 被告人席で成り行きを見守る顔をしたまま、ディアナはジュークに賞賛の眼差しを向けないよう、努力しなければならなかった。

 最初から最後まで、ジュークの姿勢は一貫していた。『臣下の勝手な判断で人殺しができる法律はあるのか?』という問いに対し、ハーライ侯爵が必死に論点をすり替えようとしても、一切動じず。昨日今日で、王と宰相の許諾を得ないままギロチンの準備を進めた一点だけを、『法の軽視』として責めたのだ。派閥争いとか、寵姫とか、国の安泰なんて言葉にも、まるで惑わされなかった。誰の目にも明らかな『敵』の粗を抉り、公平な視点から彼らの不当性を訴える。――おそらくこれでハーライ侯爵は、容易にジュークに対して『紅薔薇』斬首を持ち出せなくなったはず。


 この場に集まった貴族の多くは、議会を開いた王の狙いがどこにあるのか、探っていたはずだ。『紅薔薇』を庇うためか、あるいは『寵姫』に危害を加えた彼女を葬るためかと。

 しかし。ここまでジュークは、ハーライ侯爵一派の『法律違反』を責めただけで、『紅薔薇』と『寵姫』に言及してはいない。にもかかわらず、何か確かな狙いがあって議会を開いたのだろうと、ほとんどの貴族に思わせている。……見事な初撃としか、言いようがない。


(怒ってることは、怒ってるんだろうけど。ちゃんと冷静ね、陛下)


 幸か不幸か、頭に血が昇ったジュークを腐るほど見てきたディアナには、今の彼が怒ってはいても我を忘れていないと分かる。ハーライ侯爵にだけ話しかけているようで、きちんと議会全体を把握していることも。


「陛下。お怒りはごもっともにございますが、今はまだ、側室『紅薔薇』についての審議が途中にございます」


 ハーライ侯爵が言葉を無くしたことで滞っていた場を、進行役でもある宰相が動かした。ジュークは気怠げに、一つ頷く。


「そうであったな。ハーライ、続きを」

「は、は……?」

「ベルという、タンドール伯爵令嬢付きの侍女を捕らえたのであろう。その続きだ、申せ」


 可哀想に、ハーライ侯爵は完全に、ジュークに気圧されている。かつて自分の言いなりだった王が、かつて教えた『建前』を(つるぎ)にして切りかかってくるとは思いもしなかったのだろう。何を聞かれたのかも定かでは無い様子で震えている。

 しばらく両者が無言のまま、時間が過ぎ。――やがて、ディアナの背後が動く。

『被告人』をここまで連れてきた騎士が、「畏れながら」と進み出た。


「発言をお許しいただけますでしょうか」

「そなたは?」

「王宮騎士団にて小団長を務めております、ユーノスと申します」

「ふむ。ユーノス子爵の弟だな。名前は聞いたことがある」


 確認の素振りでジュークに彼の素性を知らせるヴォルツは、さすが海千山千の貴族相手に渡り合う宰相である。ディアナは、昨日からこっち『馬鹿』としか形容していなかった騎士の素性を知り、(あちゃー……)となった。


(ユーノス子爵家は確か穏健保守で、代替わり後のストレシア侯爵家とも親しかったはずなのに……その現当主の弟がよりによって)


 こっそり、席に座るストレシア侯爵(顔はやはり園遊会で確認済み。ライアとは似ても似つかない厳ついご面相だった。彼女は間違いなく母親似だ)を窺うと、案の定彼は斜め後ろの貴族に険しい表情で話し掛け、話し掛けられた方も、呆れと諦めを含んだ眼差しで進み出るユーノス小団長を眺めている。あの様子だけでユーノス家の内実を推し量るのは難しいが、少なくとも兄に、弟を庇うつもりが無いことだけは確からしい。

 兄の視線を知ってか知らずか、小団長は肩をいからせて証人席の真横に立ち、ヴォルツを見上げている。

 ジュークにちらりと視線を向けてから、ヴォルツは頷いた。


「発言を許そう」

「は。ベルと申すタンドール家の侍女を捕らえましたのは、私の指揮する小団です。見慣れぬ侍女が王宮の外門付近をうろついていたため、素性を正したところ、訳の分からぬ発言を繰り返し。詰め所にて尋問した結果、ご側室、シェイラ・カレルド様の誘拐を自供しましたので、拘束致しました」

