閑話その34〜誓約が繋がれるとき〜
ジューク視点でお届けします。
ディアナと地下牢で話し、「おそらく、もうすぐ状況は動くはずです」と言い含められて戻ってきた、ジュークの隠れ部屋。一睡もしていないジュークは、本来なら眠気がピークに達していてもおかしくはないのだが、精神の高揚からか疲れは感じられず、落ち着かないままにあたふたと部屋の中を片付けてみたりしていた。
「ジューク、ちょっと良いか? ……何してる?」
「あぁ、アルフォード。キースに、『ある程度の整理整頓は必要』と言われたからな。少し片付けようかと」
「ちょっとは休めと言いたいが……結果としては良かったのか?」
「何がだ?」
「今、連絡が入った。クレスター家のお三方が王宮に向かっているそうだ」
もたらされた報せに、ジュークの手がぴたりと止まる。突然すぎて理解が追いつかない。
「……は? え、『お三方』?」
「デュアリス様とエリザベス様、それから次期当主のエドワードな。いらっしゃったら、そのままこの部屋に通して良いか?」
「いや、ちょっと待て! もちろん通して構わないが、……当主夫妻と跡取り自ら動くのか? 普通、こういう場合は使者とかをまず寄越すものなのでは」
「あの家に、そんな無駄な人材が転がってるわけないだろ。積もりに積もった悪評のせいで、使用人すらろくに集まらない家だぞ。さすがに長い付き合いの領民たちは悪評がただの噂だって知ってるけど、領主館で働くより畑耕した方が領主様のおためになるっつって、やっぱり使用人にはならないし」
「あぁ……まぁ、高位貴族の家の使用人は多くの場合、下級貴族子女の行儀見習いでもあるからな」
「あ、そういう型の使用人は、クレスター家が貴族になって三百年、ほとんどいないな」
クレスター家に行きたがる子女も、進んで預けたがる親もいないし、とアルフォードはからから笑う。ジュークはなんだか、頭が痛くなってきた。
「……いくら人手が足りていないからといって、当主自らそうほいほいと動くものなのか?」
「あの家、基本的にフットワーク軽いぞ。社交期間以外は王都に寄りつかないのだって、単に全土に散らばる領地を見て回って直接指示出してるから、王都を気に掛けるヒマがないだけだし。デュアリス様はそれほどでもないけど、先代もエドワードも、気になる話を聞いたら自領だろうが他領だろうが構わず真偽を確かめに行きたくなる病気持ちだしな。一年の半分は王国を旅してるみたいなもんだ」
「それは、俺の知っている『貴族』と何もかも違う……」
半島を統一したばかりで、領主自ら睨みを効かさなければいつ反乱が起こってもおかしくなかった三百年前ならいざ知らず。いまどきわざわざ領地に出掛け、その土地の現状を直接把握している貴族など、稀少中の稀少であることは間違いない。あまつさえ、それを耕作期間中続け、『旅』が基本になっている貴族がどこにいるのだ。
そこでジュークはふと、降臨祭の移動中、夜にはっちゃけていたディアナを思い出した。
「ひょっとして紅薔薇も……?」
「ん? あぁ、当然彼女もクレスター家の一員だからな。年齢的にもまだ若くて、『領主の娘』って思われる可能性も低いから、おしのび抜き打ち視察に毎年大忙しだったはずだぞ」
「――あぁまったく、去年はどこぞの誰かのせいで、視察の予定は狂うわディアナの手は借りられなくなるわで、大わらわだった」
突如、何の前触れもなく、気配すらも見せず、いきなり『上』から降ってきた声に、ジュークの心臓は間違いなく止まった。凍った空気をものともせず、『それ』は音も立てずに落ちてくる。
「へー、こんな過疎部屋に隠れてたのか。そりゃ、普段の『王』しか知らない連中には見つけられないわけだ」
「エド! お前な、天井は出入り口じゃない。ちゃんと扉から入れ!」
「んなこと言ったって、目的の人物がどこにいるか分からん以上、裏から探した方が早いだろ。ちゃんと先触れは出したはずだが、すれ違ったか?」
「先触れは受けたが、今まさに、こういう無茶が通常のお前たちについて、陛下に説明申し上げていた最中だ!」
「ほぉ。実地で理解できて良かったな」
