閑話その33〜誓約の片側で〜
よくよく考えたら降臨祭ぶりだったエドワードお兄様のターン。
いつも、穏やかで。春の日差しのように笑う人だった。
『こら、デュアー。それはやりすぎだろう』
『えー、そうか? せっかくの焚き火なんだから、でかい方が豪華だぞ!』
『エドとディアナもいるんだぞ。しかも、ディアナはまだ赤ん坊だ。万一爆ぜ木が飛んだらどうする』
楽しいことに遠慮しないデュアリスを、状況に応じて程良く窘めて。そんなときですら、笑顔を失わない人だった。
『エド。私にも、エドと同い年の息子がいるんだよ』
『そうなの? 会いたい! おじさん、どうしていっしょに来ないの?』
『残念ながら、息子はまだ、ここに来ることはできないんだ。私たちの一族がこの地を訪れることができるのは、自らの目で真実を見、真の君たちに辿り着いたとき。そう、昔から決まっているんだよ』
『……よくわかんない』
『だろうね。エドにはまだ難しいか』
『おじさんの子どもとぼくは、いつになったら会えるの?』
『いつだろうね。けれど、私は信じているよ。どれほど時間がかかろうと、息子はきっと、自分の力で君たちを見つけることができるとね。あの子は、本当に素直で、優しい子だから』
『おじさんの子と、ぼくが会ったら。ぼくらも友だちになれるかな? ――オースおじさんと、父さんみたいに!』
幼い子どもの純真な望みを。誠実な心で包み込み、微笑んで頷いてくれるような、そんな人だった。
――だから。
『私は間違っていた。見誤っていた。父のように息子を教育するのは良くないと、時代も違うのだからと、我が子を王宮の奥底に閉じ込めて。――ジュークを壊そうとする悪意に、気付くことができなかった!』
『落ち着け、オース!』
『どうすればいい、デュアー。どうすれば、私はあの子に償える。こんなに息子を抱き締めて、大切だと伝えたいのに。それすらもできない私は、私たちは、どうすればジュークを守ってやれる……!』
ある日の、嵐の夜。夜陰に紛れ、前触れもなく『クレスター』の屋敷の扉を叩いた彼は、見たこともない形相で。扉の陰からその様子を垣間見たエドワードは、今でもあのときの彼の、恐怖と怒り、無力と絶望に歪んだ表情を、忘れることができない。
『何が王だ。何が国の頂点だ。我が子一人の幸福も約束できないような、こんな男が。幾千万の民を守るなんて、おこがましいにもほどがある!』
『それ以上、自分を追い詰めるな!』
膝をつく彼の肩を揺さぶるデュアリスの表情もまた、エドワードが見たことのないもの。絶望する友を何とか留めたい、その必死さに満ちていた。
『何のための俺たちだ。お前らが独りで抱えきれないものを、共に背負うための『絆』だろう。独りで勝手に絶望して、これまでの自分まで否定するな』
『だが!』
『聞け! ジュークを守るために、お前にもできることはある。――『王』を、『お前』自身を、投げるな』
『デュアー……』
『ジュークの命を守るには、今はまだ、最低限の接触に留めるしかない。だがな、オース。お前はこの国の王だ。お前がお前の信念を貫けば、きっとお前の息子は、その背中から何かを感じ取れる』
『背中……か』
『向き合って抱き締めてやるばかりが、親の愛ではない。『王』として凛と立つお前の姿は、きっとジュークの中で、揺らぐことのない指標となるだろう。今すぐには芽が出ずとも、それはきっと遠い未来、お前の息子を守り、支え、導く――何より確かな『愛情』になる』
彼の肩が小刻みに震える。幼いエドワードにも、あの優しいオースおじさんが泣いているのだと分かった。
あんなにも愛情に溢れた瞳で、息子を、『ジューク』を語る彼が。本人に面と向かってその愛情を伝えられないのだとしたら、それはどれほどの苦しみなのだろう。
『息子は……操られる。あんな悪意に満ちた教育を受けて、考えが偏向しないはずがない。一部の貴族にとってだけ都合の良い、傀儡の王。そんなものに息子が育てられようとしていると分かっているのに。ただ黙って、見ているしかないのか』
『焦るな。ここで無理に介入して、ジュークが『事故死』でもしたら目も当てられん。苦しいが、今は黙して、機会を待て』
『それで、あの子の命は守れても。あの歪んだ空間で、ジュークの心までもが歪んでしまったら。その歪んだ心のままに民を苦しめる、そんな『王』になったら!』