「つまり、ベルとかいう侍女は、側室に仕える侍女でありながら、後宮を抜け出していたのだな?」

「その通りです。……僭越ながら、ハーライ侯爵が先ほど仰った『王宮騎士団の協力者』とは、私のことでして。侯爵より後宮の乱れについても詳しい話を聞いており、ベルがタンドール伯爵令嬢付きと分かった時点で、私は側室『紅薔薇』の関与を疑いました。ベルに尋ねたところ、やはり『紅薔薇様がご正妃となるべき。我が主もそれを望んでいる。邪魔する女は消さなければ』と」

「……しかし、その証言はどちらかと言えば、ベルの勝手な暴走の印象が強い」

「もちろん、それだけではございません。ベルからさらに自供を引き出し、この件に関わったと思われるライノ・タンドール及び、オレグ・マジェンティスも、仲間と協力して捕縛しました。――その二人ともが、『側室筆頭たる『紅薔薇様』の権勢を確かにすることこそが、王国にとって何よりの大事!』と堂々とのたまったのです。ここに『紅薔薇』本人の意図が絡んでいないと判断することこそ、無理があるというもの」


 ふと、ジュークが何の前触れもなく、ディアナの方を見た。突然の『王』の視線に、ディアナは驚く。

 誰にも分からないだろう。ジュークは視線だけで、ディアナに「『クレスター』の得意技を見せてやれ」と挑発したのだ。彼の意図が手に取るように分かるのは……彼のアイスブルーの瞳がどこか、穏やかさの中に茶目っ気もある、『オースおじさん』と被ったから、だろうか。

 ジュークに了承の意を返すと、彼はわずかに笑ったようだった。


「紅薔薇。ユーノス小団長の証言に、申し開きはあるか」

「はい、陛下。『三人の証言が揃った』だけでは、ひと一人の命を奪うに、あまりにも根拠が弱いように思います」

「私が嘘をついていると言いたいのか!」


 いきり立つ彼を、ディアナは静かに見下ろした。……そういえばこの『被告席』、裁かれる側の席なのに、『国王席』と『議長席』に次いで高いのだ。基本的に議会で裁かれるのは王族のみだから、それ故の配慮かもしれないけれど。

 ディアナの視線に、ユーノス騎士は一瞬で黙らされた。いい加減、敵わないと認めれば良いのに。


「誰もそんなことは言っていないでしょう。ベルが後宮を出て、王宮外門付近をふらふらしていたことも、その証言も、その通りなのだろうと思います。……でなければ、彼女らを『証人』として喚問することは不可能でしょうからね」

「何が言いたい!」

「彼女らの証言が、動機が、『わたくしの権勢を確かなものにするため』と一様に揃ったとしても。そこにわたくしは関わっておりません。――陛下」


 ディアナは真っ直ぐに、王を見上げた。


「他ならぬ陛下が、ご存知のはずです。確かに、ハーライ侯爵の仰る通り、年が明けてしばらく経った頃、わたくしに近い側室方数名がシェイラ・カレルド様に危害を加えるという、あってはならない事態が起こりました」


 これまででいちばん大きなどよめきが湧く。事実は事実として認める『クレスター論法』が、これほど開けた場所で展開されるのは、それこそ百五十年振りだろう。貴族たちの困惑も無理はない。

 この場で動じていないのは、それこそジュークと宰相、その他ごく少数かもしれなかった。

 悠然と、ジュークは頷く。


「そうであったな。私も一度、その場に居合わせた」

「はい。そしてわたくしが、ソフィア様含む側室方に厳しく応対したことも、ご覧になりましたね」

「あのときのそなたは怖かった。本気で怒っていたのではないか?」


 ソフィアにも怒っていたが、それ以上に、あのときディアナが怒ったのはジュークに対してだ。それくらいジュークも覚えているだろうが、対象をぼかせば、周囲は勝手にディアナが『何』に怒っていたか想像してくれる。