かろうじて貴族の子弟が着る衣服の形状は為しているものの、装飾のほとんどない、動きやすさだけを限界まで追い求めたような地味な衣装に身を包んだ、目の前の男。栗色の髪は肩より長く、後ろで一つに結んでいる。顎までのフェイスラインはシャープで、なのに少し垂れた目と緩やかに弧を描く唇が鋭さを緩和し、そこに高い鼻と色気たっぷりの流し目が加われば……。
「なるほど。確かに、『女泣かせ系優男』だな」
「あ?」
「陛下?」
「あ、いや、違っ!」
彼とジュークは同い年。当然、社交デビューも同年で、王宮主催の年三度の夜会の度、遠目にはずっと見てきた存在だ。デビュタントの頃から既に、三歩歩く間にご婦人方を引き寄せると評判だった彼は、同時に『女を弄んではあっさり捨てる』とも言われていた。周囲から「近付くな」と言われずとも進んで話したい存在ではなかったため、これまで彼を、こんなに間近でじっくりと眺めたことはなかったのだ。
しかし。だからといって、ほぼ初対面の、挨拶すらまだの相手の顔を見て、開口一番『女泣かせ系優男』だなんて礼儀知らずにもほどがある。彼の現れ方に度肝を抜かれて、薄ぼんやりと組み立てていた段取りが全部吹っ飛んだ。今のジュークは既に、十割素の状態だ。
「ち、違うのだ。これはその、紅薔薇からそなたの顔について聞かされていてだな。あまりにも的を射た形容だったもので、つい感心して」
「……何をどーしてそんな話になったのか、じっくり聞いてみたい気もするけどな。とりあえず、説明にはなってても言い訳にはなってないって気付け?」
「ああぁ、エドお前、陛下相手にその口調ー!」
「やかましい。初対面でいきなり『女泣かせ系優男』とか言い出す奴相手に、手加減してられっか!」
「べ、紅薔薇は、『中にいるのはただの喧嘩っ早い脳筋』とも言っていた!」
「ほーぅ。それは、今すぐ殴ってくれってフリか!?」
「ちょ、エド、今日十時から議会! 陛下の顔が変形するのはまずい!」
「安心しろ、見えないところに留めといてやる」
「不安しか覚えねぇよ!」
ぎゃいぎゃい騒ぐ彼――エドワード・クレスターはまさに、ディアナが言った通り、『見た目女泣かせ系優男、中にいるのはただの喧嘩っ早い脳筋』だった。さんざん苦労を掛けているディアナの兄なのだ、殴られるのは覚悟の上だが、しかし。
「……できれば、殴るのは議会の後がありがたいな」
「ふーん。議会の後なら殴っていいのか?」
「そなたの妹にした仕打ちを思えば、殴らず済ませてくれとはとても言えぬ」
「殴って終わりにできることでもないぞ」
「そのようなことは百も承知だ。……顔は似ていないのに、言うことはそっくりだな」
ディアナが事ある毎に口にするのも、『反省は態度で示せ』『大切なのはこれから先だ』という未来志向の言葉。生きている限り続く未来を見据えるその姿勢は、確かに彼女と目の前の男にある、深い血の繋がりを感じさせる。
「――初めまして、と言っても良いだろうか? 顔は見知っていても、こうして話をするのは初めてだから」
「そうだな。俺たちは、『クレスター』を知らない『王』とは深く関わらないのが決まりだ。――臣下として、『クレスター伯爵家』の次代として接することを、今代陛下はお望みで?」
出現自体、貴族どころか人間としての常識をすっ飛ばしておいて、これだけ素を見せておいて、今更空気を変えてくる。彼の本質が『喧嘩っ早い脳筋』であることは事実でも、『賢者』の末裔である以上、それだけの存在であるはずがない。
彼が纏う貴族然とした空気に、ジュークはむしろ苦笑った。
「それを決めるのは俺ではなく、そなたたちの方だろう? 俺がどれほど臣下ではないそなたを望んだところで、そなたが俺を、立場を超えた存在に値すると認めてくれなければ、根本のところで無意味のはずだ」
「半分正しく、半分間違っていますね。我々の『絆』は、いつの時代も一方通行ではない。私があなたを認めることが必要なら、同じようにあなたが私を認め、求める必要も生じます。――俺は、お前に認められ、求められる存在か?」