『――そのときは。俺たち『クレスター』が、お前の息子を止めてやる』
息を止めたような彼と、デュアリスの視線が交差する。彼の濡れた水色の瞳に誓うように、デュアリスはゆっくりと頷いた。
『安心しろ。お前の息子は絶対に、国を滅ぼす『王』にはならない。……そのために、俺たちはいるんだ』
『デュアー……』
『お前も、信じろ。どれほど偏った教育を受けても、だからその者の心までが歪むとは限らない。ジュークはリファに似て、優しくてまっすぐで、会えばいつもお前たちを気遣ってくれる、自慢の息子なんだろう?』
『それは……』
『『最悪』のときは、俺たちが全部引き受けるから。お前はどんと構えて、息子を最後の最後まで、信じていてやれ』
二人の、その夜の誓いは。エドワードは知らないことになっている。あの頃から既にシリウスの訓示を受けていたエドワードは、年齢一桁で既に『気配を消す』技能は習得済みだった。扉の陰からそっと盗み見て、意味はよく分からないながらも子ども心に忘れてはならないものだと感じ、心と脳裏に焼き付けた、父と、父の『親友』の会話。――やがて育つにつれ、彼が『誰』で、自分たちが『何』なのか、エドワードは知るようになる。
物心ついたときには既に、デュアリスの親友として、年に何度か王都の屋敷や領地を訪れていた『オースおじさん』は。
この国を統べる頂点に君臨する誉れ高き『王』、オースター・ド・ランテ・エルグランドその人だった。
***************
『クレスター』の直系に生まれた者は、代々何故か、不思議なものを受け継いでいる。
一つは、バリエーション豊かな悪人顔。何故か長男の子ども限定で受け継がれるそれは、代々『クレスター伯爵家』が王宮で『役目』を果たすのに役立ってきた。
長男以外の一族は、基本的に時期を見て貴族籍を離れ、それぞれの得意分野を開拓して生きていく。学者になった者、商人になって外つ国に移住した者、農家に婿入りした者、面白いところでは義賊団を結成した者と、近年だけを挙げても様々だ。
貴族籍を離れた彼らのその後は、王宮には把握されない。子どもが生まれても、『クレスター』の悪人面が継承されるのは長男の子どもだけなので、顔で一族の者だと見抜かれることはまずない。実際フィオネは二男に恵まれたが、二人ともフィオネと彼女の夫ジンの良いところを上手に受け継いだ、普通の美形だ。
この長男の子ども限定で現れる悪人顔について、どういう絡繰りなのかという議論と検証は、かなり長い間続いているが。今のところ、「そういうものだと納得するしかないな」という結論しか出ていない。
もう一つの特筆すべき継承は、代々の、異常なまでの知識欲だ。知らないことを知りたい、不思議なものがあれば、その仕組みを解き明かしたい。見つけた『知』を応用し、役立つ『知恵』へと発展させたい。エドワードの婚約者であるクリスに言わせれば、一族のそれはもはや「ビョーキの域」らしい。そうして代々が書き記してきた『知識』は、クレスターの屋敷の地下、その奥深くで、いつだって自分たちを出迎えてくれる。
『クレスター』の子どもたちは、教師と呼ばれる存在を必要としない。基本的な読み書き計算さえ覚えれば、後は屋敷にある数多の書物、先祖たちが残してきた文献が、子どもたちの何よりの『師』となり導いてくれる。分からないことは調べ、それでも納得できなければ大人に尋ね、ヒントをもらってさらに調べ。エドワードも、ディアナもそうして、特に教えられることなく『クレスター』の役目を理解した。
遠い、遠い昔。人々が個々にまとまり集団を作り、土地を区切って家を建て、『国』という概念ができた、文明の黎明期。山裾に広がる豊かな森の中で狩猟民族を束ね、その知恵で自然との共生を成していた『賢者』と呼ばれた男と、湖の畔の集落にて、人が好く世話好きで、仲間の面倒を積極的に見ているうち、いつの間にか『王』と呼ばれるようになった男との邂逅。二人はやがて唯一無二の友情で結ばれ、その絆は子々孫々へと、奇跡のように繋がれていった。
湖の王国が歴史の中で生き残り、四百年前に『エルグランド王国』とその名を変えても。
当事者たちですら驚いた、半島統一を成し遂げても。
二人の立場が『王』と『臣下』に変わっても。
――決して変わることなく結ばれた友情は、まさに『奇跡』の一言に尽きた。
王国と、『クレスター』の歴史を学び。今に続く『湖』と『森』の友情を目の当たりにして。