「彼女たちは何故か、わたくしと陛下の仲をシェイラ様が邪魔していると、思い込んでいたのです。それは誤解だと、そのような事実はないと言っても、わたくしが気を遣っているのだと信じて、留まってはくれなかった。……監督不行き届きを責められるのであれば、甘んじてお受けしましょう。確かに、側室筆頭を意味する『紅薔薇の間』を賜っておきながら、側室方の問題行動を制御できなかったのは、わたくしの力不足にございますゆえ」

「殊勝なことだな。同じ立場の側室を害した罪に問われながら、そなたは筆頭として、全ての側室の行動に責任を持つか」

「それが『紅薔薇の間』を与えられた者の責務と、王国貴族の一端を担うものとして、心得ております」


 こればかりは心から告げて、「しかし、」と逆説の言葉を続けて紡ぐ。


「ずっと、わたくしは疑問でした。ソフィア様たちは、確かに思い込んだら一直線な気性をお持ちですけれど、ここまで頑なにわたくしの言葉を曲解なさる方々でもなかった。それなのに、シェイラ様の一件に関してだけ、わたくしの『本心』を勝手に確信していらっしゃる節があったのです。――シェイラ様の存在にわたくしが苦しんで、陛下との仲を深められずにいると」


 ここで敢えて、ディアナは小首を傾げ――艶やかに、微笑する。


「おかしな話でございましょう? 陛下とわたくしは、これほどまでに、心を通わせておりますのに。どうして、シェイラ様の存在に、苦しむ必要があるのです?」


 悲鳴に近い、集結した貴族たちの、驚愕する音が響いた。誰もが固唾を呑んで王の様子を窺い――。


「……そう、だな。そなたが、私との関係について、他人を気にする理由がないな」


 どこか、面白そうに。『紅薔薇』の言葉を全面肯定する『王』に、今度こそ悲鳴を抑えられなくなる。


「陛下!」

「騙されてはなりません!」

「その女は、王国転覆を目論む、悪の手先です!」

「この毒婦! 陛下のお優しいお心につけ込むとは、貴様には人の心がないのか!!」


 ジュークの目を覚まさせようと叫ぶ者、ディアナを罵倒する者、国の行く末を嘆く者と、一気に修羅場に早変わりした議会で、ディアナは内心舌を出す。


(『心を通わせる関係』イコール『恋仲』だなんて、誰も言っちゃいないのにねぇ。まぁ、面白いくらいに動揺しちゃって)


『統一王』アストと『黒衣の軍師』ポーラストも、ひょっとしたらこんな風に、不穏分子を炙り出していたのだろうか。これほど分かり易い『試し絵』も、確かになかなか存在しない。

 まぁ少なくとも、この場でいちばん可哀想なのは。


「静粛に、静粛に! 静粛に!!」


 進行役たる『議長』、ヴォルツなのは、まず間違いない。

 何度か「静粛に!」と叫び、木槌をカンカン鳴らして、ようやく場はざわめき程度に静まる。苦労性な宰相はさり気なくため息をつき、ディアナの方を向いた。


「側室『紅薔薇』、続きを」

「恐れ入ります」


 こっそり謝罪も込めてヴォルツに頭を下げ、ディアナは再びジュークを見る。


「わたくしの心をご存知の陛下ならば、わたくしが陛下との仲に悩んで、シェイラ様を排除するなどあり得ないとお分かりのはずです。――しかし実際には、捕らえられた三名を含めた多くの方が、『シェイラ様を排除し、陛下の寵愛を独占し、権勢を得ること』がわたくしの望みだと、確信していらっしゃる。それが、わたくしは、とても不思議なのです」


 すうっと、ディアナはジュークから、証人席でディアナの言葉を聞いているユーノス騎士に、視線を流した。


「教えて頂けませんか、ユーノス騎士? あなたは、何の根拠があって、わたくしの『望み』を断言なさるのか。わたくしは、後宮に入ってからこれまで一度たりとも、陛下の寵愛を独占し、権勢を得ようなどと、考えたことはありません。わたくしの行動から得た根拠ならば、どうぞご説明くださいませ。――全ての行動に対し、そこにどんな意図があったのか、この国を支える貴族の方々の前で明らかにいたします」