「……少なくとも、臣下として、当たり障りのない関係でいて欲しいとは思えないな」
アルフォードが間に入っていたというのも大きいのだろうけれど、最初からかっ飛ばしていたエドワードの方が貴族風に話されるよりしっくりきて、ジュークとしても構えずに話ができる。顔はどれだけ数多の女を泣かせてきた悪人風情でも、この『エドワード・クレスター』という人間が、まっすぐに人の目を見て感情をぶつけてくる心根の良い人物だということは、この短時間でも理解できたことなのだから。
想いを隠さないエドワード相手に、ジュークも取り繕う気持ちにはなれなかった。まっすぐに、ただ心のまま、彼へと向かう。
「まだ出逢ったばかりで、正直、いきなり友人になってくれなんて言えない。俺に対するそなたの心証が最悪よりなお悪いだろうことは、予想がついているわけだしな」
「思ってたより、よく分かってるんだな」
「ひとまずは、『臣下』としての壁を作らないでくれと、お願いしても良いだろうか? ……エドワード・クレスター」
「『臣下』の俺を望まないなら、わざわざ家名なんかつけて呼ぶな。俺も長ったらしく呼ぶぞ、ジューク・ド・レイル・エルグランド国王陛下ってな」
「普通に臣下でも、陛下の名前をフルで呼ぶ奴なんていないだろ」
「そう呼ばれたくないなら、家名は外せって話だよ」
アルフォードの茶々に肩を竦めるエドワード。予想はついていたが、この二人は随分と仲が良さそうだ。
少し音を立てて、ジュークは笑った。
「エドワード、で構わないのか?」
「むしろ家名はいらん。俺はなんて呼べば?」
「ジュークと。俺も名前が良い」
「分かった」
エドワードが頷いたところで、アルフォードが首を傾げる。
「ところで、エド。デュアリス様とエリザベス様はどうした?」
「あぁ、あの二人は馬車で来る。さすがに馬三頭隠しとける場所は王宮にはないだろ。俺のジョイなら賢いから、見つかりそうになったら適当に自分で隠れてやり過ごせるしってことで、一足先に来たんだよ。『王』の居所も把握しときたかったからな」
「お前一人が把握しても意味ないだろ」
「俺たちを何だと思ってるんだ? 俺が見つけた時点で、伝達が入ってるさ」
「……いや、そもそも貴族の子弟は、天井から探しものをしたりはしないと思うのだが」
「あー、その辺の常識をエドに求めるのは諦めた方が賢明ですよ」
「つーかアル、俺がいるからってわざわざジュークに敬語使う必要はないぞ? ディアナの前で崩した時点で今更だろ」
「本当にお前ら一家には恐れ入るよ。つっても、さすがにデュアリス様とエリザベス様の前でまで、気の抜けた姿は晒せないからな」
「……アルフォードは、クレスター一家と、どの程度の付き合いなのだ?」
軽い気持ちで尋ねたのだが、何故かアルフォードが「しまった」という顔になり、エドワードは呆れた表情でそんな彼を見る。微妙な空気にジュークが動じる前に、エドワードが口を開いた。
「何だ、アル。まだその辺のこと、話してなかったのか?」
「話す前に、お前が割り込んで来たんだろうが……!」
「いやだって、あからさまに俺たち一家の事情とか説明してたし。普通、自分のこと話した後だって思うぞ」
「『スウォン』だから、歴史や資料には詳しい……みたいな説明はした」
「それ、かなり苦しいぞ。そもそもお前が『スウォン』の資料で俺たちのこと知ったのって、俺と会ってからだったろ?」
「あー、はいはい。どーせ俺は浅はかだよ」
ふてくされるアルフォードは珍しい。目を丸くするジュークに、エドワードが苦笑した。
「一つ言っておくが、アルは別に、お前を裏切って『クレスター』との関係を黙っていたわけじゃないぞ?」
「そんなことは考えてすらいない。アルフォードが俺を、臣下としても友人としても大切にしてくれていることなど、言われるまでもないことだ。話せることなら、アルフォードは話してくれたはず。……ということは、俺には話せないことだったのだろう?」