それがこの上なく尊いものだと、心の底から理解できたからこそ――憧れた。
『いつか、会えたら。友だちになれるかな……『ジューク』と』
大好きな、『オースおじさん』の息子。彼と父の間にある特別な絆を、自分たちも築くことができるのだろうかと。
幼い頃の憧れは、現実を知れば知るほど、絶望が濃く落ちるものだったけれど。
『エド。私はね、ジュークを信じているよ。……最期の、そのときが過ぎても』
あの人が信じ続けた、自慢の息子だから。――歪みきった存在だとは、思いたくなかった。
彼が即位してから、今まで。
あくまでも一貴族として、『クレスター』の人間として注視しているのだと、自分自身すらも完全に騙して。
――本当の本当は、きっと。『奇跡』が繋がれることを、心の奥底で望んでいた。
だって、そうだろう。本当に、どうでも良い存在だと思っていたら。
どうして『彼』の一挙手一投足に、あれほどいちいち感情的になれるのだ。
……今更こうなってから気付いても、もう全部遅いのだけれど。
「お前はそれで良いのか? 『湖』との絆を断ち切って、本当に後悔はないのか」
日の出とほぼ同時に、ディアナが謂われなき罪を着せられ、地下牢へと放り込まれた日の正午過ぎ。何となく予感めいたものを覚えて、王都の下町、場末の酒場で待っていた自分に、やって来た『詩』を紡ぐ一族の末裔は言った。「もう少しだけ待って欲しい」と投げかけられた言葉に、「当主の決定だ、俺にはどうしようもない」――そう返した後に落とされた、その問い掛けは。
幼い頃からの羨望と憧憬、今の諦念と絶望を見透かされたかのようで、『本当』を抑えることなど不可能だった。
「俺が、心底これで良いと思ってると、本気で言うのか? 二千年のときを超えて受け継がれてきた『湖』と『森』の絆を、俺の代で断ち切ることが、本心からの望みだと? ――そんなこと、あるわけがないだろうが!!」
立ち上がり、親友の胸ぐらを掴んで、激情のままにエドワードは叫んでいた。息を止めて驚くアルフォードに、エドワードは言い募る。
「どうしようもないんだ。王宮が、国が、ディアナの命を狙った以上、俺たちは容赦なんてできない。我ら『森の民』にとってディアナは、何に換えても護らなければならない存在なんだから」
「……そのディアナ嬢本人が、国を滅ぼしかねない『クレスター』の総力を望まなくても?」
「ディアナ本人の意思は、関係ない。――これは、『森の民』を束ねる『賢者』の一族としての、我らの責務だ」
旧くからの『詩』を――伝承を、今に伝える『古の一族』、スウォン家に生まれた青年は。
エドワードの、その一種独特な言い回しに、愕然とした表情を浮かべる。
『森の民』が有史以来、その閉ざされた『迷いの森』の奥で真に護ってきた存在を、知らない彼ではないはずだ。
「まさか……そんな!」
「傑作だろ? 俺もさっき、父上から聞いて、初めて知った」
「あり得ない……! 何百年ぶりの顕現だ!?」
先祖代々クレスターの土地に住む者たちは『森の民』と呼ばれ、他の地域の人間に比べて、抜群に豊かな森への感性を誇っている。当然、『森の賢者』の末裔たる、クレスター家の人間も。
中でもディアナのそれは、生まれたときからずば抜けていた。赤ん坊の頃、森に面したベッドですやすや眠っていたところ、前触れなく火がついたように泣き出して。どう宥めすかしても泣きやまず、もしやと思ってデュアリスが森を調べれば、密猟者によって珍しい森の小動物が狩られる寸前だったということもあった。
一般的な『森の民』より、なおずば抜けて鋭いディアナの感性。ひとたび彼女が森の中に姿を隠せば、シリウス級の稼業者であっても見つけ出すことは不可能だ。……そんな妹と父から密かに教えられた『伝承』を、こうなるまで結びつけなかった己の単純さを、エドワードは嘲笑う。
「護るべきは、ディアナ。我らが『クレスター』の、……『姫』だ。それは、絶対に揺るがない」
「エド……」
「どうしようもないんだよ。……俺たちだって、父上だって本当は、総力なんて振りかざしたくないんだ」
胸ぐらを掴んでいたはずの、エドワードの手は。いつの間にか、アルフォードにしがみつくような形に変わっていた。
「せめて――今代の、王と……確たる『絆』があったら。信じて、手を取り合って、路を模索することもできたのに」