 口をぱくぱくさせて、馬鹿が言葉を失った。隣のハーライ侯爵も同様だ。

 ディアナが『紅薔薇派』を率いるようになったそもそもの原因は、後宮に集められた保守派の貴族令嬢たちの暴走だ。彼らはおそらく、後宮にて勃発した派閥争いを根拠にしたかったのだろうが、そこをつつけば夏以前の後宮についてバラすと、ディアナは宣言したのである。王国中の貴族家当主が集まるこの場には当然、保守派の側室が虐げていた革新派側室の父や兄もいて、ディアナの『釈明』を皮切りに議会の風向きが変わるだろうことは、どんな残念な頭をしていても分かるはず。

 後宮の、本当の内実を知る者こそを封じる、ディアナの妙手。……これでディアナの『動機』が根も葉もない単なる憶測だと、遠回しな証明になっただろうか。

 数名の取り巻きに囲まれ、苦々しい表情を隠しもしないランドローズ侯爵を横目に確認し、ディアナは正面の宰相ヴォルツに、視線を向けた。


「実行犯として捕らえられた方々は、いわば、偽りの『紅薔薇の本心』に踊らされたのでしょう。それがわたくしの意図とかけ離れている以上、わたくしが彼らに『指示』したという論理は成り立ちません」

「ふむ。……では、ディアナ・クレスター。あなたはその、『偽りの本心』について、心当たりはないと?」

「正直申し上げて、わたくしも知りたいくらいです。何故皆様が、わたくしの心を誤解したのか」

「なるほど。ならばここで、実行犯たちの証人喚問を行うことは、あなたの希望にも添うな?」

「はい、閣下」


 実行犯たちを『指示』していたと訴えられたディアナが、あっさり証人喚問に頷く。それもまた、この場に集まった人の心証を変えただろう。いつの間にか議会は、ディアナの無実を半ば確信して、ただ静かに成り行きを見守る静観組と、何かあれば手助けするぞという気概に溢れた待機組、どちらかは分からないが、これはどう転んでも今日の昼間にギロチンが使われることはないだろうなと判断した傍観組に、余計なことしやがってとディアナを訴えた者たちを苦々しく眺める離反組、そして。


「閣下、騙されませぬよう」

「悪名高い『氷炎の薔薇』が、実行犯たちに余計なことを言うなと予め釘を刺していることなど、分かり切っております」


 この期に及んで往生際の悪い、ディアナの首を胴から離したくて仕方のない処刑(ギロチン)推進組に、分かれつつある。

 ジュークが推進組の意見を右から左へ聞き流している間に、国王席の正面にある扉が開き――王宮騎士に連れられて、二人の男と、一人の女が入ってくる。最後に入ってきた女、ベルを見て、ディアナは思わず感情をそのまま表情に乗せた。


(待って。……ベルって、こんなにやせ細って、あばら浮いてるような侍女だった?)


 最後に彼女を自分の目で確認したのは確か、『星見の宴』前日だ。要するに、一昨々日。そのときは、一目見て異常を確信するような要素はなかったのに。

 やせ細るなんて表現は生やさしい。眼窩は窪み、頬骨が浮いて、首や手は枯れ木のよう。かろうじて侍女服は身に纏っていても、ぶかぶかで、身体に合っていないと分かる。身がどこかに消え去り、骨と皮だけになった、という形容がぴったりだろう。……正直、生きているのが不思議な状態だ。

 ベルの異常さに、息を呑んだのはディアナだけではない。ヴォルツが厳しい表情で、三人を連れてきた王宮騎士を一瞥した。


「どのような虐待に及べば、このような惨い有様になるのだ?」

「ご、誤解にございます」


 王の前ということも忘れ、騎士はふるふる首を横に振る。


「私どもも、不気味に思っているのです。食事も飲み物も随時与え、極端に健康を阻害するようなことは、一切いたしませんでした。……なのに、まるで何かに命を吸い取られていくかのように、みるみるうちにやせ衰えて」