「正確には、『『クレスター』の真実に気がついていない』お前には話せなかったんだ。もし、お前が『クレスター』の真実を知る前にアルと俺たちの関係を知らされていたら、お前はそれだけを根拠に俺たちを『悪』ではないと判断したかもしれない。――けど、それは駄目なんだ」
静かに話すエドワードの翡翠の瞳には、思慮の光が宿っている。
「これは、『クレスター』が貴族になってから、自然にできた『エルグランド』の取り決めらしいんだけどな。『王家に生まれた子は、先人が残した書物、あらゆる資料と、目の前に存在する『ありのままの世界』だけを頼りに、自らの力のみで『クレスター』の真実に辿り着くべし。何人たりとも、そこに力を貸したり、恣意的な助けとなる情報を提示したりしてはならぬ』――って」
「……そうか。つまり、アルフォードが『クレスター』と親しいという事実そのものが、アルフォードを信頼する俺にとっては、『クレスター』に到達する助けになりかねなかった?」
「到達する助けになるだけならまだしも、アルと俺たちの関係を知ったお前が『クレスター』への警戒を解いて、結果として『クレスター』の真実から遠ざかることを、アルは恐れたんだろうよ」
エドワードの言葉にはっとなる。確かに、周囲から言われるままの『世界』を受け入れて、自分で考えることすらしなかったあの頃に、アルフォードから『実はエドワードと友だちで、クレスター家はいい人たちだ』と聞かされていたら。単純な自分は『そうなのか』とあっさり信じて、こんな風に『クレスター』について深く考えようとまでは思わなかったと断言できる。
ジュークは深々とため息をついた。
「そうだったのか……。アルフォードは黙っていることで、俺を最大限、守ってくれていたのだな」
「なー。よっ、臣下の鑑!」
「止めろ、気色の悪い。近衛としても、歴史を見守る『スウォン』の人間としても、当たり前のことをしただけだ」
「けど、それを貫きすぎて、真実を告白する機会を外す辺りがアルだよな」
「だから、それは! お前が非常識な現れ方をするからだ!」
「俺の非常識なんて、今に始まった話じゃないだろうに」
「まったく、な。この見た目詐欺師!」
不覚にも、アルフォードの言い得て妙な罵倒にジュークは吹き出してしまった。この優男風の見た目でハチャメチャな言動のエドワードは確かに、『見た目詐欺師』以外の何者でもない。あの『エドワード・クレスター』の中身がこんな面白い男だなんて、ある意味ディアナ以上の衝撃である。
笑いが止まらなくなったジュークを見て、アルフォードがしみじみ言う。
「ほらな。ジューク……陛下から見ても、お前は見た目詐欺師に見えるんだよ」
「見た目で罠仕掛けるのは、別に俺に限った話じゃない」
「いや……それは、分かっているのだが。そなたほどの荒事には無縁そうな見た目で、その言動は、確かにいろいろと詐欺だ」
「でっしょー。さすが陛下、分かってる! 俺なんて初対面で、こいつに蹴り飛ばされましたからね」
「は!?」
「誤解を招く表現をするな! アルとの初対面は、騎士学院の模擬試合だったんだよ。先輩が後輩に手ほどきするって名目で、俺の相手がアルだったんだ」
「いやいやエド、誤解も何も、普通剣の模擬試合で足は出ないから」
「あの頃から長剣使いだったお前とのリーチ埋めるためには、足ぐらい使わないとどうにもならんだろうが」
「いやー、つくづくあのときの模擬試合が『剣』で良かったよ。各々の得意武器使っての異種混合試合だったら、俺なんか秒殺だ」
信じられない言葉が、まさかの近衛騎士団団長から飛び出てくる。
思わず素っ頓狂な声が出た。
「あ、アルフォードが秒殺だと!?」
「あぁ陛下、コイツの強さは俺の比じゃないですからね?」
「だから、前提条件を間違えるな。得意武器で秀でるのは当たり前だ。騎士が使うのは基本的に剣だろう。それならアルの方が慣れてるし、よく動ける」
「よく言うぜ。軽めの剣二本使いなら、一対多数模擬戦であっという間に現役兵をなぎ倒したくせに」
「あれはあちらの油断が大きかった。もう一度やれば、そう易々と倒されてはくれないだろうさ」
「その油断を誘う見た目も全部ひっくるめて『武器』だろ?」
「……あぁ、だからこその『見た目詐欺師』か」