「エド、」
「王宮がギロチンまで持ち出したこの状況で。俺たちに、総力を挙げて王宮の首謀者一味と激突する以外に、どんな方策を取れって言うんだ? ディアナの、『姫』の命を本気で狙う愚か共相手に、『森の民』を統べる我ら『賢者』の一族が、手加減なんてできるわけがない!」
どれほど心が『喪いたくない』と叫んでも。――それ以上に、護るべきものがある。
守りたくて、護りたくて。それなのに今の状況では、どうしたって叶わないのだ。
「済まない……エド。無神経なことを言った。もう、待ってくれとも、手加減をして欲しいとも、俺は言えない」
ゆっくりと落ちてきた、アルフォードの静かな声。喉が詰まり、首を横に振るエドワードに、「ただ、」と彼は続けた。
「諦めないで欲しい。……最後まで」
「……この、状況で?」
「俺の言葉じゃないさ。――ディアナ嬢からの伝言だ」
牢の中にいる、『クレスター』が何をおいても護るべき存在。……それ以上に、エドワードにとっては、たった一人の大切な妹。
彼女の言葉として放たれたそれに、エドワードの瞳が光る。
「ディアナが……?」
「あぁ。ディアナ嬢、言ってたぞ。自分は動けないけれど、信じられる仲間が牢の外には大勢いる。この状況で絶望するなんて、皆に失礼だ――ってな」
アルフォードはふわりと笑った。そこに、絶望の影はない。
「ディアナ嬢、強くなったよな。今が限りなくどん底だって、分からないはずがないのに。その状況下でも、笑って全部、信じてる」
「ディアナ……」
「何もできない牢の中で、さぞかし不安だと思うぞ。それなのに俺の前で、そんな気持ちは一欠片も見せなかった。――あんな風に信頼をもらって、それでも奮起できないなんて、男が廃る」
「――アル」
「エド。お前が欲しいものと、護りたいもの。それを両立させるのは、今はまだ無理かもしれない。……けど、時間はあるんだ。諦めるには早すぎる」
ぱん、と音を立てて。アルフォードは、エドワードの肩を叩いた。
「この極限の状況で、信じ続けるのは怖いよな。だけど、ディアナ嬢はそれができてる。妹にできることが兄のお前にできないなんて、まさか言わないだろ?」
「……言ってくれるじゃねぇか」
往生際の悪い、妹と親友の言葉は。その、強い心は。
エドワードの心にも、絶望を吹き飛ばす風を起こした。
諦めなくて、良いのだろうか。――信じ続けて、良いのだろうか。
『湖』と『森』の絆は。まだかろうじて、繋がっていると。
大切な妹の命も、憧れ続けた『友情』も。どちらも手のひらの上から、零れ落ちることはないと。
「――アル。そこまで豪語したんだ。王宮の方は任せたぞ」
「それはこちらの台詞だな。デュアリス様とシリウス殿の最強主従にもの申せるのは、お前しかいないんだ」
「ま、何とかなるだろ。『総力』だって、要は使い方だ。状況の変化に応じて、この先どう仕掛けるか。せいぜい足掻くさ」
そう笑い合って。エドワードは、アルフォードと別れた。
家に帰り、デュアリスが揃える証拠の数々に、王宮の大波乱が予想できても。
まるでそれを後押しするかのような、『明日十時、側室『紅薔薇』の罪を審議するため、貴族議会を開く。出席資格のある者は、速やかに議場へと集合すべし』という速達が届いても。
エドワードはもう、諦めなかった。
***************
――やがて。信じた心は、報われる。
『デュアリス様、ご報告いたします。先ほど、王宮の地下牢にて。今代陛下がディアナ様とお言葉を交わされ、『湖』と『森』の絆と、『クレスター』の真実に到達されたことを、その身と心で示されました』
真夜中を過ぎた時間帯にもたらされた、その報せに。
執務室に集まり、最後の追い込みをかけていたクレスター家の三人は、一瞬手を止めた後、それぞれに反応を示した。
エリザベスは、ほっとしたように微笑んで。
信じて待ち続けたエドワードは、「やっとか」と憮然と呟く。
そして、肝心のデュアリスは――。
「やれやれ。天はお前に味方したらしいな、エド」
「何のお話です、父上?」
「とぼけるな。昼前に真っ暗な顔でふらふら出掛けたかと思えば、やたら元気になって帰って来やがって。そこから先のお前の動きを見りゃ、『王』がこちら側についた場合を想定してるのなんて一目瞭然なんだよ」