「たった数日で?」

「信じて頂けないことは、承知の上です。それでも、そうとしか申し上げられません!」


 騎士の後ろで、ベルは言葉にならない言葉をぶつぶつ呟いている。……既にまともな証言ができないことは、誰が見ても明らかだった。身体だけでなく精神も、彼女は明らかに壊れている。


(何が、どうなってるの……)


 ベルほどではないが、ライノとオレグも痩せ、目も虚ろだ。かろうじて思考は働いているようで、必死に背筋を伸ばして立っている姿が逆に痛々しい。

 気がつけば、口を開いていた。


「心当たりはないのですか?」

「紅薔薇?」

「陛下。彼らの様子は、異常の域を越しています。不治の病であったとしても、たった数日でこんな……」

「それは、私も思う。しかし、心当たりとは?」

「ライノ・タンドール様。オレグ・マジェンティス様。わたくしの声が、聞こえますか」


 呼び掛けに、ぼんやりと、オレグが反応した。ディアナと視線が合った彼の唇が、「べにばらさま……」と動いたのが分かる。


「大きな声を出す必要はありません。あなた方は、今すぐ医者にかからなければならないほど、心身ともに異常です」

「もうしわけ、ありません」

「わたくしへの謝罪は要らないわ。どうか、これだけ教えて。――あなたたちを廃人寸前まで追い込んだ原因に、心当たりはありませんか」


 ディアナの問い掛けに、オレグの瞳が微かに光る。ちらちらと光は瞬いて、やがてオレグの口が開いた。


「か、み……」

「かみ? 文書を記す、『紙』ですか?」

「はい。ふしぎな、もようの、かみが」

「不思議な模様が、描かれた紙?」

「かみに、ふれれば。……はなしが、できる」


 脳内で、クレスターの屋敷に収められた、数多の書物が捲られる。

 あった、はずだ。昔々の、伝承を集めた一節に。


『二つで一つ、対の文様。どれほど遠く離れても、互いの『絆』を受け止めて、互いの『声』を届け合う』


 幼心に面白いと感じ、父に「この文様はどこにあるのか」と尋ねた。――あのとき父は、何と言った?


『ディアナ。これは千年以上前の、真偽もはっきりしてない『伝承』だ。下手に手を出すと、お前が喰われる。……この本の内容は、お伽噺くらいに思っとけ』


 父の言葉を、はっきりと思い出した瞬間。世界がひっくり返ったような恐怖に、ディアナは支配された。


 伝承の、文様。下手に手を出すと、喰われる。

 あれは、こういうことなのか。遠く離れた相手と会話ができる『文様』は本当に存在して、けれど使い方を誤れば、こうして人を壊す。それを父は、当代『賢者』は、『喰われる』と表現した?

 目の前の三人を見れば、『喰われた』のだと納得せざるを得ない。たかが紙に書かれた『文様』がどうやって人を『喰う』のか、その仕組みは分からないけれど。


(お伽噺じゃ、なかったの?)


 伝承を集めた、あの本は。幼子が夢見る、魔法の世界そのものだった。だからこそ、ディアナはデュアリスの『お伽噺くらいに思っとけ』に、すんなり頷くことができたのだ。

 まさか、本当に。『伝承』は、千年以上前の、現実――?


「紅薔薇……、紅薔薇!」


 ジュークの呼ぶ声に、我に返った。……いけない。ここは、王国中の貴族が集まる議会の場だ。茫然自失になっている場合ではない。

 オレグの言葉は、ほとんど読唇術で読み取った。その技術がない者に、彼の声は届かない。

 青ざめた顔でジュークを見れば。心配そうな瞳と、ぶつかった。


「どうしたのだ。不思議な模様が描かれた紙が、何だと?」

「あ……、いえ」


 これは、大勢の前で告げるべき話ではないだろう。ディアナは力なく、頭を振る。


「オレグ様は、自分たちを追い込んだ原因が、その紙にあると考えていらっしゃるようです。……どのような紙かまでは、わたくしにも分かりません」

「紙一枚が、ここまで人間を壊すのか……?」

「えぇ……わたくしも、どういうことなのか分からず」


 挙動不審の理由を何とか誤魔化すと、ジュークは目線だけで「後で話せ」と伝えてきた。さすがにここまで付き合いが長くなると、たかが不審な紙切れの話だけで倒れそうな衝撃を受けるほどディアナが柔ではないと見抜かれている。