もはや何もかもを通り越して、納得するしかない。見た目女泣かせ系悪人のエドワード、まさかの武闘派だったとは。そう考えると、天井裏から突然現れるのも……いや、そこはやはり非常識だ。
アルフォードが深々と頷く。
「そうなんですよ。俺も初対面の模擬試合で痛い目見ましたからね。コイツは侮れないってところからエドワードに興味持って、『クレスター』にまつわる噂とのギャップにウケて、どういうことなのか調べてみようって思ったのが始まりでした」
「つーか、ウケたのか」
「あれでウケずにいられるか。剣の試合のはずが、間合い足りないからって跳び蹴りかましてくるような後輩だぞ。あんなオモシロ武術使ってくる奴が『悪の帝王』の跡継ぎなんて、ウケる以外にどうしろってんだ」
一分の隙もない、アルフォードの正論である。ジュークもつられて笑った。
「確かに。それは笑う」
「でしょう。幸い俺の家は、その手のことを調べる資料には事欠きませんから。陛下と同じようにざっくり資料を当たって、同じ結論に達したわけですよ。もうびっくりして、父と兄に確認取ったら……」
「……取ったら?」
「スウォンって、王国の貴族の中でも屈指の変わり者一族なんだよ。歴史研究が生業だからかは知らないが、歴代あっさり『クレスター』を見抜いて、普通に仲良くしてくれる」
「は? え、じゃあ、現当主同士も……」
「フツーに友人付き合いしてるぞ。ウチの悪評に巻き込むわけにはいかないから、あくまでコッソリだけど」
心なしか頭痛がしてきた。クレスターもクレスターだが、スウォンもスウォンだ。さすがは『古の一族』、一筋縄ではいかない。
額を抑え、ジュークは息を吐き出した。
「知らないことが多すぎるな……」
「ま、ウチ関連については仕方ない面もあるさ。これから知っていけば済む」
「――いやはや、短い時間で随分仲良くなったんだな」
油断していたところに響いた、ぞっと全身が寒くなるような低音の声。反射的に背筋が伸びたジュークとは対照的に、エドワードは気がついていたらしい。のんびりと扉向こうに声を掛ける。
「いつまで盗み聞きするつもりかと思ってましたよ、父上」
「お前らがあんまり楽しそうなんで、入るに入れなかったんだよ。親父の気遣いだ」
「父上の気遣いなんていう、高確率で裏があるものをありがたがる神経の持ち合わせは、残念ながら俺にはないです」
「そこはエドに一理あるわね」
まるで自宅のような気楽で気安い雰囲気を纏って、今度はきちんと扉から、残りの『クレスター』――デュアリスと、その妻エリザベスが入ってきた。ぱたんと扉が閉まり、エリザベスがぐるりと部屋を見回して、「あらあら、散らかして」と呟く。……すっかり忘れていたが、片付けの途中だった。
つかつかと近付いてくるデュアリスを、呼吸も忘れてジュークは見つめた。『年迎えの夜会』で一瞬対峙したときとは、何もかもが違う。――今のデュアリスは、エドワードそっくりの翡翠に底の知れない『何か』を宿した、古から続く一族の末裔を束ねる『長』、そのものだ。
――あぁ。唐突に、ジュークは悟っていた。
統一王アストの嘆願により、ポーラストは『クレスター』の姓を賜り、臣に下った。形の上では確かにそうだ。
しかし。この『エルグランド王国』において、唯一王家への『忠節』ではなく『友情』で動く、彼らは。実質のところ、王家と対等な存在で。
彼らもまた、古より守り続けた土地の名を冠する、『クレスター』という『王』なのだと。
ジュークの頭は、ごく自然に下がっていた。
「本来なら、私から参るべきところをご足労頂き、感謝いたします」
「事態は予断を許さない。今は礼儀より、実利を取るべきだ。――我らが参る方が、陛下のお姿を人目に晒さずに済むのであれば、そうすべきでしょう」
「どうぞ、私のことは『ジューク』と。私は父と違い、『王』と呼ばれるには未熟な存在です」
ふ、と空気の抜ける音がした。顔を上げると、どこか懐かしいものを見るデュアリスの瞳とぶつかる。顔は相変わらずの魔王だが、その瞳を恐ろしいとは思わなかった。
「あれも、同じように言っていた」