どーせアルとでも会ってたんだろ、お前らホントに仲良しだな、と言うデュアリスには、どうやら全てお見通しだったらしい。さすが、歴代屈指の知略を誇る『賢者』である。
「言っとくが、小僧が――ジュークが、何をどこまで理解して、どう考えて動いてきたのか。それを全部確認するまでは、『総力』の決定は覆らんぞ」
「分かっていますよ。というか、別に『総力』を上げる分には構わないと思うんですよね。――要はそれを『どこ』に向けるかでしょう?」
「ほー、言うじゃねぇの。まるっと全部吹っ飛ばすのも『総力』なら、ピンポイントで集中砲火浴びせるのも同じ『総力』だって、そういうことか?」
「父上だって、考えてはいらっしゃったはずですよ。本当に『全て』を吹っ飛ばすには、まだ欠片が足りていないと」
今回の『寵姫誘拐事件』は。実行犯から遡り、首謀者まで洗い出せば、王宮の権力中枢が比喩でなく全部吹き飛ぶ。――しかし、まるきりの更地にはならないのだ。
しぶとく、しぶとく生き残った中枢で。最終的に、どちらの派閥が優勢になるかと考えれば。
「……我々がこの段階で王宮に牙を向けて、中途半端な更地にするのを待っている、正体の見えない『何か』がいるような。そんな気がするのです」
「お前も、なかなかに勘が働くようになってきたな」
「では――やはり?」
「あぁ……いるんだろうよ。人を勝手に駒扱いする、正体不明の輩がな」
デュアリスの瞳が怜悧な光を放つ。無限の知恵を持つ『賢者』は、その気になればこの件の『黒幕』のように、人の動きを予測し操って、世界を動かすことも可能だ。それをしないのは、代々の『賢者』が己の知恵を誇る以上に、民と友を――『人』という存在を、慈しんできたから。
できるからこそより一層、『クレスター』は嫌悪するのだ。人間を『駒』扱いするその思考と、心根を。
デュアリスと同じように、エドワードも。その存在が赦せない。
「やるなら徹底的にです、父上。『指し手』の裏の裏をかいて、そいつの正体を突き止めましょう。そのためにも今、奴の思惑に乗るのは得策ではない」
「その辺、喧嘩上等なお前らしい思考だな」
「父上は、敢えて乗る気でいらしたので?」
「王宮の状況ががらりと動かない以上、それが『指し手』の真意に辿り着く、もっとも手っ取り早い方策だ。……ただ、現王が『クレスター』の役目に気がついたのなら、取れる手はいくらでも増える」
「――結論としては、なるべく早く陛下とお会いして、直接お考えを確かめる、ってことね?」
親子の密かな駆け引きを、柔らかな声が引き取った。
にこにこ笑うエリザベスは、既に机の上を片付けに入っている。
「本当に、デュアーも素直じゃないんだから。ジューク坊やがぎりぎりで間に合って、内心ほっとしているくせに」
「それとこれとは話が別だ。俺個人の感情と、『クレスター』としての役目は分けて考えないと」
「どうせクレスターなんて、代々私情で突っ走ってきたような一族なんだから、今更そんな難しいこと考える必要ないのにねぇ」
「ちょっと待て。俺たちは別に、私情を優先させてきたわけじゃないぞ?」
「細かな取り決めがあるらしいってことは、何となく分かるけれど。外から嫁いできた私から見れば、それも全部ひっくるめて『私情』よ。だって結局、どれだけぐだぐだ言い繕ったって、『友だちを助けたい』って一言であなたたちの行動理論は片付けられるもの」
デュアリスをしてぐうの音の出ない、エリザベスの完璧な分析である。
エドワードは吹き出した。
「ち、父上……一本取られましたね」
「やかましい! とっとと王宮に向かうぞ。集めた証拠類、ちゃんと揃ってるな?」
「ご心配なく。抜かりはありませんよ」
「あらあら二人とも。突然押し掛けたら、ジューク坊やがびっくりするわよ。――シリウス、アルフォードに先触れを」
『承りました』
――やっと、会える。
『おじさんの子と、ぼくが会ったら。ぼくらも、友だちになれるかな? ――オースおじさんと、父さんみたいに!』
『あぁ。きっと、私たちに負けないくらい仲良くなれるさ。いつか、ジュークに会う日が来たら。そのときは……あの子のことを、頼んだよ』
『うん!』
世界に希望が満ち満ちていた、幼い日の約束を。密かに耳の奥で繰り返して。
今は亡き人の冥福を祈り、エドワードはそっと、瞑目したのだった――。
自分の本当の気持ちって、意外と自分では気付かなかったりしますよね。
次でようやく、クレスター家と王宮組が合流します。