 同じく目線だけで了承し、ディアナは深く、息を吐いた。


「陛下。いずれにせよ、彼らにまともな証言を期待するのは、難しいかと存じます」

「あぁ、そうだな」

「一度下がらせ、医者の診察を受けて、健康を取り戻してから……」

「――それが狙いか、毒婦!」


 すかさず野次が飛んできた。議会席に視線を移せば、さっきまで青い顔をしていた処刑推進組が、打って変わって勢いづいている。


「なるほど。貴様はこうなることが分かっていたのだな」

「考えてみれば、当然のことだ。使い潰した手駒がどうなるのかくらい、悪事を働き慣れた下郎には分かって当然」

「真っ当な証言など不可能と確信していたからこそ、証人喚問にも頷いたのだな。――卑劣なことを」

「そこの女は無理だろうが、タンドールの長男とマジェンティスの次男は、口くらい動くだろう。証言させることは可能だ。陛下、この場で尋問を!」


 ディアナだけではない。ジュークと、議長席のヴォルツも、怒りを露わにする。

『口くらい動く』のではない。ライノとオレグは、言葉を何とか聞き取って、必死で答えを探して、途切れ途切れの単語で答えるだけで精一杯なのだ。ベルよりは体力があるからまだマシに見えるだけで、精神が崩壊しかかっていることは変わらない。今すぐ医者に診せても手遅れの可能性が高いのに、死に足かけた人間をさらに追い詰める非道を平然と行えと叫ぶ。……卑劣なのは、果たしてどちらなのか。

 怒りによって絶句した王と宰相を、どう勘違いしたのか。議会席から、ひょろりとした男が進み出た。


「閣下。発言の許可を」

「……何用か。メルセス侯爵」

「罪人の尋問ならば、調停局の局長補佐である私が適任かと思いまして。そこの悪女がどのように言い逃れしようとも、真実は必ず、白日のもとに晒されましょう」


 彼もまた、娘を後宮に上げている『側室の父』だ。彼の娘はリリアーヌの取り巻きで、夏以前のイジメにも積極的に荷担していた。

 ヴォルツが許可を与える前に、彼はふらふらの三人に近付いていく。もはや立っているのも限界なベルがふらりと傾ぎ、横にいた王宮騎士に支えられた瞬間、我慢ができなくなったディアナは叫んでいた。


「どこから見ても死にそうな者たちに、あなたは何を『尋問』なさるおつもりです。……もう、充分でしょう」


 こいつらが、ベルを、ライノを、オレグを利用した一味だということは分かる。三人が廃人になるところまで見越していたのなら、殺人犯はこいつらの方だ。

 散々に利用して。それでもまだ足りないのか――。


「『紅薔薇様』はどうやら、人というものをご存知ないようだ。……死が目前に迫っている者ほど、虚偽の証言はしないものですよ」


 鼻で笑うメルセス侯爵に、ディアナは騙されなかった。


「なるほど。つまりあなたは、彼らの命が風前の灯火と分かっていて、敢えて証言を強要するわけですね。それが、三人を殺すことになろうとも」

「おやおや。手駒の死は、さすがの『氷炎の薔薇姫』も心が痛むと見える」

「えぇ。誰の死だって、心は痛いわ。――心ある人間は、決して『駒』などではないのだから」


 この男は。『クレスター』の直系たるディアナの前で、堂々と人間を『駒』扱いした。


(人の、生死は。その心は、行動は。『盤上遊技(ボードゲーム)』なんかじゃ、絶対にない――!)


 心の底から叫んだ、その瞬間。


「――死人に鞭打つような真似せんでも、『罪人』の証明くらいできる。局長補佐がこの有様じゃあ、調停局は無能と言われても仕方がないな」


 いつの間に、準備万端整えていたのか。

 移動式カートを携えて、デュアリスとエドワードが、正扉の真ん前に君臨していた――。






次回、クレスター無双。

やっと「主人公一家最強」キーワードが回収できますかね?


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