「あ、の……?」
「死ぬ、間際まで。自分は王と呼ばれるにはほど遠い存在だと、悔やんでいた」
ジュークの目が丸くなる。デュアリスが話す、その人は。
「父が、ですか……?」
「ジューク。オースを……父上を、怨んでいるか?」
突然何を言い出すのだろう。目を丸くしたまま、ジュークは高速で、首を横に振った。
「何故、父上を怨まねばならないのです。会える時間は僅かでも、父上は私を大切に想ってくださっておりました。そのお姿で、王とは何かを、私に示し続けてくださいました。……もっと、もっとたくさん、教えて頂きたいことはありましたが。私にとって父上は、偉大なる王であり、尊敬する父親です」
「……そうか」
静かに、デュアリスが目を伏せる。彼の心情は、閉ざした目蓋からは窺い知れなかった。
そんなデュアリスに寄り添うようにエリザベスが立ち、ジュークに優しい眼差しを向ける。
「大きくなりましたね。私も、ジュークと呼んで構わないかしら?」
「……はい」
「ふふ。生まれたばかりのあなたと、こっそり会わせてもらった日が、まるで昨日のことのようだわ。これほど立派に育って、リファも、きっとオースも、頼もしく思っていることでしょう」
息が止まりそうになる。『リファ』とはジュークの母親、現王太后の愛称だ。母は自らの愛称を、よほど親しい間柄でなければ呼ばせない。
ジュークの視線だけで言いたいことを察したのだろう。エリザベスが頷く。
「あなたのお母様、リファーニアとは、昔からのお友だちなのです。身分こそ離れていたけれど、結婚も出産も近い時期で、お互いに励まし合ったものよ。リファの手引きで、生まれたばかりのあなたと会ったことがあるの。一度だけね」
「そうだったんですか? 初めて知りました」
「ちょうどエド、あなたがお腹の中にいる頃よ。初めての出産で、私も不安だったの。そうしたらリファが、『赤ちゃんの可愛らしさを知れば、不安なんて吹き飛んで、早く会いたくなるわ。ウチの子に会いにいらっしゃいよ』って誘ってくれてね」
「じゃあ俺も一度、母上越しにジュークと会ってるんですね」
「そう言えば、そうなるわね」
エドワードも初めて知った話のようなのに、この動じなさは何なのか。ぽかんとしていると、アルフォードが諦めたように笑った。
「この家の方々に可愛げのある反応を求めるのは時間の無駄ですよ、陛下」
「そ、そうなのか?」
「『事実は小説より奇なり』を年がら年中検証しているような一族ですから。ちょっとやそっとのことじゃ驚きませんし、動じません」
「紅薔薇は、もう少し素直だった気がするが……」
「まぁ、ディアナはまだその辺の経験値不足だな」
「経験値の問題なのか!?」
どちらかと言えば性格的な問題のような気もする。ディアナも充分に常識外を生きているとジュークは思っていたが、クレスター家の中では、彼女はひょっとしたら常識的な方なのかもしれない。
……そうだ。ディアナといえば。
「――クレスター伯」
呼びかけて、ジュークは深々と頭を下げた。
「この度のご息女の件は一重に、王宮に巣くう愚かな不心得者を御することができなかった私の力不足です。お詫びのしようもない。……自ら悪評を被ってまでも、長きに渡り王国を支え続けてくれた『クレスター』のご令嬢に対し、このような仕打ち。王国を見限るに充分とは存じますが、何卒、罪のない民たちが不遇に嘆くような事態だけは極力避けて頂けるよう、伏してお願い申し上げます」
低い、静かな声が降ってくる。
「……ディアナの命を狙ったのは『愚かな不心得者』であって、そなたではなかろう。なのにそなたが望むのは、『自らへの協力』ではなく『民の幸福』なのか?」
「たとえ愚かな不心得者ではあっても、貴族であり王宮に勤める者である彼らは、私の民であり臣。その行動の責は、最終的には王である私にあります。彼らを切り捨て私だけを生かしてくれなどと、厚顔無恥なことは申せません。……そもそも私には、彼らの罪を問えるだけの切り札がない。その状況で何を協力して欲しいと言えるのです?」
「不心得者の罪を問えぬのに、貴族議会を開くことにしたのか? それとも議会は、そなたの意志ではないのか」
「いいえ、私が開くと決めました。――貴族議会ならば、貴族でありさえすれば誰であっても、側室『紅薔薇』の無実を証明し、真に裁くべき者を暴くことができます」
「つまり――私たちが、思う存分動ける舞台として、貴族議会を用意した?」
「その通りです」
顔が上げられない。沈黙の合間に、誰かの息遣いが聞こえる。
やがて、ふぅと長いため息がして――これまで聞いたことのない調子の、デュアリスの声がした。
「俺たちが思う存分動けば、その余波は当然、王であるお前や王宮の中枢にも響くぞ。それ全部覚悟して、それでも議会を開くと決めたんだな?」
「……『王』としての保身より、今優先すべきは無実の者を救い、真の罪人を裁くことです。ここで保身に走って紅薔薇を、ご息女を見殺しにしたら、私は生涯自分を赦せない。王として立つことなど、どのみちできなくなります」
それなら、保身を考えるだけ無駄だ。どう転んでも『王』としての己が危ういならせめて、実のある結果を出せる方が良いに決まっている。
やれやれ――と、呆れたようなデュアリスの声がした。
「顔を上げろ、ジューク」
「クレスター伯」
「そもそもオースとの約束だ。お前が仮に愚王になって、滅ぼさなきゃいけなくなったとしても、それで『国』まで滅ぼすなんて馬鹿はしねぇよ。人さえ無事なら、名前や形は変わろうと『国』は続いていくんだ。王宮に殴り込むにしろ、最低限殴り込み方は考えるさ」
口調は軽くても、その内容は重い。ジュークは真面目に頷いた。
そんなジュークをじっと見て、デュアリスは笑う。――ほっとしたような、そんな顔で。
「参ったな。この土壇場で、逆転されるとは思わなかった」
「伯爵?」
「優先させるべきは無実の証明と、真の罪人の裁き。しかしその『罪人』も己の民であり、それ故に保身には走らず、か。――この短時間でよくそこまで、『王』らしい思考になったもんだ」
……聞き間違いだろうか。今、デュアリスがジュークを『『王』らしい』と言った?
エドワードが晴れやかに笑った。
「しかも、その全てを為すのに己では力不足とまでしっかり把握して、それができるだろう我々に託すべく、リスクも全て承知の上で貴族議会を開くため奔走したのです。この部屋の様子を見るに、『クレスター』の真実を追求するのと同時進行で。――追い込まれながらも諦めることなく、我らを信じてここまでした『王』を見限るのは、『古の誓約』にそぐう行動でしょうか?」
「追い打ちかけるな、エド。……認めるよ。若造の本気、見くびってたってな」
「年を取ると、自分たちの若い頃を忘れちゃうのが難点よね。無理無茶無謀は、若者の特権よ。がむしゃらに足掻いて、たまにはこうして、年寄りにときめきを与えてくれないと」
「エリザベス様は、まだまだお若いですよ?」
「あらあらアル、しばらく見ない間に口が上手くなったわね」
目の前で話がまとまっているように見えるが、思考回路が麻痺したジュークは、その流れについていけない。
エドワードが、ばしっと背中を叩いてきた。
「もっと喜べ、ジューク。父上が、現『クレスター』の当主が、お前を『王』と認めたんだぞ。お前の治世を壊さないようにしつつ、この一件を収める方向で考えるって、そう言ってるんだ」
「…………え? そ、そうなのか!?」
「ごめんなさいね、ジューク。デュアーはひねくれ者で、素直じゃないから。分かりにくかったでしょう」
「分かった分かった。俺のことは良いから、作戦会議に移るぞ。エド、アル、そこの机空けろ」
「はい、父上」
「お、俺も手伝う!」
じわじわと、頭の片隅から、喜びが込み上げてくる。
『クレスター』の心を、その絆を、喪う直前でかろうじて掴めたこと。
まだ、なりたい『王』を目指せること。
幾たび間違っても、諦めない限りやり直せる。何度だって、立ち上がれるのだ。
――運命の『貴族議会』は、数時間後にまで迫っていた。
次回より主人公視点に戻りまして、ハイパー水戸黄門タイム。
やっとここまで来ましたね……!




